2005年01月24日(月) 00時00分-木組
<はじまりはじまり>
昔々、全知全能なる神様であるキノコ様が自分の姿に似せて人間を創り出し、理想郷を目指してこの大地に降り立った。これがその世界、『マッ・シュルーム』である。
それから何年経ったかのかは知らないが、少なくとも人間は独自の文明を生み出し、繁栄していた。
それからまた何年も何年も経ったのだろう、世界は滅茶苦茶に荒れ果ててしまった。
理由はどうもよく分からない。分からないが、沢山の人間が死に、沢山の文明が潰えた。
それからまた何年も何年も年月が流れ、また、世界は平和になった。
あの剣が抜かれるまでは
人が踏み入らない場所を秘境とか言うらしい。そして今、一般人Pことプルアロータスは、バッチリとその中に足を突っ込んでいた。それはもうズブズブと。
見渡せども見渡せども、見えるのは一面の緑。そびえる樹木、茂るツタ、生えっ放しの草に、苔むした岩。何処を見ても、素人ならば場所の特定をすることが出来ない場所ばかりである。
「俺…死ぬかも」
弱気なことを言っているこの少年は、彼此遭難一週間目。幸いなことに猛獣の類には遭遇しなかったものの、帰り道を進んでも進んでもここから外に出られないのだ。食べ物らしき物体はそこかしこに存在しているのだが、毒があるかもしれないと思うと一向に手が出せなかった。そんな訳で、森に採集に出かけたはずの少年は、万が一のために持ってきた食料と水がそこをつき、さらには道中で見付けた自分が知っている木の実なども食べつくし、困りきっているのである。
もちろん、今、彼は猛烈にこう思っている。――来なければよかった、と。
◆2(黒)
運の問題である。
「運試しなんて、何年ぶりかな…」
今、プルの前にはかろうじて果実に見える物体が鎮座している。見上げたらなっていたそれは、下から見ると普通のりんごだったが、どうにか採ってみると上半分がイソギンチャクだった。いやまあさすがに動いてはいないのだが、プルにはそう見えた。すぐさま地面に叩き付けなかっただけえらいと思う。ぎりぎりのところでもしかしたら食えるかも、と踏みとどまったのだ。
そしてそのりんご(仮)は今、プルの審査の目をその一身に受けている。
「食べられるか食べられないか――毒かそうでないか。単純に考えれば確率は五分五分か。問題なのは、僕の運だな」
ここ一週間を振り返る。
朝起きていたら晴れていた。運気+1
コンパスが壊れた。-3
森で遭難した。運気-10
猛獣との遭遇回避・継続一週間。運気+5
合計、-7。不幸に傾いている。
「……ということは、これは+7だな」
いや待てそれなんか違うだろおい、なんて声が頭の片隅でわめいていたが、精神的にそろそろ限界に近いプルを立ち止まらせるには、その声は小さすぎた。
決意を込めて謎林檎を鷲摑み、そのなんとも気色悪い手触りに一瞬ひるんだものの、再び意を決してプルはそれを口に放り込んだ。
硬い音。
「…?」
歯が痛い。それもそのはず、プルの両あごは何も挟むことなくその歯を打ち合わせてしまっていた。りんごもどきは影もない。
「うまー」
声。咄嗟にその方向へ振り返ると、熊がいた。りんご(?)を取ったのはやつらしい。
「-10!?」
よくわからないことを叫びながら、プルは反射的にあとずさった。同時に、頭の中をさまざまなことが一気にめぐる。
――死んだ!? いやむしろ死んだ振りをすれば回避か? 待てそれは迷信だと聞いたぞ、どちらかといえばさっさと逃げたほうが。でも熊速いよな意外と。じゃあどうする? 何か投げて注意をそらすとか。いや猫じゃないんだから。そこまで馬鹿じゃないだろ、というか知能は高そうだ。喋ったし。待てよ、喋れるんなら話せばわかるかも。
「しまった、熊語はわからない……じゃない! 喋った!?」
いつの間にか抱えていた頭を上げて、プルは叫んだ。
「うらー。しじきなー」
なおも熊がしゃべる。熊語かどうかは定かではないが、だらしなく空いた口から、どことなく非難の色を帯びた声が飛んでくる。――いや。
「…熊、じゃない?」
口はだらしなく空いていて、涎までたれている。目は白目をむいている。というか、全体的になんだかぐったりしている。そもそもいまいち動いていない。そしてなんといっても、だらりと垂れたあごの下から、二周りばかし小さな口がのぞいていて、りんごっぽいものを噛み砕いている。
つまり。よくよく見ればそれは、何者かが死んだ熊を担いでいるのだった。
「うまー」
呆然とするプルを尻目に、そいつはのんきにそうのたまった。
◆
プルが目を開けると、そこは板張りの狭い部屋で、身体はベッドの上にあった。ベッドと言えば聞こえは良いが、実は木の板にボロキレをかぶせただけの代物だ。窓からは涼やかな風が森の香りを運んできている。爽やかな青空がそこから見えるが、しかし身体のほうは一向に爽やかではない。
えいやっと半身を起こす。こみ上げる吐き気をこらえながら、記憶をたどってみる。
熊(仮称)はリンゴ型果実をちぎっては食べちぎっては食べ、そう――まさに貪り食っていた。あの、幸せそのものといった顔は忘れようにも忘れられない。そして熊(仮称)の食い気が感染し――気づけばだらだらと涎をこぼしていた。
涎をたらしたプルに気づいた熊(仮称)はニコニコ笑いながらリンゴ型果実を差し出したのだ。プルは夢中で食らいついた。
――そこまで思い出して、プルは震えた。あの味――砂糖より甘く、酢よりも酸っぱく、唐辛子よりも辛く、肝よりも苦く。そして血のような鉄っぽさ、クラゲを生で噛んでいるのに似た、そしてその比ではない、硬さと柔かさの絶妙なバランス――あの二度と思い出したくない味が、口中によみがえってきた。あれを今一度食べるくらいならば、樽いっぱいの酢を飲み乾し、山と積まれた唐辛子を食い尽くすことを選ぶだろう。
そこでプルの記憶は途絶えていた。
――ここはどこだろう。
天国にしては貧相だし、地獄でもなさそうだ。じゃあ俺は生きているのか。
そもそも、あの後どうなった? あの熊(仮称)がここまで運んできたのだろうか?
ようやく立ち上がる気力が戻る。
――なにも取られていない。……うむ!
必要なものを身に付けドアを開けると、広い廊下だった。部屋が五つか六つ並び、奥には階段がある。大屋敷と言っていい。
「誰かいませんかあ?」
声が響くが答えはない。太陽が雲の陰に隠れ、廊下が暗くなる。急に怖くなってくる。
「誰もいませんか?」
答えはなかったが、下の階から人の気配を感じた。息を飲んで、階段を下りていく。
下の階は広間だった。テーブルに男女が腰掛け、談笑していた。一人は金髪碧眼の美少女、今一人は熊(仮称)――もとい、イソギンチャク食い少年である。
「なー、ざまた?」
意味がわからない。
「え? 何だって?」
「さか、食いせみっしんするおもなかた」
「いや、なんだかさっぱり。ねえ君、彼はなんて言ってるの?」
と少女のほうに話を振ってみる。彼女ならきっとまともな返事をしてくれるだろう。
「あた、りご食べた。みしんした。いだいだた」
期待は裏切られた――さっぱり分からない。
「――ねえ、水が飲みたいんだけど」
ダメで元々と思って口にした言葉に、少年が心得たとばかりうなずいた。分かってくれたか、とプルの顔が輝く。少年は文字通り矢のように駆け出していき(当たれば突き刺さっただろう、きっと)、桶を手に戻ってきた。
プルは差し出された桶を両手に取り、口に持っていくが――はっと、その中身に気づく。白い。動いている。――それは明らかに、何か昆虫の幼虫である。
「うまーぞ」
少女の言葉は届かなかった。プルは再び気を失って倒れた。
◆木塚百川 氏
僕は浮いている。
真下にはプルアロータスが横たわっている。
いつから?
わからない。でもずっと、プルアロータスは横たわっている。
白い布の上に。
白い布の上の白いリンゴもどきの上に。
白い布の上の白いリンゴもどきの上の白い蛆の上に。
プルアロータスのすべての指の間には、ぶよぶよと太った蛆の一匹ずつがはさまっている。小指くらいの大きさの、白い蛆だ。襟元に入りこみ、耳の穴にもぐりこみ、髪の間に逃げこんで、うねうねといやらしく蠢いている。
みじめな姿だ。
その様子を眺めている僕の前に、プルアロータスの顔が近寄ってきた。ちがう。僕が近づいているのだ。みじめったらしいその顔は、いまや目の前に迫っていた。鼻の穴を出入りする蛆まで、はっきりと見える。その半透明な体表も、薄く透ける血管までも。
蛆たちがぽろぽろとはがれ落ちた。
がばりと口を開いて、プルアロータスが、笑った。
「おぎゃあああああああああ!」
絶叫して、プルアロータスは飛び上がった。とたんに寝ていた長椅子から転がり落ち、けたたましい音を立てる。強打した頭を抱えて、黙り込む。
「……なん?」
声がした。プルは抱え込んでいた頭を解放し、涙目で顔を上げた。
少女の顔。眉をひそめ、青い目をぱちぱちとしている。寝ていた少年がいきなり暴れだしたのだから、無理もない。手にしている布は、うなされていた少年の寝汗をふきとるためのものだ。少女はそれを、プルのおでこにできたコブに当てようとした。
「うぴいいいいいいいいいい!」
壊れた笛みたいな悲鳴を上げて、プルは引っくり返った。今度は後頭部をぶつけたが、痛がりもしないでばたばたと長椅子の後ろに回る。その瞳に浮かんでいるのは、明らかに恐怖の色だった。悪夢の影響で、軽い錯乱状態にあるらしい。さしだされた布を払いのけ、プルは激しく視線を動かした。
「なぁしたが? ちぃ、おっつけなや」
少女はいった。澄んだやわらかい声は、怯えた動物の心さえ解きほぐしたかもしれない。が、悪夢の後遺であたりが蛆虫だらけに見える錯乱者には、声の質など関係なかった。
「ぽぎふうう! ぽぎふうう!」
震える両手を見てそう叫ぶ。プルは躍り上がって長椅子を跳びこえ、テーブルをはじき倒して扉へと突進していった。
「待ちぃや! いずさえぐっちゃ!」
制止する少女の声は、音高く閉ざされた扉にはねかえされ、むなしく床に散らばった。
※
蛆。
蛆蛆蛆。
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆。
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆。
蛆蛆蛆僕蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆。
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆うじうじうj。
い?
…………。
「あ?」
ばきばきと枝を折り茎を蹴散らして走りながら、ぽつりと、プルは呟いた。
頭の中で、これまではこぼれ落ちていっていた何かが、ぴしりぴしりとはまっていく。
体中にびっしりと張りついていた蛆たちは、ぴしり、のひとつごとに消えていった。するとなぜか頭が痛み出してきたので、そこを手で押さえる。おでこと後ろ頭に、コブができていた。
(なんなんだ)
上がっていた息を整えつつ、歩調を緩める。
「……どこだ? ここ」
声に出してから、プルは足を止め、周りを見回した。
薄暗い。ぐるり一周、木々に取り囲まれていた。そびえる幹は幾重にも層を成していて、押しつぶされるような息苦しささえ感じる。この感じは、最初に迷ったときに感じていたものと大差ない。
つまり、不安。
「……迷った……?」
落ちつけ、と自分を励まして、プルはもう一度、注意深く周囲を観察した。
上は見てもあまり意味がない。木々の葉でぎっしりと埋まっているので、太陽どころか空も見えない。今が夜でないことくらいは分かるが。
下を見る。固い黒土と、積み重なった落ち葉。そこから緑色の雑草がちょろちょろと顔を出している。
前――主観的な――を見る。頭の高さのところに細い木の枝が幾本も張り出していて、まるで木々が抱擁しようとしているようだ。下をくぐれば、門になるかもしれない。見える木の幹はどれもきれいで、幸い、熊とかのマーキング類は見当たらない。切り株になっている木もあるが、あれはなぎ倒されたのではなく切り倒されたものだ。少なくとも巨大生物は近くにはいない。
……ん?
プルは気づいた。
「切り株?」
後ろを振り返る。自分が走ってきた方向だ。そちらにも、列のように切り株が点在していた。木がないおかげで、人が並んで通れるくらいの通路ができている。張り出していたらしい巨大な枝を切断した痕跡もある。
誰かが切ったのだ。この道を作るために、邪魔な木を。
誰が?
村人が!
プルは目を閉じた。
断片的な記憶に頼れば、自分が飛び出してきたあの家の周りには、たしか他の家もいくつかあった。自分は出入り口と思しき木彫りのアーチをくぐって走り出たので、そこから続く道が、この道なのだろう。
つまり、ここを戻れば村につく!
プルは目をあけた。そして肩にひっかけていた鞄を背に負いなおすと、力強い足取りで、ゆっくりともと来た道を戻り始めた。
のだけれど……。
歩き始めて一時間、プルは自らの運のなさを確信し始めていた。
村に着かない。
途中で二股に分かれている道があったので、二分の一の確率に賭けて左を選択したのだが、それがいけなかったようだ。行けども行けども森ばかりで、人跡の気配すら見当たらない。
錯乱していたとはいえ、そう長いこと走っていたわけでもないから、もう着いてもいいころなのだ。
落ちていたぼろぼろのロープ(ヘビと間違えかけた)を、プルは靴先で引っかけた。蹴とばす。
「くそ……リンゴもどきの時といい、つくづく二択に弱いなあ……」
ぼやいてから、「腹減った」と付け加える。さらに「喉かわいた」とも付け加えた。
今から引き返して村に戻るまで、自分の体力が持つだろうか。プルは目を閉じ、深層意識と対話を始めた。
『なあ深層プルアロータス君、もう二日以上なにも食べてないけど、きみ、まだ根性ある?』
『…………』
『深層プルアロータス君?』
『…………』
返事がない。深層意識はもう死んでいるようだった。
『って、そんなわけあるか! 答えてくれ深層プルアロータス君!』
『呼びましたか?』
「は……い?」
プルは目を開けた。幹を背にし、激しく視線をめぐらせる。
「だ、誰だ? 今なんかしゃべった奴!」
『落ち着きなさい、若者よ』
それは少女の声だった。といっても、村にいた金髪の少女のものとは違い、間に紙をはさんでしゃべっているような違和感がある。やや甲高いが、こもっていてよくわからない。
ついでに言えば、頭に直接響いているようだ。
「誰だ! 幻聴か! しし死んだばあちゃんか!」
『導きを必要とする者よ、我が声がそなたを導きましょう』
「聞けよ人の話!」
空腹やら不安やらで少しテンションのおかしくなっているプルは、謎の声自体に対しての恐怖は感じていなかった。ただ、これは体にとってヤバいことの前兆じゃないかとは思いつつ、怒鳴る。
「なんだか知らないが、道を知ってるならとっとと教えやがれ! ……ああ、怒鳴ったら、声と一緒にエナジーが……」
『倒れてはなりません、勇者よ。そなたが倒れるときは世に魔が満ちるとき。世界の民が全て絶望せぬ限り、そなたは立ち続ける定めにあるのです』
「誰だよ、勇者ッテ……」
弱々しい問いかけは、見事に黙殺された。
『さあ、進みなさい。力はその先にあるのです』
「うう……チカラ……チカラ……エナジィィ」
プルは思考低下のあまり、ほとんどゾンビのようになっていた。それでも歩みを再開すると、あちらの気にもたれ、こちらの木によりかかりつつ、よたよたと森の奥へと足を進める。
『なさけない足取り』
「ヤカマシイ……」
このプルの返答は半ば以上うなり声に属していたので、謎の声は聞かなかったことにしたらしい。ころりと語調を変えて、言葉を重ねた。
『ねえねえ、ところでさっきのアレ、それっぽくなかった? ぽいよね? ぽいよね?』
「ぽいって……?」
『やだな、練習したのよ五千回くらい。あの能面みたいなしゃべり方。封印としてくくられてても、いつか花咲くこの日のためにね。健気でしょ? あたし健気でしょ?』
声の質は前のまま、どこかくぐもった声だったが、明らかにテンションが違う。精神年齢が20ほど下がったような感じだ。本来ならプルも「なんだ、さっきの澄ましたのは猫かぶりかよ」くらいいったのだろうが、今のプルには指摘能力がなかった。
「けなげ……炒めたらうまいんだよな……」
『何とまちがえてるのよ勇者様。そんなんでリシーサ抜けると思ってんの? 気合いれて気合』
「リシーサ……チカラのことか……?」
『そーよ。あれ』
その声とほとんど同時に、プルの前で森が開けた。
明るい。ちょっとした広場といったところか。
足首ほどの丈の草が、緑のじゅうたんのように敷き詰められている。黄色い花がちらほらと見え、そこかしこを蝶が飛んでいた。じゅうたんの奥には巨大な岩が鎮座していて、そこに、プルの身の丈ほどの白い――
「キノコ」
が生えていた。
「キノコ」
『キノコじゃないッ!』
ふらふら歩み寄ろうとするプルを、声が叱咤する。
『ごほん。あー、勇者よ、よく聞きなさい。あれにあるは群魔調伏の力を秘めた剣。世の闇を切り開き光明をもたらすしるべ。聖魔剣リシーサです』
プルは数歩ほど岩に向かって歩みを進め、
「キノコ」
『勇・者・様!』
たまりかねたか、声が癇癪を破裂させた。脳を漂白するような衝撃に、さすがに動きを止め沈黙するプル。
『ったく、声だけじゃラチがあかないわね。ちょっと見てなさい』
声がいう。すると、岩に突き刺さった聖魔剣の周囲がぼんやりと輝き始めた。ちょうど光の籠のなかに剣の岩がおさまっているような感じだ。プルは目を細めた。光の籠の上あたりに、ゆらゆらと人形の半透明な何かが揺れているのだ。
やがて光の籠は消え去った。あとには岩と、それに刺さったキノコ型の大剣と、その上に浮かんでいる半透明の少女の上半身だけが残った。
大きさも姿も、村にいた少女に似ている。金髪で、長髪。服は黒ずんだ貫頭衣で、やはり半透明だ。
『これがあたし。ね、かわいいでしょ? かわいいでしょ? 名前はね、アルミラ。聖魔剣リシーサを守護する者よ』
剣の上に浮かんだまま、少女はにこにことそう告げてきた。
『さあ、勇者様。時は来たわ。伝承の呪文を唱え、封印の岩を砕き、破魔の力を手にしなさい!』
激語する。喝を受けて正気に戻っていたプルは、その時ようやく、少女アルミラが自分を誰かと間違えているということに気がついた。つまり。
勇者って誰よ?
