2008年04月10日(木) 08時53分-R
第7章 角のある修道女
ムーランの町は、快晴。太陽も上がり始め、人が往来を慌しく行き交っている。
そんな眼下の光景を見るのも飽き、ルスラは窓から目を離した。その視線の先で、ベッドの上で寝息も立てずに横たわっているシャンプの姿があった。
悪夢が付け入る隙が無いほど、彼は眠りこけていた。知らぬ人間が見たならば、覚めぬ眠りの呪いにかかっていると思うことだろう。だが、もちろんそうではないことを、ルスラは知っている。
「今日ぐらいは、好きなだけ寝かせといてやれ」
彼女のお供、もとい連れのうちの一人、トリュフォーが部屋を出る前に彼女にそう言った。シャンプも疲れてるんだろ、と彼は言ったが、確かにその通りだろうとルスラは思っている。骨と肉片しか残っていなかったが、話と推測から察するに、あそこには本当に竜がいて、それをシャンプがたった一人で退治したらしい。無論、彼女はシャンプの疲労の原因が竜退治にあるのではなく、聖魔剣の力を解放したことによる自身の暴走にあることを知らない。
「・・・あのさぁ、ルスラちゃん。一ついい?」
「何じゃ」
「なーんか、待遇に差があるような気がするのはオレだけ?」
「お主だけじゃ、プル」
ふん、とそっぽを向いてルスラは『魔道具注文書』を眺め始めた。金欠と知ってから、彼女はひたすらそういったパンフレットを眺めるという地味な嫌がらせを始めているのだ。
「珍しく早起きして手持ち無沙汰な男、プルアロータスよ」
「珍しくは余計だし、別に暇してるわけじゃないんだけど――いて!」
ルスラが飛ばした折り紙のヒコーキが、プルの額に当たる。
「危ないから人に向かって投げちゃダメだよ、も~」
おでこをさすりながらプルが紙を広げると、『オプシディス魔法専門店』のチラシにいくつか丸がつけられている。細い金属の紐、豆よりも小さな飾り玉、ペンダントの鎖、髪飾りの土台、などなど――
「買い物に行くついでに買ってまいれ」
「何か作るの?」
「己に相応しいものは自らの手で作るべし・・・たかだか鰐の骨ごときに、ケーキ25個の価値など無いわ!」
ざっと概算してみる。こういう計算は得意なのだ。成る程、彼女の言うとおり、印のつけてあるものを全部買ったとしても、20$いくかいかないかぐらい(約500円程度)だ。当然、その分のお金は、昨日使った残りの54$(約1600円)と、今日トリュフォーから新しくもらった320$(約9600円)の、計374$(約1万1千円)から出さなければならないのだが。
ちなみにその320$について、トリュフォーが言うには、伏竜洞のモンスター(竜以外)は薬や魔法道具の材料としてそれなりの値段で取引されているため、臨時収入のおまけのような形でお金が儲かったから、その中からいくらかをプルに渡したのだそうだ。
「短剣でも買っとけよ」
朝、出かける前にトリュフォーは、プルの安っぽい万能ナイフを見ながらそう言っていた。
「・・・少なくとも、そいつより武器になるヤツをな」
プルのナイフは、あくまでも採集用。万が一の際の護身には使えるかもしれないが、常時武器として使用するにはあまりにも心許無い物なのだ。かといって、トリュフォーの短剣はプルには重すぎて、ただブンブンと力任せに振り回すことしか出来なかった。ならば、トリュフォーの言うように、『300$(約9000円)ぐらいの短剣をケチらずに買え』ということになる。
「惜しむなよ」
「うわッ!?」
トリュフォーの言葉とシンクロしながら、ルスラの言葉がプルに投げ掛けられた。
トリュフォーはプルが購入する武器に対して。ルスラはプルが買ってくる自分の品物に対して。
「質の悪いものを買って来てみよ・・・・・・諸共に焼き尽くしてくれるわ」
「ルスラちゃん、それ、悪役の台詞だよ」
チラシをメモと一緒にカバンに入れながら、プルが苦笑した。それからふと、ルスラも出かける支度をしていることに気付いた。
「? ルスラちゃんはどこ行くの?」
「外じゃ」
あー、うん、そうだね――プルは適当に返事をした。詮索するな、一緒についてくるな、誰にも言うな――そんな命令がこもった鋭い瞳で、ルスラが彼を睨み据えていたからだ。
「夕刻には戻る」
「お気を付けて」
お主に心配されずとも、と頭を振りながらルスラの小さな姿は扉の向こうに消えた。
思わず、ため息が出てくる。いくら強大な魔力の持ち主だといっても、まだまだ子供だ。その精神がいくら大人びているとはいえ、やっぱり見た目は子供なのだ。
「まだ小さいんだからさー、大人の言うことも多少は聞くべきだと思うんだよなー」
またどこかで面倒事を起こしやしないかと心臓に悪い思いをしながら、プルは卓の上に置かれていた部屋の鍵を手に取った。
「(まぁ・・・買い物を頼むぐらいだから、ただの散歩だよね、きっと・・・)」
とりあえず、そう思い込むことにする。
今日は何事も起こらない、平凡な一日のはずだ。兄に会ってちょっと話をして、何事も無く買い物を終えて、この部屋に戻る――それだけだ。
「じゃ、行って来ます」
眠ったままのシャンプに一言かけてから、プルはそっと部屋を出た。
結論から言うと、彼の心配事のうち一つは確かに回避された。
ルスラは町の中ではなく、あの伏竜洞にいたからだ。シャンプが倒した竜の亡骸から自分の欲しい物(骨、鱗、角、牙、などなど)を手に入れるため彼女はそこへ向かい、結果として、それなりの素材を入手することが出来たのである。
しかし、プルのもう一つの心配事は的中してしまう。
彼はまた今日も、平穏な一日を送ることが出来なかったのである。
◆
その頃、トリュフォーは――
「――はい、これで報告書は終わり」
「質問。何で私がこんなことに付き合わなきゃなんねぇんだ」
書類に埋もれながら、トリュフォーが愚痴った。その隣では、同じような状況でダーマが一言、「ご苦労様」で終わらせた。
ムーランの町、ショウルオ騎士団拠点の一室。広かったであろう部屋には本棚がいくつも置かれ、収納しきれない書類が床に積まれている。それでも、大まかに何が置いてあるのかを記したメモが貼ってあるだけましだろう。
「こーゆートコは息が詰まるぜ・・・」
「そう文句を言うな。本来ならばあと二・三日とどまってもらうところを、こうして一日で終わらせたんだぞ。感謝の一つぐらいしてもらいたいものさ」
手早く書類をまとめながら、顔も上げずにダーマが笑う。相変わらずの優等生っぷりだ。
「へーへー、お手数をお掛けしてすいませんねぇダーマ様」
「どういたしまして、トリュフォー殿」
嫌味の返し方も手馴れたものだ。涼しい顔をしたままテーブルの上に羽ペンを置くと、おもむろに紙をすっと差し出した。
「ケッ、嫌味ぐらい付き合え」
椅子を乱暴に倒して立ち上がると、トリュフォーはダーマから受け取った紙をひらひらさせながら伸びをした。
「あーあ。お前ら毎日こんなことしてんのか? 私なら一日で死ねる」
「本来ならば、君の仕事だ」
「・・・・・・冗談じゃねぇ」
ふん、と鼻を鳴らして、トリュフォーは紙をくるくると巻いた。
「似合わねぇよ」
「・・・どうかな」
冗談めかして帰るつもりが、ダーマの言葉は嫌に冷たかった。
「どういう意味だ」
「もし――君なら、」
ダーマはトリュフォーに背を向けたまま淡々と続ける。
「竜が出ると噂される洞窟に、新人を送るかい? 訓練と称して、そんな程度で済ませるか?」
「まさか」
トリュフォーは呟いた。もし自分なら、万が一を考慮して、熟練の騎士や魔術師を向かわせる。伝説だからといって、もしそれが伝説などではなく現実であった場合を考えずに行動するのは愚かしいことだ。
「なら!」
バァンと机を叩いて、いきなりダーマが立ち上がった。驚いて振り返ったトリュフォーの目に、凄まじい形相のダーマの姿が飛び込んできた。
「君が指揮を執っていれば、死なずに済んだ人間が死んだということだ!!」
「・・・そうかよ」
どういう意味か、とは尋ねなかった。
「指揮を執ったのは、フラヴィダム・ルベスケンス殿、なんだな・・・」
「ああ、そうだ」
フラヴィダム・ルベスケンス――若くして秘書官にまで上り詰めたエリートだ。武にも通じているため、しばしば騎士団の指揮を執ることもある。
「所詮は文官、現場のことなんて何も知ろうとしない・・・」
歯を噛み締めながら、ダーマははたはたと涙をこぼした。
「君が指揮官だったならば、あの子達は・・・」
「いや、同じだ」
顔を伏せて泣くダーマから目を逸らしながら、トリュフォーは首を振った。
「きっと私でも、同じ結果になったろうよ」
そう言い捨てると、トリュフォーは大きく深呼吸をした。
「終わったことを、いつまでも気に病むなよ」
「うるさいッ! いつも君はそうだ! 何も知らないくせに、君に何がわかるって言うんだ!」
思わず口にしてしまって、ダーマがはっとしたのが見て取れた。
「あ、す、すまない、私はそんなつもりじゃ・・・」
「いいっていいって。気にしちゃいねぇよ」
トリュフォーは精一杯、笑いを取り繕ってみせた。
「らしくねぇな」
「え・・・?」
ダーマの頬の泣き跡に自分のハンカチを押し当てながら、トリュフォーがニッと笑った。
「いや、急に叫ぶなんて、第四部隊長ダーマ・スクレロらしくねぇよ。精神的にダメージがあるんだったら、早く王都に帰って診てもらえ。竜を退治してから、ちょっとイライラしてる気がすっからよ」
