2007年07月13日(金) 16時24分-K
方舟を作り上げたノアは、すべての動物を無事積み終わり、あとはただ、雨が降るのを待つばかりとなった。しかし、待てども待てども雨は降らない。動物たちのえさ代もかさむばかりである。痺れを切らしたノアは、毎日のように神にお伺いを立てた。しかし神は沈黙を守るばかりであった。
季節は移り行き、借金はたまり、日は短く、風が冷たくなっていった。
そんなある日、空に雲は満ち、昼にもかかわらず薄暗く、風は吹き荒れ、大気は湿っぽく、今にも雨が降りそうだった。ノアはようやく時が来たと思い天を見上げた。雨さえ振れば借金なんか怖くない。神は少々準備に手間取っただけだったのだ。そして天から恵みの、そして恐るべき懲罰の雨が降ってくると思われたそのとき、空からひらひらと舞い降りたのは一片の雪であった。神が準備に手間取っているうちに、夏は終わり秋は過ぎ、冬になってしまったのだった。
雪は四十日と四十夜降り続いた。方舟も含めてすべてのものが、その白い真綿の布団の下に沈んだ。地表の太陽光反射率(アルベド)が急激に上がったために、地球はさらに寒冷化し、海も凍りついた。海水に吸収されなくなった、火山起源の二酸化炭素が空気中にたまって、その温室効果で氷を溶かすまで、地球は大きな雪だまとなっていた。地球科学に言うところのスノウボールアースである。
手違いというものは誰にだってあるものだ。とりあえず借金は消えた。めでたしめでたし、である。
バベルの塔は、神が言葉を乱したことにより、建造がストップしてしまったことになっているが、聖書のどこを見ても崩れたとか壊れたとか言う記述はない。言葉が乱れたくらいでそんなことはおきない。言葉が乱れたことにより人々は散り散りになったらしいが、近くに住んでいた人々がいたであろうし、そんなに高い塔をいつまでもほったらかしにしていたとも思えない。すぐに新たな指揮系統が発生し、職人たちの統制が図られたであろうことは想像に難くない。
ではバベルの塔はどうなってしまったのであろうか。それをこれから語ろう。塔を高くするにあたって、常識的な判断を信じるならば、できるだけ下にかかる重量を減らすため、高くなるにつれて細くなることが望ましい。天に届くことが目的で、どれくらいの高さになるか完成前に測れないバベルの塔も崩壊を避けるためには例外ではなく、あらかじめ土台をかなり広く取って、造りを技術的限界まで丈夫にしても、徐々に徐々に先細りになっていった。
神は上部の面積がちょうどよくなった頃合を見計らって、人々の間にある競技をはやらせた。円形の舞台から相手を突き落とすのである。人々は塔の最上部で命をかけてこの競技を行った。勝つために鯨飲馬食をして体を膨らませ、足腰を鍛えるために、片足を高く上げて、床を踏みしめた。番狂わせがあったときには、人々は座るとき尻の下に敷いたクッションを投げて興奮の坩堝の中に自ら身を投じた。
負けたものは、塔の端から転げ落ち、その勢いに塔の外壁は削り取られ、ある日、この競技の最強者が、片足を高く上げて床を踏みしめたとき(つま先が最も高く上がったとき、観衆は低くどよめく)、轟音とともに塔は崩れ去った。
これが相撲の起源である。