2008年03月24日(月) 12時56分-R
第3章 旅は道連れ
どうやって説明しようだとか、そもそも信じてもらえるのだろうかとか、そんなことは食事を始めたらすっかり忘れてしまった。強制リンゴ・ダイエットをさせられていた身体は、久しぶりのまともな食事を前にして、その摂取のためにかつてない力を発揮したのだ。
がつがつがつがつ。
同じ食卓を囲むトリュフォーの目がなんだか呆れているように見えることにも、シャンピニオンの目が輝いているように見えることにも、プルは気づいていない。
「おー。なんかぁ、プルが初めてかっけえーなぁ」
「・・・いや、かっこいいか? 野生に戻ってるぞ?」
「あうあうあうあ」
「しかも、なんか涙流してるし。食いながら泣くなよ」
「オラも負けねぇべよー!」
「うわ!? てめえ、食べかすを飛ばすな! 対抗してんじゃねえ!」
「ああ、プルーアがあんなに元気に・・・・・・」
「こっちでも泣いてるし! いや、あんま感動的なシーンじゃねえだろ!?」
「ああ、なんてこと・・・」と、これは姉アルセラの嘆息。
「気持ちはわかるぜ、弟があんなんじゃ――」
「あんなに嫌いだったピピトゥを文句一つ言わずに食べるなんて・・・姉さん、見直したわ」
「あんたもかよ!? いや、気持ちはわかるが・・・・・・」
トリュフォーは何か言おうとしたが、彼の皿の上まで遠慮なく平らげる二匹はもう止まらなかった。はぁ、とため息をつく。
「んぐんぐんぐんぐぬうあ」
「んらー!」
「あーもー、落ち着いて食え!」
やたら風通しのよくなった家に、トリュフォーの怒鳴り声が響いた。
そんな、朝の風景。
「結局のところ」と、トリュフォーはひとりごちた。「私の考えは、甘かったというわけだな」
日はすでに東を去り、南へ達しようとしていた。トリュフォーと、プルと、シャンプの目の前には、漫画的に積み上げられた皿が重層の塔となってそびえている。食いながらでも話はできる――わけはなかった。久しぶりの(まともな)食事を前に人格が変貌してしまったプルアロータスには、味覚だけしか残っておらず、視覚聴覚ほかの全ての感覚は麻痺してしまっていた。話などできなかった。
それでもようやくこの頃、プルのフォークの動きがゆるやかになってきた。トリュフォーは希望を見出した。プルはその皿を平らげると、ようやく「ふう~」と嘆息し、「ごちそうさまでした」と幸福感に溢れた声を出し、そのまま――
「寝るんじゃねぇ!」
戦士の力量で投げつけられたフォークは、あやまたずプルの額をはっしと撃った。柄のほうだったから良かったものの、叉のほうだったら傷は頭蓋に達しただろう。と言っても、プルにとってはいずれでも変わらないだろうが。
余談は措いて、「あう!」とプルが悲鳴を上げた。
「あうじゃねぇ。わざわざ飯を食い終わるまで待ってやったんだ。さあ話せ。さあさあさあ」
「えっとぉ~・・・・・・なんのことでしやうか?」
「とぼけるなよ。どうやって燃え盛る祭祀殿から、司祭を背負って無傷で脱出できたか・・・最初にそう聞いただろうが」
「あぃ~?」
あんまり腹が立ったから、手にあったナイフを眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た――とは、後でこの時のことを語ったトリュフォーの談である。
「酒を飲んだわけじゃねえだろう。酔っ払いのふりをするな!」
額を抑え、涙目になって自分を見るプルに、やむなくトリュフォーは続けて問うた。
「どうやって火を消した? 魔法でも使ったのか、それとも――」
――この少年相手ならば、いきなり本題へ切り込んだほうが良いだろう。
「それとも、聖魔剣リシーサの力か」
不幸な人間が最も強く望んでいることは何か。幸福、と答える人は人間観察が足りない。さらなる不幸、と答えるのはごく一部の被虐趣味者だけだ。正解は、「愚痴を言うこと」。
プルは尋ねられた。
プルは語った。
プルは語り続けた。
プルはとうとうと語り続けた。
プルは千言万語を尽くして語り続けた。
日はすでに南を去り、西の果てへと向かっている。しかしトリュフォーは、プルの主観的とはいえ細に入り微に入った話のために、ことの経緯をはっきりと理解したのだった。
「オメェ・・・・・・苦労したなぁ・・・・・・」
同情に満ちた言葉を貰って、プルは涙が溢れてくるのを感じた。
「しかしすまねぇが、まだ随分の間、苦労してもらわにゃならん」
泣く子も黙る。
「王城へ来な。友達も、剣もつれてだ。有無は言わせねぇ」
その悪魔の一言を聞いていたのは、残念ながら、プル一人だけであった。
◆
その晩、プルアロータスの姉アルセラは、食後すぐに寝ようとしたプルと金髪の男の子(この辺りの子ではなさそうだ)を無理矢理風呂に突っ込み、それぞれを部屋――プルを自分の部屋、男の子を客間――へ押し込んだ後、大量に積み重なった皿の片付けを母アローラに託すと家を出た。これは彼女が薄情だからではなく、彼女の弟であるプルアロータスを助けてくれた黒鎧の戦士に、「村の代表者と話をさせてくれ」と頼まれたためである。
数十分も経たぬうちに、彼女の家の応接間にはランプが置かれ、村の代表となりえる人物が全員集まり終えていた。しかし、事を言い出したトリュフォーは、その顔ぶれを見てううむ、と唸った。
「どうかいたしましたか」
丁寧な口調でそう声をかけたのは、トリュフォーよりもいくばくか若い司祭服を着た男だった。その右隣で、若かりしころはさぞ力があったであろう、頭の白い男性が朴訥とした調子で口を開いた。
「彼は、そのぅ・・・・・・ああ、わしは村長です・・・・・・ああ、彼でしたな・・・その、この方は司祭様の代理で・・・次期司祭でもあり・・・ええ」
「アンブロテス、と申します。お見知りおきを」
軽く頭を下げるアンブロテスに、トリュフォーは軽く頷いて返した。そういえば、司祭のアンブロススはかなりの高齢で、怪我も負っていた。そのことに関しては、最適な人選だろう。しかし、席の並び順から考えると、この村で最も発言権のある人物はこの司祭になるようだ。いくらなんでも、そのような重役に据えるには若すぎるのではないか、とトリュフォーは思った。
だが、と、彼は今度は左隣に座っている人物を見ながら内心ため息をついた――彼女よりはましだろう、と。
若き司祭アンブロテスの隣に座っているのは、他の誰でもない、プルアロータスの姉アルセラだった。彼女はトリュフォーのいぶかしげな視線を感じたのだろう、ハッキリとした口調で言った。
「女がこのような場所にいるのはおかしいと思ってるのでしょう? 戦士様」
「・・・まぁ、正直なところ」
トリュフォーの言葉に、聞き捨てならない、といくらか語調を強めながら、司祭が口を開いた。
「それは、いささか無礼と言うものでございますよ、戦士様」
一息置いてから、言葉を続ける。
「私の妻です」
「アンブロテスの妻、アルセラです・・・プルーアがいろいろとお世話になりまして」
口元だけで笑いながら、アルセラがそう告げた。それでもまだ怪訝そうな顔をしているトリュフォーに、村長が言葉を続けた。
「あー、彼女はその・・・まだ式は挙げておりませんが・・・・・・ご存知の通り、プルアロータス殿が行方不明になりましてな・・・ですが、前村長の孫でもあり・・・そして現村長であるわしの姪ですわ、戦士様」
彼女の家、つまりプルの家は代々村長を務めるほどの旧家である。だからこそ、彼らがいる応接室も、遠方からの客をもてなすには十分な広さと趣を有しているのだ。
「父君や兄上はいらっしゃらないのか?」
「妻の父兄は村にはおりません、戦士様」
これ以上アルセラのことを聞いてほしくない、といった態度で、しかしあくまでも表向きは丁寧なまま、アンブロテスはそう言った。
「村の代表者となる人物を集めるようおっしゃられたのは、貴方様では? 私といたしましては、そろそろ皆を紹介し、貴方様がこの場を設けようとした理由をお伺いしたいのですが、いかがでしょう」
疑問の形をとってはいるが、これは命令だった。よそ者が村のことに余計な首を突っ込まないでくれ、と彼の言葉は暗に語っている。トリュフォーは納得がいったわけではなかったが、郷に入りては郷に従えということもあると、「あいわかった」とだけ返した。
「改めまして、皆様。夜更けに申し訳ありません。挨拶は抜きにして、手短に参りましょう・・・次期司祭アンブロテスでございます」
「妻のアルセラです」
「あ、その・・・えー、村長でございます」
「自警団副団長プラテス」
「・・・・・・書記官で、ございます・・・・・・」
「アルセラの弟、あと皆様の助手を務めさせていただくアロッススでございまし」
その場にいるのは、まだ成人したばかりにしか見えない若き司祭、その妻だという妙齢の女性、彼らと同年代の村の青年、年老いた村長に、彼よりもはるかに年上の書記官、シャンプと同じぐらいの年の少年というか男の子、全部で6人しかいない。それも、若人と年寄りばかりだ。難しい顔をして黙っているトリュフォーに、アンブロテスが微笑んだ。
「状況が状況ですので・・・ご容赦ください。ええと、」
「トリュフォーだ。まず、今晩皆様方のお手を煩わせたことをお詫び申し上げる」
あれこれ文句を言ったところで何も得るところは無い。そう判断したトリュフォーは、一礼をしながら言葉を続けた。
「本来ならば正式な手順に則り礼を尽くすべきところであるにもかかわらず、かような合議に諸侯がお集まりいただけたこと、まことに感謝いたす」
そこまで口上を述べてから、彼は司祭を除く5人がぽかんと口を開けていることと、司祭が疑い深い眼差しで自分を見ていることに気がついた。
