2008年04月11日(金) 08時46分-R
第9章 蜃気楼の主
無音の森が地平線まで広がっていた。黄金の道が森の中に吸い込まれるように消えていた。森の前には番小屋がぽつんと建っている。森の中には、木とその影のほか、いかなるものも見ることができない。
ひきつった笑いを浮かべるプルの背中を、トリュフォーはバンと叩いた。
「怖ぇのか」
「う・・・少し」
トリュフォーは肩をすくめて笑う。
「まあ怖いのも道理でな、<フォレスト・シロシーブ>、通称<幻影の森>と言えば、西街道一の難所だ。この森で消息を絶つ人間は、年に百人を数える」
プルは答えない。代わりにルスラが言う。
「何やら、変な魔力が漂っておるのぉ」
「ああ、何でも<蜃気楼の魔王>スバエルギナスがこの森を根拠にしていると聞くぜ。森に入った人間は、蜃気楼の魔王の力にあてられて、半日のうちに幻影と化し、この世のあらゆるものと接触できなくなるとか」
シャンプが首をかしげる。
「まぼろし? って、奇天烈な術だべなあ」
「この森に住まう獣も鳥もみな幻影、あるいは森そのものが幻とも言われてんな。――なに、心配はいらんさ。この<封印の札>を持っていれば魔王の力にあてられるこたねぇし、街道は一本道で迷う心配もない。一日半もあれば通過できる」
「それじゃあ、まあ、大丈夫、かな・・・」
と、青ざめた顔のままプルが言う。対し、トリュフォーはにやりと笑った。
「甘く見んほうがいいぜ、プルよ。幻影の森はあらゆる手を使って旅人を中へ引き込もうとする。封印の札だって、効くのは三日がせいぜいだ。迷ったら・・・出られない(ここでまたプルがびくっと身体を震わせた)。絶対に脇を見るなよ、何も無いからな。森の中にいる奴らは、みんな幻だ」
プルがごくりと唾を飲む。
「さて、説明は終わったかや? そろそろ行こうではないか」
トリュフォーが先頭、ルスラがその次、シャンプが三番目になって、一行は歩き出した。プルは緊張の面持ちで、シャンプの後をついていく。森に入る前に、トリュフォーが番小屋の窓を叩いた。髭の生えた初老の男が窓から顔を出す。
「おう、トリュフォーさん、帰りかい」
「そうだ。連れができたんでな、<封印の札>、三枚頼む」
初老の男の顔が引っ込み、ややあって左手が出てきた。その手は三枚の札を掴んでいる。
「ほいさ」
投げられた札をキャッチすると、トリュフォーは三人に札を渡した。
「確かに受け取ったぜ」
「気をつけてな、まあ、あんたは慣れてるだろうが、お連れさんのほう。特に、そっちの子供」
プルは最初、ルスラのことを言っているのだと思ったが、初老の男やトリュフォーの視線が自分に向いているのに気づき、そうではないと悟った。
◆
朝だというのに森の中は暗く、うだるように蒸し暑かった。奇鳥の甲高い鳴き声だけが、沈黙を破っていた。見たこともない巨大な蛾がひらひらと舞い、ひょろながくて黒っぽい植物が道の両脇から顔を出していた。
たちまち一頭の巨獣が、唸り声を上げ牙を剥いて、森の右手から突進してきた。やや身構えるプルを、トリュフォーが制した。巨獣は一行をすり抜け、左側の闇の奥へと姿を消した。
「あいつも魔王にやられた、哀れな生贄ってわけだ」とトリュフォーは言った。
半日あまりは、こともなく過ぎた。
昼ごろ――といっても、それを知らせたのは太陽ではなく、腹の虫だ――、一行は旅人が休憩した跡を見つけた。テントを張っていたと思しき石や土の跡と、火を焚いた跡が残っている。
「まだ新しいみでえだな」とシャンプが言った。
「ふうん、行商人かな」とプル。
トリュフォーが首をかしげていた。
「オラたちも、ここいらでメシにしねぇかよ?」とシャンプ。
プルは一も二もなく賛成した。他の二人にも異論はない。そこで簡単な食事と二十分あまりの休憩をしてから、進発した。
それからさらに一時間ほど歩いた。
突然、左後方から悲鳴が響いた。見れば、商人の風体をした男が、大蛇に絞められていた。大蛇の顎はすでに男の腕を飲み込んでいる。男の生命は風前の灯と見えた。
トリュフォーが制止する間もなく、プルが駆け出した。シャンプも後を追おうとしたが、ルスラが止めた。
「止まれ、馬鹿野郎、幻だ!」
耳に飛び込んできたトリュフォーの声に、はっとしてプルは止まりかけた。がすでに遅かった。脚は坂道に気づかずに宙を踏み、バランスを崩して転げ落ちていった。男の顔に笑みが浮かび、それから消えた。
◆
街道を一歩離れれば、森の地形は複雑で、あちこちに急坂や穴、底なし沼がある。プルの姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
トリュフォーが地団駄を踏む。
「あの馬鹿、人の話も聞いてなかったのか――だいたい本物だったとしても、あいつが助けに行ったところで、状況が悪くなるだけだってのに」
シャンプがトリュフォーを見る。トリュフォーは首を振る。
「やめとけやめとけ、共倒れだぞ」
「だども、見捨てるわけにや」
「あー、分かってる。私が探しに行ってみるさ、一応な」
トリュフォーはふう、とため息をつく。
「ルスラ、シャンプを連れて先に行って待ってな。私が残り二日半、ぎりぎりまで使って探してみるから」
ルスラの眼が険しくなる。
「見つかると思うておるのか」
「思わん、だがやってみないと分からん」
「二日半たってお主も来なければ・・・わらわとシャンプとだけで進ませてもらうぞ」
ルスラの冷酷な口調に、トリュフォーは黙って頷く。
「ああ、そん時は私も絶望だ。放っておいてくれればいい」
ルスラはトリュフォーを険しい表情で睨んだが、たちまちシャンプに合図すると、道を急いだ。シャンプはやや逡巡の体であったが、この森に不慣れな自分がいても足手まといと思い、ルスラに続いた。トリュフォーはもう一度嘆息してから、森の中に飛び込んだ。
◆
目を覚ました時、プルのまわりでは異獣が跳梁し奇鳥が叫び、変花が乱れ咲いて奇怪な香りを漂わせていた。大した怪我は負っていない。やや安堵しかけたプルだが、やがてあるべきものがないことに慄然とした。
――封印の札。
まわりを見回したが、どこにも落ちていない。
右に一歩踏み出してみる。恐れのあまり、また戻る。左に二歩、そして戻る。前にも後ろにも進みかねた。プルは生まれてから一番の恐怖を感じた。
身体も頭もがくがくと震えた。大声を上げたい、走り出したいという欲求を辛うじて抑えた。
――冷静になれ、冷静になれ、冷静になれ。
しきりに、それだけを自分に言い聞かせた。その効き目があったのか、なんとか気分が落ち着いてきた。この度胸は、冒険で幾度か危険をくぐってきたたまものかもしれない。
――どうすれば、助かるのか。進むのか、戻るのか。
――そうだ、戻れば助かるぞ。
トリュフォーは、半日で身体が幻影と化してしまうと言っていた。すると半日以内に森から出ればいい。森に入ってから半日ほど歩いたのだから、急いで戻れば、なんとか間に合うかもしれない。そしてあの森番のおじさんにもう一度札を貰って、みんなの後を追おう。
考えが定まると勇気も出てきた。
――前のめりに倒れたから、脚があるほうが来た道だな。
坂道を転がる途中で身体の向きが変わった可能性については、考えないことにした。
ずんずんと歩いた。異獣も奇鳥も幻だ。恐れる必要はない。
歩いた。不安になってきた。
――まだ一時間だって歩いてないぞ。大丈夫だ、きっと戻れる。
歩いた。
歩いた。
歩いた。
息が切れた。
――まだか。
額の汗を拭う。拭った左手が、眼に飛び込んできた。
左手は、透けていた。
「あ」
心臓が跳ね上がる。
背中を汗が滝のように流れ落ちる。
目の前が真っ暗になる。暑いはずなのに、身体の底から悪寒が襲ってくる。
息づかいが激しくなる。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
思わず、方角も見ずに駆け出していた。
全く錯乱していた。異獣の顔はプルをあざ笑う人間の顔に見え、奇鳥の声はケタケタと笑う残酷な子供の声に似ていた。おいで、おいでという声が森の奥から聞こえた気がした。涙が出た。笑った。怒った。その辺りの木を蹴飛ばそうとしたが、すり抜けた。恐怖が増した。
息を切らして駆けた。
「止まれ!」
駆けた。
「止まらなければ――」
声は耳に入っていたが、理解できなかった。
途端に左脚に鋭い痛みが走った。プルは思わずつんのめる。人が近寄ってきた。
「寄るなよ、どうせオレももうすぐ、お前と同じ幻になるんだ! 放っておいてくれ!」
「何を言っている、貴様、スバエルギナスのしもべではないのか?」
「そんな奴は知らない、もういいだろ、オレは・・・」
自暴自棄になるプルとは対照的に、相手は嫌に冷静だった。
「――もしや、人間か?」
「ああ人間様さ、聖も魔も関係ない、田舎の百姓だよ!」
相手の言葉に噛み付くように返す。ややあって、相手は口を開いた。
「僕を見ろ」
「幻なんか見たくない」
「見ろ、幻かどうか」
答えも待たず、その人はプルの首筋を掴んで無理矢理自分のほうへ顔を向けた。
プルの目に飛び込んできたのは、思いのほか柔らかな面立ちの少女の顔だった。一旦安堵の息。ところが改めて少女の顔を眺めると、またしても失神せんばかりに恐ろしくなった。
淡い、ほとんど銀に近い金髪に、白玉の肌。森の住民と言うよりは山岳の住民に相応しいいでたちで、長弓と箙を背負っている。だが異様なのは血のように紅い瞳と、耳があるべき位置からとび出た、羽毛におおわれた突起である。
「きっ・・・君は・・・ま、魔・・・」
少女は一息ついて、首を振る。
「ああ僕は魔の眷属だ・・・逃げなくてもいいよ、別に取って喰おうってわけじゃないから」
それでもプルは背中を向けて脚をばたつかせる。少女は言葉で逃げ足を断った。
「それとも、一人で森から出られるのか?」
プルの脚がぴたりと止まる。振り向いた顔は涙に濡れている。
「あー、泣かなくていいよ・・・泣くな、助けてやるから。ほら、傷口を見せてみろ。間違って射てしまって、すまなかったな」
少女はプルの答えを待たず、彼の左脚に突き刺さった矢を引き抜いた。プルはあう、と悲鳴を上げる。少女はハンカチを裂いて傷口に巻いた。痛みにプルが我に返ると、消えかかっていた左手と脚が、現実感を取り戻している。
「ん、封印の札を持ってないのか? 命知らずだな」
「持ってたけど、なくした」
「では、誤射とはいえ、君を救うことになったわけだ」
少女は傷口の応急処置を済ますと、矢を見せた。
「これは<封印の矢>。封印の札と同じ材質だが、研ぎ澄まされている分、威力は高い。これは射た者にかかっているほとんどの魔法を打ち消すことができる――まあ、あまり強力な呪いなどは無理だが」
少女は続ける。
「蜃気楼の魔王の影響くらいは問題にならない」
少女は矢を置くと、プルの右手を取った。
「そっちの手にも、怪我をしているようだが」
「これはたいしたことないよ、転んだときにすりむいただけだから」
「ちゃんと処置しておかないと、破傷風になるぞ」
聞いてプルは青くなった。少女はいきなりプルの手に口をつけて傷を吸い、血を吐き棄てた。
「気休めにしかならんから、森を出たら、まともな医者にかかっておけよ・・・まったく、青くなったり赤くなったり、忙しいことだな」
少女は膝の土を払って立ち上がると、真っ赤になっているプルに腕を貸して立ち上がらせた。
「肩を貸そう」
少女はもう一方の手で、プルに矢を渡した。
「持ってろ、札の代わりになる。行き先は王都のほうか?(プルがうなずく)なら、まあ、一日の行程だな。怪我をしてるから、もう少しかかるかもしれないが」
プルは少女に肩を預けた。二人の身体がぴたりとくっつく。
「――重いな」
「ご、ごめん」
「気にするな、もとはといえば、僕のせいだ」
少女はプルの目を見て、少し笑った。プルはどきりとした。
「名前を聞いてなかったな」
「ん、ああ――オレは、ランプテロミス村のプルアロータス」
「ミセナ・クロカータ、または<碧空の魔王>だ。プルアロータス、しばらくの間、よろしく頼む」
「や、こっちこそ」
プルはそう言って、ぎこちなく笑い返した。
◆
少し休もう、とプルは言った。ミセナの息が上がってきたのに気づいたからだ。
「気遣ってもらってすまないな、どうも僕は体力のほうには自信がなくて」
「いや、オレのせいだし」
プルはミセナの肩を離して、切り株に腰掛け――ようとして、見事に転倒した。
「まだ慣れないのか。ここから見えるもの、僕と君以外はみんな幻だ」
尻をさすりながら、プルは座りなおし、照れ笑いを浮かべた。それから鞄から水筒を取り出して、一口。
「飲む?」
「いただこうか」