アルミラは期待に満ちたまなざしでプルを見下ろしている。プルが勇者として振舞うであろうということを、微塵も疑っていない表情だった。
「あー……」
ぐぐっ、とアルミラが身を乗り出す。
「それじゃ言うけど」
どうしよう。土下座あたりが妥当だろうか。でも、自分が騙したのではなく、相手が勝手に間違えたのだ。そう、多少は相手のせいだし、強気に出よう。もしかしたら食い物の在り処を知っているかもしれない。
「僕は――」
ぼっ。
プルの眼前をまばゆい何かが横切った。軌跡を残して地面に突き刺さり、鈍い音を立てる。
見ると、足元に掌大の丸い焦げ跡ができていた。
『何奴!』
プルの斜め上を見据え、アルミラが叫ぶ。と同時に、低い含み笑いが、どこからともなく聞こえてきた。
「くっくっく……その先を続けてもらっては困るな、少年」
男の声だ。大人のものだろう。プルはぐるりと空を見上げたが、木々の先端が風になびいているばかりで、何者の姿もない。
「その剣を渡すわけにはいかん。勇者よ、貴様の相手、この魔剣士グラシリスに務めさせていただこうか!」
プルの服がばたばたとはためいた。前髪が乱れ、思わず手で目をかばう。その手が眉に触れようとしたとき、ぱちりと音を立てた。それは静電気だった。
『これはまさか……! 勇者様、敵よ!』
帯電しているのはプルばかりではなかった。プルより五歩ほど前の空間、つまりはプルと岩の間に割り込むような位置で、小さな破裂音と小さな閃光が断続的に生まれている。雷だ。プルの見つめる前で、放電はますます激しくなっていく。ちょうど空間がひび割れていくかのように。
「な、なんなんだ」
『敵だってば!』
体中の毛が逆立つ不快感と、得体の知れない恐怖をおぼえながら、プルはあとずさった。
敵? あの雷が? それとも、雷と共に現れるというのか?
もう一歩あとずさって、プルは決心した。
踵を返し、満身の力を両脚に注入する。視線はもと来た道をロックオンだ。
逃げる!
『ちょっ、ちょっとアンタ!』
「おいこら!」
何か2つ声が追いかけてきたようだが、もう関係ない。プルは猛然と草のじゅうたんを爆走し、森の奥へと再突入した。
が――
「待たんか!」
「うわ!」
男の声と同時に両脚が硬直し、思い切りつんのめる。草むらが急接近し、プルはとっさに顔をかばった。べしっと転ぶ。男の声が降ってきた。
「登場の途中で逃げてどうする! おかげで渦巻、光球、大発光と、必要段階を3つも省略せにゃならなくなっただろーが!」
省略デキルナラ、必要ジャナイダロ。
口の中でだけつぶやいて、プルは体を起こした。振り返ると、岩の前に一人の男がつっ立っている。青年だ。銀色の髪と、右の頬の黒い模様、両肩の巨大な肩当てが目を引いた。腰には剣をさげている。こちらをにらんでいるようだ。
「いいか! 勇者なら勇者らしく、登場シーンで相手の力量を悟り、額に汗するくらいのことはやれ。市井のガキではあるまいし、拍子抜けするだろ」
なにやら勝手なことをいっている。というか、この男も自分のことを勇者だと思っているらしい。
『勇者様! 早く剣を!』
岩の上に浮いたままのアルミラがそう叫んだ。それに応じたのは男のほうで、
「ふっ。かの村に伝わりし解呪の呪文は、すでに失われて久しいと聞く。いかに血筋とはいえ、知識なしで古代語の解読、発語はできんさ。残念だったな、剣の精」
そして男は剣を抜き放つと、その切っ先をプルに向けた。
「さあ、ゆくぞ!」
光がふくれあがった。プルは顔をかばった。足が動かないので、避けることもできない。わずかな間を置いて、まず地面の感触が消え、鞄の重さが消え、両腕両脚の感触も消える。
プルの意識も、そこで消えた。
「む……?」
挨拶代わりの一撃で動かなくなった少年を見て、魔剣士グラシリスは首をかしげた。
想定していた事態とは明らかに違う。少年はあのあと、一撃をかろうじてかわし、その破壊力に戦慄しつつ戦闘準備に入るはずだったのだが。
(まあいい。「奴」をだましてまで先行したのだ。早く片付いたのなら、重畳だな。俺の力が予想以上に高まっていたに違いない)
グラシリスは剣を収め、岩に向き直った。岩の上では剣の精が、敵意と畏怖の視線を向けてきている。
「くくっ。頼みの勇者はあのザマだ。剣の精よ、その封印を解いてもらおうか。古い呪文とはいえ、当事者たる貴様が知らんとは言わさんぞ」
アルミラは小さく身を震わせた。グラシリスはそれを恐怖ゆえだと解釈した。事実そうでもあったのだが、ただ彼は、アルミラについて一つ誤解していた。先の発言で、アルミラはそれを悟ったのだ。
『ふざけてろ、バぁカ!』
アルミラは思い切り舌を突き出してみせると、その姿を消した。
「な……!」
狼狽するグラシリス。が、自分の美学を思い出し、すぐに平静に戻った。語りかけるように言葉を紡ぐ。
「愚かな。貴様は剣の意思、姿を消したところで去りはできまい? ひきずり出してやる!」
右の頬の刻印が熱をもった。彼が魔神の力を使おうとすると、いつも起こる現象だ。いまいましいが、今はその力に頼るしかない。グラシリスは精神を集中し、剣に内在する精霊の姿を把握しようとした。
いない。
「ば、バカな!」
さらに精神を集中する。剣の巨大な力の中にまぎれているかもしれないからだ。だが、いくら神経を研ごうとも、グラシリスの超感覚はアルミラの姿を捉えることはなかった。
(バカな……ここに来て失敗だと? くそ、時間がない。奴が来てしまう!)
右の頬がさらにうずきはじめた。つまり、もう「奴」はすぐそこまで来ているのだ。奴、つまり彼に力を貸している魔神が。
草の揺れる音が響いた。
ぎくりと振り向くと、それは、すぐ足元まで這ってきていたあの少年だった。
(なんだ、しぶといな……いや、好機か)
グラシリスは腕を伸ばし、少年の襟首をつかむと、軽々と吊り上げた。少年はだらりと脱力していて、かろうじてまばたきで意識があることが分かる。
「くくくっ……剣の精よ。見ているな。姿を現さんなら、勇者の血で貴様の塚を飾ってやるぞ。貴様自ら勇者と認めた少年が、ここで果ててもいいのか」
「……待ってくれ……」
少年が身じろぎした。かすかに声を出す。グラシリスは腕を下ろし、少年の顔を目線まで下げた。
「なんだ、勇者よ」
「僕が、呼びかける。……だから殺さないでくれ」
「くっ……」
グラシリスは失笑した。
美しくはないが、これは彼好みの喜劇だった。ヒロインが頼みの勇者に裏切られるとは、これほど滑稽な英雄譚もない。
「いいだろう」
グラシリスは手を離した。
少年は這いずって岩のもとへと進み、封印の呪文が刻まれたその表面に手を触れた。グラシリスの淡紅色の瞳に緊張の色が加わる。剣にアルミラの気配が現れたら、即座に呪縛しなければならない。万一勇者に呪文を伝えられでもしたら、身の破滅だからだ。
(念話でも構わぬ、呼びかけに答えるがいい、剣の精。一言でも答えたが最後、貴様は我が神ロードポリウスの力の前に、声無き人形となるのだからな。答えなければそれもよし、勇者を串刺しにしておしまいだ)
身構えるグラシリスの足元で、少年は言った。
「アルミラ・リエラ・メレア」
ぴしり。
音がした。剣の刺さった岩を覆うように、光の籠が出現する。それと同時に、強烈な力が熱風となってグラシリスを巻き込んだ。
「な、何……! 貴様、いつ呪文を……!」
声は半ばで失われた。グラシリスは踏みとどまることができず、悲鳴を上げながら、光の波濤の中に姿を消した。
少年はひざまずいたままだった。薄青く輝く半円形の力場が、彼を光から守っている。それを作り出している者の名を、少年は知っていた。
「アルミラ……」
プルアロータスはつぶやいた。彼の脳内に、アルミラの返事が戻る。
『何? あ、ほめてくれる? ほめてくれる? そうだよね、すごいでしょ』
グラシリスはひとつ誤解していた。アルミラを剣の精だと思いこみ、彼女が剣から離れられないものだと決めていたのだ。それが正しければ、たしかにアルミラは動くことさえできなかっただろう。だが、そうではなかった。アルミラは封印の守護者であって、剣の意思ではなかったのだ。自身が封印の要素なので、普段は精神会話くらいしか行わないのだが、短距離であれば移動もできる。アルミラはこの能力で、気絶していたプルに憑依し、封印を解いたのだ。
ちなみに封印解除の呪文は、彼女の本名である。
『あー、めんどくさかった。でもまあいいわ、さ、早く剣抜いてよ』
「待ってよ。もしかして、自分で呪文となえれば簡単に終わったんじゃないのか?」
『バカ言わないでよ。あんた自分で自分の体持ち上げられるっていうの?』
よくわからない返答だったが、なんとなく納得して、プルはゆっくりと体を起こした。相変わらず勇者あつかいだが、もうどうでもいい。ひょっとしたら、自分が本当に勇者なのかもしれないのだ。
剣を、つかむ。
びりりと何かが走ったようだが、プルは手を離さなかった。
『安心してね。結界はなくなったけどまだ封印されてるから、発動したりはしないわ』
やや意味ありげなセリフだったものの、聞き流して、プルは満身の力を両腕にこめる。
抜けない。
もう一度こめる。
抜けない。
『……あれ?』
抜けない。
やっぱり?
よろよろと、折れた木々の中から、グラシリスは体を起こした。
少年はすでに剣にその手をかけている。任務の失敗は目前だったが、まだ終わってはいない。
ふらつく足取りで、剣を支えにしつつ、グラシリスは少年と精のもとに歩き出した。
果たして、聖魔剣を手にした勇者に勝てるだろうか?
