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夜明けの空に

2012年06月13日 (水) 21時48分-九条

 寝静まったバスの中で、エンジン音が一度唸ってからぴたっと止まった。
 天井の両端についた間接照明のライトのラインがぼやあ、と車内をやわらかく照らしだし、幻想的な雰囲気が漂う。
 添乗員さんの声が小さく控えめにバスがパーキングに着いたことを知らせる。
 ぼそぼそと起きだす気配の波がバス内をゆっくりとめぐる。極めて遠慮がちに通路を過ぎる人影。通路上の荷物を脇にどける音。
 階段を3段たたたんっと降りると、一瞬にして外の寒気が顔や服のぬくもりを拭い去る。
 「つめたっ」
 首筋に刺激があって思わず叫ぶ。雨かと思って辺りを見回すと、バスのライトの光が筋となって見えるところに、白粒が光っていた。
 ああ、雪か。
 深夜かと思うがまだそれほど遅くはない。
 先ほど何気なく確認していたバス内の緑色の電光掲示板が、11:57を示していたことを思い出す。
 しかし、夜の寒さと黒さは夜中過ぎのそれだが。
 ポケットに手を突っ込むと、両方にそれぞれ入れてあったカイロの温かみがしみる。
 混濁していた意識と眠気が、冷気によってだんだんとさめていく。
 ぼう、と白い吐息が冷え切った空気に流れていく。
 強く白い光を放つ売店にだんだんと近づく。
 自動ドアが開くと、彩りのある光に眩んだ。
 目が慣れてくると、1つの自動販売機の前にガチャリと3枚硬貨を入れ、ガコンと落ちてきたのは温かな紅茶飲料。
 300mlの紅茶の温かみを両手で握りしめる。
 手に弱冠力をこめてふたを開けて口を近づけると、茶葉の豊かな香りが鼻をついた。
 王道だ。
 両手でボトルを抱えながら、ひとり頷く。
 なめらかな液体をこくこくと飲むと、食道をつたっていくのがわかった。
 顔をあげてふう、と息をつく。
 外の景色は、もうはっきりとわかるくらいに、雪が降っていた。弱風に煽られながら、粉雪がなびいていた。
 
 「何、ミルクティー?よくこんな夜中にそんな糖分とれるわね。虫歯になるわよ」
 ふいに背後からよく通る声。私は振り返った。
 「かずささん。起きてたんですね」かずさは少し眠そうな顔で後ろで飲み物を買っているところだった。自動販売機の白が眩しい。
 「寒いとエネルギーが不足してカロリーが要るんです。・・・かずささんも、コーヒーなんか飲むと眠れなくなりますよ」
 彼女の手に握られている350mlのブラック無糖の缶コーヒーを覗き込みながら言った。
 「コーヒー飲んで眠れなくなった日なんて一度もないわ。私、毎晩飲んでるけど」
 「毎朝にしましょうよ」
 「そうだ、明日何時に起きるつもり?」
 「6時30分くらいですかね。翌朝は山梨で活動だから」
 「もうちょっとはやく起きよ。ね、4時くらい」
 「ずいぶんと早いじゃないですか。せっかくの学校行事の縦割り遠足なのに。2度寝しちゃいそう」
 「それでもいいわ。とりあえず、4時には起こしてね。私充電がピンチで携帯のバッテリーがあと10%になっちゃって、アラーム設定もできないの。…わかった?4時よ。4時になったら声をかけて。――私、夜明けが見たいの。焦げるような赤い光が、黒々した山の線を超えるその瞬間を」
 言い終わると同時に彼女は飲み干したコーヒーの缶をダストボックスに入れ、微かに雪の舞う自動ドアの外へと足早に歩いて行った。
 私も残りの紅茶をぐっと流しいれ、明るく白い売店を後にして寒い闇の方へと歩き出した。
 冷こい氷の粒が顔に当たっては水へと融けて行った。
 それにしても・・・この天気の悪い日に、綺麗な夜明けを期待することはできるのだろうか。山の方は天気が変わりやすいとはいえど。
 