「・・・戦士トリュフォー殿・・・・・・貴方様は都の作法をご所望なのでしょうか? 失礼ながら、我々は見ての通り田舎者ゆえ、貴方様のご期待にはそいかねるかと」
言われてようやく、トリュフォーは自分の失敗を悟った。司祭の儀礼的な言葉につられて、ついうっかり普段通りの口上を述べてしまったのだ。結果として、司祭以外の全員が完全に固まってしまっており、とても話が出来るような状態ではない。身分を明かさぬようにと気遣っていたのに、これだ。彼は自分の間抜けさを呪いながら、何とか誤魔化す方法はないかと頭をめぐらせた。
「都の作法? 失礼ですが司祭殿、何か勘違いをしておいでだ。私はどこぞで聞き知った言葉を述べているだけでして・・・・・・んん、やはり無理はいけませんな。突っ込まれるとすぐにボロが出てしまう」
「そうでしたか・・・どうぞ、普段通りにおっしゃってください。ここは都の会議場ではございませんゆえ」
「それでは、そうさせていただこう」
そうは言いながらも、司祭の目から疑いは消えていなかった。しかし、他の5人はほっとした表情で互いに目配せをしている。強引ではあるが、何とかなったようだ。
「では単刀直入に申し上げる。昨日今日のことで悪いのだが、あの少年――プルアロータス殿の身柄を」
――身柄を確保したい、と言いかけてトリュフォーは先ほどの失態を思い出した。どこの傭兵がそんな言葉遣いをするというのだ。と、その時、彼の頭に素晴らしい口実がひらめいた。言い直す。
「失礼、プルアロータス殿の旅に同行したいと思うのだが、いかがだろう」
「え!? プルーア兄ちゃん旅に出るの!?」
そうはしゃぐアロッススに、アルセラが笑顔のままシッペをくらわせて黙らせた。
「・・・・・・私は、初耳ですが。本当に彼は、そう言っておりましたか?」
そう尋ねたのは、やはり司祭だった。だが、トリュフォーは自信たっぷりにこう言った。
「ええ、食事の後にそういう話が出ましてね。とりあえずは王城・・・マッタンゴー王国の王都まで」
二人でなにやら喋っていたのはそういうことだったのね、とアルセラが相槌をうってくれたおかげで助かった。司祭はまだ納得いかないという顔をしながらも、「本人がそう言っておるのでしたら」とつぶやいた。
だが、伏兵は思わぬところに潜んでいた。
「お申し出はありがたいのですが」と、アルセラ。「戦士様もご存知の通り、今は人手が必要な時なのですわ」
その通りです、と司祭が頷くと、アルセラがにこりと笑った。
「弟には私から言って諦めさせます。どうかお気を悪くなさらないで」
「えー!? 姉ちゃん、それはヒド――(今度はアロッススの額にチョップが飛んだ)――くないよ、うん。これから忙しいもんね」
「(まずいな・・・・・・)」
人攫いのようにして、無理矢理引っ張っていこうと思えば出来ないこともない。だが、可能な限り、穏便に事を済ませてしまいたい。その方法の一つとして――夜中のうちにひっそりと抜け出せないか、と思案していたトリュフォーは、司祭の言葉を耳にしてはっとした。
「・・・それに司祭として、顔を隠していらっしゃるような方を信用するわけには参りませんよ、プラテス。そりゃあ、私としても義弟の意思を尊重したいとは思いますが・・・・・・」
いいじゃねーの、アイツがやりたいんならやらせてやってもさ――そうプラテスが喋っている間に、トリュフォーは自分が兜を被ったままであることを思い出した。
「司祭殿」
そうアンブロテスに呼びかけたとき、トリュフォーは既に、黒兜を被って顔を隠す怪しげな男ではなくなっていた。そこにいた彼は、北方民族特有の黒い髪を長く伸ばした、見た目の整った凛々しい男性だった。見る人が見ればすぐに彼が誰であるかわかってしまったであろうが、彼の正体が村人に発覚したのは、幸運なことに彼が出立した一週間後のことだった。だからその時、アロッススが「うわぁ・・・」と感嘆の声を漏らしたのは、彼の正体に気付いたからではなく、今までただの傭兵だと思っていた男性が、あまりにもカッコ良かったからである。
そして素顔を見せたことにより、彼は自分が望んでいた以上に簡単に事を進めることが出来たのである。
「今まで顔を隠したままであったこと、深くお詫び申し上げる。そこで改めてお願いしたいのだが――」
「構いませんわ、戦士様」
兜をはずした状態でもう一度頼もうとしていたトリュフォーは、司祭の隣から了解の返事をもらった。アルセラだ。
「アルセラ・・・」
あきれたように司祭がそうつぶやき、やれやれと頭を振る。
「さっきまで貴方が一番反対していたような気がするのですが、私の思い違いだったのでしょうか」
「正体不明の人物に、弟を託すわけにはいかないもの。そうでしょ?」
トリュフォーの素顔を見て、そこにいたほぼ全員の態度が変わった。特に顕著だった人物は二人。
一人は司祭アンブロテス。彼は他の5人とは異なり、トリュフォーの顔を見た途端に眉根に皺を寄せた。傭兵を自称する見ず知らずの戦士風の男に対して警戒していたところへ、さらに疑惑が深まったという面持ちだ。その表情は明らかに、お前は気に入らない、と語っている。
そしてもう一人はアルセラだった。彼女は他の5人と同様、トリュフォーの顔を見て不信感を拭い去った。加えて、弟のアロッススと同じように、パァッと顔を輝かせて彼を見たのだ。
もしトリュフォーが己の容姿をよく自覚していれば――彼はそんなこと気にも留めていないのだが、彼は俗に言う美形なのだ――若き夫妻の態度が急変した理由を、もっとしっかりと理解したことだろう。
「この方なら信用が置けると思うのよ、あたし」
ちらとトリュフォーを見遣ってから、アルセラは夫の方へと向き直った。その時、夫である司祭アンブロテスは、妻の頬がわずかに赤く染まっていることに気付かされた。
「・・・・・・私には、そうは見えませんが」
うっすらと開いていた目をさらに細めながら、司祭はトリュフォーをにらんだ。その隣でアロッススが「姉ちゃんてばカッコいい人に弱いんだから」とムダ口を叩いてしまい、アルセラに頬を引っ張られた。
「・・・他の方は、どう思われますか」
それからトリュフォーは、この会議、ひいてはこの村で最も発言権があるのは誰かを知ることとなった――プルアロータスの姉、アルセラだ。
まずご老人の二人は会議で発言していないし(そもそも書記官は固く目を閉じて舟をこぎ始めていた)、アルセラの弟であるアロッススは自分で助手だと言っていた通り、発言権らしき権限は無いようだった。もう一人の男性、自警団副団長プラテスもやはり司祭ほどの発言権は無く、その司祭アンブロテスに妻のアルセラの意見を覆す力が無いとなれば、自然と彼女の意見がみなの合意となってしまうのだ。
「それでは多数決で決めましょう・・・・・・プルアロータス殿の旅立ちにおいて、戦士トリュフォー殿を加えることに反対の者」
そう言いながら司祭は手を挙げ、ふぅとため息をついてからこう宣言した。
「では、戦士トリュフォー殿がプルアロータス殿に同行することを認めます。これにて閉会」
自分だけしか挙がっていなかった手を下ろしてから、司祭は立ち上がった。
「くれぐれも、義弟のことをよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
笑顔だが、彼の目は笑っていない。むしろ殺気すら感じさせる。トリュフォーはそのことに気付かないふりをして、差し出された手を握った。
「そうそう、アルセラ」
出稼ぎに行くなら村の特産品を持たせなきゃね、軽くて珍しく見える品物をお店から持ってきてちょうだい、あたしも袋詰め手伝うから――弟アロッスス(彼は村で唯一の道具屋で手伝いをしているのだ)と、プルアロータスに持たせる荷物について話し合っていたアルセラは夫の呼びかけで顔を上げた。
「トリュフォー殿は今夜、私の家に泊まっていただいても構わないかな。旅のことで相談したいことがあるから」
「でも、それは・・・」
アンブロテスの疑問形の命令に、暫く間をおいてから、珍しくアルセラは「いいわよ」と返した。出稼ぎに出かける弟に持たせる荷物の準備もあるし、旅のことで相談するのならば仕方が無い、といった様子だ。
「では、参りましょうか」
客人であるトリュフォーに選択権は無い。黙って彼の後について行くだけだ。
結局、アンブロテスの目的はトリュフォーから旅の計画を聞くことではなく、妻から闖入者の優男を引き離しておくことだったようだ。
明日の朝、日が昇る前にでも出立したいと告げると、司祭は驚くほどあっけなく話を切り上げた。
「すみませんね、長話につき合わせてしまって・・・・・・それでは、失礼いたします」
さしたる話をしたわけではない。むしろ時間としては短いぐらいだ。ただの社交辞令――無論、彼が少しもすまないと思っていないことは、いくら鈍い男だと言われるトリュフォーであっても感じ取ることが出来た。
しかし、無自覚は時として故意よりも恐ろしい。
トリュフォーが結局、何故自分が若き司祭にそれほどまでに嫌われてしまったのかについて、その理由に気付くことができなかったことは言うまでも無い。
◆
有無は言わせねぇ――昨晩、トリュフォーは確かにプルにそう言っていた。
そして本当に、有も無もいわせてくれなかった。
夜が明けたとたん、戦士を自称する全身鎧男はプルアロータスとシャンピニオンを引っ立て、村を出立してしまったのである。家族は起きておらず、ただ早くから起きだして水を汲みにいっていた姉が、大慌てで弁当と荷物を持たせてくれた(やたらと重いのは何故だろう?、とプルは思っていたが、その理由はかなり後になって判明した――村の特産品がこれでもかと詰まっていれば重いに決まっている)。
しかし・・・なんで自分やシャンプを王城に連れて行こうとするのだろう?
