2007年04月16日(月) 19時34分-鴉羽黒
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古坂礼という人物について少し語る。
徒歩にして五分と離れていない近所に生まれた僕と礼は、だから当然のように小学校に入る前から友達だった。中学も当然同じで、幸か不幸か高校も同じ。この春で僕らの高校生活も二年目を迎え、つまり付き合いの長さは十年以上になる。昔のことを思い出すと大抵礼が隣にいるのもまあ、当然といえば当然のことだ。
女姉妹に囲まれているせいか、礼には思春期の男子にありがちな女子への敬遠はなかった。高校生となった現在でも仲のいい女子が多い。だからと言って男友達がいないわけではなく、自分のクラス内に限らず友達が多い。僕を除くと、クラス内では特に角嶋紳治という馬鹿と仲がいい。というか、僕とこの二人で最近はトリオのようになっている。
人物について。容貌は小柄で柔和、体力も見た目通り。決して馬鹿ではないのだがやる気と努力のベクトルが妙な方向に向いていることが多く、一般的に評価されることは少ない。手先は器用で、美術と技術は得意。ただし音楽は破滅的。
格好いいというわけではないが、人に好かれやすい顔つきをしている。終始気の抜ける笑顔でいるが、見た目ほどお人好しでもなく、どちらかといえば腹黒い。マイペースで人のいうことをあまり聞かない。
趣味は読書と人間観察。文庫本一冊持って窓際の席に座れば、開店から閉店まで退屈せずに過ごせると言っていた。本当にやったかどうかは知らないが、そうだとしたら店側は迷惑きわまりない話ではある。
それと、見かけによらずよく食う。好き嫌いはあまりないが、カレーが特に好きなようだ。
さて。
思いつく限りではこんなところだが、礼にはどうにも予想外のことをするところがあって、長い付き合いでもその行動に驚かされることが多い。
たとえばどんなって、
「コーヒ、しがない街角に隠された秘密を探しに行こうぜ」
ホームルーム終了と同時にいきなりそんなことを言い出すとか、だ。
「まあつまり、パン屋に行こうということなんだ」
意味が伝わらなかったことを察して簡単な言葉に言い換えたらしい礼だが、どこをどうしたらパン屋が出てくるのかが分からない。
突っ込むのも面倒なので、とりあえず核心にだけ触れる。
「…なんでまたパン屋だ」
いずれにしろ、礼が普段使わない「ぜ」なんていう語尾を使い出したときには、大抵面倒なことにしかならない。昨年末はそれで大晦日に徒歩二十キロ神社詣でにつき合わされ、引いたおみくじは凶だった。
だから礼の言葉に応えた僕の声は目一杯めんどくさそうで嫌そうな声色だったはずだが、まあ当然、礼はそれを無視した。
「駅裏の物寂しい通りに、うまいカレーパンを売ってる店を見つけたんだ。布教しようと思って」
ようやくまともな日本語に出会えた。が、だからと言って魅力的な内容でもない。
カレーパンは缶コーヒーには合わないのだ。
「シンジを誘えよ」
「シンジ部活だよ」
後ろの席の紳治を見ると、既に荷物を持って席を立とうとしているところだった。
「ああ、今日は部活じゃないぞ」
「なら」
「だが今日は、バリスタに行く。コーヒ、カレーパンよりうるわしいおねーさんだ」
バリスタがゲームセンターの名前だと知らない人が聞いたらあらぬ誤解を受けそうな発言だったが、まあなんにしろ、胸を張って言うセリフではない。
「…まあ、よろしく言っておいてくれ」
その“うるわしいおねーさん”を思い浮かべ、僕は苦笑いを浮かべたが、ひとり事情を知らない礼はぽかんとしていた。
「もしかして、シンジ何か悪い人にでも騙されてるのかな?」
そしてそんなことを僕に聞いてくる。
「シンジの財布から百円玉がどんどんなくなっていっているのは確かだろうが、別に悪い人ではないから気にしなくていい」
というか単なるバイト店員だ。
「なんだ、つまんない」
「…まあ、いいけどな」
礼のセリフが聞こえなかったらしいシンジは意気揚々と教室を出て行き、そのあとにやはり揚々とした礼と、消沈気味の僕が続いていった。
教室で別れたような雰囲気にはなったが、結局途中までは紳治も連れて歩くことになった。
歩きながらくだらない話をしているうちに、まあパン屋に行くくらいどうってことないか、くらいの軽い気持ちになっていた。
けれども、礼は常に僕の予想の上を行かなければ気がすまないらしい。
そしてそれはなにも礼に限ったことではないようで、そのパン屋にはなぜか紳治が会いにいったはずの人物がいた。
バリスタでバイトをしているはずの、永森綺良女史だ。
