2012年03月14日 (水) 23時00分-エンディミオン
問い:"I love you." を訳しなさい
これはいったい……何の冗談だ?
時計を見る。開始してから三十分しか経っていないから時間は多分まだ大丈夫だろう。しかしあと一時間の間に、俺はこの難題、というか問題として成り立っているかにすら疑問を抱くこの文字列を解き明かす事が出来るのか。宣言しよう。解けないに五万賭ける。
こういう時は前に戻るのが鉄則だと誰かに聞いた。聞いたといったら聞いた。絶対聞いた。だからそういう事にして欲しい。お願いします。いや、確か下手に出るとろくな事がないと聞いた事があるからやっぱり取り消す。とにかく聞いたんだこの野郎。
いかん。俺とした事が取り乱した。集中しなければ。まず問一に目を移すと、ついさっきも見た問題文が視界の中心を重力と垂直方向に伸びていく。それはまるで暁の空に浮かぶ雲が山の端から吹き抜ける風に乗って海の向こうへ旅に出るようで……今そんな事は関係ないじゃないか。テスト中に悠久の景色を想像しろ、なんて誰が言った?
問一は語句の穴埋め問題(問題数10、各2点)だ。もちろんここに全ての問題を列挙する事はしない。なぜかって? そんな事をしてもだらだらした文章が、しかも法学部のマニアックな文章が、理不尽な程広い領域を不法に占拠するだけだ。つまり法学部のマニアックな文章がだらだらと理不尽な領域を不法に占拠する事になってしまうのだ。由々しき事態である。ちなみにここで「不法」という言葉に注目してはいけない。〇〇法違反なんて書くのは……ここまで言えばもう十分だろう?
時計をもう一度見る。あと四十五分だ。案外時間を取られてしまっている。それに対して得られたものが無い事を考えると、後悔と共に「タイムマシン」があれば良いと思うのだが、よくよく考えると多分本当にタイムマシンが使えたらもっと前に戻るに違いない。そして幼い頃の自分に向かって言うのだ。汝自身を知れと。気が付くと残りが四十分になっている。何という皮肉! 時間を操るタイムマシンが、時間を浪費させるなんて!
どうやら問一にヒントは隠されていないらしい。どう頭をひねってみても関係があるとは思えない。だから俺は問二に意識を移す事にした。こういう場合、漫画やアニメでは「ここは違う」と主人公が言えば絶対にそこは違うから大丈夫だ。漫画やアニメと現実なんて、大して変わらないだろ。せいぜい首チョンパの仕方が違うくらいだ。
問二は語句説明(問題数2、各10点)だ。問題数と配点が問一とクロスエクスチェンジしているが多分意味は無い。意味があっても別に良いが、そんな事に気を遣うならもう少し普段の講義を工夫して欲しいものだ、あの教授は。まぁそんな事より、「クロスエクスチェンジ」はさっき思い付いた言葉なんだが、絶妙なダサさ加減に俺自身驚愕し心酔している。皆も言ってみよう。必殺、クロス☆エクスチェンジ!
民法の試験中に腕を振り上げた意味不明な学生に向けられた試験監督の刺す様な視線が心地よい。この調子だ。このまま読み進めて行けば、意味不明な世界の中でより意味不明な空気を醸す問三に太刀打ち出来る。そういうふうに確信出来ると確信している。
さて、迷宮入りだ。時計を見ると、残り時間はカップラーメンが十個作れるというところまで減っていた。ここで「三分かぁ。一気に十個作っちゃダメなんて言ってないもんね♪」なんて呑気に言っている者は即刻去れ! 最初から読んできたなら、俺がそんな微妙過ぎるミステリーを仕込む男じゃない事も容易に分かるだろうに。やるなら徹底的にやる。ただし何度も言うが、今は民法の試験中である。そんな事をやっている暇も余裕もない。だから「仕込む人間」と言わずに「仕込む男」と言ったのだ。そこ! だから考えるなって。
問三にはただこれだけ書いてあった。
『"I love you." を訳しなさい。』
「これだけ」というのはまさにこれだけなのである。別に俺が悪意で書いていないんじゃない。アンフェアなのは嫌いなんだ……というようなクールなセリフが言えれば良いのだが残念ながらそれは叶わない夢だ。そういった事を言わないのが俺だとかそういう理由でもなく。ただ単に今が民法の試験中だからである。
いたしかたない。可能性を一つずつ消していく事にしよう。あまりインテリジェントな方法ではないが、もはや手段を選んでいる暇はないのだ。「もはや手段を選んでいる暇はない」という言葉は俺に、とんでもない罪を犯しているのではないかという疑問を抱かせたがその疑問はすぐに消えた。昨日も「手段を選んでいる暇はないんだ!」と言っていたが、その時は何の躊躇いも無くゲームの中の人を何人も斬ったじゃないか。アニメやゲームと現実なんて大して変わらないと誰かに聞いた。聞いたといったら聞いた。
まずはやはり法学部の原則に従う事にしよう。では法学部の原則とは何かという問題が浮かび上がってくるが、それこそが法学部の原則である。使われている文言の意味を探求する事が、法学部に所属する者にとって第一にすべき事なのである。まだ一回生である俺が「法学部の原則」などと言ってしまうと生意気の謗りを受けるかもしれないので民法総則の原則という風に訂正する事とする。はぁ。全く気を遣う事の多い世の中だ。
では『"I love you."