それは無論、気のせいなどではなく、セレフォーラの呪いだ。もちろん、これは上級治療魔法使いでもない限り、わかるはずもないのだが。
「・・・わかった」
だが、ダーマは素直に親友の言葉を受け入れることにした。どの道、王都には急いで帰らなければならないのだ。それに、トリュフォーに心配してもらえて少し嬉しかったのもある。
「君も診てもらった方がいいかもな」
「あ? 嫌味か?」
「そうだ」
「ご忠告痛み入る。ま、私は無理っぽいけどな」
「ご愁傷様」
二人して笑った。
トリュフォーの笑っている顔を見るのは久しぶりだ、とダーマは改めて思った。
少し、ほんのわずかではあるが、心のささくれが取れたような気がした。だが、王都に戻ればもう、きっと――
「トリュフォー」
「ん?」
「出発は明日か」
「ああ、南のシロシーブの森を抜けて、ヌメーガに出る。後は、水路で王都だな。馬があれば黄金街道を走ってすぐなんだが・・・いいよな、馬がある奴は」
「君は馬は使えないだろう? 仲間を置いては行けないからな」
「ったりめぇだ」
敵と戦うよりも疲れた、といった感じで腕を回すトリュフォーに、ダーマはいつもと同じように声をかけた。
「そろそろいい時間だけど・・・昼ごはん、一緒にどう?」
「あー、もうそんな時間かよ・・・まったく、無駄な半日だった」
彼の反応も、思った通り。いつもと何ら変わらない。
「そう言うなよ。おごるからさ」
少し行った所に安くておいしい店があってね――言いながら、ダーマは部屋を後にした。
いつも通り、変わらない関係――それはじきに終わりを告げる。間違い無い。
何故なら――復讐の為に、ダーマはトリュフォーを裏切るつもりだから
◆
傷が完治しているとはいえ、疲れていることにはかわりがない。そういう時はすぐに眠ってしまうに限る。
――のだが。
「だあーッ! ったく、るっせぇぞテメェら!! 明日何時にここを出ると思ってやがる!」
修練合宿一日目の夜さながらに騒いでいる三人を、トリュフォーが一喝した。
「ガキじゃあるめぇし、さっさと寝ろ! 寝ちまえ!!」
「オレのせいじゃないデス・・・」
「ふん。ガキで悪かったの」
「んにゃ? ガキってぬんだぁ? うめぇのんけ?」
うなだれるプル、開き直るルスラ、言葉の意味がわからないシャンプ――ベッドの上で跳んだり跳ねたりしている三人に、再びトリュフォーの怒声が飛んだ。
「だぁ~から、いい加減に静かにしろってぇの!」
シャンプとルスラの気がほんのわずかに逸れたその一瞬を逃さず、プルはシャンプの手から何かを引っ手繰った。
「あやー・・・取られっちまったが。プルっち、なかなかやっぺなぁ」
「何をやっておる、シャンプ。奴に遅れをとるようではこの先が心配だわ」
「オレは訓練道具じゃないってば!」
あはははは、と朗らかに笑っているシャンプを一睨みしてから、プルは「んっとにもぉ油断も隙もあったもんじゃ・・・」とブツブツ呟きながら、奪い返したそれをカバンに突っ込んだ。
「何だそれは」
改めて彼らのガキっぽさに溜息をつきながら、トリュフォーが尋ねた。状況を察するに、その何かをルスラの命令で奪ったシャンプが、取り返そうとするプルと取り合いをしていたというところだろう。つくづく、低次元な争いだった。
だがプルは少し頬を染めながら、
「・・・もらいもの、です」
と、もごもごと呟いた。
「べっ、別にいいでしょ! オレが何もらったってさ!!」
「私は何も言ってねぇだろう」
バタバタと慌ててカバンの口を閉めると、プルはいっそう顔を赤くした。
「花よ。花をもらったのだ」
「ルスラちゃん!」
「それもお礼としてもらったそうな・・・清純で可憐な乙女を助けたによってな」
それは言わないでよ!、とばかりに悲痛な叫び声をあげながらプルがベッドに倒れ伏した。
「何でそこまで知ってんの・・・?」
「わらわは事実を言ったまでのこと・・・お礼で花を貰ったことについてはな。されど、それが本当に乙女からの贈り物じゃったとは思わなんだがな」
「~~~~~~~~~」
ハメられた――身も蓋も無い返し方をされ、プルは耳まで真っ赤になると、ギュウギュウ詰めのカバンを放り投げてベッドシーツに潜り込んだ。
「おやすみ! オレもう寝るからほっといて!!」
プルは火照った顔を必死に擦りながら、ギュッと固く目を閉じた。明日も早いということで、それ以上花について言及されることは無かったのが、まだ彼にとっては救いだった。
◆
何故、彼が花などという似つかわしくないモノを貰ったのか、ということには訳があった。
まず彼の午前中は、ムーラン警備兵である自慢の兄・プルシュラスとの雑談で潰れた。ランプテロミス村が大火事で焼けてしまったことを話すと、兄は、一度自分も故郷に戻って皆の手伝いをすべきだろうと返した。それからプルは、自分が被害報告にやって来たのではないこと、伏竜洞へ出かけたことを語った(プルシュラスは、弟がそんな危険なところへ行って無事で済んだことに物凄く驚いていたが、男らしくていいことだと誉めもした)。対するプルシュラスは、ここ数ヶ月でだんだんとモンスターが増え始めてきたこと、伏竜洞で激戦が行われ騎士小隊が壊滅したことを語った。
「けどまぁ、お前も運がいいよな、プルーア。お前みたいなのが行ったら一口で『ガブッ!』だろ? だのに竜に遭わなかったってことは、もうやられてた後だって事だ。『第四部隊長ダーマ殿率いる戦士達により、伏竜洞のドラゴン退治される』――今朝からこのニュースで町中持ちきりさ。どこぞの化け物戦士か知らないけど、お人好しもいたもんだな・・・そう思うだろ? プルーア」
まさかその化け物戦士が友達だとは言い出せず、ただ、プルは引きつった笑いを兄に返すのであった。
そしてその日の午後――ここからが本題だ――プルは町でやり残していた重大な任務を遂行していた。
つまり、ケーキコンボで吹っ飛んでしまったお金の残り半分(少なくとも300$は武器に費やすようお達しがあったため、実質使えるお金は昨日の残りだと思った方が良かった)を、いかにうまく利用して必要物資を買い込むのか、ということである。
旅慣れていないので何を買えばいいのかわからない、ということもあったが、そこは何とか頑張ることにした。それよりも、今回の買い物を逃せば次に物資を買えるのがいつになるのかの方が不安だったのだ。
ここで、彼が身につけた『値切り』の能力が後々彼らの旅に大変役に立つことになるだとか、それを習得するまでとある露天の店主と延々戦って粘り勝っただとか、そのお陰でお釣りが出たがトリュフォーに「別に使い切ってくれて構わなかったんだがな」と言われてしまっただとか、チラシに印のついているものしかかってこなかったのでルスラに「気が利かぬ奴じゃ」と嫌味を言われてしまっただとか、300$が頭について回っていたため結局短剣以外の武器も防具も購入していなかったことに弊店の時間になってから気付いてしまっただとか、そういった諸々のことは今回は置いておくとして。
それは彼の買い物がほぼ終わった頃のことだった。
昼下がり、プルが壮大な溜め息をつきながら、石階段に腰を下ろしていた時だった。というのも、表通りの巨大看板の薬屋に入ったところ、「そんなはした金で買える薬なんて無いね! 貧乏人は帰った帰った!」と、けんもほろろに追い返されてしまったからなのだが、ちょうど彼が恨めしくその薬屋を睨んでいると、凄まじい音がした。
「帰れッ!」
ガッチャーンという音と共に怒声が降って来る。あまりのことに買い物を楽しんでいた人々がそちらに注意を向け始めるのとほぼ同時に、プルは野次馬根性で薬屋に近付いた。
見れば、年が同じぐらいの修道女らしき少女が、店から叩き出されてうずくまっていた。
「お願いです、薬をください! ムーランには心臓に効くいい薬があるって聞いて来たんです! お金ならここにありますから、どうかシスターを助けて――」
「うるせぇ!! 化け物に売る薬なんか無い!! 消えろこのアマニタ野郎!!」
ドキリとして彼女を見ると――当然、プルと同じく野次馬も彼女を一斉に見たのだが――彼女の頭から、人間でも獣人でもない者の証でもある、二本の角が生えていた。彼女は視線に気付いてか、慌てて落ちていた小型帽を頭に載せた。
だが、時すでに遅し。
普段ならば、角の飾りのついた帽子を被っているのかと思われようが、そうではないことがここに居たほぼ全ての人間にわかってしまっていた。
「・・・化け物!」
誰かがそう叫んだ。別の誰かが短く悲鳴を上げてその場を離れる。
「こいつの・・・」
店主の蒼白な顔が、見る見る真っ赤になった。ぶるぶると震える手で彼女を指差し、叫ぶ。
「・・・こいつのせいだ! アマニタが町に来たせいで俺の娘は死んだんだ!! あの竜は、お前が呼んだんだ!!」
そうだろう、みんな――店主がそう口にした瞬間、修道女の少女は『人間』ではなくなってしまった。
「化け物!」 「アマニタ!」 「疫病神!」 「出て行け!」
その罵声に耐えかね、少女は顔を上げずに立ち上がると、脱兎のごとく駆け出した。どん、と偶然プルにぶつかるが、彼女は「ごめんなさい」と顔を上げずに呟くと、そのまま人ごみの向こうへと姿を消した。
口々に、「こんなところにまでアマニタが来るなんて」「塩まいとけ、塩を」などと騒いでいる野次馬を尻目に、プルはムッとした。
――あの子、何もしてないじゃないか!
