2011年02月03日(木)13時10分-17+1
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自分はいったい何なのだろう。
そんな、陳腐な問いをわたしは抱えていた。もちろんこれが背伸びした若い男女にありがちな悩みであることはわかっている。だけど、ふと何もないところからひょいと現れたようなこの問いにわたしは答えを出すことができない。どこまでもぼんやりとしていて、どうしてもわからない。自分が何かというつまらない問題さえ解決できない自分がいらだたしい。そのいらだたしい自分を別のわたしが頭の中で見つめている。それはわたしより一つ上のわたし。一つ上のわたしは自分が解けない問いを解く必要のない問いだと考えている。どうでもいい、いつか忘れる、青臭い、問いだと考えている。一つ上のわたしはわたしに呆れている。その思考と感情がわたしに、この問いを『陳腐な』『背伸びした若い男女にありがち』『つまらない』などの言葉で飾ることを強いている。そして、さらに上のわたしがわたしたちを眺めている。自分で自分を非難しているという馬鹿らしい構図を、ただ冷静な目で観察している。その馬鹿らしさを偉そうに観察する自分がどこかにいればそれでその馬鹿らしさがなかったことになるのか、いやならない、と声高に主張するわたしが遠くにいる。心の中の遠く。だんだん別のわたしは遠く高くなっていく。そこに最初の問いはもはや存在しなくなっている。そうやって、わたしのことをわたしが見つめたり呆れたり強いたり眺めたり観察したり主張したりとにかく色々しているうちに、どんどんわたしは増えていって、無限に同じことが繰り返され、いよいよ本当に自分というものがわからなくなってくる。もともとのわたしは何だったっけ、わたしの根源はどこ?
わたしの根源。
それを探るため、わたしは化石の発掘作業に参加するようになる。
「働く動機がおかしいんじゃないか。というより、自分探しで化石掘りってめちゃくちゃじゃないか?」と最初に作業長から言われた。「ややこしいこと言ってるけど要するにあれだ、なんでもかんでも考えすぎだ」とも。微妙に間違っているのもややこしいのも考えすぎなのもわかっている。だけど、わかっていることだけがすべてだろうか。自分がわかっていること全部を費やしても、自分の根源というわからないものをとらえることなんてできないのではないか。わかっていることをやっても、わかっているということがわかるだけだ。むしろ逆に、わかっていないことをやることで不意にわからないことがわかるようになるかもしれない。
なにより、けっこう報酬が高いし。
作業場所近いし。
本当にすぐそこ。歩いて行けるところに作業場所はある。雑草の生い茂る空き地に、ちょっとした地層の壁がそびえている。大昔に何らかの力がはたらいて地層がずりあがってきたのだろうと作業長は推測している。作業長はあらゆる古いもの、それに時間と出来事の積み重ねについて研究している。それを『歴史』というそうだ。みんなのために開拓されるはずだった空き地を無理やり買い取って、私財をつぎこみわたしのような若い女まで雇ってひたすら研究に打ち込んでいるのだ。この研究分野において解明されていないことはまだまだたくさんある、らしい。何しろ、わたしが産まれたころにはまだこの分野は確立すらしていなかったというのだから。専門的な話はあまり聞いていない。
ときたま作業長はわたしに質問した。
「これは何だと思う」作業長は、わたしが洗浄したばかりの骨を爪の先でつついている。
「動物の骨の化石です」
「植物や虫と答えなくてよかったよ。どの部位の骨?」
作業長のこの問いかけには、わたしが何者かという問いほどの重要性はない。ほんの気まぐれで訊いているだけだ。それでもわたしは真剣に考える。丸みを帯びた骨のかけらを注意深く見て、考えに考え抜いてからわたしは答えた。
「足の指だと思います」
