2012年09月23日(日) 17:41-古夢
~むかし、ある国に美しいお姫様と王子様が幸せに暮らしていました。ところが、ある日、二人のお母さんがとても重い病気にかかって死んでしまいます。~
森を挟んで北の王国は、賢君と名高い国王によって治められていた。優婉な美女と名高い王妃と王の仲は大層睦まじく、二人の間には姫君と王子が生まれた。両親と王国の愛情と期待を存分に浴び、姫君と王子は健やかに成長した。しかし、ある年の冬、王妃は突然病に倒れ、まもなく息を引き取った。
「母上…母上ぇ!」
まだ十歳にも満たない王子は王妃に亡きがらに縋りつき、大泣きした。姫君はもう十四歳になっていたが、愛され守られてきた分精神的に幼く、弟と一緒に泣くだけであった。国をあげての葬儀が済んでも、姫君と王子の悲しみは全く癒えるようには思えない。心配した王は、二人の為にも早く次の王妃を見つける事に決めたのであった。
~王様は、二人のために新しいお妃と結婚しました。~
王妃探しを始めて季節が二つ廻った。王妃が空位の今、王はたった一人で、壮麗にして広すぎる国王夫妻の私室を使っていた。
そんなある晩の事、王は気心の知れた年かさの女官長を相手に愚痴をこぼした。
「まったく、なんという事であろうな」
そもそも、王国にとって、王妃不在という状況はあまり好ましくない。後宮を取り仕切る者がいないのも、他国からの賓客をもてなすときに任せる者がいないのも、王が公務で王城を離れるときに頼む者がいないのも困る。姫君がその役目を果たせない以上、早急に何とかしなくてはならない。しかし、だからといって誰でもいいわけではない。それこそ有事の時には王に代わり政務を執り、軍を指揮し、国を導くことが出来るような人物でなければ。
だが、そんな人物、ましてやそんな女性はなかなかいない。先の王妃も、心優しく聡明ではあったが、そのような点においては少々不足であったくらいだ。
「あれ以上の女人などなかなか居らぬというのに、家臣どもは、前王妃以上の女性でないと国民は納得いたしません、とぬかしおる。そのくせ揃いも揃って、自分の莫迦娘を押しつけようとしよって…」
王は疲れたため息をつくと、苛ただしげに杯を呷った。ガン、と少々乱暴に卓に杯を置き、女官長に向かって更に酒を要求した。しかし。
「なりません」
女官長は、眉一つ動かさずあっさりと却下した。
「なぜ?」
片眉をあげて、王は不満の意を表した。しかし残念ながら、王が幼少のころより仕え育ててきた女官長にとって、王の不機嫌など恐れるものではなかった。
「お体に障りますわ」
女官長は無情にも、さっさとワイン瓶を回収した。
「そんなに根をつめては陛下のお身体がもちませんわ。久しぶりに、遠乗りにでも出掛けてはいかがです?森の近くにあります湖など、今は良い季節で御座いましょう」
それだけ言うと、完璧な一礼をして、女官長は部屋を出ていった。
「湖か…。それも良いかも知れぬな。久しぶりに行ってみるとするか」
一人残された王は、肩をすくめ独りごちたのだった。
数日後、王は供を数名連れて、青葉茂れる夏の森へと遠乗りに出掛けた。王子は王が誘ったにもかかわらず、気分がすぐれないと言って参加しなかった。
「まったく、王子にも困ったものだ。優しすぎるのであろうか…。なあ?」
ため息をついた王は、後ろに追随する者に同意を求めようと振り返り、驚きのあまり落馬しかけた。
「皆、何処へ!?」
周りは木が茂るばかりで、供の者は一人もいなかった。
慌てて周囲を見回していた王は、突然聞こえた女の声に仰天した。
「あら、珍しいこと。お客人がお見えだなんて」
背後から聞こえた涼やかな声音に、王は剣を構えることもせずに振り返った。
「随分とご立派なお召し物の方。大層ご身分のある御仁でございましょう。
…いらっしゃいまし、選ばれた者しか辿りつけぬ、この呪われた魔の沼へ」
くすり、と悪戯めいた笑みを浮かべながら不吉な口上を述べ、唐突に現れた女は豊かなスカートの裾をつまみ、典雅な淑女の礼をしてみせた。