半分寝ているシャンピニオンの手を引っぱりながら、プルは戦士の後ろを歩いている。頭に浮かぶ疑問は、すべて目の前の鎧戦士に関するものばかりだ。
名前はトリュフォーだと教えてくれたが、それだけだ。何をしている人なのか、何をしに来た人なのか。自分たちをどうするつもりなのか。――どんな人物なのかは、多少わかったような気がするが。
ゆるやかな下り坂を、3人は歩いていく。両側は木々が茂っているものの、もう森の中ではない。よく整備された、街道である。まあたまに木の根が道を横切っていたりするけれども。
街道は静かだった。もちろん、雀だの烏だのは鳴いているし、靴が土を踏む音も聞こえる。でも、他にある音といえば、戦士の立てる金属音くらいか。
プルの数歩前を歩む幅の広い背中は、鈍く光る甲冑に鎧われており、革のベルトで槍がくくりつけられている。左腕には丸い盾、腰には大振りな短剣。頭から爪先まで武装したその姿は、どうみてもただの戦士ではない。兜をかぶり、面頬を下ろし、その表情は陰になっていて分からない。
ようするに恐いのだ。おかげで、これまで浮かんだ疑問の数々は、なかなか言葉にすることができなかった。
一方のトリュフォーのほうは、彼は彼で考え事をしていた。
村の火災で遭遇した獣たちのことだ。うちの一頭が、明らかに奇妙だった。頚骨を粉砕されてなお生きていたのだ、奇妙という表現では穏当すぎるかもしれない。
まさか仕留めそこねたということはない。現に首はねじまがり、口からは血を流していたではないか。間違いなく息の根は止めた。なのに死ななかったということは――
「魔道か・・・・・・?」
呟きはフェイスガードにさえぎられ、こぼれることはなかった。
トリュフォーら一行は街道を北進しているのだが、彼らからほんの半時間ぶんほど先行した街道上に、別の一行の姿があった。鎧戦士と少年と帯剣した少年という取り合わせも珍しいが、こちらはその上を行っている。5人連れなのだが、2人が獣人、1人が巨漢、1人が通常体型の男で、最後の1人は幼女だった。しかも一番偉そうに見えるのが、その幼女なのだ。
幼女以外の4人は、『常闇の終末団』という秘密結社の構成員だった。
――『常闇の終末団』。選りすぐられた少数の精鋭から成り、それでいて活動範囲は国際的。ある時は国家元首や大首長たちの傍らに音もなく現れ、いくつかの要求を告げて去る。従わなかった権力者は、翌日死体となって発見される。またある時は富裕な商人の倉庫から一夜にして財宝を奪い去り、さらにある時は深窓の姫君を鮮やかに掠め去る。誰もが彼らの存在を知っているが、誰もその所在は知らない。その名は畏怖の代名詞なのだ。
――とまあ、『常闇の終末団』は、そういう組織を目指しておととい結成されたばかりであった。
それがまさか結成初日、最初の標的に返り討ちに遭おうとは・・・・・・。
「く、くそ。何かが間違っているとしか思えん」
首領になって3日目の男は、思わず声に出してつぶやいた。するとすぐに頭上から、「莫迦め。間違っておるのは、貴様らの了見であろ」と、幼女の声。
「い、いやあ。嫌だなあ、聞こえてました? これはとんだお耳汚しを」
振り向いてへらへら笑ってみせる男に、幼女は続けて、
「輿が傾いておる」
「はいはいただいま・・・・・・こらレッドブル、しゃがんで歩け。お前はただでさえでかいんだから」
隣の巨漢の右足を、左足で蹴っ飛ばす。蹴られた巨漢レッドブルは腰をかがめつつ、泣き声で、
「兄貴ぃ。おれ、もう我慢の限界だぁ。いつまでミコシなんか担いで歩かにゃならねえんだよぉ」
「・・・言うな。これも試練だ。野望のために一時雌伏しているだけなのだ。だいたい俺は兄貴じゃない、ブラックフィクサーだ。そう呼べと言っただろ、確かおとといくらいに」
首領は言って、左肩に乗っている丸太を担ぎなおした。もう2日も担いだまま歩いているので、食い込んでいてかなり痛い。
レッドブルは納得しなかったらしい。ちらちら輿上の幼女に目を走らせつつ、
「なあ兄貴、こないだは油断してやられたけど、あんなガキ、不意を突けばなんとでもなるんじゃねえか?」
「フィクサーだっちゅうに。しかし・・・ガキ相手に不意打ちというのはアレだが、考えてみるべきか・・・・・・」
首領は唇を噛んだ。そもそも、相手を子供とみて襲いかかったあげく強烈な魔法の一撃でのされ、『何でもする。何でもしますから見逃して。あ、そうだ、旅をしておいでですか。でしたら御輿を作りますから、担がせてください』などと頼み込んだのは自分なのだが、それは無視だ。
「あの~」
振り向いて、恐る恐る首領はお伺いを立てた。
「ちょっと休ませてほしいというか、休憩なんかさせてくれたら幸甚これに勝るはありませんのですが」
幼女は輿にすえつけられた椅子に座り、足を組んで頬杖などついていたが、
「勝手にするがよい」
トパーズ色の瞳をつまらなそうに細めると、言い捨てた。
輿を街道脇に下ろし、自分たちは木陰に集まって、『常闇の終末団』は4つの額をつきあわせ、相談を始めた。ブラックフィクサー、レッドブル、ブルーシャーク、イエローパンサーをそれぞれ自称する変な4人組は、できるだけ雑談を装いながら、幼女を抹殺する手段を講じた。ときどき幼女のほうに目をやったが、彼女は椅子に座ったまま、面白くもなさそうに空の鳥を目で追っている。
「とにかくだ、あの赤い髪のガキをぶっ殺さにゃ、おれたちの自由はねえんだ」
レッドブルの意見に、反論はなかった。4人は襲撃の手はずを打ち合わせ、固く握手して、立ち上がった。
休憩は30分ほどで終わった。トリュフォーら一行が彼らと遭遇するまで、あと5分ほど。そして『常闇の終末団』が名前どおりの末路を辿るのも、ちょうどそのくらい経ったころである。
男たるもの――プルの父プルセウスの口癖だ――守るべきもののために戦うのが務めである。
その守るべきものは人によって様々だ。父にとっては、自分の妻や子供、つまり家族だった。そして、戦い方も人それぞれだ。父にとっての戦いは、家族を養い、共に生きること。だからこそ、父は名も知らぬ国まではるばると旅をする行商人になった。
だとすれば、今自分の目の前にいる二人はとても男らしい、いや漢らしいと言えるだろう。今の彼らには、守るべきものと、戦いがあるのだから。
だが、である。
「・・・・・・ちょっとやりすぎなんじゃあ・・・・・・」
プルは目の前で気絶して口から泡を吹いている『盗賊ども』に、同情を禁じえることは出来なかった。
相手が悪かった――その一言で片がつくのであれば、まさしくその通りなのだろう。『常闇の終末団』の不幸は、ともあれ全てこの赤髪の幼女から始まったのである。
「・・・・・・それが結論か」
輿の上で、彼女は如何にもくだらないといった口調で呟いた。
「言より武で解決とは愚かしい限りよ」
「何とでも言いやがれ! このクソガキ!! どの道もうテメエは死ぬんだからな!!」
余裕綽々で、リーダであるブラックフィクサーは己の策の成功の喜びを噛み締めた。その手には剣が握られ、その切っ先は幼女の喉元に突きつけられている。しかも残る三人も、己の得物を幼女を取り囲む形で突き出しているのだ。
策略とはこうだった。まず、幼女を油断させるために食事の準備が出来たと偽り、彼女が輿を降りようとした瞬間に武器で身動きを封じる。卑怯も何も、それぐらいしか勝ち目が見出せなかったのだ。だが思ったよりも計略はうまくいき、こうして幼女を刃で取り囲むことが出来たのである。最早逃げ場も無い。動けばその瞬間に一突きだ。
「さあ泣き喚いて命乞いをしろ! そうすれば助けてやるかもしれんぞ?」
「いや、金だな! 有り金ぜーんぶ出しやがれってんだ!」
「オレっちは二、三発殴らねぇと気がすまねぇッス!!」
「まぁ・・・当然だな」
既に勝利を確信した四人は、口々に鬱憤晴らしを叫びながら得物で幼女をつついた。だが彼女は全く物怖じすることもなく、「阿呆どもめが」と呟くのみであった。
次なる不幸は、時間と相手であろう。
もう少し早ければ、もしくはもう少し遅ければ、ということはよくあることだ。
「なま、トリュさ」
ぶすっとしたまま相槌しか返さないこの鎧男トリュフォーに対して、シャンプは何の気兼ねも無く親しげに呼びかけた。
「あぁん?」
背の高い無愛想な男に見下されたかのように睨み返されれば、普通は驚くなり怖がるなりするだろう。実際、関係の無いプルの方がビクリと肩を震わせるほどの威圧感だった。だがシャンプは朗らかに笑いながら、左側の森を指差した。
「あれ、何だべやーな?」
暫し、トリュフォーは足を止める。これ幸いと、プルも、足の速い二人に追いつくために小走りになっていた足を止めた。
「・・・・・・何にも、見えない、けど?」
息を整えながら、プルは彼が指差す方向を見た。木が生い茂っているだけで、何も目新しいものは無い。
「あるじゃねぇか。木が」
目を細めながら、トリュフォーがそう混ぜ返す。
「別に珍しかねぇ――」
ふいに、言葉が止まった。
「おい、ちょっと待て、ありゃ・・・・・・」
「ど、どうしたんです?」
「誰かいっぺ」
言うが早いか、シャンプは驚くプルを残して自分が指差した森の方へと飛び込んだ。続いてトリュフォーが後を追う。
「え? え? え、え、え?」
プルは何が何やら分からないが、こんなところではぐれては大変と慌ててその後ろに従った。だがそこは森ではなく、すぐ隣にあった山道であった。自分達が歩いてきた獣道よりも、多少は整備されていてずっと歩きやすそうな道。
と、そこで目にしたものは――
「テメェらそこで何してやがるッ!!」
トリュフォーは、開口一番そう叫んだ。あまりにも大声で叫んだので、隠れていた獣や鳥達が慌ててばさばさと飛び去ったほどであった。彼は怒り心頭といった様子で目の前にいる『盗賊ども』を睨み付ける。
幼女相手に、大の男が四人がかりで武器を突き付けている――傍から見た場合、どちらが被害者に見えるかなど言うまでも無いことだった。せめて彼女が、子供でなければ。だが、そんなことは今更言っても仕方が無いことだ。
トリュフォーは叫んだ。
「ガキ相手に大の大人四人がかりかよ!?」
『常闇の終末団』が驚きから立ち直るよりも早く、彼は槍を構えていた。卑怯は彼の嫌うところ、ましてやそれが子供相手となれば怒りは収まらない。
「オメェら、そこ離れッ!」
一方のシャンプも、剣こそ構えてはいなかったものの、素手で熊を倒すその一撃をいつでも繰り出せる構えで立っていた。
「なっ、アンタら、一体何やってんだよ!!」
無論、プルも例外ではなかった。力も何も持たないものの、彼にも信念はある。それは子供相手に武器を振り回すことを良しとしない信念である。
「そこの君、動いちゃダメだよ! 大丈夫、すぐ助けるからね!!」
もっとも、プルが言うまでも無く、『常闇の終末団』の注意はほぼ全て彼ら三人組に集まっていたので、幼女が動こうが動くまいがいきなり刺される状況ではなくなったことは確かである。
