2007年05月31日(木) 13時41分-穂永秋琴
――ギュスタヴ・フローベールに捧ぐ。
序
青年諸君よ、余が『知識人を気取るための事典』を書こうと思ったのは、こういうわけだ。余はかつて『紋切型事典』を読み、その愉しさに心惹かれ、フローベールの力量に心底敬服した。そして同じように事典形式の文学を試みてみたいとは思ったのだが、同じ路線で記述すれば、到底『紋切型事典』を超えることはできまいと考えた。
ではいかにして事典を、しかも『紋切型事典』とは異なる方向で事典文学を編むか。安直と批判されるかもしれぬが、青年諸君よ、余は『紋切型事典』の真逆を行ってみようと考えた。「紋切型」でないものだけをあつめた事典を。それがこうして『知識人を気取るための事典』となったのである。
さて知識人を気取るには、三つの方法がある。一、他人が知らないことを言う。二、他人が知っていることについて、他人が思いもかけなかったことを言う。三、他人が知っていることについて、気の利いた冗談を言う。いずれにせよ、青年諸君よ、自身の知識と識見がものをいうことになるわけだ。
この事典は、ささやかなものではあるが、その知識・識見を手軽な形で提供するものである。余は上に述べた三つの方法すべてをこの事典に盛り込んだ(むろん冗談は冗談と分かるよう記述してある)。青年諸君よ、余はこの事典が諸君のアカデミックな会話の一助とならんことを願うものである。
あ
愛:従来は大して重要な文字でも、よく使われる文字でもなかった。上の者から下の者への感情。虫愛づる姫君。恋愛至上主義を批判するべし。
あこがれ:あこがれを知る者のみが、我が悲しみを知る。
アナトール・フランス:穏やかな懐疑論者。老成した深みと温かみのある作風は、読んでいて大人になった気分を味わわせてくれる。
アラビアン・ナイト:お子様は読んではならない。特にちくま文庫版は表紙がエロいのでレジに持っていくのに覚悟が必要。
アレス:ギリシャ神話の軍神で、オリンポス十二神中随一のヘタレキャラ。アプロディテとの不倫現場をへパイストスの罠でおさえられたり、『イリアス』では軍神のくせにアテナの一撃で打ち倒されたりしている。
一般小説:マイナー・ジャンルの小説の愛好家たちが、自分たちの好みでないジャンルの小説全てを指して使う言葉。自虐と自尊とが奇妙に入り混じった意識から出てきている。普通小説ともいう。
井原西鶴:とにかくむちゃくちゃたくさん俳句をつくった人。
岩波文庫:可能な限り蒐集すること。この文庫が多い本棚を他人に見せれば、知識人と見なしてもらえるだろう。
インテリ:インテリゲンチャとロシア語で言うべきである。「知的無用者」と訳語で言うのもよい。
インド叙事詩:翻訳を試みると、訳者が必ず中途で急逝するという恐るべき呪いがかかっている。
ヴィルヘルム・マイスター:男装の美少女ミニヨン、来歴不明の老竪琴弾き、そして謎に包まれた「塔の結社」。この道具立てで冒険小説にならなかったのはなぜなのだろうか。
ヴォルテール:何はともあれ、私たちの畑を耕さねばなりません。
うつほ物語:日本文学最初の大長編小説だが、後に出た源氏物語のせいで人気・知名度とも割を食ってる気の毒な作品。
占い:現実世界では必ず外れるが、文学作品中では必ず当たる。
エスエフ:その定義をめぐってしばしば不毛な論争が演じられた。
SFファン:作品の価値を「それがSFであるかそうでないか」で決める人々。
エスエル:社会革命党。カデットよりは左だがメンシェヴィキよりは右に位置する。主な構成員にケレンスキー、サヴィンコフなどがいた。
オースティン:コップの中の嵐のようなものだわ!