グラシリスは頭を振った。考える必要はない。ただ突撃あるのみだ。
それは悲壮な決意だったが、歩みが進むにつれて、彼にも異状が飲み込めてきた。
少年が剣を抜けない。
「う……嘘だろ、おい……」
――嘘では――ない――
返答はグラシリスにだけ聞こえた。魔剣士は棒立ちになり、ついで膝をついた。右の頬が燃えんばかりに熱い。体の自由はまるで利かない。否応なしに、彼は声の主の正体を悟った。
「――ろ、ロードポリウス様」
――使徒グラシリス――おぬし――私を――たばかったな――
「そ、それは」
――捜したが――猫をくわえた魚など――どこにもおらなんだぞ―――
「さ、左様で」
グラシリスは内心で舌打ちした。出発をひかえて「剣を奪う前に猫をくわえた魚を見物すると、運気が上昇します」などと適当な進言をしたのだが、まだ真に受けているらしい。もっともそれを狙っていたわけだが、なんとか言い訳しなければ。
「主、実は猫をくわえた魚は、主の背中にはりついていたのでございます」
――おお――それでは――見つからぬが道理よ――
納得したらしい。なぜこんな馬鹿を主人にしてしまったのだと、グラシリスはほとんど日課になっている後悔をかみしめた。そこへ魔神の声が響く。
――が――先駆けて失敗した――罰は罰――双華姉妹の玩具にでもするか――
「げ……っ! そ、それだけはお許しを!」
双華姉妹。姉パンセリナと妹ヴィローサのこのコンビは、そろって性格が最悪なくせに美形好きときている。魔衆であるグラシリスは彼女らと同格のはずなのに、目をつけられて手を出されては、そのたびに瀕死になって逃げ続けているのである。一人ならともかく二人なので、手も足も出ないのだ。
しもべの哀願にも、主は無情だった。
――ならぬ――人形になれ――
「うあっ!」
叫んだ直後に、グラシリスは、自らの肉体が足の小指さえ動かせなくなったことを知った。声帯も動かせないので、声も出ない。
――まあ見ておれ――奴らは――私が始末する――
声はそういった。
一方、プルとアルミラは剣の前で右往左往していた。
『な、なんで抜けないわけ!? 不可解よ不可解よ不可解よ、ああああアンッッッビリ―――バブルッ!』
「いや、理由はわかる気も……」
『なんでっ? だって勇者様でしょ? 片手で熊吊って頚骨へし折ったりできるでしょ? だったら抜けるはずだもの! この剣これで熊よりは軽いのよ。あ――っもう訳わかんないっ! あたし帰るー!』
「あのー、それはどこに突っ込んでいいんだ……とか聞いていい?」
プルの脳天から飛び出すや、わめきながら剣の上をぐるぐる飛び回りはじめたアルミラに、おそるおそる問いかけてみる。
「それに、まずはっきりさせておくけど、僕は勇者なんかじゃない――」
アルミラの動きがぴたりと止まった。まん丸な瞳でこちらを見返し、
『へ?』
ゆっくりと、顔を見据えてくる。かなり後ろめたい気分になりながら、プルは続けた。
「僕、迷子だったんだ。ここの人間じゃない」
『嘘!』
「いやホント。村祭りに使うんでってルーニー採りに来て、遭難しちゃって。なんか変な奴に助けられたはいいけど、飛び出してきたってわけ」
言いながら、プルは自分を助けてくれた(と思しき)少年について回想した。熊をかぶっていて、水を欲しがった自分にイモムシの山をくれた少年だ。「なんか変な奴」という形容は、あながち間違いではないだろう。
『ひ、ひとちがい……? そんな……ろくに自由もない封印生活をえんえん続けて、ようやく使命が果たせたと思ったのに……。そういえば、人間に会うのも久しぶりだから、性別以外は確認もなにもしてなかったよーな』
「なんじゃそりゃ」
アルミラは胸に手をあて、目を閉じた。ゆっくりと深呼吸する。呼吸など不要ではないか、とプルが思ったときだった。
『誰ッ!』
アルミラが叫んだ。目をみはって、プルの後ろをにらみつける。
プルの振り向いた先、ほんの十数歩向こうに、一人の巨漢が立っていた。折れた木々を背に、悠然と。
いや、違う。
体形はいちおう人間と同じだったが、その頭部には巨大な双角、その背には巨大な双翼。筋骨隆々としたその体は、色素というものがないかのように真っ白だ。服も白い布でできていて、それをトーガのようにまとっている。顔は仮面めいて起伏がなく、目と口の形に切れ込みが入っているだけだ。
異形の姿だった。
そいつは口の切れ込みを大きくつりあげて、声を発した。
【――はじめナスビ――】
「『は?』」
声そのものは、複数の男女が同時に発話しているような不気味な音声であったのだが、プルもアルミラも内容の突飛さに気を取られ、間抜けな声を返した。
【――マチガエタ―――は――はじめまして――】
怪物はいい直した。しばらく宙に目をやり、再び声を出す。
【――我が名は―――エントローマ――その剣――もらいうける――】
『魔衆か!』
「マシュー?」
『さっきのアホ剣士の仲間! ――で敵! ――で悪!』
プルに答えを叩きつけ、アルミラは身構えた。右手を目の位置にまで上げ、左腕を腰の位置に沈めた、拳闘の姿勢だ。突き立った剣の柄の上につま先立ちしている。
『かかってきなさい! こう見えてもこのアルミラ、拳祖松露に端を発する右派鋭鶴拳の拳意継承者。あのヘボ剣士には必要なかったけど、あんたが来たってんなら相手をしてやるわ!』
アルミラは叫んだが、なぜかプルを意識しているらしく、無意味に説明部分が多い。浴びせられたほうのエントローマは、草の上に突っ立ったまま、軽く首をかしげた。
【――なんだお主――あのときの拳法使いか―――だが――無理だな――】
『ふっ! そーやって余裕かまして前回も負けたんじゃないの。いいこと、その失敗した抽象画みたいな見てくれを落描きレベルにされたくなかったら、尻尾でも舌でも好きなほうを巻いてとっとと――』
ひゅっ。
口上の途中で、エントローマが何かを放り投げてきた。ゆっくりと飛んで来たそれは、小石のようだった。アルミラは上げていた右手でそれを叩き落とす。
いや、落とそうとしたが、石は振り下ろされた手を貫通してアルミラの眉間に突き刺さり、さらにそれをも貫通して草むらの中に落ちた。
『あれっ?』
構えを崩したまま、アルミラは不思議そうな声を上げた。プルは嘆息した。
「アルミラ……君、物に触れないみたいだよ」
『え……あ。そーいやそうだったような』
うろたえるアルミラに向けて、ゆっくりと草を踏みしめ歩みを進めながら、エントローマが声を発する。
【左様――すでに――お主の身は―――陽炎の如し―――】
『くっ!』
徐々に大きくなってくる敵の姿をにらみつつ、アルミラがうめいた。
『鋭鶴拳があたしの代で絶えてたなんて……!』
「そっちじゃないだろ!」
たまらずにプルは叫んだ。岩によじ登り、剣の柄をつかむ。妙に弾力のあるその芯を握りしめ、渾身の力をこめて体重を後ろにかけた。
「ぬ……抜かないと……!」
『バカ、逃げなさい! あぶな――』
【無駄だ】
ひやりとしたものを感じて、プルは顔を上げた。影が落ちかかってきている。
至近まで迫っていたエントローマが、その右拳を振りかぶっていた。
【どけ――少年】
陰のために暗くなった視界が、今度は白熱する。胸元に何かが激しくぶつかってきた、と知覚したときには、すでにプルの体は剣から十歩ほども離れた茂みの中に、右肩からつっこんでいた。
(……!)
激痛が沸騰し、プルの喉をふさいだ。あえぐ口からは弱々しい息がもれるばかりだ。アルミラが何か叫んでいるようだが、声は聞こえない。息もできない。喉を引きつらせて無理に息を吸うと、胸郭が鈍い音を立ててふくらんだ。肋骨が陥没していたのだ。
(しゃ、洒落に……ならん……!)
ゆらめく視界の中で、ぐにゃぐにゃした怪物が、少女のほうに腕を伸ばすのが見えた。
『く、来るなぁ!』
拒絶というよりも哀訴に近いその声を、怪物は無視した。いや、右腕を上げてそれに応えた。
【黙れ】
『きゃ――!』
白い腕が少女の胸元を貫いた。実体を持たないはずの少女は、苦悶の表情を浮かべて大きくのけぞった。エントローマは表情を変えず、左手で剣の柄を握った。
【――くく――封は既に解け―――後は千斤の力を以て――引き抜くのみ―――】
剣が傾いだ。礎石の亀裂がさらに大きくなり、小さな石がぽろぽろとこぼれていく。
アルミラは歯を食いしばった。突きこまれた右腕をつかみ、封印強化の念をこめて余力を解放する。青みを帯びた輝きが、半ば以上透けた両手からほとばしり、怪物の動きを食い止める。
エントローマはせせら笑った。
【無駄だと――】
破裂音。
声が途切れた。
アルミラのつかんでいた怪物の腕が、消えてなくなった。いや、すごい勢いで引き抜かれたのだ。こちら向きのまま宙を飛び、そして彼方の木立に突っ込んでいく怪物の姿が、小さく見えた。
『……!?』
声はまだ出ない。アルミラは呆然と怪物の描いた軌跡を眺め、それから慌てて剣のあったところに目を移した。
剣はまだそこに刺さっていた。
安堵する。その時はじめて、ぱらぱらと落ちてきていた木片と水滴、そして自分の後ろに立っている人の気配に気がついた。
右の貫き手で封印の精を縫いとめておいて、エントローマは左手で聖魔剣の柄を握った。目の後ろで火花が散る感覚を味わいながら、引き抜くべく力を込める。この剣の重量は並大抵ではなく、封印から完全に脱するまで――つまり礎石から抜ききるまで、その重さは消えない。もっとも、エントローマの膂力からすれば、それは抜けない重さではなかった。
しぶとく存在を保ち続ける封印の精が、残余の力を結集して封印をかけなおそうとする。賞賛すべき態度ではあるが、それは髪の毛数本分ほどの補強に過ぎない。いまや過去の存在となりつつある非力な仇敵に向けて、エントローマは憫笑を向けた。
その行為が油断だったのだろう。
飛来してきたそれに、エントローマは気づかなかった。気づいたのはそれが、身体を貫かんばかりの勢いで胸元に激突した後のことだった。
(――な――!?)
細い目を、エントローマは見開いた。両足が地を離れ、掌中から剣の感触が消える。
みるみる遠ざかる剣の向こうに、いつ現れたのか、少年が一人いる。何かを投げた直後の姿勢。エントローマはまぶたに残る残像を分析し、事態を把握した。少年が投げたのはバケツだ。それが自分にぶつかった。そしてそれが、象に匹敵する重さを持つこの体を、軽々と吹き飛ばしたのだ。
(ふむ――バケツ――とは)
エントローマは頭から木立に突っ込んだ。
飛んでいった怪物と出現した少年との間で、しばし視線をさまよわせていたアルミラだったが、怪物がまだ立ち直らないと判断し、少年のほうに意識を向けた。
『あ……あんた……誰?』
問いかけてから、声が出ることに驚いて、喉に手を当てる。邪気を叩き込まれた影響は、完全ではないにしろ薄れつつあるらしい。
現れた少年は、とてもあのエントローマを一撃で吹き飛ばしたとは思えないほどに小柄だった。ぼさぼさの金髪に、意志の強そうな濃い眉毛。どうも激怒しているらしく、眉間にしわが寄っている。丈夫そうだが上質とはいえない着衣の生地は、アルミラの着ている貫頭衣のそれと似たようなものだ。肩には棒を担いでいて、片側の先端にだけバケツが引っかけられている――水でも汲みにいった帰りだったのだろう。
アルミラは眉をひそめた。少年の顔に見覚えがあったのだ。いや、少年自身にではなく、アルミラの中に住む、少年に重なるようにして透ける者の姿に。
『あんたは――』
「ぅやッ!」
呼びかけようとしたとたん、少年は叫び、棒を担いだまま跳躍した。剣の柄を右足で踏んで(つまりアルミラの頭を踏んづけて)さらに跳び、エントローマに殴り飛ばされた茶髪の少年――森の迷子だった男――のほうに駆け寄っていく。棒に引っかけたバケツが揺れまくるくせに落ちないのは、意外とすごいことなのかもしれない。
「やぁ、でぇしょんか、おめ? 目ぇ開けとぉ、なぁ!」
ぐったりしている茶髪の少年を、金髪の少年が抱き起こす。棒を肩から外すと、金髪の少年は茶髪の少年の顔めがけてバケツをひっくり返し、水を浴びせた。
気付けのつもりらしいが、無駄なことだろう。アルミラは唇を噛んだ。魔衆エントローマは一打ちで岩をも砕く怪力の持ち主だ。その打撃を生身の身体で受ければ、骨は砕け内臓は裂ける。おそらく即死――。
「――ええと、君は誰だっけ」
遠くからそんな声が聞こえてきて、アルミラは仰天した。
『う……嘘ぉ』
茶髪の少年は身を起こそうとしていた。金髪の少年が喜んだ様子で、彼に抱きつこうとする。茶髪の少年はすばやく後退ってそれを避ける。なかなか元気だ。
『エントローマの奴、手加減したのかな……って、そんなわけないわ。てことはもしかして――』
アルミラは足元に目をやった。そこには刺さったままの聖魔剣リシーサがある。
『やばッ』
とりあえず飛びついてくる謎の少年からは逃れて、プルは周囲を見回した。
剣は刺さったままだ。その上には、注意しないと見えないほどに薄くなったアルミラ(なにか考え込んでいるらしい)が浮いている。では、あの怪物は剣を抜かずに去ったのだろうか。
ふう、とプルは安堵の息をもらした。直後に胸の陥没骨折を思い出して息を止めたが、痛みはない。おそるおそる息を再開し、胸を押してみたものの、なんともないようだ。
(あれ? アザだけになってる)
生地は破れてボタンも弾け飛んでいるので、打撃を食らったのは間違いないはずだけど。
「めだなや、うん。でん、なぁがこん地いっだ?」
にこにこと少年が話しかけてくる。これも謎だ。この言葉遣いからして森で遭った「なんか変な奴」だと思うのだが、なんで彼がここにいるのかがわからない。それ以上に彼の言語がわからないので、質問のしようもないのだが。
とにかく、怪物がどこに行ったのかをアルミラに聞こうと、プルは立ち上がった。少年も一緒に立ち上がる。その表情が急に険しくなった。
「しっ!」
低く舌打ちすると、プルの肩をつかんで引き寄せる。それが異様なまでに強い力だったため、プルは勢いよく少年の背後に投げ出される形になった。
「な、なんだよ!」
背中に向かって叫ぶ。ところが次のセリフは、喉の奥で凍り付いてしまった。
少年の脚の間ごしに、木立の奥からゆっくりと歩みよってくるあの怪物の姿が目に入ったのだ。
少年は、徐々に近づいてくる異形の姿を、鋭い瞳でにらみすえていた。
森の中に、剣の突き立った岩がある。そこは神聖な場所だ。少年は村の古老からそう教えられてきた。邪悪な者の侵入は許されない。剣に手をかけ抜こうとしたあの怪物は、許されざる違反者だった。が、そんなことよりも――あいつは「友達」を殴った。そちらのほうが、少年にとっては憤怒すべき理由だった。
右手の天秤棒を片手で数回まわすと、少年はそれを怪物に向けて突き出した。
「おめ、気ぃ据えぇや。どぼかじゃ、ドドが」
名前が分からなかったので、取りあえずドド――「化け物」と呼んでおく。それに反応してか、
【あのバケツ――力――それに金髪――か――】
意味が通じたのかどうか、相手はそんなことを言った。一人なのに大勢でしゃべっているような、変な声だ。聞くたびに背筋に妙な震えが走る。自らを鼓舞すべく、少年は叫び返した。
「けぇや!」
【よかろう】
踏み込みの轟音を残し、巨体が迫った。振りかざされた両拳が、風を巻いて振り下ろされる。
半歩しりぞいてそれに空を切らせると、少年は棒を突き出した。その先端がドドの顔面を貫くかと思われた一瞬、標的の首が沈み、棒も空を打つ。間髪入れずに両拳が突き上げられたが、それも空を打った。少年は跳躍していたのだ。棒を引き戻していれば顎に拳を食らう羽目になっていただろう。
己の身長に数倍する高さからドドを見下ろし、少年は満身の力を込めて棒を振り下ろした。
「でぇりゃッ!」
【―――!】
突き出した拳を交差させ、ドドが防御に回るのが見えた。構わずに棒を叩き込む。
乾いた音が響いた。
少年と化け物の間に、黄色い粉が飛び散った。衝撃に耐えかね、棒が砕けたのだ。目をみはった少年の視界いっぱいに、ドドの交差した腕が飛び込んできた。体当たりだ。交差した腕は今や頚動脈を狙う凶器だった。
激突!
「つっ……!」
ブロックする――咄嗟に腕を引き戻したのが、かろうじて間に合った。それでも骨がバラバラになりそうな衝撃が、肘から肩へと抜けていく。少年は歯を食いしばり、勢いをつけてのけぞった。
両肘を開く。そこにある敵の両腕を目の端に入れてから、目を閉じ、思い切り振り下ろす――頭を!
落雷にも似た衝撃が少年の頭の中で炸裂した。手ごたえはあった。渾身の頭突きだ。
それこそ落雷の勢いで、ドドは草むらに叩きつけられた。鈍い音が木々を揺らし、土煙が上がる。
草のじゅうたんに土色の大穴が開いていた。中心にめりこんでいるのはドドだ。動いている。地面を陥没させておきながら、まだ起き上がる体力があるらしい。
少年は襟元のボタンをむしりとると、右親指でそれを弾き飛ばした。飛び道具と化したボタンは矢のように空を裂き、ふらふらと起き上がろうとしていたドドの顔面で弾けた。のけぞり、ドドが膝を突く。その胸倉を、着地した少年がつかみ上げた。崩れかける巨体を、左手一本で無理やり起こす。
宣言した一撃だ。殴る場所は決まっている。
「どぼか、じゃっ!」
【ぐは……ッ!】
風を巻いて繰り出した右正拳が、ドドの胸元を捉えた。象どころか鯨さえ粉砕しかねない威力だ。巨人に張り手を食らったネズミのように、ドドの巨体は宙を飛び、再び木立の奥に消えた。木がなぎ倒される音もすぐに遠ざかっていく。
「ふう……とっと」
両手をはたきつつ、少年は「友達」のほうに向き直った。仇を討ってもらったことがよほど嬉しいのか、彼は震えながら涙を流している。ちょうど風邪引きの長老に熊の肝臓をあげたとき、こんな反応だった。
歩み寄ると、彼はふるふると顔を振った。手を挙げて、そちらもふるふると振る。
「?」
それは意味がよくわからない動作だったが――すぐに知れた。背後に気配。危機を知らせる合図だったのだ。
振り向きざま、少年は左の手刀を一閃させた。飛んできた何かを叩き落とす。
光が弾ける。
「んなッ?」
蛇百匹に噛みつかれたような痛みが、少年を襲った。左腕を抱え、思わず片ひざをつく。
【――拳は見事――なれど――魔法には――】
呪文のように、あの化け物の声が響いた。少年の目前で、空中に点が穿たれる。点は見る間にその数を増やし、やがて浮き彫りのようにドドが姿を現した。何のケガもない。
「てめ……オニか」
【――私は魔神――ゆえ――拳も剣も効かぬだけ―――それ、“第2章第12節:1頌”――】
差し出されたドドの掌中に、リンゴほどの光る球が現れた。祭式の時に老人が持ち出してくるスイショウダマとやらによく似ている。どこから出したものかは知らないが、なんのつもりだ?
