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RRN-RLF-LLN-LLN-LRF(お題『陽射し』『実際』)

2012年03月11日 (日) 22時57分-17+1

 これまででもっとも難易度が高く、また重大なミッションになるだろうと思われた。いくつもの組織や企業と対峙し、全盛期には一国を相手取ったこともある百戦錬磨のこの私だが、今回に限っては三十年超のキャリアも塵同然と言えるだろう。積み重ねてきた経験はすべて白紙に戻したものと見做し、代わりに用心を重ねるべきだ。何故なら、標的は愛するわが娘なのだから。
 娘が送るメールの内容を入手する。
 それが今回が私が私に課した任務であった。
 メールというと携帯電話でやりとりするほうを思い浮かべる者が多いだろうが、私の狙いはパソコンだ。私は表向き、携帯電話のアプリケーション製作会社に勤めていることになっているので、娘のそちら方面への意識は非常に高いのだ。基礎知識こそ他のティーンエイジャーと同程度ではあるものの、スマートフォンを巧みに使いこなしており、ロックは勿論のこと、個人情報の類はどのアプリも勝手に引き出せないように設定している。
 だからといって、パソコンからならば容易く個人情報が手に入るというわけではない。娘が自分の部屋以外でパソコンを使うことなど滅多にないし、それにわが家のネットワークセキュリティは娘のスマートフォンに輪をかけて鉄壁であるからだ。この私が構築したのだから間違いない。今となっては悔やむばかりである。
 また、娘の部屋にこっそり隠しカメラを仕掛けてディスプレイを盗み見るというのもなかなか難しい。第一に、娘の部屋は内側からも外側からも鍵がかけられるようになっておりその鍵は娘自身が肌身離さず持ち歩いている。第二に、娘のノートパソコンはディスプレイに光沢系の保護シートが貼られているため斜め角度からは照明の映り込みが激しい。第三に、一般過程での小型カメラの複数使用は電池を小まめに交換する必要がありコスト・リスクの両面で問題がある。そうだ、娘のプライバシーも尊重しなければならない。大事なことを忘れるところであった。
 盗聴器を仕掛けるのも同様の理由により却下である。そもそも壁や机やぬいぐるみなどに埋め込むようでは人間の声ならまだしもタイピングの音は聞き取れまい。仮に聞き取れたとしてもノイズ混じりのそれから打鍵された文章を読み解くことなど不可能である。
 そこで、振動である。
 私は娘の癖を知っている。何か書きものや作業をしているときに、自分のスマートフォンを手元近くに置くという癖を。ノートならノートの上に。ノートパソコンならノートパソコンの上に。
 スマートフォンの加速度センサ。それで、タイピングの際の振動を読み取ることができる。個人情報や音声録音などとは異なり、加速度センサについてはプロテクトがほとんどない。ユーザの意志に関係なく、振動情報を外部へ送信することができる。
 キーボードを叩く程度の振動でどうやって文章を読み取ることができるのか。あらかじめ辞書を作っておくのだ。単語をローマ字に変換し、二文字ずつの組にする。たとえば『彼氏』なら『KA』『AR』『RE』『ES』『SI』というように。さらに組み合わせそれぞれについて、キーボードの左側(L)か右側(R)か、互いが近い(N)か遠い(F)かを判断し変換する。先ほどの組み合わせの場合は『RLF-LLF-LLN-LLN-LRF』となる。このように符号化したものを大量に辞書登録しておき、振動から推測して得たデータと照合して元の単語そして文章を復元するという仕組みだ。
 もっとも、この技術はもともと英文を対象として研究・開発されたものなので、分かち書きをしない日本語を読み取るにはスペースキーの扱いに注意しなければならない。特徴的な符号や振動の間隔などから単語と単語の区切りを識別する必要がある。
 私が作った復元ソフトは独自の符号化システムを採用したものとなっており、最大94%の精度で文章を復元することができる。そしてすでに娘のスマートフォンには偽装アプリケーションが仕込まれている。簡単なゲームだと娘に教えたらゲームより簡単に騙された。その辺りはまだまだ子どもだと言えよう。
 動きがあったのは、娘が偽装アプリをダウンロードした翌日の正午であった。日曜日で、妻は書斎(の本棚の裏)にこもりきりの私を置いて独りで映画を観に出かけていた。ボディの疵が増えてなければ良いのだが。
「来た!」
 私は思わず叫んでいた。昨夜から復元ソフトをリアルタイムで稼動させつづけていたのだが、ついに特徴的な振動情報が送信されてきたのだ。スマートフォンがノートパソコンの上にあるのは確実であった。
「よし、いいぞいいぞ……」
 防音設計なので、隣の娘の部屋にこちらの声が漏れることはない。もうひとつの仕事場にして、妻の邪魔が入ることのない唯一の空間である。目の前のディスプレイには複数のウィンドウがあり、その中のひとつが復元ソフトの挙動を伝えている。