オデュッセウス:間抜けぞろいのギリシア軍の中で一番の切れ者であり、一番の間抜けである。「堅忍不抜の」または「知略縦横の」を頭につけて呼び、その上で彼の犯した数々の愚挙を嘲笑すべし。
オババコアック:バスクの作家ベルナルド・アチャーガの小説。バスクはフランスとスペインの国境にある地方で、バスク語は世界で最も難解な言語として有名である。
オブローモフ:ゴンチャロフが著した世界最初の引きこもり小説。心優しき引きこもり・イリヤー・イリッチ・オブローモフの人物造型は、カラマーゾフの三兄弟とならびロシア文学の代表的キャラクターとなった。
オマル・ハイヤーム:数学者、天文学者、詩人、無類の酒好き。爛熟した文化は宗教をないがしろにするという好例である。青春の儚さを嘆きながら80歳過ぎまで生きた。
音階:英語などの音階ABCDEFG及び日本語音階イロハニホヘトが、伊語音階ラから始まっているのに、伊語音階ドレミファソラシがドから始まっているのは、聖歌からの引用だからである。(テンシャン山脈)
か
学園小説:自分たちが体験している/体験していた生活を忠実に写しているふりをしているが、実は作者も読者もハイファンタジー同然の異世界小説だと悟っている作品のこと。
カラマーゾフの兄弟:ドストエフスキー氏の作品のうちでも最高傑作と言えるであろう。氏は現在続編を構想中とのことで、その完成が非常に楽しみである。
奇:「ユニーク」という意味に近い褒め言葉。類義語に「異」がある。用例…「こんなことをやってのけるなんて、彼はまったく奇人だ!」
戯曲:読むものではない、劇場へ行け、とある人たちは言う。しかし、読まれるために書かれた戯曲も存在するのだ。
貴腐人:腐女子のうち、特に優れた知識・技術を持つ者のこと。
キャラクター:小説の魅力の主要な部分を構成する。これまでにないタイプのキャラクターを造型すると、革命的な小説として尊ばれる。
教養:知識人を気取るためには必要不可欠なものである。
ギョエテ:ギョエテとは、俺のことかと、ゲーテ言ひ。ゲーテに関する古い刊行物を探すときには注意しなければならない。
曲亭馬琴:日本文学史上最大の大衆文学作家。悪女凶漢を描いては天才的な筆の冴えを見せる。「勧善懲悪」という彼に対する紋切り型のレッテルは、彼が悪をリアルに描けても善をリアルに描けなかったところに起因している。
ギルガメシュ:三分の二が神で三分の一が人間だという叙事詩の記述を信じるならば、彼は染色体数が3nの三倍体か、6nの六倍体であったと推察される。
近世説美少年録:腐女子受けしそうなタイトルのこの小説こそ、『八犬伝』の作者のもうひとつの代表作。戦国武将陶春賢を主人公のモデルにしたピカレスクロマンで、勧善懲悪の傾向を超えた内容であり、未完が惜しまれる作品と言えよう。
金髪:「ツインテール」および「ツンデレ」と相性が良いとされる。
銀髪:「くせっ毛」および「ツンデレ」と相性が良いとされる。
金庸:中国人のいるところには必ず金庸の本がある。
クラリッサ・ハーロウ:リチャードソン作の書簡体小説。『失われた時を求めて』より長い。
グルジア:黒海東岸にある独特な言語・文字を持つ国。首都トビリシ。相撲で有名。グルジア人は名前がかっこいい。ルスタヴェリ、ジャヴァヒシュヴィリ、ヴァシャロミゼ、シェヴァルドナゼ、タビゼ、ガムサフルディア等々。
クレオパトラ:言わずと知れたエジプトの女王だが、人種的にはギリシア人なので注意を要する。
黒髪:「ストレートヘア」および「ツンデレ」と相性が良いとされる。
ゲッツ:ゲーテ作の史劇。
源氏物語:紫式部の著作。誰もが題名のみなら知っている。主人公は母親に似た人や幼女を愛する。(魔法司法)
小粋な兄貴:ナイスガイの訳語。
国書刊行会:足を向けて寝てはならない。
言葉:言葉は何を明らかにし、何を隠すのか?
