2012年09月23日(日) 17:43-古夢
~このお妃は、娘を一人連れてきましたが、実は二人とも魔女でした。~
国王夫妻の寝室の灯りが消えた。それを窓から眺めていた娘は、やり切れぬというように顔を歪めると、さっと豪奢なレースのカーテンを閉めた。そして、華やかな華燭の典で幸せそのものといった笑顔を浮かべた母親と、敵意をむき出しにしていた義理の弟妹を思い出し、深いため息をついた。
母は、王を憎んでいた。王、というよりもこの国の王家を。三百年前、森の中で愛する恋人と静かに暮らしていた母に横恋慕して無理やり引き裂いた当時の王を。それを恥として森の奥深き沼のほとりの館に、母を閉じ込めた、王の父を。そして、なにより、王の子を生した母に嫉妬し、闇色の髪を持つ母が穢れた血の我が子を王位につけ王母とならんと野望を抱くことを警戒して、生まれた子を次々と暗殺した王妃を。そう頻繁なおとないではなかったにもかかわらず、なかなか子に恵まれぬ王妃を尻目に、母が次々と子を孕んだのは、なんの皮肉であったのか。愛してもいない男の腕に身をゆだね、産まれても殺される子を思い涙する日々。
残されたのは、三歳まで生きられまいと宣告された、暗殺するまでもない娘唯一人であった。
母は、いつか、すべてを奪ってやる、と心に決めていた。
お妃となった母親は、王の事を思い出していた。現在、自分の夫である国王の事ではない。かつて、自分に執着し、同時に無関心であった男のことだ。
あの頃、王は、気紛れにやって来た。気紛れにやって来ては、何の皮肉か、己が閉じ込めた女を「私の可愛い小鳥」と呼び、気に入りのペットに対するように愛した。
「この館はどうじゃ?」
母を閉じ込める鳥かごは、確かに壮麗で、優美で、立派だった。しかし、やはり鳥かごには違いなかった。母は、館から出る事を許されなかった。護衛付きでする沼の周りの散策だけが、唯一許された『外出』であった。
あの王は、自分に執着していたが、愛してはいなかった。そして、愛妾が産んだ子には、欠片も情をかけようとはしなかった。
(この人は、私を愛するのであろうか)
隣で眠る現在の夫をぼんやりと眺めながら、お妃は思った。
王家に復讐してやるつもりでいた。しかし、夫となった今の王は、自分に優しかった。愛されているとも思えないが、すくなくとも大切にされている。それを理解しながら夫を憎めるほど、お妃は愚かでも冷酷でもなかった。
しかし義理の娘と息子は、自分に対して敵意をもっているようだ。人の悪意に敏感なお妃にとっては、自明なほどに分かりやすく。まあ、当然だろう。実母が死んで、半年もたたぬ内に新しい母親が来たのだから。
もっとも自分とて、義理の娘達を愛する事は出来ぬのだ、とお妃は嗤った。
(あの話し方、あの金髪、あの瞳…。全てが、あの王妃を思い起こさせる)
お妃が最も憎む女の子孫である二人は、ぞっとするほど、かつての王妃に酷似していた。おっとりとした宮廷独特の話し方も、王家純血の証ともいえる見事な金髪も、王家独特の色の瞳も。瞳は、彼女の愛する娘も持つものであるが、娘の瞳は、悲しみを秘めた深い緑色だ。それに対して、あの娘達が持つのは、邪気の欠片も持たぬもの。生まれてから一度も、不条理に涙したことも、理不尽に怒(いか)ったことも、運命を呪ったこともない。そんな守られてきた者だけが持ちうる瞳。自分の正義を無邪気に信じる『無垢な』瞳。王妃がもっていたものと、同じだ。色だけではなく、その、持つものが。
お妃は一つ息をつくと、諦めたように掛布を被った。闇に慣れて、冴えてしまった目を無理矢理閉じ、夢の訪れを待つ。眠りの精霊がやって来るとは、とても思えなかったが。
若々しく、華やかで、快活な王妃。生き生きと振る舞い、どんな相手にも決してひるまず意見する。その様を下賤で慎みがないと蔑み、高貴の出ではないことをあげつらい、眉をひそめるのは、己の一族から王妃を出さんと欲し我が身の栄達を願っていた貴族たちであった。常に力ない民の目線で語る新しい王妃を、国民はむしろ喜んだ。国王を支え、時には諌め、臣民の安寧を守るという重責を王と分かつ。瞬く間に、お妃は民草の母と慕われ、伝説の聖女の再来と称えられるようになった。国民の支持は、国王と議会の予想を超え、これまでにないほどであった。しかし、万民に好かれるなどということは、不可能だということは、当然であった。お妃は、もしかしたら浮かれていたのかもしれない。静かに、ひっそりと、人目を避けて暮らす。それ以外の幸せの形を、見つけてしまったために。闇に属する己は、憎悪と嫉妬にまみれるのが似つかわしいと知っていたのに。
