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キノコ勇者外伝 魔王ミセナ・クロカータのサガ

2007年03月11日(日) 23時37分-穂永秋琴

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大好評連載休止中のリレー小説「キノコ勇者」、その第二部の外篇であります。まだ第一部を読んでない人はこのアップ板をさかのぼって読んでね。

――多くの者に傷を残した王都転覆から三ヵ月後……。
国王オニドによって統一されていた人間の土地は、マッタンゴー、ティロピラス、メラノスポルムの三つの勢力に分かれてあい争っていた。
勇者シャンピニオンは、全てを一人で解決するため、聖魔剣の力を求めて各地の神殿を巡り歩き、「もう一人の勇者」プルアロータスは、都市ムーランで秘書官フラヴィダム、王女スキュアローサと再会を果たし、アルボア・ティロピラスのもとに投じるべく、北へ向かっていた。
そのころミセナは……それはこれから語られる外篇のうちに記されることになろう。
アマニタたちの土地で繰り広げられることになる、魔王たちの最終戦争(たそがれ)もまた。

本編よりダークさ二割増で、物語スタートです。

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    キノコ勇者第二部外篇 碧空の魔王ミセナ・クロカータのサガ

 勇者ルブリカの時代、魔衆の党にミセナ・クロロフォスという女がいた。彼女はルブリカの説得に応じて戦場を去り、トリネラに城を築いて、同じく魔衆の党から離脱した者たちを保護した。これが空の魔王の始祖である。空の魔王の座は母から娘へと受け継がれた。彼女らは代々ミセナを名とし、姓を父方から引き継ぐのがならわしであった。
 始祖ミセナ・クロロフォスから数えて四代目となったのはミセナ・ガロポーダで、その娘はミセナ・マトポーダといった。生まれつき闊達な性格で、美貌の持ち主でもあったが、剣と弓の腕も一流で、すこぶる名が高かった。時まさに、魔神ロードポリウスが復活し、人々は恐慌のさなかにあったころ。ミセナは魔術師セファラスに誘われて勇士ラエスタンの一行に加わり、ファエル、スバエルギナス、ハバロピラスの三柱の魔王とともにロードポリウスと戦った。しかしその戦いの中、ハバロピラスが悪心を起こし、ラエスタン一行を裏切ってミセナを拉致した。そしてラエスタン、ファエル、セファラスらがハバロピラスのニデュラン城を襲ってミセナを救出したとき、彼女はすでに妊娠していた。この間の事情については『勇士ラエスタン・コルティナルのサガ』に詳しく語られている。
 かくてミセナ・マトポーダとハバロピラス・クロカータの血を受け、ミセナ・クロカータが生れた。容貌は母に似て、しなやかな身体つきに銀の美髪、まことに一代の傾城というに足りた。母の薫陶を受け、さまざまな武術と魔術を学んだが、とりわけ弓にたくみであった。性質は母に似て高邁闊達であったが、一面では激情家でもあり、出生の汚点ゆえか、とりわけ卑劣を憎むことはあたかも親の仇のようであった。
 ミセナ・マトポーダが世を去ってから一年、魔衆の動きが再び活発となり、世に不安がたれこめた。トリネラを発ったミセナ・クロカータは、蜃気楼の森でスバエルギナスと戦い、王都転覆にも居合わせるなど、数々の冒険を体験し、その冒険の中で勇者プルアロータスや、ヴェルティナ、エレビアらと会った。しかし王都でハバロピラス、ルブロ・ヴォルヴァタの計略にかかり、ヴェルティナを誘拐されてしまったことで、ミセナは己の非力を悔やみ、一人王都を発ち、ヴェルティナを助け出すためハバロピラスのニデュラン城へ向かった。

    ◆ 1 ヴェルティナを追ってニデュランへ向かう ◆

 しっとりと湿った土の上を、栗毛の駿馬が駆けていく。馬上には青のマントをまとった騎士。道の両脇には針葉樹がそびえる。雲はその樹上近くまで垂れ込めている。騎士の年齢は四十ほど。よく手入れされた口髭と、左目の眼帯が目立つ。腰に佩いたの長剣の鞘には金の装飾がほどこされ、帽子には大きな羽飾りがついている。一目で伊達者と知れる。が、それにしては、妙な場所にいるものだ。ここはすでに人間の世界ではなく、魔の眷属たちがうごめく土地である。身分のある騎士が一人でうろつくような場所ではない。
 青騎士は馬の息が荒くなっているのを聞き取る。自らもすでに長らく空腹に苛まれている。霧を通してかすかに見える太陽も、西の空に傾いている。しばらく先に、都合よく小さな旅籠が建っているのが、青騎士の眼に止まる。
「幸先がいいぞ。今日もベッドの上で眠れそうだ。でもレチル、油断するなよ。逃げる準備だけはしておくんだ」
 馬はぶるる、と鼻を鳴らして応じる。間もなく青騎士は旅籠の前にやって来る。馬から下り、ドアを叩く。
「もし、主人、ご在宅か」
 たちまちドアが開き、小柄でやせぎすの中年男が顔を出す。
「旦那、何かご用で」
「旅の者だが……」
 言うと、男はにかっと笑い、ドアを大きく開け放って自分は脇に寄り、青騎士を中へ迎え入れる。
「どうぞどうぞ、こんなケチな宿に立ち寄りいただいて光栄でございますよ。あっしは馬を納屋に繋いでおきますんで、旦那は中でお休みを」
「いや、先に納屋を見せてもらおう。ちゃんとこいつの手入れが出来そうか確かめておかないとな」
「へえ、お望みのままに」
 そこで青騎士は男のあとに従い、納屋に行って馬を繋いでから、戻ってきて旅籠の中に入る。主人はノートとペンを渡して言う。
「すみませんがね、宿帳にお名前を。あと、一泊二食つき70スポア、前金でお願いしますよ」
 青騎士は宿帳を受け取り、そこに名前を書く。と同時に、旅籠の中を見渡す。木造一階建ての質素なつくりで、宿泊客の部屋は三つあるだけ。ロビーにはカウンターのほか、三人掛けのソファーが二つとテーブルが一つあるきりである。
 青騎士は宿帳と銀貨を渡した。
「エオルスさまとおっしゃるんで」
「ああ」
「すぐにお食事になさいますか?」
「そうしてくれ」
 主人は厨房へ入っていき、青騎士――エオルスはソファに腰掛けて待った。まもなく料理が運ばれてきた。鹿肉が少しと山菜の献立で、贅を尽くした王都の料理とは比較にならないものの、辺境の小さな旅籠で出されるものとしては期待以上だ。
 料理をぱくつきながら、エオルスは主人に尋ねる。
「このあたりはもうアマニタの土地だと聞いたが、人間のおまえが宿などやっていて大丈夫なのか?」
「へえ、この辺はアマニタでも、霧の森の魔王リンセリアさまの領地なんで。リンセリアさまは元来温雅なご気性で、我々人間を迫害するようなことはありませんでね」
「それにしても、アマニタの土地で人間向けの宿など、食っていけるのか?」
「この辺は希少な薬草が採れますんで、医者や薬師が時折泊まっていってくれるんですよ。ただ、リンセリアさまが湖の魔王スピッサと戦争を始めてからは、土地が荒れて客足も遠ざかってしまいましたがね。旦那は久々のお客で」
 そこまで言ったとき、俄かに旅籠のドアを叩く音が聞こえた。主人は「今日は珍しく千客万来ですな。失礼」と言ってドアへ向かい、開ける。エオルスはそれを横目で見る。
 入ってきたのは二人の少女で、片方――金髪、というより、クリーム色の髪の少女――がもう片方の黒髪の少女を背負っている。金髪の少女の顔色は少し紅潮しているが、黒髪の少女のほうは透けるように青白い。
 金髪の少女が言う。
「休む場所を貸して欲しい。見てのとおり、病人がいるものでね」
 主人はへえ、と応じて、二人を迎え入れ、一室へ案内する。やがて主人と金髪の少女が部屋から出てくる。
「すみませんがちょっと出てきます」主人はエオルスにそう言って、旅籠から出て行く。銀髪の少女はエオルスの向かいに座る。ふと首をかしげ、顔をじっと見つめる。
「ご令嬢、俺に惚れると焼けどしますよ」
 少女は目をしばたき、ややあってから頬を緩めて、答える。
「残念ながら、僕は今、一場の恋にうつつを抜かしている場合ではないんでね。そうじゃなくて、どうもどこかで会ったような気がするんだが、あなたは僕に見覚えがないだろうか?」
 言われてみれば会ったような気もするし、そうでない気もして、エオルスは少女を見直した。黒髪の少女ほどではないが、肌の色は白い。着ている衣服も白を基調としたもので、薄い金髪でもあるから、華やかとかあでやかとかいった印象はないが、涼やかな美しさがある。細身の剣を佩き、背中には弓矢を負う。髪に挿した花飾りは、場違いのようでもあり、よく似合っているようでもある。しかし、さらに眼を引くのは、赤い瞳と尖った耳――アマニタの証だ。
「さて、美人の顔は忘れないことにしているんだが……」 少女のほうも訝しげにエオルスを見つめる。そのうち彼女は、はたと手を拍った。
「ははあ、思い出した。王都の一件の前々日、魔衆の三人の剣士と戦ったとき、女剣士ファリンに捕まっていた人だな」
「ああ、するとご令嬢は、団長と一緒に魔衆のごつい剣士と戦っていた――」
「ミセナという」
「俺はエオルス・リオナシュー。お見知りおきを、ミセナさん」
 一瞬、ミセナの顔に緊張が走るのを、エオルスは見る。
「……王国騎士がアマニタの土地で何を?」ミセナはうさんくさげに問う。
「申し訳ないが、ミセナさん、それは言えないな。団長代行コルヌどのからの密命なんでね」ミセナの表情が険しくなるのを見て、エオルスは破顔する。「と、言いたいところだが、実は色々あって、今は王国騎士じゃあないのさ。もちろん密命なんか受けてない。そもそも俺は、前王オニドに誘われて騎士になったんで、新王モーグに着いて行く義理なんかありゃしないわけだよ」
 ミセナはなおも信用ならぬ、と言わんばかりの顔つきで、
「だが、王国はティロピラス、メラノスポルムと二方向の強敵を抱えて苦戦していると聞いている。そんな状況の中、重要な戦力たる騎士団隊長を手放すとは思えないが」
「そう、断っても出させてもらえないだろうから、辞表を置いてこっそり抜け出してやったのさ。今ごろはオリンパのやつ――俺の副官だが――慌てふためいているに違いないよ」
 あっはっは、とエオルスは笑った。ミセナは呆れた顔をする。エオルスは真面目な顔に戻って、続ける。
「王都もあの変事からはすっかりつまらない、遊べない街になってしまったし、義理を尽くすべき王ももうない。他には、クラバントって友達がいたが、こいつも色々あって死んでしまってさ。留まる理由はなくなったんで、行きたいところへ行こうと思ってね。――うん、会いたい人がいるのさ」
「会いたい人――その人はアマニタなのか?」
「ああ、あの剣士ファリンだよ」エオルスは言う。
 ミセナは眼を瞠る。エオルスは陶然とした表情を浮かべながら続ける。
「あの日からあの人の姿が眼の裏にちらついて離れないようになったのさ。栗色の髪は小川の流れるよう、瞳は世界に一つしかない紅玉、たおやかな所作に凛々とした気風、喩えるなら清秀なる蘭の花。それに、あの剣の技。――うん、全く恋だな。これほど思いつめたことは過去に四度もないよ」
 ミセナはすっかり呆れていたが、エオルスが言葉を止めたので、答える。
「まったく奇人だな。……突っ込み所がありすぎて返答に困るんだけど、一つ聞いておこうか。どこへ行ってファリンを訪ねるつもり?」
 我が意を得たりと、エオルスはあごに手をやって大きくうなずく。
「そう、ミセナさん、あなたに会ったのはまさに天縁だ。それを今、聞こうとしていたのだよ」
 対照的に、ミセナは首を振る。
「期待には沿えないな。……場所は分かるよ。ファリンは魔衆の本拠地・妖魔城にいると思う。でも、あの城はこことは別の大陸にある。陸路はないし、海は異獣だらけで、尋常の船ではとても渡れない。飛んでいく、というのも無理。見張りに魔術で撃ち落とされるから」
 エオルスはうむむ、と言わんばかりに頭を抱えた。ミセナはその様子を見ながら、ふと思った。
 ――ファリンに会いたい、か。突拍子もない話だが、嘘にも聞こえない。この男、利用できるかも。
「では」エオルスが再び口を開く。「妖魔城へ行く手段を知っている人に心当たりはないだろうか?」
「魔衆に聞くしかないね。霧の森のリンセリアと湖のスピッサは魔衆に組していないから、このあたりだとニデュランの『暗がりの魔王』……ハバロピラスが一番近いよ」ミセナはやや押し黙って、続ける。「でもね、ハバロピラスが妖魔城への行き方を教えてくれるとは思えないし、もし妖魔城へたどり着いたって、ファリンに会えるとは限らないよ。王国に戻って、向こうから接触してくる機会を待ったほうが良いんじゃないか? 妖魔城へ行ったら、生きて戻れるとも思えないけど」
「いや、恋の病をこのままにしておいたら、きっと別に病を得て死んでしまうね。俺にはそれが分かる。だからミセナさん、明日ニデュランの城へ向かうことにする」
 ――釣れた。ミセナは思う。エオルスの技量はファリンより下なのだから、戦力として過剰な期待はかけられないが、それでも二人なら戦術の幅も広がる。ヴェルティナを助け出す方策も練りやすい。
「僕も用事があってニデュラン城へ行くところなんだ。良ければ同道するよ」
「不案内な土地だから、道連れができるのは心強い」
 ではまた明日、と握手を交わして、エオルスとミセナはそれぞれの部屋に引き取った。

 部屋に入ると、もう一人の少女は目を覚ましていて、ミセナに笑いかけた。
「や」
「もう大丈夫なのか?」
「ん、うちはすぐ倒れるけど、回復するのも早いんよ。それにしても、あんたはんのおかげで助かったえ。あんたはんに会わへんかったら、待ってる人を待たせたまま、よそで野垂れ死ぬとこやった」
 ――待ってる人を待たせたまま、よそで野垂れ死に、ね。これからしようとしていることがいかに無謀か分かっているだけに、ミセナにはその言葉が重かった。
 ミセナは隣のベッドに腰掛けた。
 少女もやはりアマニタであることは、その耳や、金色の瞳を見るまでもなく明らかだった。その風貌の美しさが、人ならざる者の美しさだったから。腰まで伸びた、黒紫のつややかな髪。それが数本、目元にかかっているのが何とも色っぽい。肌は病的に青白い。風が吹けば倒れそうでもあるが、嵐の中でも泰然として立っていそうな雰囲気もある。
「急いでたんやろ? 申し訳ないな、うちのせいで寄り道させて」
「いや、構わないよ。それより、あまり喋って疲れると、また発作が起きたりするんじゃないか?」
「そやね。うちはもう寝るわ」
 また明日な、と言って、少女は身を倒す。ミセナももう起きている意味もないと思い、明かりを消すと、布団にもぐりこんで目を閉じた。

 深夜、ミセナは物音で目を覚ました。見ると、少女が起き上がり、身支度をしているところである。
「すいまへん、起こしてもうたわ。さすが、碧空の魔王の耳を誤魔化して出て行くなんてできひんかったね」
 ミセナは身体を起こした。
「宿代はそこに置いといたえ。何も聞かんと、送り出しておくれやす」
「僕は霧の森の魔王リンセリアとは幼馴染みなんだ」ミセナは少女の反応を窺う。しかし、なんの反応もないので、続けた。「嫌だと言ったら」
「お願いやから――」
「お互い、無茶をやるもんだね」ミセナは溜息をつく。「もう助けてしまった。手の平を返す真似はしない主義だ。だから構わないよ。気をつけて」
 少女はぺこりと頭を下げて、それからミセナに背を向ける。
「まあ、命があったら、また会いましょ」
 向き直りもせずにそう言ってから、少女は部屋を出て行く。
 ミセナは目が冴えてしまった。もう眠れそうにない。そこで起き上がって服を着ると、座って窓を開け、大きく息を吸った。湿った風が肺に心地良い。それからミセナはぼんやりと外を眺めた。霧の森、の名に相応しいこの土地は、四季、昼夜を問わず、常に霧に覆われている。黒くもあり、白くもある空の真中に、月がおぼろに見えていた。黒髪の少女の姿は闇にまぎれて見えない。しかし、その気配が次第に遠ざかっていくのは感じ取れた。やがて彼女の気配は彼方へ消えた。
 ――これは裏切りじゃないか? 彼女はリンセリアの敵で、いつかリンセリアを殺すかもしれないのに。
 だがもし少女を――彼女がミセナに気付いたように、ミセナも彼女が湖の魔王スピッサだと気付いていた――リンセリアに突き出したとしたら、やはり後悔の念に苛まれていただろうことは分かっていた。窮鳥懐に入らば猟師もこれを殺さず、というように、敵は殺せても捕虜は殺せない気質なのだ。
 ――そうであるべきだ。そうではありませんか、母上――。
 ミセナは思惟の中に沈みこみながら、時が流れていくのにも気付かなかった。
 唐突だった。
 血が騒ぎ出す。全身の毛が逆立つ。
 覚えている。これは、血の呼び声だ。