古典:おおっぴらに読める作品。読むときはカバーをかけず、他人にタイトルを見せつけるとよい。
コルネイユ:フランス・古典主義文学の代表的劇作家。意地でもキャラを死なせない物語展開は当時議論を読んだ。メタフィクション『舞台は夢』も彼の傑作の一つ。
ゴンクール賞:ぜんぜん読まれていない19世紀作家の名を冠したフランスで最も権威ある文学賞。芥川賞よりは当たりの可能性が高い。
さ
才子佳人小説:中国、明清時代に広く流行したボーイミーツガールものの小説群を指す。魯迅にボコボコにバッシングされた。
西遊記:政治風刺を目的とした小説。妖怪(外敵)を警戒する孫悟空(忠臣)ではなく猪八戒(佞臣)の甘言を信じた結果、危難に陥る三蔵(皇帝)という構図が各話の基本になっている。
酒:酒に向かいてまさに歌わん、人生幾許(いくばく)ぞ。
沙悟浄:カッパではない。
三国志:正史、平話、演義がある。
サンリオ:異色SF作品を数多く翻訳出版した会社。
詩:一行でもほんとうの詩を書ければ詩人の資格があると言える。それがいかに難しいことか! 世界最高の詩人と呼ばれる人たちですら、しばしば凡庸な句を用いてしまうほどだから。
死:いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。……うまくかわしたもんだな。
自己嫌悪:自身を客観視できるナルシストというのは一種の矛盾であり、その矛盾ゆえに自己嫌悪という病を抱かざるを得ない。
七歩の才:短時間で優れた文学作品を書く才能のことだが、この才能を持っている現代の作家はみな軽蔑される。
死ね:コルネイユの悲劇を踏まえた典雅な言葉。
ジャンヌ・ダルク:巴御前、十三妹と並ぶ世界三大美少女戦士の一人。その活躍はシラー『オルレアンの少女』にくわしい。
シュトルム・ウント・ドランク:疾風怒濤。クリンガーの同名の戯曲(未訳であり、つまりたいていの日本人は読んでいないわけだが、それなのに彼らは平然としてシュトルム・ウント・ドランクについて語るのだ!)に由来。ゲーテ『ゲッツ』やシラー『群盗』を代表作とする。
純文学:結局どういう小説を指すのかよくわからない。
ジュンブンガク:読者受けを狙わない、一人よがりで空疎な文学作品のこと。
少女小説:二通りの意味で用いられる。一、少女向けの小説。二、少女を(主として性的な意味で)ネタにした小説。換言すれば、一、少女にとって面白い小説。二、とっても面白い小説。
少年:少年という言葉は不良少年という意味である。中国の史書には「侠客少年」と熟する場合も多いことから明らかである。
少年ジャンプ:日本屈指の売上を誇る少年漫画誌。「友情・努力・勝利」を看板とする作品が多い傾向がある。余談ながら、こういった傾向を最初に取り入れた文学作品は『ギルガメシュ叙事詩』であろう。
書簡体小説:登場人物のやり取り(時には一方通行の場合もある)する手紙で構成された小説。『クラリッサ・ハーロウ』『若きウェルテルの悩み』『吸血鬼ドラキュラ』など。現在すっかり廃れてしまっているが、Eメールの隆盛により、近い将来、登場人物のやり取りするメールで構成された小説が現われ、書簡体小説は復活の凱歌を上げるであろう。
ショタ:長篇叙事詩『豹皮の騎士』で知られるグルジアの古典詩人ショタ・ルスタヴェリのことか。
序文:作品を通読する読者には読まれない個所で、読んだふりをする読者には唯一読まれる個所である。
白樺派:萌え小説の傑作『愛と死』を生んだ。
親切:常に少々迷惑である。
枢機卿:みんな共産党員。
スタンダール:生きた、書いた、恋した。
ストリンドベリ:古典とは永遠に読み継がれる作品と誰が言っただろうか? 言った奴は嘘つきである。愛される古典も時代によって移り変わっていく。ストリンドベリはその好例だ。大正・昭和初期の彼に対する人気のほどをご存知だろうか、岩波文庫創刊のとき、この作家が二冊も入ったことをご存知だろうか? 今や彼の書物は新刊書店ではほとんど入手することが出来ない。
スノビズム:基本的には軽蔑すべし。ただ、結局のところ脱することはできないのだから、いっそ大胆に認めてしまうのも一手である。
スノビズムの肯定:ことさらにスノッブを軽蔑するのはスノッブのすることであってスノッブを肯定する自分はスノッブではないのだというスノビズムが背後に働いている。
世界の中心で愛を叫ぶ:孫引きを非難するべし。
セルバンテス:隻腕の闘士。
全集:常に何か作品が漏れる。