ミセナは水筒を受け取ると、浴びるように飲み乾した。ややあって眼をぱちくりさせると、口から水筒を離し、耳元で振ってみる。
「――すまない」
「全部飲んじゃったの!?」
プルは驚いた。2リルトルは残っていたはずだが。
「いや、いいけどさ。ノドが渇いた原因はオレだろうし」
「ホントにすまん」
それからミセナは、プルに向かい合って、座った。しばらくの間、二人とも何も喋らない。次第に気まずくなってきた。そんな嫌な空気を破ろうと、プルが声を出した。
「あのさ」
「ん?」
「ミセナは何で、この森をうろついていたの?」
途端に、ミセナの顔が険しくなった。
「蜃気楼の魔王スバエルギナス」
プルが怪訝な表情を浮かべる。ミセナは言った。
「彼を――殺すためだ」
◆
幻影の森に入って、一日ほどの距離の場所。
蒼い衣をまとった長身の青年が道に立っていた。幻影の森の奥の、闇のまた闇を見据え、青年はつぶやいた。
「蜃気楼の魔王スバエルギナス・・・貴方との仲もこれまでだ。貴方は強くなりすぎた、全てを飲み込み、幻に変えてしまうほどに・・・私は、貴方を倒さねばならない」
「何をブツブツ言うておるのじゃ。伏竜洞で出番が無かった悔しさに、頭をやられたか」
青年はふり返った。あの幼女が、金髪の少年を連れて立っていた。
「おお、これはこれは・・・ふむ、今日は聖魔剣の勇者もご一緒ですか」
「セファラスとやら、お主ほどの者が幻にあてられたわけでもあるまい。森の奥に、何があるのじゃ?」
青年は微笑んだ。
「魔王の館があります、スバエルギナスがいます――ふふ、出番はいただきますよ。今回、貴方の出る幕はないでしょう」
そう言い残し、ぽかんとした勇者と、憮然とした魔術師を置き去りにして、青年は森の闇へと消えた。
◆
偶然という言葉がある。特に示し合わせたわけでもないのに、様々な事象が絡み合い予想もできないことが起きることを表す言葉である。その程度は世界の危機を救うようなたいそうなものから街で古い友人にばったり出くわすといったたいしたことのないものまで様々だ。しかし、程度に関わらず多くの場合はただの『偶然』として片付けられてしまうのがオチである。
だが、偶然と見せかけて実は必然だったり神の見えざる手が発動していたりとなかなか侮れないものでもある。
故に人はこう呟くのだ。
「・・・偶然とは怖いものだな」
「ん? 何か言った?」
「いや、なんでもない」
霧と森に囲まれた中に立つ館を前に、プルと<碧空の魔王>の二つ名を持つ少女は立っていた。木造の二階建てでそれほど大きくはない。街の中に立っているのなら特に気にもしないような建物だが、場所が場所なだけにとてつもなく怪しく見える。
プルはミセナの肩から腕を外し、数歩前に出て恐る恐るといった感じで館の扉へと手を伸ばす。そのまますり抜けるのではないかと覚悟はしていた、が、それに反して手には確かな感触が返ってきた。
「これ幻じゃない」
そう言って後ろへ振り向くと、ミセナが何か不思議なものを見るような目つきでプルを見ていた。
「? どうしたの。そんな顔して」
「君、もう歩けるのか・・・?」
「え? あっ、うん。オレってこう見えても結構丈夫なんだ。ははは」
「そうなのか? とてもそんな風には見えないが・・・」
信じられないといった様子のミセナだったが一応は納得してくれたらしかった。正直自分でも疑わしいと思うような言い訳だったが、とりあえず隠し通せたようだ。まあ、自分が聖魔剣の加護――呪いとも言えるが――を受けていると言っても誰も信じないだろうが。
「それはともかくさ、この屋敷が幻じゃないんなら入ってみようよ。休むにはちょうどよさそうだし」
「それは無理だな・・・プルアロータス、君はどうしてこんなところに屋敷なんかが立っていると思う?」
「そりゃあ、誰かがここに住んでるから――ってまさか・・・」
「そう。こんな危険な場所にわざわざ住む輩などいない。つまり、ここが僕の目的地、スバエルギナスの館だ」
隣で絶句しているプルを尻目にミセナは扉へと手をかける。
「えっ!? ちょっとミセナ!?」
「すまない、プルアロータス。先に君を森の外まで連れて行くつもりだったが、そうもいかなくなった。この霧のせいでここを見つけるのはとても困難なんだ。正直、今を逃したら次に見つけられるのはいつになるか分からないんだ。だからしばらく待っていてくれないか。そんなに時間はとらせないつもりだ」
「な、何言って――」
「ああ、そうだ。もし時間が経っても僕が帰らないときは――」
「そうじゃなくて! 正気なの!? 相手はこんな恐ろしい力を持ってるやつなんだよ。君一人じゃとても――」
「大丈夫だ。対策は立ててあるし、僕だって<魔王>なんだ。そう易々と引けは取らないさ。それに――これは僕がやらなければならないことなんだ。<碧空の魔王>の名を継ぐものとして」
そう告げたミセナの瞳には今までとは違った色があった。シャンプが故郷を旅立ったときに見せた瞳の色とよく似た色だった。
「・・・分かったよ」
「すまない。すぐに終わらせて――」
「その代わり! オレも、一緒に行くから」
「なっ! 君のほうこそ正気か!?」
本当に驚いたらしく、振り返ったミセナの目は大きく見開かれていた。
「君は僕と違って人間だ! それに君にはスバエルギナスと戦う理由が無い!」
「そうなんだけどさ。なんて言うか、危険なところへ女の子を一人で行かせるのはちょっと」
――男として格好悪いんじゃないかな、という言葉は頭の中で付け足した。が、言った後でなんだか無性に恥ずかしくなってきて、プルは慌てて付け足した。
「や、ホントのこと言うとさ、ここで一人で待ってるってのも結構怖いかなって――」
「――ふ、ふふ。はは、ははははは」
プルの言葉を遮って、ミセナが唐突に笑い出した。しかも、一応声は押し殺してはいるもののその笑いは一向に収まる気配を見せない。
「(うぅ・・・何も笑うことないじゃないか。そりゃ、情けないこと言ったかもしれないけどさ)」
プルは止まらないミセナの笑いを恨みがましい気持ちで見守っていた。
しばらくした後、ようやく収まったミセナが口を開いた。
「すまないな、笑ってしまって――しかし君は面白いな」
「お、面白いって・・・」
さらにショックを受けてうなだれるプルとは反対にミセナは上機嫌だった。 そして、
「分かった。手伝ってくれるか、プルアロータス」
そう言ってプルに手を差し出した。
◆
ギィという鈍い音を立てて扉が開かれる。ミセナから借りた短剣――これにも魔法を打ち消す力があるらしい――を手にプルは館の中へと足を踏み入れた。隣に立つミセナは弓を手に持ち、いつでも矢を放てるようにしている。
そこは開けた広間になっていた。照明はあるものの薄暗い。左右の壁にはいくつかの扉があり――正面にはこれ見よがしに大きな階段が設けられている。
「流石にここには霧も無いみたいだ」
「いや、むしろこれからが本番だ。霧が無いのは恐らく、スバエルギナスが能力を制御できる範囲に入ったからだろう。外の霧や幻は制御すらされずに垂れ流されている魔力の産物で――!? 伏せろ! プルアロータス!!」
直後、しゃがんだ二人の頭上を複数の何かが飛んでいった。恐らくは何らかの凶器だろう。ミセナはともかく、プルが反射的に伏せることが出来たのは旅での経験、あるいは養われた自己防衛本能の賜物だろう。少し前だったらトリュフォー辺りに無理やり地面に押し付けられていたに違いない。
ちょっとは成長したのかなオレ――などど考えつつミセナのほうを見ると、彼女は正面――ちょうど階段のある辺りを注視していた。プルもそちらに目をやる。
そこには彼らに攻撃を仕掛けた主――ある意味ではその通りだったが――ではなく、宙に浮いた無数の刃物が彼らのほうへとその切っ先を向けていた。多種多様な剣、ナイフ、なぜか包丁までもが混ざっている。
「なっ、なんだよこれ!?」
「来るぞ! 走れ!」
ミセナの声に呼応するように、刃物の群れが二人へと襲い掛かる。先に走り出したミセナを追うようにしてプルも走った。必死になって走った。一瞬前までプルがいた場所に何本もの刃物が突き刺さる。止まれば串刺しになることは間違いない。ミセナは走る速度を変えて刃物をかわしたりしているが、無論プルにそんな芸当が出来るはずがなく。プルに出来るのはただひたすら走り続けることだけであった。二人が逃げ、空飛ぶ刃物がそれを追いかけ、床に突き刺さる。
「わー!! わー!! わー!!」
「くっ。これでは埒が明かない・・・!」
暗い広間の中で二人と刃の群れの命を賭けた壮絶な鬼ごっこが展開されていた。走る、刺さる、走る、刺さる、走る、走る、刺さる、走る、走る、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だがそれがいつまでも続くはずも無く。走り続けて息の上がってきたプルの速度が次第に落ち始める。プルほど消耗が激しくはないが、ミセナの速度もわずかに落ちてきている。だが二人の速度が落ちようとも刃物の速度に変化は無い。そして疲労は集中力をも奪っていく。
ほんの一瞬、プルが足をもつれさせた。だがしかし、プルはなけなしの集中力を用いて転倒だけは防ぐことには成功した。これは彼にしてはすばらしい成果だった。だが、それでも一瞬だけ隙が出来た。それは一瞬ではあったが明らかに致命的なものだった。動きを止めてしまったプルの目の前に一本の剣が迫る。すでによけるタイミングは逃してしまっている。最早どうしようも出来ない。次の瞬間訪れるであろう激痛を覚悟してプルは身を硬くした。
そのとき彼の前に飛び出した影があった。ミセナである。彼女は右手に矢を持つとそれをそのまま向かってく刃へと叩きつける。
と、不思議なことが起きた。ミセナによって叩き落されると思われた剣が、矢に触れたとたん跡形も無く消えてしまったのである。プルは何が起こったのか分からず困惑したのだが、プルのほうへと顔を向けたミセナは顔色一つ変えていなかった。彼女はそれよりもプルの状態のほうが気になるようである。
「大丈夫――」
「ミセナ!! 危ない!!」
そう言うが早いかプルは全力でダッシュし、ミセナを突き飛ばす。自分も走った勢いのまま体を投げ出してごろごろと床を転がる。先ほど二人が立っていた場所は十本以上もの剣が突き立っていた。集中力が落ちてきているのはプルだけではないようである。このままではまずい。そして何より、彼自身がもう限界だった。
息も絶え絶えながら、プルは起き上がり周囲を見渡す。見えたのはすでに起き上がっているミセナと相変わらずの刃物の群れ、そして開けっ放しの入り口。先ほど床に突き刺さった刃物も再び浮き上がりこちらに狙いを定めている。
「はぁ、はぁ。ミセナ、これ以上は――」
「分かってる・・・いったん退くぞ、プルアロータス」
その声を合図に、二人は入り口へと――プルは最後の力を振り絞って――駆け出した。
◆
外へ飛び出したプルとミセナは刃物が追ってこないことを確認するとその場に倒れこんだ。しばし無言で肺に空気を送り込む作業に専念する。しばらくの後、ようやく呼吸が落ち着いたプルが口を開いた。
「あ、危なかった・・・一歩間違ったらオレ達死んでたよ・・・」
「ああ・・・あれがスバエルギナスの本当の能力だろう。ここまで追ってこないところを見ると、やはり制御できる範囲はあの屋敷の中だけのようだな」
「あ、そういえばさ。ミセナが矢で剣を叩いた時、剣がいきなり消えたんだけど、あれはどういうことなのさ」
剣が消えた瞬間、ミセナはまったく驚いた様子を見せなかった。つまり、彼女はああなることが予想できていた。そう考えたプルは疑問を口にしたのだが、それに対するミセナの返答は簡単なものだった。
「ああ、それはあれが幻だからさ。封印の矢に触れれば幻は消える」
「ええー! あれ、幻だったの!? だったらあんなに逃げ回らなくても――っていうかそれじゃなんでミセナも逃げてたのさ?」
「あれは普通のとは違うからだ。ここ、見えるか」
そう言って肩の辺りを指差す。見ると、そこに着けられている彼女の肩当てがざっくりと切り裂かれていた。軽量でそれほど強度は高くない代物ではあるが――それを差し引いてもその切り口は異様なほどにきれいだった。
「君はこの森に入ったものがどうして幻に取り込まれるか知っているか?」
「確か魔王の力のせいだって話だったと思うけど」
「そう。その魔王の力というのがこの霧なんだ。この霧はスバエルギナスの魔力そのもので、この森に入ったあらゆるものはその体を霧に浸食されていく。そして、その浸食が一定以上進むと幻と同化されてしまう。魔力耐性が高いものなら数日程度は問題ないが、そうでないものは早ければ半日足らずで取り込まれる恐れもある」
そこで一拍おいた後、ミセナは続ける
