2012年06月24日 (日) 23時30分-竹之内 大
あるところに一人の映画監督がいた。彼は特に才能があるわけでもないのに非常に自信家であった。そんな彼はあることで有名だった。それはシナリオの変更を絶対に許さないということ。カメラの角度から、ちょっとしたセリフの言い回しまで、すべてがシナリオの通りになっていなくては気が済まない。役者達は当然自分の演技をすることなど許してもらえず、自分たちはまるで機械仕掛けの人形のようだと感じるのであった。もちろん役者たちの素材を殺すような撮り方をしていたのではいい映画が撮れるわけはない。思い余って監督に進言する者もいたのだが、彼は聞かなかった。
『シナリオというものは、ライターが推敲に推敲を重ねて作り上げた完全無欠の犯すべからざる神聖なものであって、役者や現場のスタッフが思い付きで勝手に変えていいわけがない。現場がすべきこととは、ライターの意図をすべて汲み取り、完璧にシナリオに従うことだ』
これこそが揺るがざる彼の信念なのであった…。
「監督、監督、大変です。」
「騒々しいぞディレクター。いったいどうしたんだ。」
「次の映画で主役を演じるはずだった俳優が、交通事故で亡くなりました。」
「なんだって、それは本当か。」
「ええ。どうしましょう、ほかの役者を探さないと…」
「何を言っているんだね君は。ライターの話を聞いていなかったのか。今回のシナリオを手掛けたライターは、彼が主役を演じるのをイメージして、彼の魅力を最大限生かすべく今回のシナリオを書いたと言っていたじゃないか。何があっても主役をかえるわけにはいかないよ。」
「じゃあ監督、主役はどうするんですか。」
「彼にやってもらうしかないだろう…」
こうしてその作品は大成功を収めたのだった。死体が主役を務める映画などというのは前代未聞だったからだ。しかし彼はそうは思わない。何度も言うようだが、彼は自信家だった。あの大成功は、自分の信念が実を結んだからだと、彼はちっとも疑わない。彼は鼻高々だった。馬鹿にされることも多かったが、やはり自分のやり方は正しかったのだ。だが自分の実力はこんなものではないのだ。次はもっと、世界中をあっと言わせるような映画を撮ってやるのだ…
最終更新:2014年02月17日 15:46