ゾラ:自然主義小説を書いたロマン派の作家。ユゴーが英雄を描いた筆を以って庸俗な輩を描き、情熱に満ちた「ルーゴン=マッカール叢書」二十巻を著した。
ソローキン:20世紀の末に破壊的な小説『ロマン』が著されたのは文学史にとってまさに象徴的な出来事であった。果たして文学は死んだのか? ソローキンは文学にとどめを刺したのか、はたまた再生への糸口を作ったのか? いずれにせよ、筆者の結論は、『四人の心臓』『ドストエフスキー・トリップ』の早期の翻訳出版を希望する、ということである。
た
多重人格:多重人格をはじめて意図的に文芸創作に取り入れたのはポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアである。
ダランベール:二人組の影が薄い方。
断崖:断崖から急流に転落して命を失った者を、筆者はいまだ見たことがない。
知識:知恵と知識は違うと言うのは知識人でないことを告げるようなものなのでやめるべきである。知識人を気取るためには、知識を貪欲に吸収し努力を惜しまないことが必要である。
知識人:ウンベルト・エーコ。
知識人を気取る:他人が言わなかったことを他人の良識の範囲内で言うとよい。
知的無用者:インテリゲンチャの訳語。対義語はさしあたり「小粋な兄貴」か。
中国三大叙事詩:チベット叙事詩『ケサル』、モンゴル叙事詩『ジャンガル』、キルギス叙事詩『マナス』を指す。いずれも『マハーバーラタ』を凌ぐ長大な分量の作品である。
チュツオーラ:もし「ただの小説には興味ありません。宇宙人が書いた小説、異世界人が書いた小説、超能力者が書いた小説があったら、私のところに持ってきなさい」と言うヒロインに出くわしたら、黙ってチュツオーラの小説を差し出すとよい。
ツンデレ:相手にぞっこん惚れ込んでいるが、羞恥心から冷たい態度に出ること。対義語は素直クール。ロペ・デ・ベーガの『農場の番犬』、ドストエフスキーの『白痴』などがツンデレ文学の傑作といわれる。また男性側がツンデレになっている例としては、クライスト『ハイルブロンの少女ケートヒェン』、オースティン『高慢と偏見』、シャーロット・ブロンテ『ヴィレット』などがある。
ディストピア:ユートピアの対義語。
ディドロ:二人組の印象が濃い方。
哲学:哲学は「何を書くか」を問題とし、文学は「どう書くか」を問題とする。
電撃文庫:ともあれ創刊の辞に掲げられた壮大な抱負は賞賛すべし。して、その内容はその抱負に羞じぬか? ――中には羞じぬ作品もある。それで充分ではないか。岩波文庫とて、掲げた抱負を十全に実行できているとはいえないのだから。
ドゥルシネーア・デル・トボーソ:名前だけを頻繁に出し実際にはなかなか登場させないでおき、読者をやきもきさせるのは、キャラクターの印象を強調するための常套手段である。『ドン・キホーテ』のヒロインはその手法を極限まで押し進めた。
ドストエフスキー:デフォルメされたキャラクターが異様な言動を繰り返す作風で、こんにちのライトノベルの基礎を作った。ツンデレのヒロインやロリロリなヒロインも数多く造型している。ギャンブル狂としても悪名を馳せた。
トルストイ:三人いる。うち二人は名前まで同じである。必ず名前と父称をつけて呼ぶこと。
トロツキー:裏切られた革命家。
ドン・キホーテ:お店の名前だと思っている奴に知識人の鉄槌を下すべし。
な
ナタ太子:ナタクと言うとバカにされる。
ナボコフ:健全な作家。とてもではないが再読にたえない。
日本文学:西洋文学に比べてマクロな視点が乏しいと述べて溜息をつくこと。
猫耳:エジプト神話には猫耳の女神が登場するが、近現代文学ではあまり見かけない。老舎『猫城記』の迷や、コードウェイナー・スミスの「人類補完機構」シリーズに登場するク・メルなどが近現代文学での最初の登場例であろう。
ノーベル文学賞:トルストイとゾラが受賞していないのはおかしい。とはいえ、読む作品を選ぶ上で一つの参考にはなる。また、出身国で嫌われていると受賞しやすい。大江、高行健、ナイポール、イェリネク、パムクなどの例を見れば明らかである。
は