「んなッ、何だお前らはッ!!」
ここで、『常闇の終末団』はどうすべきだったか。
全ての元凶はこの幼女なのだと弁明すれば、多少は彼らの感情も和らいだだろうか。否、そんなことを言っても誰も信じはしないだろう。第一、何故そんな状況下に陥ったかについて言えば、非は彼らのほうにある。
では逃げるのはどうか。それは足の速さにもよるが、慌てて逃げ出せばとりあえず痛い目を見ずに済んだのではないだろうか。つまり、後から考えてみれば、逃げることこそ彼らがとるべき行動であった。
だが、彼らがとったのは最も悪い方法だった。それは、
「邪魔するなら容赦しねぇぞ!!」
と、武器を手にそのまま怒り狂う鎧の戦士に襲い掛かるというものであった。
プルは、トリュフォーに槍でさんざ叩かれ、シャンプの拳で嫌というほど殴られ、息も絶え絶えで横たわっている『盗賊ども』に向かって祈りの印を結んだ。大口を叩いた割には手も足も出ずに瞬殺された彼らに、かける言葉が見付からない。
「え、と・・・・・・とにかく、もう大丈夫だから。うん、ちょっと、その、怖いかもしれないけど・・・・・・」
プルは、ともかく自分の後ろに庇っていた幼女に笑いかけた。この惨事を見て、恐怖のあまり泣き出すのではないかと思ったのだが、彼女は平然とした顔付きで自分を襲った輩の成れの果てを見つめていた。
「えーと、君、何処から来たの?」
「知らぬ」
即答され、プルは笑顔のまま固まった。幼い子供の声に似つかわしくない、威厳溢れる口調――というか生意気な言い方である。聞き間違いかと、プルがもう一度口を開こうとした瞬間、
「っはっはぁ!! 油断しやがったな!!」
いつの間にか背後に忍び寄っていたらしい残党が、プルの喉元に短刀を突きつけていた。
「プルっち!」
「プルーア!」
戦闘担当の戦士と少年が同時に振り返る。
「おぉっと動くなよ!? 『常闇の終末団』ブラックフィクサーを怒らせちまった罪、命で償ってもらおうか!! とくればそうだな、武器を捨てろ!!」
「テメェ、卑怯だぞ!!」
言いながらトリュフォーは顔をしかめた。幼女を取り巻く暴漢どもを一掃し、プルが彼女を連れて距離をとっていたのが仇となった形だ。飛び込むには少々、遠過ぎる。
「何とでも言え!! さあこの男の命が惜しくば武器を捨てろったら捨てろ!!」
「んーの、とっとめぇ――」
「やめとけ、シャンプ」
今にも駆け出しそうなシャンプを制し、トリュフォーは無言で槍を手にしたまま腰を下ろした。こずるい悪党ほど、こういった局面になると何をしでかすか分かったものではないのだ。だとすれば、武器を置いたふりをして相手の隙をうかがうしかない。一方のシャンプはというと、悔しそうな顔をしてドサッと武器を放り投げた。場慣れしているわけではなさそうだ、とトリュフォーは思ったが、ともかく視線を見たことも聞いたこともない盗賊団の男に戻した。
「いいか、動くなよ! 動くんじゃねぇぞ!」
ブラックフィクサーは強気にそう宣言しつつ、プルの首根っこを抱えたままじりじりと前進した。武器さえなければ何とかなるだろうという算段だ。
だが。
「誰ぞ忘れておらぬか?」
地獄の使者の声がした。そう、真の敵は乱入してきた三人組ではなく、この悪魔のような幼女なのだ。うっかりとはいえ、それを忘れ去っていたことでブラックフィクサーの勝機は粉々に打ち砕かれて消滅した。
「ま、待て待てこれを見ろ! こっちには人質がいるんだぞ!!」
慌てて振り返り、脇に抱えた少年プルを盾にする。あまりにも勢いよく動いたので、プルは半回転した状態で首を絞められる格好となってしまった。短刀はといえば、今や全く無意味な方向へと突き出されている。
「ぐえ・・・・・・」
「こいつがどうなっても――」
「構わぬ」
幼女は冷酷にそう言い切ると、愛くるしい笑顔で平然とおぞましい言葉を吐いた。
「どうせ赤の他人じゃ。お主の好きにせよ」
プルが必死になって目で訴えたが、幼女はころころとさもおかしそうに笑いながら、顔をトリュフォーとシャンプの方へと向けるだけだった。
「もっとも、そなたらにとってはそうもゆかぬようじゃが・・・・・・それはわらわの介さぬところ。かようなことに首を突っ込むほうが、悪いのじゃよ」
「んなっ!? お、お前に人の心ってのは――」
思わずブラックフィクサーがそう叫んだが、答えはそっけないものだった。
「無い」
彼女は閉じていた右手を開いた。背を向けた敵に向かってトリュフォーが駆け出すよりも早く、火の玉が宙を舞った。
魔術だ。しかも――“詠唱無し”の。
トリュフォーが思わず足を止めた横を、シャンプが勢いよく走り抜けた。
「プルっち、危ねいよ!! 当たってまう!!」
「ふん。誰に向かって口をきいておる」
彼女が軽く指を動かすと、火の玉はまるで生きているかのように飛び回り、猛スピ[ドで走り去るブラックフィクサーの背中を直撃した。と同時に火の玉は勢いよく爆ぜ、一瞬にして彼を炎で包み込む。
「ぎゃあああ!! 熱い熱いっ!! た、た助けてくれ、助けて・・・・・・」
「ふ、命を奪おうとした相手に命乞いか。そんなものをこのわらわが受け入れるとでも――」
にぃっと残酷な笑みを浮かべながら、彼女は軽く指を動かし――
「ダメだぁッ!!」
叫んだのは、シャンプだった。彼は素早く幼女の正面に立つと、彼女の肩を押さえていたのだ。
「何ぞ、命を無駄に奪うちゅーんはよかねっこつだッ!! そん、オメェの気は済むかいよ!? だっても、それは許されらんね!!」
シャンプが早口でそうまくし立てるのを彼女はうるさそうに聞いていたが、くだらないというようにため息をついてみせた。
「のけ」
そう呟くと、彼女は火の玉を出したとき同様、突然上空に水を出現させ、滝のように降り注がせて消火した。まるで自らの意思ひとつで全てを動かせるのだと言わんばかりに。そしてあたかもそれが、自分にとっては当たり前であるかのように。
だがトリュフォーは、気付いていた。彼らの中で最も戦い慣れしており、なおかつ魔道についての知識を有するからこそ、気付くことが出来た。
幼い姿をした彼女の、異常に。
「・・・・・・てか、『常闇の終末団』、でしたっけ? 傷、治してやらなくても良かったんじゃないですか?」
「ん? ああ、まぁ・・・これで懲りたろうと思ってな」
あの後、トリュフォーはとりあえずもう二度と目の前に現れないという条件付きで、彼らの傷を簡単な治癒魔法で治してやったのだ。その真意をプルが聞いてみた。
「ま、それに少々やりすぎたかという気もしたしよ。それにあの程度の輩はとっ捕まえたところで一銭もなりやしねぇよ」
そう口では言うものの、敵にまで情けをかけるトリュフォーをプルはまじまじと見つめていた。
魔法だとか魔術だとかは、自分の精神力を思っている以上に酷使するらしい――らしい、というのはプルは魔法も魔術も全く使えないからだ。村では老司祭アンブロススと、次期司祭アンブロテスぐらいしか、実用的な魔法や魔術を使える人間はいない。しかし、そんなプルにも常識として、魔法や魔術を使用することに対する知識はある。トリュフォーは完全に盗賊の傷を治したわけではないが、それでも疲れることには変わりがない。
そんなプルの視線に気付いたのだろう、トリュフォーが目を細めてプルを見た。
「・・・・・・どうした? 私の顔に何かついてんのか?」
「いや・・・意外とトリュフォーさんて優しいなー、って」
「んなわけねぇだろ。気持ち悪ぃ」
彼はプルに背中を向けると、「それから」、と言葉を継いで振り返った。
「私に向かってですます調で喋んじゃねぇよ。あと、さん付けもやめろ。私がオメェのこと呼び捨てにしてんのに、丁寧に返す必要はねぇだろ」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだ。トリューだろうが黒髪だろうが、好きなように呼びな」
とりあえず、無愛想で怖いばかりの人だというわけではなさそうだ、とプルが少しほっとしているころ、助けられた幼女はというと、不機嫌極まりない様子で輿に腰を下ろしていた。
「・・・・・・これで満足であろ?」
目の前に座っているシャンプに向かって皮肉を言う。自分を襲った『常闇の終末団』とかいう盗賊もどきが無事と知って、彼女は不満そうに口元を歪めた。が、対するシャンプはというと、嫌味を言われたことも気付かずに彼女に向かってにっこりと笑いかけていた。
「ん! オメェ、優しぃな」
そんな彼を見て、幼女は小さな頭を大袈裟に振りながら、わざとらしい笑顔を作って顔を上げた。
「そもそも、わらわは助けを求めてなどおらぬ。あの程度ならばわらわ一人で片せたものを、頼みもせぬのに乱入しおって。そんな程度のことで、わらわを助けたなどとされとうないわ」
「けんどれ、オラが助けてぇ思たからそーしたまでさぁ。気にすんない」
「・・・・・・言葉の、裏を、読めぬ奴、じゃなぁ・・・・・・」
幼女はあまりにも邪気の無いシャンプの顔を一瞥すると、ハッキリとした口調で言った。
「わらわが言いたいのは、お主らが邪魔だった、ということじゃ。もう一度言おうか、お主らは、邪魔者以外の何ものでもないわ」
「知っとぉよ。だども体が勝手に動いちめーのめ。仕方あんめー」
あっけらかんとそう返すシャンプに、彼女は一瞬顔をしかめたが、「お主、莫迦じゃろ」と呟いて溜息をついた。
マッタンゴー王国は、世界屈指の巨大都市だということだ。曖昧な言い方になるのは、プルにとっての世界はランプテロミス村の近辺だけであり、都市といえば今自分達が向かっている『ムーランの町』だけだからだ。だからトリュフォーが言うように、夜でも街道が明るくて人が溢れているとか、数え切れないほど様々な商品を売っている店が立ち並んでいるとか、都市の反対側まで行くのに一日以上かかるときもあるとか、そんなことは露ほどにも信じられないのだ。
だが、トリュフォーが言っているはおそらく本当のことなのだろう。何故ならば彼は実際にそこに何度も行ったことがあるというのだから。それに彼は嘘をつくようなタイプの人間ではなさそうだ。本物を目で見て、都市の感じに何度も触れていると考えていいだろう。
だとすれば楽しみではある。一生に一度でも、そんな大都市に入る機会は訪れないだろう。何といっても――何も威張ることでもないし、実を言うとかなりショックだったのだが――プルの村は地図に載っていないのだから。
問題はその遠さだ。季節が一巡するほどまで遠くはない、とトリュフォーは言っていたが、逆を言えば季節が変わりかねないほど遠いということだ。一体、次に村に帰れるのはいつになることやら。
ただ、そういった中心の方の都市は辺鄙な地と違って交通も便利で、それと魔法とかいうものによって移動を短縮出来たりもするらしい。それに期待したいところだ。
そもそも魔法は何なのかと、唯一詳しい知識を有しているトリュフォーに尋ねたところ、彼の答えは以下のようなものだった。
