2008年08月13日(水) 00時03分-K
読みの国通信 あるいは ネタバレ注意 っていうかほとんどストーリ全部説明しちゃってるけどたぶん大多数は一生この小説読まないから安心して とりあえずテーマは「ツンデレ老女に萌えられるか」である
(編集者注:タイトルが長すぎるため、目次では一部省略しています。正式タイトルは上記)
キャロル・エムシュウィラーの短編集『すべての終わりの始まり』を読んだのだが、一応SFってことになってるんだが、内容は白髪が目立つ歳まで処女を不本意にも守り通してしまった主人公の妄想がファンタジーの域まで達してしまった、て感じのものが多くSF度は実際低め。これはこれで間抜けだったり痛々しかったりして面白いけど。
『ジョーンズ夫人』でお互いがお互いを監視しあっている老処女姉妹の妹が、姉を出し抜くためだけに研究施設から逃げてきた半蝙蝠半人間の化け物の翼を切り落とし、人間の振りをさせて、本当に彼が人間であるかのごとく思い込んで処女をささげ、「自分は人類の仲間入りをしたのだ」と思うシーンは不気味かつ哀切。
だがそんなことはどうだっていい。それくらいのことは感想系のブログを読めばいくつも書いてある。だから僕は僕にしか語れないことを語ろう。どの感想ブログもほとんど語っていない『ジョセフィーン』というSFでもファンタジーでもない短編(最後の最後にちょっとファンタジー?)について。ジョセフィーンの老女ツンデレキャラ造形にときめいた!
主人公はこの短編集にはめずらしく男。老人ホーム入居者、エンターテイメント係、つまり余興の出し物の司会者とかをする係、そしてジョセフィーン係でもある。ジョセフィーンはもと曲芸師で出し物の花形、徘徊癖があり、目を離すと町へさまよいだす。主人公は「雨の日は膝が痛いから勘弁してくれ」とか言いながら、いやいや杖を突いて彼女を探す。ジョセフィーンは草むらの影なので主人公を待っている。しかしジョセフィーンはまだまだ足も達者なので見つかっても主人公を転ばして笑いながら走っていってしまうのだ。次の文章を見てみよう。
彼女はよくこう言う。「あなたが見つけてくれなけりゃ、わざわざ行方不明なんかにはならないわ」それは本当だろうと思う。私が見つけると(いや、彼女が見つけさせてくれる、というべきか)、彼女の表情は……うむ、ややこしいのだが、見下した感じで、それだけなら私も探さない。安堵も窺えるのだ。それだけでも見つけ甲斐があるだろう、と他人様に思われても不思議はないような表情で、私も関節炎でなければそう思えたかもしれない。
これはツンデレでしょう。しかも主人公の語りも素直じゃなさ爆発のツンデレ文章である。ライトノベルをそこそこ読む人ならこの感じ何かに似ていると思うかもしれないが、それは後で確信に変わるであろう。僕は次の部分を読みながら爆笑してしまった。
私はえり好みするし石頭だが、卑怯者ではない。ジョセフィーンの導くほうへ、どこへでもついていく。一度は川の中までも。すでに彼女を発見していたが、一緒に橋を渡る最中に彼女は私の手をすり抜け、水に飛び込んだ。私も追った。彼女はそうなると読んでいた。私は少ししか泳げないが、彼女はもっと泳げない。下流に八百メートルほど流されてしまったが、どうにかかのじょをたすけだせた。私は彼女に腕をまわしていた。二つの頭を何とか水から出そうと奮闘しながらも、思った。ジョセフィーンに腕をまわしているぞ!
どんな純朴なじいさんやねん。まあこんな感じに進みのだが、ジョセフィーンを探す途中で主人公が転んで悪くないほうの膝を怪我をしたところで話が展開を始める。足を痛めた主人公が何とか立とうとするシーンはこんな感じ。
杖は添え木として用いるべきか、杖として使うべきか、まだ考えている。もう一度立ち上がろうとする。立てない。自分をどやしつける。「やれ!」片膝に体を乗せる。「やれええー!」でもできない。
するとジョセフィーンが耳もとで「やっちゃだめ」とささやき、私の肩に片手を乗せる。感触は予想どおり、しごく軽やかだ。
べたべたな展開で燃えるなあ。この後主人公はジョセフィーンが盗んだ車に乗せられ森の中の空き家に連れ込まれて、膝が治るまで二人でそこに暮らすのだ。そこでジョセフィーンは生まれ変わったように活き活きして、湖で釣りをしたりするのだ。彼女がホームから脱走を続けたのは実は森に行きたかったからなのだ。狭苦しい部屋から抜け出し、自由にいきたかったのだ。じゃあ、なぜいつも主人公に捕まって、一人で行こうとしなかったの? と聞くのは野暮だ。
ところが主人公の膝がようやく良くなりかけたところに、ホームの管理者が二人を探して銃を持って森に入ってくる。ジョセフィーンは逃げようとする。しかし主人公はそれを止める。
私は「どこへ?」と言う。
彼女は「ついてきて」と言う。
だが私は考え直す。そして「いや、私らは大人だ」と言う。
私はいつもの役割についたわけだ。それこそ私についてジョセフィーンが一番嫌いな点である。
「あなたはそうかもね」と彼女は言い、姿を消す。
いや、大人とか大人じゃないとか言う前に、あんたらじいさんとばあさんでしょ、とここも笑うところである。
主人公は管理者に投降するが、ジョセフィーンは屋根に昇って、電線を綱渡りし、木に飛び移って、森の中に消えていってしまう(どんなばあさんだ)。主人公はそれを見て初めて自分の想いに気づくのだ。
私はジョセフィーンなしでは、ホームの暮らしに耐えられん。彼女と私は……よく考えてみると、二人とも昼夜を問わず天気を問わず外にいるのが大好きだ。いままで気づかなかったが、私は彼女を追うのが気に入っていた。それはわずかな自由と冒険を得るための我々の口実だったのだ。
ここまで読めばもう確実。これは老人ホーム版『涼宮ハルヒの憂鬱』だったのだ。二人はハルヒとキョンだったのだ。ツンデレなのも致し方ないというわけだ。主人公の語りが奥歯に何か挟まっているみたいなのもキョンと同じである。
ここからはもうヒロインを取り戻すために主人公が立ち上がると言う、毎度おなじみのあれである。実はこのホームの管理者と言うのが実はジョセフィーンを性的な意味で狙っていて、主人公を手錠で動けなくして、ジョセフィーンを追いかけて森に入っていくのである(この管理者ってのが何歳なのかよく分からなくて、まあ普通に考えて50くらいなのかな、ジョセフィーンはホームに入居してるくらいだから70くらいなのかな、まあどうでもいいけど)。そこへ引き返してきたジョセフィーンが主人公の手錠をはずすのだが、主人公は杖以外何も持たない丸腰で、ピストルを持った自分よりも若い相手と決着をつけるために、一人森へ入っていくのだ。
好むと好まざるに関わらず、きっとなってみせる……いやすでに、私は彼女のヒーローなのだ。
老人小説なのに黄金である。この後どうなったか、主人公の愛の告白やいかに、見たいな部分は何かの間違いでこれを読む人のために残しておくけど、いやあ、キョンもそのうちこれくらいな男気を見せてくれるのかね、じいさんにならないうちに頼む。
と言うわけでこの小説を読んでの感想は、将来こんな甘酸っぱい老後だけは絶対にいやだなあ、てことである。ここまで書いといてそんなオチかい!
いそがしいいそがしい