ハザール事典:セルビアの作家ミロラド・パヴィチの小説。事典による文学が可能であることは、すでに『紋切型事典』や『悪魔の事典』により証明されていたが、この作品は事典による物語もまた可能であることを示した。「男性版」と「女性版」があり、17行だけ記述が違う。アメリカの書店で、男性版を所持する女性により「女性版所持の男性を求む」という広告がうたれたという逸話がある。筆者はかつて次のような経験をしたことがある。ある日『ハザール事典』の男性版を抱えて電車に乗っていたとき、夢のような美女が緩慢な動きで前の席に座り、おもむろに『ハザール事典』の女性版を開いた。筆者がその偶然に驚き、彼女を見つめていると、彼女も筆者に気付き、筆者が『ハザール事典』の男性版を手にしているのを見てにこりと笑い、「クゥ」と言った……。
パスカル:本当のプログラマーはパスカルを使わない。(K)
跋文:「序文」派は「前書き」派にある程度対向できているのに、「跋文」派は「後書き」派によってほぼ壊滅させられてしまったのはなぜなのだろうか。
バルザック:ドストエフスキーと並ぶ、二大借金塗れ文豪。借金返済のため100篇にも及ぶ「人間喜劇」シリーズを書いた。その内容は全篇カネの話である。
ハンガリー:ハンガリー人はアジア人と同様に名前を「姓・名」の順に表記する。ノーベル文学賞作家ケルテース・イムレの例を挙げれば、「ケルテース」が姓であり、「イムレ」が名である。彼の本を「ア行の作家」の棚に配列している本屋は信用せぬこと。
火:小説の結末にカタストロフィをもってくる場合に特に好まれる道具。
ビザンティン小説:2世紀~5世紀ころローマ帝国で流行した通俗小説。いきなり緊張した場面から語り始め、後にそこに至る過程を少しずつ語っていくという倒叙型の手法を用いていることや、話中話を多用しているという特徴がある。セルバンテスにはこのスタイルを模倣した長篇『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』があるが、不当にも世間から軽視されている。
美少女戦士:戦う少女のこと。美少女戦士の歴史は古く、早くはウェルギリウスの『アエネーイス』に登場するカミッラの例がある。ヨーロッパではほかに『ニーベルンゲンの歌』に搭乗するブリュンヒルト、『狂えるオルランド』に登場するブラダマンテとマルフィーザ、『オルレアンの少女』のジャンヌ・ダルクなどがいる。中国では古い民間伝奇に搭乗する木蘭のほか、『楊家将演義』の穆桂英、『児女英雄伝』の十三妹、『三侠五義』の月華、鳳仙、秋葵らがいる。日本文学では『平家物語』に搭乗する巴御前が有名。
品花宝鑑:中国の古典男色小説。纏綿とした文体で一定の評価を受けている。
ふ:は行の音のうち、唯一子音がHでない。
腐女子:オタク女性のこと。特に、BL小説を好む女性を呼ぶ。
ブッカー賞:ゴンクール賞を剽窃し創設されたイギリスで最も権威ある文学賞。さらにロシアがこれを孫引きしてロシアン・ブッカー賞というのをつくっている。
プラトン:腐女子的思考の元祖。
フローベール:この作家について語るときは、『サランボー』『プヴァールとペキュシェ』について言及すべし。
ブロンテ姉妹:末っ子のアンのことも、時々でいいから思い出してあげてください。
文学:文学作品のどこがどう面白いのか研究する学問。
文学性:面白さの度合いではなく、複雑さの度合いである。より複雑な面白さを持つ作品は文学性が高い。
ペダンティズム:これ自体、かなり衒った言葉であると言えまいか。
ペダンティズム小説:知識人を気取っている人間なら誰しもが書いてみたい作品。エーコ『前日島』や李汝珍『鏡花縁』、日本では小栗虫太郎『黒死館殺人事件』など。
蛇:この風変わりな身体をもつ動物を、人はかねてから嫌い怖れ愛してきた。日本最大の蛇はアオダイショウであるが、外国にはアカダイショウという蛇もいるらしい。また、美味であるといわれるが、手軽に食べられる店は少ない。どなたかご教示いただければ幸いである。
蛇娘:西洋文化圏ではメドゥーサなどのゴルゴン三姉妹はじめ悪役が多い。中国には史上屈指のヒロイン白娘子がいる。
ペルシーレス:誰も読まない『ドン・キホーテ』の作者の優れた遺作。
変身:美しいものに変身すれば通俗作品となり、醜悪なものに変身すれば純文学となる。してみれば、蝶に変身した荘子は通俗文学の主人公といえる。
ボーイズラブ:男性キャラクター同士の恋愛関係・性関係が暗示もしくは明示されている文学作品。古くは『イリアス』におけるアキレウスとパトロクロスの関係に見られる。基本的に腐女子の好みに合うよう造られている作品を指し、現実的な同性愛を扱うゲイ文学とはふつう区別して用いられる。
封神演義:この作品について語るときは、とりあえず講談社文庫版をバカにすべし。四大奇書には含まれない。
ま