化け物はそれを、少年に向けてほうった。放物線を描いて飛んできたそれを、少年は受け止めようとして――
『――避けて!』
聞こえたかぼそい声に従い、慌てて飛びのいた。
「んん?」
少年にとって、それは聞きなじんだ声だった。だが、声の主は家にいるはずなのだ。なぜ、ここに?
振り向こうとした少年は、もう一度同じ声を聞いた。
『よそ見しちゃダメだってば!』
(!)
顔を戻した少年の目の前で、光るリンゴはふわりと浮き上がり、まっすぐに少年の胸元に突っ込んできた。身体をよじるが、かわせない!
リンゴがめりこんだ。それは少年の体内で一気にふくれあがり、白光で少年の視界と意識とを覆い尽くした。関節という関節が引き伸ばされ、筋繊維がばらばらに解けていく感覚。視力を取り戻したときには、少年は草むらに横たわっていた。
【――まあ――この程度か――】
化け物の声が聞こえた。少年は起き上がろうとしたが、うまくいかない。震えるだけで手足に力が入らないばかりか、関節が勝手にぴょこぴょこ動いてしまう。
「な、なん……だぁ? このっ」
もがく。口の中に入った草を吐き出し、立ち上がろうとするが、四つんばいがやっとだ。両膝と両手で必死に身体を支える。
【――どれ―――もう一発――む?】
振ってくる声の調子がいぶかしげなものに変わった。少年は顔を上げた。化け物の右腕に、誰かがぶら下がっている。茶髪の少年――「友達」だ。
「あ……あれ? びくともしないし……」
彼はぶら下がったまま、そんなことを言った。
【何の――真似だ】
「いいいいやその、たたた体当たりしたらすぐ逃げようかと」
【邪魔だ】
「わーっ!」
化け物は腕を振った。それで引き剥がせると思ったのだろう。しかし茶髪はしがみついて離れなかった。
「こここ硬直しててて離れないいいいい!」
【貴様!】
化け物が吠えた。右腕を高く差し上げると、ぶら下がった茶髪の胴に左拳を突きこむ。細い体がくの字に折れ曲がり、腕をつかんでいた手が離れる。小さく血しぶきが散った。
(や、止め――!)
少年の青い瞳が大きく見開かれた。片ひざを立てる。その目の前で、化け物の左拳が茶髪の喉元に叩き込まれた。
鈍く湿った音が響き、鮮血がほとばしる。茶髪の少年は不自然に首を曲げた姿で宙を飛び、二度ほど地面にぶつかってから動かなくなった。
呆然と凝視していた少年の頬が何かで濡れた。右手でぬぐう。開いた掌には、べっとりと赤い血が付いていた。
「…………!」
少年は咆哮した。
音のない叫びが大気を揺るがし、森の木々が激しく梢を揺らす。時ならぬ突風が少年を中心に吹き荒れた。化け物が愕然と――明らかに愕然と少年を見下ろす。少年は碧緑の眼光でそれに応えた。両者の視線が触れ合った刹那、青い稲妻と化した少年の右拳が化け物の顔面を直撃した。
悲鳴すら上げえず、化け物は吹き飛んだ。その軌跡を見もせずに、少年は倒れた茶髪のもとへ走る。首筋に手を当てて脈をみる――
『その子なら大丈夫よ』
声がした。数歩の先、岩に突き立つ剣。その上に薄く透けた少女が浮かんでいる。
『時間がない。あいつ――エントローマを倒したいなら、この剣を抜いて!』
少年はしばらく剣を見つめ、それからちらりと化け物の消えた先に目をやった。剣のもとへと走り出す。
【――そうは行かぬ――】
右手が柄をつかんだところで、声が響いた。虚空に魔衆エントローマの姿が浮かび上がり、同時に生まれたいくつもの光弾が少年めがけて飛んでくる。少年は再び吠えた。それに応えるように、澄んだ金属音が響く。
抜き放たれた聖魔剣の一閃が白銀の弧を描き、光弾をすべて打ち消した。
『やった!』
【ちィ――だが――まだだ! “第2章第12節:3頌”!】
エントローマの叫びに応じ、あのリンゴ球が3つ、彼の前に出現した。少年は聖魔剣を持つ右手を下ろし、静かな眼差しでそれを見ている。球が放たれても、剣は微動だにしない。柄の内部に渦巻く可視不可触の煌めきが煙るように刀身を包み、刀身先端部に位置する宝珠に輝きを与えている――あたかも一個の芸術作品のようなその剣が振るわれたのは、光球が少年に命中した直後のことだった。
少年は跳躍した。
【術が効かぬか――!】
斬られるまでの半瞬の間で、エントローマはうめいた。その顔がびしりとひび割れる。
【馬鹿な――拳で――?】
当惑したように顔に触れる。その姿の脳天から股間までを、振り下ろされた白刃が一息に断ち割った。
音もなく魔神が消滅した後には、半分に裂かれた羊皮紙の切れ端が残された。
『やったやった! すごいじゃない勇者様! あのエントローマを一撃なんて超素敵!』
はしゃいでいるのは、透けすぎて首から上しか見えなくなったアルミラだ。少年は聖魔剣を片手にしたまま、まだ鋭さの残るまなざしを森の奥に投げかけた。
「で、おめはどうする?」
沈黙。
ややあって、つくろったような笑い声が遠くから響いた。
「ふ……ふふふ……はっはっは。やるな、勇者よ!」
『誰だっけ?』
アルミラの呟きが聞こえたらしく、声は黙り込んだ。
「あれだよ、ほら……最初に出てきた剣士」
『ああ、あいつ』
「ナチュラルに忘れるなっ! あれからまだ一時間も経ってないだろーが!」
声は激したように裏返り、
「いや、まあいい。いずれ忘れたくとも忘れられぬ名になるだろうからな」
すぐに調子を取り戻す。
「この魔剣士グラシリス、敵に二度名乗る名は持たぬ! 次に会うときが貴様たちの最期だ!」
『名乗ってるじゃない』
「しかも遠くから」
「だぁっかましい! いいか、次に会うときが貴様たちの最期だ!」
もうネタが尽きたらしく、同じセリフを二度繰り返す。しばらくしてから、森の一角がまばゆく輝き、次いで竜巻が巻き起こった。それに吹き消されがちな高笑いを響かせつつ、魔剣士なんとかは去っていったのだった。
「結局、ぜんぜん見えないところで派手に帰ってるし」
『たぶん聖魔剣がこわかったんだわ……って茶色い人、もうしゃべれるわけ?』
「茶色い人はないだろ……」
疲れたような声で返答しつつ、プルは起き上がった。首をぐりぐりと回しながら、アルミラのほうを見る。
「で……なんで僕は生きてるわけ?」
『ナン ノ コト カシラ チャイロイ ヒト?』
「ドット絵でとぼけるな!」
プルは勢いよく立ち上がると、つかつかとアルミラの正面に歩み寄り、
「あのキノコみたいな剣に触ってから! あの剣見るたびに妙な悪寒がするんだよ! 目ぇ覚めたときもあの剣から変なオーラが流れてきてたし!」
『それは愛の奇跡よ。奇跡なの。茶色い人』
「キノコの愛なんざいらんわ!」
力いっぱい絶叫したところで、プルは気づいた。
うるうると目をうるませながら、こちらを凝視している少年(聖魔剣つき)に。
「☆△▼&%$~!!」
「うわあ!?」
剣を放り出すと、少年はわけのわからないことを叫んで飛びついてきた。プルは引き離そうとしたのだが、首にかじりつかれているので身動きができない。それでもなんとか少年を押しのけようともがきながら(まるでどかせなかったが)、プルはアルミラに泣きついた。
「だ、誰なんだ、こいつは!」
『懐かれたみたいね』
「冷静にいうな! 君、こいつと顔が似てるから知り合いでファミリーで言葉が通じるんだろ?! 離れるように言ってっていうか早く説得じてくれないど頚動脈が」
めちゃくちゃな論理を振りかざすプルに、アルミラは腕を組んだ(見えはしないが)。
『ん~、知り合いっちゃ知り合いだけど……まさかこんな愉快な文法使ってるとは思わなかったもんで』
「じ……じにまずがら。ばやぐ、ぜっどぐ」
『あ~、はいはい』
面倒そうに返事を返して、アルミラは姿を消した。少年のほうに憑依したのだ。直接精神に話しかけることで、言語の壁は無意味なものとなる。はたして少年の動きが止まり、首に回されていた腕の力が緩んだ。
へたりこんで荒い息をつくプルの、その前に屈みこんできて、嬉しそうに少年は言った。
「や、ちゃいろい人!」
「……君たちね……僕の名前はプルアロータスだから……」
『あら、そーゆー名前だった?』
少年から飛び出してきたアルミラ――なぜか格好はそのままで手のひらサイズになっている――が、礎石の破片に腰かけてそう言った。
「プルーア?」
「……それでいいです」
無邪気にプルーアプルーアと繰り返している少年に、プルは聞き返した。
「で、君の名前は?」
少年はしばし目をぱちぱちとし、暗くなり始めている空を見上げて黙考してから、満面の笑顔で答えた。
「シャンピニオン!」
黄昏時の獣道を、プルたちはシャンピニオンの先導で歩いていた。
「なんかなー。あの剣、ストーカーっぽくないか?」
『んー、戻ったら話すから。戻ったら』
「ぽっぽーぽっぽー、ぽぽぽわぽー」
プルが見つめているのは、シャンピニオンの背後を直立したままずるずるとついていく聖魔剣リシーサである。ぼやきに応えたのは、プルの鞄から顔だけ出したアルミラだ。
「材料見つかんなかったけど、村祭りに間に合うかなあ」
『んー、ムリっぽいとか答えていい?』
「ぽわぽわぽっぽー、ぽわぽわぽー」
封印が完全に解除された以上、封印の精であるアルミラは消滅するはずだったのだが、『話しておくことがあるからがんばる』とやらいう理由で、封印礎石のかけらに宿ったままプルの鞄の中におさまっているのである。
「ああ、もう腹が減ってるんだかどうだかもわかんないよ……絶対行き倒れるぅぅ」
『んー、あたしも昔はそんな時期があったわ』
「ぽぽぽぽぽわぽわ、ぽっぽっぽー」
レンチヌラ村へと続く獣道。
プルのぼやきとアルミラの適当な相槌、それにシャンピニオンの謎の歌声が、虫の鳴き声と混ざり合って夜空に響いていた。
◆
≪オプション:自動翻訳機――<>内部に、村人達の翻訳後のセリフが出てきます。主人公プルの苦労を知りたいという方は、この部分を無視してください。臨場感を味わえます≫
青い空。綺麗な花畑。そして聞こえてくる小川のせせらぎ――何と美しいのだろうか。これが噂に聞く天国というもの――
『違うッ!』
「うわ!?」
頭に直接響く叫び声に、プルは正気に戻った。体中節々が痛むわ頭は割れそうに痛むわで、はっきり言って正気に戻らない方が良かったような気はするのだが、プルは自分の思考を取り戻した。とりあえず、キノコのことは忘れようと思った。あの巨大なキノコとか。キノコを奪いに来た不気味な奴等とか。キノコ剣とか。きっと夢だ。そう、その前にこの現実の景色を見なければならない。
「あ、そうか・・・ここ・・・」
見渡してみて、プルは自分の記憶とこの風景を合致させようとした。
青い空に綺麗な花畑。そして聞こえてくる小川のせせらぎ。
何処かで見たことがあるような光景だった。とても幼い頃――思い描いていたような景色。
「やっぱ俺、死――」
『ち・が・うッ!!』
大音響に、目の前が真っ白になる。少女の声が、勝手に死んでもらっては困るだの、現実をしっかり見つめろだの言っていたが、プルの耳にはほとんど入らなかった。代わりに一言、
「れんちぬら」 <レンチヌラ>
とだけ別人の声が聞こえた。
天国とは“れんちぬら”と言うのか――そうぼんやりと思うプルの頭に、
『そんなわけないでしょ』
厳しい一言が飛んで来る。ようやく頭がすっきりしたプルに、先程からの声の主、アルミラがやや苛立たしげにこう続ける。
『アンタねぇ、もう少ししっかりしてもらわなきゃ困るのよ』
「しっかり、って・・・何を」
ようやく色々な揉め事から開放されたはずのプルは、アルミラに向かってそう問いただした。が、
『レンチヌラ、っていうのはこの村の名前』
彼女の答えは素っ気無かった。しかも、微妙に論点がズラされている。
「・・・だから?」
『まだ死んでないってこと』
アルミラはそう言い放つと、ぴたっと口をつぐんだ。これ以上の追求は許さないという意思の表れだ。ごまかされてたまるかと、プルは自分の手に握られている封印石のかけらに向かって声をかけた。
「はぐらかすなよ。もう俺関係無いだろ? 結局、俺は勇者様じゃ――」
『時間が無いわ、“勇者様”』
「逃げるなよ」
プルの言葉を無視して、石の上に現れたアルミラはプルの隣にいる少年、つまりは本物の勇者にそう声をかけると、
『それに、アナタもね』
とプルの方を向き直って腕を組んだ。彼を見上げる目は真剣そのものだ。
「ちょ、それってどういう・・・」
『それは――』
「それは・・・?」
しかし、プルの追求は、
「しゃ~んぷ! あー、だーじおか!? ぶずーなだーや!?」 <シャ~ンプ! ああ、大丈夫!? 無事なのね!?>
突然訛ったアルミラの叫び声によって掻き消された。
「は?」
何故いきなりアルミラが訛ったのかと困惑しているプルの耳に、少年の声が飛び込んで来た。
「あんみら!」 <アルミラ!>
アンミラ。
確かに、プルの耳にはそう聞こえた。彼が驚いて顔を上げると、そこにはアルミラにそっくりな、あの少女――気を失っていたプルを看病してくれた――がいた。
「おーさ、ぶずーよ! いまがえとー!」 <ああ、無事さ! 今帰った!>
プルの隣の少年はそう笑うと、アルミラにそっくりな少女に向かって手を振った。少女は涙に濡れた顔をほころばせながら隣の少年に駆け寄ると、
「しゃんぷ!」 <シャンプ!>
プルがいるのも全く意に介せず、少年にがばっと抱き付いた。意に介せず――むしろ、プルのことはアウトオブ眼中だとしか思えない。少年はといえば――どうやらシャンプとか言うらしいのだが――彼女をしっかりと抱き締めると、ぽんぽんと少女の肩を叩いている。
(気まずい!)
しかし少女はプルの思いには全く気付かずに、涙声で、
「すごかおーしよーと!? すーぱしーだ! んなーおらだーね、なにごーた、みなすーぱしおー!」 <すごい音がしたのよ!? 心配したわ! ううん私だけじゃない、何が起こったのかと、みんな心配してたのよ!>
と、やはりプルには理解出来ない言葉をまくし立てた。
いや、プルはむしろ彼女の言葉よりも、彼女自身が気になった。
(似てる。やっぱり、似てる!)