「――ともかく、魔法、魔術、魔道、全て名称は違うが根源は同じ、そして用途が別だ。要はこの世界にある目に見えない大いなる力を借りて、様々な奇跡を起こす力だと思え。己の思い描いた想像を現実となす力だ。簡単に言っちまえばな」
十回ほど同じ質問を繰り返したので、さすがに詳細な説明を諦めたとみえる。
「傷を癒し、自身に利をもたらすものが魔法だ。私が使えるのはこれだな。そしてそのチビ――」
「ルスラじゃ」
「――ルスラが使えるのが、おそらくは魔術だ。相手を傷付け、不利にする。あの火の玉や水もそうだろう。で、魔道ってのが禁忌の領域。具現化させた力、つまりは精霊だとか魔人だとかだな、そういったのを使役したり、相手を操ったり、己を怪物と化したり――様々だ。かつての『魔衆』や『アマニタ』が好んで使ったと言われるが、その強大すぎる力は時としてコントロールが効かねぇとかいう噂だ。暴走するんだと。ま、今となっちゃ誰も見たことはねぇだろうがな」
ここで、どうやったら魔法を使えるのかとプルが七度目ぐらいになる質問をしたので、
「才能だ。見たところ、お前はかなり努力しねぇと無理だな」
というあいまいな答えが返ってきた。最初はもっと細かい説明だったのが、既に面倒になったらしい。
「だが一つだけ言えるのは、どれも『詠唱』が必要だってことだ。呪文を詠むことによって、人間は魔の力を使えるようになる。中には・・・・・・ったく説明しづれぇんだが・・・・・・詠唱無しにする方法もあるっちゃあるがな。そいつは熟達の技で、回復魔法、補助魔法、低級魔術、もともと呪文が短いのに対して有効だな。呪文を暗記して心に留め置けば・・・・・・って言っていいんだか・・・・・・ともかく、面倒な手順を踏めばそういったことも可能になる。私も二、三そういったのがあるからな。するとここで気になるのが――」
「わらわのこと、であろ?」
地図から視線を上げないまま、先程助けた幼女ルスラはさらりと言ってのけた。
「話し振りからするに、わらわが何も唱えずに火球を操ったり水を降らせたりすることは異質とみえる」
「そうなるな」
トリュフォーは腕組みをしたまま暫し黙っていたが、「だが何故かは分からない」と念押しした。
「そうじゃ」
ルスラも、事も無げにそう返す。
「何も覚えてないから?」
プルが続いて尋ねるも、彼女の答えは変わらなかった。
「覚えておらぬし、思い出せぬ。事によっては忘れたのやも知れぬな」
彼女によれば、今に至る全ての記憶が無いのだという。特に気にも留めなかった、というのが彼女の凄いところだが、過去も、出身地も、目的も、そして己の名前も覚えてない。つまりは記憶喪失なのだと彼女は言った。
「じゃによって、魔術云々の仕様が如何と言われても皆目見当もつかぬ」
「けど名前は――」
何も覚えていないならば、先ほど彼女はどうして『ルスラ』と名乗ることが出来たのか。プルがそう尋ねようとする前に、シャンプがはいはい、と手を挙げて笑った。
「あ、それオラがゆーた。いー名じゃめ? むかすのスゲー人の名前ぇだべ」
「うむ、良き名じゃな。気に入っておるよ」
地図で地名を見ればもしかしたら出身地が分かるかもしれないと、トリュフォーが渡した地図の上を指であちらこちらへでたらめになぞりながら、ルスラは悲しみの全くこもらない声で言い放った。
「さようなこと、別にお主らが気に病むことでもなかろ。関係の無きことぞ」
暫く沈黙が続いた。確かに見た目は幼い女の子なのだが、彼女の思考は子供のそれではなく、何事に対しても無頓着だ。そんな彼女にいったい何ができるというのだろう? 何か協力できることは無いかと尋ねて、「そんなものは無い」と即答するような女の子なのだ。
だがそんな沈黙は、シャンプが明るい笑い声で簡単に破ってしまった。
「でぇじょーぶだぁ、きっと見付かっぺな。オラたちがついとぉもんよ! 一緒に行けば良かとよ」
「それだ!」
思わずポンと手を叩きながら、プルは自分でも気付かないうちに大声を出していた。
「そうだよ、一緒に行ばいいんだ! ひょっとしたら旅してる途中に見付かるかも!」
「わらわは――」
ルスラは驚いて顔を上げたが、プルは彼女の言葉など耳に入っていないらしく、一行のまとめ役であるトリュフォーに自分の提案について同意してくれるかと尋ねていた。そして彼は、プルが思っているよりもあっさりとOKを出してくれた。
「いいんじゃねぇの。けどその分食い扶持が増えるぞ」
「平気平気! 女の子一人分ぐらい、何とかなるって」
「待て待て、待てい、お主ら!」
当事者抜きで話を進めるなと、ルスラは立ち上がって皆を見下ろし――たつもりで、ジロリと見上げた(地面に置いてある輿では彼女の低い身長をカバーできなかったのだ)。
「わらわは断るぞ。お主らのような能天気な輩と一緒とあっては――」
気が休まる時が無いわ――しかし、彼女の文句は最後まで続かなかった。自分以外の二人も、この新しい仲間ルスラを歓迎してくれると知ったシャンプが、彼女の小さな体に思いっきり抱きついたからだ。
「じゃー決ぃまり! よろしゅうなん」
よしよし、と頭を撫でられ、ルスラは怒りを通り超えて脱力感が湧き上がるのを感じた。
「・・・・・・子供扱いするでない。この、阿呆どもが」
この後、一人で行くよりみんなで行く方が楽しいじゃないかという結論が出るまで散々言い合い、結局ルスラが折れた。普通は一緒に行こうと提案する方が折れるべきなのだが、子供を残して行くのは心配だという思いが強くあり、それに押し切られる形でルスラが諦めることとなったのだ。
「このお人好しの莫迦どもめ。どうなっても知らぬぞ」
ルスラはそう言い捨てると、もう一度地図をなぞる作業に戻った。とりあえず今夜から料理は四人分作らなきゃね、という声と笑い声がその頭に降ってくる。
思わず溜息が漏れる。
記憶が無いのは不安ではない。
だが――記憶が失われてなお、彼女には一つの思いが残っていた。それは、『自分は一人であるべき』という決意じみたもの。それでも。
「言っても、聞かぬであろ」
そう呟いて、ルスラは見覚えの無い地名が並ぶ地図から、顔を上げた。
「・・・・・・ともかく、王都へ向かう」
結論は、それだった。
「目的は、ひとまずは三賢者の一人エメティカの手掛かりを得るため、だな。プルーアとシャンプにとっちゃあ探し人。でもって、ルスラには記憶の手掛かりとなるかもしれない存在だからな」
「捨て置けと言っておるに――」
ルスラがそう呟くと、聞き逃さなかったシャンプが、またあの笑顔を見せた。
「それ言わんめぇ。な?」
ルスラも苦笑しながら、「阿呆らしくて言う気も失せるわ」の一言で済ませる。
「で、トリュフォー、お主は何のために王都へ向かう」
「・・・言えねぇな。機が来れば話す――かもな」
興味津々といった風に目を光らせるプルを制するために、トリュフォーは意地悪く最後の言葉を付け足した。
「えー、教えてよー、そもそも無理矢理連れてきたからにはその理由を話す義務があると思います!」
「だが断る。ま、目的は違えど行き先は同じだ。そうと決まればもう行くぞ。出来れば今日中に、ムーランの町に着きてぇからな」
返事を待たずに歩き始めたのがトリュフォー、勢いよく立ち上がったのがシャンプ、それからあからさまに嫌な顔をしたのがプルである――いつもは道中の宿で一泊してからムーランに向かうのだ。一日でたどり着こうとは暴挙に近いとプルは思った(だが口には出さなかったし、反抗することも無かった。そんなことをしてもムダだとわかっていたからだ)。そんな彼らを見て、「徒歩か」と呟いてあからさまに嫌な顔をしたのがルスラだった。
こうして、奇妙な剣の縁に囚われながら、旅は続く。
王都までの道のりは、まだまだ果てしなく遠い。
◆
「あーあ、でもショックだなぁ・・・・・・村が載ってないなんて」
プルは割と新しそうな地図を隅々まで見渡してから、がっくりと肩を落とした。
「そんな辺境なんだ・・・ムーランの町っぽい印が端っこに点のように見えるけど・・・・・・」
「まぁ、西の方は森ばっかりだから、あんま整備が進んでないんだろ。王都はずっと東、でもって少し北だ」
「こん、でっけぇ真ん中のヤツだぺか?」
「ふん、世界の中心に国を描くとはな。大した威信じゃ」
「そこは詳しく書かれてるのになー・・・・・・川までくっきりと」
西側一面に森が描かれている地図を見ながら、プルはうなだれた。遺跡調査とかで、それなりに人もやってくる場所なんだけどなぁ。
そんなプルを気遣って――はいないのだろう、ルスラが慰めにもならない言葉をかけた。
「そんなものじゃろて。そんな辺境など誰が好き好んで詳しく書かねばならぬのだ? そもそも需要があるまいて。所詮、目の届く範囲しかわからぬし、目の届く範囲がわかればそれで良いのじゃからな」
田舎モノが何を言っているのやら、という口調のルスラにへこまされているプルを無視したまま、彼女は、ふむ、と顎に手をやった。
「なれば・・・この地図は王都で書かれたものというわけか」
「地図地図~」
チェスバンズ片手に現在位置を地図で調べていたトリュフォーの肩に、ずっしりと三人分の重みが加わった。後ろから地図を覗こうとしているらしいのだが――
「重いんだよ! 広げるからどきやがれ!!」
こいつがそんなに珍しいのか、と思いながらもトリュフォーは地図を伸ばして後ろを歩く三人に手渡した。少し先の分かれ道さえ間違えなければムーランまでは一本道だったからだ。もう地図は必要無い。一方の三人組は、お互いに見せろ見せろと押し合いながら地図に見入っていた。
「でもこうして見ると世界って広いんだって感じがしない? 誰かこの街を全部見た人がいるのかなー、なんてね」
「おるやもしれぬな」
「なんとかかんとか・ま・つ・た・ん・ご・棒」
「王都だよ、王都。しかもそれ『マツタンゴ棒』じゃなくて『マッタンゴー』だから。・・・あれ? ルスラちゃん、どうかした?」
ぼんやりと考え込んだ風のルスラにプルが声をかけると、彼女は軽く頭を振ってつぶやいた。
「・・・・・・いや、何でもない。にしても、一大帝国じゃと思ってな。さぞや歴史ある国なのじゃろう」
「歴史、ねぇ・・・・・・あんま考えたこと無いな。よく父さんがさ、ムーランの町に出稼ぎに行ったお土産に古い本とか買ってきてくれてさ、『凍土の王メラノス』とか。そういうのは読むんだけどねぇ、歴史書はどうも難しくてダメかな・・・・・・って、笑うなー!」
背中しか見えなかったが、プルの言ったとおり、おそらくトリュフォーは笑っているのだろう、小刻みに肩を震わせている。
「お前・・・知らねぇの? ああいう英雄譚は大概歴史書だぜ?」
「え、本当の話だったの?」
そんなことも知らずに読んでたのか、とトリュフォーは面白がっていっそう肩を震わせた。
「ああ、まぁ大体はな。私もよく読むが、『勇士ヴァン・フォーテンの誓い』とか『ソロリアの秘法』、『サング・ナリアの戦い』なんかがお勧めだ」 ※クサハツ(Russula