「違う。これは頭の骨の一部だ。どうやったらこれが指に見えるんだ」
「わかりません」
何がどうして足の指なんて結論になったのやら。思考を振り返ろうとしても途中であやふやになってしまって戻れない。
「なんでもかんでも考えすぎだからそういうおかしな結論になるんだな。悪い癖だ」
悪い癖だ。
問答の最後はいつも同じ言葉で締めくくられる。
そんな厄介なやりとりを除けば、発掘作業はおおむね楽しい。とはいえ、不器用でそれほど力のない女のわたしにできることはせいぜい、ごく小規模な穴を地面に掘ることと、誰かによって掘り出された化石の洗浄ぐらい。あとは細かな雑用も多少ある。屈強な男たちの仕事はもっと大掛かりだ。地層に眠る大岩をえぐり取る勢いで掘り進んでいる。作業長ももちろんその豪快な掘削に加わっている。わたしだけが彼らから離れたところで別の作業をしている。
今のところ、だいたいそんな感じだ。
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働きながらよく思う。穴を掘るということは考えることに似ている。地下に潜るという感覚が共通している。
わたしが例の問いを考えすぎるあまりに、たくさんのわたしが遠く高くへ増殖してゆき、いつしかもともとのわたしがわからなくなってしまうあの瞬間。そのときの、もともとのわたしを求めて下へ下へと意識が落ちていくあの感じが、特に似ているように思う。わたしの上のわたしのさらに上のわたしのもう一つ上のわたしの……その繰り返し。それはまるで地層のようだ。
いつも考えているようにそう考えながら、暗闇の中、わたしは独りで作業していた。居残りの作業であった。みんながいるときと違って灯かりはずいぶんと頼りないものであったが、燃料を節約しているのでしかたがない。わたしは我慢しながら、小さな穴の中で黙々と地面を掘り進めていた。狭いが、私の背丈より深いので、そこそこ危ない。
異変は出し抜けに起こった。
まず、地面がこまかく震えはじめた。何か良くないことが起こっているような予感がしたが、穴から這い上がろうと思う前に足元が裂けた。わたしはぎゃっと汚く叫んだ。亀裂はすぐさま広がり、穴底の半分がひび割れた。反射的にひび割れていない側へ飛び移ったが、それ以上動く余裕がない。
恐怖のあまり、わたしも地面と同じく震えていた。ああ死ぬのか、と思った。作業中の事故はよくあることだ。化石と一緒に生き埋めになった若い男を知っている。最期に何を考えようかと考えすぎの私は考えた。特定の宗教を持たないので祈る相手はいなかった。ふと最近流行りだしたという、由来も教祖も信仰対象も何にも聞いたことのない宗教、『チオハウス・パゲ・テモンスタ』教を思い出す。そいつに祈ってやろうかと考えたが、しかしそいつとはいったい誰なのか。
地面の震えが一瞬止まった。わたしも考えるのをやめた。地面のひび割れの一点から目が離せなかった。頼りない明かりは土のかたまりが隆起するのを照らしていた。かすかに盛り上がる地面。注目せざるをえないほどに異様な物体がひび割れの中心にあった。
そこから手のようなものが伸びていた。
土のかたまりが均衡を崩して転げ落ちる。すると手のようなものがさらに伸びた。手のようなものだが明らかにわたしの手とは違うかたちをしている。指はあるようだ、しかし爪はすべてはがれ落ちたかのように存在しない。太い指と指が、となりどうし薄い膜でくっついているように見える。全体的に凹凸が少ない。細い。白い。つるつるとした肌は、土に汚れているがそれでも光沢がある。やわらかい虫を連想した。
手のようなものはもがくように動く。彼は助けを求めているように感じた。あれ、なぜ、今わたしは『彼』と? 目の前にある手のようなものを生き埋めになった若い男だと思ったのだろうか。でも、事故があったのはだいぶ前のことで、場所もここからかなり遠い別の作業場だ。だったらどうして。彼と。手のようなものはすくなくとも女の手には絶対見えない。しかしだからといって男のそれとも考えがたい。