少年に向かって泣きながら、おそらく彼の無事を喜んでいるのであろう少女と、自分の手の平の中に納まってしまった封印の精霊であるアルミラと。感じる雰囲気こそ全く違うが、外見は姉妹、いや、双子とまで言えそうなぐらいにそっくりだった。
「ほん、ぶずーでよがーよ、おめになーかとーら、おら、おらよぉ・・・」 <本当、無事で良かったわ、貴方に何かあったら、私、私・・・>
「ちーつけ、ま」 <落ち着け、ほら>
「けんどれ、さー、そとんひとくんだらしー、そーかーおんひとおーにうせー、しーばらすおーでばっげおとすっとー、そーれ、おめみんずくーでいぬー、もら・・・すーぱせーほーがどーかすっとよえ!? なんかーたじぇけーま、ほん、ほん・・・すーぱ、しおー・・・ね・・・ぶずー、がえて・・・よか・・・」 <だけど、そう、外界の人が来て、それからその人いなくなっちゃって、しばらくして奥でひどい音がして、それに、貴方は水汲みで出掛けてるし、そんなの・・・心配しないほうがどうかしてるじゃない!? 何かあったんじゃないかって、本当に、ほんとに・・・心配、したん・・・だから・・・無事で、帰ってきて・・・良かっ・・・>
(さっきから何を言ってるんだろう?)
はっきり言って、プルには一言も分からない。ただ感じから察するに、このシャンプとか言う少年のことをひどく心配していて、無事で良かったと言っているのだろうと思った。
この時プルが思ったのは。
(こんな人に心配されてみたいなぁ・・・)
ということだった。というか、事実家族にひどく心配をかけている真っ最中であるのだが、今のプルはすっかり忘れていたりする。
ともあれ、そのアンミラとか言う彼女は、間近で見れば見るほど――――かわいかった。少し乱れた金髪も、涙で潤んだ大きな瞳も、少年にすがる仕草も、何をとってもかわいらしい。タイプだとか言う以前に、見ているこちらが頬を染めてしまう程だ。
(かわいい・・・)
『なに鼻の下伸ばしてるのよ』
プルの思考を読み取ったアルミラがそう呟く。
「べっ、別に鼻の下伸ばしてなんか――」
『伸ばしてるじゃない。もー、いくらあたしがかわいいからって、デレデレするのはみっともないわよ』
「違・・・わないか。そっくりだもんな」
論理的に言えば、アルミラにそっくりなこの少女をかわいいと思うのであれば、それはつまりアルミラをかわいいと思っているのであると言える。何か気まずくないか?
しかし疑問なのは、何故二人がこうもそっくりなのかという点である。隣の少年は気付いているのだろうか? というか邪魔するのは非常に気が引ける。
むしろプルは自分がここにいてはいけない気がしてきていた。しかし移動するわけにもいかず。かといってこの二人の間に割って入る勇気は全く無く。どうすればいいのだろうか。
と、ここで少年に思いが通じたのだろうか。彼は、
「おらぶずーげ、おんひとーぶずー。えがーな。ん?」 <俺も無事で、この人も無事。それでいいじゃないか。だろ?>
と言ってプルの方を見た。
助かったとプルが思ったのもつかの間、少年につられた少女も、また、プルを見た。
ので。
バッチリ目が合ってしまって。
「は・・・」 <あ・・・>
助かるどころか、気まずさはさらにアップ。
そこで少女はようやくプルの存在に気が付いたらしく、顔を赤らめると、慌てて少年から離れた。
「あ、どうも・・・さっきは・・・」
プルはもごもごとそんなことを口先に出しながら、とりあえず笑った。手の平ではアルミラがクスクスと必死に笑いをこらえている。
「そ、そんにー、じじさま、よーだってば、すーにこよ、すーな!」 <そ、そういえば、大ジジ様が、言いたいことがあるらしいから、すぐに来て、すぐによ!>
顔を真っ赤にしながら少女はそう呟くと、頬に手を当てながら走り去って行った。
押し黙ってしまった少年と。
忍び笑いを止められない封印の精霊と。
何をどうすればよいのかすっかり分からなくなってしまった不幸な一般人とを。その場に残して。
少年の村、レンチヌラ。聖魔剣リシーサを守護する定めを負った村。
数時間前、村は大騒動になった。
外界のものが村に入ってきたのである。
そのようなことは過去において前例はほとんど無かった。“ほとんど”ということは、全く無かったわけではない――そう、この村にも外界のものが入ったことはある。だがそれによってもたらされたものは、決して良いものではなかったのだ。それ故に、その外界人は重要人物として村に連れて来られたのだが――
大騒動の二つ目の理由はここにある。
村に入ってきた外界人が逃げ出してしまったのである。
それから暫くしてからの轟音。その外界人が引き起こしたのか、はたまた別の何かが引き起こしたのか、その点は定かではなかった。どちらであろうと、急いでその原因を突き止め、事態を把握しなければならない。出来れば、最悪の事態も考えておかなければならない。
それに加えて、村の少年シャンピニオン――さらに言えばただの少年ではないのだが――が、山を幾つか越えた向こうの水場へと水汲みに行っていたのである。彼が巻き込まれているとなれば、一刻の猶予もならなかった。
――時が、来たのかも知れぬ。
しかし、村中が騒然としている間に、襲撃は一応の終わりを迎えた。そこに飛び込んできた、シャンピニオンと外界人の無事の朗報。
だが、それは始まりでしかないのだということは、この騒動に巻き込まれてしまったプルアロータスを除いて、分かり切ったことであった。
というわけで。
大ジジ様の館。
普通の村で言うところの、長老の家である。ただ一つ異なっている点は、そこで村人のほとんどが暮らしているという点である。レンチヌラは小さな村であるため、そしてまた特別な事情があるため、ほぼ全ての村人がこの館で寝食を共にしているのである。
それはともあれ。
今現在、この館の大広間には、こどもとその相手をするための老人を除いた全員が、一挙に集まっていた。いくら小さな村といえども、村人が広間を埋め尽くすそのさまは圧巻である。
少年に連れられ、ここへと招き入れられたプルは、居心地の悪さをひしひしと肌で感じていた。
まず、言葉が分からない。長老と思しき人物が中央で喋っているのだが、やはり何を言っているのかさっぱり理解出来ない。村人や少年の顔付きからして、ただならぬことを喋っていることだけは、辛うじて判断できる程度だ。頼みの綱のアルミラは、その長老の前でふわふわと浮かんでいて一言も喋ろうとしない。
(せめて何言ってるかぐらい簡単に教えてくれても・・・)
プルは険しい表情を崩さないアルミラに向かってアイコンタクトを取ってみたが、意思の疎通はならなかった。
そもそも、プルは何故自分がここに連れて来られたのか全く分からなかった。キノコ剣を抜いたのは村の少年であるし、自分はただその場に居合わせたというだけの一般人なのだ。
それなのに、当事者である少年の横に座らされている。長老の真正面だ。肩身が狭いというか、穴があったら入ってしまいたい。
「――くしー、りしーさ、ふーられよ。がん、きーがたもーね。まんてーよしおーと」 <――こうして、聖魔剣リシーサは、封じられたのじゃ。しかし、時が来たのやも知れぬ。魔衆が襲って来おった>
周囲がざわつく。それを手で制しながら、長老は、
「まーざ」 <事実じゃ>
と重々しい声で言った。そして続ける。
「だーやはしーぬ、ご、だんまずんみがーらせー、よーをほふーとすおー。らばよー・・・こーはごーなる。しゃんぴにおん」 <誰かは分からぬ、が、大魔神を蘇らせ、この世を滅ぼさんとする者がおる。そうとなれば・・・これは宿業であろう。シャンピニオン>
「あい」 <はい>
突然、少年が立ち上がった。戸惑うプルに、
『よく聞いて、プル』
分かる言葉が聞こえてきた。
「アルミラ!」
『聞いて、プル。聞いて』
アルミラはプルが何か言おうとする前に、その場にいる全員に向かって、あの霞がかった声で語り始めた。
『我が名は、アルミラ・リエラ・メレア。光と闇を司る、聖魔剣リシーサを守護するものなり』
太古の昔。
全知全能なるキノコ神様が、この『マッ・シュルーム』に降り立った。
人は栄え、己の力の結晶として文明を生み出していった。
だが、光と共に影がある。
人が繁栄すればするほど、その影はやがて闇となった。
いつしか人間は、神と同等の力を求め、神が残したもうた導を奪い合った。
そして大魔神アクラシスが現れ――この世は崩壊した。
心を痛めたキノコ神様は新たな世界を創ると、姿を消してしまった。大魔神アクラシスと共に。
だが、その御力を宿した聖魔剣リシーサは、この地に残されたままだった。
以来、幾度と無くこの剣を巡って争いが起き、数多の命が散っていった。
歴史は伝説となり、そしてまた、歴史は繰り返される。
剣は主を選ぶ。
剣を手にしたものは、大いなるキノコ神の加護と、邪なる大魔神アクラシスの呪いを受けることとなる。
そして、同時に避けられぬ宿業をも背負うことになる。
この世界を、マッ・シュルームを救うという、宿業を。
それが勇者として、課せられた使命。
プルも昔話として聞いたことがあるような神話だった。嫌な予感が頭をよぎったが、プルはそんなはずは無いだろうと思い直した。あの剣の封印を解いたのは確かに自分だったが、主として選ばれたのは村の少年だ。全く関係が無いとは言えないが、少なくとも、それだけのことなのだと。
そうプルが思っていると、アルミラは話を終えたらしく、すっと手を上げた。どよめく村人の前で、瞬く間に闇が広がる。一筋の光も見えない、暗闇。
と、次の瞬間。
「ああッ!?」
プルは、叫んだ。いや、プルだけではない。そこにいた全員が、叫び声をあげた。
そこには、『刻印』があった。
少年の腕に刻まれた、輝く紋様。明かりの下でははっきりと見ることは出来ないのだが、そこには確かに『刻印』があった。少年の腕に絡みつくように、しっかりと。暗闇に浮かび上がるその紋様は、驚くほど精巧で美しく、そして恐ろしい。それは少年の前に据えられた、聖魔剣リシーサと呼応するようにゆらゆらと色を変え、光を放っていた。
『それが、その証』
だが、プルが驚いたのはそれだけではなかった。
「何で・・・?」
プルは、自分の手を、見た。
「こんな・・・」
分からなかった。事実はそこにあったが、受け止めることは出来なかった。
『まさか・・・アナタにも・・・?』
アルミラの声が聞こえた。
プルは、両手を握り締めた。光がぼんやりと薄れ、手の内に収束されて行く。それは間違い無く、自分の手。
『そんな・・・』
プルは、これほどまでに夢であって欲しいと願ったことは無かった。夢だとしか思えなかった。
プルの手は。
少年の腕のシルシと同じ光を、放っていた。
それはつまり、プルもまた――
『ごめんなさい』
アルミラの声が聞こえた気がしたが、プルの真っ白な頭の中に響くことは無かった。
全部ウソであって欲しかった。
悪夢ならば覚めて欲しかった。
プルは、叫んだ。喉が潰れてしまうほど、叫んだ。叫んで、叫んで、叫んで。
押し止める群集を蹴散らしながら、家の外へと飛び出していった。
誰かの声が聞こえた。
ウソに違いない。全部。全部――
騒ぎが収まりきらぬ大広間で、アルミラは光を戻した。予期しなかったというわけではない。しかしまさか、まさかあの少年まで呪われてしまうとは思いもしなかった。如何にアルミラといえど、聖魔剣の全てを知ることは不可能なのだ。それを思い知らされた。
「すずまれぇい!」 <静まれ!>
開口一番、大ジジ様がそう一括する。と、騒ぎはぴたりと収まった。
「おんひとー・・・じゃけー?」 <あの少年が・・・そうなのか?>
皆が事の成り行きを見守る中、村の少年シャンピニオン(通称:シャンプ)は静かに頷いた。
「いよーな」 <説明出来ような>
「むい」 <出来ます>
大ジジ様の重々しい声に臆することなく、シャンプはこう続けた。
「ぜー、おらのすーだ」 <全部、俺の責任です>
そう、ウソの言葉を。あたかも真実であるかのごとく、告げた。
「そとーけじゃーのしんず、おんひとーつーてこよ。まーはおらーだ。しー、みしんすーおんひとーほーてよ・・・にぐんが。おんひとーによー、みんずくーもんな。ご、おもれーのんさ。あめー、わっとー。だぞーこてもー、じゃ」 <外界との結界が弱まったのも知らず、彼をここに連れて来てしまいました。巻き込んだのは俺です。それから、気を失ってしまった彼を放って置いて・・・逃げられてしまって。彼にあげようと思って、水を汲みに行ってる場合じゃなかったんです。でも、そこまで考えていられなかった。甘かったって、分かってます。誰かを呼ぶべきだった、って>
それを聞き、村人達の間にざわめきが波紋のように広がっていった。聞く限りにおいては自業自得、とも聞こえるような言い草だ。
と、それを聞いていた少女が立ち上がり、
「しゃんぷ、ごぉら・・・」 <シャンプ、でも私が・・・>
叫んだ。思わず、叫ばずにはおれなかったのだ。事実、村に連れて来られた外界の少年に“水”を与えるようシャンピニオンに言ったのも、そして気を失っていた彼を逃がしてしまったのも、自分だったのだから。
「なーぞ、あんみら」 <どうした、アルミラ>
大ジジ様がその少女、アルミラに声をかけた。が、
「いーね、おーずずせー。あんみらーあかんくねーが」 <いえ、大ジジ様。アルミラは関係ありません>
アルミラが弁明する前に、シャンプの言葉がそれを遮った。
「おら、だーのせーどもしんぬー。こんわーぬ、せーのー。ぜー、おらのすーだ。おらぁ、きーぬけーが。ま、あんみらよ」 <俺、誰かのせいにしたくはありません。これ以上の言い訳も、したくないです。全部、俺の責任です。俺が、うっかりしてたから。そうだろ、アルミラ>
彼の瞳は、何も言うなと暗に語りかけていた。アルミラは、しぶしぶと床に腰を下ろす。
彼は、続ける。
「そいでー、ばっげおとすー、あん・・・せいまけんりしーさんへいそーが。よー、まんてらけんさねろーて・・・ふーのせれあんみらせーおどど、とかぜー」 <それから、凄い音がしたんで、あの場所へ・・・聖魔剣リシーサのところへ急ぎました。そしたら、魔衆が剣を狙って・・・封印の精霊であるアルミラ様を脅して、封印を解かせようと>
「ふむ」 <ふむ>
「やら、おんひとーしちとー。さーらばいのちねーぞた。なーとかずーえめ。そへおらぁかきつきよ・・・もんすーはよねーば・・・あっててけんささーるねよ、ごおーすげつよーて・・・」 <アイツら、あの彼を人質にとってたんです。逆らえば命は無いって。だから解かざるを得なかった。そこへ俺が駆けつけて・・・もう少し早くつければよかったんだけど・・・慌ててその剣に触るなって、でも物凄く強くて・・・>
『そう、その通り』
アルミラも、そう相槌を打った。本当のことを教えて混乱を来たすよりも、平穏に収まった方が良いと踏んでである。嘘も方便、と昔から言うことでもあるし。
その、ウソをついている勇者はしどろもどろしながら――それはおそらく、上手く辻褄を合わせるための言葉を選んでのことだろうが、魔衆の襲撃の恐ろしさを思い出そうとしているように聞こえた――言葉をつないだ。
「さ、もーさら、おら、すんでたけーも・・・なー、ご・・・そーで、おら・・・けんを・・・」 <そう、もしかしたら、俺、死んでたかもしれない・・・だから、でも・・・それで、俺・・・剣を・・・>
最後の方の言葉は聞き取れなかった。
騒ぎが最高潮に達したのだ。皮切りは、村人の方のアルミラが大広間を飛び出してしまったことだ。
均衡が崩れれば、後は早かった。村人達は口々に魔衆襲撃について語っていたし、これからどうすべきかということについての不安と苦悩を口にしていた。
「なーどよ。あいわーた」 <成る程。あい分かった>
「・・・ほん、すまそ」 <・・・本当に、すみませんでした>
既に封印の精霊アルミラと、大ジジ様だけに語りかけている状態となったシャンピニオンは、それでもきちんと侘びの言葉を言い、頭を下げた。アルミラは咄嗟に、
『致し方無しのことです、長老』
と口にした。村の少女アルミラの罪をかぶるだけならともかく、自身とプルの偶然によって引き起こされた事態をも背負おうとしている勇者シャンピニオンに、これ以上の罰は与えて欲しくないと思ったからだ。しかし、精霊アルミラが言うまでも無く、大ジジ様も同じ考えのようだった。
「な、きにそーぬ。とはだーぞもね」 <何、気にするでない。咎は誰のものでもないわい>
彼はしわだらけの顔を少し崩してそう笑うと、
「ぜご・・・おんがいかいんひと、もやまんてでのーや」 <じゃが・・・あの外界人、もしや魔衆ではあるまいな>
しかし、再び厳しい顔に戻ってそう言った。その時のシャンピニオンの顔といったら。