    ◆ 2 霧の森グリスクラで魔神リ・ギドポラに敗北 ◆

 霧の中を進んでいく人影が二つ。一人は口もとに笑みを浮かべ、もう一人は口を真一文字に結んでいる。もう一寸先も見えない。お互いの姿を判別するのも難しいはずである。実際、ともに霧の森に来た三人の同行者はすでに姿を消してしまった。
「ん~、こりゃダメだね。ファリンちゃんもハバロピラスちゃんも見失っちゃったし。そもそも、ここどこよ?」
「時空座標が激しく変動中。こちらの現在地は、従来空間のいずれの座標にも該当していない」
「はは~、別次元に飛ばされちゃったか。一つ目美人の自慢の邪視が役に立たないわけだよ。リンセリアちゃんもやるもんだねェ~」
 霧が少しずつ薄くなっていった。二人の姿が月光に照らされる。片方は赤の、片方は白の装束をまとった、金髪の少女。
 そして二人の目にもまわりの光景がはっきり映る。まわりの騒音がはっきり聞こえる。どこか見知らぬ街。家屋の様子も彼女らの知っているものとは異なっている。そして悲鳴。逃げ惑う人々。絶望的な戦いを繰り広げる兵士。その中央で巨躯をのたうっているのは、銀緑色の大蛇。
「お、珍しい魔獣見っけ。あれ、連れて帰れるかにゃ?」
「通常、鱗類を獣とは言わない。連れて帰れる可能性は零ではない」
 大蛇が二人のほうを向いた。ありもしない眼で二人を睨む。
「なぁにガン垂れてんのさ? 生意気だぞぅ。おまえ、今からコッチのペットなんだからね! 我が侭なペットにはお仕置きだ、いっけぇ!」
 赤の衣装の少女が、蛇を指差す。一瞬、沈黙。
「あれ? 今のはなんかの間違いだよね? うん。いっけぇ!」
 少女は改めて指を突き出すが――やはり何も起こらない。
「この時空はこちらの次元とは異なる論理によって構成されている」
「ふえ? って、ことは……?」
「この時空においては、こちらの魔力は発動不可能」
「……嘘ん!?」
 蛇がくるりと後ろを向き――二人に向けてその長大な尾をたたきつけた。
「ひゃわぁ!!」
 白の衣装の少女が赤の少女を物陰に引き込み、蛇の尾の一撃をからくもかわす。それと同時に、あたりに再び霧がたちこめていく。
 白の少女の表情がこわばる。
「リンセリア……殺す」
「だ、ダメだって、ヴォルヴァ! 今コッチはマジでピンチでしょ!? ピンチのときは、ほら、冷静、冷静……」
「……了解。ルブロ、時空座標が再び変動を開始した。新次元の環境に注意」
「あいよっ」
 白い霧の中、はるか上空に六つの赤い点が現れる。急速に近づいてくると、二人の頭上近くで六匹の魚の姿をとった。形はエイに似て、体長は男の腕の長さほど、全体が緋色、眼は腹の中央にただ一つあり、手の平ほどに大きい。この六匹の奇魚が、互いの尾を追いかけあう形で、二人の頭上で円を為して泳いだ。やがて奇魚たちは、互いの尾に噛みつき、一つの輪を形作る。と思うと、六匹のエイは一匹の赤いウナギの姿に変わり、カエルのような声で鳴きながら、二人のはるか前方へ飛んでいく。ただ、ウナギの頭が見えないほど遠くなっても、胴体はまだ二人のまわりを回っていて、一向に尾が見えない。そうこうしているうちに、カエルの声は女の喘ぐような声に変わり、ウナギの姿は薄くなった。
 唐突に霧が晴れ、地面が消えた。先ほどとは違った地面が、一メルトルほど下に構成されていた。ルブロは尻餅をついた。ヴォルヴァは空中で姿勢を直して着地した。
 二人がいたのは、絨緞、壁紙――あらゆる内装が奢侈を尽くして、しかし品良く整えられた部屋である。部屋の中央にはベッドがあり、そしてその中には、半裸の男女がいた。
「あ、あちゃ? 野暮なところに……」
 ベッドの中の男は身を起こし、二人を見る。上から下までとっぷりと眺め回して、口を切った。
「招かれざる客だが……客は客、歓迎せねばならないな。ましてその愛らしい姿となれば尚更よ。しかし私は今、少しばかり失礼な姿をしているので、廊下へ出て少し待っていてはくれないか」
「愛らしいなんて。ヤですワ、見るからに高貴なお方♪ ではお言葉に従いまして」
 ルブロはヴォルヴァの手を引いて、後ろのドアから廊下に出る、と、目の前に、先ほどの男がすっかり服装を整えて立っていた。
「あ、あれ? どうやって……」
 後ろを振り向くと、先ほど出てきたドアはもうなくなっていて、はるか先まで回廊が続いていた。さすがのルブロも狼狽する。
「いや、いいところに来てくれた。希沙とローゼンがいなくなって、少しばかり退屈していたものでね」男は舌なめずり――はしないが、そうせんばかりの視線で二人をねめまわした。
 先ほどから機嫌の悪いヴォルヴァが、
「――そういうこと」とつぶやく。
「そういうこと、ってどゆこと? ルブロちゃん分かんない♪」分かっているくせにルブロが茶化す。
「これは未だにそんな眼で見られたことはない」ヴォルヴァが眉間にしわをよせる。「極めて不快」
 言い終わると、ヴォルヴァの右手が白銀に輝きだし――その光の中から火花が飛び散る。
 男もルブロも眼を瞠る。
「ちょっ、大丈夫なん――」
「それはまさか――」
 ヴォルヴァが右手を振り上げる。ルブロの不安は当たった。この邸宅は極めて特殊な論理で構成されており、ヴォルヴァの魔術も思い通りには発動しなかったのだ。暴発した魔術で、ヴォルヴァの顔が漫画的に黒焦げになった。
「今の――魔法か?」男が目の色を変える。「”赤い恒星”のほかにまだ魔法使いが残っていたとは……」
「ヴォルヴァちゃん、逃げよう!」
 声と同時にルブロがヴォルヴァの手を引いて走り出す。
「逃がしてはならん、二人を捕まえろ!」
 男が叫ぶと、回廊に飾られた甲冑が命を吹き込まれ、耳障りな音を立てながら二人を追った。
「ううっ、これもみんなリンセリアのせいなんだね。ちくしょー、殺してやるーッ!」
「ルブロ、冷静になれと言ったのはそちら」
「だって、変態男&抜け殻騎士に追われるなんて聞いてないぃ~!」
「ルブロ、前方37メルトル右方、扉有り! 到着まで4秒。3、2、1!」
「よっし、飛び」
 ばきゅんばきゅん
「~込めギギギ!!」
「ル、ルブロ!」 健二がルブロの元に駆け寄ると、ルブロはすでに虫の息だった。銃弾は二発とも命中していた。
「いや、こんくらいで致命傷なんか負わないけど」
「ルブロ? ルブロ!」
 健二は開いたままのルブロの両目を閉じてあげた。
「きれいだよ、ルブロ」
 健二は涙を振り払い、立ち上がった。
「くそ、よくもルブロを!」
「こんにちは、叔母のキミ子で」
 ばきゅんばきゅん
「すよぐふうっ!!」
「お、叔母さん!」
 健二がキミ子の元に駆け寄ると、キミ子はすでに虫の息だった。銃弾は二発とも命中していた。
「思うんだけどさ、健二クンが持ってるのって、勇者伝説以前に人間が使ってた、リヴォルヴァーとかいう武器でしょ?」
「リヴォルヴァーに関する残存史料は少なく、断定はできない。が、おそらくは」
「あれって、六発とか八発とか装填数が決まってるジャン。健二クン、何発撃ってんのさ」
「架空次元においては、通常の論理・法則は些細なこととして無視される場合がある。ほかにも、宿屋に何回泊まっても日付が変わらなかったり、薬草を用いたら一瞬で傷が回復したり、大して強くもない敵と戦ったのに急に強くなれたりするなど、事例は極めて多い」
「――ごめん、なに言ってんのか分かんない。えーと、ともかく、ここを出よっか」
 先ほどこの部屋に入ってきたドアから再び外に出ると、またしても長い回廊の只中だった。ただ、先ほどの男の屋敷とは違う。床には絨緞もなにもなく、地面が露出している。天井は低く、壁はじっとりと湿っている。
「地下迷宮……かね」
「先に忠告。この時空においてもこちらの魔力は使用できない。行動は慎重に」
「さっき失敗したのはソッチじゃんかぁ。はう、魔獣とか出なきゃいいケド……どきどき」
 進んだものかこの場に留まったものか、逡巡していると、唐突に後ろから声を掛けられた。
「あなたたち、何者? 蛟丸の部下ですか?」
 ルブロたちがふり返ると、これまた二人の少女である。そのうち一人は――。
「ひゃあ! み、ミセナちゃん!」
 肝をつぶして、ルブロはその場にへたりこむ。
「ねえ、今、コッチは力が使えないのさ。お願いだから、見逃してくんないかなぁ?」
「……はぁ?」
 不審の声にルブロが顔を上げる。少女は髪に花飾りを挿しているが――ミセナとの共通点はそれだけである。髪の色は銀ではなく黒だし、瞳の色は赤ではなくこれまた黒、面立ちもミセナにくらべると少しふっくらしている。手にさげているのは剣でも弓でもなく傘。
「私は瀬名なんて名前じゃなくて、花月葉露って言うんですけどね」
「あ、ホントだ。良く見ると全然違う……でもなんか似てるような……」
「この人物はミセナ・クロカータと同質の、複数にして一なる存在」ヴォルヴァが説明する。「ある種の人物は、複数の時空次元に同時に存在すると、または、複数の時空次元に転生し続けるともいわれている」
「ムアコックの読みすぎじゃないですか?」葉露が言う。「ともあれ、敵でないのなら、先を急ぎますから、ここで失礼しますよ」
 それだけ言って、葉露は連れの少女とともにさっさと行ってしまう。ルブロはいささか拍子が抜けて、
「あ、ちょっと待っ……」
 と一歩踏み出した瞬間、足元が抜けて、漆黒の闇の中へ落ち込んだ。
 漆黒の闇はやがて薄明かりに照らされ出した。二人は白っぽい植物におおわれた森の谷間を落ちていった。
「有毒の菌糸性植物。肺に害有り。多量の胞子を吸い込まないように注意」
「注意ってもね……あれは?」
 空中を漂う青いヒモ――に見えたそれは、近づいてくるにつれてその身体を大きくしていった。二対の翼を持つ、青灰色の大ムカデである。尾には長い針。頭部は朱色で、一対の巨大な牙を持つ。やがてムカデは、二人に向かって突進してきた。
「い、いやだぁ!」
「――ルブロ!」
 魔術が使えなくても、体術まで失ってしまったわけではない。身体をそらし、大ムカデの牙をあやうく避ける。大ムカデの巨体が二人の側を横切っていく。牙をかわしたことで、ほんの少し油断が生じたのか、ルブロは尾の針が迫っていることに注意が遅れた。
「あん!」
「ルブ……!」
 気絶したのか、目を堅く閉じて落ちていくルブロの手を、ヴォルヴァは意地で掴む。大ムカデは向きを変えて再び二人に向かい、牙を大きく開いて襲い掛かる。ヴォルヴァは避けきれぬと見て、ルブロの身体を思い切り下に突き飛ばした。反動で自分の身体はほんの少し浮き上がる。大ムカデは二人の間を通り抜けた。
 ムカデは諦めて去っていった。地面に叩きつけられたが、砂地であったためダメージは受けなかった。ヴォルヴァは近くにルブロの姿を認めて、駆け寄ろうとした。が、足が砂地にめり込み、沈み始めた。
「流砂――!」

「――戻ってきたか」
 男はまわりに広がる針葉樹林を眺め、甘ったるいような、くぐもった声でつぶやいた。男の顔立ちは整っているが、どこか茫洋としてつかみどころがないふうでもある。
「かなり戻されてしまったな。リンセリアめ、やるものだ……このハバロピラスも、ルブロ・ヴォルヴァタさえも時空魔道にかけてしまうとは」男は誰かに話し掛けているかのごとく、言う。「さすがはミセナ・マトポーダに教えを受けただけある。そうは思わないか……」
 聞き取りにくい声に応じて、杉の木陰から白い影がおもむろに姿を現した。その左手には弓が握られ、右手はすでに矢をつがえている。
「確かに、リンセリアの魔道はすぐれている」白い影――ミセナが言った。
「全くな。今日彼女に会えなかったのは返す返すも残念だ。せっかく私の弟子も連れてきたのにな。ミセナ・マトポーダの弟子とハバロピラス・クロカータの弟子、どちらが優れているか、ちと試してみようなどとも思っていたのだが……」
「――リンセリアに何か用なのか?」
 ハバロピラスは口もとにうっすらと笑みを浮かべる。
「我々には仲間が必要なのだよ」
 その意味は、リンセリアを説得し、魔衆に組み入れるために来た、ということである。
「魔王十二柱は中立独行。魔衆に組するのはおまえみたいな恥知らずだけだ。無駄足だな」
「かもしれんね。で、おまえは、私に何の用かね?」
 ミセナはすぐさま弓を構え、弦を絞った。矢の尖端が漆黒に輝いている。蜃気楼の魔王スバエルギナスとの戦いで盗み取った魔術、あらゆるものを幻影に変える悪辣な魔術だ。さしものハバロピラスもこの魔術は恐怖しないではいられない。
「ヴェルティナはどこだ」
「さあて……」
 ミセナは眉を寄せ、弓の弦をさらに一寸引く。ハバロピラスはあやまたず身をかわせるよう、全ての感覚をミセナの矢に集中する。
 そのとき、樹上から青い影がハバロピラスの真後ろに飛び降り、首に剣を押し当てた。熱い痛みと、一滴の血が首筋から背中へつたっていくのを、ハバロピラスは感じた。
「……なにが独行かね」後ろの男をちらと見やってから、観念したような苦笑いを浮かべながら、ハバロピラスは言った。「連れがいるとはなあ。しかも王都であれほどの騒動を起こしておきながら、人間を連れてくるとは予想外だ。おい、伊達者の騎士どの、ミセナに手を出すのは許さんよ?」
「いつもなら考えてるところだが」エオルスは言った。「俺は今、別に想い人がいるんでね」
「そもそも、僕は彼みたいな軽薄な男は好みではないしな」ミセナが言う(エオルスは少しうつむいて、そりゃちょっと酷いな、とぼやいた)。「だが、ハバロピラス、僕と彼の関係がどんなものであるにせよ、おまえに口を出されるいわれはない。それより、我々の質問に答えろ」
 ハバロピラスは少し肩をすくめる。ミセナとエオルスは、それを承知だとの合図と受け取る。
「ヴェルティナはどこだ」ミセナが問う。
「ファリンはどこだ」エオルスが問う。
「分からん。こりゃ本当だよ。この霧ではぐれてしまったのでな」ハバロピラスが答える。「その辺を探せば見つかるだろう」
 ミセナは眉を釣り上げ、口を開けようとする。声を上げるため、息を吸い込む。
 エオルスはミセナが何も言わないうちに、
「それを聞ければ充分だ」
 言って剣をおさめると、やおら身を翻して駆け去った。
 これにはミセナばかりかハバロピラスまでもが呆気にとられた。ややあって、ハバロピラスは腹を抱えて笑い出した。
「これは傑作だ! これほど勘のいい男がいたとは!」
 ハバロピラスの高笑いが響く。陰鬱な声の持ち主にしては、珍しく陽気な音である。ミセナは内心、ほとんど会話したこともない男を頼りにしていた自分を呪った。ハバロピラスは笑い続ける。
「思い違いをするな!」ミセナはとうとう堪忍袋の緒を切り、顔を紅潮させながら言う。「エオルスの剣先を逃れても、僕の鏃を逃れたわけじゃないことを! ――ヴェルティナはどこだ!」
 ハバロピラスはなおも笑いをとめない。
「先ほど言った通りだが……?」
「なら、力づくで聞き出すまで!」
 ミセナの周囲に、百本もの弓が現れた。その全てに矢がつがえられていて、弦は望月のように引き絞られていた。
 ハバロピラスは首を振った。
「やれやれ、弟子は優れていても、娘を教えるのには失敗したようだな。なら、母の過ちを、父が矯正してやるとするか……」
 言葉が終わらぬうちに、ミセナとその周囲の、合わせて百一本の弓から百一の矢が放たれた。ハバロピラスはひらりと飛び上がって避ける。この矢が命中した杉や松などの樹木は、とたんに存在感が希薄になる。
「よいかミセナ、その術はおまえには向いていない」声は聞こえるが、ハバロピラスの姿は見えない。「その魔術はスバエルギナスの無尽蔵の魔力があってこそのものだからな。おまえ、魔力の扱いはうまくても、魔力の量そのものはたいしたことあるまい。おまえみたいな者がその魔術を使えば、すぐに力尽きるぞ」
 ミセナの右上の樹上で、葉ががさりと音を立てる。たちまち百一本の魔箭が放たれる。樹上にいた影は、ひらりとほかの枝に跳び移る。ミセナは再び矢を放つ。しかし、今度は八十四本の矢が飛んだだけだった。
「――次は三十七本しか飛ばせぬ。その次は、もう自分の矢しか撃てまい」
 声のした方向に向かってミセナは矢を放つ。ハバロピラスの予言どおり、飛んだのはただ三十七本の矢だけ。
 ハバロピラスはミセナの正面に姿を現した。ミセナは矢を放つ。一本だけ。ハバロピラスは難なくそれをかわす。ミセナは膝を折る。ハバロピラスはゆっくりと近づく。
「そら、言わぬことではないわ。私はまだ無傷だぞ。うん?」ハバロピラスは薄笑いすら浮かべない。「一人相撲で自滅など、なんとも情けない。なにかまだできることはないのかね?」
「……を……いて……ら……」ミセナは下を向いて、何事かをつぶやく。
「何だ? 言葉も話せないほど疲弊しているのか?」
 ミセナはきっと顔を上げてハバロピラスを睨む。ハバロピラスはたじろぎ、一歩下がる。ミセナが手を挙げる――その腕には銀の腕輪がはめられている――と、四本の黒の剣がハバロピラスを囲む。

 ――ラエスタン・コルティナルとともに戦った仲間は兄弟同然。ファエルは言った。だから、貴女は我々にとっては姪も同じなのです。姪に力を貸すのを拒む伯父はいませんよ。
 ――ハバロピラスは手ごわい。セファラスは言った。何より、君と彼との間には実戦経験の差がある。経験の差をひっくり返すには、力の差によるしかない。この腕輪を持っていくといい。我々の魔力のいささかを封じたものだ。