おそらく直感だろう。
冷静になってきたわたしは直感で彼の手のようなもの、いや彼の手をつかんだ。ぬるりとした感触が気色悪かったが、構わず引き上げた。両手を使って力いっぱいに引っ張ると、意外なほどにあっけなくするすると彼の手があらわになっていく。彼はわたしよりもはるかに軽いのだ。やがてひび割れから肩が出てきて、頭が出てきて、反対の腕が出てきて、胸が出て腰が出て両足が出て全体がさらされた。
「怪物だ……」思わずわたしは呟いていた。
彼はほとんど裸だった。五体の構成はかなりわたしに似ていたが、全体的にぬるぬるとしていて、とても自分と同じ生き物とは思えなかった。怪物だ。怪物だ。子供のころ、作り話でしか聞いたことのない、怪物というやつだ。作り話とは違って怖くはなかった。逆に、彼には愛嬌さえあるように感じた。顔はまあ、鼻がつぶれていることをのぞけば普通……と思ったら、彼には目玉がなかった。あるはずの場所は肌が黒ずんでいるだけであった。まぶたが閉じたままくっついているようにも見えた。また、彼には口があった。そこはわたしと共通している。唇は薄く、これも透きとおるように白い。きれいだった。
その口がゆっくりと開く。
「……た、す、け……、て」
わたしは彼の搾り出すような声に驚いた。
怪物の彼が、自分とほとんど同じ言葉をしゃべったからだ。
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衰弱していてそれっきり何も言わなくなった彼をなんとか地上まで引き上げ、背負うようにして自分の家まで連れて帰ったわたしは果たして正しかったのだろうか。幸い、誰の目にも彼の姿が触れることはなかった。もともとこの辺りは寂しいところである。彼は本当に軽かった。身体自体が小さかった。子どもなのかもしれない。怪物の子ども。
彼の出てきた穴も、わたしの掘っていた穴よりもはるかに狭く深い穴だった。彼の体にぴったりのその穴には、文字通り底知れない深さを感じた。
すべて彼自身がここまで掘って来たのか。彼は今まで生き埋めにされていたのか。彼は何なのか。疑問は尽きないが、その答えを知るのにそれほど手数はかからなかった。彼を家の一番奥まった、穴のように暗いところに寝かせて、さっきは気づかなかった傷に応急処置を施し、いくらかの水分と食事を与えると、彼はすぐに意識をはっきりと持つようになったのだ。
「あ、りがとううう」横になったまま、開口一番に彼はそう言った。たどたどしいものの、きちんと意味の通じる言葉で話したのだ。
わたしもおそるおそる彼に話しかけた。
「ねえ……、わたしの言っていること、わかる?」
「……はい。だいぶぶん。たぶん」
会話が成り立っていることで、目の前の小さな怪物が急に愛おしく思えた。弱々しい姿は哀れみを誘ったし、彼のかすれるような声からは何かが差し迫っているような印象を受けた。奇異の視線から彼を匿うだけでなく、もっと彼のことを知り、できれば彼のためになりたいと考えた。うっすらとした気持ちが現れた。これはいったいどういった気持ちだろうか。自分ではうまく言い表せないが、おそらく、誰もがいざというときのために備えている気持ちだろう。わたしの場合、それが今だったというだけだ。考えすぎかな。
わたしはさらに訊いた。
「あなたが自分であの穴を掘ってきたの?」
「はい。そうです」
「今まで、ずっと生き埋めにされていたの?」
「…………ごめんなさい。すこし、だいぶ……ぶん、わかりません。いきうめ?」
難しい言葉は知らないのだろうか。そもそも、なぜ彼はわたしたちの言葉を使うのか。なぜ使うことができるのか。それを聞こうとする前に、質問責めに耐えかねたのか、彼のほうから「あの……」と切り出した。
「なに?」
「ぼくはとおい、とおい、とおい、とおい、とおい、つちのしたからいきました」
「土の下?」