夏の夜空を花火が彩り、煌びやかな建国記念式典が幕を閉じた深更。隣国からきた大使をもてなし、賓客用の客間に案内した後、お妃は国王夫妻の私室に戻った。夫は一人、卓に向って酒を呷っていいた。いつもなら夫婦で乾杯をしてから、共に寝酒を楽しむのに、とお妃は少し残念に思った。しかし、夫に話すべきことがあったため、お妃はあまり深く考えないことにした。その話題を考えると、唇が柔らかく弧を描いた。それは、娘の幸福につながることであったから。
「隣国の大臣様が、おっしゃっておりました。今、隣国では国王陛下の花嫁をお探しなのですって。もし似合いの娘がおりましたら、ぜひとも我が国に、と」
お妃は返事をしない夫の横に行くと、卓上の酒を手に持ち、空になった杯に注いでやった。そして、柔らかく微笑んで言った。
「ねぇ、どうかしら。来月の隣国の建国祭では、私の娘に隣国への使いを任せてみては。あの子はお隣の言葉も話せますし。国王陛下とは似合いの年頃ですわ。姫様は、御歳の割に、まだ幼くていらっしゃるし、御父上と分かれて国元を離れるのはお可哀そ…」
「黙れ!身の程をわきまえよ!」
突如の怒声に、お妃は雷に打たれたようにびくりとして、言葉を止めた。
「女が政に口を出すな、小賢しい。王母にでもなるつもりか?」
蔑むような口調に、お妃の心が凍りつく。夏の温かい風とは裏腹の冷え切った眼差しが、瞬間、お妃を射すくめた。
「隣国に娘をやって、国王を骨抜きにさせ、この国に攻め入ろうとでも?どれほど欲深いのだ、お前は。…お前の娘は、我が王子の臣下の妻とする。宰相にでもくれてやるつもりだったというのに、向こうから断ってきおった。おぬしのような母親の娘が、良き妻として自分に仕えてくれることはないだろうと言うてな」
宰相が「お妃様は政治に口を出し過ぎる」と注進に参ったわ、このままでは国が傾く、とな。王は吐き捨て、杯のワインを一息に飲み干した。呟くように、嗤う。
お妃は茫然とした。宰相とは、先日争ったばかりだ。娘に言いよって来た宰相を、お妃がこっぴどく追い返したのが原因であった。王の許しは得ているのに、覚えていろ、と捨て台詞を吐いていったのだが、まさか、こんな事に。
宰相の讒言を真に受けているらしい王に、なんと説明をしようかと、混乱した頭で考えていたお妃は、続いた言葉に眦の裂けそうなほど、目を見開いた。
「儂は女に言われて政を執る愚君だと言われておるそうだ。宰相の言う通り、おぬしのような下﨟の女を、我が妃へと求めたのが間違いだった。儂としたことが、あの森に魅入られたのか…」
己を森から連れ出した男が、再び己を裏切るのか。
ヒュッと喉の奥で音が潰れた。お妃は発しようとした言葉が音を生すことなく、ただの空気の流れになっていくのを感じた。言葉が出てこない。言いたいことは、たくさんあったはずなのに。
自分がお妃に与えた衝撃も知らず、王は杯を干し続ける。高貴な人間とはそういうものだ。卑賤な者に感情があるとは思ってはいない。己の衝動に任せて行動し、その善悪など考えない。己の発言が他者を傷つけるなど、ましてや誤っているなど思いもしない。それは、生まれつきの高貴の証。
「我が(・・)妃(・)は、慎み深く、貞淑な女であったものよ。お前にも、あれ(・・)の爪の垢でも煎じて呑ませてやりたいものだ」
『我が妃』。それは、間違いなく亡き前王妃のことであろう。酒のせいか、随分と乱暴な口調で、普段の穏やかな優しい言葉とは、程遠い。
しかし、酔っているとはいえ、あまりに酷い言葉。お妃の全てを否定しているも同然の…。いや、酔っているからこそ出た本音なのだろうか。
そもそも王は、妻たる己よりも、家臣の讒言をとるのか?