「その魔具……セファラスの仕事か」ハバロピラスは言った。ミセナ従来の魔力に魔王ファエル、魔王レベルの魔術師であるセファラスの魔力が加わっている。魔王三人分の魔力となれば、到底勝ち目はない。
 ――ならば。ハバロピラスは考えた。やむを得まい。だが、血が必要だな。
「ヴェルティナはどこだ?」眼をいからせてミセナが問う。
「ハーフの小娘などに何をそれほどこだわるのかね。――ふん、ラエスタンのやつを思い出すよ、自分の値打ちも顧みず、敵にさらわれた奴を助けるために、よく特攻していたな」眼を細めてハバロピラスが答える。
 ――時間を稼いでいるのか? と、ミセナは疑う。
「――まあ、ヴェルティナの所在については、さっき言った通りなのだがね」
「もう一度同じ答えをしたら、その右腕を斬り落とす」ミセナは脅迫に出る。「僕は敵には容赦しない」
「ふむ、その辺りはラエスタンと違うところだな。人間どものように、肝心なところで甘くなってはいかん。アマニタならばそうでなくては……ああ、頼もしいことだ」
 薄笑いを浮かべていた口元が、不意にひきつる。左手で右肩を押さえると、ハバロピラスは膝を折って歯を食いしばり、ようやくうめき声を噛み殺す。
「次は左脚だ」ミセナの手には、いつの間に持ち替えたのか、血塗れの剣が握られていた。険しい表情のまま続ける。「ヴェルティナを居場所を言え」
「見つけたとしても、もう手遅れだよ」
 電剣一閃。ミセナの剣がハバロピラスの咽喉を襲った。蜃気楼の魔術がかけられたこの剣は、本来、かわすほかに防ぐ術はない。いかなる盾も鎧も、その刃のもと幻影に帰せしめられるからだ。
 ハバロピラスはかわすそぶりを見せなかった。
 が、ミセナの剣はハバロピラスの咽喉を貫く前に止まった。止めたのは盾でなく鎧でなく、一冊の――書物、だった。
 ミセナはその表題を読む。『ギドポリティカ』。
「いかなる武器もその硬鱗を貫くことなく」ハバロピラスは呪文の詠唱を始める。「いかなる魔術もその硬鱗を破くことなく、ただ怖るるは聖魔とその子らのみ――」
 ミセナは四振りの黒の剣でハバロピラスを刺そうとしたが、剣はいずれも身体に届く前に消滅した。本に封じられた魔神の力が彼の身を守っているのだ。
「アクラシスの子らを畏れでは如何すべき、なれどその余はみな一顧のうちに灰燼に帰すべし。さて汝に血肉を捧げん、顕現せよ鋼竜の魔神!」
 呪文が終わると、地に転がっていたハバロピラスの右腕が、音を立てて燃え始めた。炎から緑色の煙が立ち昇り、煙の中で”それ”が象られていった。まず始めは半透明の小海老の姿をとり、続いてその触角と脚が異様に伸張し、それらの触角の先端すべてに眼球が形作られた。鱗は見る間に数を増やし、量を増やして、全体としては人の大きさに、樹木の大きさに、間もなく天を衝かんとする大きさに成長した。一声吠えると、今度は姿が縮みはじめ、やがて背丈が五メルトルほどの、甲冑を身にまとった青年の姿をとった。その顔にもその手にも、鱗の名残りらしき菱形の文様が刻まれている。目は四つある。
【――このリ・ギドポラ――汝が血肉――確かに受け取った――さればしばらく、汝が一助を為そう――】
「あの娘を捕らえてもらおう」
【あの娘――とは――どの娘かな――?】
 ミセナはすでにハバロピラスとリ・ギドポラの目の前から姿を消していた。化身に過ぎぬとはいえ、魔神となれば明らかに自分より実力が上である。
 ――ならば、先制して戦いのイニシアチブを握り、相手に実力を出させぬまま、一気にかたをつける。
 要するに、いつもの戦術と変わらないわけだが、ともあれ、ミセナは機先を制することに成功した。
「牙を剥いて喰らえ、『デス・イーター』!」
 リ・ギドポラの背後に素早く移動したミセナは、首筋を狙って空中から蜃気楼の剣で斬り付ける。
【ぬう――?】
 魔神は首を捻ってかわす。ミセナは剣を握っていない手で魔神の横顔を指差し、至近から魔術を放った。
「始原たる混沌に回帰せよ、『メルトフレア』!」
 万物を腐蝕し溶解させる闇の炎が、魔神の右頬を直撃する。煙が上がる。姿勢を立て直したミセナは、蜃気楼の剣を手に、再び魔神の首筋を襲う。
 酸の煙の中から現れた魔神の顔は、傷すらついていなかった。こともなげに左手を挙げると、素手で蜃気楼の剣を掴む。誰もが恐れる悪辣凶険の魔術が、この魔神には通じない。ミセナは内心の動揺を隠しつつ、矢継ぎ早に魔術を唱える。
「刃よ地より出でよ、『シャドウ・エッジ』! さえぎる者を切り裂け、『ウィンド・カッター』!」
 上方からは風、下方からは闇、上下二方向から二種類の魔術で魔神を挟み撃ちにする。リ・ギドポラは直撃を受けたが――まるで傷を負わない。
【尋常の魔術では――余は倒せぬぞ――そら、返礼だ――】
 魔神の左手が電撃の速度で動く。ミセナはとっさに剣を手放し、後ろへ飛んだ。魔神の左ストレートは命中しなかった、が、その風圧だけで、ミセナは十数メルトルも飛ばされ、大樹の幹にぶつかってようやく止まった。
「――うぐっ!」
 もとより強固な鎧も身に付けていなければ、頑丈な肉体も持っているわけではない。この一撃で受けたダメージは極めて重い。
 ――もう一撃受けたら終わりだぞ。
 ミセナは身体を起こすが、足元がふらつく。
【――なんだ――壊れやすい肉体よな――これを生け捕りか――】
 魔神は手を伸ばしてミセナの身体をつかもうとした。ミセナは空中に逃れる。魔神は指でミセナを指し――。
【――”第四章第二節:七頌”――】
 魔神の指先から青色の光線が奔った。ミセナは魔力をあらん限り放出して結界を作り、この攻撃を防ぎとめる。防ぎ切る――が、爆煙の中から魔神の腕が伸びてきた。ミセナはかわしそこね、身体をつかまれた。
【――捕らえたわ――たわいもない――】
 魔神はミセナをその顔近くに引き寄せる。見れば、ミセナは口中で何事かをもごもごと呟いている。
【まだ魔力が残っているのか――よかろう――撃ってみせよ――】
「天薄ければ風強く、空厚ければ風送る、颶は百本の剣、千本の矢にも似て、血煙さえ残すべからず、『ヴォルテクス』!」
 呪文が終わると同時に、大颶風が魔神の周囲に吹き荒れる。
 『ヴォルテクス』は風の攻撃呪文の中でも最上位に位置する魔術である。これを超える攻撃力を欲するなら、精霊神でも呼び出すしかない。そして、ミセナの持つ最も強力な攻撃手段はこの魔術だった。
 これで倒せなければ、もう打つ手はない。
 風がやんだとき――リ・ギドポラの身体には、傷一つついていなかった。
【終わりだ――小娘――。思ったよりは面白かったぞ――】
 魔神はミセナの身体を地面にたたきつけた。むろん力の限り――ではない。死なずに気絶する、絶妙の力加減で。
 魔神はミセナに近寄る。これは気絶している、と見定めると、ハバロピラスのほうを向いた。
【終わったぞ――】
「まだだ、気をつけろ!」
 ハバロピラスの叫びに応じて、魔神はまたミセナを見た。ミセナは身を起こし、身体を震わせながらも、矢を弓につがえていた。矢が放たれ、魔神の胸に命中した。
【なんだ――こんなもの――うむ?】
 びくん、と魔神の身体が脈打った。
【――いかん――封印の矢であったか――油断したわ――】
 魔神の身体はびくんびくんと脈打ち、そのたびに透けていく。
【――また必要なときは――呼べ――次は――汝の血でなくともかまわぬ――】
 言い終えると、リ・ギドポラの身体が煙となって飛び散り、あとにはミセナの矢がつきたった、ハバロピラスの右腕が転がった。
「なるほど、えてして正解はもっとも単純な方法により導き出されるもの――か」ハバロピラスは、膝立ちになり肩で息をしているミセナに近寄った。「みごと一矢を報いたものよ。――ふむ、ミセナ・クロロフォスの封印の矢はまったくすばらしいな。勇者ルブリカもロードポリウスも恐れたというが、さもあらん。……まあいい。ここまで来れば、魔神などなくとも充分だ」
 ハバロピラスはさらに一歩近寄る。ミセナは弓矢を手にするが、手首が震えて狙いが定まらない。
「そこまでだあッ!」
 声に驚いてハバロピラスは周りを見た。森の奥の丘のほうから、一隊の軍兵が駆けて来た。その数はおよそ三百、みな手には剣、槍、弓を握り、革製の鎧を身に着けている。先頭に立っているのは大柄な少女で、赤い髪は短く整えられ、瞳は緋、口中には牙がのぞき、手には狼牙棒を携えている。
「リン姉さん――!」ミセナが言う。
「霧の森の魔王――グリスクラのリンセリアか!」ハバロピラスがつぶやく。
 リンセリアは一団に先駆けて、かなりの速さで駆けて来た。
「はわっ!」
 駆けて来て――ずっこけた。しかも顔から。
「あう」涙目になりながら、リンセリアは泥だらけの顔を起こす。
「魔王さま、お顔に泥が!」すぐさま部下の一人が駆けつけて、ハンカチでリンセリアの顔をぬぐう。
「あ、ありがと」部下が顔を拭き終わると、リンセリアは言った。「真打とはいえ遅れすぎたわ、ごめんねミセナちゃん。でももう大丈夫、私が来たからには好きにはさせないから――!」
「リン姉さん」ミセナが言う。「まだ、鼻の頭に少し泥がついてる」
 言われてリンセリアはあわてて鼻を拭った。
「ハバロピラスどの!」びしっ、と指差して、リンセリアは言う。「魔王十二柱は中立独行! そして互いに不干渉! 私の領地で好き勝手するなんて許されないわ! 今なら見逃してあげる。でもこれ以上ミセナちゃんに危害を加えることは、私がさせないんだからね!」
 リンセリアの部下たちがハバロピラスのぐるりを取り囲む。ハバロピラスはまた例の薄笑いを浮かべた。
「――よろしい。では貴女の顔を立て、ここは退こう」
 そう言っておいて、ハバロピラスはミセナにさらに近寄る。リンセリアたちは色めき立つ。が、ハバロピラスはミセナに攻撃したりはせず、ただ耳元にこうささやいただけだった――。
「正解はもっとも単純な方法で導き出されるもの。おまえの連れの青騎士の行動は正解だったのだよ」
 言い終わると、矢の突き立った自分の腕を拾い、それから身を翻して去っていった。


    ◆ 3 霧の森の魔王リンセリアのもとでしばしの休息 ◆

 リンセリアが根拠地とする霧の森グリスクラから東南東に十六里、大陸の東南端に、大小さまざまの湖に囲まれた山があり、その山頂にそびえるのが、湖の魔王スピッサの居城、タキソディー城である。山麓の湖は季節・時刻・天候によってその色彩を様々に変え、鮮やかなことでは大陸随一と言われている。
 が、この湖こそが、タキソディーを難攻不落の要塞にし、スピッサに中立を可能とせしめている要害なのだった。山麓の百の湖は、それぞれ百種の毒を備えており、ここを侵略しようとする者は、薬草、解毒術をいくら用意しても足りることがないのである。
 山の裏側、すなわち海に面した側は、また別世界だった。
 表側の百の湖のどれにも増して恐るべき毒泉が湧いていた。そこから立ち昇る瘴気は、色もなく臭いもないが、しかし確実に生命を蝕んだ。百の湖の岸には、それぞれ毒の効かない草が生い茂っていたが、こちらの毒泉の付近には苔すら生えず、ただ赤茶けた岩がいくつか屹立しているのみである。この泉の毒をものともしない草などありはしないのだ。
 夜が終わって太陽が未だ出ず、空がスミレ色に染まる時刻。タキソディーの城館から下りて、この泉に向かう者があった。
 少女である。黒髪金眼、肌は透けるように青白い。病的な感じでもあり、また誰しも認めざるを得ないほどの美貌でもあった。しかもその美貌は、この世ならぬ者――神仙、あるいは幽鬼――を思わせる美貌だ。
 間もなく少女は泉の岸にたどり着く。岸近くの岩陰に隠れると、するすると着衣を解いた。
 一糸纏わぬ彼女の裸形を見る栄誉に服したのは、ただ明けの明星ばかりである。
 そして金星に眼があったなら、確かに見ただろう。真っ白な彼女の肌のうち、ただ一箇所、右の胸乳のあたりに、二つの赤い斑点があるのを。
 少女は静かに、泉のうちに入り、胸のあたりまで身体を沈めた。
 右胸の赤斑に毒水が沁み込んで疼いた。少女はうめき声も上げず、眼を閉じて耐えた。眼を閉じると、あの時の光景が――この赤斑を受けたときの光景が――緊張と恐怖が、まざまざと蘇ってくるのだった。
 断末魔の土蜘蛛が、最後の力を振り絞って、自分に跳びついてきたこと。その様子がはっきり見えていながら、かわすことも防ぐこともできなかったこと。
 少女は毒物の専門家である。植物も動物も、全て死に追いやる毒泉ですら、彼女を俄かに殺すことはできないほどだ。しかし、虫の毒は少女の体質にとって、致命的に相性が悪かった。生来蒲柳の質であった彼女は、土蜘蛛の毒を受けてからますます病弱になり、倒れることが多くなった。今はこの泉の劇毒を以って、蜘蛛毒の進行を遅らせているのだ。
 太陽が姿を現した。少女は泉から上がると、太陽に身を曝して乾かした。その間の手持ち無沙汰に、少女は白骨の竪琴を取った。はじめは無造作にかき鳴らしていたが、やがて音は曲律を為し始めた。

♪ 月はすでに見つ、都はいまだ見ず、故に月は近く、都は遠し

 琴の声に少女の音が合わさる。

♪ 山上から遥かに望めば、千里また近く、房中に眼を閉じたなら、わが手も見えず

 歌はタキソディーの山々に響いていく。

♪ 山上よりかの人を見ず、瞑目のうちにはしかと見えたり
♪ さればかの人は、近きや遠きや

「――王様!」声が聞こえた。「魔王さま! スピッサさま!」
 坂の上にアマニタの青年が姿を現した。裸体の少女と目が合う。青年はあわてて後ろを向き、言った。
「と、とんだ失礼を――なんとお詫びすればいいか――!」
 少女はフフフ、と笑い、
「気にせんでええよ。減るもんやないしね。そもそも、タキソディーの住人はみんなうちの家族みたいなもんえ。家族に裸を見られたかて、ま、ちょっとはびっくりするかもしれへんけど、……まあ、どうってことないわ」
 青年は固くなって答えた。
「……とんでもない。恐れ多いことです」
 スピッサは着物をとった。するすると衣擦れの音がするたび、青年がびくっと身を固くする。それを楽しみつつ、スピッサはゆるゆると服を着た。それから青年を振り向かせて、言った。
「で、クライルはん。何か用ですの?」
「魔主レイスさまからご使者がみえられました」
 スピッサは心もち眉を顰める。
「またですの。魔王十二柱は中立独行、レイスはんも分かってはるはずやのに……。うちは体調が悪い。そういうことにしといて」
「しかし、今回は、使節の一人として『暗がりの魔王』ハバロピラスさまがおいでです。他の者ならばともかく、魔王の一人が来られたのですから、礼としてお会いになったほうが……」
 少し溜息をついて、スピッサは言った。
「朝餉をお出しして。うちもあとで行きます」

 暁の光は朝霧をすり抜け、窓から差し込んできた。金色の光を浴びて、ミセナは目を覚ました。意識が次第に鮮明になってきて――ミセナはがばと身を起こした。
 昨夜の魔神との戦い、偶然に等しい勝利、そのあとの記憶がはっきりしない。霧の森の魔王リンセリアに助けられ、ハバロピラスは去っていって――さて、それからどうなったのだろう?
 ミセナは部屋を見回した。昨夜の宿の内装にそっくりである。身体の節々がひどく痛むことからすると、よもや夢だったというわけでもなさそうだ。おもむろにベッドから下り、窓を開けて外を眺めた。グリスクラの深緑色の針葉樹林に、朝日を受けて金色に輝く霧がかかっている。湿った空気で肺が満たされると、不思議とおだやかな気分になった。
 上着とマントは枕もとに置いてあった。それを羽織ると、ミセナは部屋から出た。部屋の外は昨夜の宿と同じく小ぢんまりとしたロビーになっていて、テーブルとソファが置いてあるだけ。ソファーにはエオルスが腰掛けて、茶を飲んでいた。
「よう」ミセナに気付くと、エオルスは声をかけた。「お互い命は拾ったらしいな」
「ここはどこなんだ?」ミセナが尋ねる。
 エオルスが答える前に、昨夜の宿の主人がロビーに入ってきた。
「おや、お嬢さま、お目覚めで。すぐに朝食を用意しますんで」
「あ、その前に」ミセナが答えた。「顔を洗いたいから、水を汲んできてくれないか」
 主人はへへえ、と応じて出て行く。
「――ここは昨日の旅籠なのか?」
「いや、グリスクラの城館の中さ。あの男、人間のくせに、霧の森の魔王の手下だったんだよ。まぁ、おかげで助かったんだけどな」
「良く分からないんだが……」
「実は俺も、細かい経緯は知らないんだ。あとで魔王のリンセリアさんが来てくれるらしいから、そのときに聞けば良いだろうよ」
 主人が水桶をかついで戻ってきた。ミセナは「ちょっと失礼」とエオルスに言い、ロビーの入り口で桶を受け取って、手と顔を洗った。冷たい水が顔にかかると、頭もようやく冴えてきた。

 ――おまえの連れの行動は正解だったのだよ。

 ふとハバロピラスの最後の言葉が蘇った。タオルを受け取って顔を拭く。
「では朝食を用意してきます」そう言って、主人はまた水桶をかついで出ていった。
 ミセナはエオルスの前のソファに腰掛けた。
「……やっぱり美人だな」エオルスがつぶやく。
「よしてくれ。褒めても何も出ないぞ」ミセナはほんの心持ち赤くなって、答えた。「ところで、昨日の晩、ファリンとは会えたのか?」
 エオルスはぱんと手をたたいて、
「会えたとも。もっとも、また負けてしまったがね。いや、あの瞬剣は簡単には見切れそうもない」苦笑して続けた。「しかし、俺があの人を追うためだけにこっちへ来たと伝えたときの、あの人の顔と来たらなかったな。あの顔を見られただけでも、相当報われてるよ。――実際、少しは脈ありだぜ。俺を倒しておいて、とどめは刺さなかったんだから」
「あきれていただけでは?」ミセナは容赦しない。
「フフ、俺の熱意が伝われば充分さ。ああいう女性には押しの一手だと、俺の経験も言ってるね」エオルスは屈服しない。
 ミセナはしばらく言葉を切った。――ではハバロピラスの言った通り、ヴェルティナも近くへ来ていたのか?
 朝食を盆に載せて、主人が部屋に入ってきた。そのうしろから、赤毛の大柄な少女がついてくる。
 ミセナは思わず立ち上がった。大柄な少女はミセナと目を合わせるや、駆け寄ってひしと抱きしめた。
「ほんと久しぶり! 会えて嬉しいわ! もう、近くへ来るなら報せてくれたっていいじゃないの。水臭いんだから。ね、トリネラのみんなは元気? あ……お師匠さま、亡くなったのよね。お葬式に行けなくてごめんなさい」
 ミセナは返事をしない。
「……? どうしたの、何か言ってよ」
「……姉さん……く……苦し……」
 リンセリアは言われてはっとした。ミセナの顔を自分の胸の間に押し付け、両手できつく抱きしめていたから、それで返事ができなかったのだ。慌てて肩に手をやって引き離す。
「ご、ごめん。つい……」眼を泳がせながら、リンセリアは言う。
「相変わらず凄いんだな……リン姉さん……腕力も胸も……」息をあえがせて、ミセナがつぶやく。
 呼吸を整えて、ミセナは真っ直ぐリンセリアを見た。リンセリアは無邪気に見返し、ミセナが何か言うのを待つ。ミセナは左手を自分の胸に当てて、威儀を正した。
「霧の森のリンセリアどの。あなたのお助けがなければ、僕は身を守れなかったでしょう。どうか僕の礼をお受けください」
 言って深深と頭を下げた。リンセリアはまたも慌てて、
「や、やだ。ミセナちゃん。そんな改まらないで……」
 するとエオルスも立ち上がって、
「俺も礼を言わなければ。リンセリアどの、あなたが拾ってくださらなければ、俺はこの森で野垂れ死にしていたでありましょう。種族の差を顧みず俺を救ってくれたことについて、どうぞ俺の礼をお受けください」
 そう言うと、ミセナのまねをして頭を下げる。しかし、ミセナと違って、顔は笑っていた。
「ちょ、ちょっと、やだ……」あわを食ったリンセリアは、「エオルスさんまで……ねえ、やめてったら。顔上げてよ。ね?」
 ミセナは少し顔を上げて、
「リンセリアどの――」
「”どの”だなんて酷いっ。あたしたち、姉妹弟子じゃないの。昔みたいにリン姉でいいったら」
「昔は姉妹弟子でしたが、今は魔王と魔王ですので……」ミセナは伏し目がちである。
「そんなぁ……今は違うからって、昔のことが無かったことになるわけじゃないでしょ」リンセリアは涙さえ浮かべて、「ねえ、本気で、これからずっと、あたしのこと”どの”づけで呼ぶつもりなの?」
 ミセナは答えない。リンセリアは「うう」とうめいて、後ろへ一歩下がる。ソファの脚にひっかかる。
「はわっ!」脚をもつれさせて、リンセリアがすっ転ぶ。
「おっと!」エオルスが急いでその背中を抱きとめる。
「あ、エオルスさん……ありがと……」身を起こしたリンセリアは、ミセナがうつむいて震えているのに気付く。それから間もなく、震えているのではなく、笑いをこらえているのだと悟る。
「リ、リン姉さん、いや、相変わらずだな!」言い終わると、ミセナはとうとう、ぷくく、と吹き出す。
 からかわれたのに気付いたリンセリアは、顔を紅潮させて、
「ひ、酷いっ! ああもう、人が純朴なのにつけ込むなんて! 信じられない。ミセナちゃん、昔はあんなにマジメだったのに!」
「もうあの頃には戻れそうにないよ。人をからかってあたふたさせるのが面白いってことに気付かなかった、あの頃にはね」
「うううっ! エオルスさん! 何か言ってやってよ!」
「ちょっと酷いぜ、ミセナさんよ」
「何を言ってるんだ、エオルスさん。最初から僕の芝居に気付いて、乗ってきたくせに」ミセナはなおも笑って続ける。「それより、その手をいい加減に離したら? どさくさまぎれに、いつまでリン姉さんの背中を触ってるつもりだい?」
 リンセリアははっとエオルスを見る。エオルスはぱっと両手を上げ、あらぬ方を見やり、口笛を吹く。
「あ、あのー……」三人が黙ったところで、すっかり忘れ去られている旅籠の主人が声をかけた。「そろそろお食事を召し上がりませんと、冷めてしまいますが」
「えあ? ……うん、そうね」リンセリアは食事、と聞いて俄かに機嫌を直し、ソファに腰掛けて、「二人のおかげですっかりお腹が減っちゃった。あとはご飯を食べながらお話しましょうよ」
 言われてミセナとエオルスも座った。宿の主人は三人に食事を出すと、退出した。
「あの男は人間だろう?」ミセナが尋ねる。「いつから姉さんに仕えているの?」
「ブルネアさんのこと? 十年以上前からだよ」リンセリアが答える。「あの人、宿屋はもっと前からやってたんだけどね。あたしがお金をあげて味方につけたの。情報担当ってことで」
「やることやってるねえ、リンセリアちゃん」エオルスが言う。
「うん。色々と不安なことも多いからね。タキソディーのスピッサさんとは敵対してしまったし、ニデュランのハバロピラスとは、表立って戦っちゃいないけど、お師匠さまのこともあるから、やっぱり気持ち悪いよね。で、人間側はカロ・ボレタ伯爵領でしょ? あの人がまた強いのよね」リンセリアは溜息をついて、「そんなわけで、森に閉じこもって魔道の結界を張っておくだけじゃ安心できないのよ。自分の身を守れば良い、ってだけじゃ済まされないからね、魔王としては。えへ、ミセナちゃん覚えてる? これもお師匠さまの教えだよ」
「ああ、よく覚えてるよ」ミセナが答える。
「さっきから出てきてる、あなたたちの師匠ってのは誰か、聞いていいか?」エオルスが尋ねる。
「ミセナ・マトポーダさまだよ」リンセリアが応じる。「ミセナちゃんのお母さま。あたし……その、縁があってね。ミセナ・マトポーダさまのところで魔術と魔道の勉強をしたの。もちろん、魔術以外のことも、いっぱい教えてもらったわ。魔王たるの心得とか」
 ずず、と茶をすすって、リンセリアは話題を変える。
「でもね、昨日の夜にミセナちゃんとエオルスさんを助けられたのは、ブルネアさんのおかげだよ。ブルネアさんが報せてくれて――」
「そのことなんだが」ミセナが口を挟む。
「分かってるわ。気にしないで」リンセリアは言わせない。「瀕死の病人を縛って連れてくるミセナちゃんなんか見たくないもんね」
「俺には分からないんだが」二人だけの了解ができたところで、第三者エオルスが突っ込む。
「昨日、ミセナちゃんがあの旅籠に連れ込んだのが、湖の魔王スピッサさんなのよ」
「つまり、リン姉さんの敵ってことさ。僕はそれは知ってたけど、倒れているのを見過ごせなかったからね」責めたりはしないよ、とリンセリアはうなずいた。ミセナは続ける。「宿の主人――ブルネアさんは、担ぎ込まれたのがスピッサだって気付いて、リン姉さんに注進に及んで、リン姉さんは部下を連れて城館を下りて――で、僕たちが死にかけてるのを見つけて助けてくれたんだ」