昨日もそうだった。赤髪に金の瞳という容姿だけで、ルスラがどれほど好奇と疑いの目で見られたことか。一緒にいたプルにも、その眼差しは向けられた。中には「あんた、そんな化け物となんで一緒にいるの」とまで言う人も居た。
無論、こう返した。「彼女はれっきとした人間です!」と。
「(もっと開放的なところだと思ってたんだけどな)」
田舎の上に『ド』が付くほどの辺境に住んでいて、茶髪で緑目の人間以外ほとんど見たことも無い自分よりも、色々な人間を見ているはずの人々の方が何故こうも異質な者を嫌うのだろう。
「(そりゃあ、行商人の怪しい人が来たらオレだってそう思うけど・・・それと同じなのかな)」
けど、見た目だけで化け物呼ばわりはひどすぎるよな――プルがしかめっ面をしていると、足元に何か落ちているのに気が付いた。
拾い上げてみる。
親指と人差し指で丸を作ったぐらいの割と大きなガラス玉の中に、『聖茸教(マイコティナ)』のキノコを象った輝石が輝いていた。
「ペンダント・・・あ、さっきの!」
思い当たるのは彼女しかいなかった。
プルは思うよりも早く、駆け出していた。
すれ違っただけの彼女が本当に見つかるのだろうか、という不安は杞憂だったようだ。
キョロキョロと周囲を見渡しながら小走りで移動していると、二度目の衝突があった。ぶつかってきた相手は「あ、ごめんなさい」と頭を下げて駆けて行く。
黒い修道女服に、角の付いた帽子――彼女だった。
「あッ! 君、待って! ちょっと!!」
人を避けるように走っていく彼女の背を、プルは必死に追いかけた。逃げられるかもしれない、とプルが思った瞬間、彼女は木の根につまずいて派手に転んだ。その拍子に、手にしていた袋が落ちて中身がバラバラと散らばる。
偶然にも自分の足元に転がって来た黒い粒をつまみ上げると、あちこちに似たような粒が散在していた。手早くそれを拾い上げると、いい口実が出来たと彼女に近付いた。
「はい、これ。さっきの袋の中身。ほら、さっき転んだ時に――」
言いかけて、プルは言葉に詰まった。
ペタリと腰を落としたままの状態で、彼女がポロポロと涙をこぼしていたからだ。
「そんな・・・」
そう呟くのが、プルの耳に入る。ひょっとして、とプルがその黒い粒に目をやると、それは乾かしたモチの実だった。パンに入れて焼くとおいしいが、確か彼女は薬を買おうとしていたはずではなかったか――まさかと思い、もう一度少女に声をかける。
「ねぇ、君」
「きゃっ」
短く叫び声を上げて、少女が立ち上がった。グイッと目をこすると、泣き顔から無理矢理にっこりと笑いかける。
「何でしょうか?」
「ちょっとその袋、見せて」
有無を言わさず、彼女の手から袋を奪い取って確認する。間違い無く、そこには「心臓の薬」の表記があった。
「これ・・・何処で買わされたの?」
暫く少女は黙っていたが、一言、
「さっきの薬屋さん、です」
と呟いた。
「ボクがあんまりにもしつこいから、化け物がいられると商売にならない、少しだけ譲ってやるって・・・その時に、買いました」
消え入りそうな声でそう言うと、くっと唇をかみ締めた。
「やっぱり、こんなツノのある化け物なんかに薬なんて、売れないですよね・・・シスターが病気だ何だとかなんて、怪しすぎるもん・・・しょうが、ない・・・ですよね・・・あはは、はは」
涙をこらえながら、少女は笑った。が、それもすぐに泣き顔に変わってしまう。
「ごめんなさい・・・シスター・・・ボク、やっぱりダメだよ・・・」
それを見たプルは、決意した。
「ちょっと、待っててね。すぐだから! お願いだから、絶対に待っててよ!」
言うが早いか、プルは再び駆け出していた。
◆
裏小路の小さな店『待宵草』。
何も知らなければただの民家にしか見えないが、入り口に小さな置き看板が出ているため、かろうじて店であることがわかる。もちろん、プルはここの店を良く知っている。だからこそ、真っ先にここへ向かったのだ。
走りっ放しだったために荒くなった息を整えてから、プルは取っ手を握った。ガチャリ、と重たいそれを回しながらドアを開けると、いくつものハーブの香りが交じり合って充満した、ツンと鼻につく匂いがする。
「いらっしゃい・・・」
ごりごり、という薬を挽く音。店の主は薬研を動かす手を止めずに、顔だけ動かして客の顔を見た。途端に、仏頂面が笑顔になった――といっても、口の端が奇妙につりあがるような不恰好な笑顔だったが、彼にとっては精一杯の誠意だ。
「これはこれは、若旦那じゃありゃせんか! 久しいこって」
「ウーズゲおじさん、お久しぶり・・・相変わらずすごい匂いだね、ここは」
プルの父:プルセウスは旅の行商人だ。時折帰ってきては、息子を連れて大きな町に出かけることがある。その時に、父は必ず裏通りにある馴染みの店に寄るのだ。
こうした行商人は、運搬請負と契約を結んでスタンダードに商品を仕入れいている大手系列店とはあまり取引をしない。逆に、こうした個人の店へ行き、珍しい物品を他よりも安く売るのだ。
そんな経緯もあり、プルはこの待宵草の店主ウーズゲとは親しく、彼からは『若旦那』と呼ばれている――父が『旦那』で、その息子は『若旦那』というわけだ。
「そいで、若旦那」
ファー・タスク(犬の獣人)のウーズゲは、プルの握っている袋を目敏く見付けると、こう口を開いた。
「今日は何ですかい? 商売敵の薬の効き目をあっしに試してほしいんでやすか? そりゃー、あっしも寄る年波で心の臓が弱ってまいりやしたがね、わざわざ若旦那に持ってきていただかずとも、あっしは薬師でごぜぇますから自分の病気ぐらい自分で・・・」
「あ、違う違う! これはそういうつもりで持って来た訳じゃなくて――」
見て、とプルはウーズゲに袋を渡した。彼はそれを開き、短く切ってある爪で器用にモチの身を一粒つまみ出すと、にたりと笑った。
「なーるほど、こいつぁ傑作だ! 高級薬の袋にモチの実たぁ、なかなか皮肉が利いてまさぁね。あの高慢ちき野郎が見たら頭から湯気が出るでしょうな・・・さぞ見ものなこって」
へっへっへ、と、さも可笑しそうに笑うウーズゲに、プルは苦笑まじりに返した。
「それ・・・その高慢ちき野郎さんが、あるお客さんに商品として渡したもの――だったりするんだ」
「なんと!」
全身の毛を逆立たせながら(痩せた彼の体が1.2倍ぐらいに膨らんだ)、ウーズゲは目を真ん丸に見開いて驚いてみせた。暫く間があって、「まぁ・・・ひどいことを」とつぶやく。
「あいつぁね、若旦那」
袋の成分表示を穴の開くほど見つめながら、ウーズゲは口を開いた。
「竜に娘を食われたんですよ・・・それ以来、前にも増して性格が悪くなりやしてねぇ」
プルが息を呑んだのを察し、ウーズゲは「しかしですねぇ」と言葉を続けた。
「自業自得でごぜぇますよ、若旦那。かわいそう、確かにそうでやすがね、あんな危なっかしいところに娘を一人で行かせるたぁ、人の親じゃありゃしませんね。何百年も前から竜が出る竜が出るって言われとりますで・・・娘さんも、珍しいものを探そうと遠くまで行っちまったんでしょう・・・」
ふぅ、とため息まじりに、彼は頭を振った。
「薬は毒・・・強力な薬を作りたけりゃ、いい毒を採らねばなりますまい。ご存知の通り、この辺り・・・ムーラン以西は昔っから毒が多い、つまり薬の材料の宝庫ってわけでさ。とくりゃ当然、有毒危険種が山盛り特盛りいるっつーこって・・・・・・」
喋りながらも、あっちの薬草、こっちの根っこと忙しなく手を動かしながらも、ウーズゲは何度目かのため息をついた。
「決まった量を毎回都に送るうちに、忘れっちまったんでしょうなぁ・・・薬の本質ってヤツを」
プルはただ、黙っていた。
あの薬屋の店主は娘を亡くしている。確かに同情の余地は大いにある。
しかし、だからといって、無関係な少女を『角が生えているから』という理由で迫害していいという理由にはならないだろう。彼女の言葉を信じるならば、彼女は誰かを助けたいがために、薬を求めて遠方からやって来たのだ。それなのに、お金を騙し取るような真似までされて――
「できやしたぜ、若旦那」
ウーズゲの言葉で、プルは現実に戻った。
「ありがとう、ウーズゲおじさん。助かったよ・・・それで、そのー・・・お金、のことなんだけどね・・・」
勢い勇んで来たはいいが、プルの財布はもうからっけつだ。しかし、こういう店のいいところは、お互いに信頼関係があれば『ツケ』が利くことである。もっとも、信頼関係はプルではなく、父プルセウスとのものになるのだが――
たっぷりと間を取ってから、プルは意を決してこう言った。
