2012年06月24日 (日) 02時02分-武
いやな夢を見た。君がいる夢だ。
目を覚ますと電車の中で、僕は座席に座っていて、隣では君が僕の肩に頭を乗せて、惰眠を貪っている。とするとこれも夢だ。しかも悪夢だ。しかし今回は幸運にも君の意識がないので、僕はもう少し夢を見ることにする。
向かいの席に座っている壮年の男性は、こちらを見てかすかに眉をあげた。何か珍しいものでもあるのだろうか、そう思って男性の視線の先をたどるが、もちろん僕と寝穢い君しかいない。そういえば僕の右手は君の左手に捕獲されているし、なるほど、恋人同士が触れ合っているように見えるのだろう。残念ながら違うんです、これは夢なんですよ、と僕は困ったように男性に笑いかけた。男性は見ていたことを気付かれたことに驚いたのか、僕の笑顔が不愉快だったのか、おそらくはその両方だったのだろうが、かすかな舌打ちをしてスポーツ新聞に顔をうずめる。男性の横に座っていた学生は、横から覗き込んでいたスポーツ新聞が男性の側頭部に置き換わったので、不機嫌そうな顔をした。
僕のいる車両に乗客は少なく、君の寝息がひどく耳障りだ。僕は空いている左手で自分の片耳を塞ぐが、かえって息遣いがよく聞こえるようになっただけだった。こんなものは悪夢だ、悪夢に違いない。だって君は誰だ? ここはどこだ? しかし残念、僕は僕だ。
夢というものは、脳が脚本家であるわけだから、少しくらい僕の意向に沿うものであっても、罰は当たらないと思うのだ。左手を膝の上に戻した僕は、静かに嘆息する。右手に絡んでいる左手の体温は気分が悪くなるほど僕と同じで、肩に乗る頭から漂うシャンプーの香りは一度も嗅いだことがないもので、眩暈がした。どうにかしてシナリオを書き換えなければ。君をどうにかして追い出さなければ。
僕は目を閉じてから、君の頭が、僕の肩に乗ってから微塵も動いていないことに今更気づく。もしかして君は寝てなどいないのではないか。目を開き、僕の首で脈打つ鼓動を髪で感じ取り、不必要に美しい笑みを浮かべているのではないか。僕は恐怖で震え出しそうになる体をなんとか押しとどめた。間違いなく僕はいい加減目を覚まさなくてはならないのだ。
目を開けると電車の中で、僕は座席に座っていて、隣では君が僕の肩に頭を乗せて惰眠を貪っていた。とするとこれもさっきと同じ夢か、と思ったところで、僕は向かいの席に誰も座っていないことに気付く。君の体温は相変わらず僕と同じままだ。絡み合った右手と左手はピクリとも動かない。僕は窓の外を見た。何度見ても知らない場所だ。広がる色はひたすら面白みのない田んぼの緑で、思い出したように古びた民家が登場しては退場していく。僕は秒数を数える暇もなくその風景への興味を失い、うすぼんやりと田んぼにかぶさっている、しかし田んぼと違って動きはしない、窓に映る自分の姿に視線を移した。
僕の隣には誰も映っていなかった。僕は思わず右手の体温を確かめる。君の寝息を確かめる。目を眇める。しかし窓には僕以外の誰もいなかった。脳がシナリオを書き換えたのだろうか。男性を、学生を、窓に映る君を、消し去ったのだろうか。
シャンプーの香りがする。この匂いは昨日薬局で僕が買ったものの匂いではなかっただろうか。新聞をめくる音が聞こえる。あのスポーツ新聞の記事の内容はおととい見たものではなかっただろうか。
君が窓から消えたことは僕が脚本家になれたことを示しているのだろうか。それとも僕はこの夢の役者なのだろうか。あるいは撮影機材を発見して群がるやじ馬でしかないのだろうか。ああ違う、僕は僕だ。僕はここだ。君はどこだ?
僕は瞬きもできないまま呼吸をし続けていた。電車の窓の外を流れていく田園風景が時速60kmであったので、もしかしたらこれは現実なのかもしれない、と僕は首をかしげた。君の頭にぶつかることはなかった。
最終更新:2014年02月17日 15:45