「なるほど。……これは馬肉だな」ローストした肉をつまみながら、エオルスが言う。
「うん、あたしへの贈り物だったんでしょ?」リンセリアは何食わぬ顔で、「あの栗毛馬」
 エオルスはぶふっ、と吹き出し、眼を見開いて、
「こ、これ……レチルの肉!?」
「嘘」リンセリアが笑う。「この森の野生馬の肉だよ。レチルちゃんなら、城の厩につないであるわ。……えへへ、ま、復讐ってことでご容赦♪」
「いやはや」エオルスは憮然とした様子で、「ろくでもない所ばかり真似するんだな」
 ミセナはにやにや笑って、
「怖い怖い。僕も罠にかからないよう気をつけないとね」
「いつかミセナちゃんもぎゃふんと言わせてやるわ」
「――ところで姉さん。スピッサとは……どうして戦ってるの?」
 一転、リンセリアははじめて暗い表情になる。
「あの人、土蜘蛛と戦って毒を受けたでしょ。タキソディー出身のアマニタって、植物や鉱物の毒はあんまり効かないんだけど、クモとかムカデの毒には弱い傾向があるのよ。スピッサさんも例外じゃないわ」
「もともと頑健な体質でもなさそうだな」
「うん。でね、グリスクラの森の一部にだけ生えるティフューラ草なら、土蜘蛛の毒を取り除けるんだけど。あたし、草を渡すつもりだったわ。でもちょっと行き違いがあって、それで、森を守ってたあたしの眷属と、草を取りに来たスピッサさんの部下との間で揉めて……死人が出ちゃったの」リンセリアが暗澹たる面持ちで、「それからずっと交戦状態。誤解が先にあったのは分かってるんだけど、お互い、大勢部下を死なせてしまって、退くに退けなくなってるのよね」
「そういうことなら、今すぐに和解すべきだ」ミセナは強く言った。「その薬草を渡せば……」
「ティフューラ草の群生地は三回目の戦いで焼かれちゃって、もう残ってないのよ」リンセリアは首を振る。「今はお互い城館にこもって、戦いを避けてるの。部下を無駄死にさせないようにね。グリスクラの時空霧もタキソディーの百毒湖も、越えて攻め込むことはできない鉄壁だから」
 リンセリアが言葉を切ると、ミセナも応じず、エオルスも発言しない。気まずい空気が流れかかったところで、リンセリアがすっくと立ち上がった。
「なんか気がくさくさしちゃった。二人とも料理は食べ終わったよね。ね、散歩しようよ。グリスクラの森の中を案内したいから。ミセナちゃんとエオルスさんの話も、歩きながら聞こうと思うの」
「――そうしようか」とミセナが答える。
「ぜひ、森の奇観を見せていただきたいね」エオルスも言う。
「じゃ、出発!」

 霧に包まれたグリスクラの森、そのうちの地形は変化に富んでいる。丘があれば谷もあり、谷のうちには小川がある。小川は城館の裏手の高台を源とし、森の中をめぐり、はるか東方へ流れ去る。霧のために視界は狭いが、音は思いのほかよく響く。
 透き通った歌声が聞こえてくる。

♪ お姉さま、鳳凰が来たわ。
♪ 山も川も怖くない、靴など破れてしまえばいい。
♪ ただ願うのは、あの多情のひとに、あたしの釵を贈ること。

 可憐な歌声がこれに答える。

♪ 妹よ、鳳凰が来たわ。
♪ 王も貴族も見尽くして、半分はただの凡人で。
♪ 若君さまのように風流なかたを、どこで見つければよいのでしょう。

 少しだけ沈黙したあと、今度は男の声で、

♪ 鳳凰が来たぜ、お嬢さん。
♪ 美女も傾城も見尽くしたが、あんたみたいのはどこにもいない。
♪ まさに自然の傑作で、安心して見てられねえや。

 三人は川の源の泉を過ぎ、さらに高台を登っていた。
「お上手だね~、エオルスさん」リンセリアはけらけらと笑って、「その歌で何人の女の子を殺したことやら」
「その通り。女も男も、アマニタも獣人も、老婆も幼女も、みんな歌で口説き落としたものさ」エオルスはどこまで本気か分からない口ぶりである。
「困ったものだよ。母さまの歌に、いかがわしい三番ができてしまった」ミセナも愉快げに言う。
「今のはトリネラの歌なのか?」
「そ。お師匠さまが作ったのか、他の人が作ったのかは知らないけどね。……ほら、すぐそこだよ」
 指差した先に、断崖が口をあけていた。谷は広く深く、釣り橋ひとつかかっていないので、向こう岸に渡ることはできない。そして淵の底からは、濛々と烟霞が噴出していた。
「グリスクラの霧の源」リンセリアが言う。「ここで三回、勇者ルシダムと『竜潭の魔王』サーレイさまが戦ったわけだよ。そりゃもう、想像を超えるっていうか、大山鳴動して渓谷崩れ、雷鳴轟き豪雨地を洗い、暗雲たちこめ天地昏し、っていうか……」
「その比喩はよくわからないが」ミセナが言う。「二人の魔術戦の激しさはこの谷からも窺い知れるな。六百年たった今でも、魔術の影響が霧になって残り、この土地の時空を安定しないものにしているほどだから」
「そうそう。あたしみたいな不肖の弟子、下手な魔術師でも、この霧さえ利用すれば時空魔道が使えるくらいだからね」
 エオルスは崖の底を覗き込んで、「……確かに。人間の俺でも、この残留魔力の量が恐ろしいことははっきりわかるな」
「気をつけてね、エオルスさん。落ちたら最後、どこの次元に飛ばされるかわからないよ。それも一箇所に留まれれば良い方で、下手をすると千の時空、万の次元を旅してまわる羽目になるかも」
 エオルスはぶるっ、と震えて、身体を起こした。

 城館に戻り、客間に入ると、リンセリアは話し始めた。
「さて……ニデュランのハバロピラスのもとから、どうやってヴェルティナさんを助け出すか……という話だったね」
「悔しいが……現状、どうにもこうにも難しい」ミセナは歯噛みして言う。「ハバロピラスだけならともかく、魔神リ・ギドポラがついているとなるとな……」
「――魔神、ね」エオルスが言うともなしにつぶやく。
「鋼竜の魔神リ・ギドポラね。尋常の武器も魔術も一切効かないっていう」
 ミセナは黙り込む。リンセリアは笑って言う。
「じゃ、尋常じゃない武器を使えば良いんじゃない?」
 ミセナは顔を上げて、
「姉さんが言うのはまさか……」
「そ、聖魔剣が世に出た今、聖魔剣が切り出した魔金で鍛えられ、四大精霊神の祝福を受けた四つの武器――」
「灼絶戟アルタストローマ、霏滅剣ラクリマセプラ、壌誅棍グラヌラフォミス、颶戮弓ヴェネレート。あの四つの武器も、封印が解かれようとしている?」
「四つの武器は伝説上の存在だが」エオルスが口を挟む。「伝説の中心たる聖魔剣リシーサさえ見てしまった以上、四つの武器が実在しないと思う理由もないな」
「ミセナちゃんの武器なら、風の精霊神ネブルの祝福を受けた颶戮弓ヴェネレートで決まりだね」

 聞いてミセナは、ハバロピラスが唱えた魔神顕現の呪文を思い出した。

 ――いかなる武器もその硬鱗を貫くことなく、いかなる魔術もその硬鱗を破くことなく、ただ怖るるは聖魔とその子らのみ――

 ――あのリ・ギドポラも、聖魔剣の眷属は怖いと。颶戮弓ヴェネレートなら……。
「そういうことを言うってことは」ミセナは真顔で問い掛けた。「何か手がかりがあるってこと?」
 リンセリアはにやっと笑って、
「あのラエスタン・コルティナルは、ロードポリウスやハバロピラスと戦うために、武器や魔術に関する古い文献をたくさん集めてたってことだよ。その中にはきっと、四つの武器に関するものもあるはず。で、ラエスタンの蔵書は、ここから北にわずか七里、アルリュート城に収められている……」リンセリアは立ち上がった。「行ってみない、アルリュート城へ? あたしも、三日か四日ここを空けるくらいは平気だしさ」


    ◆ 4-1 死霊の城の冒険の前章 ◆

 王都転覆以来、複雑化した情勢に対処するため、魔衆の主レイスは各地に部下を送り込んでいた。たとえば魔剣士グラシリスをメラノスポルムへ、剛剣士ラルガをティロピラスへ――といった具合だ。
 そしてレイスはまた、アマニタたちの内部対立を解決するため、ニデュランに六人の魔衆を置いていた。
 ニデュラン城主ハバロピラス。瞬剣士ファリン。鮮紅の魔女パンセリナ。魔の寵愛を受けた双子ルブロ・ヴォルヴァタ。そして――悲嘆のうちに闇に堕ちた、あの哀れな少女――。
 城内の一室。窓のそばに腰掛けて頬杖をついている女がいる。茶褐色の衣服に黒の帯を締め、緋の上着を羽織り、腰には湾曲刀をさしている。すらりと伸びた背、流れるような栗色の髪、整った鼻、薄い唇、魔の眷属の証は一つ眼――その瞳は憂鬱に光っている。この紛れもない美女は瞬剣のファリン。真昼でありながら、月と見紛うばかりの太陽を見やって、彼女は溜息をついた。
 ――まったく。ファリンは憂える。そろいもそろって、魔衆の中でもとびきりの変態ばかり……。
 内部対立の解決という、戦いよりずっと微妙な問題のために、こんな面子を用意するということが、唯一の常識人ファリンには信じがたい。実際、リンセリアには会えぬままだし、スピッサとの交渉も不調に終わっている。門を鎖しているリンセリアはともかく、スピッサ相手の交渉は、もっと駆け引きのやり方があったはずだ。
 『暗がりの魔王』の城に相応しく、ニデュラン城は昼なお暗い。光を遮る森林も霧もなく、しかし空はいつも黒でなければダークブルーで、太陽と月は双子のように似ていた。城内もなんとはなしに陰気な空気がたちこめ、それがいっそう人を憂鬱にさせた。ファリンとても例外ではない。
 ――もっとも、レイスさまには、何かお考えがあるのだろうとは思うのだけど。
 今やファリンにとっては、レイスへの信頼と忠節のみが支えになっている。でなければとっくに精神が参ってしまうところだ。それほど、今ファリンの側にいる仲間たちは付き合いにくかった。
 ――ラルとグラスのドつき漫才が懐かしい。
 思わず長い回顧に入り込みかけたとき、部屋をノックする者があった。
「どうぞ」
「待たせたな」いつものごとく、つかみどころのない表情を浮かべて、ハバロピラスが入ってきた。その後ろにルブロとヴォルヴァが、さらに後に黒衣の少女――その顔はフードに隠れて見えない――が続く。
「スピッサとの交渉にあたって、貴女には妙策があるとか?」
 ファリンは首を振って答えた。
「妙策というほどのものではないわ。……スピッサの強味は、タキソディーの百毒湖。これさえ封じれば、あの人も強気に出ることはできないはずよ」
「ふむ、その口ぶりからすると、やはり妙案をお持ちのようだな。是非とも拝聴させていただきたいが」
「こちらにも毒に精暁した魔王がいるじゃない」ファリンは言った。「キキディーコ城から『地這の魔王』タタ・コルディケを呼ぶのはどうかしら? 彼女なら、何らかの対策を講じることができるかも」
 ヴォルヴァが口を大きく開いた。ルブロはこっそりヴォルヴァの右手をつねる。ヴォルヴァは一度口を閉じ、それからほんの心持ち口を開けて、言った。
「最良の対策を講じられる味方を呼ぶ=これは最善の策」
「そだねー、この面子で雁首並べてムツかしい顔してても、何も解決しないよね。じゃ、誰がタタちゃんのところへ行く?」
 誰も何も言わない。ややあって、ファリンが口を開いた。
「言い出したのは私だから、私が行くわ」
 ――本当はね。この城から出て気晴らしがしたいのよ。
 かくて、ファリンは会議場を出て、ニデュラン城の屋上にやって来た。指をくわえて口笛を吹く。すると東天の彼方から三つの首に四枚の翼、三本の脚を持つ青い鳥が飛来した。リューロテルス鳥、別天地より時空を越えてこの世界に迷い込んできた怪鳥だ。鳥が屋上にとまると、ファリンはひらりとその背中に飛び乗った。
「良い子ね。北の砂漠へ行くわ。キキディーコ城へ」
 声を聞くと、四枚の羽をふるわせ、リューロテルス鳥は再び高く飛び上がった。

 さて、場所は再び会議場――。
「ヴォルヴァ」ルブロは良い機嫌ではない。「気をつけてよ。パンセリナちゃんならともかく、ファリンちゃんに知られたら、いろいろと面倒なんだから」
「消しゃあいいだろ」ヴォルヴァはもっと機嫌が悪い。「クソ、クソ、クソがっ! ルブロ、そっちこそ分かってんのか、ちっぽけな土地の魔王ふぜいに、二回続けて小バカにされたんだぞ! 我慢できるか! 殺す殺す、絶対殺す!」
「分かってるよ」ルブロの瞳の奥には、暗い炎が燃えている。「必ず殺す。リンセリアもスピッサも。――そのための計画だよ? 台無しになりかねないことは、言っちゃダメ」
「ファリンはレイスどののお気に入りだ。消したのがバレるとあとあと面倒なことになる。……ファリンはともかく、レイスどのは怖いからな。眼をつけられないようにせんとな」ハバロピラスが冷笑を浮かべて言う。ヴォルヴァはぎろりとにらみ、ルブロは顔で笑いながら眼は笑っていない。「その点、ベルクタを呼ぶことを、ファリンのほうから提案してくれたのはありがたい。計画にはベルクタの力が不可欠だからな。ファリンが向こうにつくまで三日、ベルクタが部下を連れてここに来るには十二日といったところか。――その間に準備をしておくとしよう」
 ルブロがうなずく。ヴォルヴァがつぶやく。
「――覚えてろ、リンセリア、スピッサ。あと半月の命だからな……!」