「本来ならゆっくりと均一に侵食が進んでいく。だが、もし一部分だけ急激に侵食が進んだ場合どうなるとおもう?」
「えーと。・・・どうなるの?」
「その一部分だけが幻になる。幻は実体とは触れることができないから、僕達の視点から見れば、まるでその部分だけが千切られたように見える。この切られたように見える跡のように」
「・・・結局どういうこと?」
「あの刃物はおそらく異常なほどに濃縮された霧だ。それに刃物の幻影を投影しているんだろう。で、それに触った部分は幻となって消えてしまう。まあ要するに、あれは幻ではあるが本物並み、いや本物以上の切れ味を持っているということだ」
プルの顔色がさーっと青くなった。正直よくわからなかったのだがとりあえず見た目以上に危険だということだけは理解できたからだ。そんな危険なものが大量に飛び交う中を進むことなど絶対に無理だ。
だが、今更怖がるプルとは反対にミセナは冷静だった。
「そんなに怖がらなくてもいい。確かに危険なのは事実だが、あれが幻であるのもまた事実だ。対策の立てようはある。いいか――」
◆
扉を開いてプルはびくびくしながらも再び館の中へと入った。あの刃物の危険性を知ったというのもあるが、何よりも今度は一人だけというのが彼を怯えさせる最大の要因だった。
「(こっ、怖い・・・けっ、けどこれが作戦なんだし――うぅ。でもやっぱり怖い・・・)」
そして、やはりそれは現れた。宙に浮かぶ無数の刃物。その狙いはすべてプルへと定められている。何もかも投げ捨てて逃げ出したい衝動に駆られまくっているプルだったが、何とかその場に踏みとどまっていた。
刃物の群れが動き出した。プルめがけて一斉に殺到する。プルもわずかに遅れて後ろへ走り出す。が、刃物のほうが速い。あっという間に距離をつめ、今にも突き刺さらんとした時――プルが向かっていた入り口から数本の矢と、
「はじけろ!!」
という凛とした声が割り込んだ。
その声に従うように、プルを追う刃物の群れの中心付近に放たれた矢が粉々にはじけ飛んだ。と、それに巻き込まれるかのようにすべての刃物が突然消失した。
そして、それと同時に新たな人影が入り口から走りこんでくる。プルも即座にきびすを返し現れた少女とともに走り出す。目指すは正面階段、そしてその先に見える扉。周囲ではすでに刃物が新しく出現し始めている。
二人は一直線に走った。後ろが気にはなるが、振り向いてもどうしようもないことはプルにも分かった。扉まで残り30メルトル弱。後は運を天に任せるのみだ。
一秒、二秒――刃物はまだ来ない。
三秒、四秒――まだ来ない。
五秒、六秒、・・・・・・・・・・・・
――そして。
やや先を走っていたミセナが体当たりをするように扉の中へと駆け込む。プルも一瞬の後続いて駆け込んだ。後ろで、何かが突き刺さるような音が聞こえた気がした。
◆
「あーもう、見つからねぇなぁ!」
邪魔な下草を剣で切り払って――それが幻であることに、トリュフォーは気付いた。
この森に入ってから暫く経つが、目に映るものが信用出来ないという不気味さにはまったく慣れることはない。
何も無いところにある見えない樹、幽霊のようにさまよう森に取り込まれた人や獣。そして、刻々と移り変わる周囲の景色。
そう。彼は、道に迷ってしまっていた。
「どうすっかな・・・このままじゃミイラ盗りがミイラになっちまう」
絶望的なため息をひとつ。勇猛なる稀代の戦士である彼も、いささか参った。
「あーもう・・・年中さまよってるんだったら道くらい教えやがれ!」
森に取り込まれたユウレイに毒づく。いや、意味がないことはわかっているのだが。
「どこに行かれるのですか?」
「は?」
気付けば彼の目の前には、蒼い衣を纏った長身の青年がいた。
◆
「ようこそ私の館へ。歓迎しますよ」
飛び込んだ部屋の中には、桃色の髪を優雅に整え、紺色の上着を粋に着こなした、いかにも紳士といった風情の青年が立っていた。
「蜃気楼の魔王スバエルギナスか」
「人の名を聞くときは、まず自分から名乗るべきですよお嬢さん。まあ、わたしの名はすでに知っているようですが」
凛とした声で、ミセナは応じた。
「僕の名は碧空の魔王ミセナ・クロカータ。我が眷属達を取り戻すために貴方を、殺しに来た」
それを聞いたミバエルギナスは顔を曇らせながら、少しうつむいた。その表情からは、寂しさと、虚しさと、悲しさと――ほんの少しの後悔の念しか読み取れない。
「ふむ――悲しいことですね。他人を傷つけたくないし、争いたくもないゆえに辺境の地に住まっているというのに。これもわが身に科せられた業というわけですか・・・・・・そちらのキミは?」
「え、ええと・・・オレは、ランプテロミス村のプルアロータスです。途中で道に迷ってしまって・・・」
急に話を振られ、もごもごとつぶやく。なんだか悪い人じゃなさそうだな――少なくとも、見た目や態度からはそう感じられた。
プルの思うとおりの柔らかな仕草で、スバエルギナスは頷く。
「そうですか、それは気の毒なことをしました。さぞかし怖い思いをしたでしょう。先ほどのトラップも最近活発化してきた魔衆に備えてのものだったのですが――ご存知とは思いますが、わたしはただそこに存在するだけで迷宮を創りだしてしまうので、彼らの仲間になるよう強要されているのですよ――大変申し訳ありませんでしたね。お詫びといってはなんですが、後ほど森の外まで送って差し上げますよ」
「あっあの、ミセナの仲間達のこと、自由にしてやれないんですか?」
どうやら本当に悪者ではなさそうだ。この分なら、戦わずに済むかもしれないと思ったのだが――
「残念ながらそれは無理なのです。一度わたしの魔力に囚われたものは、わたし自身でさえどうにもすることができません」
心の底から申し訳なさそうにスバエルギナスが答える。
「――だから、こいつを殺すしかないんだ」
壮絶な決意をその瞳に顕して、ミセナが弓を構える。
「プルアロータス君、キミは下がっていなさい」
そう言ったスバエルギナスの手には、身長ほどもある巨大な黒い剣が握られていた。
◆
先手必勝。ミセナは相手が戦闘態勢をとると見るや否や、素早く攻勢に出た。
3本の矢を一息で放つ。あの黒い剣は凝縮された幻――しかし先ほどのものとは段違いの魔力を感じる。封印の矢で消滅させることは不可能だろう。直接、敵の急所を貫くしかない。
スバエルギナスの目前で矢に破裂を命じる。
「ぬう!」
巨大な剣で蜃気楼の魔王はそのほとんどを切り払う。
だが彼が視線を戻した時、すでにミセナはそこにいない。
碧空の魔王の証たる魔力で編んだ青い翼を広げたミセナは、スバエルギナスの後方中空に移動していたのだ。
「やあ!」
前の3矢は様子見と目くらまし。今度は全力で、20を越える矢を瞬時に放つ。
「照準が甘い」
スバエルギナスは黒い剣を振るって幻影破りの封印の矢を切り払い、逆に取り込んで消滅させる。
――やはりまだ若い。瞬時にあれだけの矢を放つ技量には感心するが、そのほとんどが標的をはずしているようでは意味が無い。
だが、彼の判断はいささか早計だった。
スバエルギナスを外した矢はそのまま通り過ぎ、途中で、ぐるりとその方向を変えたのだ。
3次元的に部屋を飛び回る少女は、その間も次々に矢を放つ。
前後上下左右の全方位から魔法殺しの矢が迫り、そのまま全身を貫かれて、蜃気楼の魔王は消滅した。
ふわり、と彼のまとっていた上着が磨かれた床の上に落ちていく。
「なに?」
思わず間の抜けた声がミセナの口から漏れる。封印の矢は幻を消すが、アマニタの身体を消すという話は聞いたことがないのに。
だが、その理由を彼女は自分の身をもって知ることとなった。
「戦場で呆けるとは情けない・・・自殺行為ですよ」
宙を羽ばたくミセナは、背後から黒い剣で串刺しにされていた。
「ぐっ・・・」
床に叩き落されてミセナはうめき声をあげた。
血は一滴も流れていない。だが、内臓が丸ごと持っていかれた。
あっけないが――最早戦闘は不可能だ。
「まだ息がありますか。最後の慈悲です。せめて、苦しまないように・・・」
黒い剣を振り上げて、スバエルギナスが迫る。
その時、ミセナの前に影が立ちふさがった。
スバエルギナスは少し驚いたように息を漏らし、それからあきれたような声で呟いた。
「何のつもりですか? ・・・プルアロータス君」
考えなんてなかった。作戦なんてなかった。
ただ気がついたら、倒れたミセナに駆け寄って、両手を広げて彼女をかばっていた。
足はガクガク震えてやっとの思いで立っているだけだし、怖すぎて声すら出ない。
「無謀な・・・キミは戦力とはならず、わたしは敵を見逃すほど優しくはない。どきなさい。キミの行動は何の意味もないのですから」
「いいや。少なくとも私はお前を見直したぜ。プルーア」
振り返った先には、トリュフォーと蒼い衣の青年がいて――自分がポロポロ涙を流していることを、プルアロータスは自覚した。
◆
「久しぶりだねスバエルギナス」
「ああ、本当に久しぶりだよセファラス。いや、今はコプナリス師と呼ぶべきかな?」
「きみの好きに呼んでくれて構わないさ」
にこやかに対峙する二人は、旧友同士がするように親しみを込めてそう言葉を交わした。
プルは不気味に思うとともに、このまま昔を懐かしむ話が始まっても何ら不思議は無いような感じを受けた。
しかし、セファラスの次の言葉は、およそ旧友同士の会話に相応しくないものだった。
「それより――今日はきみを殺しに来た」
しん、と嫌な沈黙が流れる。二人の表情はあくまでもにこやかなままだ。ややあって、スバエルギナスが口を開いた。
「・・・あなたの大切なものまで、わたしは奪ってしまったのか」
スバエルギナスは悲しそうにつぶやいた。柔和だった笑顔は、まるで泣いているかのような寂しげな微笑みへと替わっていた。セファラスもまた彼と同じような表情で、力無く首を振った。
「いいや・・・しかしきみは危険になりすぎた。この世界を守るために――私はきみを殺す」
「そうか・・・では、わたしも、わが身を守るために貴方と戦おう」
決別の言葉はつらそうな笑顔で締められた。
スバエルギナスが手にした黒い剣を振りかざす。
「牙を剥きて喰らえ! デス・イーター<死を喰らう刃>!!」
うおおおおおおおおおん
闇の刃が吼える。黒い刀身には牙が生え、まるで獲物を求める肉食獣のようにマクロセファラスに襲い掛かる。
マクロセファラアスは、前に出て彼をかばおうとするトリュフォーを手で制し、
「影為る白き壁よ、我が身を守りたまえ・・・ホワイト・ウォール<白亜の防壁>!」
途端に、乳色に透き通った白い壁が彼らの前に出現した。
スバエルギナスが怪訝な顔つきになる――セファラスほどの男がこうも間抜けなことをするものだろうか。我が力によって生まれた幻は、すべてを取り込むことぐらい彼は百も承知のはず。
だがしかし、スバエルギナスの予想に反し、出現した白い壁は黒い刃を見事に防ぎきった。
驚いた、といった様子のスバエルギナスに、セファラスがこう返す。
「きみの幻はあらゆるものを取りこむ――しかし、他人の創った幻だけは取り込めない」
成る程、とスバエルギナスはため息をついた。しかし彼も戦火を潜り抜けた魔王、すぐさま次の手を打った。
「だからどうしたというのだ? まさか貴方自身が幻ということはあるまい・・・デス・バインド<死の拘束>!」
黒い獣はその身を幾筋にも分かれた蛇に変え、壁を避けて再度二人に襲い掛かる。が、セファラスはそれを防ごうともしない。そして幾多の頭もつ蛇はマクロセファラスとトリュフォーの身に襲い掛かり――はじかれて、傷ひとつ負わせられぬまま消滅した。
「なん、だって・・・!?」
「悪いがそのまさかだ。幻が物質を取り込めることを証明したのは、きみ自身だろう・・・きみの魔力は強力だが幻影という一点に特化しすぎている。もはや打つ手はなかろう」
セファラスは杖を掲げて、呪文をつむぐ。
『世界を構える精霊よ、赤にして紅蓮なる元素の王の一柱よ。我ここに汝の助力を乞い願う。願わくばただ一たびの火炎なす力を授けたまえ――イフリート!』
次元の扉を開いて炎の精霊王イフリートがその姿を顕現させる。
火炎の衣、赤い肌、燃え立つ髪に黄金色に輝く瞳。ぎりぎりと弓を引くように巨大な拳を振り上げ、蜃気楼の魔王めがけて叩き落した。
おそらく彼は、さけようともしなかったのだろう。
炎の中に消えゆくスバエルギナスの顔は、どこか安らいだ表情をしていて――その微笑みが、セファラスには悲しかった。
もっと他に道は無かったのか、スバエルギナス――セファラスは恨めしそうに己の手を見つめた。
握り締める。
――また、私はあの時と同じ過ちを繰り返そうとしている。力があっても・・・誰も助ける事が出来ない手ならば、私にはそんなもの・・・必要無い・・・!