を訳しなさい。』という文言はいかように分析されてしかるべきか。例えば民法典にはしばしば「善意の第三者には対抗できない」という言葉が登場するが、これについて「善意」とは何か。「第三者」とは誰か。「対抗できない」とは具体的に何が出来ないのか。少なくとも俺が受けた民法総則の講義では、そういった事を第一に検討していた。従ってまずは、この手順を問三に適用してみようと思う――しまった。マニアックな文章は書かないって言ってたのに……何もかも論理的に進むと思うなよ!
先の例と同じようにするなら『"I love you." を訳しなさい』で問題になるのは"I love
you."のみであろう。なぜなら「訳しなさい」はここでは問題とは関係ない設問部分と考えるべきだからだ。そうでなければ聞きたい事が何なのかさっぱり分からない。その上で「訳しなさい」に分析の余地があればその必要性が生じてくるわけだが、どうやら今回はそれについて心配はいらないらしい。ここは文字通り"translate"すれば良いと思われる。もしそれ以上の意味があればこれから考える事は全て"water
bubble"に帰すわけだが、そんな事今は構っていられない。それにもしそうだったとしても、多分俺には"understand"出来ないしそこから先に進めるとも思わない。え? 英語が時々混ざってるのは何か狙いがあるのかって? NO! ただの思い付きです。最初は全部英語にしてやろうかと思いましたが、「構っていられない」がパッと英訳出来なくてやめました。てへっ☆
気持ち悪い読者の事は放っておいて本題に戻ろう。ここからがまさに本題だ。"I love
you."の分析を開始するのである。最初俺は単語毎に区切って考えようとしたがやめた。なぜならそんな事をすると、出来る事はというと語源に遡る事くらいしか思い浮かばないのに、異様に長くパソコンの前に縛り付けられる自分の姿が容易く想像出来てしまったからだ。考えるだけでも恐ろしい。もう随分余計な事を言って話が長くなっていると言うのに。
とにかく単語に分けて考えるのはやめよう。それこそ俺のスペックを超える行為でもあるし、それにそれでは木を見て森を見ていない。さっきは「訳しなさい」は設問部分であって問題とは関係がないと言ったが、"I
love
you."がおそらく英語である事を考えるとやはり同じ思考空間で語られて然るべきなのではないかという考えが同時に俺の頭には浮かんでいた。もしそうならさっきの「問題とは関係ない設問部分」だとかその先にある乱心の件は全く必要なかった事になるかもしれないがそんな事は気にしない。だって別に誰も聞いていないわけだし。民法の試験中だから。
"I love
you."という言葉からまず分かる事は、この文章がSVOから構成される第三文型の様相を呈しているという事だろう。しかしだから何だと言うのだ。そんな事が分かっていても何の役にも立たない。せいぜい塾講師として教える時にためになる程度である。では意味はどうか。"love"という単語の意味は何だったか。確か「愛する、惚れている、喜ぶ、賛美する、好む、よく育つ、愛撫する」だった気がする。多分合っていると思うし、一部の人の辞書に記載されている意味と見事にマッチングすると確信している。まぁそれはそれとして一瞬、鉤括弧内最後の意味を採用してふざけてみようとしたがやめた。理由は一つ。これ以上女性の読者を失いたくないのである。
"you"の方はというと、「人称代名詞二人称主格および目的格、あなたそっくりのもの」といった意味合いだったと思う。「あなたそっくりのもの」という表現は小説家魂をくすぐる不思議な言葉だが、一学生として試験に臨んでいる俺は秒速の単位で見送った。元々は複数形だったというどこかで聞いたような話が頭の隅をよぎったが、それでストーリーを構築する事も遂に無かった。いやぁそれにしても、あの話は傑作だったなぁ。