 田舎の丘。針葉樹の森が道の両脇にずっと続いている。霧は晴れて、空には白いすじ雲がわずかに残るばかり。暖かな日差しと涼やかな風と、両方が肌に心地良い。
 道を登ってくるのは三人。二人は馬上、一人は空中。馬を御しているのは、四十歳ほどの長身の騎士。青の帽子をかぶり、青のマントをまとい、マントの下には黒と金の軽鎧がのぞく。左目に眼帯。口髭は整えられ、佩剣の柄と鞘には華やかな金細工が施してある。
 騎士の肩をつかみ、一緒に馬に乗っているのは、騎士と同じくらい長身の少女。黒のインナーとキュロット、その上に若草色のロングコートを羽織っている。赤のショートヘアと血色のいい肌が草色の上着と鮮やかな対照をなしている。左手には彼女にいささか似つかわしくないもの――狼牙棒が握られている。
 二人の斜め上を飛んでいるのは、相乗り少女と同じくらいの歳の女の子で、白の衣服に褐色のマント、胸、肩、膝、篭手にはなめし革の防具を身につけている。クリーム色の髪に白皙の肌、颯爽たる美少女である。背に矢筒と弓を負い、腰には細身の剣を帯びている。背中には半透明の白い羽――魔法の羽が生えている。
「アルリュート城はまだまだだろうかな?」青騎士が問う。
「この丘を登れば城が見えるはずだよ」相乗りの少女が答える。「ミセナちゃん、どう? 空からはもう見えてる?」
「ああ、少し高く飛べば見えるよ」空の少女――ミセナが応じる。「丘の上までもう少しだ、がんばれ、レチル」
 馬はぶるるるる、といななき、少し脚を速めた。
「こいつめ、さっきまでもう疲れて動けませんみたいな顔をしていたくせに、美人に励まされた途端にやる気を出しやがった」騎士が悪態をつく。
「エオルスさんと似てるよね~」
「何を言うかな、リンセリアちゃん。俺はこんな露骨に態度に出したりしないぜ」
「どうだかな」ミセナが声をかける。「リン姉さんには見えてないだろうけど、エオルスさん、さっきからニヤニヤしっぱなしだぞ。僕が察するに、その笑みの理由は、背中に当たっているリン姉さんの胸だろう」
 言われてリンセリアは、身体をぱっとエオルスから離す。
「おい、そんな急に動いたら……」
 エオルスの声は一足遅く、リンセリアははずみで馬の後ろに転がり落ちた。
「あ、姉さん!」「大丈夫か!」
 ミセナは慌てて下りてき、エオルスも馬を止めて振り向いた。リンセリアは涙を浮かべて、
「痛たた……腰、打っちゃったよ~……」
 と左手で腰をさする。ミセナは手を差し伸べてリンセリアの右手をつかみ、引き起こしてやる。
「もう……からかうのも状況を見てしてほしいなあ」リンセリアはむくれて、「狼牙棒で頭を打ってたら、とんでもないことになってたよ?」
「あ~、ごめん、姉さん。僕が悪かったよ」ミセナは素直に頭を下げる。
「――おっ。よう、二人とも見てみろ」
 下り坂が始まっていた。坂道の先には中規模の集落と田園、それに四つの塔を備えた石造りの城が見える。これぞミセナ・マトポーダ救出の拠点となった城。数十年にわたる魔神ロードポリウスとの死闘の中、すでに老齢を迎えていたラエスタンが、ファエル、セファラス、スバエルギナスとともに最後の戦いに出、勝利し、凱旋し、そして死を迎えた城。
 勇士ラエスタン・コルティナル終焉の地――アルリュート。
 城が見えたのに力を得て、三人は一息に坂を駆け下りた。さて城の下に至ってみると、城門はかたく閉ざされ、人の気配もない。窓という窓にはすべて鎧戸が下ろされ、見るからに陰気である。リンセリアは城門をどんどんと叩き、声をかけたが、応答はなかった。
「おっかしーな。廃城になってるはずはないんだけど……」
「ここの城主は誰なんだ?」エオルスが尋ねると、
「城主っていうか、レイスどのの代官がいるはずなんだけどね」
「ってことは魔衆か?」
「心配はいらない。こっちは魔王が二人もいるんだから、魔衆だって戦いを挑んできたりしないさ。本を見せてもらうだけだしね」ミセナは続けた。「――しかし、門を開けてもらわないことには、いやそれ以前に、応答してもらわないことには、どうにもならない。扉を打ち破って入ってもいいけど、この城は……特別な城だから……壊したくない……それは最後の手段にしたい」
 というわけで城下の集落で情報収集をしようということになったのだが、さて集落に至ってみれば、道行く人、畑仕事をする者、みな警戒の色を浮かべて三人の問いにはまともに答えようとしない。いよいよ不審に思い、立ち止まってあれこれ相談していると、不意に周囲を鎧を着た兵士たちに囲まれた。その数はおよそ五十名。三人は背中合わせに立ち、おのおの武器を構える。そして、ミセナが声を上げる。
「我々は、アルリュート城の書庫に収められた数々の稀覯本を拝見せんがために来た者。決してこの里に害毒を為さんとて参った者ではない。剣をお収め願う!」
 兵士たちは互いの顔を見てぼそぼそと話し合う。ややあって、兵士たちの中から一人の初老の男が進み出た。武器、鎧は身につけておらず、文官と知れる。
「みな、武器を収めよ! 遠来の客人がた、貴殿たちも武器を収めていただきたい。我らは貴殿たちに敵対する者ではない。ただ、アルリュート城の書庫を目睹したいとの貴殿らの願いは、受け入れられぬ」
 文官の命令をうけて、兵士たちは剣を鞘に収め、ミセナたちも構えを解く。
「アルリュート城の書庫を見ることができないとは、いかなる理由によるものですか?」ミセナが問う。
「それもお答えできかね……うむ?」文官は言いかけて、ふと言葉を止め、ミセナの顔をじっと見た。「……もしや、『碧空の魔王』ミセナ・クロカータさまでは?」
「いかにも、僕はミセナです」
 文官はぱっと顔をほころばせた。
「やはりそうでしたか、お母上に生き写しでいらっしゃる! わたくしはアルリュート城および城下集落の代官ニコラ・オムファル、時勢の流れとて今は魔衆に属しておりますが、かつては『黄昏の空の魔王』ファエル・ピオータ・オーレアさまに恩を受けた者です。ミセナ・マトポーダさまのご息女のお役に立てる機会が来るとは、何たる幸い」
 言ってニコラは頭を下げた。ミセナも礼を返して、
「ニコラどの、そういう意向なら、城の書庫を拝見できない理由を聞かせていただきたいのですが」
「はい、実は……いや、かような場所で立ち話をするより、村の役所のほうへお出でいただけませぬか。お話はそこで。昼餉もお出ししますゆえ」
 案内された屋敷は、大きいばかりで質素な木造の建物で、いかにも村の役所といった印象。しかし内部には刀剣槍矛などの武器や甲冑などが運び込まれ、なにやらものものしい空気を醸し出しており、また各所に置かれた机の上には、さまざまな書類が雑然と置き散らしてある。人についても、使用人らしき者たちに混じって、兵士たちの姿も多く見える。
 行政機関を城からこの村屋敷に移したな、それも大急ぎで――ミセナはそう推察した。エオルスも同様の考えだ。リンセリア一人は、昼食のことで頭が一杯で、まわりに眼を配るどころではない。
 こぢんまりした食堂に入る。
「お帰りなさいませ、ご主人さま」漆黒のメイド服に身をつつんだ若い黒髪の女性。「あら、お客さまですか。ようこそいらっしゃいました」
「ああ、昼食の用意を頼む。失礼のないようにな」ニコラが言う。
 かしこまりました、と頭を下げて、メイドが退出する。召使といい兵士たちといい、みな田舎らしい素朴な格好をしている中、一人きちんとしたお仕着せに身を包んでいる彼女を見て、エオルスは
 ――ニコラどのの趣味か?
 といぶかる。
「さて、改めて紹介いたしますが」三人が席につく――左からエオルス、ミセナ、リンセリアの順番で――と、ニコラが話し始める。「わたくし、二コラ・オムファルです。ミセナさま、お目にかかれて光栄です。アルリュートへよくぞお越しくださいました」
「僕のことをご存知なら、僕がいま、魔衆と良好な関係にないこともご存知と思いますが――」
「何をおっしゃいますか。わたくしにとっては、レイスさまに対する忠よりファエルさまに対する義のほうが大切です。王都でのことは聞き及んでおりますが、それが何です。決してミセナさまの不利益になるような真似はいたしますまい」
 ミセナはしばらく沈思していたが、やがておもむろに口を開いた。
「わかりました。あなたを信じ、隠し事はしないことにします」
 会話が途切れたところで、リンセリアが声をひそめて尋ねる。
「王都で何かあったの?」
「僕は王都で、魔衆の戦士を殺してるんだ」リンセリアがはっと驚くのを横目で見やって、ミセナは続ける。「本当に色々……あったんだよ……王都では……」
 王都という言葉を聞いて、エオルスもあまり陽気な顔でなくなる。場の空気が白けかけたところ、絶妙のタイミングで先ほどのメイドさんが再登場。
「お待たせいたしました」
 メイドが四人に配膳したのは、贅沢な器に盛られた山海の珍味佳肴。ミセナ、リンセリアは呆気にとられ、贅沢な食事に慣れたエオルスさえ眼を白黒させる。
「さあ、どうぞお召し上がりを」ニコラが言う。
 料理を一口食べれば心身はとろけ、二口食べれば魂魄は天上に舞い上がる。全てを忘れ、この料理を口にできただけで、生まれてきて良かったと思える味。
 至福の時間は四十分ほど続いた。
「お気に召しましたか?」メイドが問う。
「――いや、感服した」ミセナが感嘆の声を上げる。
「す、すっへえむまいっす」口に料理を詰め込みながら、リンセリアが親指を上げる。
「百人の料理人を知ってるが、これほどの料理は食べたことがない」エオルスが言う。「ニコラどの、この料理を作ったのは――」
 ニコラはちらりとメイドを見、メイドは慎ましやかに頭を下げる。
「――恐れ入ったな。名前を聞かせてもらえないか」
「名前ですか……そのようなものはメイドになったとき捨てました、私はただのメイドです」
 メイドは一礼すると、皿を片付け退出する。
「実に有能なメイドでしてな。城が落ちたとき、武具の多くを持ち出せたのは、当時武器庫を掃除していた彼女のおかげです」ニコラが改めて口を開く。
 聞いてミセナは真剣な顔に戻り、
「城が落ちた――何かあったものとは思いましたが――で、その経緯は?」
「一月ほど前のことです」ニコラは語り始めた。「その日の夜、西方から突如としてアンデッドの軍勢が押し寄せてきました。数は互角でしたが、こちらはろくに訓練を受けていない者ばかり、対して敵方は斬っても倒せないアンデッド。とても勝負になりません。城を枕に全員玉砕か、と思われたとき、敵方の中から二人の人間が現れ、ただちに城を明け渡すなら命は取らぬ、と告げてきたのです。拒否する道はありませんでした」
「一月前というと、王国騎士団のヴィレ部隊とカロ・ボレタ伯爵の部隊との間で戦いがあったな」エオルスがつぶやく。「死体はそこで手に入れたんだろうか」
「ところで、二人の――人間と言われましたか?」ミセナが尋ねる。「アマニタではなくて?」
「はい、耳といい眼といい、人間の形をしていました。魔法で姿を変えているわけでもなさそうでして」ニコラは続ける。「一人は術師の格好をした若い女、もう一人は文官ふうの中年の小男で、男が女の補佐をしているようでした。城内の者がみな退避すると、女は『死霊の魔王』コーヴィ・オンジーナを名乗り、毎日深夜から日の出まで城門を開ける、用があれば来い――とだけ言って、さっさと城に入ってしまいました。――しかし、城内の回廊に魔術が施してあるらしく、何度行っても道に迷うばかりで、コーヴィには会えないまま――」
「不埒な! 人間の身で魔王を僭称するなど、十二柱を愚弄するにも程がある」ミセナは苛立ちの声を上げ、それから声を抑えて、「――レイスどのには報せたのですか?」
「ええ、それで四日前、鉄球のジャヴァどのが来て、コーヴィを追い出す、と城に入りましたが、――それっきり、連絡がとれなくなってしまいました」
「レイスどのは人選を誤ったな。武闘派のジャヴァではなく、アスペラやパンセリナのような、魔術に詳しい者を派遣すべきだったのに。――僕なら、ジャヴァよりうまくやれる。コーヴィを放逐し、城を奪還し、生きていればジャヴァを救出してみせよう。ついては、一つお願いを聞いていただけないだろうか。このリンセリアは、グリスクラの城館で中立を保つことを願っている。アルリュート奪還とジャヴァ救出を果たしたら、それを恩義と思って、グリスクラを魔衆に参加させようという意図は捨てるように、レイスどのにお伝えいただきたいのです。僕? 僕は風使いのぺルラトを殺しているから、今更和解しようなどとは思っていないよ」
 晩方までくつろいで過ごし、午前中の旅の疲れをほぐす。そしてかのメイドによる美味極まりない夕餉を楽しむ。夜は更け――とうとう、アルリュート城の城門が音を立てて開く。
「悪いね――つきあわせて」ミセナが言う。
「気にするなよ」エオルスが言う。「腕を磨くには、こういうクエストが一番いいからな。――瞬剣のファリンを振り向かせるには、まず彼女より強くなっておく必要がありそうだ」
「あたしはむしろ楽しんでるかな」リンセリアが言う。「こういうの懐かしいよね。昔、二人でよく冒険したじゃない。覚えてるでしょ、クリマ洞窟で魔女ローゼオーマと戦ったときのこと」
「忘れるわけがないよ。リン姉さん、あのとき、魔女のトラップは全部かわしたのに、なんでもない所で転んで地中湖に落ちて、泳げるくせに焦って溺れかけた挙句、触手系のモンスターに襲われて、あやうく18禁な展開になりかけたっけ」
 リンセリアは顔を真赤にして、「うぅ、わざわざそんな恥ずかしいことを、エオルスさんやニコラさんの前で話さなくてもいいのに。って、クリマ洞窟のことを言い出したのはあたしだっけ……くっ、墓穴……」
「迂闊すぎるんだよ。今回も何があることやら」
「むむ……」リンセリアはちょっと唸ってから、また笑顔を作り、「でも、もしあたしがピンチになっても、ミセナちゃんが助けてくれるでしょ、あの時みたいに?」
「どうだかな~」ミセナはにやにや笑って肩をすくめ、「18禁すれすれの展開があったほうが、ウケがよさそうだしな~。エオルスさんもそのほうが嬉しいんじゃないか?」
「そりゃまあ、ねえ」エオルスはためらいなくうなずく。
「酷いっ」リンセリアが涙目になる。「あたしの二人の騎士ときたら、あたしを守るどころか、リョージョクされるのを望んでるなんて」
「はっは。でもエオルスさん、姉さんの名誉のために言い添えておくけど、ローゼオーマを倒せたのは姉さんの武技と魔術があったからだよ。さて、姉さんがあられもない姿にされることが決定したところで、クエストを始めるとしようか」
 エオルスは帽子に触って賛成の意を示す。リンセリアも納得のいかない表情ながら、とりあえずうなずく。ニコラが進み出て言う。
「わたくしもともに参るべきとは思うのですが、足手まといになりそうで……」
「無理はしないで、ニコラさん」ミセナが言った。「あなたがいなくては、集落のアマニタたちが不安になるでしょう。もし、三日経っても帰らなければ、スクウェイニッツにいるファエルどのとセファラスさんに報せてください」


    ◆ 4-2 死霊の城の冒険 ◆

 日が登って、また沈んだ。
 ニコラは村役場の事務室にこもり、山積している庶務をこなしていたが、まるで集中できず、十分おきに立ち上がり、机の前をうろつきまわる。この一日で歩いた歩数は十里にも及ぶだろう。
 そんなニコラを、影のように側から眺めていたのは、例のメイドである。
「――ご主人さま」差し出がましいと知りつつも、見ていられずにメイドが話しかける。「ミセナさまご一行のことが気になるのですか?」
 ニコラは否定しない。
「今すぐにでも助けに行きたいが――あの三人でなんとかならないところへ私が行っても、できることはない――兵卒たちについては言わずもがな――と言って、一日経っても戻ってこないのを、放っておくわけにもいかぬ――ああ、無力が呪わしい――」
 言い終わると、頭を抱えて、また机の周りをぐるぐると歩き回る。下手をすれば城へ行った三人より先に、ニコラが憔悴して参ってしまうかもしれない、それくらいの勢いである。
「ご主人さま、もしよろしければ――」でしゃばりすぎではないかと少しためらって、メイドは言う。「私が城へ参りましょうか?」
 ニコラの足がぴたりと止まる。
「――君がただのメイドでないことは、私も知っている」ニコラはメイドの顔を見つめる。「この近辺では手に入らない食材を、毎日の料理に入れることができているのが証拠だ、君が常人には持ちえぬ技を持っていることのな……」
「食材集めなど、ご主人さまに満足いただくことを考えれば、容易なことです」
「だが、魔法の城での人探しとなると――」ニコラは迷う。「メイドの職務の範疇を超えるのでは?」
「ご主人さまの不安を取り除くのが、メイドの役目でなくてなんでしょう」メイドは強く言って、ニコラを見つめ返す。「行けとおっしゃってください。私、すぐにお三方のもとへ参りますわ」
「君は――何者なんだ?」
「メイドです。それだけでは信頼していただけませんか?」
 ややあって、ニコラが告げる。
「信頼しよう」
 優雅に一礼すると、メイドは窓から(二階だったが)風を切って飛び出した。ニコラは外を見やる。闇夜を一塊の影が駆け抜けていった。

 ほの暗い回廊が続いていた。城のエントランスから最初の廊下に入って、もう半里ほども歩いただろうか。果てはなお見えず、入り口は小さく、しかしなおも見えている。早くも罠にかかってしまったことは明らかだった。
「これは……いわゆるアレだな」とエオルス。「無限回廊」
「時空魔道の基本的な術だね」とミセナ。「空間を切り貼りして無限に続く回廊を作り出してるんだ。姉さん、何か対策は?」
「うまく魔力を消してるみたいだからねー、ただ歩いてるだけじゃ、この魔道を破るのは難しいと思う」リンセリアが答える。「魔術のから撃ちでもして、様子を見てみる?」
 そこでリンセリアは二人を廊下の両脇に下がらせると、右腕を上げてまだ見ぬ果てを指さした。彼女の指先から拳ほどの大きさの火球が走る。火球が放つ赤い光は、次第に小さくなり――やがて見えなくなった。
「――何か異常は感じた?」リンセリアが問う。
「いや」とミセナ。「エオルスさんは?」
「二人に分からないなら、俺にも分からんよ」
「リン姉さん、もう少し大きな魔術を使って試してみよう」
 リンセリアはうなずくと、呪文の詠唱を始めた。
「焼尽せよ万物造化、浄化の炎に包まれて、灰燼とともに天上へ立ち昇るがいい! 『クリムゾンフレア』!」
 白金色の業火がほとばしり、床と天井にすすけたあとを残しながら、回廊の中を滑っていき――そして、見えなくなった。
「――何か異常は感じた?」リンセリアが問う。
「いや」とミセナ。「エオルスさんは?」
「二人に分からないなら、俺にも分からんよ」
「よおし、じゃあ、もう一ランク大きな魔術で……」とリンセリアが気焔を上げると、
「いや、この狭い廊下でこれ以上大きな魔術を使ったら、こっちが危ないよ」ミセナが止める。「……仕方ない。別の手がかりはないものかな?」
 エオルスが首で入り口のほうを指し、
「一度エントランスへ戻ってみるのはどうだ? 案外、別に入り口が隠されているかもしれないぞ」
 ミセナはうなずいて、
「確かに、最初来たときはよく確認しなかったしね。そうしよう、リン姉さん」
「ん……」リンセリアは気のない様子で首肯する。
 ミセナとエオルスは入り口のほうへ戻りかける。リンセリアはついて行かず、あごに指をやって何か考え込んでいる。と、おもむろに、廊下の奥へ向かって駆け出した。
「あ、姉さん?」
「ごめん、あたし、もうちょっと先まで行ってみる!」
「無限回廊をどこまで先へ行っても……あ!」エオルスがミセナの横を駆け抜けて、リンセリアを追う。「エオルスさんまで! 体力を無駄にするだけだよ!」
「リンセリアちゃんの勘は、なんかアテになりそうな気がするのさ!」エオルスが振り返りながら言う。「ミセナさん、あんたもほら、来たまえ来たまえ!」
 少しためらう――が、どこに罠が仕掛けられているか分からない状況において、単独で行動するのは愚の骨頂である。ためらっている間に、リンセリアとエオルスは、はるか先方まで進んでいる。
「――まったくもう!」ミセナの背中に翼が現われ――瞬く間に二人に追いついた。「無駄足を踏むだけに決まってるよ」
「まあま、ミセナちゃん、そう決め付けないでよ!」

♪ 千里の道もいずれ尽く
♪ 花咲く広野に我と汝(な)と
♪ 立つ楽しさを、思うなら
♪ 遠き場所などありはせぬ

 エオルスが唱和する。

♪ さらば行かん、風のまま
♪ 千里の道も、ひとっとび
♪ 我が背中には、羽がある

「羽があるのは僕だけだろ! っていうか、緊張感なさすぎ! ここは敵地だっ!」
 軽やかに歌いながらリンセリアとエオルスが駆け抜け、突っ込みを入れつつミセナが追う。半里、一里、三里……やがて焦げ付いたドアが現われ、ドアを開けた先には小さな部屋が、部屋の隅には階段があった。
「1F攻略、だな」エオルスが言う。「ふ~、さすがに疲れたぜ」
「こんな程度で疲れるなんて、エオルスさんも老けてるねえ」リンセリアは笑う。「あたしより年下のくせに」
「そりゃまあ、僕たちはアマニタだからな」とミセナ。「しかし意地が悪いね、姉さん、無限回廊じゃないと気付いてたなら、そう言ってくれればよかったのに」
「何を言うんだ、意地が悪いのはお互い様だぞ」リンセリアはミセナの口ぶりを真似る。「……ま、確信があったわけじゃないんだけど、どーも空間を切り貼りしてるってより、引き伸ばしてる感じがしたんだね。魔術を撃っても何も変わったことはなかったしさ。ミセナちゃん、大丈夫? 少し息が上がってるよ?」
 ミセナは問題ないと言い張ったが、リンセリアは無理に休ませた。体力を万全にしておかないと、避けられる罠も避けられないよ、と言う。ミセナは返答に詰まって、これに従った。エオルスは壁にもたれかかって瞑目し、ミセナは部屋の椅子に腰掛けて呼吸を整える。気力の回復に専念するため、誰も何も言わない。ややあってエオルスは眼を開き、ミセナは立ち上がった。
「そいじゃ、2F攻略に出発!」リンセリアが音頭を取る。
 二階に上がると、先ほどの場所と同じような小部屋でドアは一つだけ。そこから出ると、またしても薄暗い回廊だ。一階の回廊と違う点は二つ。すぐそばに次のドアがあること。右側の壁に二枚の絵――女性の肖像画が並べてかけてあること。――何気なく絵画に目をやったエオルスは、おっ、と驚きの声を上げた。
 右の絵に描かれている女性は、クリーム色の髪に血の色の瞳、顔には涼やかな笑みを浮かべ、身体つきはすらりとしており、箙を背負い弓を持っている。左の絵に描かれている女性は、赤い髪を肩のあたりで切りそろえ、瞳の色はやはり緋、大柄で豊満、表情は爛漫だ。右はミセナ、左はリンセリアを描いたものにしか見えない。が、二人よりは少し年上に見える。
 エオルスの隣にその二人が並び、絵を見る。リンセリアの表情に一瞬、暗いものがよぎる。顔つきはすぐいつもの陽気さに戻ったが、ミセナは見逃さなかった。
「これはあんたらを描いたものじゃないな?」エオルスが問う。「歳が合っていないし」
「そう、あたしたちじゃないよ」とリンセリア。「こっちはお師匠さま。で、こっちはあたしのお母さまだよ。ほら、絵の隅に名前が書いてあるでしょ?」
 なるほど、良く見ると絵の右下隅にミセナ・マトポーダ、トリネラ、714年、キンナ・グリオード、グリスクラ、714年、と朱書してある。ただ、画家の名前は記されていない。
「うーん、しかし、よく描けてるなあ」ややあって、リンセリアが感嘆の声をもらす。「城を攻略したら、記念にもらって帰ろうかな」
「ニコラさんに頼んでみたらどうだ? たぶん承知してくれるよ」ミセナが言う。「さて、次へいこうか」
 ドアを開けると、同じような回廊、同じようなドアが目に入る。右の壁には同じく絵がかかっている。今度は三枚。ミセナとキンナの肖像は、前のとほとんど同じ。キンナの絵の左隣には、術師ふうの衣装をまとった金髪の青年の肖像画がかかっている。爽やかな笑みを浮かべた、鼻のかたちのかっこいい好青年だ。絵の隅の記述は、それぞれミセナ・マトポーダ、トリネラ、717年。キンナ・グリオード、グリスクラ、717年。パルド・ミトルル、グリスクラ、717年となっている。
 エオルス、出かかった言葉――「このパルドってのは?」を飲み込む。パルドの名を見た瞬間、ミセナとリンセリアの顔に露骨に嫌悪の表情が出たからだ。
「――次へいこう」ミセナが言った。
 やはり同じような回廊だ。三枚の絵も同じ人物を描いている。だが絵の雰囲気はがらりと変わっていた。ミセナは不安の表情、キンナはすこし頬がやつれて目の下には隈が浮かび、パルド一人が変わらぬ笑顔を作っている。記述は、制作年代が718年になっているほか、変わっていない。
 こちら、ミセナの娘ミセナと、キンナの娘リンセリアのほうも、落ち着かない様子になる。エオルスは声をかけようとしたが、ミセナが「さっさと次へ行こう」と言ったので、黙って従った。
 次の回廊にかかっていた肖像画は、事態がさらに悪化したことを示していた。719年。ミセナの表情は不安から憤怒に変わり、瞳には残酷の色が浮かんでいる。キンナは頭髪が乱れ、着衣が乱れ、頬の肉がごっそり削げ落ちている。パルド一人、表情が変わっていないのがさらに異様な雰囲気である。
 エオルスは不安げなまなざしで連れの二人を見る。リンセリアは冷静になってきたようだ。一方、ミセナのほうはますます苛立っている様子。絵を見る限りでは、キンナのほうがより悲惨な状態にあるというのに、なぜキンナの娘リンセリアは平静になり、ミセナの娘ミセナは不安定になっているのだろう――そう、エオルスはいぶかる。
「ミセナちゃ……」リンセリアが声をかけようとしたが、
「次だ」ミセナは荒々しく回廊を突き進み、ドアを開ける。
 城の端まで来たのだろう、回廊は右に折れていた。そして、絵は正面に飾られていた。ゆえにミセナは心の準備もできないまま、絵を直視してしまった。
 今度の絵はずっと大きく、内容も一人の人物を写したこれまでの絵とは異なっていた。一枚は、ミセナ・マトポーダが剣を持ってパルド・ミトルルに迫る様子を描いていた。もう一枚の絵には、血まみれのミセナと、その足元に横たわる、パルドではなくキンナの遺体が描かれていた。

