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哀惜の城

2011年04月20日 (水) 22時45分 - すばる

 

「ねぇ、本当に行くの?」
佐藤春花が、物怖じしたように問い掛けるのはもう何度目か、うるさい、帰りたければ一人で帰れ、などということはもう誰も言わない。すでに山の中腹あたりにまで差し掛かっており、彼女に夜の山道を一人で歩くだけの度胸はない。風で木が蠢くようにざわめき、そこらのお化け屋敷よりもよっぽど怖い。これから向かう場所がそうだったとしても、みんなと一緒にいた方がまだましだ。でも、できることなら行きたくないので、こうして何度も、引き返そうと言っている。でも見栄っ張りな彼らは、帰りたかったとしてもそうとは絶対に言わない。結果、この中の全員が帰りたがっていても、このまま引き返すことはできないだろう。ざくざくという山を登る足取りには迷いの色も交じってはいるが、それを揉み消すように、その足音はよけいに強くなる。
 そうやって、どれくらいの時間が過ぎたか、先頭に立つ男子が歩みを止め、やや乱れる息遣いで、闇夜にたたずむその城を見上げた。平地が続く中に一つだけ、小島のように盛り上がった山の頂上に建つその城は、学校の遠足やらなんやらでこの界隈のものなら必ず一度は行ったことのある、街のシンボルといえなくもないもので、歴史的価値云々があるかないかはともかくとして、彼らにとっても、比較的身近なものだった。少なくともこのあたりに住んでいるなら、大概の家の窓からこの城は見える。しかしそんな、よく知ったとまではいかなくともみなある程度は知っているその城は、怪奇現象のスポットとしても有名だった。それは、いってしまえば世に有名な皿屋敷の類で、何かを数える声が聞こえただのという噂が近辺で出回っていた。そして今夜も、いちまい、にまい、と何かを数える音が、闇の中、風のさざめきの間に、微かに聞こえてくるような気がして、誰しもが知らず耳を澄ませる。
城の中に入るのは案外簡単だった。駅の改札口みたく券を入れるのだけれども、守衛さんもいないし、機械の電源も切られている。まさか、わざわざこんな場所に忍び込もうとする者はいないだろうと高をくくったのだろう。ギイギイという鴬張りの音が、闇夜に響く。小さかったころは態と大きな音の鳴らして遊んだものだったが、今はなるべく音をたてるまいとしている。だけどこの古い仕掛けはそういうことを許さない。
こんなのが家にもあったら、泥棒にも入られなかっただろうな。
佐藤春花の念頭に、ふとそんな言葉が浮かぶ。家中を引っ掻き回され、服やらなんやらに埋め尽くされた部屋、幸い印鑑や通帳は無事だったらしいけど、泥棒に入られたというショックは存外に大きかった。まさか自分がそんな目に遭うなんて、という衝撃、慢心だったけれど、そういう出来事はテレビや新聞のニュースの中でしか起こらないものだと思っていた。だけどそれは、実際自分の身にも起こった。それは、事件というよりは事故のようなもの、偶然車に撥ねられるのと、同じようなことだ。たぶん、ここにいるという幽霊だって、まさか自分がそんな目に遭うなんて、考えもしなかったに違いない。
気立てがよく、見目も美しいお菊という城に仕えていた女性は、殿様に寵愛され、それがために、その妻から疎ましく思われていた。それで妻は、家宝の十枚の皿のうち一枚を隠し、それをお菊のせいに仕立て上げた。殿様もまたお菊を疑り、その責め苦に耐えかねたお菊は自ら井戸に身を投じたという。
お菊だってきっと、まさか自分がそんな目に遭うなんて、想像もしていなかったに違いない。それは、事故のようなもの、ただ、強いて言うなら遭うかもしれないと思っているものほど遭わないものだ。佐藤春花は今一度、それを忘れかけていた自分に戒めめいた言を送る。
それは全国的にも有名な皿屋敷の一種で、なので本当にこの城であった話かどうかは分からない。元からなかったのか、潰してしまったかは分からないが、井戸だってこの城にはない。
ただ、ギイギイという鴬張りの音にまぎれ、微かになにか、人の声が聞こえた気がした。
佐藤春花は振り返り、そこには何もない闇が広がっているだけなのを認めると、再び視線を進路に向けた。気のせいだよね、と心の中で呟いて。

 

最終更新:2012年09月21日 13:28