孫引き:知識人を気取るためには必要不可欠なことであり、知識人になるためにはやってはいけないことである。
ミコミコーナ:ミコミコン王国の王女。『ドン・キホーテ』に登場する。
醜さ:姿かたちに惑わされてはいけないと述べ、アンコウ、河豚、牡蠣を例に挙げること。心の醜さは顔に現れる。見た目で他人を判断しないのは愚か者である。
メタファー:物事を直截に糾弾すると、インパクトは高まるが、文章自体は安っぽくなってしまう。隠喩はそれを避けるため表現技法である。
萌え:物語に登場するキャラクターに強く入れ込むこと。狭義には、キャラクターの持つ特定の要素が自分の好みに合うこと。実際的な恋愛感情とはふつう区別して用いられる。
紋切型事典:フローベールの著作。事典形式の風刺文学としては最高峰であろう。わが事典は『紋切型事典』の斜め上を目指しているわけだがいかがであろうか。
や
病は気から:モリエール作の喜劇。主人公は医者にだまされて自分が重病だと思い込んでいる男。この劇を上演する日、モリエールははなはだ体調が悪かったにもかかわらず、無理をして主人公の男を演じた。結果、劇の終了と同時にモリエールは血を吐いて倒れ、帰らぬ人となった。自らの身を呈して強烈なブラックユーモアを提出した彼の死に様は、喜劇作家の鑑と礼賛するに値する。
ヤングアダルト:ティーンエイジャーの別名か。
ユーゴー:世界一短い手紙を出したことで有名。『レ・ミゼラブル』の売り上げを聞くために出版社のラクロワ書店に「?(どれくらい売れているの?)」と言う一文字の手紙を出した。その返事は「!(ものすごく売れています)」とこれまた一文字であったと言う。ただ、私が邪推するにはもしかしたら手紙の順番は逆だったかもしれない。「!(ものすごく売れていますよ)」「?(先日お前のところから来た手紙はいったいどういう意味だ)」(K)
ユートピア:ディストピアの同義語。
弓:東西の弓の名手に言及すること。源為朝、那須与一、李広、養由起、ロビン・フッド、ヴィルヘルム・テル等。
ら
雷雨:類義語に嵐、風雨、大雨など。火、火災がカタストロフィの結末に好まれるのに対し、雷雨はカタストロフィの予兆として用いられることが多い。
礼賛すべき作家:あなたがどういうタイプの知識人を気取りたいのかによって変わる。古めかしく重厚なタイプを気取るなら、コルネイユ、ラシーヌ、ルソー、ゲーテ、ユゴー、トルストイ、ヘッセ、サルトル。新鋭の知識人を気取るなら、前記作家を全て唾棄すべきものとした上で、ラブレー、ディドロ、サド、ジャン・パウル、ユイスマンス、ブルガーコフ、セリーヌ、マンディアルグを称えるとよい。ただしカフカとジョイスだけは、いずれのタイプを気取る場合にも例外なく礼賛すること。
ライトノベル:結局どういう小説を指すのかよくわからない。
ラテンアメリカ文学:この項目の説明には、必ず「マジックリアリズム」という言葉が含まれる。
ラファティ:最高のSF作家。
リアリズム:ロマン主義といい、象徴主義というも、現実主義思想から完全に脱することのできた作家は稀有であり、不羈の才能の持ち主と言える。
リシュリュー:自作の悲劇『ミラーム』を上演するために劇場を造らせた男。
老舎:ノーベル文学賞の有力候補といわれた近代中国の文豪。文化大革命を批判するときや、川端康成を非難するときにその名を出すとよい(例:川端なんか老舎が死んじゃったから代わりに受賞できただけじゃん)。
ロペ・デ・ベーガ:多作な作家の代表格。戯曲を中心とするその作品は千篇に及ぶ。彼の全集を完訳すれば文学出版史上の快挙となるであろう。
ロマン派:フランス文学ならネルヴァル、ドイツ文学ならジャン・パウルの名を挙げるとよい。話相手に「ただ者ではない」と思わせられる。
ロリコン:健気な少女を主役あるいは脇役として登場させるのは読者の心に訴えかけるのに有効な手段であり、実際ロリコン文学の傑作は文学史上まことに数多い。その代表と目されるのは、ドストエフスキー『虐げられた人々』のネルであろうか。
ロリータ:ロリコンを諷刺した小説らしい。ナボコフはドストエフスキーが嫌いだったので、ドストエフスキーの性向をも叩きたかったのだと思われる。
わ
わからない:つまらなかった作品を貶さずに評するための言葉。わからぬものは全て偉大なり。
笑い:人間の本性である。
ん:しりとりで遊ぶとき、この文字で終わる言葉を使うと負けになる。しかしながら、この文字で始まる言葉はちゃんと存在するのだ。チャドの首都「ンジャメナ」がそれである。