「今、手持ちが無いんだ。でも踏み倒そうとか全然考えてないから、その、足りない分はツケにしてもらえないかな?」
早口にそう言い切り、プルは相手の言葉を待った。そして、ウーズゲはこう返した。
「いや、料金は結構ですぜ」
「悪いね、それじゃ・・・って、えぇ!?」
今度はプルが驚く番だった。その顔をウーズゲは苦笑いしながら見ている。
「いやね、別に慈善事業ってわけじゃあありゃしやせんよ。若旦那、あんたのことだ、どうせこれからあの高慢ちき野郎に文句の一つでも言いに行くつもりでしょうが」
――図星だ。ずばり言い当てられ、戸惑うプルにウーズゲがカカと笑った。
「そいつぁ、あっしの役目でやすよ、若旦那。薬を欲しがる相手に偽物を売りつけるたぁ、いかな理由があろうとも、薬師失格でさ。ちょいと出かけて、かわいそうな客人からふんだくった金をもらいうけて来やす。そうすりゃ、万事うまく収まりまさぁな」
「ありがと、ウーズゲおじさん」
「あっしと若旦那の仲ですぜ。水臭いことは言いっこなしでさ」
プルが持ってきた薬の袋をぴらぴらさせながら、ウーズゲはニタリと笑った。狼が獲物を手に入れた時の表情に似ているために、誤解を招きやすい笑顔だ。そしてそれは、彼の作る薬についても同じ――ガラスの瓶に入った透明で綺麗な薬と、小さな壺に詰められた匂いのきついドロリとした薬の差だ。
「ま、見た目は悪くとも効き目は同じでさ・・・お客さんに、悪い薬師ばかりじゃないって言っといてくださいやしよ」
「任せといて。それじゃ!」
落っことして割ってしまうことの無いよう、布で厳重に守られた壺を胸に抱えると、プルは急いであの少女の元へと走っていった。
◆
果たして彼女は待っていてくれているだろうか――プルは不安になっていたが、それはどうやら杞憂だったようだ。彼女はぼんやりと膝を抱えたまま、そこに座っていた。待っててくれて良かった、と思う反面、そのつらそうな顔が嫌でも目に入った。
――こんなときこそ、笑顔が大事だよな。
プルはニーッと口元を広げると、それから「お待たせ!」と彼女に声をかけた。
「はい、これ」
「え・・・? それって・・・」
「薬。匂いも強烈で、味もまずいけど、すっごくよく効くんだ。これ、体験談ね」
戸惑う少女に、プルは薬壺を押し付けた。危うく落としてしまいそうになるのを何とか阻止して、少女の腕の中に突っ込む。
「店のおじさんが言うには、見た目は悪くとも効き目は同じ――ってさ。確かにその通りだから、安心してよ」
「ありがとう・・・でも・・・でも、どうして?」
壺を抱き締めたまま、少女はうつむいた。泣き疲れた顔がサッとかげり、頭に不安定に載せているだけの帽子がずれて一層彼女の顔を暗くした。
「ボクが、こんなだから・・・・・・同情、してくれたの?」
「違う」
プルは首を振る。少女はしきりに、自分の角を触っている――まるで、そうしていれば角がなくなってしまうかのように。
プルはもう一度、ハッキリとこう言った。
「違うよ」
「じゃあ・・・何で、ですか?」
少女の問いかけに、プルは少し考えてみたが、答えは簡単だった。
「んー、困ってる人を助けるのは当たり前だから、かな」
少なくとも、自分が生きてきた村ではそうだった。厳しい自然と隣り合わせの仲、病気や怪我の人の代わりに畑を耕し、作物が食い荒らされた人にパンとスープを分け、町へ買い物に行く時には皆の分も一緒に買い出し、そうして自分が困った時に皆に助けてもらうのだ。
「・・・店のおじさんも言ってたよ、悪い薬屋さんばかりじゃないって知ってもらいたい、って。でもさ、君だって誰かが困ってたら、そうするでしょ」
少女は浅葱色の瞳をパチクリと丸くすると、至極当然のようにそう言い切るプルをまじまじと見つめた。ややあって彼女がぷっと短く吹き出した。
「・・・変なの」
「え?」
「だって・・・ボクのことこんなだってわかってて優しくしてもらったの、初めてだから。ありがとう」
顔を上げて、少女はプルを見た。
笑っている彼女は、とても可愛らしかった。野原に咲いているスミレのように、可憐でいながら芯の強さのある、優しい笑顔。
プルは思わず言葉につまり、がりがりと頭を書いて顔が赤くなったことをごまかした。
「そんな・・・それほどのことじゃ・・・オレは別に、ねぇ・・・」
「それじゃ、さよなら。このご恩は決して忘れません、本当にありがとう」
にっこりと笑いながら頭を下げる少女に、プルは暫くぼーっとして――突然、当初の目的を思い出した。
「あーーーーッ!! そうだ! 待って待って!」
「きゃっ! え、な、ど、どうしたんですか?」
「ゴメン! これ!!」
危うく渡しそびれるところだったあのペンダントを、プルは少女の手に押し付けた。
「これ君のだよね?」
はっと少女が息を呑むのがわかった。
「もう誰かにとられてしまったとばかり・・・良かった、本当に・・・神よ、感謝します」
祈りのしぐさを取り、少女は目を閉じる。やはり信心深い――自分とは大違いだな、とプルは思った。アンブロスス様の説法で眠ってしまうような信仰だからこんな目にあっているのだろうか。
暗くなりそうな思い出を振り払い、プルは笑った。
「よかった。それ、大事なものでしょ。うっかりもらっちゃうとこだったよー」
明るく笑いかけるプルに、少女はコクリと頷いたが、
「それ、差し上げます」
顔を上げるときっぱり、そう言い切った。
「え? でも大切なものじゃ――」
「はい、シスター・・・ボクを育ててくださった方からいただいたものです」
「え、ちょ、そんなもの受け取れないよ!」
プルは目の前の少女の生い立ちにも驚いたが、それ以上にそんな大切なものを自分のような人間に譲ろうとすることにひどく仰天した。自身に置き換えて考えれば、10歳の誕生日に父からもらったこのカバンをお礼として誰かに渡すようなものだろうか――ただし、このペンダントは彼女にとっておそらくその何倍も大切なもののはずなのだ。
しかし、彼女は軽く頭を振って微笑んだ。
「だからこそ、です。本当に良くしていただいたから」
「ダメだって! こんなものもらえないって!」
「それじゃあボクの気がすまないんです!」
「オレの気もすまないから!」
押し問答になりそうだ、と悟ったプルは思いついた。
「じゃあこうしない? このペンダントは君に返す、その代わり、その花をもらえないかな?」
「花、ですか?」
少女は頭上に『?』を浮かべて首をかしげた。プルは「それだよ」と、彼女の胸元を飾っている白い花を指差した。
「・・・いいんですか? こんなもので」
「もっちろんさ!」
少女は少し頬を赤く染めると、そのスミレのような花――どうやら造花らしい――を2輪、プルに手渡した。
「キレイだね、本物かと思った」
「花なら、まだあります」
おや、と思う前に、プルの手に色とりどりの花束がドサッと渡されていた。
「あ、ぼ、ボク、花や草を自在に咲かせられるんです。けど、お、おかしいですよね、そんな能力なんて・・・だ、だけど、他に今お礼に出来るものなんて無くって、その、だから・・・気味悪かったら、捨てちゃってください」
「何で?」
「・・・そんな力なんて、アマニタぐらいだ、って・・・」
「あぁ・・・それで――」
自分で墓穴を掘ってしまい、少女は今にも泣き出しそうな顔をしてしきりに頭上の角を触った。よく見れば、その下に牛のような耳が飛び出している。そう、彼女はアマニタなどではなく、人間と獣人のハーフなのだ。しかし、人間でも獣人でもない存在は、どちらにも完全に受け入れられることは無い。その点では、アマニタと同じなのかもしれない。だから、両親も彼女を捨てたのだろう。
ああ、ボクってバカだ――少女は顔を赤くしたままそう痛烈に思った。恩人にこんなことを言うなんて、何て自分は愚かなのだろう。きっと、この人もそんなことを聞かされたら気味悪く思って逃げていってしまうだろうに、と。
だが、プルは違った。
「気にすること、無いと思う」
「え・・・?」
「そんなこと、気にするなって! いや、オレが言えた義理なんかじゃないことはわかってるけどさ、偉そうにと思うに決まってるけどさ、それでも。君よりも化け物じみた人だっているんだし――あ、これオレの仲間には内緒ね。後が怖いから」
「ぷっ・・・怖いんですか?」
「あー滅茶苦茶怖いよー。頼りになるかわいい女の子だけど、怒ると本当に雷が落ちるから」
クスクス、と少女が笑った。やっぱり、笑った顔はとても可愛い。
大変なことばかりだけど、今日みたいな日もいいか――プルはそう感じて、少し嬉しくなった。
「あの・・・っ」