「ここより、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっとしたに、おおきくひろがっていて、ぼくたちがいます。でも、なかまはみんなしんだ。ぼくだけがいきた」
彼はさらりととんでもないことを口走った。仲間はみんな死んだ? 絶滅? 仲間というのは、つまり彼と同じような怪物がたくさんいたということか。土の下に。大きく広がってというのは、土の中に大きな空間が開いていて、そこで彼らは普通に生活していたということか。決して生き埋めではなく。わたしたちがここで普通に生活しているように。なぜ彼の仲間はみんな死んだのだろうか。食糧不足か、地崩れか、争いか。何にせよろくなものではなかっただろう。わざわざ訊きたくはない。わたしが関わる筋合いのない話だ。とにかく、彼だけが生き残ったのだ。彼が最後の怪物なのだ。最初で最後の。
ずっとを五回も繰り返すほど上にあるわたしたちのもとへやってくるのには、並大抵の労力じゃなかっただろう。疲労困憊で倒れるのも無理はない。でも、どうしてそこまでして彼はここへ。
「どうして、あなたはここにのぼってきたの?」
「ああ……、あなたは、やはり、ぼくたちを知らなかったのですね。なにもなのですね」そこで彼は大きく頷いた。「……ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと……たくさんずっとのむかしに、ぼくたちのむかしのぼくたちは、あなたのむかしのあなたたちから、にげてきたのです。よくわからないですが、うえのしがらみというものからぬけだすために、にげたのです。いいつたえとこじきが、そうあります」
「逃げてきた……。それじゃああなたは、わたしたちと同じ……」
彼の言っていることを頭の中で考えて整理しようとする。
怪物の彼とその仲間の祖先は、かつてわたしたちの祖先と同じ場所で生活していたということか。いや違う。そういえば彼の血は、自分と同じ赤色だった。傷を手当てしたときに見たのだ。もしかして、もともと、彼らとわたしたちは同じ祖先だったのだ。彼らの祖先が大昔に、しがらみから脱出するために下へ逃げた。それから今になるまでに色々あって、姿が変化してしまった。違う方向へ進んでしまった。きっとそういうことだ。自分としても、にわかには信じがたいけれど。何だか、自分がこれまでにしたことのない考え方をしているように思えた。自分どころか、他の誰だってまだやったことのない考えにも思える。
こじきとは何だろうか。どういう意味なのだろうか。わかりそうでわからない。言い伝えと同じようなものだと推測はできるが。彼はときどき、わたしの知らない言葉を使うような気がする。『生き埋め』も彼には通じていなかった。言葉も、わたしたちと彼らが違う方向へ進むことで、変化していったのかもしれない。それともわたしが単に無知なだけで、案外作業長なんかは知っていたりするなんてこともありうる。
まあ、意味のわからない言葉は無視しておこう。
「それに、まだ、りゆうがたくさんあります。そらをかんじる。たいようをあびる。それに、あなたにあうりゆうもあります」彼はやけに声を張りあげるようにした。
「わたしに会う理由って?」最後だけが気になった。
「あなたにあって、たくさんしって……」
ぼくは、じぶんはいったいなんなのかを、わかりたい。
そう彼は断言した。
自分はいったい何なのか。それはわたしの抱えている問いと寸分違わないものであった。わたしは彼に心の底から果てしなく同調するとともに、誰もがいざというときのために備えている気持ちがじわじわと濃くなっていくのを実感した。
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怪物の彼を匿ってからどれぐらいになるだろうか。わたしは彼とのおしゃべりがすこし楽しみになっていた。もちろん彼はまだ寝たきりなので、あまり無理をさせてはいけない。だから、食事中、彼が細く白い手をこちらへ伸ばして聞き役を求めたときだけ、ほんのすこし話を聞いてあげる。わたしからはほとんど話さない。最初にあまりに質問しすぎたせいで、その後彼の体調が悪化したからだ。身体に障ることはしたくない。話を聞いてあげることで彼の回復の助けになるならばそれでいいと思っていた。