「おい! ったく、ぼさっとしてんじゃねぇぞ!」
バシン、と無遠慮に肩を叩かれ、マクロセファラスははっと我に返った。
見れば、フラフラと立ち上がるミセナを、プルが行かせまいと奮闘しているところだった。
「動いちゃダメだって! ミセナ!」
「だから・・・さっきから、言っている、だろう・・・大した傷では、無いと・・・」
腹を押さえながら、彼女は部屋の奥へと進もうとしていた。
「でも・・・そりゃ血は出てないけどさ、顔真っ青だよ!? 我慢しない方が絶対にいいって! ほら!! トリューも、その、セ、セ、セラなんとかさんもそんなトコでぼさっと突っ立ってないでさあ!!」
「セファラス、だね。セファーとでも気軽に呼んでくれ」
「あのなぁ、状況を把握してくれ。だからさっきから言ってるだろう、プルーア、私達は――」
「彼らは幻、なんだろう・・・? だったら・・・ここに、いない者に、助けを・・・求めても・・・無意味だ。違うか・・・?」
そらみたことか、とトリューが視線でマクロセファラスに非難を伝えた。そこでようやく、そういうことかと彼は遅くなりながらも理解した。
確かに、自分達は幻ではあるのだが――あの時の一言を良く覚えていてくれたものだ。
「いや、確かに半分は正しいよ。しかし、完全な幻というのとも、少し違うんだがな」
彼がパキッと指を鳴らすと、二人の輪郭が心なしかはっきりしたような気がした。
「正確に言うと、実態の上に幻を被せてちょうど、そうだな・・・鎧に仕立て上げた、と言うべきだろうね」
説明を聞いて、この男は侮れないという認識を下したミセナとは対照的に、プルは「そんな事より、早く早く!」と二人を手招きしていた。
「・・・言っとくが、私は治療騎士団員じゃねぇから、そんな傷は治せねぇぞ」
アンタの出番だろ?、とトリュフォーがセファラスを促す。
魔の眷属を癒しても良いものか、と彼はほんの一瞬だけ躊躇したが、構うものかと彼女の傍らに膝をついた。今の時点では、彼女は敵ではない。それが十分な理由だ。
「さて、それじゃあ傷を見せてもらおうか、ミセナさん」
「・・・人間の、手など・・・」
「借りない、という訳かい?」
ミセナは押し黙った。その隙に、セファラスは呪文を詠唱し、「はい、おしまい」とおどけて笑って見せた。
「ちょっと待て! 誰も頼んだ覚えはない!」
「あまり動くと傷に障るよ。腸(ハラワタ)を完全に復元できたわけじゃないから・・・私もその専門ではないものでね」
「話をはぐらかすな!」
ムッとしたように彼を見据えるミセナに、セファラスは笑いを崩さず、しかし真面目な顔で、こう言った。
「プル君に頼まれたから、では理由にならないかな? 彼は優しい人だよ」
真っ赤になって手や顔を振って否定するプルに、ミセナはふっと笑った。
――まさか人間に助けられるとは、ね。
そんなこと、考えたことも無かった。それに、自分が人間を助けるだなんてことも。
「礼を言う、プル・・・ありがとう」
「いや、うん、それはねぇ、その・・・ともかく、ひとまず何事も無くて良かった良かったってことだよね?」
その時、まだ彼らは気付いてはいなかった。
彼らのすぐ傍に、異質なる者が存在していた事に。
第10章 勝利を奪う者
元・魔王スバエルギナスの館にて、一同はかつての主に敬意を表し、荒らすことなくそこを立ち去ることにした。そろそろ幻に取り込まれていたものも復活するだろうと、一行がそう考えて立ち上がった、まさにその時――
「きみは危険になりすぎた――この世界を守るために、私はきみを殺す」
頭上から、そうセファラスの声が降って来た。驚く一行の上に、続いてスバエルギナスの声でそれに答える台詞。
「そうか・・・では、私も、わが身を守るために貴方と戦おう」
しばらく、不気味な沈黙が続いた。
誰かいるのか、それとも魔王の残留思念か。
思い切ってトリュフォーが口を開きかけたその瞬間、「アハハハハハハハ」という神経を逆撫でするような、無邪気を装った甲高い笑い声が響いた。
「ホーント、男のヒトってバッカだよねぇ~♪」
「――大人しく我らに従っておれば、死なずに、訂正:殺されずに済んだものを――自責の念などという不確定なものに振り回された結果と推測。愚の骨頂」
「誰だッ!?」
今度こそトリュフォーが叫び、辺りを素早く見回した。
「・・・誰だッ!?」
だが、振って来たのは全く同じトリュフォーの声。
「いるのはわかっている、姿を現せ」
「・・・いるのはわかっている、姿を現せ」
今度はセファラスの真似だ。うぅ、と呻きながらプルが頭を振った。
「さ、さっきから・・・真似してる!? 何で!?」
「・・・さ、さっきから・・・真似してる!? 何で!?」
「出て来い、卑怯者!」
最後のこれは、ミセナの言葉だった。
「・・・出て来い、卑怯者!」
同じように彼女と同じ声色、同じ台詞の言葉が返ってきた。が、続いてミセナの声ではない言葉が返ってくる。
「・・・ヒキョーモノぉ? どっちが」
ようやく木霊ではない言葉を発しながら、鼻につく愛らしさの声がバカにしたように笑う。それに続くように、感情のこもらないカラクリのような声。
「姿が見えない=卑怯者という図式は成立不能」
「だよねぇ~。っはは♪」
それらの対照的な声の主はそう言うと、取るに足りないやり取りを、そこにいる4人を完璧に無視して続けた。
「ってーかさ、前人未到の人に知られぬ奥深い地域がどうかしたの? ヴォルヴァ」
「――ルブロの言葉の意味:分析――『秘境』を意味する。よって不適切。この状況下で『ヒキョウ』と発せられる音の羅列=『卑怯』が該当。意味:心だてが卑しく汚い事」
「いや~ん、勘・違・いッ☆ もぉ、ルブロのおバカさん。ごめんねぇ♪」
「――敵対者に謝る必要:皆無」
姿を見せぬまま、彼らは喋っている。
一見するとただの魔衆の下っ端、頭の悪そうな輩とそれに付随する戦闘用の従者のようにも考えられる。その証拠とばかり、それらしき魔力もプレッシャーも微塵も感じられない。
しかし、セファラスは油断無く身構えると、「気を付けて」と注意を促した。
「みんなの言いたいことはわかる・・・しかし、思わぬ怪物が現れるかもしれないよ」
「か~いぶつですって~ん? やぁん、こんなにプリチーなのにぃ!」
「――姿が見えない場合、情報源は相手の想像力という非常に空虚かつ不確定なものに依存。よって正常な判断力を失う可能性あり」
「さ、さっきから何がなにやら・・・」
プルの言葉はあまりにもごもっともだった。
「テメェら、何者だッ!」
何度目かのトリュフォーの叫びと同時に、まるで最初からずっとそこにいたかのように、館の扉のところに2人の人物が現れた。
そこに現れたのは、一言でたとえるならば、赤と白。
毒々しいまでの紅蓮に身を包み、胸や足などといった部分には際どい半透明の衣装を揺らす少年らしき者。そしてその隣にいる、無垢なまでの純白をまとった、しかし動きやすそうな体に合った服を着ている少女らしき者。
その両方が、砂のような色あせた金髪に、橙色の瞳をしている。
「貴様に名乗る名は無い・・・」
渋い口調でそう赤が呟くと、白がそれに追随するように拳を胸の前に掲げた。
「――了解。敵勢力:排除」
すわ戦闘か、と誰もが思ったその瞬間。
「・・・なぁ~んて、今のどうよ? クールっしょ! カッコいくなかった!? 惚れた? ひょっとかして惚れちゃったりして? にゃは~ん♪ どぉ・し・よ・う☆」
いきなり赤が壊れた。いや、壊れるも何も、こちらが赤の通常なのかもしれない。白があきれ果てたように、感情の全くこもらない声で「――前言撤回」とだけ吐き捨てた。
「魔衆かッ!?」
トリュフォーの問いを嘲るように、二人は奇妙なポーズで立っていた。
「呼ばれて飛び出てぱんぱかぱーん!」
「――双方の行動:該当無し」
「・・・誰か彼かと聞かれたら!」
「――質問:該当無し」
「もぉー、こっからいいトコなんだから黙ってて、ヴォルヴァ! おほん、誰か彼かと聞かれたら! 答えてあげようホトトモゲ! コレの名前は、ルブロ・ヴォルヴァタ! 通称・ルブロ!」
「――そしてこれは、もう一人のルブロ・ヴォルヴァタ。通称:ヴォルヴァ」
「二人合わせて、呪われし魔衆の娘達! キメッ!」
「――相対者に配慮が必要と確認。ご容赦を」
ぽかーんと呆気にとられる全員の前で、ルブロと名乗った方(赤)がヴォルヴァと名乗った方(白)の腕を取り、無理やりポーズを変えて得意げに踏ん反り返った。
「ほら! 見て見て! あまりの素敵さに声も出ないって☆」
「――言動:不適切。自己中心的な考え。呆れられていると推測」
「解析した?」
「――不必要」
何が何やらさっぱりわからないプルの頭に、ようやく理性が戻ってくる。
「え・・・ってか、何・・・? え・・・女の子? 両方ともおんなじ名前?」
「付き合うな、プルーア。気力の無駄だ」
「これが、『思わぬ怪物』か? セファラスとやら」
「いえ・・・そういうわけでは・・・」
気まずい雰囲気をものともせず、ルブロとヴォルヴァは持ち前のペースを崩さずに「さあ!」と叫んだ。
「んーで、改めましてだケド、スッピーはどこかなぁ~ん? ソコ、知ってる?」
「――補足:スッピー=スバエルギナスの意」
視線をわざとらしく走らせ、ルブロは「ああッ!」と額に手をあて叫んだ。
「あっちゃ~・・・やっぱ死んじゃってるよぅ。アレ、そうだよね?」
指差した方を向いて、ヴォルヴァはしばらくじっとしていたが、おもむろに口を開き、
「――調査:完了。スバエルギナスの死亡を確認」
淡々と答えた。
その態度に、ミセナとセファラスの顔が引きつったのをプルは感じた。
――あれじゃまるで、おもちゃの人形が壊れたとでも言いたげじゃないか。
しかしルブロとヴォルヴァの2人は目の前の4人を完全に無視したまま、自分勝手な行動を続けていた。
「んじゃ、今日の仕事はここまで♪ そいじゃ、さくっと魔力もらって帰りますかぁ☆」
「――了解。任務変更:行動開始」
「任せたなり~」
ルブロが大きく手を振り、ヴォルヴァがスバエルギナスの方へと歩み出す。
「待て!」
唐突に、ミセナがそう言葉を遮った。
ええ~何よ~?、という顔をして振り返ったのはルブロの方だ。ヴォルヴァはミセナの言葉など聞こえないといった風で、つかつかとスバエルギナスの元まで歩いていくと、右手を彼の死体の上にかざした。
「待てと言っているんだ! 今、魔力をもらう、と言ったな」
「あーうん、言ったよ。言いましたとも。それが何ですのん?」
「・・・どういう意味だ」
凄みのある声でそう迫るミセナに、ルブロは怯えたように目に涙を浮かべながら、あうあうと隣のヴォルヴァに助けを求めた。が、
「――任務中につき中断不可」
そっけなくそう返され、ルブロは観念したように頭を垂れた。
「・・・わかったよぅ。説明、苦手なんだケドにゃあ~・・・え~っとねーえ、魔力をもらうってゆーのはぁ、そのヒトが死んじゃった場合にぃ、その人が持っていた魔力が解放されるからぁ、それをこのよーに一箇所に集めてぇ、んーで、持って帰っちまおーと。そーゆ~コトですケド? わかんなかった?」
「そんなことはわかっている!」
じゃあ聞くなよぅ、と口を尖らせるルブロに、ミセナは腹を押さえたまま言い放った。
「魔力を奪われた後、この幻はどうなると聞いているんだ!」
そこにいた、ルブロとヴォルヴァを除く全員がはっとした。主を失った幻は現実に戻るとばかり思っていたが、この乱入者がそれを横取りするとすればどうなるというのだろうか。
ルブロは、ふーん、と考え込んでから、にっと笑った。
「なんだぁ・・・そゆコト♪」
ほぼ同時に、ヴォルヴァが腕を下げた。手のひらに何かキラキラした結晶が輝いている。
――魔力の結晶!?
セファラスがそれを確認する前に、ヴォルヴァは素早くそれを胸のペンダントの中に入れると、ルブロに向き直った。
「――任務:完了。魔力収納。すぐに撤退を」
「必要無ぁ~し!」
瞳の奥にどす黒い炎を燃え上がらせながら、ルブロはいたずらっぽく笑った。
「ね~ぇ、ヴォルヴァ。どうやらココにいる親切な方々が、コッチがスッピーを殺す手間を省いてくれたみたいなのよねぇん☆」
「――それはありがとうございます」
感情の入り混じった目で彼女らを睨み据える瞳の前で、カクン、とヴォルヴァが頭を下げた。
「で! とくればやっぱり・・・遊んでほしいじゃない? お礼もかねがね」
「――校正:お礼も兼ねて。その意見には同意」
ゆらゆらと姿勢を正すと、2人はそろって並ぶ。
◆
あっという間の出来事だった――後に、セファラスはスバエルギナスの最後をそう語った。旧友の死を思うたび、彼は後悔せずにはいられなかった。幼さの残る外見や、掴み所の無い言動に惑わされ、敵の真意を見抜けなかったのだ。あの中で魔道について知っていたのは自分だけだったというのに――と。
相変わらず人をバカにしたような顔で、2人は立っていた。
魔力を奪えばそれで良かったのだから、ここから先はただの暇つぶし――ルブロは嬉しそうにあごに手を当て、ニヤリとした。
「4対2か。ん~♪ モテモテだねぇ☆ 女のコもいるケド~・・・つかあの女気に入らないにゃ~」
「――目視確認:4人。戦闘可能者:3人。うち1名は軽傷」
「・・・やっぱオレ、カウントされてない?」
「されるよかマシだろ。下がってな、プルーア」
プルはミセナも下がらせようとしたが、「僕はいい」と断られ、ひとまず一人で部屋の隅に下がった。
「・・・となるとぉ、数としては3対2かぁ~・・・ちょーっとだけ不利かも?」
「――計算結果:さしたる戦力差は無しと判断」
「ったくさっきからゴチャゴチャと! いい加減にしろ! 来るならさっさとかかって来やがれ!」
「トリュフォー君、油断は禁物だ。まだ相手の実力がわかっていない」
「測るまでも無いだろう。倒すだけだ」
各人が武器を構え、臨戦態勢に入る。
「今回は・・・女だろうと容赦しねぇぞ」
「いやぁん、怖~い☆ 女の子には優しくしてぇん」
「――不適切。性別区分:無し」
「男でも、女でもない・・・!? いや、疑問は倒してからじっくり答えてもらおうか」
「どっちでも構うものか。一撃で決める!」
かわいそうだけれど、本気になった皆と戦ったら――プルはまず相手に勝ち目は無いと踏んだ。
しかし、当の本人達は意に介さず、ルブロにいたってはうきうきした様子で屈伸したり腕を回したりしている。
「さぁお待ちかね! Let’s show time!」
とりゃ!、と両腕を天井に突き出し、それを下ろしながらまたもや妙なポーズを付ける。
「――時間制限:あり。注意されたし」
「はーい♪ じゃ、まずは軽~く、戦力増強といきますかっ☆」
言うが早いか、彼女の周りに翼の生えた人間が武器を手にずらりと立ち並んだ。その数ざっと10程度だ。
「チッ、確かに戦力増強だぜ・・・だがそんな程度――」
「ちっちっち。よぉく見てよん♪ 会心の出来なんだ・か・ら☆ ねぇ~、ミセナちゃ~ん♪」
ルブロの応答には気付かず、ミセナは驚愕の表情で、新たに現れた敵勢力を見ていた。呟く。
「な・・・ッ!? 何故・・・ヴィズ、コズ、他の皆も!」
――え!?