それじゃあ、と手を振るプルを、少女が呼び止めた。
「ボク、ヴェルティナ――ヴェルって言います。もし、もし・・・ですけど、また会った時は――」
「うん、その時は本物の怖い人、見せたげるよ」
「はい! 楽しみにしてますね、えっと・・・」
名前を呼びかけようとして詰まった相手を見て、プルは自分が名乗っていないことに気付いた。照れ隠しに、軽く頭に手をやって笑う。
「あ、名前言い忘れたっけ・・・? いろいろ偉そうに言ってたケド、オレはフツーの田舎村出身の一般人です。プルアロータス、って名前だけど、今はみんなプルって呼んでるかな」
「それでは、プルさん・・・今日は本当に、ありがとうございました」
「こちらこそー。花、ありがとね。それじゃ!」
ぺこり、と頭を下げると、ヴェルは小走りに走り去って行った。暫く進んで、はたと立ち止まる。それからもう一度振り返って――
プルは、ヴェルのエメラルドの瞳を見た。
黒い修道服に身を包み、優しい日差しの中に立っているその姿は、まるで物語の挿絵から抜け出してきたかのようだ。
やわらかに微笑む姿に、プルはぎこちなく手を振って返す。笑顔が嫌に不自然で、胸がドキドキうるさく鳴っていることに気付く。心臓が耳の隣にあるみたいだ。顔が熱いということは、傍目からは自分が真っ赤な顔をしていることがわかるのだろう。
彼女が見えなくなるまで見送った後、プルは猛ダッシュで宿に戻った。誰とも目を合わせず、大急ぎで受付で鍵を受け取ると、プルはほてった顔を冷たい水で何度も洗った。
今日も大変な一日だった――タオルを顔に巻いたまま、プルはベッドに倒れこんだ。
「・・・急に旅に出たもんだから、体調崩して風邪でもひいただけだ」
誰に言うでもなく、そう言い訳をして転がる。
「そうに決まってる」
ただ一つ、今日の彼にとって非常に残念だったことがあった。
「おかえりなんしー、プルっち」
「・・・あー、うん・・・」
「これ、食ってえーの?」
「・・・あー、うん・・・」
ぼんやりするのは良くない。特に、異文化交流においては。
こうして、せっかくヴェルティナにもらった花は全部、まだこちらの料理に慣れていないVャンピニオンによって食べられてしまったのであった。まったくもって、ロマンの欠片もあったものではない。そしてその後、戻ってきたルスラがプルの持っている残りの2輪を発見し、シャンプを使っての攻防戦が始まったのである。
親切のお礼――プルが花を持っていたのは、こういった理由からであった。
無論、その時の彼には、そのヴェルティナという角のあるハーフの少女と本当に、意外な場所で再会するということは全く思いもよらなかったのではあるが。
それはまた、次の機会のお話。
「明日は体力使うとこ通るんだから、さっさと寝ろバカ!」
「ほ~い!」
「(・・・またそんなトコ通るんだ・・・)」
「いいのぉ、体力のある者は・・・わらわは『でりけぇと』じゃからもっと大切に扱ってもらいたいものじゃ」
「(またオレに負ぶさる気だ! 絶対そうだ!・・・ちょっと泣きたい・・・)」
安全な黄金街道ではなく、危険ながらも近道を選びながら王都へと進む彼らの旅は、まだまだ続く。
第8章 はぐれ者賛歌
ムーランの町――正式名称:ムーンライト・アスタリス――は別名『月の都』あるいは『月影城』とも呼ばれている。それは、勇者ルシダム一行が黒の王子ニグル・カンサーブ率いる敵軍と戦った『月夜見の乱』に顕著に描かれるように、新月の夜でも城が月光を浴びているかのように青白く輝いて見えるからである。
また、ムーラン以西には月神アスタリスのまじないがかかっているとされ、ために他では見られぬような奇妙で有毒の生物が多く見られる。それらは魔法道具魔法薬の素材となるために、薬師がよく訪れる土地であると同時に、凶暴化したモンスターに対抗するため、独自の自衛部隊を保持していることも知られている。
歴史を遡れば、西方はもともと多数の都市国家がひしめいていた。様々な経緯によって――それらはすべて、マッタンゴー王国の支配下になったのである。
無論、ムーランも同じである。
都より統治官を派遣してはいるものの、政の基本は知事によるものであり、統治官はそれらの決定事項が都のそれと大きく外れていないかを確認し、承認して都へ報告するために存在しているようなものなのである。
だから、彼――プルシュラスが「夕刻の事件について説明してくれ、だそうだ」と同僚に呼ばれた時も、いつものように上官のクマヒラー(愛称・クマじい)に高等説明するだけだと思っていたのだ。上官が簡易な報告書にし、知事がそれを形式的にまとめ、見知らぬ統治官がそれにサインをする。その書類が最後どこへ行くのかなど、プルシュラスには関係の無いことだ。大切なのは、ただ彼にとって、お茶を飲みながら、老兵士と今日の出来事について語り合うのは楽しみでもあるということだけだ。
「入りますよー」
コンコン、というノックはあくまでも形式的なもの。彼は返事も待たずにドアを開けると、いつも通りに席につこうとし――見知らぬ顔と目が合った。
ランプの照り返しを受けるその鎧は紅、胸元に彫られている細工はまぎれもなく『ショウルオ騎士団』のものだ。凛々しい顔つきをしているが、その表情に感情は見えず、白い髪と灰色の瞳もあいまって、まるで石像のように無機質に見えた。
何て場違いな――そう顔に出てしまったのだろうか、相手の赤い騎士は冷たい表情のまま、
「どうした、座りたまえ」
と自分の正面の椅子を手で示した。そうされれば、その隣の椅子に座ることなど出来はしない。
「・・・失礼します」
手が震えるため、ガタンガタンと騒がしい音を立てながら椅子を引っ張り、プルシュラスはどうにか腰を下ろした。
「あの、」
「何か」
斜め読みしていた紙面から顔を上げ、騎士は短くそう返した。プルシュラスが聞きたかったのは、何故上官のクマじいがいないのか、何故騎士がこの部屋にいるのか、その目的は何なのか、そもそも何者なのか――多すぎて頭がパンクしそうだ。とまどいながらも、とにかく口を開く。
「そのー、お、私に何の御用でしょう?」
うっかり『俺』といいかけて、慌ててプルシュラスは言葉を変えた。が、相手はそんなことなど全くお構い無しに、
「報告書の作成だ」
と答えた。
「他に何もなければ、話を進めたいのだが」
確認なのか強制なのかわからない言葉に、プルシュラスは質問で返した――場の空気よりも自分の納得が優先だ。
「統治官様は私などではなく、クマ・・・ヒラー殿にお話を伺うべきではありませんか?」
ふぅっ、と短く息を吐きながら、騎士は頭を振った。
「私はダーマ・スクレロと申す者で、統治官殿ではない。彼は着任より日が浅く、また災厄に見舞われておいでだ。ためにこちらの方々にはまだ馴染みが薄いかもしれぬが、顔ぐらいは覚えてやってもらいたい」
統治官など自分には関係が無い――そう言わんばかりに曖昧にプルシュラスが頷くのを確認し、ダーマは言葉を続ける。
「そして本日クマヒラー殿ではなく貴公をお呼びした理由は、先程も申し上げたとおり、報告書を作成するためだ。知事のグエピニ殿は一介の騎士である私が統治官殿の代わりを務めることを快く思っておらぬゆえ、正しく報告されぬ恐れがある。そのため、こうして当事者である貴公にご足労願った次第」
「・・・はあ」
政治的な諍いにはついていけない。仲違い程度で見知らぬお偉い様と面と向かい合うことになろうとは、グエピニめ許すまじ――まぁ、その辺の警備兵ごときが知事のことを許そうが許すまいが相手にとっては痛くも痒くもなかろうが。
「今日の昼過ぎのことだが、貴公はとある事件を担当したらしいな」
プルシュラスがぼーっとしているうちに、ダーマは質問を切り上げてしまったようだ。こういう人の話を聞かずに自分の都合だけで仕事を進める人間は好きじゃない――さっさと話をつけて帰ってしまおう。
「事件なんてもんじゃありませんよ、卿。ただの喧嘩です」
「判断するのは私だ。事件の詳細について教えてもらいたい」
うわ、型で押したような上からの態度だ――プルシュラスはそう思いながらも、
「その前に、お茶でもいかがです?」
と尋ねた。正直、こんな人物と向かい合って喋ればすぐに口がカラカラになってしまいそうだったのだ。しかし、相手は一般警備兵に対して心遣いをするつもりはなかったようだ。
「結構だ」