「……そうすると、なめらめきます……」
「うん」
「……ぞろろくときがあるくらいで、あとはなにもです……」
「そうなの」
もう、言葉の微妙な違いは気にならなくなっていった。意味のわからない言葉は聞き流す、いや、そのままに受け止める。同じ問いを抱いているという絶対の共通点が、言語の些細な相違点を打ち消してくれる。
しかし、わたしには化石の発掘作業というものがある。そう長い間彼のそばにはいられない。これから先、彼をどうすればいいのだろうかと悩みながらわたしは屈強な男たちと共に作業をしていた。彼の出てきた穴は巧みに隠してあるし、第一あの穴にはわたし以外は滅多に入らないので、そこから怪しまれることはないだろう。
でも、いつか彼が元気になったとき、もはや彼はわたしの手に負えない問題になっているのではと思ってしまった。健康体に戻った彼はおそらく『自分がいったい何なのか』の答えを得るために、わたしたちの世界から彼らの世界にないものを見つけようとするだろう。怪物の彼の存在が周囲に発覚したとき、どのような惨事が起こるかわからない。誰か信頼できる相手に相談すべきだろうか。
考え込んでいると作業長に呼び出された。
作業長のもとへ向かったが、作業態度を注意されることもなく、かといってちょっとした用事を言いつけられることもなく、ただの雑談がはじまった。『チオハウス・パゲ・テモンスタ』教の話題が出た。なんだか新しい社のようなものをつくろうと計画しているらしい。この作業場所も候補地のうちに挙げられているそうだ。勝手な話である。最悪の場合、土地を奪い取られるかもわからない、と作業長は憂鬱そうに愚痴をこぼしたが、わたしにはどうしてそうなる恐れがあるのかわからない。土地の権利がいろいろとややこしいのだろうか、そう推察する。
作業長は、わたしが足の指の骨だと誤答した化石を手元でこねくり回している。正解は何だったか、たしか肩の骨だったような覚えがある。この化石は、いまだに何の動物の骨かわかっていない。しかしそれがわたしたちよりもはるかに大きな生き物であることは、その後見つかった別の化石で判明した。だからすくなくとも怪物の彼の仲間ではない。あんなに大きな骨のたくさんある動物は、今はどこにもいない、彼らのいた世界にだっていないのだ。
もしかして、その恐ろしいほどに巨大な動物が、わたしの、そして彼の根源となるのだろうか。
そんな考えが唐突に浮かんだ。すなわち、わたしたちと彼らは、かつてはこの巨大な動物と同じような姿をしていて、時を重ねていくうちに今のかたちになったのだろうか、という考えだ。いきなり頭の中に表れた問いにしてはかなり新鮮味のあるものだと自己評価した。きっと、怪物の彼の話に影響されたのだろう。
作業長はあの化石についてどう考えているだろうか。
ちょうどいいと思い、尋ねてみた。
「……さあね、わからん。そんなものはわからんよ。しかしお前はするどいな。時間をかけて考えればどんなやつでもたどり着くものなんだな」
「馬鹿にしているでしょう」
「いいや。……そうか、なるほど、だからお前は最初のころ自分探しとかなんとか言ってたんだな。はじめっから、考えすぎのお前は『あの考え方』を考えることなく隠し持っていたんだな。そうでなきゃ化石なんて掘ろうとするわけがない。本当の馬鹿は、化石を今はもういない生き物の死骸としか思っちゃいないんだから」
「『あの考え方』とは何ですか?」
「そうだな、今のお前になら話してもいいだろう。いいか?」
「はい」すこし心臓が高鳴った。自分が認められているように感じた。