「なんと!ここが魔の沼と呼ばれておる、あの沼か。ではあれが、何代も前の国王が、身分の低い愛妾を閉じ込めたという、あのいわくつきの館か?たしか、臣下に下げ渡したと聞いておるが…」
遠慮ない王の言葉にも、黒髪の美女は朗らかに笑ってみせた。知性の煌めきが瞳に宿る、随分と魅力的な女性である。若々しいが、もう三十路近いと思われた。
「はい。けれども、この沼に魅せられた私の曽祖父が、当時この館を所有していらした大貴族から、館を譲っていただいた次第で御座います。既に曽祖父は勿論、父も他界いたしておりますが、私どもは愛着のあるこの館から離れられず、人も来ぬこの寂しい土地に住んでおります」
指先まで優美な仕草と物腰で、女は沼からやや離れた所にある館を示し、愛着とも諦観ともつかぬ眼差しで古びた棲み家を眺めた。だが、王はその眼差しよりも女の発した言葉に気を取られていた。
「私ども?おぬし、やはり亭主持ちか」
こんな辺鄙で寂しく、もっと言うならば気味の悪い所に女だけで住むとは思えず、王は思わずそう返した。知らず、どこか残念そうな声音になっていた。その響きに気付いたのか、女はおかしそうに笑った。朗らかな笑い声は、気取った宮廷の女にはない華やぎがあった。
「今は独り身ですわ。主人に先立たれましてからは、娘とともに喪に服しながら日々を暮らしております」
言われてみれば、と女を見てみれば喪服のような黒いドレスを着ている。
「ふむ、娘がおるのか。そなたの子であれば、大層可愛らしい少女であろうな」
「少女、でございますか?娘はもう十六でございますけれど」
「十六!そなた、まさか三十を過ぎておるのか?」
女が三十とすると、娘は十四の時の子ということだ。いくら『女盛りは十四、五、六』と言われる時代とはいっても、十四歳は子を生むには早すぎる。しかも逆算すると、十三歳か十四歳になったばかりで結婚していることになるが、今の時代で王族でもない娘が、そんなに早く結婚することは稀だ。
「まぁ、口が巧くていらっしゃいますのね。ええ、そうでございますわね。私、三十など、疾うに幾つも過ぎておりますわよ。けれども、これ以上は聞かないでくださいませ。年増と言われる年齢ではありますけれど、まだ女を捨てたわけではございませんの。女性に年齢を聞くのは無粋なことでありましょう?」
女は悪戯っぽく王の唇に指を触れた。此処が宮廷で、目の前にいるのが打算と媚の塊のような貴族の女であったならば、王は不敬なことと激怒したことだろう。しかし、王はそのとき雷に打たれたような衝撃に、僅かも動くことが出来なかった。
輝く瞳と艶やかな唇、魅惑的な笑顔。王は完全に女に囚われていた。気付くと、彼女に求婚していた。そのまま、その夜は館に泊まり、彼女の娘という少女にも対面した。
親子揃って神秘的な雰囲気でありながら快活さをもった笑顔が魅力的で、文句なしの美女であった。更にこんな森の深くに隠れ棲んでいるとは思えないほど豊富な知識をもち、機知にとんだ会話を交わした。王が趣味としていた古典についての造詣の深さには、古文書や古典文学の専門家として大陸に名を馳せる王でさえも舌を巻くほどで、個々の文献に対する討論は打てば響くようなやり取りとなった。
己の意志と考えを持ち、他者の言葉には耳を傾けながらも最終的には自身で熟考した後に決定する。決して他人に責任転嫁しない。臨機応変な対応と、淑やかな立ち居振る舞い。初対面で高貴な者と分かっている人間に対しても臆することなく自分の意見を述べる強さと、相手を思いやる優しさ。
王が探し求めていた『王妃』が、ここにいた。
森の聖女の伝説になぞらえることで強引に正当性を主張し、王は森で出会った氏素性の知れぬ女を妃として迎えた。国王に継ぐ最高位の空席を嘆いていた議会も、女の娘には王位継承権を与えないということを条件に、王妃として承認した。そして国民は、若く美しい新たな王妃を、喜びをもって歓迎した。