冷酷にそう言い切ったその人に、プルシュラスは乾いた笑いを返した。仕方なく、彼は何も飲まずに、今日遭遇した喧嘩、もとい事件についてダーマに語った(思ったとおり、途中でノドが乾燥して何度も咳き込んでしまった)。クマじいに喋っている時は、2時間3時間が短く感じられるものなのだが、この堅物の騎士様を相手に喋ると20分30分が酷く長く感じられた。というのも、プルシュラス得意の語り口で臨場感たっぷりに説明しようとすると、相手がすぐさま「簡潔に頼む」と言葉をさえぎるからである。
そのため、父親の知り合いであり、めったに怒ることの無いあのウーズゲが何故あそこまで憤慨して、あまつさえ相手に殴りかかることになったのか――その理由が『薬師の心意気に反するから』といういかにも彼らしい理由であること、そしてそれを汲み取った自分が彼をあまり罰しなかったことを、どれほど相手に伝えることが出来たのかプルシュラスは非常に気になった。
薬と称してただの実を高値で売りつけた――とはウーズゲの証言である。彼はその証拠として、その店の袋とその中に詰められたモチの実を見せてくれた。
対して、店主はそんなものすべてでっち上げだと言い張った。こちらの店の評価を下げようとする卑怯な獣のやり口だ、と。
激昂するウーズゲを止めるのは、正直、骨だった。
彼は言った――お前はそれでも薬師か、薬を軽んじることは助けを求めてきた相手の命を軽んじることだ、恥を知れ――おとなしく表現すれば、彼はそういったことを叫んでいたようだ。実際はもう少し口汚い言葉で、かつ、獣の咆哮のようによく響く大声だったのだが。
結局、かなりの時間はかかったものの、ウーズゲの証言、店主の証言、そして野次馬達の証言により、プルシュラスは事件のあらましを掴むことが出来た。
事件はこういうものだった。
まず、とある修道士服を着た少女が――店主は化け物だと言い張っていたが――薬を求めてやってきたことが発端だ。しかし店主は彼女を追い出し、それでもしつこく食い下がる彼女に薬と称してモチの実を売りつけた(化け物を追い払いたかった、と最終的に店主はそのことを認めた)。
その少し後で、親切な旦那様(ウーズゲは信用にかかわるからと名前を教えてくれなかった)が、売りつけたモチの実の入った薬袋を持ってウーズゲを尋ね、本物の薬を処方してくれないかと頼んだらしい。どうやらその人は、彼女を見て不憫に思ったらしい。もっとも、ウーズゲが修道女の少女とモチの実偽薬について関係があると知ったのは、彼が代わりに処方した薬の代金を店主に請求しに来た時であったのだが。そしてそのことを知ったウーズゲは非常に憤慨した。また、店主がモチの実偽薬を売ったことを認めなかったことに激怒した。堪えきれなくなったウーズゲは店主に一撃を食らわせ、乱闘騒ぎとなったところへ偶然近くにいたプルシュラスが駆けつけた――これが一連の事件のあらましだ。
成る程、確かにウーズゲの鉄拳を受けた店主は、少し前に娘を竜に食い殺されている。同情すべきことではあるが、そのためにひどく性格が歪んでしまい、鬱憤の捌け口としてにその少女に被害が及んだのだ。
プルシュラスは、ムーランの閉鎖的なところが嫌いだ。もともと人間が多い土地柄のせいもあり、獣人やアマニタ(らしき外見の人々)を嫌悪する人が多い。しかし、だからといってそれを良しとしてはならないだろう。
「――それで貴公は、ウーズゲ殿の言を信じ、薬の代金を支払わせた・・・ということだな」
「そうですが」
「彼が嘘をついているとは思わなかったのか?」
「思いませんね」
即答する。ダーマが驚いたような顔になり、次にあきれたと言う表情になった。そんな相手が口を開く前に、プルシュラスは先手を取った。
「都では法が絶対でしょうが、卿、ここではそうでない場合もあります。それに、間違ったことをしたつもりはありません」
「しかしだな――」
「薬を買いにはるばるやってきた少女が、姿が変わっているからというそんなくだらない理由だけで、モチの実を高額で売りつけられるのが正しいとは――」
バァン
いきなりダーマはテーブルを叩き、プルシュラスをにらんだ。いきなりのことでビクリと身を引いていたプルシュラスだったが、必死に目を逸らさないように前を向く。
「君の言っていることはすべて想像に過ぎない! 証拠も何も無い、推測だけで物事を判断して、それでいいと思っているのか! 結局その少女とやらは見つかっていないじゃないか、違うか!?」
「お言葉ですがね、卿」
負けじとプルシュラスは立ち上がった。
「化け物呼ばわりされる町で宿をとれますか!? 俺はね、このムーランのそういう差別的なことを黙認してしまうところが大ッ嫌いですよ! 見ず知らずの困っている少女を助けようとするのはホントは当たり前なんです! どこのどなたかは存じませんがね、それを平然とやってのけたその旦那さんを俺は尊敬しますよ。少なくとも、偉そうに書類に目を通すだけの人よりは!!」
言い終えてから、しまったという思いがした。
相手はなんといっても騎士様だ。雲の上、天上彼方の偉いお人なのだ。そんな人にこれだけ言ったのだ、クビは免れないだろう――田舎で畑を耕すしかないか。いや、その前に焼けてしまった施設の建て直しになるか・・・?
プルシュラスが故郷の思い出と焼け跡をダブらせていると、ダーマが口を開いた。
「・・・お互いにこれでは話が出来んな」
頭を振り、ため息を一つ。
「もういい、下がってくれ」
「・・・それでは」
何とか平静を装いつつ、プルシュラスは部屋を出た。
深々と息を吐く。
とりあえずクビになった後は田舎で何とかなるとして――妻と子供に何と言えばいいのだろう。
しかし、暗雲が立ち込めたかに思えた彼の未来だったが、第四部隊長ダーマはその程度のことで一般警備兵の首を飛ばすほど狭量な人物ではなかった。もっとも、その騎士がムーランを発つまでの丸一日の間、プルシュラスはいつ解雇命令が下されるかとドキドキしていたのだが。
◆
さて、騒動の発端となった修道女ヴェルティナだったが、彼女は自分が何らかの騒動を引き起こしたことを薄々勘付いていたため、プルアロータスと別れるとすぐにムーランを出ていた。もちろん、ほとんどを偽薬に費やしてしまったので、路銀はわずかしか残っていない。
それでも、本当の薬が手に入っただけでも僥倖だ。
あの人――プルアロータスがいなければ、今頃はモチの実の入った袋を手に、暗い道を絶望しながら進んでいたことだろう、とヴェルは改めて彼に感謝した。
お人好しに近いくらい親切で、優しさを当たり前だと言える強い人。
また会えたらいいな――そんなことを考えている自分に気付き、ヴェルは少し頬を染めた。
確かに素敵な人だとは思ったけれど、別に、そういった感情じゃなく、そう、お礼、持ち合わせが出来たならばもう一度きちんとお礼をしたいという、それだけのことだ。
「・・・やだなぁ、もぉ。ちょっと優しくされるとこれだ。勝手に舞い上がっちゃって、まったく見てられないんだから・・・」
熱くなる頬をこすりながら、ヴェルティナは呟いた。
マッタンゴー王国よりもさらに東、聖茸教教会『聖樹教会(イグドラシル教会)』が彼女の家だ。派閥としては、聖茸教神樹派(マイコティナ・デンドリス)の総本山であるらしいが、下働き同然のヴェルはそういったことに関してはほとんど何も知らない。ただ、彼女がシスターと慕う心優しい老修道女ペリース・B・プサシレラがそこの長であり、『聖女』と呼ばれていること。次期聖女候補が、ペリースの孫のリアーナ・C・プサシレラであることぐらいは、いくらヴェルティナでも知っていた。
そしてヴェルの名付け親にして育て親でもあるペリースが心臓を患ったため、彼女は一人教会を抜け出し、薬を求めて最西端の町ムーランへと長い旅を続けてきたのである。本来ならば、誰かと――たとえば、兄同然に慕っている修道士のオーリィのような、頼りになる人物とともに出かけるべきだったのだが、如何せんこれはヴェルティナ一人の身勝手。彼女は置手紙一つで教会を飛び出したのであった。
当然、道中は苦難の連続だった。
黄金街道がいくら聖なる魔法によって守られているとはいえ、時折モンスターが現れては行く手を阻んだ。そういう時は逃げるのだが、致し方なく倒したこともあった。
また、それ以上につらかったのが、外見――特に頭に生えた赤い二本のツノ――によって、満足に町や村に留まることが出来なかったことだ。木に背を預けて夜を明かしたことも何度かある――今宵ももまた、そうしなければならないだろう。
一人で野宿することほど不気味で寂しいことは無い。いつ何時、モンスターや野党に襲われるかわからないからだ(幸いにも彼女の植物を自在に操る能力は、人一人を森に溶け込ませるには最適な力であったため、今まで寝込みを襲われることは無かったが)。