 ――父親がアレなのもそうだけどぉ~、やっぱり母親がサイアク? ってか~んじ。

 ミセナの脳裏に、最悪のタイミングで、ルブロの言葉が蘇る。違う、と打ち消す。身体が震え出す。

 ――親友の恋人奪って自殺に追い込むわ、その恋人が手に入らないからって殺そうとするわ、世捨て人を気取って魔王を復活させるわ、もぉねー、ナニコレって思うわけ。バカなルブロちゃんでも、さすがにそれヤバくね、って思うワ・ケ。

 膝から力が抜ける。王都の光景がフラッシュバックする。自分の目の前に倒れたヴェルティナの映像が、母の前に倒れたキンナの映像に重なる。

 ――おんなじだねぇ~♪ ミセナちん……あの、無慈悲で、残酷な、罪深きバケモノに。

「……ぅ……あ……」
 頭を抱える。リンセリアとエオルスが何か叫び始めたが、あたかも別世界の言葉のように、まるで聞き取れない。
「違う……母上は……僕は……」
 脳に去来する暗鬱な思いを必死に振り払う。分かっている、この思いを受け入れたら、自我が壊れてしまうだろう。
 どこか遠くで物音がしているのが、かすかに聞き取れる。だが耳鳴りが激しくて、何の音だかわからない。はっきり感じ取れるのは、早鐘をうつ自らの心臓の音だけ。母の言葉を思い出す。苦しいときは、友の顔を思い出しなさい。
 そこでミセナは母の顔を思い出す。部下たちの顔を。セファラスの落ち着いた顔、ファエルの優しいまなざし、プルアロータスの照れ笑いを思い出す。ヴェルティナの寂しげな笑顔を思い出す。そこで間違えた。ヴェルティナの顔が歪んだところを、飛び散った血を思い出してしまった。振り払う。ルブロの毒々しい笑顔、ハバロピラスの薄ら笑いが浮かぶ。それを振り払う。エオルスの陽気な顔を、リンセリアの爛漫な笑顔を思い出し――また間違えた。リンセリアの笑顔がキンナの顔に重なり、憔悴していき、狂気を帯びていき、やがてその顔に血が飛び散る。ダメだ――。
 ふわり、と背中を誰かに抱かれた。背中に押し当てられた胸、肩にまわされた両腕、顔のすぐそばに顔。柔かい息遣い。頭の中がふっと白くなる。
「落ち着いて、ミセナちゃん」柔らかな息が言う。「誰もミセナ・マトポーダさまを――お師匠さまを――わたしたちのお母さまを責めたりはしないよ。お母さまはすべきことをされたんだから」
「姉さん……」
「お母さまは悔いていらっしゃったけど……お母さまには何の罪もないよね。ミセナちゃんも分かってるはずだよ。悪いのはパルド一人だ、って。――ねえ、ミセナ・マトポーダさまは、私たちの自慢のお師匠さまでしょ。自慢の――お母さまでしょ?」
 リンセリアの心臓の規則正しい動きが感じ取れた。そして自分の心臓が、少しずつその動きに倣っていくのも。
「それにミセナちゃんも」リンセリアは続ける。「あたしにとっては自慢の幼馴染みだよ?」
 ふーっ、と息が漏れでていく。と同時に、狂気がさっと退く。意識が、頭脳が、視界が鮮明になる。
「ありがとう、姉さん」ミセナは力強い声で言う。「もう大丈夫だ」
 リンセリアが身体を離すと、ミセナはすっと立ち上がった。立ち上がってまず眼に飛び込んできたものは、またしても心臓に悪い光景――飛び散った肉塊、つぶれた臓器、砕けた骨片、転がる眼球――ゾンビどもの身体の一部だ。
 エオルスは壁によりかかって肩で息をし、マントと長剣は血まみれだ。リンセリアの上着もところどころ汚れ、狼牙棒には肉片がこびりついている。
 唖然としてまわりを見やったミセナは、自分を失っている際中、何かわからない物音を聞いたことを思い出した。すでに明敏になった頭が事情を悟る。自分が茫然自失しているまさにそのとき、ゾンビの群れに襲われたのだ。座り込んでいた自分に危害が及ばなかったのは、エオルスとリンセリアが必死にゾンビどもを撃退したからに他ならない。
 急に我が身が情けなくなる。
 その表情を見て取ったのか、エオルスはにやりと笑って、言った。
「気にするなよ。自失することだってあるだろうさ。パーティを組んでる以上、そういうとき俺たちがあんたを助けるのは当然のことだよ」口髭をひねって、続ける。「フフ、ミセナさん、あんたは強すぎて、そうやって倒れてでもくれなきゃ、俺たちに出番が来ないからな。また適当に機会を見て、呆然となってくれ」
 ミセナもフフと笑い、
「強すぎるだなんてとんでもない。僕はまだまだ未熟さ。だからエオルスさんも、」振り返って、「リン姉さんも、よろしく助けて欲しい」
 リンセリアは片目をつむって親指を立てる。エオルスは帽子のつばに手をやって応じる。ミセナはまた笑うと、真面目な顔に戻って、例の絵にむかって一歩進み、じっくりと見る。
「気づいたか?」エオルスが問う。「隅のほうの記述に」
 言われてミセナは右下隅を見る。今まで名前、場所、年代を記してあった場所に、今度はこう書いてあった。
 ――「自画像」。
「なんとなく事情は察せられたよ」エオルスが言う。「ミセナ・マトポーダどのの後悔のほどもな。だが、真に後悔すべきはそいつだぜ?」
 エオルスは右側の壁を指差す。ミセナ・マトポーダの絵に注意が行き過ぎて気付かなかったが、そこにはまたもパルドの肖像が飾られていた。今までと全く同じ表情。ただ、先ほどのゾンビとの戦いの結果だろうか、その口もとは血で汚れている。
「最初からいけ好かない笑いだと思ってたんだ」エオルスが言う。「時々いるんだな、こういうまともな顔したクズどもが」
「フフ、いいさ、エオルスさん」ミセナが不敵に言う。「母上とキンナさまは悲劇を迎えてしまったが、僕はそうはいかない。パルドみたいな連中は精霊神ネブルにかけて皆殺しさ」
「じゃ、そろそろ次へいこうよ」リンセリアが声をかけた。
 その後はさしたる事件もなく――といっても、二度ほどゾンビの群れに襲われはしたが、三人の敵ではない――やがて三階にたどり着いた。
 三階はだだっ広いホールになっていて、奥にはステージがあり、ステージの端にはグランドピアノが置いてある。ピアノの前には、燕尾服とシルクハットの――ゾンビが座っていた。またステージ上には、同じく正装した人形が立っていた。人形といっても、顔は白いボール、手は海賊ふうの鈎、ズボンからのぞく脚は木の枝で、せいぜい立派な案山子くらいにしか見えない。ステージの奥には扉が一つ、上階へ行くにはこの扉を抜けなければならないらしい。
「ようこそお出でくださいました、お客人がた」人形がありもしない口から声を上げる。「なんのおもてなしもできませんが、せいぜい彼のピアノと私のダンスで、旅の座興としてください」
 言い終わると、ミセナたちの返事も待たず、ゾンビはピアノを弾き始め、人形は踊り始める。ばかばかしい、さっさと行こう、そうミセナは言いかけたが、エオルスとリンセリアが興がって手拍子まで叩き始めたので、呆れて立ち尽くしてしまう。
 音楽が佳境に入る。
「さあ、お客人もご一緒に」人形が言う。「一人ずつ段上に上がって、私と一緒に踊ってください」
「死霊の城でダンスパーティとは面白いな」
 エオルスが応じてステージに上る。罠ありと見たミセナがそれとなく袖を引くが、エオルスはかまわない。
 陽気な音楽に乗って、人形が踊る。エオルスが踊る。リンセリアはおおー、と歓声を上げ、ミセナも少し驚く。王都の遊蕩児エオルスにとって、歌や舞いは十八番である。勇壮、快活、悲嘆、妖冶、音楽に合わせていくらでも踊ってみせる。
「お見事お見事、お先へどうぞ」人形が言う。「次の方~」
 エオルスは扉へ入る。入ったところで二人を待つ。
 続いてミセナが段上に上がる。エオルスは問題なく切り抜けたが、どうも臭い、リンセリアの前に自分が様子を見ようというわけだ。
 ゆっくりとしたリズムに応じて、ゆっくりとステップを踏む。曲調が速くなると、ミセナの手足もそれに応じて動く。さながら、大空をゆっくりと飛んでいたハヤブサが、獲物を見つけて急降下するといった風情だ。曲はしだいに激しく、荒くなり、ミセナの動きも急に速くなっていく――。
 そこで、不意にリズムが緩くなる。
 ミセナは留まり損ねて、余計なステップを踏んでしまう。
「失敗失敗、だらしない」人形があざ笑う。「お客様は王様だけど、王様の中には首を斬られた連中もたくさんいるんだぞ。というわけで、さよなら~!」
 がこん、と音がして、ミセナの足元の地面に穴があく。ミセナははん、とせせら笑うと、翼を生やして扉まで一直線、さっとその中に入る。
「落とし穴――ふん、こんなことだろうと思ったよ」とミセナ。「リン姉さん、気をつけて」
 扉は開けたまま、リンセリアに何かあったらすぐに助けに行こうという構えだ。
「ずるい、ずるい、ずるしたな」人形は地団駄。「今度はちゃんと踊ってね」
 リンセリアはここまでの展開にすっかり楽しくなり、狼牙棒を片手にステージへ上がる。この凶悪な棒(しかも先ほどからのゾンビとの戦いで腐った血肉がこびりついている)をめちゃくちゃに振り回しながら、好き勝手に足を運ぶ。エオルスの洗練もなければミセナの鋭さもない、ただ無法に楽しい舞いである。ミセナは笑ってその踊りを眺めていた。
 ミセナのときと同じく、曲のテンポが上がっていく。リンセリアの乱舞もひたすら速くなり、はちゃめちゃさも増していく。曲のリズムはさらに速く、速く、速く――。
「ちょっ、無理!」
 リンセリアはついに音を上げる。足がもつれる。
「失敗失敗、だらしない」と人形。「今度は逃がさないぞ」
 人形は腕を下ろし、背中を丸め、拳を腿の前で握る。筋肉自慢の男がよくやる、あのポーズだ。するとそのお約束どおり、人形の上着がはちきれ、ズボンも腰まわりだけを残して破れる。中から現れたのは、鋼鉄のような筋肉――ではなく、随所に棘を植え付けた木製の肉体だ。しかも肩口、肘、膝からは鉄の大鎌、右手からは鉄の槍、左手からは巨大な鉄球が生えており、見るからに攻撃力が高そうである。
「う、うわ~……」リンセリアは呆れて声も出ない。
「姉さん!」ミセナはステージに乱入しようとしたが、結界に阻まれる。
「ははは~、今度は死の舞踏だあ~!」
 人形は身体の関節をがちゃがちゃ言わせながら、リンセリアに迫る。鉄の槍がリンセリアの足元を襲う。
「ひゃっ」
 リンセリアは後ろへ一歩下がってかわす。槍が地面を砕く。キンナの娘はこの一撃でようよう我に返る。
 人形は再び構えをとると、今度は左手の鉄球でパンチしてくる。リンセリアはあやまたず狼牙棒を振り上げ、人形の左肘を打ち砕く。人形の左肘から先がちぎれて宙を舞う。あいた空間に、人形は左の膝蹴りをいれる。リンセリアはまたも一歩下がる。ついでに、さらに四歩下がっておく。
「焼尽せよ万物造化、浄化の炎に包まれて、灰燼とともに天上へ立ち昇るがいい! 『クリムゾンフレア』!」
 指先から放たれる白金色の業火。木製の人形に、この魔術は致命的と見えた。しかし人形は自らの首をもいで投げつけ、火炎を相殺する。煙の中から、首のない人形が槍を構え、真っ直ぐ突っ込んできた。
「姉さん、気をつけて!」
「ふふっ、いただき!」リンセリアは落ち着いていた。
 狼牙棒を投げ捨てると、突進してくる人形の槍を両手で掴む。二歩下がって止まる。リンセリアはそのまま、人形を高く放り投げた。
 耳障りな音がして、人形が天上に激突した。破片がばらばらと降り注ぐ。
「完・全・勝・利ッ!」
 リンセリアは仁王立ちになってVサイン。そこへ人形の破片の最後の一つ、鎌が一本落ちてくる。仁王立ちのまま慌てて一歩下がるリンセリア。
 鎌は胸元をかすめて地面に突き立った。仁王立ちのまま真っ青になるリンセリア。ミセナが駆け寄る。
「リン姉さん! 大丈夫!?」
「う、うん。怪我はないっぽい……」
 へなへなと座りこむリンセリア。呼吸を整えて顔を上げると、ミセナが顔を赤らめているのが眼に入る。頭上にクエスチョンマークをつけてミセナを見ると、ミセナは黙って自分の胸を指差した。リンセリアは下を見る。襟から胸まで、服が綺麗に切り裂かれて、白い胸元がのぞいていた。そのわりに肌にはまるで傷がついていない、鎌を避けるタイミングがほんのわずかに速くても遅くてもこうはならない、まさに奇跡的な状況である。
「はわ!」
 事情を察して、リンセリアも真赤になる。
「――エオルスさんに見られる前に、隠す算段をしておきなよ」
 リンセリアはうなずくと、人形から飛び散った木片を拾い、裂かれた服の前に刺して繋ぎ合わせ、応急処置とした。
「とりあえず18禁は免れたね」
 からかわれて、リンセリアは頬を膨らませる。立ち上がると、二人は並んで扉に向かった。
「リン姉さん」ミセナが問い掛ける。「狼牙棒は?」
 自分の武器を置き忘れるところだった。慌てて駆け戻り、落ちている狼牙棒を拾い、扉のところに戻る。
「もう忘れ物はない?」
 リンセリアはちょっと考えて、またステージに戻った。
 つかつかとピアノに歩み寄る。ピアノの前には、まだゾンビが座っていた。
 害意を感じて、ゾンビは緩慢に立ち上がろうとする。リンセリアはその脳天に狼牙棒を叩きつけた。腐肉と頭蓋骨の骨片が弾け飛んで、ゾンビは倒れて起き上がらなくなった。


    ◆ 4-3 死霊の城の冒険の結末 ◆

 ラエスタン・コルティナル。魔神ロードポリウスを再封印した勇士。
 しかし彼は人間であり、爾来、魔神と戦うにはまるで力不足である。そこで彼は二つのものを探し回った。一つは彼とともに戦う仲間。もう一つは、魔神に抵抗するためのさまざまな魔道。
 勇士が集めた魔道の一部はアルリュート城の書庫に保管され、一部は彼の子孫に伝えられた。だが、もっとも危険だとされた魔道――人を意のままに操る術は、それを記した書物を泥棒に盗み取られたことにより、永遠に失われた。
 ――と、世間では思われている。
 玉座に座した中年の小男はひとりごちた。
 ――その魔道を利用して権力を狙った者がないのが明白な理由だ。だが――。
 思い出すたびに顔がほころぶ。
 ――その魔道を使う者が現れなかったのは、単独ではなんの役にもたたない魔道だからだということを、知る者はおるまい。
 人を思いのままに操る魔道。それは強力無比であるがゆえに、至難の条件を満たさねば効果を発揮しない。その条件とは、魔道をかける者が二十四時間、対象となる者と目を合わせ続けなければならないこと。
 ――あの娘との出会いを与えてくれた、王都の擾乱に感謝せねばな。
 金属がきしむ音が響いて、二つの扉が開いた。