で、礼のほうだが。
「うわ、巨乳さんだ。しかも背も高い」
出会って二秒でNGワードを二つとも踏むとは、さすがに予想できなかった。
「…管原くん。この子、誰かな?」
笑顔の口元を微妙に痙攣させながら、永森さんが僕に問う。よっぽど知らない人ですと言いたいところだったが、並んで店に入ってきておいてそれもないだろう。
「…ええと、友達です、一応」
「そうかそうか。名前は?」
「古坂礼です」
「ほう。…では古坂君、お近づきの印にこれをやる」
言って永森さんがエプロンから取り出したのは、やはりキャラメルだった。
意外な展開だった。怒っていると思ったのは、気のせいなんだろうか。見た感じ、とてもそうは見えないのだが。
困惑する僕をよそに、礼はお礼を言ってそれを受け取り、何を疑うでもなくそれを口に入れた。
でもそのとたんに、礼は苦しみながら床に伏した。
「………」
窓からは暮れなずむ赤い陽が差し込み、香ばしいパンの香りが店内に漂っている。
しかし僕の頬は引きつった笑顔で固められているし、永森さんはもはや不機嫌を隠そうともしていない。
沈黙が気まずい。
「…あの、毒ですか?」
「失礼な。普通に店で売ってるものだ」
眉間にしわを寄せて永森さんが言う。
そんな劇物が普通に売っている国だっただろうか、日本は。
「ただまあ、内地の人間の口には合わないかもしれないがな」
そう言って永森さんが取り出したキャラメルの箱は、見たことのないものだった。
商品名を、『ジンギスカンキャラメル』。
「………闇鍋みたいな組み合わせですね」
「北海道銘菓だぞ」
どうやら、そのキャラメルは仕置き用らしかった。
ところで、永森さんが着ているエプロンは、前に僕が見たものとは違っていた。その理由は簡単で、ここはゲームセンターであるバリスタではなく、うまいカレーパンを売るらしいパン屋だから、だ。
「…で、一体全体何をしにきたんだ、キミらは」
「そりゃまあ、」
実際には僕は礼に連れられてきただけで目的も何もないのだけれども、知らないでは済まなさそうなので、一応答える。
「パン屋に来たんですから、パンを買いに来た、んじゃないですか?」
どちらかといえば、なんで紳治ではなく礼に連れられてきた先で永森さんが待ち構えているのか、ということのほうが僕に取っては疑問だ。
礼はまだ意識が回復していない。だがいつまでも床に伏されていても他のお客さんが来た時に迷惑なので(というか怪しいので)、レジの奥にほうってある。
「永森さんは、つまり、バイトですか?」
まばらにくる客の合間を縫って、僕は永森さんに話しかけた。僕自身はパンを買いに来たわけではないので、他にすることもない。どちらかというと帰りたいのだが、礼を置いていくのはさすがに気が引けた。
「ボランティアに見えるかな?」
ここが彼女の実家と言うオチも考えられなくはなかったが、どうも違うらしい。
「ええと…、いろんなところでバイトしてるんですね。驚きました」
その会話の合間に女子高生や主婦なんかがパンを買っていき、僕は横で完璧な接客をする永森さんを見ていた。バリスタで見る姿とは、その言葉遣いや接客スマイルは、だいぶ印象が違う。
大量に菓子パンを買い込んでいった主婦を見送ると、永森さんは営業用笑顔を引っ込める。
「まあな。そういうキミも、いろんなところに寄り道してるんだな」
永森さんは口元に笑みを浮かべて、そんなことを言う。
「別に、いつもじゃないです。今日はあいつが、すごい気に入ったパンがあるからってうるさく言うからついて来ただけで」
僕は奥を示してそう言った。礼が話題に上がって永森さんはかすかに眉をひそめたが、すぐに元の調子に戻って、
「ここのパンはおいしいからな。特にカレーパンが売れ筋だ」
得意げにそう言った。
「こいつの目当てもそれですよ」
「ほう。一応、見る目はあるようだ」
「何度か来てるはずなんですけど、見覚えないですか?」
言うと、永森さんは視線を礼にやった。しばらく考えて、
「ここのバイトを始めたのは最近なんだ。それほど多く入っているわけでもないし」
考えてみれば、礼の反応は初めて永森さんを見るそれだった。
「…そう言えば、見た目は細いのにやたらたくさんカレーパンを買っていく高校生がいると聞いたな。なんとなく、特徴が似てる気がする。夜椚北の制服だし」
「それですね」
こんなところでも礼は有名になっているらしい。僕は溜息をつく。
「――そういえば、バリスタのバイトは辞めたんですか?」
まさに今僕の目の前にいる女性を目当てにバリスタに行ったはずの紳治のことを思い出し、そんなことを尋ねてみる。