「今夜はあんまり寒くないといいけど・・・」
不安げにそう呟くヴェルだったが、しかしその日、彼女は寝具も何も無い、独りぼっちの野宿をすることだけは免れることが出来た。もっとも、その前にちょっとした騒動があったわけなのだが。
◆
日の落ちかけた黄金街道を、一人の男が早足で歩いていた。彼は伝々虫(外見は羽の生えたカタツムリ)を手に、どこかにいる誰かさんと会話をしている。
「なんかなー、ムーランの町、どーも中に入られへんみたいやねん・・・あー、そや・・・いや、理由は知らへん。教えてもらえへんのやからしゃーないで? せやからもー戻らしてもらう。ウーズゲはんから薬は買うてきたさかい、安心せえや・・・そ、わざわざ来てくれはったん・・・いや、愚痴は後で、な。頼むわ、合流したらキチーンと聞くわ。堪忍したってーや」
という具合だ。それから暫くして彼は、
「ほなさいなら」
と言い放って無理矢理会話を終了させた。相手はさぞ怒っていることだろうが、彼はせいせいしたという表情で、伝々虫を肩に乗せた。
「アイツ、男のクセにおしゃべりが長いちゅーねん。なあ?」
崩れた訛りでそう伝々虫に話しかけながら、ぷひーと息を吐く。
「しっかし、ムーランは住みにくそうな町やなー。いくらワテの頭にチャーミングポイントがついとるからゆーて、化けモン扱いは酷いで・・・そう思うやろ」
目を凝らして見てみれば、彼の前頭部から二本の触角が飛び出していることがわかるだろう。そしてその瞳が複眼のように見えることにも。また、実は背中に薄い一対の羽も生えているが、それはただ服の下に隠れて見えないだけである。
彼、クレンタは見た目こそ人間に近いが、ブーン(虫のような獣人)とアマニタ(魔族)のハーフなのだ。
一族の血を重んじる獣人と純潔を良しとするアマニタ、双方から受け入れてもらえない存在――ハーフ・アマニタ。
だがそんなはぐれ者のクレンタだったが、彼はちょうど自分の家に向かっているところだった。彼のように世間に受け入れてもらえない人々が集まる旅の一座はいくつもある。
クレンタはその中の一つ、『エリン・ギー劇団』の団長なのだ。こう見えて。
♪ パン、目玉焼き、炙りベーコン、バター、チーズ、ジャム、ミルク、ティー、ジュース
♪ 基本のメニューはおんなじで スープの肉団子は1つだけ
♪ おかわり全然無いけれど みんなで食べればご馳走さ
♪ それ食え やれ取れ それ俺の
♪ 食べ残す奴はいないよな 食事があるなんて幸せじゃん
♪ それ食え やれ食え もっと食え
♪ 食事は毎回戦争だ 目指すは夢の全制覇
『麗しき花』の替え歌『メシ食いたい』 song by クレンタ
名曲を迷曲に変える男クレンタは、美しいメロディにそぐわない妙な歌詞をつけながら夜道を進む。原曲好きが聞いたならば、怒りを通り越して笑うしかあるまい。
「・・・あかん、歌っとったら腹が減ったわ・・・ムーラン入られへんかったで、昼食っとらんし・・・」
食事の時間帯に料理が出てくる歌を歌えば、両方の意味で腹が減るのは当たり前だ。
「・・・この赤い丸薬、舐めたら甘ないか? それともこっちの四角い塊の方が腹に溜まるか・・・? いや、こいつらは薬や、いっそ道端に生えとるキノコを・・・」
などと不毛なことを思っていたクレンタは、ふとヒトの気配を感じた。
「(こないな時間に、誰やろ?)」
町から町へと続く黄金街道沿いには、宿もある。
しかし、あくまでも『前の町や宿を朝に発った場合、徒歩で昼過ぎから夕刻にたどり着ける距離』に立てられている。日が沈んだばかりのこの時間にこんな場所を歩いていては、街道の宿にたどり着けるのはどんなに早くとも真夜中だ。無謀すぎる。
となれば盗賊か、とも思ったが、それにしては近寄ってくる気配も隠れているる気配もしていない。
最近話題のヒト型モンスター?――そう考えた瞬間、クレンタの危機感は好奇心に負けた。なるべく足音を立てないよう、こっそりと歩く。つけようかと思っていたランタンもしまっておく。
なに、ちょっと見るだけだ。いざとなったら回れ右で逃げてしまおう――
嫁になれてくると、相手も姿もだんだんわかってきた。修道女だ。ただ、ベールではなく、黒い帽子を頭に載せている。その両端に赤い角がついているのは、おそらく宗教的なまじないか戒律か何かだろう(クレンタはそっち関係の話に疎いのだ)。
もう少し近付こうとしたところで、ふいに相手が振り返った。
「や!」
相手が明らかに驚き戸惑っているのを見て、クレンタはにこやかに手を上げた。外見がヒトだということは、話が通じる可能性が高かろう。
「驚かした? えろ、すんまへんなあ。何せ、宵の口にこないな町からも宿からも遠いところにヒトがおるとは思わんかったさかい」
「そ、そちらこそ・・・」
おどおどとした様子で、彼女は返した。
考えられるのは2つ。
(1) 彼女は本物のヒトで、怪しげな男(クレンタ)に遭遇して本当に戸惑っている。
(2) 彼女はヒト型モンスターで、獲物(クレンタ)を油断させるために戸惑ったふりをしている。
もし相手もヒトであるならば、お互いに相手がモンスターじゃないかと疑っているという状態になる。
「(まー、こんなとこでヒト型モンスターなんて、おらへんよなあ・・・)」
言ってみれば、クレンタ自身も外見はアマニタっぽい。それに比べれば、向こうはより人間らしい格好をしているではないか。
クレンタは腹を決めた。
「いやー、お互いに疑心暗鬼になるもんやね、こーゆー時って。ワテは『クレンタ』っちゅー無害な男や。見た目がアレなんは、生まれつきやから安心しとき」
「そ、そうなんですか・・・」
「そうなんよー。よろしゅうに」
「え・・・あ、こちらこそ・・・」
ぺこり、と頭を下げる相手に、クレンタは手招きをした。
「まあ、そないなとこに突っ立っとっても埒が明かん。どや? 野宿する気なら、ワテのツレらんとこ行かへん? メシと布団ぐらいはあるんやけど」
◆
クレンタの想像通り、ヴェルもまた、相手が敵か味方か判断しかねていた。
一緒においで――路銀もほとんど無く、食べる当ても寝る当ても無かったヴェルにとって、それは救いの言葉に聞こえた。しかし、ひょっとすると新手の盗賊なのかもしれない。甘い言葉でアジトに連れて行って悪いことをする、とか。
だが、ヴェルはこの見ず知らずの相手を信頼することにした。悪いヒトではなさそうだ。外見が人間らしからぬのは、ハーフか何かだからだろう。可能性があるとすれば、ヒト型モンスターかもしれないということぐらいだ。
「あの、ボク・・・一緒に行かせてください」
「んーな、堅苦しい・・・ええよええよ、そんな肩張らんでも。ゆるーくいこうや。ランタン持って先行くによって、はぐれそうになったら呼んだってな」
こうして、ヴェルはクレンタと一緒に彼の連れがいる場所へと向かうこととなったのである。
結論から言えば、ヴェルは自分の判断が正しかったことを実感できた。
クレンタはお喋りな性質を遺憾無く発揮し、1時間もかからない道中にありとあらゆる楽しいことを語ってみせた。
「ワテらエリン・ギー劇団っちゅーのは、むかーしからの歴史あるモンでな。その由来はかの勇者エデュリスの仲間やった『エリン・ギー』なる男が創立者で――」
「副団長のキセロっちゅう男がおるんやけどな、頭がいい上にベッピンさんなんよ。せやけどこれがまたえらい暴力的で、何かにつけて団長のワテに手加減無しの強烈な突っ込みを――」
「うちにはいろいろおるよー。ファー・タスク(狼の獣人)・ハーフのフロンドとか、ファー・クロー(猫の獣人)・ハーフのマイちゃんとか、アマニタのラマリアちゃんとか、両手じゃ足りへんくらいおんねん。もちろん、みんなホンマいい人ばっかやで! あの時も――」
そんなクレンタの話を聞くにつれ、ヴェルは彼の言うような人々がいるエリン・ギー劇団のことが好きになっていた。彼の話が本当ならば、つらいことも一緒に乗り越えられる仲間が大勢いるなんて、どれほど素晴らしいことなのだろう、と。
そしてまた、こうも思うのだ。
そんなエリン・ギー劇団と一緒に旅が出来れば、どんなにいいことだろう、と。
◆
「おーい、キセロー! お客さん連れてきたでー、名前はヴェルティナちゃんってゆーんやけどね」
「・・・そうですか・・・」
エリン・ギー劇団副団長のキセロは、団長クレンタが見知らぬお嬢さんをつれてきたことに対して反対はしなかった。替わりに、キセロは見事なラリアットを決めて団長を沈めた。
「何かあったら連絡しろと、あれほど言ったでしょう・・・お客様に失礼でしょうが・・・!」