「どうやら、俺たちは昔っからこんなんじゃなかったかもしれん。それはお前の言うとおりだ」こんなん、のところで手足を広げ直立し、自分の体躯を強調する作業長。「もちろん俺たちが産まれたときからこの身体で、時がたっても大きさ以外は何も変わっちゃいない。俺が言いたいのは、俺たちの母ちゃんの母ちゃんの母ちゃんの……そのまたずっと先の母ちゃんが、俺たちと違った姿をしていたかもしれんという話だ。それはお前が言うところの『わたしの根源』なのかもしれん。まあ、それがあの巨大な化石とは限らんがね」
「じゃあ、わたしたちもあの化石も、もともとは同じひとつの生き物で、そこから別々の道を進んでいったのかもしれないのですね」
「ああ。それもありうる。お前意外と……、その、なんだ、まあいいや。とにかく、これは今のところ俺たちしか考えていないまったく新しい考え方だぞ。どうせ理解なんてしてもらえないんだから、誰にも言うなよ」
作業長は、喋り方はぶっきらぼうだが、いつもより舌が回っていたし、心なしか嬉しそうであった。
もうひとつ思い出したことがあった。これも訊いてみよう。
「あの、もうひとつ質問が」
「何だ。とっとと言ってみろ」
「『こじき』とはどういう意味でしょうか」
「…………どこでそれを聞いた」
作業長の声色が低くなったので、わたしは動揺した。咄嗟にでまかせを口にする。「いえ、作業長から直接耳にしたと思いますが」
「ああ、そうだったかもしれんな……これは危ないな……」声色が元に戻る。「よく聞け。『こじき』こそ俺の最大の秘密だ。俺はそれを探しているんだ。それにはあらゆる古いものごとの積み重ねが書かれている可能性があるんだ」
「えっと……『歴史』でしたっけ。」
「そうだ。歴史だ。歴史のすべてがわかるかもしれないんだ。現在見つかっているものだけでは、ある程度昔までは遡れるものの、あるところで急にぱったりと途絶える。それ以前にも俺たちの祖先は生きていたはずなのに! まったく不明なんだ!」
いつのまにか作業長は語気を荒げていた。わずかに狂気を感じた。
「だから、研究のために『こじき』が必要なんですね」
「ああ。『こじき』の存在は、俺がある特別な経路から入手した情報だ。これこそ他の研究者に横取りされたらたまらない。くれぐれも口外するなよ」
「はい、了解しました」
そう素直に答えて、作業長のもとを去る。
なぜだか嫌な予感がしていた。さらさらとしているようで、一度まとわりついたら永久に離れない、そんな予感。
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そしてその予感はすぐさま的中する。
作業を終え家に帰ると、怪物の彼の容態が急変していた。彼は高熱を出し震えが止まらなくなっていた。顔色は白を通り越して無色に近かった。対照的に体じゅうに斑点ができていた。大量の汗が粘ついていた。傷口が膿んでいた。
高熱。止まらない震え。無色の顔。斑点。過剰な発汗。傷口の膿み。
彼の痛々しい姿を見て、わたしは呆然とする。
「え……ど、どうして、いきなりこんな――」
怪物の彼はわたしに気づき、こちらへ細い斑点だらけの手を伸ばした。食事中、おしゃべりの相手を頼むときのように。いつものように。でも、わたしの手が彼の手に触れても、彼は手を握ってくれない。やがて彼の手は力なく下へ落ちる。
「あ、あわ、あわ、な、かった……、み、みみみ、たい、です。です。です」
彼はうわごとのようにつぶやいた。存在していない目がわたしのことを見つめているように思えた。
合わなかった。適合しなかった。適応できなかった。体調不良の原因は疲労だけではなく、怪物の彼の世界からわたしたちの世界へ移る際の様々な環境の変化に彼の身体がたえられなかったということなのか。そういうことなのか。いやそんなことを考えている暇はない。すぐにどうにかしないと。でもどうやって? わたしに応急処置以外の何ができる? 考えている暇はない。考えている暇はないのに考えている暇はないと考えている自分が憎らしい。憎らしいとかも考えるな。考えすぎだ。行動しろ。
