2012年03月30日 (金) 08時32分-すばる
○○県××市内のマンションで、女性の変死体が発見されたのは七月十九日、木曜日のことであった。
遺体が置かれていたのは寝室のベッドの上、会社の同僚が、出勤時間になっても被害者があらわれず、何の連絡もなかったため自宅に様子を見に行き、不審に思って管理人と共に部屋に入り発見に至ったという。
被害者は、派手な赤色の髪が印象的な、二十代から三十代くらいの女性だ。首には索条痕と吉川線、おそらくはひも状のもので首を絞められたのだろう、玄関において、傘立てが倒され、鉢植えが割られていたなど争った形跡があることからドアを開けたところを襲われた可能性が高い。
「被害者の名前は本橋紀子三十二歳、クレセントローズというデザイン会社所属のデザイナーです。」
「どうして手が組まれてないんだ? ここまで運んで、瞼まで閉じられているのに、それだけしない理由がわからない。」
部下新出の報告を無視するかのように、大島はつぶやいた。
「紀ちゃんは、そりゃちょっと厳しかったけど、だけどそれも教育っていうか、愛の鞭ってやつですよ。」
大島は大矢龍に缶コーヒーのプルタブを開けて渡した。携帯電話の通話履歴の一番上に名前のあったこの男は、金髪に付け爪と、随分派手な格好をしている。
「彼女が誰かに恨まれていただとか、変わったことがあったとかいうことは聞いたことありませんか?」
「さあ、聞いたことないですね。ただ、ああいう仕事してると、ライバルとかって多いんじゃないですかね。」
「そう、ですか。ありがとうございました。もし何か思い出したことがありましたら、どんな些細なことでも構わないですのでこちらまで連絡してください。」
大島は大矢龍に自分の名刺を渡す。
「刑事さん、とにかく早く、紀ちゃん殺した犯人、捕まえてくださいよ。」
彼は最後にそう言った。
「紀子さんの評判、ですか? あまり、よくなかったと思います。確かにデザインは画期的で、とても、優秀なデザイナーだとは思うですけど、性格が、よくなかった、というか、とにかく自分勝手で、とくに同僚とか、自分より地位が低い人に対しては、かなり風当たり強くて、気に入らないと執拗に嫌がらせして、それでやめちゃった娘や、自殺、しちゃった娘も……」
被害者の同僚、東谷恭子は人目をはばかるように、最後の言葉は途中までしか聞こえなかった。
「その、自殺した方、というのは?」
「あの……私がしゃべったとは、だれにも……」
「大丈夫です。誰にも言いません。」
「死亡推定時刻は十八日、午後八時から九時の間、外傷は、首の傷のほかに両足の踵に擦り傷がありました。生活反応はなく、遺体を移動させるため、引きずってできたものと思われます。また遺体左手中指の付け爪が取れ、いまだ発見されていません。さらに、犯人は遺体を、ベッドに運ぶ前に風呂場で洗っていた、ということがわかりました。被害者の評判はあまりよくなく、恨んでいる人間は多そうです。とくに三か月前に自殺した寺井咲という女性については、車内で複数の人間から被害者の執拗な嫌がらせが自殺の原因ではないかとの証言が出ています。また、交友関係につきましても、携帯電話の履歴を調べたところ、二人の男性と同時に交際していた可能性が高いことがわかりました。一人はデビルロータスというインディーズのボーカル、大矢龍。アリバイはありません。もう一人は外資系企業に勤めるサラリーマン、山浦充一。ですが山浦は三日前から出張でカナダに行っており、アリバイは完璧です。」
「でも、随分と丁寧に扱ってますよね。わざわざ湯灌してベッドに寝かせるなんて。ですからきっと、星は被害者の恋人ですよ。浮気が原因で殺してしまい、でもやっぱ好きだった、ていう。」
「だが足は引きずっている。丁重に扱うなら、こう、抱えるだろ。それらの行いには何らかの目的があったのかもしれない。」
「犯人は女性なんじゃないですか? 被害者を持ち上げることができずに、仕方なく引きずった。」
「さっき星は恋人だろうって言ったばかりだろう。」
さすが新米、新出の推理は、相変わらず荒っぽい。
「娘が死んで、悔やまなかった日はありません。どうして気づいてあげられなかったのか、どうして何もしてやれなかったのかと、後悔してもしきれません。主人も、娘が死んだ半月後に後を追って。あの女のことは、いまでも許せません。娘のすべてを奪った、あの悪魔。ですから、どなたかは存じませんが、犯人には感謝しないといけませんね。」
本橋紀子の嫌がらせが原因で自殺したという女性、寺井咲。彼女の母親、寺井紗代は臆することなくそういった。
「寺井さん、十八日の夜、八時から九時の間、どこにいましたか?」
「アリバイ、ですか? まあ疑うのも無理ないですよね。」
「いえ、これは形式的なものですので。」
「そうですか? 一昨日の夜、でしたら、一人で家にいましたよ。残念ながら、証明する人は誰もいませんが。」
「そうですか。わかりました。それで、失礼ながら、咲さんの部屋を調べさせてもらっても、かまわないでしょうか?」
「それでしたら、どうぞ、ご自由に見てってください。三か月前から何一ついじっていませんので。」
そういって彼女は立ち上がった。その時になって大島は、ふと、あることに気付く。
「左手、怪我されてるんですか?」
「ええ、どうもどんくさくて、この前包丁で切ってしまったんです。」
寺井咲の部屋は、たしかに各種家財道具からデザイン画までが残されていた。おそらく片づけることで娘の死を認めるのが怖かったのだろう。その部屋を見て、大島は寺井紗代に問う。
「この部屋には、だれか入りましたか?」