 すこし経って、メーリングソフトが立ち上がったようだと分かった。キーボードを使わない操作にはまるでお手上げの復元ソフトだが、やっぱりカメラも仕掛けておいてよかった。いかにして私が娘の部屋の合鍵を入手したかは、また別の物語である。
 愛らしい後頭部の向こう、白い画面に次々と文字が打ち込まれてゆく。さすがにカメラが遠くてそのまま読むことはできないが、メールの本文を作成していることが分かれば充分だ。あとは復元ソフトに任せておけば。
「…………ん?」
 ところが、初っ端から復元ソフトは二つの選択肢を提示してきた。
 すなわち『陽射し』と『実際』だ。
 HIZASIとJISSAI。確かにキーの位置が酷似している。『HI』『IZ』『ZA』『AS』『SI』と『JI』『IS』『SS』『SA』『AI』、どちらも符号化すると『RRN-RLF-LLN-LLN-LRF』だ。どちらが元の単語なのか、復元ソフトには判断がつかなかったということか。
 いくら私の復元ソフトが94%の復元率を誇ると言っても、最初の単語というのはどうしても選択肢が広がってしまうものなのだ。それでも今までのケースではあらかじめどのような内容の文章であるかが判明していたため、人の手によって文脈に沿うよう文章の流れを調整できたのだが、今回ばかりはそうもいかない。
 いやはや、これは困った事態になった。
 どうやら私が推理しなくてはならないようだ。
 どちらのほうがメールでよく使われるかと言えば、やはり『実際』だろう。『実際』ならばどんな文でも後ろに来そうなものだ。思春期の女の子が太陽光の照りつけ具合を最初の話題にするとは思えない。外出時に携帯電話から現在地の天気を報告することはあるかもしれないが、娘は自室にてパソコンでメールしているのだ。ここで一応外の天気を確認する。この部屋に窓はないのでウェブ経由で。
 期待に適わず、快晴であった。
 待てよ、と考え直す。はたして私の娘は『じ』を『JI』と打つ人間であっただろうか。私自身は『ZI』と『JI』が半々というか、運指の短いほうを押すという感じなのであまり意識していなかったが、普通は『ZI』と打つのではないか。Zならばザ行すべてに対応しているのだから。いや、そのようなことで断定はできない。『SI』と『SHI』なら間違いなく『SI』だろうが……。
 時候の挨拶。それなら『陽射し』始まりでも納得がいく。目上の人が相手なら、たとえメールであっても時候の挨拶などといった作法は守るのではないだろうか。特に尊敬する人物にしたためる場合には。しかしそれなら『拝啓』で始まるのではないか。では、何かの比喩表現というのはどうか。愛を込めたポエムの書き出しとか。愛だって? 冗談じゃない。
 思考は混迷を極め、『庇』や『兆し』、その他人名についても検討してしまう。 復元ソフトが選択肢から省いているのにも係わらず。
「ううううむ……」
 悩むあまり、唸るような声が出てしまう。天井を見上げながら頭をかきむしるのがやめられない。こんな出だしでつまづいているようでは、いつまで経っても先に進まないではないか!
 そのとき、はたと気づいた。
 私がしばらく考えこんでいる間、復元ソフトはずっと振動情報を読み取っていた。これだけ長いメールなら、かなりの情報量になるはずだ。完璧に復元した単語もいくつかあるだろう。そこから全体の文脈や『JI』の頻度を分析すれば、『陽射し』と『実際』どちらが正しいのかがわかるのでは。
 いやいや、もはや『陽射し』と『実際』にこだわらなくとも、そのデータを『彼』なり『好き』なり何なりで検索すれば……。
 そう思って画面のほうを向き直すと、娘がカメラ越しにこちらを見ていた。
『ハロー。パパ』
 やっぱり盗聴器仕掛けておいてよかった。じゃなくて。
「お、お前、どうして」
『今、どうして、って言ったでしょ。あたし全部わかってんだからね』
 画面の向こうの娘は、まばゆいほどの笑みを浮かべている。私は視線を合わせることができず、わずかに下にそらした。その笑顔はどうしようもなく妻に似ていた。目が笑っていないところまでそっくりだ。
 全部わかっているとは、私が娘のスマートフォンや部屋に仕掛けた数々の装置のことを指しているのだろうか。
『だってあたし、パパの娘よ』
 それとも、私の本業のことまでも。
『ごめんねパパ、今までずっと、でたらめに文字を打ってただけなの。家具や鉢植えの位置が微妙に変わったことに気づかないほどあたしは鈍感じゃないし、着るときの順番だけを考えて下着をパジャマの上に置くほど子どもじゃないのよ。ママが帰ってきたら言いつけちゃうから。パパがあたしの部屋に無断で入ったって。部屋の鍵目当てで、あたしがお風呂に入っている間に脱衣所をあさったって』
 ああ、それだけはご勘弁を!
 ――こうして私の行いは、実の娘によって白日の下に晒されることとなった。



参考資料
http://japanese.engadget.com/2011/10/23/iphone-pc/
最終更新:2014年02月17日 14:54