声にならない叫び声をあげて、3人がミセナを見た。
「間違い無い、彼らは僕の同胞だ! 魔王スバエルギナスに囚われていた・・・そんな!」
「――ルブロ、魔力の拝借は厳禁。重罰、あるいは――死罪」
「ちち違うよぉう! コレはちゃーんと、ココから出しました! コ・コ!! From my
heart! もぉ、疑う気~? だったらケチケチせずに魔力貸してよ!」
「――累積分:未返却」
「あは・・・忘れて?」
「――無理」
完全に二人の世界に入っているルブロとヴォルヴァに、セファラスが唸った。
「・・・なんて悪趣味なことを・・・」
本物ならば戦えないことは明白。たとえ幻だとしても、精神的な負担は相当なものだ。
「揺さぶりか・・・アマニタ野郎の考えそうなことだぜ! 下衆が!」
ふふーん、とルブロが笑う。
「戦術と言って、戦術と♪ もしくは・・・戦略? でいいの? ヴォルヴァ」
「――戦略:長期的・広範的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。戦術:個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。よって戦術が妥当」
「むつかしすぎて・ワカンナイ・ナリ」
しかし、頭を押さえて頭痛のふりをするルブロの瞳は真っ直ぐにミセナに向けられ、その反応をうかがっていた。
そんな程度の挑発に屈するものかと、ミセナは震える声でこう告げる。
「気に・・・するな。スバエルギナスが死に、魔力が奪われた今、彼らは本物じゃない」
それを聞いたルブロの笑顔が真骨頂に達する。
「そぉお? そぅおぉ? どっかなぁ~?」
彼女は軽く手を上げると、板を突くかのように、ちょうど目の前に立っていた一人の男の肉体を手刀で貫いた。
「ヴィズ!!」
一瞬のことだった。
男は力無く前のめりになる。その逞しい胸板を、たおやかな手が突き破っている。
鮮血が噴き出し、3人の上に余すところ無く、温かく降り注ぐ。
「にゃっはっはっはっはぁ~ん♪ これでも? これでもニセモノってゆっちゃう? ゆっちゃう~? 言ったでしょ? 『会心の出来』だ、ってぇ~☆」
手を引き抜き、倒れる男を蹴って3人の方へ飛ばすと、ルブロはその血の付いた手で髪の毛をかき上げ、己の髪の毛を服と同じ紅に染めた。
「う~ん、赤・だぁい好き♪ 特に血はだんだん黒くなるのがいいね☆」
「――賛同しかねる。理由:白が穢れる」
「んもぉ、塗っちゃうぞ?」
「――反撃準備:完了」
目の前の2人は、命など何と思っていない。
戯れで姿を蘇らせ、力を見せ付けるために消す。
生前その姿をしていた者が、どれほどの人物だったか考えることも無く――
「貴様ら・・・!」
ぺろぺろと指に付いている血を舐めとりながら、ルブロはいっそう純粋な笑顔で笑った。
「怒った? やっぱ怒ってる? やぁん、怒った女のヒトって、こっわぁ~い♪」
しかし、今にも飛び掛りそうなミセナの目の前で、その男の体がぼんやりとにじみ、そして消えてしまった。
再び驚いて動きが止まった3人の前で、ルブロが手を顔の横に持っていき、おどけたポーズをとった。
「なぁ~んて、幻でしたぁ~! びっくり? びっくり? 驚いてる!?」
怒りに戦慄く彼らの前で、ルブロはわざとらしくぴょんぴょんと飛び回り、ヴォルヴァの手を取って喜びを体中で表現してみせた。
「いぇ~い!! ネタばらし、大・成・功ッ☆ あ、もしかして本物と思っちゃったクチ? やったね♪」
「――ドッキリ大成功、とでも?・・・平常心を保つ事を最優先。忠告:ルブロ、手の内を明かすのは得策ではない」
おもしろければい~じゃない、と言い放つルブロを、ミセナは憎悪と何か他の感情が入り混じった複雑な表情で睨み据えた。
「なるほど、所詮は幻、か・・・」
「そだよ~。幻に取り込まれて消滅しちったモノなんて、二度と帰ってくるワケ無いジャン! 期待してた~? ゴッメンねぇ~ん。けどさ~ぁ、コノ程度じゃあ全くもって無理無理無理無理無駄無駄無駄ァッ!」
「――警告:ルブロ、調子に乗り過ぎ」
「いやん♪」
ミセナは軽く瞳を閉じ、大きく息を吐いた。冷静にならなければならない。
一瞬――ほんの一瞬ではあるが、期待したのだ。本物であるのならば、どうにかして正気に戻す手もあるのではないだろうかと。
「・・・だが、おかげで吹っ切れた。これで遠慮無く・・・戦えるということだ」
キリッと矢を絞り、ミセナは狙いをルブロの額に定めた。
「動くなよ。狙いが外れる」
しかし、ルブロは狙われているというのに全く動じる事もなく――ただ、「きゃっ! 狙われちゃったよぅ、ヴォルヴァ、ど~しよ?」という予想通りの台詞を吐いてはいたのだが――不敵な笑みを浮かべた。
「あぁん、ケド射る前にちょっとダケ聞いてぇん、ミッセナちゃん♪」
「気安く名を呼ぶな!」
「二人の仲じゃな~い♪ ね~ぇ、ミセナちゃ~ん・・・会いたくないのぉ?」
怒気のこもったミセナの声に、ふふん、とルブロが勝ち誇ったように笑う。
「『蒼空の魔王』――お母サマに」
グッとミセナの表情が揺らいだ。
「ミセナさん、耳を貸してはいけない!」
「言われるまでも無い! そんなでたらめ信じるものか! 死者は・・・生き返らない・・・ッ」
気丈にも、ミセナは再び矢を引き絞った。だが、ルブロは怯まない。
「それがあるんだなぁ~、実は。死んだお母サマや消えちゃったお仲間の皆サマを蘇らせる方法がっ☆ どお? 知りたいでしょ、知りたいでしょお? その方法! フツーなら教えないけど、特別だよっ? 教えたげる。そ・れ・は・ね――」
ミセナが無視を決め込んでいるのを見て、ルブロは軽く息を吸うと、声を大きくして叫んだ。
「その方法ってゆ~のがねぇ、『あのお方』に頼む事、なの♪ 簡単でしょ? 心揺れ動いちゃう話でしょ♪」
「裏があるに決まっています」
「そぉなのよぅ! 取り引きはいつでもgive &
takeだからねっ! でも、『あのお方』に従うだけだし、そんな無茶は命令されないし、がんばればがんばっただけ願いも叶えてくれるのよん? やっさしぃ~でしょ? ちなみにぃ、その実証が、なぁんと今皆サマの目の前にいるコノ二人なワケ♪」
ハッとして、全員がルブロとヴォルヴァに一斉注目した。親指を立てて自慢げに自分を指しているルブロと、焦点の合わない目をしているヴォルヴァの異様さが、なお一層際立って見えた。
「・・・っはぁ~、大声で叫んだら疲れちった☆ 水~・・・」
「――不携帯」
「あっそぅ、じゃ仕方ないね・・・あ~あ~、ゴホン。んん・・・とまぁ、話を戻しまして。今なら無償で願いを叶えてくれるスペサルサアビスもやってるよン♪ まぁお得♪」
「――special service。悪い話ではないと保証」
「黙れぇッ!!」
ミセナの返事は痛烈な一撃だった。風を割き、一直線にルブロの額を目掛けて飛び、そして――
落ちた。
まさに矢が突き刺さろうとしたその瞬間、空中でピタリと静止し、ぽとりとルブロの手に落ちたのだ。
「何!?」
ルブロはおもむろにその矢を手に取ると、しげしげと眺める。
「ほほぅ、all hand
maidですか。長すぎず短すぎず、節は堅くしなやかなシュギュイ木造り。羽は一般的なシュヅメル鳥を使いながらも見事な線の引き方、その特長を生かした黒と白の対比の美しさ。さらに特筆すべきは鏃で、かの『蒼空の魔王』も愛用したと言われる風切石(かざきりいし)を丹念に削り上げ、さらに幻を打ち消す魔力を込めた一品。武器にしておくのは惜しい。いやぁ、まさに職人芸。いい仕事してますなぁ」
「え? そうなの?」
「ほほう、興味を惹かれますか? そこなる少年。語り合っちゃう?」
「本気になるな、プルーア! 出任せに決まってんだろ! あの女にそんな鑑定眼があるか!」
「・・・バレました~!」
指先で矢をくるくるとオモチャにしながら、ルブロは笑っている。その隣でヴォルヴァがひたすらブツブツと恨みがましく呟いていた。
「――チッ、完全防御壁がこんな程度の技で相殺されるとは・・・! これじゃ意味がねぇじゃねぇかよクソ野郎どもが!」
雰囲気がガラリと変わった彼女を、ルブロが子供や子猫にやるように頭をなでなでする。
「おぉう、落っち着いてぇ~、ヴォルヴァ♪ 怒りの矛先は政治に向けるのよん☆ 素顔を隠す仮面は、そう簡単に捨てちゃダ・メ♪」
「――だが・・・わかった。了承」
軽く目を閉じ、開く。
「――戦闘を開始する」
「よっしゃ! 敵さ~ん、お待たせぇい!! んじゃ、先制攻撃は譲ったげ――」
返事とばかりに飛んでくる矢を、幻影兵が身をもってかばい、消滅する。
「仲間の姿でも容赦無し! さすがは冷血アマニタ女! あは~、たぎってるねぇ。そいじゃコッチもそろそろ――」
「――タイムリミットまで:あと3分少々」
それを耳にしたルブロがブフッと吹き出した。
「マジですかい! ちょ、ちょっと喋りすぎたかなぁ~あは、あはははは・・・反省」
「――遊び:禁止」
もう一度、マジですか!、の顔をしてから、ルブロは長々と溜息の尾を引っ張った。
「あう~、しょ~がないガマンするよぅ・・・とゆ~ワケなんで、すまんケドちゃちゃっとやられて?」
「ふざけるなッ!!」
連射された矢の雨をヴォルヴァが全て素手で掴み、「――この程度」とミセナを見下して笑った。
「コッチは一応、真面目だよ? ケドさ~ぁ、コッチとしてはソコのアマニタ二人は邪魔なんだよねぇ~。話があるのはソコの黒い甲冑のヒト♪ あ・と・は・・・ソコの少年☆」
ビシィッと指を指され、プルが「えぇッ!?」と驚愕した。思ってもみなかった言葉だ。
「話が合いそうだしぃ、優しそうだしぃ、ちょっと非力なトコがまたかわういかなって♪」
瞬間、ヴォルヴァが般若の形相でプルを睨んだ。視線だけで殺されると思ったのはこの時が最初だろう。それほどまでに恐ろしい目付きだった。
「――貴様」
「ちちちち違いますというか何で何で何で!?」
「いい加減にしろ! 彼は関係無いだろう! 手を出すな!!」
「あはん、早速恋敵登場? 種族を超えた禁断の愛、ってヤツねぇん♪ それに、ああ、ヴォルヴァったらまさかして嫉妬してくれてるのかしらん? そんなヴォルヴァもかわゆいから安心してねっ♪」
「――殺す」
すすす、と足だけ動かしてプルは物陰に隠れた。あの二人、見た目は弱そうだが戦ったら負ける。何となく負けるというか、恋の威力で殺されるに決まっている。
そんなやり取りを苦笑いしながらセファラスは見ていたが、少し顔を引き締めて、こう告げた。
「トリュフォー君、ミセナさん・・・見た目に騙されないで。やはり、この少女達は強いですよ」
「・・・ああ、たった今理解した」
新しく矢をつがえながら、ミセナが短く詠唱する。ルブロとヴォルヴァをかばうように立っている幻影兵――仲間達の幻――もまた、同じように矢をこちらに向けている。
「・・・長期戦は不利です。トリュフォー君、我々が何とか道を開けますから、振り返らずに突っ込んでください」
「僕も矢で援護する」
「ああ・・・わぁった」
「相談終わり~?」
腕のストレッチをしながら、余裕綽々でルブロが相変わらず笑っていた。そして彼女が軽く腕を上げると、それに呼応して幻影兵がいつでも射出出来る体勢に入った。
「頼むから、最後まで立っててよね~☆ でわでわ! お待たせしましたん♪ そんじゃ、みんな・・・行っけぇ~☆」
ルブロが無造作に腕を振り下ろすと同時に、矢の洗礼が満遍無く彼らの上に降り注ぐ。
それを払いのけ、叩き落し、戦いの火蓋が切って落とされた。
◆
短期決着――スバエルギナスとの戦いで消耗した彼らの勝機はそこにしか無かった。
幻影の矢は幻の炎で焼き払った。
幻影兵は残らず矢で射、消し去った。
道が、開く。
「うおおおおおおおおッ!!」
トリュフォーが槍を持つ手に力を込め、一直線に突進した。
「――ふん、芸の無い攻撃――」
それと同時に、彼を援護するように矢が放たれ、火の魔術が炸裂する。しかもそれは、ヴォルヴァを狙ったものではなく――
「きゃあ!」
狙いは防御姿勢をとっていないルブロだった。
まともに火球をくらったルブロがひるみ、身をよじった。しまった、という表情のヴォルヴァの前に、槍が突き出される。
ドゴン
低い打撃音が響いた。
『音を切り裂く疾風の羽よ、我が敵をその身で貫け! サイレント・フェザー<音無羽>!! 降り注げ刃の雨よ! フォーリング・アロー<細矢>!!』
『世界を構える精霊よ。赤にして紅蓮、青にして紺碧、緑にして翠然、黄にして金襴なる元素の王の四柱よ。我ここに汝らの助力を乞い願う。願わくばただ一たびの奇跡なす力を――我が友を避け、我に仇成す者を討つ力を――授けたまえ!! 出でよ! イフリート! クラーケン! ジン! ベヒーモス!』
隙を与えず、ミセナが魔術を乗せた矢で射、そしてその上に魔術をかける。さらに追い討ちをかけるように、セファラスが全ての精霊王を召喚する。
世界中が一斉に輝いたかのような輝きが辺りを包み、音を奪う。
間。
どれぐらいたったのだろうか、ようやく世界は元に戻った。
「みんな! 大丈夫!?」
「はぁ、はぁ、はぁ・・・さすがに・・・四大精霊王、全召喚は・・・老体に、堪えますね・・・」
「・・・貴方だけは、敵に回したくないな・・・」
膝をつき、肩で息をしているセファラスとミセナ。
「・・・あれでやられてなかったら・・・もう、どうしようも・・・」
セファラスにしても、これだけ全身全霊の力を持ってして相対した敵は久々だった。以前に比べ、平和に慣れ親しんだ体にはもう一発でも魔術を放つ気力は残っていなかった。
「大丈夫・・・あれを食らって生きてる方がどうかしているさ・・・」
まさか、生きているはずは無い――ミセナはそう確信していた。
たとえ屈指の魔王でも――母であったとしても――四大精霊王の攻撃を受けて、生きていられるはずは無いのだ。
そう、生きているはずは――
くすくす
くすくすくすくす
っはは
あっははははははははっははははは!!
