2007年03月01日(木) 08時48分-穂永秋琴
ドアが開き、俺は突撃を敢行する。目標は、三倍速いあの赤い奴――東山線の赤い座席だ。君は尋ねるだろう、座席が三倍速いとはこれ如何に、と。答えて言おう、埋まるのが他の地下鉄線に比べて三倍速いのだと。ここで座席を確保できるか否かは、俺の快適な地下鉄ライフに大きく関わってくる。今日のお供はハードカバーだから尚更だ。
とりあえず無事に座席を確保。鞄を膝の上に乗せ、小脇に抱えていた緑の本をその上に乗せて開く。本は『ホフマン全集』第八巻。長篇二、中篇一、掌篇一の構成。俺は読みかけの長篇『ちびのツァッヒェス』の読書を再開する。主人公バルタザールが友人ファービアンとともに魔術師ドクトル・プロスパー・アルパーヌスの邸宅を訪ねていくというくだりだ。いよいよ話が盛り上がるぞ、と期待が高まる。これまで彼の作品を四つ読んだことで、ホフマンの実力のほどはよく分かっている。何をやってるんだ、そこの君。せっかくこの本のことを教えてあげたのだから、俺のつまらん小説なんか読んでないで、名大の図書館へ行き、『ホフマン全集』第八巻を借りてきたまえ。もしくは古本屋で探すのも可。幸い、第八巻は全集の初回刊行本だったため、流通量はほかの巻に比べすこぶる多い。ぼったくりのような金額を取られることはないはずだ。
さて『ちびのツァッヒェス』を読み始めると、俺の前を女子高生が通った。本を手にしている。そして俺の隣に座った。
誰かさんは女子高生が好きだといって憚らないが、当然のことながら俺だって男の子なので、やっぱり若い女の子は好きである。しかも本を持っているという点で、ポイントはプラス二十点。
しかし俺は女の子も好きだが本も好きである。誰かが読んでいる本は、どういう本なのか気になるものだ。そこで俺はこっそり隣の女の子の本をうかがう。白い背表紙、白い裏表紙。新潮文庫か集英社文庫、さもなくばコバルト文庫だな、とあたりをつける。この時点で興味がかなり退く。岩波文庫やちくま文庫だったら興味は三倍増すのだが。さらに彼女が開いているページをちらっとのぞく。真志、という名前が見える。なんだ日本の小説か。本をのぞいたついでに女子高生の顔にも眼をやるが、絶世の美少女でもなければ眼鏡でもなく三つ編みでもない。というわけでほとんど興味の失せた俺は、バルタザールの冒険に目を戻す。今や俺にとっては、彼女や彼女の本よりも、バルタザールがツァッヒェスに勝てるのか、プロスパー・アルパーヌスはツァッヒェスに対する抵抗策を授けてくれるのか、のほうが気がかりなのだ。
俺は本を読む。彼女も本を読む。地下鉄は走り出し、伏見を過ぎ、栄に到着した。
もし君が日ごろ東山線を利用しているなら、栄は名古屋と並んでもっとも出入りの激しい駅だということを知っているだろう。当然、その日も出入りが多かった。右隣の女子高生は本を読んでいた。俺も本を読んでいた。左隣のリーマンは去った。向かいのOLと婆さんも。代わりに乗り込んできたのは、学ランを着た男子学生たちだ。大柄な体格、スポーツ用品を納めているらしい袋。体育会系だな。スポーツはいい。だが電車内で大声でしゃべるのは勘弁してくれ。
そう、奴らは大声でしゃべった。下品な言葉でしゃべった。俺も常日頃大声で下品にしゃべっているが、他人がそういう言葉でしゃべるのは我慢できない質なのだ。この蛮族どもが。苛立ちが募り、集中力が削がれる。本が読めなくなるかもしれない。これからが良い所なのに。
何とはなしに右隣を見る。女子高生は本を読んでいた。
俺は彼女の姿に感銘を受けた。そうだ、本を読むのだ。他人のお喋りなど無視し、本の世界にはまりこむのだ。俺たちにとっては、まわりに座っている男子学生などより、バルタザールや真志のほうが大事だ。俺は再び本を読み始めた。彼女も本を読んでいた。男子学生どもはしゃべっていた。俺たち二人は同志だ、蛮族どもに抵抗し、文化の世界に耽溺するため、力を合わせる同志なのだ、と俺は思った。バルタザールはツァッヒェスと戦っていた。真志もたぶん、誰かと戦っているのだろう。俺たちも戦うのだ。蛮族どもと戦うのだ。
いつしか俺は、彼女とは一心同体であるように感じていた。俺は本を読んだ。彼女も本を読んだ。もう俺は彼女を見なかった。彼女もたぶん、俺を見ようとはしていなかったろう。だが心は一つだ。本を読むのだ。男子学生どもの蛮声を退け、本を読むのだ。
電車は千種を、今池を、池下を通り過ぎ、運命の覚王山へ入った。
彼女は本を閉じて電車を下りた。
俺は絶望に囚われた。彼女の助力なくして、ここから本山までの二分間、男子学生の無作法な声に抗い、本を読みつづけることができるのだろうかと。
二分後、俺はそれがたいして困難なことではなかったことを知ったのだった。
後日談。
次の日、隣の席に座ったのは、歳のころ三十代と見られる兄ちゃんだった。その手には新書サイズの本。カバーがかかっていて、本のタイトルをうかがうことができない。いつも通り、俺はページをチラ見する。
心臓をつかまれた。
活字の書体は、彼の手にあるのが古い本であることを示していた。ページの黄ばみ具合が、俺の推測を保証していた。しかもそのページには、791年という年号が見えた。791年! つまり、彼の本が、歴史書か、歴史小説か、さもなければ架空世界小説であるということだ。片仮名の名詞が踊っていることからして、日本史に関係したものではなさそうだが――。
この時は、先日とは違って、自分の本に集中できなくなった。この時俺が手にしていたのが、愛しのホフマンの『ちびのツァッヒェス』ではなく、別に好きなタイプの作品ではないド・クインシー『阿片常用者の告白』だったから尚更だ。彼に声をかけ、本のタイトルを教えてもらうか――どうするか、俺は悩んだ。悩みに悩んだ。だが俺は臆病者だった。結局、彼に声をかけることはできなかった。明らかに年代ものと分かるその本は、俺の人生から恐らく永遠に失われることになった。この俺のなんたる不甲斐なさ。なんたる無念。想う人に気持ちを伝えられず、うやむやのまま卒業を迎えてしまったあの中学生の時代から、まったく進歩していない。
名古屋駅のエスカレーターの上で、俺はひそかに溜息をついた。