「いなッ! ぜんと! おーずずせーだも、うたーご――」 <それは無いッ! 絶対に! 大ジジ様でも、疑うことは――>
『落ち着いて、勇者様! 長老、彼は魔衆ではありません。偶然その場に居合わせてしまった、不幸な外界人に過ぎません』
慌てて精霊アルミラが止めなければ、“大変な”ことになっているところだった。
一瞬、勇者シャンピニオンの腕の紋様が輝き、主の身体を蝕もうとした。感情の起伏が激しくなりつつある――無論、それは聖魔剣リシーサのなせる業であり、シャンピニオンの気付くところではないのだが。
“アマニタ”の覚醒――それは諸刃の剣だ。太古の昔から流れる血の脈絡――それが呼び起こされれば、強大な力を得ると同時に、真っ当な思考を失いかねない。
ともかく、その真剣さに押されたのだろう、大ジジ様は言った。
「さ、おんしそーよ、しんぜーと。かぞくあ、わがよーつたと」 <そうか、お主がそう言うのであれば、信じよう。村人にも、わしからしかと伝えておく>
むしろ、最初からあまり疑ってはいなかったようだ。それはそうだろう、プルアロータスは魔衆にしてはあまりにも頼りない。まぁ、それを逆手に取った罠とも考えられなくも無いのだが。
その言葉に、シャンプははっと我に返った。
「・・・すまそ、おーずずせー・・・おら、いまちょーへんぞー」 <・・・すみません、大ジジ様・・・俺、今何か変でした>
自分の感情に戸惑いながら、シャンピニオンは幼さの残る動作で肩を落とした。その隣で、エサを貰い損ねた子猫のように、聖魔剣リシーサが怪しい光を放っている。隙あらばアマニタを呼び覚まそうとする力と、それを押し止めようとする両極端な力が、剣の中で渦巻き、対立していた。
『心を強く持つのです、勇者様』
シャンプは頷いた。そして大ジジ様の方へと向き直る。
「きにそーぬ。おんしせーぬよ・・・」 <気にするでない。お主のせいではない・・・>
だが、大ジジ様は三度、険しい顔付きに戻った。そして重々しく言った。
「ぜご、そ、まことたーり、しゃんぴにおん」 <じゃが、その言、まことであろうな、シャンピニオン>
精霊アルミラは一瞬、背筋が寒くなった。完全にウソというわけではないのだが、正直に全てを語ったわけではないのだから。だが、そんな大ジジ様の言葉にも、シャンピニオンは、
「おらんいのちとほこり、ぜーめいとかむに」 <俺の命と誇りに懸けて、全ての生命と神に誓って>
と、はっきりとそう返答した。そうなれば、
「ふむ・・・ら、くはこーしまー。でーあーす。こよはよーやんめ。ら、ま」 <ふむ・・・では、今日はこれで終いじゃ。出立は明日。今宵は良く休め。では、な>
大ジジ様も信じる他無かった。胸が破裂するぐらいドキドキしている精霊アルミラとは対照的に、シャンピニオンは深々と頭を下げると、精霊石をそっと手に取り、静かに大広間から出て行った。
大広間で大ジジ様が再び村人達に静まるよう告げた時、シャンプは精霊アルミラにこう尋ねた。
「・・・あんみらせー、そとんひとばー・・・わっとー? おら、どってもーまらーとー」 <・・・アルミラ様、外界から来たあの人の居場所・・・分かりますか? 俺、どうしても彼に謝らないと>
これ以上何を謝ることがあるのかと精霊アルミラは思ったが、口にはしなかった。言うのならば、それはあのプルの前だと思ったから。だから、こう返した。
『ええ、分かるわ。行きましょう、勇者様』
気が付けば、プルは見たことも無い花に囲まれていた。見上げれば、青い空。本当に美しい景色だ。しかし、ここは天国でも夢の世界でもないわけで。
「何で・・・俺が・・・」
プルは頭に居座っていた思いをそう口に出してみたが、やはり何の解決にもならなかった。
村祭りに使う“ルーニー”を探しに森に入って、遭難して――不運だということはもう分かった。分かり切ったことで、今更思い知らせてくれなくても結構だった。遭難した挙句に奇妙な言葉を喋る輩に助けられ、異文化というかそんなので酷い目に遭うし、気が付けば勇者とやらに間違えられ、さらにはキノコ剣の呪いまで。身に余る不幸に、もう生きる気も失せそうだった。
「キノコのバカ・・・」
そう呟いてみる。聖魔剣だか整理券だか知らないが、バカでかい気味の悪いキノコじゃないか。呪いだの何だの、飛ばすのは胞子だけで十分だ。
「関係ねーのに呪うなー!!」
言ったら、少しすっとした気がした。続けていってみる。
「俺は勇者なんかじゃない! 間違えるなって!」
少し息を吸い込んで、
「アルミラのバカー!!」
と、
「は・・・あい」 <あ・・・はい>
少女の声が、聞こえた。
村人アルミラは、驚いて花畑を見た。ここは自分とシャンピニオンだけの秘密の場所なのに、そこには見ず知らずの――というか、外界の人だから見ず知らずで当たり前なのだが――人がいた。
ひくっと喉が詰まる。いざ泣き止もうと思っても、すぐに涙がかれるわけではなく。アルミラはそっと指で目をこすった。
いきなり、“アルミラノバカー”と言われて、思わず返事をしてしまったが、この人は何故自分の名を知っているのだろうかと思っていると、
「え、えと、いや違うんだ、今アルミラって言ったのはあの封印の精霊の方であって、決して君を悪く言うつもりはなくて、けどその何て言うか、そう、憂さ晴らし? みたいな・・・はは」
と、その外界人の彼は、アルミラにとっては理解出来ない言葉を早口で言った。
「あ、あのさ。さっきのこと、怒ってる? 村の入り口でのこととか・・・きっと、怒ってると思うけど・・・でも俺、別に見ようと思ってみてたわけじゃないから、けど、その・・・ゴメン」
「おめ・・・しゃんぷたーけよっと、け?」 <貴方は・・・シャンプが助けたっていう方、ですね?>
「・・・やっぱ、分かんないよなぁ・・・ごめん、も通じない・・・?」
「・・・いーも、わんねーどや」 <・・・言っても、分からないんですよね>
暫しの沈黙。お互いに意思の疎通が出来ない以上、何もすることは無い。
ややあって、アルミラはプルの隣に腰を下ろした。同時に、プルは慌てて上半身を起こす。
「ここ、いい場所だね」
思わず、口をついてそんな言葉が出て来た。通じないことは分かっているが、そう言葉にせずにはおれなかった。
村の入り口(もしくは出口)の近くにある崖の上――プルは気付かずに上って来たのだが、ちょっとした抜け道を通ればすぐに辿り着ける場所だ。そこには雑多な植物が生い茂り、花を咲かせてその美を競い、木々の合間からは青空が覗き、そこからは村を一望することが出来た。
「何か・・・とっておき、って感じで・・・うん」
「おら・・・おめなーもしんねー。ゆーてこ、わんねーもよ・・・」 <私・・・貴方の名前も知ることが出来ません。何を言っているのか、分からないから・・・>
唐突にアルミラが振り返って、プルは思わず頬を染めた。と、
「わーっと、しゃんぷたーけよっと・・・おめのつーなはね。わーっと、ご・・・ご・・・おもーね・・・おめ、せーと!!」 <分かってます、シャンプは貴方を助けようとして・・・貴方は関係無いって。分かってるんです、でも・・・でも・・・思わずにはいられない・・・貴方の、せいだって!!>
言って、アルミラはわっと泣き出した。
「えーっと・・・」
プルはともかく何か言おうとして、言葉に詰まった。そんなつもりは無いのだが、見詰められると胸が締め付けられるように苦しくなってくる。とりあえず笑顔を見繕ってはみたものの、その瞳を直視出来なくて、プルは少し目線を逸らした。
アルミラは、その相手の挙動を拒絶の仕草だととった。
無理も無い話だ。見ず知らずの女に、訳の分からないことを言われて腹を立てない人がいるとは思えなかった。しかも今、彼女は彼を罵ってしまったのだ。言葉が分からないとはいえ、雰囲気は通じたに違いない。アルミラはともかく、頭を下げて、
「すまそ」 <ごめんなさい>
とだけ言うと、もと来た道を駆け戻った。
言ったところで、何も変わりはしなかった。
自分の一番大切な人は一瞬にして奪われ、もう元のようには戻れないのだ。彼は、シャンピニオンは、世界を救わなければならない。聖魔剣リシーサの、主として。
辛いのは自分だけではない。分かっている。それでも、胸の痛みは治まりはしなかった。
「おら・・・ひでーこつ」 <私・・・ひどいことを>
村の機織小屋まで来て、アルミラは“秘密の場所”を見上げた。あの外界人の彼は、まだあそこにいるのだろうか。
ひどいことを言ってしまった。
彼だって、好き好んで敵の人質になったわけではあるまい。加えて、不条理に呪われてしまったのだから、自分よりももっともっと辛いはずなのに――それなのに、自分に笑いかけてくれた。そんな彼を、言葉が分からないとはいえ、罵倒してしまったのだ。
「ひでーめー・・・」 <ひどい女・・・>
思い知らされた。
アルミラはそのまま機織小屋へ入ると、内側からしっかりと閂をかけた。
もう、誰にも会うつもりは無かった。そう、誰にも。
残されたプルは、ひたすら自問自答を繰り返していた。
何故彼女は、泣きながら走り去ってしまったのか。ひょっとしたら、自分が何か気に障るようなことをしてしまったのではないだろうか。思い当たるのは、勇者様に認定された彼との抱擁シーンを見てしまったことだろうか。というかそれ以外に有り得ない。
「・・・そりゃ・・・怒るよなぁ・・・」
恋人が無事に帰って来て、嬉しくなっているところにお邪魔虫――しかも全部見てたとなると、シチュエーションとしては最悪だ。
はっきり言って、プルは既にあの二人が恋人同士であることには何ら疑いを持っていなかった。態度からしてもそう。あれが友人同士の態度だというのであれば、恋人同士の態度はどうなるのだと。
プルがそんなことを考えていると、
『プルアロータス!』
頭の中に大音響がワンワンと響いた。封印の精霊の方の、アルミラの声だ。
「ア・・・アルミラ?」
『何をウジウジしてるのよ、勇者様!』
「え。だから俺勇者じゃないって――」
『リシーサに認められたから、勇・者・様・よ!』
絶句して言葉が出ないプルの前に、本物の勇者様とその手に収まった封印の精霊アルミラが現れた。
『プル、あのね、あたし怒ってるのよ』
ぷっと頬を膨らませながら、精霊アルミラは言う。
『そりゃあ確かに間違えたあたしも悪かったわよ。でもね、バカは無いでしょバカは!』
「え? 聞こえてた?」
『聞こえてました! それに何よ、自分だけ辛いんだって顔して!』
言われて、プルははっとして顔を上げた。そこには、自分よりも幾つか年の若そうな少年がはにかみながら立っていた。その背には、あの巨大なキノコ剣が括り付けられている。
「あ・・・」
「はずめますて、オラ、シャンピニオンてゆーなも」
「あ、どうも・・・って!?」
びっくりして、プルは叫んだ。
「言葉、え? 分かるの!?」
「少ーしわな」
ニッと笑って、シャンピニオンはプルの隣に腰を下ろした。
「ここ、いいもべ」
「え、うん、どうぞ」
言葉が分かるならさっき言ってくれよ、とか思ったが、プルは何も言えなかった。先程の少女の気まずさはまだ消え去ってはいない。
「・・・オメ、名めーは何てーだ?」
「あ、俺? 俺は・・・プルアロータス。みんなはプル、って呼ぶけど」
「すっか。オラはシャンプってーばれてんだやな。シャンプだぁ」
「うん、そっか・・・」
ややあって、
「さっきぃは・・・すまそな」
唐突に謝罪の言葉。プルが驚いている暇も無く、彼は続けた。
「オラがもっとはよ着けたらま・・・オメを巻く込むこと無かったーでけよらも。オメが呪ーれるこつもね、オメが危な目せんとぉぜ・・・ほん、すまそ」
プルが精霊アルミラを見ると、この態度の差は何なのかしらという目で見返された。
よくよく考えれば、このシャンプとか言う少年はプルを助けようとして剣を抜いたのだ。それなのに一方的に謝られると、かなり居心地が悪い。
「い、いいって、もうそんなことは。俺もたぶん、不注意だったし――」
『もぉ・・・あのね、勇者様は、アナタが結界を無視してリシーサに近付いたことも黙っててくれたのよ? もしかしたら魔衆だと思われたかもしれないのに、それも必死に否定してくれたのに“たぶん”!? あたしから言わせてもらえば、そりゃあたしだって迷惑かけちゃったけど、落ち込むくらいなら彼を見習って少しは頑張るぞ、ってやってみたらどうなの?』
「わわ! アンミラせー、言わんでよぞ、ま」
「・・・」
「気にせんでーれも。オラ、まつがったこつすたつもーはねぇでよろ。けんど、気にさーったら、ほん、すまそ。どっか・・・許してくんねーかよ?」
プルはもう一度、目の前の少年を見た。腕に刻まれた光を見ても取り乱すことなく、平然とした態度を保っていた彼。いくらこどもの頃から言われていたとしても、全く動じることが無いなんて有り得るだろうか。実際にその恐ろしさを目の当たりにして、辛いこととかあるだろうに、余程の精神力だ。
それに引き換え、自分はどうだろう。まぁ、不運不運でここまで来て、絶望のどん底に叩き落されて、一般人だから仕方が無いと居直ることも出来るだろう。それでも、アルミラの言葉じゃあないが――もう少し、しっかり出来ないだろうか。
辛いのは、そう、自分だけじゃないから。
「あの・・・シャンプ?」
「おー?」
「俺・・・頑張る。ありがとな」
笑って、勇者様に手を差し出してみる。勇者様は無邪気に、
「よろしゅーじゃか、プル」
と笑うと、手を握り返した。その手は、プルとあまり変わらなく、そして、プルよりももっと、力強かった。
『それでいいのよ』
少し照れたような声が、二人の間から聞こえた。
そして。
『ようやく後を任せられるわ。うん』
ニッと、アルミラが笑った。そして言う。
『困ったこととか、あると思う。そのためにも、賢人である“エメティカ”様を探すことを第一に考えて。きっと、力になってくれるから。いい、エメティカ様よ? 赤い髪をしていらっしゃるから、すぐに分かる・・・外見は信じない・・・・・・リシーサの・・・だから』
霞がかった声が遠のいて。
「・・・アルミラ?」
「アンミラせー?」
驚いて二人が封印石を見ると。そこには光に包まれたアルミラの姿があって。
『私はここでさよならだけど・・・頑張ってね』
彼女がそう言うと同時に、光が爆発して。
「アルミラ!!」
「わぁ!?」
光が収まった時。そこにはもう――崩れてしまった石の破片しか、無かった。
『きっと、世界を救って・・・』
最後に、そう言って笑う彼女の幻が見えたような気がした。その笑顔はとても、嬉しそうに見えた。
そして、それきり。
聖魔剣リシーサ最後の頸木は、消えてしまったのだ。
魔衆――彼らの実態は定かではない。過去に幾度も表れ、そして何度も歴史の裏側に潜み、生き長らえた。少なくとも、そう思われているのは確かである。
だが、違う。
彼らは決して同一ではなく。決して不変のものではなく。決してアマニタ(魔族)だけではなく。
ただひとつ。同じ目的のために働いているのみ。それだけが魔衆の証だ。
よって、今、この魔衆を率いているのはかつてのそれとは異なる者だった。名を、レイスと言う。
魔剣士グラシリスは、重い足取りで魔衆の主であるレイスの元へと向かっていた。何と主に告げればよいものか、そればかりが頭について離れない。
「・・・報告は必要だろうな・・・」
まず必ず言わなければならないのは、聖魔剣リシーサのこと――それを奪い損ねたこと――だ。言い方を考えるならば、勇者が剣を抜いてしまった――だろうか。どちらにせよ、彼の元にリシーサを届けることは出来なかった。そして、勇者が剣を手にすることも、阻止出来なかったのだ。
そして、もう一人の主であるエントローマ(ロードポリウス)の失態。これは勇者を侮っていたからと言えようか。とはいえ、真っ二つに裂かれはしたものの、魔神のその力は失われてしまったわけではない。あくまでも、仮初めの肉体が失われただけだ。その証拠に、グラシリスの右頬にはまだ刻印が消えることなく残っている。もっとも、消えてしまったところで喜びこそすれ、悔やむことは全く無いのだが。
「・・・まさかロードポリウスをもってしても失敗するとは・・・」
思い切って、もう一度あの村へ行き、勇者から聖魔剣を奪取するのはどうだろうか。うまくゆけば、此度の失態も許されるのではないだろうか。だが、ロードポリウス――認めたくは無いが、自分よりも力あるものだったことは確かだ――ですら太刀打ちできなかったあの勇者を、自分ひとりで打ち負かす自信は無かった。今しばらくの猶予さえあれば、今よりも力をつけて戦うことは可能であろうが、今すぐにでは無理だ。
(いっそのこと、逃げ出してしまうか・・・?)