「え!?」
聞き覚えのある、耳に障る笑い声。
まさか――
顔を上げ、確認したとたん、三人は頭から冷水をかけられたかのようにゾッとなった。
そこには。
「――なめた真似しやがって・・・! 殺す殺すぶち殺す潰し殺す殴り殺す撃ち殺す切り殺す絞め殺す叩き殺す打ち殺す斬り殺す捻り殺す千切り殺す刺し殺す沈め殺す焼き殺す刻み殺す――殺し方だけは選ばせてやる! 感謝しやがれクソどもがァッ!!」
トリュフォーの槍の渾身の一撃と、ミセナの数多の矢を、その右手で掴み。
四大精霊王の炎・氷・嵐・石、全てを左腕一本で受け止める。
美しい顔を悪魔のような形相に変えてわなわなと震えているヴォルヴァと。
「化け物だなんて酷いわ。それじゃまるでコッチが生命体ですらないみたい・・・当たりだけど。はぁい、皆様お揃いで。お元気ぃ?」
その後ろで、全くの無傷で軽やかに手を振っているルブロが。
いた。
「セファー!! プルーアと女を連れて逃げろ!!」
トリュフォーがそう叫ぶか叫ばないかのうちに、彼の体はまるで球のように軽々と宙を舞った。そのままプルのすぐ傍の壁に叩き付けられ、めり込む。
ふん、と憎悪と皮肉が入り混じった笑みをしてから、ヴォルヴァはふっと無表情に戻った。
それから急に顔を上げると、
「殺す! 殺してやる!! ふざけやがってなめやがってやりやがってこの下等生命体ども!! 許さねぇ絶対許しておけねぇぞ!! 覚悟しやがれ蛆虫野郎!! 生まれてきたことを後悔させてやるッ!!」
口汚く罵りをまくし立てた。
「ちょっと、ヴォルヴァ」
「あぁん!? 邪魔すんじゃねぇぞルブロ!! 気分がむしゃくしゃしやがる!! 平常心になんか戻れるかよ!!」
「別に今はいいけど、でも一つだけ・・・誰一人として殺したら駄目」
「けどよぉ!」
叫ぶヴォルヴァの口を、すっとルブロが指で押さえる。
「後々駒にならないと言い切れるの? 無理でしょ。ルブロにもヴォルヴァにも、それは出来ない。そんな決定権は無い。そもそも、台本に無いことはしない、そういう約束だったはず。違うの」
そうたしなめるルブロも、先ほどまでのおどけた様子は全く無い。
完全に雰囲気の変わった二人の前で、全員が凍りついたように動けなくなっていた。疲労のためだけではない、それだけは確かだった。
「――チッ、気は晴れねぇがあの方のため、そしてこの願いのためならばしょーがねぇ・・・話があるのはあの埋まってる男だけだったよな?」
「一般人の少年にも手を出さないで」
「はぁん? さっきも言ってたが、マジで惚れたのかよ!? はっ、趣味が悪いぜ!? ルブロよぉ」
「かもね」
ピクリ、と傍目から見てもわかるほどヴォルヴァの顔が引き攣った。それからルブロに聞こえないように、ボソリと「殺してぇ男No.1決定」と呟いた。
ルブロは何も聞こえていないようで、本気にしないでよといった感じで手を振って続けた。
「というか、それ以前の問題よ。アレは聖魔剣リシーサの関係者らしいから、絶対に殺すなって言われてたと思うわ。記憶が確かなら」
「そっちの話は興味がねぇな。ともかく、あの自意識過剰な魔術師と自称魔王は刻んでもいいんだろ?」
「まぁ・・・そうじゃないかしら。生きてれば、ね」
ニィイっと、ヴォルヴァの唇が吊り上った。
それから彼女はいきなりバシィンと矢と魔術の塊を地面に叩きつけると、長々と大きく息を吐いた。
「四大精霊王よ!」
残りの気力を振り絞り、セファラスは精霊王達を呼んだ。今まで彼の周りに控えていた王達が、もう一度攻撃を繰り出そうと構えた瞬間。
『――我と我が友、我が主の名に於いて命ず』
ヴォルヴァの口から、呪詛の文言が紡がれた。と同時に、王達の動きが止まる。
『彼の王の御霊を蹂躙せし呪いの体現者よ、解き放たれよ。その忌まわしき腕(かいな)をもって、聖なるものを我が前より失せさせるが良い。漆黒の楔よ、血塗られた鎖よ、今一たび名を呼ぶもおぞましきものへ刹那の自由を与えよ!』
言い終わるや否や、最後の頼みの綱だった精霊王達はいずこかへと消え去ってしまった――いや、連れ去られてしまった。
中空から伸びた無数の手が彼らを掴み、バラバラに千切りとって何処かへと消え去ってしまったのだ。
その様子を、クスクスと笑いながらルブロがじっと観察している。
「くくくくく・・・たかが精霊王ごときじゃあ、ねぇ?」
「――連れて来んなら、精霊神ぐらい出してみな。そうすりゃ、途中で返す手間が省ける」
「な・・・!」
セファラスはあまりの驚きに、文字通り声を失った。
精霊を召喚するものは多くいる。
だが、精霊は己の上位の精霊王の命があれば攻撃は出来ない。それと同様に、精霊王もまた、上位の精霊神の命とあらば立ち去るしかない。
当然ながら、ヴォルヴァという少女は精霊神の化身でなければ、精霊神を使役しているわけでもない。魔神であろうとも、その地位は対等でしかないのだから。そんなことが出来るのは、偉大なる太母――『彼女』しかいない。
だが、そうなれば今のことに説明は付かなかった。上位のものの命無くして、彼らが帰ることなどあり得ない。
それを面白そうに見ながら、ふふふ、とルブロが笑う。
「ご存知? 召喚されたものを返すためにそれほどの魔力はいらないってこと・・・あらん? その様子じゃ知らなかったみたいね、魔術師のクセして馬ッ鹿みたい」
「・・・それがどういう――まさか!」
ルブロは耐え切れないというように口を覆った。
「ふふふ、あはっ・・・そうよ、ようやく気付いた? 俗に禁忌とされている力――名を呼ぶことすら出来ぬものの忌まわしい力――それがあれば聖なるものなど砂塵に等しいの・・・おわかり?」
「まさか・・・それらは全て伝説の――神魔大戦が終結した時に、二度と蘇らぬよう封じられたはず!」
「そうよねぇ、どぉしてかしらね~ぇ? あっははははは!!」
それら悪の権化と、聖魔剣の勇者、そしてその仲間達との伝説は聞き及んでいた。それが実際に存在したとしても、驚きはしまい。
しかし、それらを操る術は完全に失われたはずだった。
そんなセファラスをいたぶるように、ヴォルヴァが重ねて笑う。
「要するに、王ごときは呼んでも無駄ってことだ。ま、そっちには死んでも真似出来ねぇだろうがな。っはは!」
それで話は終わりだとばかり、ヴォルヴァが両手に半月状の楔を出現させた。
そして怒りのこもった低い声で、淡々とこう告げる。
「なめられるのには慣れてるがよぉ・・・こっちが怒らねぇとでも思ってんのか? あ?」
カツ、カツ、カツ、と靴音を響かせながら、ゆっくりとミセナとセファラスに近付いていく。
そして、今まさに彼らの上に刃がつきたてられるかと思われた瞬間。
ガッツ
鈍い音がして、彼女の両手から放たれた楔が地面に突き刺さった。ミセナとセファラスは楔に首を押さえられて地面に縫い付けられる格好となったが、傷一つ負っていない。
先程まで殺すなどと物騒なことを連発していた彼女のその行為に、相方であるルブロが軽く首をかしげて口を開く。
「あらぁ? 珍しく動きを止めただけなのね。どういう心境の変化? たまには優しくしたいとか?」
「――そんな訳ねぇだろ・・・野郎、邪魔しやがって」
ギロリと睨まれた先には、プルの手助けもあってどうにか壁から脱出したトリュフォーの姿があった。
彼は盾を投げたままの姿勢で荒い息をついている。
そして、ヴォルヴァの足元には彼が咄嗟に魔力を込め、結界の要として投げた盾が突き刺さっていた。
「・・・ったく・・・盾は投げるモンじゃねぇっつーのに・・・」
チッとヴォルヴァが憎々しげに舌打ちをする。
結界は本人が解除したいと思うか、その人物を殺すかしか壊す方法が無い。
だが、ヴォルヴァはトリュフォーを殺せないし、手酷く傷付けることも許されていない。
つまり、結界は壊せないし、二人の代わりに彼で鬱憤を晴らすことも出来ないのだ。
腹いせとばかり、ヴォルヴァは結界を張っている盾を思い切り蹴飛ばした。
ルブロとヴォルヴァの魂胆を見抜いての博打だろう。そしてそれにうまうまとはまってしまった自分が腹立たしかった。
そうこうしているうちに、トリュフォーはまだ折れてはいなかった槍を手に、ざくざくと二人の前に歩み寄って来た。攻撃出来るかどうかギリギリの瀬戸際で、立ち止まる。
「さって・・・どうする? 私はまだ戦えるぜ?」
「あら~ん♪ 味方を守るために、傷だらけの体をおして戦おうだなんて・・・勇敢なお・か・た☆」
体をくねらせてから、ルブロは暗い目で呟いた。
「・・・まるで騎士(ナイト)みたい★」
ギョッとしたようにトリュフォーは槍を構えなおしたが、
「それがどうした」
と穂先をルブロに向けた。
「やぁん☆ 褒めたのに怒られちった♪ 好感度ダウンかもぉ~」
「――ルブロ、どうする」
くいっとアゴでトリュフォーを示し、ヴォルヴァは指をばきばきと鳴らせた。
「そうねぇ~・・・3割まで!」
「チッ――了解。戦闘モードから通常モードへ移行――平常心を保つことを最優先――完了」
再び感情の無い顔に戻ると、ヴォルヴァは、「うんうん、さすがはヴォルヴァ。やればスグできるのねん♪」としきりに頷いているルブロの前に立ちはだかった。
「私も言わせてもらうが、それこそ『なめられた』もんだな」
「あっはぁ♪ 怪我してるヒトに万一のコトがあったら、ソレこそコトですからぁ?」
ルブロがぴょいんと後ろに飛び跳ねて距離をとると、それに追従するようにヴォルヴァが同じようにバックステップで距離を開ける。
「さて。指先一つでダウン伝説を目指してもいい? メンドクサイしぃ、他にも仕事あるしぃ、時間も無いしぃ~」
「――質問:誰のせいか答えよ」
「・・・はい、ルブロのせいでふ。反省するから嫌味言わないでぇ~☆ マジメに武器も使っちゃうから♪」
グッグッと腕を伸ばすと、ルブロが構えをとる。力を抜いて、柔の攻めで来るということだろう。そしてその手には、スバエルギナスが持っていたのと同じ、黒い刀身の剣。
「じゃ、準備も滞りなく整いまして。早速だけど、ルブロと遊んで♪」
とん、と軽く地を蹴り飛び上がると、彼女は目にも止まらぬスピードで剣を振り回す。
――確か、あれに触れると厄介なんだよな。
その恐ろしさは先程見た通り。
トリュフォーは迫り来る刃をひらりとかわしながら、一旦槍を背に収めた。武器は他には短刀の類しか持ち合わせておらず、槍が真っ二つになれば、間合いが狭くなった自分が一気に不利になる。
「――敵行動:回避」
「りょぉ~かい!」
着地をし、ゴキゴキと首を回してから、ルブロは急に次の動きに移行する。
今度はトリュフォーの懐に飛び込むと、フェイントも含め素早く蹴りを繰り出し、彼が足払いを仕掛けようとした瞬間に宙に浮いた。
そして空中で不自然なまでの滞空時間をもって、剣を持ち替えながら突きと払いを織り交ぜて攻撃してくる。
決して勝機が無かったわけではない。
トリュフォーは、ルブロがほんのわずか深く突き過ぎ、無防備となった右腕を掴んでみせた。刃とは異なり、触れても実害は無い。だがそのまま投げ飛ばそうとした刹那、ヴォルヴァが死角から鋭い手刀を繰り出し、その目論見は失敗に終わってしまう。
「今のは、惜しかったんだがな・・・」
再び間を取って、トリュフォーはそう毒づいた。集中すればかわせないことも無い、が、それももってあと三回程度だ。攻撃の勢いによっては次の攻撃も危うい。
早く勝敗を決しなければ、身がもたない。
一方のルブロは、とんとんとん、と軽やかにバック転で再び距離をとった。それから右腕を押さえる。
「い、ったぁ~・・・もぉう! 玉のお肌に傷が付いちゃったじゃないのぉ!!」
「――表現が不適切。『玉のお肌』は女性に対する形容」
「・・・ケチ。例外ってコトでいいでしょぉ?」
しかし、そう言って笑うルブロの右手には、黒い兜が引っ掛けられていた。見覚えのあるその形状に、トリュフォーははっと頭に手をやった。
はたして、兜が無い。あの一瞬で、盗られたのだ。
「お礼返し、ってヤツか」
「――『転んでもただでは起きない』が適切」
すっぽりとそれを頭に被り、ルブロが「ああッ! ま、前が見えないッ!! はわわわわ」と慌てふためいてよろける。一見隙だらけだが、その隣のヴォルヴァは全く隙が無い。
ヴォルヴァは少し溜息交じりで、ルブロの被っている兜を乱暴に外した。
「――いいかげんにしてもらいたい」
「いやぁ、自分のものは自分のもの、相手のものは自分のもの、みたいな」
それからおもむろにトリュフォーをしげしげと眺め、「やぁん♪」と素っ頓狂な叫び声を上げる。
「どぉ~んなゴツイ男が出てくるかと思いきや・・・んもぉ、フェイントしすぎよぅ☆」
「は? 何言って――」
「ああっ! 前言ぜ~んぶ撤回!! もぉ口が悪くても性格怖くても優しくなくてもいい!!」
両手を合わせ、潤んだ瞳でルブロが上目遣いに彼を見つめる。と、それと対になるようにヴォルヴァが冷たい眼差しで睨みつける。
「もぉ超・タイプ~☆ 切れ長の鋭い目、端正な凛々しい顔付き、そして北方民族特有の黒い髪と漆黒の瞳――! もはやコレって、いろんなイミで運命を感じちゃう♪」
「――否定したいが、否定はしない」
