アットウィキロゴ

こじかひめとまじょ 4

2012年09月23日(日) 17:44-古夢


朝日の昇りきらぬ頃、森を挟んで南の国の王都から、何頭もの駿馬と勇ましい騎士たちが森へ向かって駆けていた。
「王よ、お待ちください!」
先頭を駆る人物に、二番手を駆けていた男が声をかけた。早朝の涼しさにも関わらず、軽く汗が浮かんでいる。
「そんなに御急ぎにならなくとも、森は逃げたりいたしません!」
「しかし、時間は減るであろう?」
真っ黒な馬に跨り野を駆ける、騎士たちの中でも一際長身の男は、快活な笑い声をあげながら言った。
「私の休みは今日一日なのだ。少しでも長い間楽しみたいと思うのは間違いか?」
「お戯れを…。ですから何度も申しますが、もう少し従者のことをお考えください!」
背後を走る集団から飛びぬけてしまった二人のうち、王と呼ばれた男はさもおかしいというように返した。
「異なことを!狩りは戦の予行訓練。演習のようなものだ。昔そなたが言ったことだろう?皆、日々の鍛錬が足りぬのではないか?怠けておってはいかんぞ」
「そういう問題ではありません!」
多少息の乱れた様子で、家臣の男が言い返す。
「貴方様ほど乗馬の名手であらせられ、しかもそんな国一と名高い軍馬で駆けられては、追いつける訳がないではありませんか!」
「ははは!まぁ、いいじゃないか。もう着いてしまたったんだから」
そう言い、同性から見ても大層魅力的な笑顔で、「な?」と同意を求められてしまった家臣は、結局毎月の恒例で諦めたように「まったく、陛下には敵いません」と呟いた。
「私は良い家臣を持って幸せだ」
調子の良い主人に合わせて、黒馬が一声いなないた。

空に輝く太陽のような黄金の髪をなびかせる南の国の王は、まだ二十歳を過ぎたばかりの青年であった。長身痩躯ながらも軟弱さは感じられぬ、引き締まった強健な体つきの美丈夫であり、剣に秀で獅子の異名を取る武人でもあった。その武勇は近隣の国々にあまねく知れ渡っている。まだ少年と言っていい時分に国内の反乱で父王を亡くし、若くして王位を継いだ王はその戦での獅子奮迅ぶりや、後の革新的な行政改革の断行でさまざまな伝説を残している。
しかし、数ある伝説の中でも最も有名なのは、やはり、十にもならない頃に、入ったら最後二度と出られないという魔の森の最奥に迷い込みながらも無事生還し、周りの心配をよそに「森は何も恐ろしくはなかったぞ」と不思議そうに言い切ったという話であろう。以来、王は毎月のように、普通なら好んで誰も近づかないような森まで遠駆けをしているのである。