クレンタの襟首を掴んで持ち上げたまま、キセロはヴェルティナに向かってにっこりと微笑んだ。
「ようこそエリン・ギー劇団へ、ヴェルティナさん。あまりおもてなしは出来ませんけれど、歓迎いたしますよ」
「あ、あの・・・団長さんは・・・」
「ああ、大丈夫ですよコイツは。頑丈ですから。そんなことより、あちらでお食事を楽しんできてください」
ヴェルはどうすべきかと躊躇していたが、クレンタが「行っといで行っといで」と手を振っていたので、とりあえずお言葉に甘えることにした(彼が青白い顔をしていたのは気になったが)。
劇団員の人々は人懐っこかった。少し鬱陶しいほどに、客人であるヴェルの元へと集まっては良く喋った。しかし、もともと消極的な彼女にとってそれは喜ぶべきことだった。彼女が久しぶりに温かい食べ物をいただいている間、彼女は今までの食事がどれほど味気ないものだったかを思い知ることとなった。
「食事はいかがでしたか?」
ヴェルが食事を終えようかという時に、涼しい顔をしたキセロと、首元をさすりながら疲れた顔をしたクレンタが現れた。
「おいしかったです・・・とっても」
「そりゃあたしが作ったんだ、マズイわけがなかろうよ!」
わっはっはっは、と給仕係のオバチャンがバァンと隣にいた誰かの背を叩き、皆がどっと笑った。
「いいですね・・・みんなと一緒って」
「まあね。そのぶん、食事の戦闘はすさまじいッスけど」
そう笑うのはラマリアだ。その隣で、そうそう、とマイが相槌を打っている。
「あー、そういやワテの分は・・・?」
黙って差し出されたパンとスープ(肉団子無し)を見て、クレンタはがっくりとうなだれた。貴重な肉が、と嘆く団長を華麗に無視しながら、キセロが口を開く。
「ところでヴェルティナさん、貴方はこれからどちらへ?」
「あ、ええと・・・とりあえず、この薬をシスターに届けられれば・・・どこか配達が出来る町になるべく早く行って、その後はまっすぐ帰るつもりです」
「そうですか・・・」
それが一体どうしたのだろう、と不思議に思うヴェルに、キセロはこう切り出した。
「我々はこれから王都へ向かうつもりなのですが、よろしければどうです? 道中、ご一緒しませんか?」
その時のヴェルの顔は、正直に彼女の心を表していた――驚きだ。それを見たキセロはくすくすと笑う。
「いきなり見ず知らずの連中に言われて驚かれるのは当然ですよね。ただ、妙齢の女性が供もつけずに野宿をするのを放っておけませんから。それに・・・」
害意の無い顔で、キセロが続けた。
「貴方も、ハーフなのでしょう?」
ヴェルは一瞬ハッとしたが、ここにいるのも自分と同じハーフが多いと聞いていたこともあり、意を決して頷いた。
「ボクは・・・ボクは、ホーン(牛の獣人)のハーフです。このツノが・・・」
ツノを見せようと手を伸ばした先で、キセロがポンと帽子を押さえた。
「無理に見せて下さらなくて結構ですよ、ヴェルティナさん。そういった外見のせいで疎まれるつらさ・・・人間である私にわかるとは言いませんが、想像は出来ますから」
そのまま帽子をクシャクシャと撫でながら、キセロはしゃがみこんでヴェルと視線を合わせた。そして言う。
「大切なのは貴方がどんな種族かではなく、一緒に楽しくすごせるかどうか・・・それだけですよ」
一緒に来るよね、ここは面白いところだよ、と力説するマイの口を塞ぎながら、ラマリアが「そういうのは自分が決めることッス」と声を潜める。
ヴェルの心は決まっていた。
もし、本当にこの人たちと一緒にいていいのなら、是非ともそうしたい――しかし――
「ボク・・・なんかが一緒にいても、いいんですか・・・?」
長年の差別の蓄積が、彼女の物言いを変えていた。『ダメだ』といわれても傷付かない、問いかけに近い言葉。
ふ、と短く笑って、クレンタがつかつかと歩み寄ってきた。手を上げたところで、ヴェルはてっきり彼が怒っていると思い、おどおどと身を縮めた。
が、クレンタの振り上げた手は、ヴェルの背をパシンと叩いただけだった。「おいおいおい」と彼は笑う。
「自分『なんか』なーんて言わんでもええよ。そないなこと言われたら、ワテなんか虫やん? 世間はどうか知らへんがな、ここでは胸張って堂々としとらんと――」
言いながら、クレンタは野菜くずが入っただけの寂しいスープ椀をヴェルに突きつけた。
「メシがこうなるんやで! あー恐ろし」
ハッハッハ、という笑い声が周囲に広がっていく。ヴェルも笑った。久しぶりに、涙がにじむまで。
それからヴェルは、隣に座るキセロにこう告げた。
「ボク・・・ボク、皆さんとご一緒したいです」
「そうですか・・・ですが、そうなると貴方も劇団員の一人。特別扱いはしませんよ、掃除や洗濯、炊事・・・いろいろやってもらいますが、それでもよろしいので?」
ヴェルは大きく頷いた。
「大丈夫です。得意ですから、任せてください!」
「それは良かった」
差し出された手を握り締め、ヴェルは笑った。
「おお、ヴェルティナちゃん、ウチに入ってくれるんか?」
給仕のオバチャンに玉子を1個めぐんでもらったクレンタが、キセロの横に腰を下ろした。それからニヤリ、と意味深な笑みを浮かべる。
「いやーめでたいめでたい、めでたいついでに酒持って来いや! 歓迎の宴やー!!」
そんなことはさせません、とクレンタの頭に拳骨ぐりぐり攻撃を仕掛けるキセロ。そんなキセロの攻撃を受けながらも、「今日ぐらい飲みたいねん!」と絶叫するクレンタ。そしてそんな彼らを温かく見守る団員達――
彼らははぐれ者だけれど、決して弱くない。彼らと一緒にいれば、ひょっとしたら自分も変わっていけるかもしれない。
あの人・・・プルアロータスさんに会ってから、いいことが続いているような気がする――ヴェルはそう思った。そして彼女が思ったとおり、彼との出会いは確実に彼女の未来を変えていたのだ。もっとも、それは彼女のあずかり知らぬところではあるのだが。
◆
大陸西部――王国傘下にある諸都市、その先に点在する村々を越えて、さらに西。そこには断崖や洞窟、峡谷などが複雑な地形を形作っているスクウェイニッツ高地と、小高いトリネラ山地が広がっている。この二つの土地は、魔王が支配しており、人がほとんど踏み入ることのない魔境である。
青空。爽やかな風が白い雲を吹き流していく。うららかな太陽が、トリネラの頂の小さな城を照らしている。その陽射しの下、城の見張り台に、一人の少女が立っていた。
すらりとした身体つきに白妙の肌、整った風貌、凛とした表情で、長めに伸ばした髪がなければ美少年とも見紛う。その髪の色は金とも銀ともつかない。緋色の瞳と、薄い唇の間からのぞくほんのこころもち長い牙とは、少女の体に流れる魔の血液を証明するものだ。
彼女は城の衛兵ではない。だがその役割につくのは好きだった――というより、見張り台に立って風を浴びつつ、トリネラの山野を眺めるのが好きなのだった。トリネラの山野には、彼女が愛し守っている家族が暮らし、尊敬してやまぬ祖先が眠っている。始祖ミセナ・クロロフォス、祖母ミセナ・ガロポーダ、そして母ミセナ・マトポーダ。眼を南に転ずる。トリネラの南、スクウェイニッツには、そのミセナ・マトポーダの友、ファエル・ピオータ・オーレアが居を構えている。さらに眼を東へ。そちらにはシロシーブの森があり、そこにも同じく母の旧友が――
「――ナ様」
呼ばれてふり返ると、はとこのシーナ・ぺリアンが、憂いの表情で登ってきていた。
「その顔だと」
少女は言う。
「やっぱり?」
「はい」
シーナが答える。
「ヴィズとコズは戻りません。おそらく・・・森の魔力に巻き込まれたものかと」
「ネブル、彼らの魂を風と化し、御身(おんみ)とともに在らしめますよう」
少女はつぶやくと、しばし目を瞑り、二人のために風の神ネブルに祈った。ややあって眼を開くと、
「これ以上、我々の一族が失われるのを放ってはおけない。僕がシロシーブに行って、スバエルギナスどのと交渉しなければ」
彼女の交渉という言葉には、武力の行使という意味が含まれていた。
「よろしいのですか? スバエルギナスさまは、ミセナ・マトポーダさまが旧友と――ファエルさまと同じく、兄同然と見なしておられた方なのに」
「母さまが知ればきっと悲しむだろうな。でも――僕は、僕の一族を守らなければならない」
髪をポニーテールに結い、マントとブーツで旅支度をととのえ、剣と弓で武装して、若き魔王がトリネラの山を下りたのは、それから間もなくのこと。
「スバエルギナスを――討つ」
1章丸々追加。
最終更新:2014年02月17日 12:29