そういった思いがふと頭を過ぎり、グラシリスは慌てて頭を振った。
相応しくない。
己の良しとする誇り高き道において、その考えはあまりにも相応しくなかった。失態を演じながらおめおめと逃げ帰るだけでは飽き足らず、さらには主を恐れて身を隠そうなどとは。あまりにも惨めだ。
「どうすべきか・・・」
だが、もう少し時間が欲しいと思うグラシリスの思いとは裏腹に、彼の足は正確に彼を主の下へと導いていた。
「どうした、グラシリス」
はっとして顔を上げ、グラシリスは慌てて膝をついた。
「レイス様。魔剣士グラシリス、ただ今戻りました」
この世に正義と悪とがあり、英雄と崇められる人物が存在するというのであれば、レイスはまさしく悪の英雄だった。
年若く見えようとも、類稀な美貌の持ち主であろうとも、その実力は魔神をも凌駕すると言われ、その内に秘めた威厳は並大抵のものではない。バラバラでしか動かない魔衆を束ねるだけの格の差が、そこには確かに存在しているのだ。
「グラシリス」
「は」
畏まったまま動けなくなっているグラシリスに、レイスの鋭い一言が投げかけられた。
「言うべきことは何だ」
一瞬、グラシリスの目の前が真っ暗になった。当初から薄暗い部屋の明かりが消え去ったわけではなく、単純に血の気が失せたのだ。飛んでしまった思考を必死にかき集めながら、グラシリスは答えた。
「も、申し訳ございません」
頭を下げたまま、言葉を選びながら答えを繋げて行く。
「我等が悲願であります、大魔神アクラシス様復活のための聖魔剣リシーサを、ここにお持ちすることが出来ず・・・リシーサを手にすることは出来ませんでした・・・勇者が復活をいたしたのも・・・魔神エントローマが破れました。力及ばずにここへ戻ってきた失態は、如何なるものであろうとも受ける所存でございます」
言って、グラシリスは唇を噛んだ。途中が少しごちゃごちゃしてしまった気がしたが、構ってはいられなかった。
失態は、“如何なるものであろうとも”受ける――思わず口にしてしまったその一言を、グラシリスは自分で恐れた。パンセリナとヴィローサ姉妹の玩具になる、という罰は運良く免れることが出来たものの、それ以上の罰が待っている気がして生きた心地がしなかったのだ。
暫くの沈黙の後、レイスは口を開いた。
「ご苦労だった。下がって良いぞ」
「は、申し訳――え?」
グラシリスは、自分の耳を疑った。ここまでの失態に対し、主人は今、何と言ったのだろうか。
だが、そんな部下に対し、レイスは独り言のような言葉を続けた。
「そうか、聖魔剣はシャンピニオンの手に渡ったのだな。お前の報告を聞くまでは確信がもてなかったが・・・これで分かった。やはり歴史は変わらぬものだ」
「・・・」
「エントローマも然り。所詮は紙に描かれたものに過ぎなかったというわけか・・・まぁ、文献がひとつ無駄になった程度か。とはいえ、あやつにはあの程度の知能があれば十分だろう。再び呼び出だす際にも少々試したいことが・・・」
「レイス様」
「ああ、グラシリスか。何だ」
初めてグラシリスがそこにいるのに気が付いたかのように、レイスは彼を見遣った。グラシリスは思い切って尋ねてみる。
「あの・・・私の失態に対する咎はいかがなものを・・・?」
「苦労をかけたなという一言だ。すまないが、賞を与えようとは思っていない」
グラシリスは絶句した。大魔神アクラシスの復活に、聖魔剣リシーサは欠かせないはずなのだ。顔を上げて、叫ぶ。
「しかしレイス様、聖魔剣リシーサは――」
「何か不服か。自ら進んで余計な罰を受けたいとでも?」
「いえッ・・・そういう訳では・・・」
「ならば良かろう。得心が行かぬか?」
「・・・」
「言っておくが、自ら志願したにもかかわらず、聖魔剣リシーサを奪えなかったことは確かに咎だ。だがエントローマは身をもってして剣の主の実力を知らせ、お前はその証人としてここにいる。それで帳消しだ」
「・・・ありがたきことでございます」
「それに」
言って、レイスはグラシリスの目の前に膝をつき、笑った。
「お前が無事ならば、それで良い」
また一瞬、グラシリスの頭から思考が飛んだ。礼を述べなければならないということは分かりきってはいるのだが、今し方耳にした言葉を信じることが出来なかった。
嘘かもしれない。
だがそうであったにせよ、自分のような魔衆をも気にかけて下さっているのだと、そう思ってみるのには十分な一言だった。
「あ、ありがたき幸せ・・・」
しどろもどろにそう呟き、グラシリスは頬を染めた。
「暫くは休んでおけ。ご苦労だった」
「は・・・」
夢見心地のまま、グラシリスはその場を離れた。あの褒め言葉はウソだろうという思いは確かにある。あるのだが、それ以上に嬉しくてならなかった。いくら社交辞令だとしても、主――それも己が憧れる人物――にああ言われれば、少しぐらいいい気になってみてもいいのではないだろうか。
グラシリスは緩みかけた顔を軽く叩いて気合を入れると、レイスのいた場所を振り返って一礼し、己の持ち場へと去っていった。
レイスは、自分の部下が去って行くのを見届けると、再び己の場所へと舞い戻った。会見の場に留まっても良いのだが、やはり落ち着く場所が一番だということだ。
「聖魔剣リシーサに選ばれし勇者・・・か」
レイスは、魔鏡に映し出された少年の姿を見た。金髪に、青い瞳。自分と同じ特徴。少年のように見えるのも、力を持たないように見えるのも、全てはまやかしに過ぎない。
だがもうひとり。
そう、彼こそがもう一人の“勇者”。薄い茶髪に緑の目。何処にでもいる、ごくごく普通の一般人。偶然か必然か、彼もまた、選ばれたのだ。
「・・・面白いことになってきたな」
思わず、笑みがこぼれる。魔衆には言うまでもないだろう。寧ろ、言わない方が色々と楽しめそうだ。
魔衆にも、信じるに値するものはいる。それは確かだ。
だが。
多くは手駒でしかない。レイス自身を利用しようと企み、近付くものは全て。
そして、レイス自身、それを良しとしている。誰も己の真の目的は知らぬし、それを成し遂げるために誰かの力を借りようとも思わないのだから。
全てが動き始め、もう後戻りすることも、止まることも出来ない。その終焉に待つものが何であるのか――見届けてみたいものだ。
「・・・今日は月が綺麗だな」
皮肉っぽくそう呟くと、レイスは姿を消した。そういえば自分は、月を眺めるのが好きだったなと思いつつ。
夜。プルはシャンプの誘いを断って、独り客室にこもっていた。いくら出立の前の宴だからとはいえ、部外者が邪魔するのもどうかと思ったのだ。それに、シャンプは大丈夫だと言っていたが、村人達が自分を快く受け入れてくれるかどうかは分からなかった。それに邪魔をするのもどうかという話だろう。何といっても、彼にとっては旅立ちの前の日だ。積もる話もあるだろうし。
というのは実は建前で、ご馳走と思わしき物体を何一つ食べられないと判断したからこそここでこうしているのである。プルにとって、ぶよっとした虫の幼虫やねばねばした何かの汁は、食べ物として認知できないものなのだ。ついでに言うと、色が青や蛍光緑のものもちょっと遠慮願いたい。
「・・・何かなぁ・・・」
プルは窓の外から月を見上げた。
幻想的だった。少し欠けた月が一帯を照らし、昼とはまた異なった美しさを演出している。
「夢、じゃあないんだよな」
プルはそう呟いた。今日一日であまりにも多くのことが起こりすぎて、その度に驚いたり疲れたりしていたが、そのどれもがひどく現実離れしていた。
プルは、自分の手を見た。何らいつもと変わらない手。見た目は、昨日と同じ手だ。
「夢、だといいんだけどなぁ・・・」
言っても仕様が無いことだとは思うが、それでも言いたかった。呪いだか加護だか知らないが、自分が何故こんな目に遭わなければならないのかと。とりあえず、その腹立たしさはあの妙なキノコ剣ではなく、そのキノコ剣を奪いに来た輩に転嫁することにした。自己防衛自己防衛。
ともかく、出立は明日だ。
まずは、ランプテロミス村に帰らなければならないだろう。つい先程思い出してしまったのだが、自分はバリバリの遭難者なのだ。今日の出来事に振り回されて思い出す暇がなかったのが何とも言い様が無いのだが、家族だって心配していることだろう。もしかすると死んだとか思われたりしていないだろうかとも思うのだ。早く家に帰って元気な姿を見せたい。というか家でまともな食事をしてまともな寝具で寝たい。
「あーあ・・・早く帰りたい」
長椅子に何かもわもわした繊維状の物体――蜘蛛の糸に近い気がする――が敷き詰められただけのベッドに横たわりながら、プルはそう嘆いた。
「うう・・・何かの餌にされてる気がする・・・」
これから先どんな旅が待っているにせよ、それなりの食事と寝具にありつけますようにと何かに祈りながら、プルは目を閉じた。空きっ腹がグーグー鳴ったが、ひたすら無視して眠りの体勢をとる。もしここで空腹に屈して階下へ降りようものならば、三日は寝込むこと間違い無いとプルは本能的に感じ取っていた。
「気のせい気のせい・・・明日になれば、そう、明日になればきっと何か食べ物があるさ・・・」
とりあえず、自己催眠をかけて寝ることにした。
それからかなりの時間が経ち、宴もお開きになり、月が空高く上りきった頃。
蜘蛛の巣に囚われながらもがいている夢を見ているプルを筆頭に、誰もが眠りについているこの時間に、起きている者がいた。
ひとりは、シャンピニオン。彼は弱音を吐くまいとしながらも、滲む涙をこぼさないように月を見ていた。村の少女アルミラとの秘密の場所、そこから見える絶景は、月を加えるとさらに神秘的なのだ。無論、それは建前だ。辛くて重くて潰されそうな宿命に、たった独りで立ち向かわなければならないのだ。平気なはずは無かった。
それでも彼は、勇者なのだ。強く、ならなければならない。
「きんだらー。なぁんもかもよー」 <綺麗だ。何もかも>
月。美しい月。その月光の下、ある小屋だけがぼんやりと光を放っていた。
「おめー、こんつくみとーよ・・・? あんみらよー・・・」 <お前も、この月を見てるのか・・・? アルミラ・・・>
もうひとりは、アルミラ。村の少女だ。剣の封印の精霊と同じ容姿を持ちながら、その理由は分からないままだ。しかし彼女もまた、目元を潤ませながら月を見ていた。村の機織小屋、そこの窓から差し込む月光は、彼女の座っている織り機を明るく照らし出していた。ふと、機を織る手を止める。
「な、しゃんぷ。おらぁ、ほんわーっと。そんちおめ、おらんしんぬーとーへゆーとまーね、さ。ご、しんずーね。しんずー、そほんになろ・・・なー、ほんこがっとそー。おめとーへつっかねーにいのーとっと。ご・・・いのーたんねかよ。でーびわっとーねおもとねー」 <ねえ、シャンプ。私、本当は分かってた。いつか貴方が、私の知らない遠いところへ行ってしまうんじゃないか、って。でも、信じたくなかったの。信じてしまえば、それが現実になりそうで・・・だから、本当はこのマントもそう。貴方を遠くに連れて行かないように祈りながら織ってた。でも・・・祈りが足りなかったのかな。旅立ちの日に渡すことになるなんて思ってもみなかったから>
そう独りごち、そっと目を伏せる。考えないようにすればするほど、そして笑おうとすればするほど、愛する人の笑顔が、声が、目の前に浮かんで消えなくなってしまう。分かっているのに。頭で理解しても、心はどうしても静まらなかった。
「・・・ひでーめー。たせつーと、わっとおんでけらーねんめ・・・」 <・・・ひどい女。大切な人、笑って送り出すことすら出来ないなんて・・・>
思わず、頬を熱いものが伝う。何度瞬きをしても、涙は止まらなかった。止め処無く、あふれ続ける。
月。美しい月。その月光の下、今は大切な人はすぐ近くにいる。だが、明日からは――
「つく、きんだらー・・・」 <月が、綺麗・・・>
アルミラは、滴り落ちる涙をそのままに、再び機を織り始めた。その音が、夜の閑に響き渡る。
未明。まだ太陽は昇ってはいない。辺りは真っ暗だ。そんな中、少年二人は村の入り口(出口)にいた。
「・・・」
「――でよ、おーずずせーがゆーんは、こっから出てしばらく行くとよも、結界があるんでまや、そこ越えっともー戻って来れぬっきとゆ、忘れモンすっと困ってまーで?」
「・・・」
「大丈夫けー? プル」
「んあ・・・?」
「こっからいろいろせにゃなんねーこつあっとよが。でひょめ、夜が明けるめーにちゃちゃっと行っちまおってばな。聞いとんげ?」
「・・・眠い・・・今何時~?」
「さー?」
「・・・あうう・・・あと五分だけ・・・」
「ダメぽー。行くったら行くっちなぼ。うりうり」
「ぎゃあーははは! くすぐるの無し! あははは! くすぐったいってあははは!!」
三分後。
「起きたーけ?」
「ゼー、ゼー・・・お、おかげさまで・・・」
昨日はかなり早く寝たはずのプルだったが、それでもまだまだ寝足りなかった。もっとも、睡眠時間は睡眠の深さと脳の疲れによって変動するので云々。
ともかく、眠たげなプルと空元気のシャンプは出発の準備も万端、のはずである。
「行くめ」
「・・・あのさぁ、シャンプ」
「何ず?」
ようやく頭が働き始めたプルは、思い切って疑問を口にしてみた。
「お別れは・・・言わなくていいのか?」
「! い、えーもよ!! 言わんでよかーね!!」
その頑なな態度を見て、プルが一言。
「けどさ、シャンプ。せめてその・・・マントを織って貰った彼女に、お礼は言ったほうがいいと思うよ」
今朝、起きたばかりのプルが指摘した半透明の手織りのマント。シャンプによれば、それはあのアルミラにそっくりな少女、アルミラが彼に作ってくれたものだという。
「今言わなきゃ、もう・・・お礼、言えないだろ?」
シャンプは、機織小屋の前に立ち尽くしていた。本当ならば、アルミラには何も告げず、そのままこの村を出るつもりだった。顔を見れば、少なからず決心が鈍ってしまうから。
だとすれば、分かっているのに何故ここに来たのだろう。あのプルとか言う彼に勧められたから? そう言い訳することも出来るだろう。だが今はそれよりも――一言だけでも、彼女に伝えたかった。ただの、我侭だ。
意を決して、機織小屋の扉に手をかける。中はまだ薄暗いが、アルミラのいる場所は分かっていた。
「あんみら!」 <アルミラ!>
織り機のある部屋。その前で、シャンプはそう中にいる人物に呼びかけ、ドンと戸を叩く。
「いっときてーこつ――」 <言いたいことが――>
「いりなんね!」 <入って来ないで!>