「お待ちください王!どうしてそうも、奥にお入りになるのです。こちらから先はいけません!」
「チッ」
王がさりげなく森の奥へ入り込もうとすると、家臣は目敏く止めにやって来た。思わず出た舌打ちに、家臣が「下品な」と眉をしかめる。
「いいじゃないか、もう少し奥に行けばもっと美しい鹿がいる気がする。多分見事な銀狐もいる。間違いないと思うんだがなぁ」
「少しはご自分を省みて下さい!似たようなことを言って先日、うっかりお迷いになったのはどなたです!?」
嫌なことを思い出させるな、とばかりに、あからさまに眉をしかめた苦々しげな顔をしてみせた青年王は、
「あれは街だったからだよ。しかも北の国で、あちらの事情には疎かったから」
「同じことです!王はもう少しご自分の立場をご理解ください、あの時我々がどれほど肝を冷やしたか…」
「なんだ、国王と言う仕事を理解しているからこそ、突然国王失踪なんていう非常事態が起きた隣国の事情を自ら偵察に行ったんじゃないか」
片眉をあげて不服を表した国王に、家臣は魔の湖の底よりも深いため息をついた。その隣国王と同じように行方不明になって下さった我らが君主に、己は隣国行きを止められなかったことを、死ぬほど悔いたのだ。本当に、責を負って自害しようかと思ったのだ。だが自分の心情まで押しつける必要はない。己が、同じ過ちを繰り返さなければいいだけだ。だから、そんなことは告げず、ただ事実だけを述べる。
「国王の仕事ですか。祭りの屋台で肉串を買って飴細工を買って、迷子の手を握りしめながら美人局に絡まれることが?」
「…お前の記憶力には頭が下がるな。反省しているさ。思いのほかに治安は良いし活気はあるしで、面白くなって、ついつい下町に入り込んでみたくなったんだよ。
まぁ、もともとあそこは新しい王妃が現れてから一年は、王妃が国を仕切っているようなものだったからな。邪魔な国王がいなくなって街がにぎわうのは、まぁ当然と言えば当然だが」
軽口が過ぎる国王に、家臣は非難の眼差しを向けたが情熱あふれた無謀な青年王は、軽く肩をすくめてみせただけだった。
「まったく、どんな女傑だか。忍び込んででも、ぜひお目にかかりたいものだ。…冗談だ。ちょっとした興味だ。言ってみただけだ」
口の過ぎる主人に、信頼できるか、と顔に書いてある家臣に国王は罰の悪そうの顔をしたが、すぐに開き直った。国王を王宮から追い出したとも、暗殺したとも言われている、黒い噂の渦中にいる人物に、己の主君が会うだなんてとんでもない。隣国王の失踪が、うっかり隣国の王妃との共謀だとでも言われたらどうするのか。
「いいじゃないか。とりあえず、国王の仕事と私的な楽しみを混同するな。鹿狩りくらい好きにさせろ」
「同じです!隣国にいらっしゃったのも、単純に机上のお仕事に飽きたからだってのは、分かっているんですよ!?」
「ははは、ばれていたか。お前、優秀すぎるってのも辛いなぁ。ま、諦めろ。さて、そこをどけ」
「い、や、です。そちらこそお諦め下さい」
いつものように、鹿狩りに興じながら、何気なさを装って森の奥深くへ入り込もうとする若き王と苦労症の家臣の攻防が繰り広げられていた、そのとき。
「王!ご覧ください、見事な鹿です。何と美しい!」
鹿笛の音につられて現れた小鹿を目にし、王は小さく口笛を吹いた。
「勝負を後回しだな。あの小鹿を手に入れてからだ」
「勝負ではありませんが…、同感です。あんなに美しい鹿は見たことがありません」
鹿に見惚れている家臣を口の端で軽く笑うと、陽の神とも喩えられる王は若者らしい自信に満ちた声で宣言した。
「ああ。あの鹿は、私の物にする」
「御意のままに」
家臣は肩をすくめて、自信家の主に同意した。まさか、その鹿の為に自分が目の回るほど大変な目に遭うとは、思ってもいなかった。

どこまでも、鹿は逃げた。人は歩くのも難しい獣道を軽々と駆け行く小鹿を追って、勇猛果敢な若き王達は夏にもかかわらず涼しい森の奥深くへと、足を踏み入れた。とうとう馬では進めぬほどに鬱蒼としたところの手前まで入り込み、小鹿を見失った一行は、悔しげにうろうろと彷徨った。名残惜しげに森の奥を見つめる国王に、さすがに家臣が帰還を促そうとした、その時。
「キューン」
甲高い鹿の鳴き声が聞こえた。声の方角を見れば、先ほどの天上の生き物とも見紛う美しい小鹿が、国王達を見ていた。そして、クイッと顔を向け、ついて来いと言わんばかりの態度で森の奥深くへと進みだした。
「これは…」
面白そうな状況に、無謀と勇気をはき違えていると家臣を泣かせる国王は口元を緩め、ためらいなく地上へと降り立った。そして手早く馬を手近な木に繋ぐ。その様子を見て、家臣は慌てた。
「陛下!?まさか」
「少しだけさ。来たけりゃお前も来い!」
そう言って獣道を身軽に駆け出した主人に、家臣は馬を飛びおりながら叫んだ。
「お待ちください!危険です、魔物の罠かも…ちょっ、陛下!!」


