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えら呼吸する夜

2012年07月17日 (火) 06時48分-弥田

 葉。それも多肉植物の、ぷくんとふくれて分厚い葉。の上に座る緑の小人を見たのだった。黄色い乱杭歯をのぞかせ「にい」と笑っていた。瞳はなく、のっぺりと緑青の肌が広がっていた。
「あのさ、あのさ、小人って見たことある?」
 と、思い出すのは先輩の言葉で、このとき彼女は古い油の匂いがする厨房の隅に立ち、黄ばんだ小鉢に豆腐とレタスと刻みにんじんとを盛りつけていた。バイト中のいかにもたわいもない世間話、といった調子でたずねてきたのだが、それにしてはやけにおかしな質問で、漫画かなにかにでも影響されたのだろうか、と内心おもしろがりながら、表面だけは真面目な顔して、
「見たことはないですけど、信じてはいますよ」
 と、先輩にあわせた。
「へえ、わたしの元カレは、信じてないのに見ちゃった、って言ってたな」
 会話の端にでてきた「元カレ」という単語にどきりとするが、おくびにもださず、
「でも、小人って見ると死んじゃうって、よく言いますよね」
「え、そうなの。わたしは、それはじめて聞いたな」
「らしいですよ、とくに緑の小人を見たらやばいとかなんとか」
「くわしいね」
「そうですか? 普通ですよ」
「そういうのってどこで調べるの?」
 感心半分呆れ半分の笑みをうかべて先輩が首をかしげる。
「ネットとかですね。暇つぶしに、そういうつまんないこと調べるの趣味なんですよ」
「へえ」
「まあ僕のことはどうでもいいんですけど、でもなんで急にそんなこと聞くんです?」
「いやね、大したことじゃないんだけどさ」
 と、先輩は前置きした。
「昨日ね、小人見ちゃったんだよね。しかも緑の」
 数日たって、先輩は姿を消した。店長に行方を聞いたが、知らない、の一点張りであった。しまいには「知らないって言ってるだろッ」などと怒鳴ってくるから、腹が立ったので辞めてやった。正直に言うと先輩がいなくなったこのバイトに一切の魅力なんてなかったから、せいせいしたくらいだった。
 そうして、今、僕の目の前に小人がいる。
「先輩のところに連れてってくれるのか?」
 聞くと小人はうなずいて、ついてこいというジェスチャーひとつ残し、すばしこく走り去っていった。部屋をでて、家をでて、やがては都市をも出て行ってしまうことだろう。靴すらはかずに、その後を追う。小人の影は先輩の影だった。小人の足音は先輩の足音だった。小人の鼓動は先輩の行動だった。僕は夢中になって駈けていく。
 いずれ死の影を踏み、足音をなぞり、終にはその鼓動をすら聞くこととなってもなお幻想の後を追う、そんな自分の姿を予期しながら……。
 先輩は小人の姿に誰を見たのだろう。走りながらふとそんなことを思った。彼女の肩を抱いたとき、彼女の笑みはどこか自嘲しているかのようなさみしげなものだった。
 光景がにじんでどうしようもなく、それでも僕は走り続けた。息が切れて、ぜえぜえと喘いでいる。小人の背中は間近で、先輩は間近で、しかしどこを走っているのかは見当もつかない。視界に広がるものは夜。果てもない夜。青白い顔をして、僕と同じく、ぜえぜえと喘いでいる。ところが夜にはえらがあって、濃密に充ちる闇を吸って吐いてしているから、見た目ほどには苦しくないのだ。羨ましくて、地を蹴る足に力をこめる。僕は先輩の後を追う。夜の底を駈け、スピードはとどまることなく、喘ぐたびなにか大切なものを落としていく。いったいなにを落としてきたのか、それすらも理解できないという幸せに、僕はつつまれている。夜につつまれている。先輩の影が、先輩の足音が、先輩の鼓動が、それだけを追い続けて、追い続ける。気がつくと、僕は笑って、ぜえぜえと笑って、呼応するように小人も笑っている。先輩も笑っている。先輩はあの肩を抱いたときのさみしげな笑みではなく、いつも二人で話していたときのいたずらめいた子供のような笑みで、それが嬉しくて、いっそうと笑った。
 夜がぜえぜえと喘いでいる。しかしえら呼吸のできる夜がどうして喘ぐ必要があるのだろう。耳をすまして、ようやく気付いた。夜は笑っているのだ。……僕を笑っているのだ。
 走り続ける、息が切れる、先輩の幻影はいよいよ実在感をともなって僕を誘う。先輩の部屋で僕は彼女の肩を抱く。先輩は楽しげにほほえんで、その唇に僕はキスをする。「ねえ」と、先輩は言う。「わたし、きみがこうしてくれるのをずっと待っていたんだよ」「僕もですよ。僕も、いつかこうしたいと、ずっと思っていたんです」先輩の部屋には一鉢の多肉植物が置いてあって、その葉の陰から小人が見ている、僕らを拍手で祝福している。隣人をごまかすためにつけたテレビは、どこか遠い国の戦争について報じている。……で現在行われている戦争では、戦死者が数千人、怪我人を含めれば数十万人にまでのぼるといわれており……。男性ナレーターの声と、僕と先輩のささやきと、それらに混じって、ノイズのように聞こえてくるのは、ぜえ、ぜえ、ぜえ。窓の外は夜で、抱きしめる熱だけがやけに熱い。「ねえ、わたし、きみがこうしてくれるのをずっと待っていたんだよ」「僕もですよ。僕も、いつかこうしたいと、ずっと思っていたんです」「ねえわたし、きみがこうしてくれるのをずっと待っていたんだよ」「僕もですよ……」「ねえ……」「僕も……」




支離滅裂に一貫性をもたせるのってむずかしいですね……。見事、どちらも中途半端になりました。かなり勢い重視です。
なおタイトルは御伽さんのコメントより着想をえました。ありがとうございました。
最終更新:2014年02月17日 15:49