「いや、まだやってるよ。だが、あそこのバイトももう長くなってきたからな。また別のバイトでもやろうと思って紆余曲折の後、パン屋の看板娘に、というわけだ」
「そうなんですか」
看板娘を自称するのもどうなんだろう――ではなく、どうも他にも色々なバイトを経験しているらしい。
「なんというか、忙しそうですね?」
「まあな」
なんとなく誇らしげに見える永森さんだが、実際、どういう生活を送っているのだろう。
「というか、忙しいくらい働かないと生きていけないしね」
…どういう生活を送っているのだろう。
「大学とか、ちゃんと行ってるんですか?」
「行ってないよ。私はいわゆるフリーターだからな」
僕の勝手なイメージでだが、てっきり永森さんは大学生かと思っていたので、その言葉に僕は驚く。
「おっと、これ以上の話をするには、管原くんではまだまだイベント不足だ。頑張って好感度をあげてくれたまえ」
しかしそれ以上の質問は阻まれてしまったようだ。というか、ここでゲーム用語が出てくるあたりどうなんだろう。
「ところで、焼肉はいつおごってくれるんだ?」
そして永森さんは、最悪な話題の変え方をしてくれた。
「…いや、あれは」
無効ですよ、と続けようとしたところで、
「あれ、どこかなここ」
タイミングがいいのか悪いのか、礼が目を覚ました。
立ち上がり、辺りをきょろきょろ見回す礼に、永森さんが声をかける。
「北国の味はどうだったかな、古坂くんとやら」
腕を組み、仁王立ちで礼を見下ろす永森さん。裁きが済んでいるせいか、その声色に怒りの色はなかった。
まだ状況が把握できていないのか呆けてきょとんとしていた礼だったが、
「あ」
不意に声を上げたところを見ると、記憶が戻ったらしい。
「おねーさん、そのキャラメルもっと下さい」
しかし錯乱状態のようだった。
「これは売り物じゃないんだ、残念だが」
さすがに予想外だったのか、永森さんは目をしばたかせて答える。
「そこをなんとか」
…友としてここは止めるべきなのだろうか。
「まあ私の私物だから譲ってあげてもいいが、今の手持ちはそんなにないぞ」
「それでも構いませんよ」
「レイ、お前カレーパン買いに来たんじゃなかったのか」
見かねて、僕はそう告げる。しかし、僕を振り向いた礼は、
「だって、このキャラメルのほうが絶対面白いよ!」
そう力強く言って、つまるところ錯乱していたなんてことは全くないようだった。
「……。コーヒ君、翻訳してくれないかな?」
「えーと…、なんていうか、こういう奴なんです」
そういえばこういう奴だった。
「まあ、自分だけこんな目にあうなんて嫌だから他の奴も巻き込んでやる、とかじゃなくて、ただ純粋に誰かに食べさせてリアクションが見たいだけでしょう」
「そうなんです」
自らの犯行計画を正直に告白する礼(愉快犯)。
「なので、無害、では全然ないんですが、ええとまあ――」
そしてなぜか礼をフォローする形になっていることに僕は気づき、それもなんだかおかしな話のような気がして、
「ああ、だから危険なので与えないで下さい」
「裏切るなんてひどいよコーヒ!」
失礼なことを言う礼。
「仕方ない、では残りをあげよう」
しかし永森さんの心には響いたらしかった。
「ありがとうございます!」
「いやなんでですか」
僕は抗議したが、礼にキャラメルを箱ごと渡した永森さん(共犯)はニヤリと笑って、
「私も面白いことは好きだぞ」
そういえば、この人もこういう人だった気がする。
「…まあ、あれだ」
僕は溜息をつく。
「レイ。明日あたりシンジが落ち込んでるだろうから、永森さんからだって、それをあげてやってくれ」
「もちろんそうするよー」
礼は機嫌よくそう答え、「先出てるよ」と言い残し、足取りも軽く店を出て行った。
「…すみません」
「ん? なんで謝るんだ?」
「いや、なんとなくですけど。…とりあえず、じゃあ、カレーパン一つ下さい」
「うむ。お買い上げありがとうございます」
永森さんは満足そうな笑顔を見せた。
「ではまたよろしくな、コーヒ君」
「…ヒロヒです」
外に出ると礼が「遅いよコーヒ」と言ってきて、さすがにそれを訂正する気力は残っていなかった。
夜はすっかりその帳を下ろしている。
なんだが無性に缶コーヒーが飲みたくなって、僕は自販機を探した。
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なお、冷たい冬風のなかで食べるカレーパンは、確かにおいしかったことだけは付け加えておく。
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