アットウィキロゴ

I love you. を訳しなさい(西本歩浩)

2012年03月13日 (火) 19時25分-西本歩浩


問い:“I love you.”を訳しなさい。


「あれ?」
 僕が大学からの帰りにスタッフォードの街をぶらぶらと歩いていると、ジェイルゲートストリートの喫茶店に、キャロラインがいるのを見つけた。
「やあ、キャリー」
「あら、ブライアンじゃない」
 キャロラインは読んでいた本から目を挙げると微笑んだ。
「座ってもいいかい?」
「もし、その席はとってあるの、って言ったら?」
 僕は肩をすくめて、
「じゃあ、その人が来たら、『本命は僕なんだ』って言ってやるさ」
 彼女は首を振りながらちょっと笑った。
「残念ね、本当は誰も来ないわよ。座って」
 了承を得た僕は、喫茶店の店先にあるテーブルでキャロラインと相席になった。
「何の本を読んでいたんだい?」
「これ?」彼女は手に持った本の表紙をこちらに見せてくれた。茶色の地に、何か中国語のようなごちゃごちゃした文字が縦に並んでいる。
「これはナツメソウセキの本よ」
「誰、それ?」
「日本の有名な文学者よ。私、日本語の勉強してるって言ってなかったっけ?」
「ああ、言ってたね」
「それで、ちょっと難しいけど、この本に挑戦していたところよ」
「へぇ。熱心だね」僕にとっては世界の反対側の人間のことのように思えた。
「この人は、日本の文学界に大きな影響を及ぼした人なのよ。日本では知らない人はいないって言われてるわ」
「会ったことあるの?」
「ないわよ。もう一世紀も前の人よ」ちょっと笑いながらキャリーは言った。
「でね、いま本を読んでるんだけど、この人にはいろいろと面白い話があるのよ」
「例えば?」
「例えばこの人は、文学者になる前は英語の教師をしていたらしいわ。ちなみにその後にはこのイングランドに留学もしたみたいよ」
「へぇ? そりゃ初耳だね」世界の反対側からわざわざこの国まで。当時にしてみれば凄いことだ。
「それで、授業の中で"I love you."をどう訳すか、と生徒に問いかけたのよ」
「当時から随分とアグレッシブな授業をしていたようだね」僕は笑いながら言った。
「本筋はここからよ。彼の生徒は日本語でそれらに相当する言葉にそのまま訳したの」
「何て?」
 キャロラインは一度咳払いをして、
「Watashi-wa-anata-wo-aishimasu」
「へぇ」僕はにやにや笑いながら言った。何だか、彼女がでたらめに喋っていたように思えたからだ。
「これは本当よ」いくらか傷ついたように彼女が言ったので、僕は慌てて謝った。
「ごめんごめん。それで、その続きは?」
「ソウセキは、それではダメだ、と言ったらしいわ。そのまま訳すべきではないって。それで、生徒にお手本を聞かせたのよ。こう言ったらしいわ」彼女は一呼吸置いてから、「Tsuki-ga-kirei-desune」彼女は情感を付けてそう発音した。
 今度は何とか笑わずに済んだと思った。
「それはどういう意味?」
"It's a beautiful moon, isn't it?"
 僕はとうとう大笑いしてしまった。彼女は顔をしかめ、周りの客にもじろじろと見られてしまった。
「そりゃ傑作だ!」
「ジョークじゃないって言ってるのよ。彼は当時の日本の文化ではこれが適切だと考えたらしいわ」
「だからと言って、どうして月の話に繋がるのさ?」まだ僕には笑いの余波が残っていた。
「奥ゆかしさ(grace)の文化よ。当時は、直接的な表現をするよりも、婉曲的に言う方が日本人の心情に合っていたのよ。情景への表現に、あえて大切な人への感情を仮託したのね」彼女の説明はとても論理的に聞こえた。
「なるほど。海の向こうの人は思いも寄らぬことを考えるものだね」
「まあ、これも昔の話よ。今もこんなことを考える人は少ないでしょうね」
「うん。でも、面白い話だったよ。ねぇ……、キャリー」あることを思いついて僕は、急に真顔になってみせた。
「何? どうしたの?」彼女はまごついたようにこちらを見つめる。
"I love you."僕は言った。
 彼女は数秒間固まっていたけれど、やがてこちらの意図に気付いてくれたのか、口の端に微笑みを浮かべた。「それはどういう意味?」
「今週末映画を見に行こう(Let's go to the cinema this weekend.)」
 キャリーは顔を下げて苦笑してくれた。「あなた、何にも分かってないじゃないの」
「いや、分かってるさ」至って大真面目な風で言った。"It's a beautiful moon, isn't it?"が許されるのなら、何でもありだろう。全ての言語は"I love you."で出来ているのだ。
「じゃあ、ブライアン、これが私の答えよ」キャリーは僕にも負けない、いたずらっぽい笑みを浮かべるとこう言い放った。
"I love you."
「意味は?」
「よろこんで(Would love to.)」
 今度は僕ら二人ともが大笑いしてしまった。

 答え:「今週末映画を見に行こう」、「よろこんで」

 

(追記 なんかおちょくったような感じになってしまいました。ちなみにスタッフォード大学に日本語学科があるかどうかは一切知りません。)

最終更新:2014年03月16日 11:23