――そうだ。
作業長だ。もう、作業長に相談するしかない。
わたしは全力で走って作業場所まで引き返そうと決意したが、「まって」というか弱い声が、行動に移すのを押しとどめた。
それは怪物の彼の声だった。
彼の手はなぜだか真上を指していた。
「ど……どうしたの? 待ってって、何を?」わたしは焦っていた。
「まって、くだ、さい。お、お、ねがい、が、ああああ、ります」
「うん。お願いならなんでも聞いてあげる。でも今はそれどころじゃないでしょう? すぐに助けを呼んでくるから」
「おね、おね、がい。おねがいおねがいおねがい。きいて」彼は悲痛そうに叫ぶ。ありったけの力をふりしぼってわたしに懇願している。それはまるで泣いているかのようだ。「ちちちょうし、が、よく、なったら、と、かんがえて、いました。でも、もう、ど、う、か、わかり、ません。ません……」
だから、きいて。
ぼく、こじき、よみました。みんな、なんども、なぞりました。
ほんとうは、みる、ということ、して、よむ、らしい……いいえ、これは、いいです。
ぼく、いろいろ、しった。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、うえの、こと。たくさん。
そら。
たいよう。
ぼくたち、の、ところ、ない。
しりたい。
かんじたい。
さいごに、どうしても、そらの、たかさ、かんじたい。
たいようの、あたたたたかさ、あびたい。
おねがい。
ぼくを、そとに、だして。
「わかった」わたしは彼の真上に伸びた手を握りしめて大声で叫んだ。「約束する。絶対あなたを外に出してあげる。でも……」
彼も今度は握り返してくれる。
ほとんどないに等しい力強さだけど、でも。
「でも、最期じゃないよ。まだあなたは最期じゃない」
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わたしは決意したとおり全力で作業場所へと駆け戻り、その場に残っていた作業長に助けを求めた。どうしたのかと怪訝な顔をする作業長に、わたしは最近自分の身の回りで起こった出来事すべてを吐露した。怪物の彼のことも何もかも。
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黙ってわたしの話を聞いていた作業長は、そうか、あとは俺に任せろ、とつぶやいた。どこかへ連絡している。作業長の簡潔な言葉に安心しきったわたしはほとんど放心に近い状態になってしまった。
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話と違う。どうして『チオハウス・パゲ・テモンスタ』教のやつらがわたしの家にやってくるのだ。どこへ彼を連れて行こうとする。やめろ。彼はまだ生きている。彼はご神体なんかじゃない。彼はチオハウスでもパゲでもテモンスタでもない。彼は。なぜ作業長がわたしを羽交い絞めにするのだ。離せ。嘘つき。言い訳するな。『こじき』の情報源が『チオハウス・パゲ・テモンスタ』教だった? だから弱みがあった? 作業場所を諦めてもらうためにしかたがなかった? 彼を納めれば『こじき』調査にさらなる援助が? 関係ない。最低だ。彼を包むな。約束したんだ。彼を返せ。離せ。やめろ。やめろ。離せ。やめろ。お願い。やめて。
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怪物の彼は治療されることなく死んでしまった。
死体は『チオハウス・パゲ・テモンスタ』教の新しい社に奉られ、もう二度と姿を見ることはかなわない。
わたしは何も考えられなくなっていた。
考えすぎなわたしはどこにもいない。
仕事は辞めた。
もう働くことなんてできない。
自分探しなんてどうでもいい。
わたしの根源なんて、ない。
ただ、ひたっていたい。
彼がいない悲しみにひたっていたい。
でも、ひたれない。