 扉に入った瞬間、それまで前を歩いていたエオルスが影も形もなく消え失せた。思わず振り返ると、リンセリアはちゃんとついてきている。出た場所は、四方十歩ほどの演壇ふうのところで、下階の広間と吹き抜けになっている。広間からの高さは六メルトルといったところか。腰くらいの高さの転落防止用の柵がついている。
 演壇の端まで行って下を見下ろすと、広間を歩いていくエオルスが見えた。エオルスのほうでも気付いて、声をかけてくる。
「こりゃどういうことだ?」
「たぶん、時空魔道で引き離されたんだろう」ミセナが答える。「今そっちに行く――」
「ミセナちゃん!」
 振り向くと、ドアからゾンビの大群がうぞうぞと入って来ていた。数は二十や三十ではない。おっとりがたなで弓を構え、瞬く間に数体を射倒すが、まるで数が減る様子がない。
「彼女らは先の階の課題をきちんとこなさなかったからな」男の声。「ペナルティを課されるのが当然だろう」
 ミセナとリンセリアはともかく、エオルスにとっては聞き覚えのある声だ。
「意外なところで会うじゃないか」ひきつった笑いを浮かべて、エオルスは言う。「――アルベオ・ポリポルス、宰相どの」
 広間の奥の闇の中から現れた、中年の背が低い男は――まさしく、王都壊滅のおりに行方知れずとなった、宰相アルベオにほかならなかった。
「久しぶりじゃな、エオルス君」
「あんたが――『死霊の魔王』なのか?」
「いや。死霊の魔王は若い女だと聞かなかったかね?」
「では死霊の魔王の部下になったのか?」
「その逆だよ。わしがコーヴィ・オンジーナを操っておるのだ」
 ちらと上階に目をやる。リンセリアが前に立って敵をなぎ倒し、ミセナが後ろから矢と魔術で攻撃している。包囲されてしまってはいるが、ゾンビが百体いようと二人を倒せそうには見えない。今のうちに聞けるだけ情報を聞き出しておこうとエオルスは判断した。
「コーヴィとは何者だ?」
「もとの名をイラ・コルティナルという。勇士ラエスタンの末裔にして、失われた数々の魔道の継承者。いずれ引き合わせようぞ」
「この城を落とした目的は?」
「王都転覆以来、マッタンゴー王国にもはや過日の勢いはない。しかしティロピラス、メラノスポルムも、王国を滅ぼすほどの勢力には至っていない。小規模な諸侯や自治都市は吹けば飛ぶような勢力しか持っておらぬ。魔衆もまた、大陸の内乱につけこむどころか、その影響のもとに分裂してしまっておる。
 マッタンゴーはすでにそなたを出奔という形で失い、ティロピラスでは裏切りのためにトレメルが死んだ。メラノスポルムは未だ力を固めるに至らないまま、インディカムとアルボアによって多くの勇士を討ち取られておる――三つの勢力が互いに力を損ない合うさまはかくのごとし――」
「待て、宰相どの」エオルスが問い掛ける。「俺が王都を去ったのは二週間前だぞ。ましてトレメルどのが死んだなど、俺にとっても初耳だ。一月前からこの城にこもっているあんたが、どうしてそれらの情報を得ているんだ?」
「提供者がおる――」
 ドアが開くぎいという音が聞こえて、左から騎士が一人現れた。髪を七対三にぴっちりと分け、金縁の眼鏡、紫のマントを羽織っている。歳は二十代後半、目の下の隈と出ばった頬骨が人に陰気な印象を与えている。
「あんたとも久しぶりだな」エオルスはさも意外そうに口笛をひゅうと吹き、名を呼んだ。「第十二副隊長、リューコム・ボレト。団長を裏切って宰相の側についたのか?」
「わたしはね、エオルス隊長どの、マッタンゴーにもティロピラスにも未来は感じないのですよ。わが上官のジャンシア隊長にも、すっかり失望させられてしまいました」リューコムが答える。「それよりは、一か八か、大陸を飲み込む勝負に出ようかと」
「ジャンシアちゃんに失望ねえ」エオルスはまた口笛を吹く。「あんたら第十二隊は、あの子の尻を眺めながら戦うのが生き甲斐だったんじゃないのか?」
「誤解を招く言い方はよしてくださいよ。あなたと違って、わたしには男色趣味はない」リューコムもにやりと笑う。「トレメル隊長どのに関する質問がおありでしたな。ではわたしが答えましょう。トレメルどのを殺したのはジャンシア隊長なのですよ。ジャンシア隊長は、謀反人のアルボアどのに従ったインディカム団長に反対しておられましたからね。トレメルどのを暗殺し、コラベーン城を乗っ取り、その二つを手土産に、コルヌ団長代行のもとへ寝返ったわけです。
 ところが困った。コルヌどのとラテリトどのが指導するマッタンゴーは、過日の栄光と繁栄などどこへやら、民草を苦しめ戦に駆り立てる、どうにもならない国家に変わってしまっていたわけですな。マッタンゴー王国の現状には幻滅し、さりとて、トレメルどのを殺してしまった以上、アルボアどのとインディカムどののもとへは戻れない。かつての同僚で、再び同僚となったフラムル隊長やフロッキ隊長からも、裏切り者とて白い目で見られる始末。で、ジャンシア隊長、ひどく憔悴してしまいましてね。当初、ジャンシア隊長が王国に戻ったおりは、エオルスどの、あなたの穴を埋めるものと期待されたんですが、これがまるで。
 というわけですよ、エオルス隊長、わたしがジャンシア隊長に失望したのはね」
「気の毒なジャンシアちゃん。会う機会があったらなぐさめてやるか」エオルスは嘆くまねをし、アルベオを見る。「さて、これからどうなさるおつもりで?」
「すでに察しはついておるだろうが、このアルリュートを拠点に、第四の勢力を作るのだ」アルベオは言う。「死霊の魔王、優れた将帥、たやすく死なぬアンデッドの軍勢を率いて、手始めにカロ・ボレタを血祭りに上げる。そのままアルボアとコルヌを倒してしまえば、メラノスポルムなど戦わずして陥落するであろう。返す刃でアマニタの土地を蹂躙し、オニドさまの為し得なかった大陸統一を成し遂げるのじゃ」
 アルベオは胸に手を当て、どうだと言わんばかりに気焔を上げる。エオルスは三秒黙る。それから、大声を上げて笑い出す。
「どこの馬の骨だか分からんお嬢ちゃん、陰気で呪術しか能のない副隊長一人、百体でかかっても女の子二人を殺せない薄のろゾンビ軍団! それを率いて――手始めにカロ・ボレタを血祭りに上げる!? はっ! ボレタ伯だって倒せんぜ、とてもじゃない、無理だ! くくっ、可笑しくって腹が痛くならあね!」
「笑っておるのも今のうちぞ」アルベオは陰気に言う。
「なに? あんたたち二人で、俺を倒すとでも言うのか?」エオルスは笑いを止めない。「ますますもって不可能だぜ、そいつは!」
「エオルス隊長どの、あなたにも我が一党に加わっていただきます。拒絶はできませんよ」リューコムが言う。「あの男のようにね――」
 がたん、と扉の開く音。右から響く大きな足音。出てきたのは、足音に似合わぬ中背の男――足音の正体は、男がかついでいる巨大なモーニングスターと知れた。釣りあがったまなじり、いかつい肩、逆立った赤い髪――歴戦の戦士の風貌だ。そして、眼の焦点が合っていないのは、意識を保っていない証拠である。
「戦え、ジャヴァ!」アルベオが命じる。「その男を生け捕りにしろ!」
 エオルスは長剣を抜いて構える。ジャヴァの鉄球が襲う。エオルスは跳び上がってこれを避ける。床が砕ける。
「お前は魔衆だろう! なぜアルベオどのに従う!?」
 ジャヴァは答えない。第二撃にかかる。
「話は聞いていた」演壇からミセナが叫ぶ。「おそらく、ジャヴァは生体操作の魔道にかかっている。この魔道は失われたものだと聞いていたが」
「ラエスタンが死んで一世紀半、」アルベオが笑う。「とうとう失われたはずの魔道を操る者が現れたわけだ。――ゆけ、ジャヴァ!」
「殺してはだめだぞ、エオルスさん!」ミセナが声をかける。
「――殺してはだめか、そいつは難題だな」エオルスは苦笑する。「まあいいや、やってみよう。――薄氷は脆しといえども鋭く硬し、奔って肉を引き裂け、『アイスブランド』!」
 エオルスの左手から氷の剣が走る。魔術を放つと同時に、右手の長剣を水平に構えて直進。ジャヴァは左右に跳んで魔術をかわすだろう、その隙をついて懐に入り込もうというのが、エオルスの腹だ。
 ところがジャヴァはかわさない。なんと左の拳を握って氷の剣を殴って壊した。左手の甲から少し血が流れるが、ジャヴァは意に介さない。モーニングスターを振り回した。まさに鉄球の間合いに達していたエオルスは、あわてて跳びすさり、からくもこの一撃をかわす。
「エオルスさん、今助けに行くよ!」ミセナが叫ぶ。「リン姉さん、ここは一人でも大丈夫だね?」
 リンセリアはうなずく。ミセナは翼を出すと演壇から飛び降りた――が、いつまでたっても下の広間に行き着かない。まるで空中で静止してしまったようだ。
 ――ここも時空魔道で空間が引き伸ばされている。
 今度はどれほど距離が伸びているかわからない。そう悟ったミセナは、無理をせず段上に戻る。そしてリンセリアに耳打ちする。
「エオルスさん一人では、ジャヴァの相手はきつそうだ。まして殺しちゃならないとなるとね。でも、たぶん時空魔道だろうけど、下にはたどり着けそうもない」
「うん、で、どうしようか?」
「おそらく、時空魔道を使っているのは下の二人ではなく、死霊の魔王だ。コーヴィだかイラだか知らないが、その女を倒せば魔道は解除される」
「じゃ、問題は、どうやってその人を引きずり出すか、だね」
「こんなゾンビを何百体差し向けても、僕たちを倒せないってことを、下の二人に理解させよう。そうすれば、イラを出さざるをえないはずだ」ミセナは言葉を強めて、続ける。「僕に策がある。任せてくれる?」
「おっけ。どんな策でも従うわ」
 リンセリアが言い終わるやいなや、ミセナは弓を足元に捨て、その手でリンセリアの左胸をわしづかみにする。ひゃわ、とリンセリアは悲鳴を上げ、狼牙棒を滅法に振り回す。
「聞け、アルベオ宰相!」ミセナは顔を下階に向けて叫ぶ。「こんなゾンビをいくら出したところで、僕らを殺せはしない。見ろ、セクハラしながら/されながらでも相手にならないね!」
 リンセリアは悲鳴を上げながら狼牙棒でアンデッドの群れをなぎ倒し、ミセナは左手でリンセリアの胸をもみながら、右手で風の魔術を放ち、ゾンビを粉砕していく。見た目は滑稽だが、二人の戦闘能力が高いからできることだ。
「畜生、羨ましいことを」エオルスはつぶやく。そこへジャヴァの鉄球が襲い、エオルスはとびのく。「おっと危ない。おいあんた、あれを見て心が動かされんのかね?」
 ジャヴァは応じない。しかしアルベオとリューコムは腹を立てていた。
「イラを、死霊の魔王を出せ、アルベオ!」ミセナはリンセリアの左胸を揉みしだきながら叫ぶ。「でなきゃ、アンデッド兵が全滅してしまうぞ!」
「そのまえに、あ、あたしがお嫁に行けなくなっちゃうってば!」
 リンセリアはミセナを振り払おうと暴れるが、ミセナは離さない。その間にも、ゾンビたちはあるいは頭蓋を打ち砕かれ、あるいは風に切り刻まれて、一体また一体と倒れていく。ゾンビから飛び散る腐った返り血で、ミセナとリンセリアの顔や服は汚れている。そういう状態の二人がもつれあいつつ暴れる様子は、エロティックでありながら相当にグロテスクだ。
「ええい、ふざけた真似をしおって!」アルベオが声を荒げる。「なら望みどおり、おまえたちを死霊の魔王の手で葬ってくれよう。出ろ、コーヴィ・オンジーナ!」
 ゾンビの群れがしずしずと脇へ退く。そして戸口に女が現れる。
 ミセナはリンセリアの胸から手を離す。リンセリアは肘でミセナの頭を小突き、ちょっと睨むが、何も言わない。目の前の敵に集中しなければ。しかし。
「コーヴィ・オンジーナ……これが……死霊の魔王?」
 リンセリアは思わずつぶやいた。
 若い女というより、まったくの少女で、歳は15歳を越えているようには見えない。緑と茶を基調とした魔道師の服を身につけているが、あまり似合っていない。武器としてはありふれた術師向けの杖をたずさえているきり。中背で少しぽっちゃりとした体型、金髪でくせっ毛、少し垂れた眼に眼鏡をかけ、頬は赤くふっくら、同じく柔らかそうな手は、彼女に戦闘経験がほとんどないことを示している。
「見た目に騙されちゃいけない、これも母上の教えだよ?」ミセナが諭す。「二人でかかって一息につぶしてしまおう。はやくエオルスさんを助けに行かないと」
 言い終わると、全身に魔力を巡らす。リンセリアもこれに倣う。下階のエオルスやリューコムは思わず息を飲んだ。ミセナの魔力は疾風に似て、何もかも切り裂かずにはおかないほど鋭く、リンセリアの魔力は雲海のごとく、果てが見えないほど巨大である。これに応じてコーヴィも魔力を発するが、二人の前では月光と蛍ほどに差がある。
 ――正体見たり、死霊の魔王。楽勝だな。
 リンセリアを戒めておきながら、ミセナも密かにそう思った。
 ミセナは剣を抜き、リンセリアは狼牙棒を振りかぶって、武器の先端に魔力を集中させる。視線をかわし、うなずきあう。次の瞬間、二人は同時に地面を蹴り、コーヴィに打ちかかった。コーヴィは杖をあみだに構えてこれに応じる。
 ――向こうは大丈夫そうだな。エオルスは思う。さて、こっちは。
 手足のように鉄球を扱うジャヴァ。エオルスは長剣の間合いに踏み込めないでいる。ならばとアルベオを狙って暗器を放ってみたりもしたが、リューコムに防がれてしまった。一対一ならリューコムなどエオルスの相手ではないが、ジャヴァの攻撃を避けながら倒すのは困難だ。
 ――奴を操っている術者を倒すことも出来ず、殺してはいけないという制約がある以上、思い切った攻撃を仕掛けることも出来ない、と。自分と同等以上の実力がある奴を生け捕りにしなきゃならんというのは、やはり難しいもんだな。
 いろいろと考えてはみたが、結論は出ていた。武器を破壊すればよいのだ。
 ――魔の製法で鍛えられた武器を砕くのは容易くはないが、酸の魔術で金属を腐蝕させ、すぐに剣の一撃を打ち込めば、切り裂くことができるかもしれん。
 作戦は定まった。呪文の詠唱を始める。
「生ける者も命なきものも、等しく腐り爛れよ……『アシッドレイン』」
 ジャヴァの鉄球が迫る。酸の水が鉄球を直撃する。そこへ思い切り踏み込んで、長剣で一突き。大きな音を立てて鉄球が砕ける。さらに踏み込みをいれ、対処しかねているジャヴァの腹に一撃を入れる。
「ふっ、安心しろ、峰打ちだ――誰もが一度は言ってみたい言葉だな」
 ジャヴァの身体がくずおれる。背後で爆発音。上の戦いも終わったかな、と振り向いて様子を窺う。一驚。
 コーヴィの身体には傷一つついていないし、服すら汚れていない。対して、ミセナは吹き飛ばされて柵に背中をぶつけ、リンセリアは身体を切り刻まれ、狼牙棒を杖にしてなんとか立っている。
 げほっ、と血を吐くと、ミセナはふらつきながらも身を起こした。剣を投げ捨て、素手でコーヴィに打ちかかっていく。コーヴィは杖で迎えうつ。杖をかわして懐にもぐりこんだミセナは、拳でコーヴィの腹部を一撃。力が抜けて、コーヴィはずるりと倒れる。
「ミセナちゃん、今の――」
「吸邪の魔道だ――この娘がラエスタンの裔だというのは、どうも事実らしい」
 ぱんぱん、と拍手の音。アルベオである。
「一度で見抜くとは素晴らしい」
 吸邪の魔道は、字の如く、相手の魔力を吸い取る術である。コーヴィはこの術で二人の魔力を吸い取り、さらにミセナの魔力をリンセリアに、リンセリアの魔力をミセナにぶつけたのだ。ミセナの鋭利な魔力を受けたリンセリアが創傷だらけになり、リンセリアの強大な魔力を受けたミセナは吐血するほど激しく叩きつけられたというわけだ。魔道に勘づいたミセナは、魔力を絶って格闘だけの勝負を挑み、コーヴィを倒したのだ。
 剣と弓を拾い、翼を出すと、リンセリアを抱きかかえ、ミセナは壇上から飛び降りる。今度は何の障碍もなく、広間に降りることが出来た。
 ミセナとリンセリアはエオルスの横に並び、なんとか真っ直ぐに立って、アルベオとリューコムに相対する。
「お名前をうかがいたいものですね、お嬢さんがた」リューコムが言う。
「トリネラの領主、『碧空の魔王』、ミセナの娘ミセナ」
「グリスクラの領主、『霧の森の魔王』、キンナの娘リンセリア」
 名乗りを聞いて、リューコムが目を見開く。
「本物の十二柱――それも二人一度にお目にかかれるとは、わたしたちはついている! そうではありませんか、アルベオさま?」
「いかにも。我が旗揚げには願ってもない生贄よな」
 ミセナは苦痛に顔を歪め、片目を閉じ、肩で息をし、それでもアルベオの言葉を鼻で笑う。
「たしかにこの身に受けたダメージは軽くない。が、君たちふたりに遅れをとるほどじゃないぞ」
「だが、これにはどうじゃな?」とアルベオ。「光神ペリュシドの使徒にして、闇のうちに潜みて闇を喰らう者、我が命によりて魔なる者たちを退け――」
 召喚術だ、と悟ったミセナたち三人は、それぞれに武器を構えてアルベオに打ちかかる。リューコムがこれをかばう。ミセナの細身の剣はなんとか受け流し、エオルスの長剣を魔法の障壁で防ぐ。リンセリアの棒の一撃は受け流し損ね、リューコムは打ち倒された。
「滅べ!」ミセナが飛び込む。
「もう遅いわ」アルベオが笑う。「喰らい尽くせ、アノプシド!」
 空間が縦4メルトルほどの亀裂が走り、異形の怪物が姿を現す。上半身は白衣をまとった女性の身体だが、下半身は蛸。女性の顔の、眼があるべきところに眼がなく、かわって長大な触手が二本生えている。見るべきものを見ず、自らの本能が気に入らぬものは全て喰らい尽くす、理性を失った光の姿だ。
「ぐるるぅおおううぅ――」
 怪物が可憐な唇を開き、腰が竦むような咆哮を上げる。口中に長い牙と舌がのぞく。
 三人はじりりと下がり、声を失う。
「くははははっ!」リューコムが笑う。「魔王二人は重傷を負い、騎士は疲れ果てている! 万全ならば聖獣も倒せるでしょうが、今の状態では手も足も出ますまい! お分かりか、コーヴィもジャヴァも捨て駒! 切り札は宰相の手の内にあったのですよ!」
「ごばるぅあぁぁ――」
 吠え声を止めず、触手をわさわさと動かし、おぞましき聖獣アノプシドが三人に迫る。
「二人で奴の注意をひきつけてくれ」ミセナがエオルスとリンセリアに耳打ち。「僕が奴の首を撃ち落とす」
 返事を待たずにミセナは飛び上がった。エオルスもリンセリアも、とりあえずはミセナの作戦に乗るしかなく、おのおの武器を構え、アノプシドに打ちかかった。エオルスの剣がアノプシドの足の一本を切り落とし、リンセリアの狼牙棒も同じく足の一本を叩き潰す。アノプシドは二人に顔を向け、残った六本の足でからめとろうとした。部屋の天井からミセナが急降下し、アノプシドの首に剣をたたきつける。思いもかけない手ごたえがあった。柔らかそうな白いうなじは、鋼鉄のように硬かったのだ。
 ミセナは再び上空に逃げる。
「それならこれだ。――牙を剥いて喰らえ、『デス・イー……うっ!」
 コーヴィに魔力の大半を吸い取られてしまったため、蜃気楼の魔道を使うほどの力は残っていなかったのだ。負担に耐え切れず、背中の翼が一瞬消え、空中でミセナはバランスを崩した。そこへアノプシドの眼の触手が襲い、ミセナを捕えてしまった。
 見下ろすと、下の二人も、アノプシドの蛸足に捕えられていた。
 アノプシドは口をありえないほど大きく開ける。舌が伸びて、ミセナの身体を舐める。
 ――もはやこれまでか!?
 観念して目を閉じたとき。
「メイド式護衛術――螺旋掌!」
 天井から降ってきた影が、アノプシドの触手と舌を切断した。
 地に投げ出されたミセナ、受身をとって体勢を立て直す。アノプシドに正対するのは――漆黒のメイド服を身にまとった、うら若き女性。
 メイドは、さらに一蹴りを浴びせ、アノプシドの足を切断する。解放されたエオルスとリンセリアは、よろめきつつも踏ん張って武器を構える。
「怪我はどれほどですか?」顔は聖獣に向けたまま、メイドが問う。
「致命のものじゃない」ミセナはエオルスとリンセリアの様子も見て、どうやら二人とも命に関わるダメージは受けていないと知り、そう答えた。「メイドさん――さっき、どこから降りてきたんだ?」
「緊急事態のようでしたから」メイドが振り向かずに応じる。「城の屋上から直接、壁をすりぬけて入りました。時空魔道のかかったダンジョンを攻略するには、さすがに少し時間がかかりますので」
「あんた――何者だ?」とこれはエオルス。
「私は――」
「気をつけろ!」ミセナが叫ぶ。
 遅い。
 聖獣は巨大な赤い口を開け、メイドが立っていた床ごと、彼女を飲み込む。
「……はっは!」アルベオが哄笑し始める。「小間使いめ、分をわきまえぬからそうなるのじゃあ!」
「この程度ですか?」
 唐突に、全くの唐突に、アノプシドは爆散した。
 聖獣の残骸の上、返り血とそして闇を体にまとわりつかせ彼女は立っていた。
 呆気に取られるミセナ。エオルス、リンセリアも。そしてアルベオも。
 一番先に我に返ったのは、意外にもリューコムだった。
 呆けているミセナにそっと近寄り、急に剣を突き出す。さすがにミセナはすぐに気付き、これを避けるが、先ほどの聖獣との戦いで剣を取り落として丸腰になっている上、深く踏み込まれて反撃の期を失った。二太刀、三太刀とかわしながら、剣が落ちている先へ向かおうとするが、リューコムは巧みな攻撃でそれを遮る。
 リューコムの頭蓋の上半分が、いきなり弾け飛んだ。
 弾き飛ばしたのはリンセリアだ。ミセナの危機を見やるやいなや、狼牙棒を拾った彼女は音もなくリューコムに近づき、その脳天を薙ぎ払ったのだ。
 血しぶきを上げながら、リューコムが倒れる。
 リューコムの無残な死を見たアルベオは、怖気をふるって逃げ出した。弓矢を拾ったミセナが、宰相の首を撃ち落とした。
 ふう、と一息つき、ミセナはメイドを見る。
「ひょっとして……エモーダ・レテ……『冥土の魔王』?」
 メイドはふっと微笑む。ばれてしまいましたね、の意味だ。
 うぐっ、とうめき声。見ると、エオルスが頭を抱えてかがみ込んでいた。
「あ、エオルスさん!」リンセリアが駆け寄る。「どこか大怪我でも――?」
「いや、怪我じゃないよ。ただ、終わってみると辛いもんでな」エオルスはリンセリアを見上げて言う。「知り合いが別の知り合いを殺すことほど、辛いことはない」
 嘆息するエオルス。リンセリアとエモーダはその意味を図りかねる。
「ひょっとして」とミセナ。「ジャンシアという隊長がトレメルとかいう隊長を殺したっていう、連中の話か?」
「それもある。それに」エオルスはあごで、アルベオの転がった首と、リューコムの惨死体を示す。「そいつらもさ。終わってしまって、戦ってる間の興奮が消えると、なんだか気の毒にすらなっちまう」
「そういうものかな」ミセナはつぶやく。
 またうめき声。今度は少し離れたところから。ジャヴァが頭を掻きながら半身を起こし、壇上でもイラが目をこすりながら立ち上がる。
「ええい、畜生!」まずジャヴァが叫ぶ。「人間の魔道に引っかかって、思うままに操られるなど、我が生涯の不覚! レイスさまに申し開きも立たんわ」
 大声にうろたえたか、壇上のイラは固まったように動かなくなってしまった。
「とりあえずこれで一件落着だ」ミセナが言う。「話はニコラさんのもとでしよう」