俺はそれ以降もあらゆる可能性を模索した。もしかして"y"じゃなくて"v"なんじゃねぇ? とか、まさかピリオドと見せかけた極小QRコード!? とか。教授のマジ告白に使セリフを考えさせられているのだとしたら許されざる越権行為だ、などと正義感に溢れた考えを抱いていたのも今となっては良い思い出だ。思い出と言えば。話は変わるが、地下鉄の切符を買おうとした時の嫌な思い出がある。一方の発券機に「千円札・五千円札・一万円札が使えます」と書いてあるにも関わらず、もう一方には「千円札が使えます」と書いてあった。これはどういう事なのか。普通だったら「千円札しか使えません」と書くはず。それにも関わらず堂々と「千円札が使えます」と書いているんだから、きっと何か理由があるに違いない。全部使えるのだが、発券機側としては千円を使って欲しいという事だろうか。「えっ、一万円? 千円使えるよ。いやだから、千円使えるって!」という事をこの発券機は言いたいのであろうか。あるいはこれは発券機ではなくただのハリボテで、「千円って、使えるよね」という謎のダンディーからのメッセージなのだろうか。しかし待て、そうだとしても、何故そんなものがこんな場所に。朝の時間帯だったら、通勤通学で急ぐ人々にはとんでもない迷惑だろうに……いや、違う! そうだったんだ。やっぱりメッセージ、警告のメッセージだったんだ。寝ても覚めても、いたずらに急ぐ現代人へのメッセージ。急いでいる人々には見向きもされないという矛盾をはらみつつも、静かにこの世界の真理を語るヒエログリフ。まさかこんなところにあったとは。気付かなかった。いや、気付こうとしなかったという方が正しいのかもしれない。なぜなら俺はこれを一年近く見てきているし、硬貨を片手に真剣な眼差しで向き合う事も多々あったから。多分、目を背けたかったんだと思う。この世界を見通してしまう事が怖かった。自分は目の前にあるものだけを見ていれば十分だと思っていた。けれど今目の前には発券機がある。俺の瞳にこの世界を映している。それは一見古びたただの発券機で、しかし本質はこちらとあちらを繋ぐ鏡だった。緑と銀色の表面に映る自分の顔は、光の中で歪んでいた。泣いているようにも見えた。いや、実際のところ涙が出ていたんだ。なぜならその時鏡の向こうにいる素直な方の俺は、俺が十年前に体験した駐車場に関する嫌な思い出を語り始めていたから――
……残り三分。学生達はあの問題を、"I love
you."を訳せただろうか。混迷する現代の世界の中で、学生達もまた、混迷している。きっと時間が迫る今もまだ、頭を抱えている学生がたくさんいるに違いない。自らの網に捉えられた、哀れな彷徨い人達が。
私からのメッセージが届いてくれる事を願う。今日伝わればそれで良いが、一週間後でも、十年後でも構わない。急ぐ事はない。辿り着く事が大切なのだ。
混迷を極める学生達へのメッセージ。この言葉が、一人でも多くの学生に伝わり、彼等の生涯に一滴でも伝う事があれば、それが教授である私の本懐である。
答え:素直になりなよ
* * *
滑り込みセーフ、ですよね?
最初は7000字以上あったんですが、締め切りに間に合わせるために削りました。いろんな人に「今日中に絶対終わらせる!」って言っちゃったもので……。
クオリティ面に大きな不安があり、最後まで投稿するか否か迷いましたが、夜中のテンションに任せる事にしました。なので多分明日の朝、反省します(笑)
最終更新:2014年02月17日 15:05