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HD DVDのきもち

2008年03月01日(土) 01時56分-カンパニール

 様々に入り乱れる心境の渦にもがいて、私は未だはっきりとした言葉を決められぬままそわそわとベルを鳴らした。
 応答を待つ間も私は考え続けた。今朝の新聞でことの次第を知ってから着の身着のまま駆けつけたのだ。開口一番、なんと声をかけたらよいものか。
 程無くHD DVDは玄関口から顔を覗かせた。悄然とした表情ではあったが、心配していたほど悪い様子ではなかった。
「やあ」
 私は今まで検討していた文言を全てなげうって、変哲の無い挨拶を発していた。実際に彼を前にすると動揺してしまう自分がいた。
「やあ」
 彼はオウム返しに手を上げてみせて、私を屋内に招き入れてくれた。独身貴族の独り住まいは瀟洒な洋館の風情で、通された応接間も垢抜けたこざっぱりさがあって、でも私はそういうものを注意する余裕を持てずに革張りのソファに座った。
「こんな時間にお邪魔するのも失礼かと思ったが…」
「いいよ。君が気兼ねすることは無い」
 エスプレッソを注ぐHD DVDの後姿に、私はおずおずと切り出した。
「この度は、その、何と言うか、突然だったな」
「詮無いことだ」
 その語気からは、この事態をある程度以前からある程度の確度をもって予期していたことを窺わせた。心構えはできていたという風だった。
 客観的視点から俯瞰すれば、残念ながらHD DVDの立場は日に日に危うさを増しているように見えたのは否定できない。昨日の盟友たちが次々と旗色を翻す中、常日頃から(そして現在も)彼は気丈に振舞っている。ゆめゆめ口には出せないが、私は居たたまれなく思っていた。
 マスコミはいかにもセンセーショナルに、やれT社の損害はいくらだ、やれ消費者の意思はいずこにありや、などとはやし立てる。私は声を大にして言いたい。ただの一社でも、あるいはただの一人でも、当事者たるHD DVDの心情を勘案した者がいただろうか。記事の片隅、わずかな片隅でよい。劣等品のレッテルを貼られ、全体社会における“緩やかな死”を宣告された彼の絶望を推し量った者はいるだろうか。
 かく言う私とて、反BD主義を無闇に標榜したいわけではない。むしろ私は親S社の傾向であり、大衆迎合に堕したN社のWやDSに比べれば、迷わずPSを選ぶのである。
「敗残兵は死なず、ただ去るのみだ」
 頭を上げて見やると、HD DVDは微笑をたたえて私の対面に座していた。私たちはしばらく沈黙の中にいたようである。私は慌てた。重苦しさを生み出すためにここへ来たわけではない。
「しかし君、悔しさは残るだろう。まだ諦めるには早いかもしれない」
 自分でも、自分の言葉が気休め以外の何者でもないことはわかっていた。だからこそ、強く彼を鼓舞するための勇気を必死に探した。
「言うなよ。決意が鈍る」
 彼はゆっくりと立ち上がった。私も釣られて席を立つ。
「行くあてはあるのかい?」
「気ままな身だから、まぁ、長いバカンスだと思えば、さ」
 カサブランカ行きの船便切手をひらつかせながら、彼は笑った。いつもこうなのだ。私が優柔不断の上を低回している間に、当の本人は屈強な精神を胸に歩き始めている。私たちは硬い握手を交わして別れた。だだっ広くなった応接間の中心で、私は声を殺して袖を濡らした。そうして一通りの時間が経つと、HD DVDの「HD」を「ハードディスク」の略だと思っている連中を片っ端から殴りにいったのである。
大丈夫かな?
最終更新:2014年02月17日 12:19