foetens)、キチャハツ(Russula sororia)、チシオハツ(Russula sanguinaria)
「ほーう。なかなかに面白そうじゃな」
「その本に載ってた地名を探そうと思ってるんだけど、見付からないなーと」
地図に顔をうずめたまま、ルスラが鼻で笑った。
「そんな昔の地名が載っておるわけ無かろうよ。考えればすぐにわかることじゃろ」
うう、とプルがうめく。かわいらしい年恰好に似合わず、ルスラの言葉はきつい。
「そうだね・・・・・・じゃあもう一回ムーランの町でも探すよ」
「ムーラン、ムーラン、どっこかや~・・・・・・西は――」
「地図の上が北、右が東、だから王都よりずーっと左にぽつんと。これじゃない?」
「いや、名前が無いから別の町やも」
ルスラの言うとおり、そこはムーランの北東にある別の町だった。よく見れば、そこに書かれている文字のつづりがムーランではないことに気付いただろう。
「んん・・・それにしてもよ」
地図のあちらこちらを見渡しながら、ルスラが唇の端を持ち上げて皮肉な笑いを作った。
「北の方に全く国が無いではないか。トリュフォー、これが本当に最新の地図なのかえ?」
「・・・・・・ああ」
今度は、トリュフォーがぼんやりしてしまった。
「? トリュー、どうかした?」
「でぇじょぶけ?」
深刻そうな面持ちに声をかけてみるも、返事は無い。暫くの間、彼は黙っていたが、
「オメェら、知らねぇのか」
「知らぬ!」
「いや、ルスラちゃんはともかく・・・何を?」
いきなり何を言い出すのだろうとプルは首をかしげた。しかしトリュフォーは、何も知らないはずのルスラの顔をじっと見つめている。
「・・・・・・ルスラ」
「ん? 何ぞしたのか、神妙な顔付きをしおって」
「・・・・・・お前の故郷、は・・・・・・」
「どこぞには、あるじゃろうな」
「・・・・・・そりゃそうだな」
また暫くの間、沈黙。ふと、彼の視線が地図の北の方へ移り、3人もそれにならった――小さな町がバラバラと点在しているだけだ。他の箇所に比べて、手抜きではないかというほど何も描かれていない。
「トリュさ、なんかあったんかよ・・・・・・?」
「あー、何でもねぇ。もう行くぞ。こんな場所で地図なんて見なくても、さっさと町に着いて、それからじっくり見りゃいいだろ」
言うが早いか、トリュフォーは地図にかじりつく三人を無視して地図を引っこ抜いた。
「あっ、地図・・・・・・」
「まだわらわが見ておったのに・・・・・・」
「め・ら・の・何とか何とか、地方?」
三人が恨み言を言うよりも早く、トリュフォーは地図を畳んで歩き出す。
「おい、歩かねぇなら置いてくぞ!」
「もう少しゆっくり歩いて欲しいんですけど! 一日でムーランまで行こうなんて無理だよ! 無理無理、ああもう絶対無理!」
普段ムーランに向かう時に一泊していく道中の宿をとっくに通り越し、それでもまだ歩みの速さを落とさないトリュフォーに向かってプルが不平をもらした。それに対する答えはたったの一言。
「男なら我慢しやがれ!」
「わらわは女じゃ! しかも子供じゃぞ!?」
つい先ほど子ども扱いするなと言ったばかりのルスラがそう膨れた。なんとも都合のいい子供ぶりだ。しかし、年相応に大きな瞳を潤ませるルスラにも、トリュフォーは厳しかった。
「喋れるなら元気じゃねぇか。シャンプなんか私よりも早いぞ」
「ぽぽぽわぽー」
トリュフォーが指を差した先では、ハイスピードでスキップをしながら道の先へと消えていくシャンプの姿があった――
「ってこら、道が違う! そっちじゃねぇぞシャンプ!!」
シャンプはスキップというよりは、連続幅跳びをしているかのように大股でどんどん先へと行ってしまう。あっという間に離れていく彼を逃がすまいと、トリュフォーがこれまたすごい速さで駆け出して行く。
「ぎゃあー!! この状況で走るんですか!! ありえねー!!」
「うーむ・・・・・・やはり一人のほうが良かったのやも・・・・・・」
否も応もない。プルは二人に遅れをとるまいと棒のようになっていた足で必死に走っていった。その背中には、ちゃっかりとルスラが負ぶさっている。いわく、「歩幅が狭い子供を一人で残して走り去ろうとは、まったく男の風上にも置けん」とのことだそうな。
結局、この日はムーランの町まで走りました。もう、足が動きません――by.プルアロータス。
第4章 星夜の怪奇
ムーランの町につくころにはもう日も暮れていて、「ふん、意外と近かったな」とのたまったトリュフォーと、それに同意した他二名を人間じゃないとプルアロータスは確信するにいたった(ルスラはずっとプルの背にくっついていたわけだが)。彼には宿屋を探す体力も残っていない。
「・・・なさけないのう、おぬし」
「・・・・・・・・・ぁぅ」
呆れたような――というか呆れ百パーセントなルスラの言葉に反論する気力も、もちろん無い。
「それにしても――なんだか、やけに静かじゃねぇか?」
「夜は静かなもんだっけー」
トリュフォーは怪訝そうにそう言うが、シャンピニオンは全然気にしていないようだった。
「しかしな・・・地図にも載らないような辺境とは違って、まあここだって十分辺境なんだが一応は地図にある“町”なんだぞ? 真夜中ってわけじゃあないんだ」
「ふむ・・・確かにそうじゃな」
トリュフォーに同意したルスラが、あたりを見渡す。
四人がいるのは、町にはいってすぐの広場だ。こういう場所の周りには商店が並んでいるのが常で、ここムーランの町も例外ではなかった。規模は小さいが、一通りの店はそろっている。
問題なのは、そのいずれもが閉まっているということだった。なにせ、明かりが灯っていない。
「宿屋まで、というのは少しばかり妙だの・・・」
「そうけ? んー、すっかもしんねーな」
「ふむ――おいプル」
「・・・はひ?」
「悪ぃんだが、休息は延期だな。少し町中を見て歩くぞ」
もちろん、プルには抗議の声を上げる余力も残ってはいなかった。
「だけんど、なしてみんな閉じこもっとぉか、わがんねーべ」
「うむ、賊や獣の気配もないしの」
「そもそも住民がいなくなっちまったのか、いるのに閉じこもってるのか、それも分からんな」
三人はすでに広場を抜け、町の端まで達していたが、店舗も民家も、明かりが灯っている場所は全くなかった。寂寞とした町にかかる半輪の月の光が、かえって不気味さを増している。
「はあて・・・・・・これからどうすっぺ?」
シャンプの問いに、トリュフォーが答えた。
「一旦戻って、宿屋のドアを叩いてみるべきだろう」
「返事がなかったら、野宿すんのかや?」
「わらわは厭じゃ」とにべもなくルスラが言う。
「イヤったってな・・・・・・」とトリュフォーが困惑する。
「ドアを壊して勝手に休めばよかろ。主がいないなら、文句を言う者もあるまいて」
「野宿なら、プルも文句を言うべ」
シャンプがそう言うと、はっとしてトリュフォーはあたりを見回して、少し驚いた表情を浮かべた。
「プルアロータスはどこに行った?」
これを聞いて、シャンプも唖然とした表情を浮かべる。ルスラが言う。
「疲れておるようじゃったからの。どこぞで座って休んでおるのであろ。道なりに戻っていけば拾えるじゃろう」
「・・・・・・とにかく戻るか」
ところが入り口の広場まで戻っても、プルの姿はなかった。
「あいつ、手間をかけさせやがって」とトリュフォーは苛立つ。「誘拐されたりしてなきゃいいが・・・・・・」
「捜しに行くべや」
「おう。私は町の北のほうを捜してみる。シャンプ、お前は東だ。ルスラは・・・・・・」
「わらわは行かぬ。面倒じゃからな」
ベンチに据えられたその腰を動かすのは、百人の力でも不可能だったろう。
「いや、しかしお前一人置いて行くわけにはいかねぇから」
「賊も獣もいないのじゃから、問題はあるまい。もし何かあっても、小僧と違って自分の身は自分で守れるわ。幸い今夜はそれほど冷え込まないようじゃし、ここで待っておるよ」
無理に納得した表情でトリュフォーは引き下がると、シャンプに合図して町の空虚の中を駆けて行く。舗装した道から二人の足音が高く響く。ルスラは空を見上げた。小さなコウモリが一匹、星の海をゆっくりと渡っていた。
「いたか」
「いねえ」
広場に戻ってきて顔を合わせたシャンプとトリュフォーの、最初の会話はこれだった。トリュフォーはさすがに疲れた表情でベンチに座りこんだ。
「・・・・・・おいルスラ、ひょっとして戻ってきてねえか」
相手を見ずにかけた言葉に、返事はなかった。今度はシャンプがあたりを見回す。その表情を見て、トリュフォーは思わず自分の額をぴしゃりと叩く。
「畜生、何をやってるんだ私は・・・・・・」
◆
話は少しさかのぼる。
「悪いんだが、休息は延期だな。少し町中を見て歩くぞ」
街の入り口から数十歩ほどの位置にある、小さな広場。木造平屋の小さな家屋が、いくつもぐるりとそこを囲んでいる。軒並み木戸が閉まっていて人の気配はなく、疲労困憊したプルアロータスの喉からこぼれる息遣いだけが、夜の空気をそよがせていた。
そこに響いたのが、トリュフォーの容赦ない休息延期宣言だった。
プルは涙目になって小刻みに首を振ったが、鎧男にも他のメンバーにも伝わらなかったらしい。男と少年、そして幼女の三人は、街の奥へと通りを歩き出してしまった。金属の触れ合う音と固い土を踏む音が、だんだん遠ざかっていく。
「(うう・・・・・・せめて水だけでも)」
幸い、見回すとすぐに井戸が目に入った。よろめきつつ、プルはそこに歩み寄ったが。
がっしりした石組みのその井戸には、がっしりした分厚い木の蓋がかぶせられ、がっしりした鎖が掛けられていた。鎖にはプルの両手サイズの巨大な錠がぶらさがっている。気が抜けて、プルは膝を折って井戸にもたれかかった。
「(よく考えりゃ当然だよな。開けっ放しにしてたら誰かが落ちるかもしれないし)」
プルの村でも、持ち回りで井戸番を決めて井戸を管理していたのだ。水は諦めることにして、プルは先に行った三人を追うことにした。
もし彼が執念深く井戸の蓋をこじ開けていれば、そこの異変に気づいたかもしれない。が、彼にはそんな力は残っていなかったし、なによりはぐれまいとする気持ちのほうが強かった。
トリュフォーの持つ明かりが、かなり先のほうで揺れている。がちゃがちゃいう音もずいぶん小さい。プルは疲れた脚に気合を注いで、走り始めた。
と。
前の光が、あっという間に小さくなり、消えた。音も途絶える。プルは驚いて足を止めた。
猛然とトリュフォーたちが走り去ったように、プルには見えた。
「え・・・ちょ、ちょっと?」
反射的に追いかけようとして、プルはたたらを踏んだ。明かりがなければ走るどころではない。鞄を探って、火打ち石と松明を入れた麻袋を取り出す。実家で補充したものだ。石を打ち合わせるプルの手つきはぎこちなく(何回も指をはさんでしまった)、火花も弱々しかったが、松明に巻いた布はよく油を吸って乾いており、直に炎を燃え上がらせた。