だがシャンプの言葉は、そのアルミラの叫び声によって遮られた。
「あ――」 <ア――>
「も、かーもみんねー! たのま、もゆーと!」 <もう、顔も見たくないの! お願い、もう行って!>
シャンプは、扉に触れていた手をそっと下ろした。何を考えていたのだろう。余計に辛くなることぐらい、分かりきっていたことなのに。
「・・・すまそ」 <・・・ごめん>
謝り、顔をしかめる。泣いてはいけない。
暫しの間。シャンプがもう立ち去ろうかとしたその刹那、中からか細い声が聞こえてきた。
「あやまーな・・・もっつれー。いんねー、あやまー、おらぁだ。わっとおんでけなーと、なむだでよー。わーっとご・・・とまーね」 <謝らないで・・・よけいに辛いから。ううん、謝るのは、私の方。笑顔で送り出さなきゃいけないのに、涙が出てくるの。分かってるのに・・・とまらないの>
「あんみら、おら・・・」 <アルミラ、俺・・・>
「きんね! かーみとー、とまーね。くーおめーひっとめよー。なー、も・・・」 <来ちゃダメ! 顔を見たら、止められない。きっと貴方を引き止めてしまう。だから、もう・・・>
この扉。たった一枚の扉を隔てて、二人は対峙していた。お互いに、分かっていた。分かっていたからこそ、その先に進むことは無かった。顔を見れば、そう、止められないから。
「あんみら――すまそ・・・あんがと」 <アルミラ――ごめん・・・ありがとう>
「・・・さーなら」 <・・・さようなら>
さようならと返そうとして、シャンプは言葉に詰まった。言いたくない。さよならなんて、言いたくない。
「さーならじゃねー。まー、あえよー。ぜんなんもかんもおわーと、あいにくーさ」 <さよならじゃないさ。また、会える。全部何もかもが終わったら、会いに来る>
「・・・」 <・・・>
たとえ今は離れ離れになってしまったとしても。これだけは伝えておきたいことがあった。だから伝えなければならない。シャンプは、口を開いた。
「おらかなーずもどー。なんぞあーれ、ぜとーあんみら、おめんとこもどーとけ。わくれなんねー。おらとーへゆーがも、おらんこころぁこーさ。はなれよー、ずーいっさー。なー――」 <俺は必ず戻る。何があっても、絶対にアルミラ、お前のところに戻って来るから。お別れなんかじゃない。俺は遠くへ行ってしまっても、俺の心はここにあるから。離れても、ずっと一緒にいる。だから――>
「しゃんぷ・・・」 <シャンプ・・・>
「やくすく、いのちとほこり、ぜーめいとかむに・・・まも。おら・・・すんずと」 <約束は、命と誇りに懸けて、神に誓って・・・守るから。俺を・・・信じてくれ>
これが、精一杯だった。本当は、ここにいたい。ずっと一緒にいられると信じていたし、これからもそうだとばかりおもっていた。それがこんなことになるとは思ってなかった。
だが。
だからこそ。
約束、したい。必ず戻って来る、と。
ややあって、少し元気を取り戻したアルミラの声が聞こえた。
「ん、そーな・・・すんずよ」 <うん、そうだね・・・信じてる>
扉の前で、シャンプは笑った。声を出せば涙が出そうだったし、そんなんで笑うことなんて出来なかったけれど、顔を歪めて笑ってみせた。自分が悲しめば、アルミラもきっと辛いから。だから笑うのだ。そして言う。
「ざー、おら・・・いってこよ!」 <じゃあ、俺・・・行ってくる!>
「いってこよ」 <いってらっしゃい>
泣き出しそうな笑顔のまま、シャンプはキッと顔を上げると、小屋から飛び出していった。今度はもう、振り返らない。約束したから。そして約束は必ず守ると、誓ったから。
シャンプの姿が夜明け前の薄闇に消えるのを窓からじっと見届けながら、アルミラは呟いた。
「いってこよ――しゃんぴにおん・・・くーぶずーで・・・おら、すんずよ・・・やくすくかのーび――そんび、ちーとなー、さーなら・・・な」 <いってらっしゃい――シャンピニオン・・・きっと無事でいて・・・私、信じてるから・・・約束が叶うその日まで――その日まで、ちょっとの間だけ、さよなら・・・だね>
とりあえず、自分はいいことをしたのだろうとプルは思っていた。その、最後のお礼だかお別れだかは分からないが、とりあえず二人は何かを言ったのだろう。大切な人に何も言わずに出てゆく気持ちも分かる。が、やはり何かしら言っておいてもらった方が、そのときは辛いかもしれないが、後になって――いいことだと思うようになるのだ。少なくとも、プルはそう思っていた。
だがそれも最初のうちだけで。何故なら、村を出てから暫く歩き通しだ。シャンプが謎の果実もどきを齧りつつ先頭を切って歩いて行き、プルはその後を必死で追いながら、暗がりから妙な獣が飛び出して来やしないかとビクビクしていたのだから。そんな訳で、シャンプがふと足を止めた時、プルが何か出て来たのかと驚いて身構えてしまったのも無理の無い話しである。
「・・・こっか」
「ど、どうかした? シャンプ」
「んー」
まだオドオドしているプルに、シャンプは感慨深そうに告げた。
「こっから先はよー・・・オラの知んねートコだなま。要すっに、こん縄越えたらもー村には戻れねーんざ。すれを思ーと、っかこー・・・ごんざばれなやだーるもけ」 <(中略)それを思うと、何かこう・・・胸に来るものがあるなぁと>
「ふーん・・・」
最後の方は何をいっているのか分からなかったが、ともかくこの先はシャンプの知らない世界、逆を言えば自分の知っている世界になるわけである。早く越えたいと思ったが、シャンプが名残惜しそうに辺りを見回しているのを見て、先を譲ろうと思ったりしたプルであった。
木々に生る赤いリンゴ。熟していないものは、ほんのりと黄色くて。まだ若いものは黄緑色。
「帰ってきたぞぉ~!!」
イソギンチャクのような触手の生えていない、ごくごく普通のリンゴを頬張りながら、プルは叫んだ。その隣では、シャンプが色とりどりのリンゴ口に入れては首を捻っている。
「動かねー、軟らけー、味うすー・・・こんなんがうめーんかろ? リンゴけー、妙なモンさーね」
「これが、こっちの普通なんだって! おいしくない?」
「んー・・・びみょー・・・早いトコ慣んねーと・・・」
言いながら、あっちの木へこっちの木へと上ったり下りたりしながら、片っ端から口に入れていく。目に映るもの全てが珍しくて、知りたいことがたくさんあるといった感じだ。だからといって生態系が崩れるほど採る必要は無いと思うのだが。
「まぁ・・・いっか」
戻って来れたという開放感で気が緩んでいたプルは、ここが森の奥だということをすっかり忘れてしまっていた。いつもならばリンゴを齧りながらウキウキと歩くことなんて決して無いのだが、自分の知っている世界に戻って来たことで緊張の糸が緩んだ。
丁度その時、シャンプは木の天辺で見慣れない小さな実を千切っていた。プルからは少し距離が離れていた。
そしてプルが気付いたときにはもう、獣の牙が眼前にあった。
叫ぶ間も無く。
プルはオオデースの身体の下敷きになった。
「!!!」
「プル!」
「――――――!」
必死に助けを呼ぼうとしたが、腕に食い込んだ牙の痛みで気が遠のき、声が出てこない。
と、その時だった。
突然オオデースの身体が二、三度痙攣したかと思うと、急に動きを止めてしまったのだ。力無く自分に圧し掛かって来る獣の下から慌てて抜け出すと、そこには、脇腹に短刀を深々と突き立てられて絶命した肉食獣の変わり果てた姿があった。同時に、シャンプが駆け寄って来る。
「プルー! ぶずーか!? でねー、無事かーと!?」
「あ、え? シャンプ・・・じゃ、ない、よな?」
「オラ、慌てて飛び降りよって・・・はー、怪我ねぇで何よりじゃまー」
驚いてプルが自分の腕を見ると、あれ程がっしりと食い込んで肉を割いていた牙の後が、全く残っていなかった。確かに骨まで砕ける勢いで噛み付かれたはずで、血も出たはずなのだが、何事も無かったかのように腕は無傷だった。
(もしかしてコイツのせいか!?)
プルは、シャンプが背負っている巨大なキノコ剣に疑いの眼差しを向けた。呪いがどうだの加護がどうだの言っていた気もするが、もしかするとこれがそうなのかもしれない。
ずばり、『怪我をしてもすぐに完治』だ。
だがどうせなら痛みも消してくれた方がプルとしてはありがたかったのだが、ともかく今回のところは傷の深さで死ぬことはなくなったので良しとすることにした。
それにしても、とプルは獣の脇腹に突き刺さった短刀を抜いた。どう見ても、これはシャンプの持ち物ではなかった。血の付いた刃は少し置いといて、柄の部分に凝った模様が刻まれている。自分が持っているような万能ナイフとは違い、刃も長いし、何よりも鋭い。そしてこのどっしりとした重み。明らかに武器専用のつくりである。そうプルが思いを巡らしていると、
「おい」
呼ぶ声が聞こえた。
「え?」
驚いて顔を上げると、シャンプが後ろだと手を振っている。そういえば急に影が出来たような気も――
「オメェ、ちょっとこっち向きな」
ドスの利いた低い声でそう言われ、思わずプルは硬直した。獣の次は何だというのだ?
プルが動けずにいると、気を利かせたシャンプが――プルにしてみればあまり嬉しくないことだったが――くるりとプルを声の主の方へと向き直らせてくれた。
そこには、がっしりとした体つきの男が立っていた。しかもただの男ではない。頭の天辺からつま先まで、黒光りする鎧で覆われているのだ。無論、顔も隠れてしまってよく見えない。
「んだぁ、ガキだな・・・何でこんなトコにいんだよ」
荒っぽい口調で、男はそうなじった。プルはただただ、冷や汗を垂らしながら愛想笑いを浮かべるしかなかった。一方のシャンプの方は、
「あっちがオラの村じゃけーのれ」
と言って来た道を指し示しながら笑顔で対応している。
「ふぅ・・・ん。この辺りに村なんてあんのか?」
「はー、も今は入れねっと思うっべっけーども」
「何で」
「魔ん手攻めて来おーて・・・えらいこつなっちもてさ。結界張り直したんだーもよ」
「まぁよく分からんが・・・大変だったんだな」
「んだー」
「だがな、この辺りは危険なんだ。そんなリンゴを齧りながらウロウロしてていい場所じゃねぇんだよ! 分ぁったか!! 俺が間に合ったから良かったけどな、下手したら死んでたんだぞ!? 本気で、死んでたんだぞ!!」
その一言で、プルは一層体を強張らせ、シャンプは目をぱちぱちさせた。大迫力というか、違う意味で「分かりました」と言っておかないとヤバイ感じがひしひしとする。
「ともかくだな、ガキがこんなトコに来るのは感心しねぇ。現に行方不明になってるヤツもいるんでな」
「すっだらけー。怖ぇなー」
「ああそうだ。怖い場所だぞ、ここは。何なら俺が村まで送ってやろうか?」
「オラんトコ、も今さ戻らんねーもよ」
しょんぼりとした様子で、シャンプはそう返した。男もさすがに悪かったと思ったのか、
「ああそっか・・・じゃあ、何だ。近くの村まで一緒について行ってやろうか?」
だが、この恐ろしい戦士風の男に対しても、シャンプは全く怯えることなく、笑いながら首を横に振った。
「いんねー、平気だっべ。こん道をー、真っ直ぐじゃけーよな?」
「まぁ、そうだ。日が昇れば、ああいった類の獣は暫く身を隠すだろうから、動くならそれからにしとけ」
「あんがとさー」
「おー、オメェらもな」
(よかった! 俺のこともシャンプと同じ村出身だと思ってる!)
プルがほっとして短刀を返し、シャンプが手を振って分かれようとしたその瞬間、
「ああ、そうだオメェら。ちょっと待ちな。ひとつ、聞きてぇことがある」
男は急に振り返った。そして、低い声でこう続ける。
「オメェら・・・プルアロータスという男を知らねぇか?」
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プルアロータスという男を知らないか――、目の前の男は確かにそういった。
「えと――、それ、僕なんだけど」
唐突に呼ばれた名に呆然としながらも、プルは何とかそう答えた。答えながら、目の前の男に心当たりがあるかどうか、必死で脳内を検索してみた。
該当、無し。こんな物騒な知り合いはいない。
「なに? 何だ、そりゃ話が早いな」
言うや否や、男はまるで鞄でも持ち上げるかのように、ひょいっとプルを片手で持ち上げた。
「ぅわあ? ああ!?」
急に視点が高くなり、情けない声を出すプル。
「騒ぐな動くなじたばたするな! メンドくせぇから、このまま持ってくぞ」
◆(穂永秋琴)
旅に出て早々の事件である。
突如現れた謎の戦士(?)。そして拉し去られたプルアロータス。
シャンピニオンは「友達」を助け出すことができるのかッ!? 且看下回分解!!!
おっといけない。興奮のあまり中国語になっちまったぜ。
それでは、本編をお楽しみください。
◆
……これだけでパスしちゃまずいですか? まずいですよね。それでもお前は部長かとか言われますよね。
いや、分かりました。語り続けます。
◆
プルアロータスが巨漢に担ぎ上げられたとき、彼は生まれて初めて泣きわめいた、父親に高い高いをされた日のことを思い出したに違いない。
19年の歳月を退行し、彼はあの日の自分と全く同じように泣き叫んだ。
「ごめんなさい許してっていうか下ろして下ろして下ろして下ろしてぇぇェェ!」
父親は面白がって、彼を勢いよく揺さぶった。
そして今回も全く同じように、男はプルを激しく揺すった。ただし面白がってではなく、苛立って。
「うるせェな、大の男が泣き喚くんじゃねえ。ちとは黙ってろ」
シャンプがニヤニヤ笑いながらあとを追ってくる。男の言葉とシャンプの視線により、プルはなんとか正気を取り戻した。そして顔を赤らめながら、言った。
「シャンプ、笑ってないで助けてくれェ!」
シャンプは足をゆるめはしないが、さりとて速めることもせずに答えた。
「ンだども、取って喰われたりはしねぇべ?」
鎧の男もそれに唱和する。
「そうそう、取って喰いやしねぇよ。おめえの友人はちゃんとしてるじゃねーか」
涙目になって、プルは「はい」と答えた。泣かずにいられようか。森に迷い、イソギンチャクに中り、身体中を蛆に這いまわられ、魔衆に殺されかけ、聖魔剣の呪いを受け。そして今また山賊(仮定)にさらわれようとしているのだから。これも全て、あの地図がいい加減だったせいだ。
――あの地図?
そして山賊(仮定)の声が、プルに当初の目的をはっきりと思い出させた。
「で、ルーニーは手に入れたのか?」
プルは答えられなかった。
気づけばランプテロミス村のすぐ側だった。