「はい、私と、亡くなった主人と、それから、幸坂さんが。」
「幸坂さん?」
「はい。」
言って彼女は、机の上に飾られた写真立てを示す。やや埃のかぶった写真立てに映っているのは、もはや写真の中にしかいない笑顔の女性と、彼女と腕を組み、同じく笑顔を浮かべた男性。
「いやあ、暑いですね。」
そう思うならもう少し涼しい格好をすればいいのに、と思う。そんな考えが顔に出たのか、幸坂祐大が付け加えた。
「これ、咲のデザインした服ですから。」
「へえ、そうなんですか。ああ、もしかして寺井さんって、実は結構な売れっ子だった、とか。」
「いえ、そんなことはなかったです。まだ駆け出しでしたし、この服も、咲の手作りなんです。」
「そうなんですか。ところで、本橋紀子という女性と、面識は。」
「ないです。会ったことは。名前、だけは知っていますが、あんな性根の腐った女、俺の知り合いにはいません。」
「そうですか。それでは最後に一つだけ、十八日の夜八時から九時の間、あなたはどこで何をしていましたか。」
「ああ、その時間でしたら、家で、一人で飲んでいましたよ。」
「紀ちゃんが浮気、ですか。」
「おや、あまり驚かれないんですね。」
「何となく、と言いますか、薄々は気づいてたんです。俺たち、まだぜんぜん売れてないですしね。それがどうかしましたか?」
「いいえ、ただ、彼女の浮気を知って、かわいさ余って憎さ百倍、なんてことも。」
「馬鹿なこと言わないでください。俺が紀ちゃん殺すわけがないでしょ。なんですか、そんなことまで穿り返して、本当に犯人捕まえてくれるんですか?」
東谷恭子から連絡があった。思い出したことがあるから話がしたい、と。それで大島は、クレセントローズの待合室で彼女と落ち合った。
「実は、この前紀子、酔っぱらった時に、この前誰かがつけてきた、って言ってたんです。でも、紀子って自意識過剰なとこあったから、どうせ気のせいだって、思って、それから何も言わなかったし、すっかり忘れてしまっていたんですけど。」
「そうですか、ありがとうございました。大変参考になりました。」
そういって大島が立ち上がった、その時、ふと、飾られていたマネキンの着る服に目がいった。
「ああ、その服、紀子のデザインした服なんですよ。彼女、嫌われてはいても、会社にとって重要なデザイナーではあったんです。」
そう、東谷恭子が説明する。確かに、紀子のデザインと、そういった、その服は、寺井咲の部屋で見たものと、瓜二つであった。
「ストーカーって線も出てきましたね。」
「だが本橋紀子は寺井咲のデザインを盗作していた。それを知った彼女の知り合いが犯人ということも十分考えられる。ストーカーというのも、そのための準備なのかもしれない。」
「本橋紀子の自宅を尾行して突き止めたってことですか。」
「その可能性も十分ある。だが……」
「何か引っかかっていることでも。」
「何のために死体を洗い、ベッドに寝かせたのか。その理由がわからない。それに、どうして手は組ませなかったんだ? わざわざ湯灌までして、瞼も閉ざしたのに。」
「爪の取れているに目を向けさせたくなかったんじゃないですかね? ほら、胸の上に組ませてたら、横にだらんとさせておくよりよく見えるじゃないですか。ドラマとかですと、被害者が犯人にガリガリってやって、爪の間に皮膚片が残っていた、とかありますよね。それともその拍子に付け爪のほうが取れちゃったのかもしれませんね。あれって割と簡単にとれるみたいですし、そこに犯人の皮膚や血痕が残っているなら、証拠隠滅のために持って帰ったのかも。」
「なら全部取ればいいだろ、全部。そのほうが目立たない。」
「そう、ですよね。こう、パキッと。」
そう、か。
そういう、ことだったのか。
「新出、よくやった。」
そう言って大島は立ち上がった。
死体は風呂場で現れ、寝室のベッドの上に寝かされた状態で発見されました。このことから、当初は犯人が死体を丁重に扱ったものと考えましたが、どうやらそうではなかったようです。それではなぜ、犯人はこのようなことをしたのか? こう考えました。これは、何らかのカモフラージュのためなんじゃないか、と。そこで気になったのが、不自然にとれていた付け爪です。左手中指のネイルだけがはがれており、とれたそれもどこにも見当たりませんでした。ですので、もしかしたら犯人が持ち去ったのではないかと考えました。なぜ、持ち去ったのか。おそらくは、かきむしった拍子に犯人に傷をつけたのでしょう。そしておそらく、犯人は男性だ。付け爪をとるための除去剤は洗面所の、見えやすい位置にありました。傷を受けたことを隠したければ、付け爪全てをはがしてしまったほうがいい、しかしそれをしなかった。いいや、できなかった。なぜならその方法を知らなかったからです。引きはがそうとしてもなかなかはがせなかった。とはいえ無理やりはがそうとすれば、爪に傷がつき、かえって目立ってしまうかもしれない。だから、自分の血と皮膚片の付いた、とれた付け爪を持ち帰ったのです。しかし、犯人の血が付いたのはネイルだけではなかった。それこそ、犯人が死体にした丁重な処置の理由。犯人は、自分の血が付着した被害者の着衣を持ち帰るために被害者を湯灌したのです。先ほど、あなたの自宅から被害者の着衣が発見されました。捨てられなかったんですよね、咲さんがデザインした服だったから。しかし、そこから赤色の毛髪と血液が検出されました。DNA鑑定すれば、髪が誰のものかはすぐにわかります。袖をまくって、腕を見せてもらえませんか? 幸坂さん。
最終更新:2014年02月17日 15:09