 バスの階段をゆっくりと上がる。バスの乗客でも、寝ている人、毛布をかぶっている人、売店で買ったおつまみをかじっている人など様々に生活感があらわれていて、なんだか微笑ましく感じた。
 自分の席に戻ると、落ち着いたのと眠気とが一気に心を緩ませた。隣の席のかずさはもう目を閉じていた。眠ってしまう前にと、急いでかずさに言われた4時に携帯のアラームをセットし、皆を起こさないように振動設定に直して目をつむると、一瞬にして意識を失っていった。
 
 ***

 目を覚ましたのは3:58だった。自分でも体内時計の正確さに驚いた。
 慌てて隣のかずさに小声で4時ですよ、と声をかける。
 かずさは寝ぼけ眼でそう、と呟いた。
 返答がその後、途絶えた。バスの静寂の中、窓を見やると空は深い深い藍色であった。
 眠ってしまったのかな、と思って右隣を見ると、かずさは少しだけ目を伏せていた。
 しかし、どこかから小さな声が聞こえてきた。それは、数字のようだった。
 ――20,19、18,17,16、15
 なぜだろう、鳥肌が立っているし、寒気もする。
 車内の温度がだんだんと下がっていているような。…暖房はついているはずなのに。
 ――14,13,12,11
 カウントダウンは止まらない。
 ――10,9,8,7 6 
 寒気ではない。車内に風が吹いているのだ。…車内に?
 そして、この小さな声はいったいどこから。
 ――5,4,3,2、
 え、と私はかずさの方を見た。かずさがカウントしているようにきこえたからだ。
 「1」
 
 その瞬間、今まで伏せられていたかずさの茶色がかった大きな瞳が私を捉え、真っ向から目が合った。不意にかずさの口が、にっと横に大きく広がった。彼女は私に一言小声でつぶやいて、カーテンのかかっている右奥へと滑るように消えた。
 「――え?……待って!」
 刹那の出来事にとっさに反応できなくて、私はしばし固まってしまった。

 かずさのいなくなった空間に、バスの暗いピンクのカーテンが波打ち、揺れる。
 風だ。外から吹く風が揺らしているのだ。車内のカーテンを。
 そして、外の車の走る音が聞こえる。私は慌ててカーテンを除けると、
 唖然とした。
 バスの非常口が開いていたのだ。――ちょうどかずさが座っていた席の、右側の。
 確かにかずさの右奥には非常口があったことを思い出す。
 まさか。
 私は外を見た。かずさはっ?と下を見ようと思ったが視界の隅に何かがちらついた。…今、夜空になにかが。
 そこではっと気が付く。
 かずさのいう、夜明け。
 暗い空をみると、まだ夜明けには早かった。夜明け前の濃紺の空。そしてまだ、雲も多くある。
 ああ、なんだ。まだ夜は明けていないではないか。私は落胆した。自分でも密かに期待していたのだ、美しい夜明けを。
 何だろう、あれは。
 よく目を凝らして見てみると、さっき視界の端がにちらつたものは、橙の風船であった。数個の橙や赤の風船が風に煽られて右から左へゆっくりととばされているのだった。
 紺色の空に流れる赤とオレンジ。・・・ああ、なるほど。
 「--悪いですけど、太陽には到底見えませんよ」
 私は苦笑して、独り呟いた。下も見たが、みえたのはもはや水に濡れた道路のアスファルトのみであった。