「見ろ、魔王が帰ってきた!」
 沿道から声援がとぶ。リンセリアが先頭に立ち、ジャヴァ、エモーダ、エオルスと続く。そのあとにイラが従い、しんがりはミセナが務める。
 やんやの喝采。ところがイラを見知った者がいた。罵声が混じる。イラは竦んだようになる。ミセナは野次を飛ばした者を睨みつける。観衆は黙り込む。
 ニコラが迎えに出て、六人を役場の執務室へと招いた。

「わ、わたしは、イラ……イラ・コルティナルといいます」これまでの経緯を説明するよう求められ、イラは言った。「あの、その……」
「アルベオと出会った経緯を聞かせてくれないか」何を言えばいいか迷っているのを見て、ミセナが助け舟を出す。
「はい。わたし、もともと王都に住んでいました。そもそも、祖先ラエスタンの残した魔道を狙って、悪心をいだく者がコルティナルの一族を襲うことは多く、曽祖父も祖父もそういう人たちを避けて各地を転々渡り歩いていたのですが、父はそれより、人口の多い王都に隠れ住んだほうが見つかりにくいと踏んだようです。
 母はわたしが小さい頃に亡くなりました。父はコルティナル直系に伝わる魔道をわたしに授けてくれたのですが、習得の途中、急病のため鬼籍に入ってしまいました。父がみまかったとき、わたしは十三歳で、父の遺した書物を見て魔道を学びました。その勉強はつい先日まで続けていました。
 王都の騒乱のおり、魔物に襲われている人をわたしはかくまいました。それがアルベオでした。
 アルベオは書物をのぞき見て、わたしが何者か知ったようです。それで呪縛の魔道を授けて欲しいと頼まれたのですが、ラエスタンの魔道をほかの人に伝えることは禁じられていますので、断りました。ところが、アルベオは隙を見ては魔道書を読み、ついに呪縛の魔道を習得したようです。
 アルベオが呪縛の魔道を欲しがったのは、次のような理由からです。
 アルベオは失われたはずの生体操作の魔道を使うことができました。しかし他人をこの魔道にかけるには、クリアしなければならない条件があります。それは、その人と二十四時間、まばたきもせずに目を合わせていること。
 むろん、普通ではこんな条件をクリアするのは不可能です。それで彼は呪縛の魔道を手に入れ、それを相手と自分にかけて動きを封じ、その上で生体操作の魔道にかけるという方法を思い立ったんです。わたしはあっさり罠にかかり、彼に操られ、とうとう死霊の魔王なんかに祭り上げられて、みなさんに迷惑をおかけすることになってしまいました――」

 その後の幕間劇は、以下に紹介する。まず、ジャヴァはすぐに帰っていった。
「この件については詳しくレイスさまに報告しておく。自分の失敗も隠したりはせんぞ。ニコラどのからも文書で報告を上げておいてくれ。リンセリアどのの中立を脅かさぬよう、という頼みは、承知した。これもレイスさまに申し上げよう」
 ジャヴァはミセナを指差し、
「ぺルラトの恨みは忘れていない。だが、この一件では借りが出来たな」
「気にするな、ジャヴァ」ミセナも冷笑する。「借りとやらはその鉄球で、利子をつけて返しにこればいい。僕に受け取るつもりはないがな」
「ふん、気に入らん奴だ」
 そう言い捨てると、騎獣に乗って暗黒大陸へと飛び去っていったのだった。
 ジャヴァを見送ると、ミセナは所在なげに立っているイラに声をかけた。
「君はこれからどうするつもりだ?」
 イラはうなだれる。
「王都はあんなですし……わたし……どうしたらいいのか……」
 ミセナはニコラのほうを向いて、
「ニコラどの、イラも一晩、泊めてあげてください」
「それは構いませんよ」
「イラ、とりあえず今晩はここで休んで、ゆっくり考えてみなよ」
「は、はい」
 ややあって、ニコラはミセナに言う。
「今回の騒動を収めて下さったこと、どうお礼をすればよいか」
「よしてくださいよ。リン姉さんとエオルスさんの助けがあってのことです」ミセナは思案顔になって、「しかしお礼をくださるなら――そうですね――とりあえず、お風呂を沸かしていただけませんか。アンデッド兵との戦いで、ずいぶん返り血を浴びてしまいましたから」

 というわけで、エモーダは城の地下浴場を大急ぎで掃除し、ミセナとリンセリアにあてがった。この浴室は東方式の巨大な浴槽を備えたものである。ちなみにエオルスは役場で順番待ち。
「うう、っつうう……」湯船につかったリンセリアがうめき声を上げる。「お湯が傷にしみるぅ……」
「どうだったかな、僕の魔術の切れ味は?」ミセナもやはり痛いらしく、まなじりをひきつらせながらも、笑う。「僕の全力の魔力を受けて生きていたのは、姉さんで十一人目だよ?」
「それ、多いのか少ないのか微妙に分かんないね」
「ま、二人で冒険してたころから、色々と手ごわい敵に遭ったからね。今日は一度に二人も増えたわけだし。姉さんと……」
「あのっ……!」
 声がしたのでドアを見ると、脱衣室に誰か立っていた。すりガラスごしには顔は見えないが、小柄な体格や服の色合いなどから、イラだろうと察しをつけた。
「イラちゃんだよね? どうしたの?」リンセリアが声をかける。
 ドアの外でイラはしばらくもじもじしていたようだが、やがて思い切り頭を下げた。
「す、すみませんでした!」
「何を謝るの?」リンセリアが尋ねる。「操られてたんでしょ」
「でも、魔道を盗まれたのはわたしの責任ですし……そのせいで皆さんに大きな迷惑を……それに、お二人には、吸邪の魔道で大怪我をさせてしまいました……」
 リンセリアがなだめにかかろうとするのを、ミセナが止めた。
「確かに、吸邪の魔道の威力は凄まじいものがあったね。自分の十倍以上の魔力を敵から吸い取ってはね返すんだから。生きた心地もなかったよ」
「ごめんなさい……その……お詫びでしたら、どんなことでも……させていただきますから」
「どんなことでもなんて、気安く言わないほうがいいよ? ほんとに、何をされるかわからないから痛たっ!」
 ミセナが急に悲鳴を上げたので、何事かとイラは顔を上げる。リンセリアがミセナの耳を引っ張っているらしい。怒声が聞こえてきた。
「本気で言ってるんじゃないよねえ、ミセナちゃんのすけべ、サド、変態!」
「よ、よせっ! 僕は例えばの話をしているのであって、実際にそんなことをするなんて断じて……」
「眼が何か企んでるぞ、ミセナちゃん!」
 うあう、と一際大きな悲鳴。堪えかねてイラが口を出す。
「あの、本当に……なんでもしますから……」
 ――うわあ、どMだこの娘。犠牲者二号確定。――犠牲者一号は、もといリンセリアはあきれ果てて、ミセナの耳から手を離す。
「もう一度確認するけど」ミセナが言いかけると、
「平気です」イラが遮る。「それに、ミセナさまは、そんなに酷いことは言わない人だと思いますから」
「わかんないよ? 考えてみるといい、僕はアマニタだぞ? 血肉を好み、人殺しを厭わない、残忍なアマニタなんだぞ?」
「祖先のラエスタンのパーティには、アマニタも大勢加わっていたと聞いています」
「その中の一人に裏切られて、とんでもないことになったんじゃないか」ミセナは嘆息する。「でもまあ、それだけの覚悟があるのなら――」
 間を取る。イラはごくりと唾を呑み込み、何も言わずに、ミセナの言葉を待つ。
「――とりあえず、背中でも流してもらおうかな」
 言葉の意味を理解すると、イラは破顔した。
「は、はい!」
 答えて、イラはいそいそと服を脱ぎ始めた。浴室からリンセリアが声をかける。
「気をつけろ~、イラちゃん。ミセナはすごくエッチなことをするつもりだぞっ」
 ぐわあああん、と、シンバルか何かでも叩いたかのような、いやに大きな音が響く。
「するか!」

 夜道を歩く風呂上りの少女三人。
 ――注釈をつけておくと、イラの純潔に危機が迫ったりはしなかったらしい。
「さて、イラ」ミセナは改まって声をかける。「どんなことでもすると言った以上、僕の頼みを聞いてもらいたいんだが」
「は、はい」イラは緊張の面持ち。
「明日から、僕はアルリュート城の書庫の調査を始める。ついてはこれを手伝って欲しい。これが頼みの一つ」
「え……あ、はい、喜んで」イラは笑って応じる。仕事を手伝えということは、しばらくここに逗留してもよいということだ。だから、礼を言わなければならない。「ありがとうございます」
「もう一つ。これは気安くないぞ」ミセナは真面目な顔で、「――吸邪の魔道を、僕に授けてくれないか」
 ラエスタンから伝わった魔道は、いずれも邪悪で危険なものばかり。言い換えれば、そんな魔道を使わなければ魔神であるロードポリウスとの力の差は埋まらなかったわけだが――それ故、子孫以外の者への伝授は禁じられてきた。確かに気安くない話だ。
「あの、その……なんでもする、って言ったとき、あれだけ念をおしたのは」イラがうつむいて言う。「そのためだったんですね……」
「ミセナちゃん、無理強いは」リンセリアが袖を引っ張る。
「僕には力が必要だ」ミセナはリンセリアの手を振り払う。「だから無理を承知で頼んでる」
 ミセナはイラをじっと見つめる。イラは地面とミセナの顔を交互に見、やがて言った。
「わかりました。――でも、悪いことには使わないでくださいね?」
「善悪なんて相対的なものだ」ミセナは首を振る。「でもまあ、僕が悪事だと知っていることには、使わないと誓うよ」
「では、それも明日から」
「感謝するよ。イラ――いや、師匠」
「そ、そんな、ミセナさま!」イラは顔を真赤にする。「師匠だなんてよしてください」
「師匠、弟子の礼をお受けください」
 言うと、ミセナは跪き、頭を地面につける。イラはますます赤くなり、あわを食う。
「イラちゃん、慌てることないって」リンセリアが肩を叩く。「いたずらだから」
 リンセリアはミセナの首根っこをつかまえて引き起こす。ミセナの顔は可笑しさと笑いをこらえているのとでイラより赤くなっている。
「いや、人をからかって遊ぶのは楽しいね」
「こういう奴なのよ。昔はマジメだったのに、変貌しちゃったの。歳をとるって嫌よね」リンセリアはミセナを指差して言う。「あんまりグリスクラを留守にしておけないから、あたし、明日で帰るけど、不安だなあ。イラちゃんがミセナちゃんの毒牙にかからないかどうか」
「むっ、どうしても僕をエロキャラにしたいのかっ」
「だってあたし、まだ胸をつかまれたお詫びを聞いてないんだもん」
「あれは作戦で」
 リンセリアはにやっと笑うと、ぐっと一歩、ミセナに詰め寄る。
「ふふん、作戦とか言って、本当はあたしの胸に触りたかったんでしょうが。そんなに羨ましい? ぺタ胸魔王さま?」
「うぐっ、ぺ、ぺタ胸……?」
 眉間にしわを寄せるミセナ。すわ喧嘩が始まるぞ、と思ったイラは、止めに入るべきかどうか悩む。リンセリアはかまわずに追撃をかける。
「ふん、触りたいならそう言えばいいのに。どうせ女同士なんだからさ~」
 ミセナは青ざめ、顔を下に向ける。リンセリアには見えなかったが、背の低いイラには、ミセナがよからぬことを思いついたのが、その顔に復讐の悦びがよぎるのが、はっきり見えた。ややあって、ミセナはくっと顔を上げる。真剣な表情。
「言えばいいと姉さんは言うけどね」ミセナはリンセリアの眼をじっと見つめる。「そう容易く口に出来ないものだから、人はそれを憧れといい、希求といい、欲望といい、愛といい――恋というんだぞ」
 きょとんとしたリンセリアの表情。今度はミセナのほうから一歩踏み込む。
「あんなふうに冗談めかしてしか表現できないんだよ。僕は根本的には真面目だからね」ミセナはさらに一歩。「姉さん、僕は、昔から――姉さんのことが――」
 リンセリアは気付いて、眼をそらして言う。
「またまた、冗談ばっかり」
「冗談だと思うの?」
 ミセナは腕を伸ばして、リンセリアの左肩をつかむ。
「や、あのね、あたしたち、女同士だよ?」
「そんなことにはなんの重要性もない」
 もう一方の腕を伸ばして、リンセリアの右腰をつかむ。
「ちょっ、イラちゃんが見てる――」
「他人なんか気にしていられるか」
 ぐいと身体を引き寄せ――。
「姉さん――」
「ちょ、や、やっ……そんな……いきなり……」
 ミセナの肩が小刻みに震えているのに、リンセリアは気付く。ばっと身体を引き離すと、先ほどまで青かったミセナの顔色が、可笑しさのあまり真赤になっている。
「リン姉さん――面白すぎ――」
 またしてもしてやられたことに気付いたリンセリアは、しばらくは言葉も出ず、その眼は白と黒、その顔色は青と赤の間を激しく行き来した。ややあって、息を大きく吸い込むと、
「ミセナちゃんのばか! 死んじゃえ!」
 叫ぶやいなや、腕を大きく振りかぶってミセナの脳天を一撃。リューコムの頭蓋をかち割ったその腕力で、ミセナはきりきり舞いしてぶっ倒れる。そのまま役場のほうへ駆け出していったリンセリアだが、数歩走るとまた振り返り、頭をさすりながら身を起こしたミセナを指差して、また叫んだ。
「大好きだからね!」
 言ってまた駆け出す。今度はミセナのほうがきょとんとする番。
「おーい、風呂はもう空いたか?」
 エオルスがやってきたらしい。
「エオルスさんのことも大好きだからね!」
「はい?」
 リンセリアは二の句も告げずに走っていってしまう。エオルスは頭を抱えているミセナとイラのところにやってきて、「なんかあったのか?」と尋ねた。
 ミセナは疑問符を浮かべたエオルスの顔と、赤くなって口元を手で抑えているイラの顔をかわるがわる見やる。やがて月を仰いでつぶやいた。
「よ、弱ったな……」
(「第五章 湖のスピッサと一騎討ち」へ続く)


時々無性にヒロイック・ファンタジーを書きたくなる。
でも書くために徹夜するのはどうかと思う。ほかに書かなきゃならんものもあるのにね。

異次元旅行とバトルバトルの第二章。たまにはルブロも痛い目にあっていいでしょ。あとK氏、「鳥よ……」をネタにしてごめんなさい。
あと、ミセナのキャラ付けの話ですが、個人的には「強いやつには強いが、弱い相手には弱い」が基本だと思ってます。敵にはいくらでも残酷になれる(首でも腕でも平気で斬る)けれども、頭を下げて頼まれると簡単に折れる、とか。
休息の第三章。萌えキャラの作り方が分かりません。
……そうだ。リンセリアはヴェルティナに殺させよう。うん。そうしよう。
ミセナ、リンセリア、エオルスが謳っている詩句は『嶺南逸史』第十二回から剽窃しております。ヒルスタのは一応オリジナルっす。
第四章。死霊の城の冒険の結末まで書くつもりだったけど長くなったのでここまで。登場しているメイドさん(エモーダ・レテ、キクバナイグチ、次章で活躍予定)は一角さんの小説「冥土の王」の主人公・菊花へのオマージュ。ネタにしてごめんなさい。
膨張する第四章。本筋から離れたとこにこんな分量を費やすのはまずいよなあ。ついでに夜更かしの習慣がついてしまったのもまずいなあ。
あとヒルスタ→スピッサに名前を変更と。
第四章終了。エロの入れ方が拙い気がする。今後もエログロナンセンスをてんこもりにして練習しよう。ま、この外伝のコンセプトはエログロナンセンスと殺戮なんで(とばっちりをくってトレメルさんとかまで死亡)。
新キャラのイラは、戦闘力はないけど特殊な魔道を色々と使えます。アンデッドを操ったりとか。ゾンビの軍勢を連れてニデュラン城に攻め込むミセナとか、夢が広がりますね。


キャラ名地名アイテム名の由来は次の通り。
ミセナ・クロロフォス:ヤコウタケ(Mycena chlorophos)
ミセナ・ガロポーダ:ニセチシオタケ(Mycena galopoda)
ラエスタン・コルティナル:ムレオオフウセンタケ(Cortinarius praestans)
霧の森の魔王リンセリア・グリオード:チャヌメリカラカサタケ(Limacella glioderma)
湖の魔王スピッサ:ヘビキノコ(Amanita spissa)
魔術師クラバント:ラッパタケ(Gomphus clavatus)
魔神リ・ギドポラ:スルメタケ(Rigidoporus lineatus)
クライル(スピッサ部下):チシマウロコタケ(Stereum kurilense)
ブルネア(旅籠の主人):ムニンウメリカラカサタケ(Limacella olivaceobrunnea)
竜潭の魔王サーレイ:サーレイ:コガネウロコタケ(Hymenochaete sallei)
魔衆ニコラ・オムファル:ミズゴケサカズキタケ(Omphalina sphagnicola)
死霊の魔王コーヴィ:ホネタケ(Onygena corvina)
イラ・コルティナル(コーヴィの正体):アブラシメジ(Cortinarius elatior)
魔女ローゼオーマ及びクリマ洞窟:アケボノハリタケ(Climacodon roseomaculatum)
冥土の魔王エモーダ:キクバナイグチ(Boletellus emodensis)
キンナ・グリオード(リンセリア母):チャキツネノカラカサ(Lepiota cinnamomea)
トリネラ城(ミセナ居城):キナメアシタケ(Mycena citrinella)
ニデュラン城(ハパロピラス居城):アカゾメタケ(Hapalopilus nidulans)
グリスクラ城(リンセリア居城):ヌメリカラカサタケ(Limacella subglischra)
タキソディー城(スピッサ居城):オオカサウロコタケ(Stereum taxodii)
アルリュート城(ラエスタン終焉の地):ニセマンジュウガサ(Cortinarius allutus)
マルギネイト城(サーレイ居城):エビウロコタケモドキ(Hymenochaete rufomarginata)
キキディーコ城(ベルクタ居城):カイガラムシツブタケ(Cordyceps ciccidiicola)
スクウェイニッツ城(ファエル居城):カイメンタケ(Phaeolus schweinitzii)
コラベーン城:ツガニクイロアナタケ(Junghuhnia collabens)
レチル(エオルスの愛馬):サイギョウガサ(Panaeolus retirugis)
リューロテルス鳥:コナカブリモドキ(Preurotellus hypnophilus)
ティフューラ草:ガマホタケ属(Typhula)
聖獣アノプシド:ヒカゲヒメチチタケ(Lactarius castanopsidis)
灼絶戟アルタストローマ:ツノタケ(Podostroma alutaseum)
霏滅剣ラクリマセプラ:ナミダタケ(Serpula lacrymans)
壌誅棍グラヌラフォミス:ツチダンゴ(Elaphomyces grannulatus)
颶戮弓ヴェネレート:ドクヤマドリ(Boletus venenatus)
最終更新:2014年02月16日 23:45