鹿は、時々振り返りながら進んだ。まるで国王がついてきているのを確認しているかのようであった。どう考えても、ただの獣ではない。
(面白いことになって来たな。さて、これは一体…)
国王は、歩きにくいことこの上ない道ならぬ道を、危なげなく歩きながら、森の奥深くへと進んでいった。後ろから、家臣が四苦八苦しながらついてきているのを感じる。
(…?そんなに歩きにくいか?)
どうやら自分は森に愛されているのだな、と楽天家の王は気楽に考え、家臣を放って鹿を追った。まさか、その通りだとも知らずに。

突然、夏にもかかわらずほとんど日が差さなかったそれまでとは一転し、溢れるほどに木漏れ日が差す明るい場所へ出た。鹿は、その日だまりで立ち止まった。王が追いつくと、そっと歩きだす。そこには、雨を防ぐのが精一杯といった様子の、きこり小屋のような小さな家があった。小鹿は、その家の前で立ち止まった。
「キュー」
小鹿は小さい声で鳴くと、額で扉を押し開けた。その瞬間、国王は中から光が差し込んだように感じた。

(なんと、美しい…)
王は、目の前に現れた少女の、美しさに言葉を失った。光を反射し滝のように流れる黄金の髪、抜けるように白い雪の肌、ほっそりと美しい指先、柔らかに透明な青緑の瞳。
着ている衣は、ボロボロに擦り切れ破れているが、高価なものであったことが伺われる。国王を前にしても反応は薄く、力尽きたようにぐったりと座りこんではいるが、瞬きや不思議そうに首を傾げる姿に、染みついた挙措の優雅さを感じる。小屋のみすぼらしさとは、余りに不釣り合いな、高貴な美しさだ。
何よりも少女の瞳は、懐かしく、忘れられない瞳と酷似していた。
「あ…」
何か言わなければ、と思ったが、結局何も言えず、そのまま絶句した。こてんと軽く首を傾げた少女の瞳が、光の具合で更に深い色になる。その青緑の瞳に捕らわれたようであった。何も、考えられなくなる。
「私と、結婚して頂けませんか?」
結婚。
これまで、その気になれずに散々逃げ回って来たのであったが、少女の瞳を見ているうちに、するりと言葉がこぼれていた。結婚を決めかねていた、直接的な原因でもあり間接的な原因でもある、忘れられない人の面影を感じたからかもしれない。

人形のような澄んだ緑の瞳の少女は、更に不思議そうに二、三度瞬いた後、「白鳥と小鹿が一緒なら」と頷いた。あどけない表情は、どこか老成した雰囲気をもっていた彼の人とは異質のものだったが、王はその愛らしさに思わず微笑み、「もちろんですとも」と手を差しのべた。抱きあげた身体は、食事を取っていないのかと思う程、軽かった。

なんとか森を抜けて小屋へ辿り着いた家臣は、驚くような美しい少女を抱えた主人を見て、まず驚愕した。そして次に、その森で出逢った娘と結婚する、などと突拍子もないことを言い出した若い主に仰天した。驚天動地の事態に呻きながら、最初から鹿を追おうなどと言わなければ良かったと後悔しても後の祭りであった。せめて愛妾に、という懇願も聞き入れられず、家臣は空を仰いだ。
「まぁ、一生独身で貫かれるよりは、何倍もマシか…」
諦めのため息をつくと、家臣は国王の恋を実らせるべく、根回しに奔走する決意をした。

最終更新:2014年03月17日 18:54