「こういうときに魔法が使えると便利なんだけど」
ルスラのように炎が出せれば、指を傷だらけにする必要もない。シャンプの剣だって、確か光るし。トリュフォーも魔法が使えるみたいだし、何より彼が持っているランタンは精巧な細工が施された魔法の品で、何もしなくても光るのだ。
その三人の姿はどこにも見えない。彼らに追いつくべく、燃え盛る松明を片手にプルが足を踏み出した、そのとたん。
『べろん』
プルの精神野に、そんな音が響いた。
十歩ほど先の地面がまくれあがったのだ。土の地面だったはずのそれが、安っぽい敷物みたいに。
「え? な、何?」
どんどんまくれあがる地面に足をとられ、プルは引っくり返った。手から松明がすっぽ抜けたが、それどころではない。左右を見回すと、右の家も左の家も、見える範囲でぐにゃりとゆがんでいた。まくれた地面は大きく上へ伸びていく。自分が袋の底にいるような錯覚をプルは覚えた。
「ふふん、捕まえた」
やけに可愛らしい声が降ってきた。プルは頭上を振り仰いだが、もうそこに空はなかった。
◆
静まり返った街の一角。
つい先刻までプルがしりもちをついていたはずの場所に、今は別の人物が立っている。
少女だった。背はプルよりも低いが、手も足も細く体も華奢なため、ひょろ長い印象がある。首、両手首、腹部、両足首のそれぞれにぼんやりと光る玉飾りをつけているので、明かりがなくてもその容姿はよく分かる。
巨大な鍔付帽子の下にある丸い瞳は、自らの放つ光を映して輝いている。帽子からあふれ出た髪が肩をすべり、華奢なそれを夜気から守るように包み込んでいる。裾の広がったドレスを纏ったその姿は、ケースから抜け出した花嫁人形のようだった。右手に一抱え以上もある袋をぶら下げていて、それがやや不自然である。
彼女の名は、かつてプルを襲った魔剣士グラシリスであれば知っていた。魔衆パンセリナ。美形をこよなく愛する、性悪魔女の片割れである。
彼女は手にした袋をそっと撫で、呟いた。
「さ・て・と。早いとこ帰って、この子可愛がったげないと」
パンセリナの足元を風が巻いた。と、次の瞬間その足は地面を蹴って、身を高々と舞い上がらせた。
誰かの家の古ぼけた屋根板を蹴り、さらに舞う。優雅な跳躍を数度繰り返して、パンセリナの姿は教会横の時計塔の上に舞い降りた。
ムーランの中央広場から少し外れたところに建つこの時計塔は、ムーラン最大の建造物である。その尖塔は街のどの場所からも見ることができ、よく目印にも利用される。時計の上には鐘があって、修道僧が決められた時間に鐘を鳴らすことになっている。
その鐘楼に、今は三人の人影があった。一人はやってきたばかりのパンセリナで、もう一人はパンセリナと同じような背格好の少女(ただしかぶっているのは巨大な鍔無し丸帽子)、もうひとりはプルと同じような年ごろの少年だ。いずれも魔衆で、少女がパンセリナの妹であるヴィローサ、少年が姉妹の「愛の奴隷」ヴァギネイタ(通称ヴァグ)。ヴィローサは横目でじろりと姉を見やり、ヴァグは狭いスペースに胡坐をかいて何やら瞑目している。
「姉さま、体のぴかぴかは消してくださらない? 勇者の一行に気づかれてしまいますわ」
視線はそのままに、ヴィローサが言った。よく見るとその視線は姉ではなく、姉の手にした袋のほうに注がれている。
「大丈夫だって。もう捕まえてる。そうでしょ、ヴァグ?」
「ええ、もう一人が別の檻に入りましたよ」
パンセリナの問いかけに、少年が答えた。目は閉じたままだ。
「さっき三人が三手に分かれました。で、檻で一人になったほうをナメクが包みに行ったとこです」
「一人って、残ったのは男の子? それとも戦士?」
「・・・・・・女の子です」
ヴァグの答えに、パンセリナとヴィローサの二人ともが落胆した表情を作った。パンセリナのほうは露骨に舌打ちして、
「そいつは殺しちゃおうよ。ナメクにはそう言っといたっけ?」
「言わなくたって、彼は殺しちゃうんじゃないですか・・・・・・あ、今ちょうど女の子のいる空間を切り離しましたから。ナメクが戦闘に入ります」
ヴィローサがおっとりとうなずいて、
「では、わたくし達も残りの二人を捕まえに参りましょう。ヴァグさま、動いても空間は維持できますか?」
「いや、動くとちょっと・・・ていうか『さま』付けはやめてくださいよ。なんか僕が偉いみたいじゃないですか。どうせ実質は奴隷なんですから、呼び方もそれなりにしてくれればいっそ諦めがつくのに」
「まあヴァグさまったら、難しいことを仰ってわたくしを悩ませるのですね」
ヴィローサは右手の甲で涙を拭いつつ、左手でヴァグの頭をわしづかみにした。胡坐をかいたまま少年が持ち上げられる。ヴィローサが怪力なのではなく、魔法で少年の体重を減らしているのだ。呪文の詠唱がないのは、これがヴィローサの手袋に仕込まれた術だからである。
「よし、じゃあ行こう。ヴァグ、術解くんじゃないよ。解いたらあたしと溶岩風呂だからね」
パンセリナが袋を持ち上げた。綿でも詰まっているかのように軽々と扱っているが、その口を少しでも開ければ、騒ぎ立てるプルの声が聞こえてきたことだろう。人間丸ごと一人を片手で持ち運べるのは、単にパンセリナが怪力だからである。
床を蹴る音が二つ鳴り、三人(正確には四人だが)は夜空に飛び出した。
◆
パンセリナたちが塔を離れるわずかに前。
広場のベンチに腰かけて頬杖をつきながら、ルスラは夜空を見上げていた。
最初は飛んでいるコウモリを追っていたが、すぐに飽きて今度は星を読み始めた。十二宮全ての星座を占い終えてから、自分の星座が何だか分からないことに気づいて、それも止めた。「昔の知り合い座」だの「馬鹿軍団座」だのとでたらめに星座を作るのにもやがて飽きて、とうとう単に星を眺めるだけになったのだ。
周囲がずるりとめくれあがったのは、その時だった。
崩れたカーテンのように星空がずれ、下ろした視線の先では地面が波打ち始める。広場の中央に立っていた変な爺さんの彫像も、こんにゃく製ででもあるかのように震え始めた。
腰をあずけていたベンチもぐしゃりと潰れてしまい、ルスラはしりもちをついてしまった。
それでもルスラは頬杖をついたまま、つまらなそうに半眼を夜空に向けていた。
「・・・・・・怖がらねえな?」
遥か頭上から低い声が降ってきたとき、ようやくルスラはトパーズ色の瞳を動かした。
背にコウモリの翼を生やした大柄な影が、翼を羽ばたかせて舞い降りてくる。ルスラの瞳は闇を通して、その姿形を見通した。
全身が長い毛に覆われている。四つの目と耳まで裂けた口は、影が通常の生物ではありえないことを示していた。めりはりの効いたシルエットは、発達した筋肉の存在をうかがわせる。
「魔族か」
「そうさ。ナメク様よ。悪いな嬢ちゃん、味見させてもらうぜ」
「断る」
抑揚のない声でルスラは即答した。つまらなさそうに頬杖をついたままで。頭上のナメクが油断したとすれば、そのいかにも戦意なさげなところを見たからだろう。ルスラの頭上数十センチの虚空から撃ち出された火炎球に、ナメクは反応できなかった。
夜空に紅蓮の花が咲いた。悲鳴は破裂音にまぎれてかき消えた。ナメクは頭から墜落し、広場の彫像に激突した。
「ぐ・・・・・・ガ・・・・・・っ!」
しかし、死んではいない。両腕をバネにして跳ね起きると、敵意に満ちた四つの瞳をルスラに向ける。
「ガキが・・・・・・魔術師とはな。大人しくしてりゃいいものを・・・・・・!」
火傷を負った腹部を左手で押さえつつ、ナメクはルスラににじり寄った。ルスラのほうは頬杖をついた姿勢を崩そうとしない。それが勘に障ったらしく、ナメクは歯茎までむき出しにして叫んだ。
「生きたまま八つ裂きにしてやるぞ。目玉をえぐり出して口に詰めてやる。それが嫌なら泣き叫べ! どうせ助けはこねえがなァ!」
「・・・・・・獲物を前にサディズムを垂れ流すようでは、大物にはなれぬぞ」
ルスラが笑みを浮かべた。
「それに、腹を押さえたまま強がってもらわれてもな。憫笑には値するが」
「ほざけ!」
ナメクの右拳が彫像に叩きつけられた。破砕音を響かせて、彫像が崩れ落ちる。破片は一切なかった。見かけはそのままで内部だけ砕けたような、奇妙な崩れ方だった。
「俺の言葉をはったりだと思うな。いいか、貴様は――」
「閉鎖空間にいるというのだろう。とうに知っておるわ」
ナメクの台詞を横取りして、ルスラは続けた。
「星の動きがなくなった時点で、空間ごと隔離されたことには気づいておった。あとは何といったか、マジックアイテムの中に、内部を周囲の風景に擬態して獲物を誘い込む大袋があったろう、あれを使って我らを包みこみ、捕獲完了だ。そうであろ?」
ナメクは目を見開いたまま答えなかった。驚愕のためである。妙に動じない相手だと思っていたが、袋の仕掛けまで全て見通されているとは思わなかったのだ。
ルスラは笑みをさらに深くした。
「術者の能力は低くはないが、高くもない。全ての家が閉じられておるのは、内部まで作っていないからであろうな。今も周囲の家の戸は閉ざされておる。我らがまだ隔離空間内におるということであって、多少は派手にやってもよいということだ。
ナメクとやら。貴様はやはり二流だ。何のためにわらわが解説なぞしておると思う?」
ルスラの周囲にいくつもの拳大の火球が生まれた。光に照らされたルスラの髪が、扇状になびいて真っ赤に輝く。ナメクもようやく相手の時間稼ぎに気づき、両腕で顔面を防御した。
「遅い」
無数の軌跡が闇を切り裂いた。複数の軌道は、しかしただ一点に集中する。その中心でナメクが吠えた。両腕を激しく振り回し、飛来する火球を叩き落としていく。驚異的な動体視力と反射神経だった。全ての火球はナメクの拳に迎撃され、標的の直前で炸裂して四散していった。
「馬鹿め、この程度で俺様を倒せると思うなァ!」
ナメクは突進した。もはや火傷の痛みは感じていない。一跳躍で間合いを詰める。焼け爛れた拳を振りかざし、叩き込む。ルスラの小柄な体はひとたまりもなく吹き飛び、民家の木戸に激突した。
ナメクは間をおかずに追撃した。殴った感触がおかしかったことに、彼は気づいていた。おそらくは魔法による防御だろう。だがそれも関係ない。防御ごと叩き潰せばいいのだ。
ルスラが何事か叫び、雷撃を放ってきた。電気の鎖が全身に絡みついたが、ナメクは咆哮してそれを消し飛ばした。すかさず左拳を叩き込む。ルスラは右に跳んでそれを避けたが、追撃で放った左回し蹴りがその背を捉えた。
手ごたえありだ。振り向きざまに放たれた火球も、ナメクは弾き飛ばした。もはや彼女の魔術攻撃では自分は倒れない。そう確信したナメクは、ほとんど防御無視の構えから右拳の一撃を叩き込んだ。無数の光弾がナメクを撃ったが、どれも大して痛くはなかった。鳩尾を殴られたルスラのほうは、宙を舞って民家の壁に叩きつけられた。彼女はそのままうずくまる。