「ヴォルヴァもそう思う? 思っちゃう? 素敵だよねぇ♪」
「――意味が異なる。あの形状――あの男を思い出させる。よって不快」
「だからいいんじゃなぁ~い♪ 顔良し、血筋良し、人気良し、過去良し・・・もぉ全てにおいて、カ・ン・ペ・キ・よん☆」
「――駒には最適」
「そうはいくか」
顔をしかめるトリュフォーの前で、ルブロがせっせと乱れた髪の毛や衣装を整えていた。
「あ、でも顔見て急に態度を変えると帰って怪しまれる・・・かな?」
「安心しな。テメェらの印象は、最早覆らねぇよ」
頭の防御が疎かになるのは覚悟を決め、トリュフォーは素手のままもう一度構えた。
「――敵:攻撃態勢。警告:ルブロ、少しは防御面にも気を回せ」
「ん~、だってヴォルヴァが守ってくれてるしぃ・・・そだねぇ、確かに二対一、って・・・ちょっと卑怯カモ」
「かまわねぇよ。慣れてるからな」
「お仕事大変だぁ、お互いにね。でも、怪我人にも情け容赦はしませぇん!」
ルブロが手を振り上げると、再びそこに幻影兵が出現した。「また!」と、ミセナが悲痛な叫び声を上げる。
「テメェら・・・ッ!! いい加減にしやがれ!!」
「やぁん、また怒られた☆ だから戦いに卑怯もラッキョウも無いのにぃ~」
「――どうやら、逆鱗に触れた模様」
この人の嫌がることをわざと行い、それを楽しむ態度。そんなものはトリュフォーには許せなかった。
どくん、と力が湧き上がってくるのを感じる。怒りが、彼の力を増してくれている。
そう、怒りが――憎しみが。
「人様の痛み・・・ちったぁ身をもって感じるんだな!!」
トリュフォーがそう叫んだ瞬間、ルブロとヴォルヴァが笑ったような気がして――シャンプは目をこすった。今までのような仮面のような笑みではなく、確実に何か企みが成功した時に見せる、あの嫌な笑いだ。
――でも、見間違い? トリューを怒らせても、あの二人に一体何の得が・・・?
そして、それに気付いたのはどうやらプルたった一人のようだった。
「トリュー」
プルの口から思わず出た呼びかけは、「何だ!」というトリュフォーの怒りのこもった声の前でしぼんでしまった。
「・・・また何かするかも」
何!?、と三人がルブロとヴォルヴァに視線を向ける。
だがプルが本当に言いたかったのはそんなことではなかった。
理由はわからない。わからないが、こう言いたかったのだ――怒りに身を任せちゃダメだ、と。
しかし、咄嗟のプルの言葉は間違ってはいなかった。
「・・・あの少年、鋭いねぇ。勢力増大、カンパされちゃったよぅ」
「――イントネーションに違和感。漢字で『看破』と記すのが妥当。だが、見破ったところで何となる」
今度はヴォルヴァまでもが同じように、幻を出現させていたのだ。それはプルとミセナが散々苦労した、あの刃物の罠だった。
対処が遅れれば、刺されていたかもしれない。そう思った瞬間、プルの頭から先程の忠告は綺麗に吹き飛んでいた。
「トリュー、気を付けて! そいつら、見た目より切れるから!」
「おやん? 知ってる、てことはコレにやられかけたクチ?」
特に答えは返ってこない。ルブロは「冷たいなぁ」と一言呟くと、おもむろに腕を組んだ。
「ケドね、コレはなかなかスリリングで面白かったよね? ビューンて飛んで来るのを、いくつうまく掴めるか競争したよねぇ・・・柄の所を掴まないとそのままスパってなっちゃうから意外とドキドキしてさぁ・・・ま、切られたこと無いけど・・・そっか、もう遊べないんだねぇ・・・しみじみ」
「――このネズミ捕りがか? ・・・同意しないことも無い。最高記録:ルブロ13本・ヴォルヴァ44本」
「・・・ルブロが13本取った時は、ヴォルヴァは12本しか取れてなかったクセに」
――そういえば、スバエルギナスは『魔衆撃退のため』の罠だと言っていた。それが彼女らに向けられたものだったとしたら。そしてその罠を軽く突破してしまう彼女達・・・彼をすぐに倒さなかったのは、いつでも殺せるという自信があったからなのだろう。
セファラスは改めて、身動きが出来ない自分を呪った。確実に、トリュフォー一人でどうにか出来るような相手ではない。
「くそッ・・・矢さえ射られれば・・・消してやれるのに・・・!」
「そんなにヤベェのかよ・・・」
「うん」
「ともかく、刃の部分に触ったら持って行かれると思ってくれて構わない。僕のようにね。避けるしかないんだ」
「ま、慰めの言葉はハナッから期待してねぇけどな」
当然ながら、トリュフォーの武器は幻を打ち消す能力など持ってはいない。相手の言葉を信じるならば殺されはしないだろうが、瀕死は覚悟しなければならないようだ。
己の意思に従って敵を攻撃する人ならぬ幻、剣、そして数多の刃。2人がかりとはいえ、それを造作無くやってのける能力は底が知れない。
「何という、魔力・・・」
「あらぁん♪ 元! とはいえ、宮廷魔導師団長にお褒めに預かり、光栄ですぅ☆」
そうだったのか!?、という眼差しがセファラスに向けられる。セファラスは咄嗟に出任せを口にした。
「・・・・・・名前が同じだけだ。落胆させて、すまないね」
「そぅお? がっかり」
呼びかけに対する否定も無意味なことだとでも言いたげに、ルブロが鼻で笑った。
ひゅんひゅんと軽く風を切りながら、剣が舞う。それに呼応するように、小刀やらナイフやら包丁やらフォークやらが、出番を待ちわびてトリュフォーの方に切っ先を向けている。
「チッ・・・どうあっても性根が腐ってんな、テメェら」
トリュフォーのその言葉を待っていたとばかりに、ルブロが若い男の声でこう格好をつけて答える。
「何とでも言ってくれたまえ。これぞ悪の華――咲き乱れるその美しさに人は心奪われ、そして・・・儚く散る」
「――声帯模写:魔剣士グラシリス。内輪ネタ」
完全に勢いをそがれる格好となったトリュフォーは、「やっかいだな」と呟いてルブロを睨み据えた。が、彼女はペースを崩さずコロコロと笑い転げている。
「あはははは~♪ こぉゆ~場面こそ、誰も知らない白けるネタに限りますなぁ☆ わかるヒトいませぇ~ん! にゃはは♪」
「・・・・・・オレ、知ってる」
一斉に、プルに視線が集まった。うお!?、っともう一度プルは身を引いてから呟く。
「いや・・・シャンプと一緒にいろいろありまして・・・その時に・・・うん・・・」
「マジでふか少年! こ、これは意外なトコにレアな人材でわ・・・?」
ルブロがうっとりと彼を見つめると同時に、刻むようなヴォルヴァの視線がプルに突き刺さった。
「ふん・・・だ、そうだ、ルブロとヴォルヴァ、とやら。思い通りにならなくて、残念だったな」
「いいえぇい! Good job! 少年!!」
ビシッとVサインで決めるルブロ。そして、「うざ・・・」と呟くヴォルヴァ。
「――ちょっと失敗したぞ、ルブロ」
「まぁ、あんま精神的ダメージの効果は期待してなかったし?」
「・・・成る程、相手の気を乱す技には非常に長けているようだね・・・トリュフォー君、心を平常に保つんだ」
わかってるさ、とトリュフォーが疲れたように笑った。
無意味なことを言ってしまったかと思ったが、トリュフォーの注意を促すには良かったのだろう、きっと。少なくとも、プルはそう思うことにした。
「さっ♪ 紆余曲折あったけど、結局、この超不利な状況、どぉするのん?」
「要するに、触れなきゃいいんだろ?」
「え? まぁ、そうらしいケド・・・だよね?」
「――返答の必要:皆無。行け」
合図と共に降り注ぐ刃物を、トリュフォーは手にした槍で思い切り薙いだ。一瞬、そしてそれだけ。
「あれぇ? 今、何やったのん?」
首を傾げるルブロの前で、幻影兵達が矢をつがえた格好のまま次々と消滅していった。驚きを隠せないルブロに、ヴォルヴァが告げた。
「――風圧による吹き飛ばし。偶然、あるいは故意によって矢と兵が衝突、双方のエネルギー拡散により消滅したと推測――詰め手が完全に裏目に出た」
「うっそぉ!!」
「見たか、これが本気だ!」
一か八かの賭けだったが、トリュフォーは見事に勝った。
同じ人物が生み出した幻では成功するはずも無く、なおかつ、幻が風圧で狙った方向に弾き返せるのかという問題もあったのだ。
しかし、いくら幻とはいえ、彼の全魔力という強力な魔力を込めて発生させた風には影響されるようだった。
「す、すごい・・・」
「成る程、風の力か・・・これならば覆せるか!?」
「――攻撃データ:該当無し」
「アレだねぇ、イザとゆ~時の切り札ってワケ?」
「ま、私もたまには魔術ぐらい使うさ」
軽く笑いながら、トリュフォーはもう一度槍を構えた。
「短期決戦はお互い様だ・・・一撃で・・・決する」
口ではそうは言ったが、ほぼ全ての魔力を使い切ってしまった今、もはや魔法による回復は期待出来ない。その上、相手は薬草などを使う暇を与えてくれそうにもない。
次の攻撃、そして次の次の攻撃を食らうことがあれば、それこそ一巻の終わりだった。
そうなる前に、何としてでも一撃――狙いは無論ルブロだ――カウンター気味に食らわせるしかない。そのためには、相手の攻撃の威力を加えるために、あえてその攻撃を受ける必要がある。
敵としても、その出方はわかりきっているはずだが、ルブロは意に介さず、その挑発に乗った。
「んーじゃコッチも、一撃で決めたげるよぅ!」
何度目かの跳躍。
彼女は彼の懐に飛び込んで、剣を切り上げた。それを避けた彼にぴたりと付き、今度は肩の辺りを思い切り貫こうと一撃を繰り出す。
気の緩みか、はたまた誘いか。
彼女のその伸び斬った腕は、先程以上に隙だらけだった。まるで反撃をしてくれと願っているかのように。
偶然でも罠でも、最早トリュフォーに選択の余地は無かった。
そして――
捕らえた。
一瞬。そしてそれで十分だった。
受身も取らずに地面に叩きつけられたルブロに、トリュフォーは刃を突きつけた。彼女の手から離れた、あの凶悪な剣で、だ。
「おっと、動くなよ」
妙なマネをすれば、こいつで斬って捨てる――そう告げたのは何もルブロに対してだけではない。すぐさま反撃に出るであろう、ヴォルヴァに対してもだ。
憎々しげに舌打ちをしたヴォルヴァが、歯軋りをしながら彼を真っ赤な瞳で睨みつけている。
しかし、一瞬遅かった。
「――調子乗ってんな!? それはこっちのセリフでもあるんだぞ、クソ野郎が!」
彼女の腕には、いつの間にかプルが抱え込まれていた。魔道か何かによるものだろう、プルも驚きを隠せない様子だったが、
「え・・・あ、ゴ、ゴメン、トリュー!」
と気丈にもそう詫びた。しかし、その顔は白磁よりもさらに色が失せている。
「卑怯者! 彼は戦闘員じゃないんだぞ!!」
「黙ってやがれこの自称魔王のメス風情がッ! 薄っぺらな膜に包まれて勘違いしてんのかよ!? 偉そうに対等な口利いてんじゃねぇぞ!!」
「何・・・クッ、ならば僕と代われ! 彼を放すんだ!」
「大切な彼氏だから、かぁ~? まさに禁断の愛ってか? はん、獣の言葉は聞こえねぇな。耳障りで意味不明だ。バッカじゃねぇの?」
ヴォルヴァは有無を言わさず、プルにさっきトリュフォーから奪った兜を被せると、容赦無くその上から殴りつけた。ガァン、と金属音が響く。
「このまま、兜ごと首を捻じ切ってやってもいいんだぜ」
ミシミシ、と嫌な音を立てながら、プルの首に彼女の細い指が食い込んでいく。それを止めるように、トリュフォーの刃の切っ先が軽くルブロの首筋に付けられる。
「・・・お互い、切り札は上手に使うとしようぜ」
沈黙のまま、睨み合いが続いた。
「ルブロから離れな」
「プルーアを放したらな」
どちらも先に動くつもりは無い。人質を解放した瞬間、相手側に捕らえられている人が殺されかねないからだ。
と、
「別にいぃよん、ヴォルヴァ」
ルブロが呟いた。「だが――」と口を開くヴォルヴァを、目で軽く制する。それから、クスリと微笑んでみせる。
「ホントは、殺したいんでしょ~」
黄色い瞳でトリュフォーを見据え、彼女は笑った。ぴくり、と切っ先が揺れる。
「人の心を弄んで、苦しめて、それを喜んでる奴らなんて・・・死ねばいい、殺したい、殺してやる、って思って――」
「・・・違う」
「――思ってる」
クスクス笑いが大きくなる。ヴォルヴァは無理やり感情を押し込めた無表情で、じっと成り行きを見守っている。
「思ってるよ、思ってる! 殺したいんだ! 殺せばいいよ! 敵対者はみーんな殺せばいい!! 殺せ! 殺せ! 殺しちゃえ!」
「黙れ・・・黙れ、黙りやがれッ!!」
カッと頭に血が上る。ブルブルと痙攣したようにの腕が震える。思わず剣を取り落としそうになる手を、もう片方の手で押さえる。
はたと、プルは自分の痛みを消し飛ばすような不気味な気配を感じた。どこかで感じたことがあるような嫌な雰囲気だ。
「トリュー!!」
兜越しに叫ぶ。聞こえているのか、いないのか。
自分が助かりたいとかいうのではない――無論、そうして欲しかったが、何故かその瞬間は思わなかった――わからないが、ともかく止めなければと思ったのだ。
ふと、トリュフォーの脳裏に非情な言葉がよぎった。
――殺したって構わない。非道な輩なのだから!