いや、それよりも…この王にとって、自分は本当に『妻』なのか?
答えは、否だ。王にとって、『妻』は永遠に、姫達の母親である死んだ前王妃だけ…。
(この人が、私を愛することは無いのだ)
お妃は絶望にも似た諦めが目の前を覆い、周りが暗くなるのを感じた。光との狭間を綱渡りしていた心が一瞬にして闇に引きずりこまれ、柔らかく心地よい泥濘(ぬかるみ)に捕らわれる。一度でも闇に踏み入れた物は、光のもとで暮らし続けることは酷く難しいのだ。すっかり忘れていたことだが。
「我が主よ、聞きいれ給え」
気づくと、目の前でワインを飲む夫に向かって、呪文を唱えていた。
「闇を司りし御方(おんかた)よ、我はそなたの下僕(しもべ)、そなたの契約者」
ゆっくりと宙に円を描く。王を中心として呪文により集まった魔力が渦を巻く。後戻りはできない、召喚の呪。
「我が声を聞け」
魔力の流れを乱さないように、静かな動きで円に複雑な紋様を施し、その中心に位置する点、王その人を指さす。
「人形(ひとがた)を奪い、白鳥と為せ」
次の瞬間、王が座っていた場所には、見事な翼を持つ美しい白鳥がいた。白鳥は驚き、翼をバタバタとはためかせる。ガシャンと悲鳴のような甲高い音を立てて杯が卓上から落ちた。
「思い知れ、鳥かごに閉じ込められる苦しみを!」
お妃は、どこからか白鳥が入るには小さすぎる鳥かごを取り出し、無理やり白鳥を閉じ込めた。
「ふふふ…あははははは…」
お妃は高笑いしながら杯を拾いあげると、自らワインを注ぎ、一息に飲みほした。笑いながら血の色をしたワインを飲み続けるお妃が、その頬に伝う透明なものに気付く事はなかった。
~魔女は、二人が立ち寄りそうな泉に魔法をかけました。~
一瓶の酒を飲みほしたお妃は、薄く笑いながら、魔法の水晶を眺めていた。中には、慣れない山道を必死に駆ける義理の娘達が映っていた。くつくつと笑いながら、お妃は低く唄うように囁く。
「卑しき獣となり、互いを喰らい尽せ」
「醜き獣となり、はらからを噛み殺せ」
「浅ましき獣となり、自らの赴くままに駆け去れ」
美しく伸びた指の先から発せられる魔力の波動が、水晶の中に映る景色を小さく揺らす。水晶を揺らした波紋は大気に広がり、三つの泉の水面に細波を生んだ。
~走り続けたお姫様と王子様は、喉がからからです。ようやく泉を見つけました。~
「なんてことを。母様…」
娘は、己の義父が白鳥に変えられるのを、魔法の水晶越しに目の当たりにした。同時に娘は、たまたま夜中に目を覚まして父王の元にやって来た義妹が、その現場を扉の陰から目撃しているのを知っていた。その後、恐怖に駆られた彼女が弟王子を起こし、父王を置いて王城を逃げ出すのも。
「あの子は、命惜しさに国と民を捨てる気なのかしら」
思わず眉をひそめた娘は、「まあ、自分だけ逃げようとしなかっただけ、ましなのかしら」と独りごちた。そして一つため息をつくと、酔って眠りに落ちた母の元へと、足を向けた。姫達が逃げ出したのを知った母が自棄になって、湖に魔術をかけたのを知ったからだ。義父であった白鳥を逃がし、哀れで愚かな義弟妹に、活路を与えるために。湖にかけられた魔術により獣と化した彼らが、人の道に外れた所業をせずに済むように。
娘は、闇に属する者でありながら、義理の弟妹に対して無関心にも冷酷にもなりきれない自分を嗤った。
~王子様はお姫様が止めるのも聞かずに、泉に飛びこんで水を飲んでしまいます。王子様はみるみるうちに鹿に変わって行きます。
「可哀想な私の弟」
お姫様が泣くと
「姫よ。魔法の解ける日がきっと来る。泣くのはおよし。」
と白鳥が励ましました。~