「へっ・・・どうだ、クソガキ。てめぇの攻撃魔術なんざ、効きゃしねえよ――」
ナメクは言葉を切った。
ルスラが笑っている。笑いながら、彼女は立ち上がった。
「・・・・・・?!」
ナメクは四つの目を細めた。なぜだか彼女の背が高くなっているように見えたからだ。いや、実際に高くなっている。腰まであったはずの髪が今は背の中ほどまでしかない。それに大きめだった服もぴったりと体に合っている。
「そうそう、忘れておった・・・・・・」
若干ハスキーになった声で、ルスラが笑った。
「わらわはこの姿でないと、ろくに攻撃魔術が使えぬのだったわ」
昂然と立つその姿に、ナメクの攻撃によるダメージはまるで見られなかった。ナメクは呻いた。その直後、ナメクの翼を火球が撃ちぬいた。
「ぐっ・・・・・・」
四つの目を持ってしても、影さえ見えなかった。
「さて、久方ぶりの運動だ。鈍った腕を元に戻さねばな」
ルスラが笑った。何度目の笑いだか、ナメクは覚えていない。だが、これが彼の見る最後の笑いになりそうだった。
◆
位相のずれた同じ場所でルスラが激闘を繰り広げているとも知らず、ムーランの入り口広場にて、鎧男と勇者の二人は途方にくれた面持ちで首をかしげていた。自分たちが何かの罠にはめられつつあることは察していたが、それがどんな罠なのかが分からないのだ。
「プルはともかく、ルスラのほうは普通にさらわれるようなタマじゃなさそうだからな。魔術だか魔道だか、そういったもんが働いているんだろうが」
「んーなら、どーすらぁええっぺ? 気配もねえど」
「ああ、それが妙なんだが・・・・・・」
鎧の傷み具合からも分かるとおり、トリュフォーは歴戦の勇士である。強烈な敵意や殺気でなくとも、人の気配は探ることができるのだ。それなのにここの家ときたら、探っても死者の棺桶みたいに空っぽなのだ。そもそも明かり一つ漏れてこないというのは、いくらなんでも異常である。窓を覗いても真っ暗なのだ。
「まさか夜逃げしたわけでもあるまいし・・・止むを得んな」
トリュフォーは自らのザックから天幕用の麻縄を出すと、端をシャンプに放った。
「不恰好だが仕方ねえ、こいつを腰に巻いとけ。さっきは何事もなかったが、念のための命綱だ」
「あいさ」
互いに縄を腰で結わえると、「さて」とトリュフォーが腕を組む。
「拠点を確保するぞ。ルスラじゃねえが、戸を叩き破ってでも入るぜ。誰かいりゃ情報が聞きだせるだろ」
「いねがったら?」
「不任意に部屋を借りる」
堂々と言い切ると、トリュフォーはランタンを掲げなおして歩き出した。引っぱられるようにシャンプがついていく。縄を片手で握り、視線は油断なく左右に走らせて。
立ち並ぶ建物のどれが宿泊施設なのか分からなかったので、トリュフォーは適当な一軒に目星をつけた。二階建ての建物だが、看板が出ているのと、石造りの二階建てだったこと、木戸の前の地面が他よりも踏み固められていることで、見当はつく。
トリュフォーはランタンを差し出してみたが、看板まで光は届かなかった。木戸を叩いてみる。
一度叩いただけで、トリュフォーは手を止めた。
こめかみがぴくりとひきつる。
「こいつは・・・・・・」
「どっただ?」
後ろからの問いかけに、トリュフォーは無言で縄を引っぱった。やってきたシャンプに「触ってみろ」と石壁の継ぎ目を指し示す。
言われるまま、シャンピニオンは壁を撫でた。そして気づいた。
「なんだあ? ぺたんこだべ」
石を組んでできているはずの壁面には、立体感というものがなかった。質感も妙で、布越しに触れているような感覚があった。
「変だろ? おまけに木戸の向こう側、なんか詰まってやがるぜ」
トリュフォーは建物の窓に歩み寄った。ちょうど彼の目の高さにあるその窓は、ガラスがはめ込まれているだけで覆いはなかったが、その内部はランタンを差し出しても暗いままだった。光は全く通らない。
トリュフォーの両眼が、目庇の奥で細められた。ぱちりと音がして、背のスピアランスが外れる。回した左手でそれをつかむと、トリュフォーは槍の石突を窓ガラスに叩き込んだ。
ごん。
およそガラスにあるまじき音を立てて、槍は撥ね返された。
「おらがやってみっぺ」
肩越しの声に、トリュフォーは半歩脇にしりぞいた。代わりに進み出たシャンプは、聖魔剣を両手で構え、輝きを放つその刀身を勢いよく窓ガラスに叩きつけた。
今度は弾かれなかった。耳が痛くなるような高音を発し、窓ガラスに亀裂が入った。同時にその周囲の壁が、大きく震える。
「な、なんだと?」
震えるというより、はためいたのだ。風をはらんだセイルのように。異変を察知したトリュフォーは思い切り縄を引いたが、それよりも早くシャンプは飛びのいていた。と、同時に――
「あーあーあー。間に合わなかったじゃない」
「ダメですわヴァグさま。あの程度で術をお解きになっては」
二つの声が降ってきた。「無茶言わないでください」と、三つ目の声がやや遅れて降ってくる。
「ハンマーで頭殴られたかと思いましたよ。集中できるわけないじゃないですか」
「袋まで破られちゃったし・・・・・・あ、もしかしてもう会話筒抜け?」
「ですわね」
振り仰いだ二人の視線の先には、屋根の上に佇む三人の影。異様に大きなかぶりものをしている二つの影が目を引いた。
「誰だてめェら!」
叫びつつ、トリュフォーは飛び退った。右手はランタンを投げ捨て、腰に差した短剣を抜き放っている。縄を切られたシャンプも飛び離れ、剣を構えて頭上をにらんだ。
「誰だなや!」
影たちは顔を見合わせたようだ。顔と顔を近づけて、何やら話し始める。
「どうしますの?」
「うー、やっちゃいたいけど・・・・・・」
「相手は勇者ですよ? そもそもまともじゃ勝てないからこんな姑息な【ごん】」
人影の一人が殴り倒された。
「ま、いいわ。ヴィローサ」
「ええ」
二つの人影が屋根を蹴った。鍔付き帽子と丸帽子。鍔付きのほうは右手に殴られた人物、左手に大きな袋のようなものをぶらさげている。
身構える二人の前に、おそらく少女であろう二つの影は音もなく降り立った。鍔付き帽子の体のあちこちが光を放ち始め、周囲がやや明るくなった。
「女・・・」
トリュフォーは呟いた。目の前の二人は、帽子の形以外は驚くほどよく似ていた。華奢でか細いお嬢様といった風情だ。が、内面が外見どおりでないだろうということは薄々分かる。恐らくは――
「仲間を攫いやがったのも、てめぇらの仕業か?」
「この人間のこと?」
鍔付き帽子が左手の袋を持ち上げて見せた。
「これはあんたの仲間じゃないわ。あたしたちのよ。悪いけど」
「ほざけ。返してもらおうか。二人ともだ」
トリュフォーの声音は怒りを孕んで低く、迫力に満ちていた。山賊風情ならそれだけで逃げ散りそうな雰囲気だったが、鍔付き帽子の魔女は形のよい唇をつり上げて、喉の奥で笑い声をたてた。
「なァに、対等のつもり? 身の程知らずは嫌いだな、あたし」
「そうですわ。まあ・・・わたくしは剥製でも構わないのですけど」
丸帽子が意味のわからない相槌を打つ。トリュフォーは苛立ちを隠そうともせず、
「黙れガキども。魔道使いだかなんだかは知らんが、子供は年相応に寝小便の心配だけしてりゃいい。大人しく袋の中身を渡してもらおうか」
交渉を通り越して挑発と化しているその台詞に、双子の魔女だけでなくシャンプまで顔を引きつらせた。鍔付き帽子に首をつかまれている少年が、
「ああ、鎧の人。あまりこの人たちを怒らせないほうがいいと思いま【ごき】」
何やら忠告しかけて首をひねられる。鍔付き帽子は低い笑い声を上げた。
「くふふっ・・・・・・いじめ甲斐がありそうじゃ・ない・のっ!」
右手を一振りする。まばゆい輝きが彼女を中心に炸裂し、その場の全員が視力を奪われた。トリュフォーも集中は解かずに目をかばったが、その耳に何かが弾ける音が届いた。
目をあけると、風がまぶたを撫でていった。この街に入ってからはじめての風であることに、トリュフォーは気づいた。シャンプが足元を見て、
「あ? ぬんだべこりゃあ」
声をあげる。それも道理で、通り一面、白い布で覆われていた。建物にも大きな布の切れ端が引っかかっている。
「そいつは今までお主らが入っておった袋の残骸じゃ」
声は帽子二人組の後ろから聞こえた。
「なかなか滑稽じゃったぞ。道の真ん中に巨大な袋が鎮座しておる光景は」
小柄な幼女。帽子たちよりさらに背が低い。何か丸い物を手に持っている。
「ルスラ!」
シャンプが嬉しげに叫んだ。振り向いた帽子二人が舌打ちの音を立てる。
「あのケダモノ、しくじったね」
「だらしのない。所詮はコウモリですわ」
手厳しい評価を下す二人に、ルスラは手にした球状の物体を投げつけた。液体を撒き散らしながら飛んだそれは、鈍い音を立てて地面に転がった。シャンプが鼻を押さえて顔をしかめた。漂ってきたのは血臭だったのだ。
「何の真似よ」
かつての仲間の生首を足蹴にして、鍔突き帽子が問いかけた。ルスラは肩をすくめ、
「残ったのがそれだけだったのでな。バロメーターにちょうどよいので持ってきた。どうもわらわを甘く見ておる節があるゆえ」
「ムゴいですねえ。もう帰りましょうよ。正面衝突は不利ですって」
息を吹き返したらしい少年が訴えかける。鍔付き帽子は頬を膨らませ、
「ちぇっ、じゃあ収穫はこの子だけ――」
語尾は爆音に包まれてかき消された。前置きもなく、ルスラが数個の火球を放ったのだ。不意を突かれた鍔付き帽子の左手と袋の口に、火球群は命中した。同時に、
「――熱ちあちアチゃちゃちゃちゃ!」
聞き覚えのある悲鳴があがり、煙の中からプルが転がりだしてきた。背中が燃えている。
「こ、このサル・・・!」
ルスラに向けて怒声を上げたものの、鍔付き帽子は攻撃を仕掛けようとはしなかった。丸帽子が彼女のドレスの裾を引き、こう告げたのだ。
「姉さま、もう朝ですし、帰りませんこと? わたくし血の臭いを嗅いだせいか、気分がすぐれません」
「あーもー・・・こんなときに朝だなんて。しかたない、ヴァグ、寝なおすから付き合いなさい」
「え? 抱き人形なら僕じゃなくても【ぎゅ】」
脱力した少年を抱えなおすと、鍔付き帽子の魔女は憎々しげにトリュフォーを指さして、
「覚えときなさいよ。今度遭ったらマッパに剥いてやるんだから」
「手足と頭は鎧のままの方が萌えますわ。それではごきげんよう」
捨てゼリフを残すと、魔女たちはそろってシャボン玉が弾けるように消滅した。
「・・・・・・なんだったんだ、結局」
ざわざわと野次馬が集まりつつあるのを感じつつ、トリュフォーは吐き捨てた。ルスラが「新手の道化ではないか」と言いながら歩み寄り、転がっているランタンを拾い上げる。その傍らに、シャンプのジャイアントスイングで鎮火したプルが、黒焦げになって引っくり返っていた。
今回はあまり手直しは無し。
次回、伏竜洞クエストはかなりの改定予定。(話のつじつまあわせとか?)
期待なさらずに。
最終更新:2014年02月17日 12:24