ぽっかりと心に穴が開いてしまって、ひたることができない。
だから、何も考えずに、ぼうっとしている。
「そういえば」久しぶりに口を動かしたような気分だった。独り言が多くなった。ぽっかりと心に穴が開いてしまったわたし自身も、ぽっかりと開いた本当の穴の中に入って座り込んだままうつむいていた。彼とはじめて出会った、あの穴だ。わたしの掘った穴の底には、まだ彼の出てきた狭く深い穴がある。そこまで潜りこんでしまおうかとも思ったが、無意味なのでやめた。
そういえばそういえば。わたしは彼の願いを思い出す。正確には思い出すことなんてない。思い出すまでもなく覚えている。
ぼく、こじき、よみました。みんな、なんども、なぞりました。
ほんとうは、みる、ということ、して、よむ、らしい……いいえ、これは、いいです。
ぼく、いろいろ、しった。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、うえの、こと。たくさん。
そら。
たいよう。
ぼくたち、の、ところ、ない。
しりたい。
かんじたい。
さいごに、どうしても、そらの、たかさ、かんじたい。
たいようの、あたたたたかさ、あびたい。
おねがい。
ぼくを、そとに、だして。
「そら。たいよう」
彼の言っていた、そらとは、たいようとは何のことだったんだろう……。
そう思いながら、わたしは顔を上げた。
そして真上を向く。
真上。
彼が死のまぎわに指した方向。
そこには、なにもなかった。土と岩肌のほかには何も見えなかった。ただ、洞窟の天井があるのみであった。壁や地面とほとんど同じような景色しか、真上にはなかった。
彼は何を感じて、何を浴びたかったのだろう。
『そら』と『たいよう』の意味はわからない。
わからないけれど、わからないままに、何だかとても物悲しく思った。どこにもぶつけようのないどうしようもないやるせなさを感じた。
『あたたたたかさ』は暖かさのことだとわかる。今までの『こじき』や『なめらめきます』『ぞろろく』なども、すぐに意味がわかるものか、わからなくても問題のないものばかりだった。でも、『そら』と『たいよう』だけは、わからないままじゃいられない。考えることはもうできないけれど、意味を知りたいとは強く思う。
なぜなら、もしかしたらそこに彼を実感できるものがあるかもしれないから。彼の求めていたものを求めることで、何かが彼とつながるような気がしたから。そこにあるのは彼の根源なのかもしれない。わたしの根源なのかもしれない。わたしと彼の両方の根源なのかもしれない。ひょっとして全然違うものなのかもしれない。
でも、これは逃げなのかもしれないな、と思った。彼のいない現実からの逃げ。だけど逃げてもいいじゃないか。彼らの祖先はわたしたちの祖先とのしがらみから抜け出すために下へ下へと逃げたそうだけど、だからといってわたしたちの祖先が万物の基準であるとは限らない。実はわたしたちの祖先も、彼らの祖先が逃げるずっと昔に、もっと上から地面の下へと逃げてきたのかもしれない。しがらみから抜け出すために。だからある程度より昔には歴史が遡れないのかもしれない。歴史が一旦途絶えているから。たとえ『こじき』のような歴史を記録したものがあっても、それはひた隠しにされ、ごく限られた立場にしか公開されないのかもしれない。彼らの先祖の中には、『こじき』を新しい下の世界に持ち去ることのできた怪物もいたかもしれない。
なんでもいい。わたしはもう考えない。すくなくとも、真上の土くれの、さらに先には、『そら』と『たいよう』があるはずだ。だったら彼の遺志を継いで、それらを追い求めるのもよいのではないか。
「いいよね、きっと」
ふと、心の中がすっきりとしたような気がした。
気のせいかもしれない。
気のせいじゃないといいな。
わたしは穴の中から、毛むくじゃらの腕を真上に突き出す。彼のように。
〈了〉
『泡』原稿ですが、ここにも載せたほうがいいのかなと思いました。