他のことが考えられなくなった。ルブロと名乗るこの魔物の、息の根を止めることだけを思う。
そしてまさに手にした剣を突き立てようとした瞬間。
心臓がドクンと飛び跳ねた。
「ぐ・・・ぅ・・・ッ」
胸を押さえ、うずくまる。ドクンドクンと鼓動が激しく脈打っている。治まらない。
――殺せ! 殺した方がいい!!
その思いが消えない。そうすべきだと、片隅でそう思っている自分を、弱い心が必死に押しとどめる。
ここで彼女を殺せば、プルーアもまた――
だが、とまた自分をけしかける声がする――たった一人の人間のために、この危険な魔物を野放しにする気か!? それでどれだけの人間が死ぬと思っている!?
一人を犠牲にすれば、そう、たった一人を犠牲にすれば、これから先に助かる命も、あるのだ。
それでも、出来ない。彼を――巻き込むわけにはいかない。
カッツン・・・カラカラカラ
甲高い音を立て、手からとりこぼれた剣が床を滑っていった。ぼんやりとその様を眺める。もうこれで、この魔物を殺せない。
――一体、何が、どうなって・・・?
何かが、自分の奥底で疼いている。
暫く、その状態が続いた。ややあって、ルブロが呟く。
「あれ・・・? トドメ、刺さないんだ・・・」
ルブロはどこかしら落胆したような表情を垣間見せた。まるで殺されたかったとでも言うかのように。
しかし、無論それも一瞬のこと。
トリュフォーに動く気配が無いと知って、まず行動を起こしたのはヴォルヴァだった。彼女は人質のプルを無視し、一直線にルブロの元へと駆け寄った。
「ルブロ!!」
そんなヴォルヴァに無遠慮に放り投げられて、プルは頭から地面に落ちた。ガァンと兜が鳴る。二度目の大打撃だ。これのせいで前が見えないのは確かだが、もし無ければ大怪我をしていたところだ。しかし、その衝撃でさらに兜がすっぽりとプルの頭に嵌ってしまう。
「ルブロ、無事で・・・」
「ちょっと待てぇ! 勝手に人質にしといて何この仕打ち!!」
感動の再会を果たしているであろうルブロとヴォルヴァに、プルは思いっきり怒鳴った。兜のせいで聞こえているのかどうかもわからないが、この怒りは他にぶつけようが無い。
「――黙れ人間!」
「あーそうですよ! オレは人間ですよ無力な人間風情ですよ! でも文句は言いたいよ!! むしろ言わせてもらう!!」
ルブロはピョイっと体を起こすと、あらぬ方向を向いて怒鳴っているプルを見てあははははと思いっ切り笑った。
「あはは、兜人間、兜人間! 少年プル、グー!」
「誰のせいなのさ!?」
「いや~、面白いねぇプル! マイナーな魔衆のヒト知ってるし、きちんと突っ込んでくれるし、いいねそのキャラ! ぜひまた会いたいなん♪」
「だからもう二度と会いたくないってのッ!!」
「ヴォルヴァ、データ登録よろしこ♪」
「――チッ・・・了解。登録:完了」
ゲッ、名前まで覚えられた!?――と、妙な輩ばかりに目を付けられるプルはまたもや慌てふためいた。
それを笑って見ていたルブロは、駆け寄って来たヴォルヴァの肩にようやく寄りかかると、無理やりポーズをとって、また無邪気に笑ってみせた。
「でわでわ、みなサマぁ~! ルブロ・ヴォルヴァタの芸、お楽しみ頂けましたでしょおか?」
「――喜んでいただければこれ幸い。そうでなければ、精進あるのみ」
「次こそはもぉっと! 面白く激しく楽し~い出し物を、考えまぁす!!」
「次なんていらないから!!」
どうにか兜を外したプルが叫ぶ。正直、もう勘弁してほしい。いや、勘弁してください。
それでも、二人は全く意に介さずに、恭しく頭を下げると明るい声でこう告げた。
「またお会いできることを楽しみにぃ♪」
「――さようなら、ごきげんよう」
止める間があればこそ。
彼女らは現れた時と同じように、唐突に姿を消した。
◆
嵐と地鳴りと火事と落雷がいっぺんに襲い掛かり、去って行った後のようだった。
「ト、トリュー! 大丈夫!? 大丈夫なの!?」
兜を手にプルが慌ててトリュフォーのもとへと駆け寄ったが、彼は突然立ち上がると、
「心配すんな。何でもねぇよ」
と頭を振った。
「そっか・・・よかった」
「ふん、私も落ちたもんだな。戦闘中に一般人に心配されるとは」
「心配は勝手だよ。ホント、最後は冷や冷やしっ放しだったんだからさ・・・」
もう今度は何も出ないよな、とプルが辺りを見渡し、ミセナに笑われる。
「もういないと思うけど、それこそ君が警戒しても無意味じゃないかな?」
そりゃないでしょ、そう言って笑う二人を見やってから、楔から開放されたセファラスが彼のところへゆっくりと歩み寄った。手に彼の盾を持っている。
「・・・トリュフォー君、と言ったね。もし体調に異変を感じるようならば、王都で診てもらった方がいい。なんなら、私が腕利きの治療師を紹介してもいい」
「別にそこまで・・・胸の痛みももうねぇから――」
「いや、自己療法は避けるべきだよ。私は専門ではないから明言は避けるが・・・」
セファラスはあいまいな笑顔を浮かべて、トリュフォーにこう告げた。
「もしかすると、呪いにかかっている可能性がある」
「まさか。覚えがねぇぞ」
「いや、そうならいいんだ。ただ、少しばかり気になってね・・・一応、気には留めておいて欲しい。念には念を入れて、ということだが・・・診てもらうならば、なるべく早くがいいだろうね」
トリュフォーは「前にも同じこと言われたが」と前置きをしてから、
「どの道、王都へは行かなきゃならねぇんで・・・そん時にでも」
「そうだね、それがいい。それを聞いて安心したよ」
トリュフォーは軽く胸をさすってみたが、何ら異変は無さそうに感じた。しかし、今回のことといい、戦い方が荒くなっているのは事実だ。身体にも負担が大きいのかもしれない。
「ところで、トリュフォー君」
ふと、思い出したようにセファラスが口を開いた。
「君の名前は・・・本当に『トリュフォー』なんだね?」
「そうだが・・・最初にそう名乗ったし、アンタも今までもずっとそう呼んでただろ。第一、名前を偽る理由がねぇ」
「ああ、そういう意味では・・・」
あごに軽く手を添えてから、セファラスは頷いた。
「いや、そういう意味かもしれないか・・・」
どこかで聞いたような名前であると言うのも引っかかるが、それ以前にもっと気に掛かることがあった。ルブロも言っていたが、『似ている』のだ。思い切って、尋ねてみる。
「君、名字は何と」
「無い。私は・・・ただの、トリュフォーだ。そもそも、普通、名字なんて使わねぇだろ」
セファラスは暫く黙っていたが、
「テューバー・・・」
と呟いた。
「え」
「いや、君と似た人物を知っていてね。メラノスポルム・・・かつて北で繁栄を誇っていた国の勇士なんだが――彼の名字が、テューバーだった」
「・・・他人の空似だ。私は・・・」
と、トリュフォーは少し口ごもると、どこかしら寂しげに呟いた。
「・・・自分の生まれ故郷すら、知らねぇから」
「自分の、両親もか」
ふいに、ミセナがそう声をかけた。トリュフォーは参ったなというように頭をかいたが、「そんなんじゃねぇよ」と言い放った。
「そんなの私だけじゃねぇさ。20年前の戦争で・・・孤児なんていくらでもいる。今でも、だ」
しんみりしてしまった雰囲気を嫌がって、トリュフォーはもう一度、今度は少し怒ったように声を出した。
「だから! そーゆー話はいいだろ、なぁ!? それよりも私としては早く森の出口に行きてぇんだよ!!」
「え、出口・・・あッ!! もしかして!?」
「・・・もしかしなくても、だ。ようやく理解したか」
どうした?、と声をかけたミセナに、プルは慌てながらこう告げた。
「そう、大変なんだよ!! シャンプとルスラちゃん、森の出口で二人きりなんだよね!?」
深々と溜息をつきながら、トリュフォーが頷いた。それを見て、セファラスが首をかしげる。
「ひょっとして、髪の毛の赤い女の子と、大剣を背負った少年かい? あの二人・・・どこかマズいことでも?」
「・・・いいんじゃないか? ああ、ひょっとして男女が二人きりというのが――」
「そんな複雑な意味なんかじゃねぇんだ」
手を額に当てながら、トリュフォーはさっさと館の出口を目指した。慌てて残りの3人も後を追う。
扉を開け、外へ出る。
一度にありとあらゆることが起こったために心が落ち着かないまま歩いていたミセナは、突然立ち止まったセファラスの背中にぶつかった。
「ちょ・・・セファラスとやら、急に立ち止まるのは――」
彼は返事の代わりノ、すっと西南の方角を指差した。そのままミセナが視線をずらしていくと――
「も、森が!? 西南の森が燃えているッ!?」
――そんなバカな!!
絶句のあまり、口をただパクパクさせることしか出来ない。そうこうしている間にも、様々な色の閃光が暗くなりかけた空を突き破っていた。音こそ聞こえないが、もしここまでその響きが伝わるとすれば、耳を劈くような轟音に違いない。
皆の答えは一つだった。
彼らは、駆け出していた。
疲れきった体に鞭を打ち、ひたすら、出口方面である西南の森の元凶部へと。
スーパーカオスタイム:vs ルブロ&ヴォルヴァ
最終更新:2014年02月17日 12:30