 ***

 あっけなく、翌朝の遠足の最中にかずさはかえってきた。
 集合場所となっていたペンションの前に、誰よりも早くきていたのだった。
 「ただいま」
 それだけ言ってかずさはえへへ、と笑った。
 「おかえりなさい」
 私は穏やかに言った。そしてこうつけ加えた。
 「今日の朝の点呼はうまくごまかしておいたので問題ありませんよ」
 冬の暖かな昼の日差しが私たちの上に降り注ぐ。 
 「ごめんね、迷惑かけて」
 かずさは殊勝に軽く頭を下げた。
 「いえ、」私は大仰に手を振る。「ちょっと驚きましたけど」
 そうよね、いきなりいなくなったら驚くよね、とかずさは足元を見ながら独り言のように呟いた。
 「でも、あのときいったじゃないですか」私はかずさの茶色の目を、私の前から消える寸前に彼女がしたようにまっすぐ捉えた。あのときかずさが私に呟いた言葉。
 「『心配しないで』って。…だから、大丈夫ですよ。現にこうしてちゃんと帰ってきてくれましたし」
 彼女は少し潤んだ瞳でなにか言おうと口を開きかけたが、ふいに口をつぐんだ。
 少しの沈黙。
 「だからあのとき、コーヒーを飲んだんですね」
 私は上目でかずさを見た。昨晩、彼女は眠っていないのだろう。
 「そーね。…うそついてごめんなさい」
 流れる雲が太陽にかかり、空が翳った。少しひんやりとする。
 「幼いころ住んでた家に、行ってきた」
 日差しが弱くなったせいで2人の影が薄くなる。
 「なかなか山梨は遠くてね。私が改まって『山梨の昔の家を見に行きたい』なんて言ったら、両親は今住んでる人の迷惑になるからってきっと反対するだろうし」
 彼女は自分の影のちょうど足元に位置する小石を軽く足先で蹴った。 
 「私は私の原点を再確認したかっただけなのにね」
 蹴られた小石は思ったよりも勢いよくどこか遠くへいってみえなくなってしまった。
 水色の風がひゅるり、と吹く。2つの影を映す地面から、軽く砂ぼこりがたった。
 「1週間前、以前私が住んでいた山梨の家に今住んでる人に、両親には言わずに連絡を取ってみたら、快く了承してくれたわ。ちょうど遠足で山梨に行くことになったからってありのままを説明したら、迎えにトラックまでだしてくれたのよ。まあ、些かワイルドに荷台へ飛び込む羽目になったけどね」
 やはりあのとき、彼女は窓から降下したのだ。いくらバスが信号待ちで止まっていたとはいえ。
 「でも荷台には厚めのマットが敷かれていたから、それほど打ったようなこともないし」
 いたって安全だわ、とけろっと言うかずさに私は苦笑するしかなかった。きっとその後だろう、用意してもらった風船を、私の視線を下へ向けないように夜明け前の空にとばしたのは。私の関心を、暗闇に朱の色が輝き始める夜明けを待つ空ににひきつけつつ。
 「それに」彼女は一旦言葉を切った。「それだけの収穫もあったしね」
 かずさは消えなければならなかったのだ。誰にも告げずに姿を消すことで、誰にも迷惑をかけまいと。万が一教員などに気づかれた場合でも、責任は自分にしかないと言い張るために。だから、何もいわず、何も相談することもなく、私の目の前で忽然と行方をくらませたのだ。
 「そうですか」
 かずさはこく、とだけ頷いた。私はそれ以上なにも訊かなかった。しかし、彼女の顔は心持ち昨日よりも穏やかになっているように見えた。
 

 ***
 
 「いい天気だわ。今日こそ2人で夜明けをみましょ」
 堤防のコンクリートの上に並んで座って、足をぶらぶらさせつつ笑顔をこちらに向けるかずさに、私はいじわるな表情をつくった。
 「とかいってまた私の前から鮮やかに消えてみせるつもりなんでしょう」 
 少し寒いくらいの心地よい潮風が私たちの髪を後ろに流す。かずさは、一瞬彼女の顔を隠した黒い髪を無造作に耳にかけた。
 「・・・・・・どうかしらね。でも今日はせっかくの海辺なんだから見なきゃ損でしょう」かずさは私に負けないくらい、いたずらっぽくにんまりとこちらを見る。 
 「今度こそ水平線から、本物の太陽が顔を出す瞬間を」




 前回のお題の「日の出」に遅れてしまった投稿です。分かりにくいところがあったらすみませんっ
最終更新:2014年02月17日 15:35