2012年09月23日(日) 17:58-古夢
王妃は、寝入っていた。しばらくすると、目が覚めた王女がぐずりはじめた。病み上がりの体で夜泣きする王女に、国王は哀れと愛おしさを感じながら、目覚めない王妃に苛立ち、不思議に思っていた。昏々と眠る王妃は、疲れきっているようで、赤子の夜泣きにも起こされることはないようだった。泣き続ける王女に、このままでは熱がぶり返してしまうと心配した王が、そろそろ乳母を呼びに行こうかと思った、その時。
空気が変わった。強い魔術のような、不自然ながらも圧倒的に流れる気の動きが、王宮の一室に集まって来る。王妃の私室へ。そして。
「なっ!」
国王は危うく声を出しそうになり、なんとか踏みとどまった。ゆらめく闇から現れたのは、夜を映しとったような女だった。豪奢なレースをあしらった血色のドレスに、漆黒のケープ。そのケープは、北の国の王位にあることを示す紋章が縫い付けられていた。
音もなく現れた女は、静かな足取りで王女のもとへ近づき、柔らかく小さな嬰児を抱きあげた。そして、王女の耳元で小さく囁く。しだいに王女は静かになり、眠りについた。
王女を寝台に戻すと、女は王妃のもとへ近づいた。王妃の枕元に立ち、じっと見つめる。闇そのもののようなその瞳は、何を考えているのか分からない、深い色を湛えていた。そして女は、そっと王妃の頬に触れた。
(まさか)
闇の女は、己の妃に害をなす気ではないかと焦った王が、今にも物陰から飛び出そうとした、そのとき。王妃が目覚めた。
「ん…、かあさま?」
開口一番に王妃が発した言葉に、王はその場で固まった。
「調子はどうだい?うまくいきそうかね」
明らかに怪しい女を母と呼ぶ己の妻に呆然としていた王は、続く王妃の言葉に愕然とした。
「ええ。王女様の具合もよくなってきたし、もう後は、呪の完成を待つばかり。もう、これで心配ないわ。全て、母様に言われた通りにしたわ。もう王女様はこちらの手中にある。奪られることはないはずよ」
闇の女と共謀したとしか考えられない台詞と、どこか嬉しげで得意げな響き。闇に属する魔物しか使えぬはずの術を使い、軽々と王女を手元に呼び寄せる。そこには、純真無垢で清らかな少女も、母性に溢れ王女に愛の眼差しを注ぐ母もいなかった。もはや王の知る王妃は、いなかった。
(やはり、入れ替わっていたのか…)
それとも、最初から騙していたのか。
どこまで、本当だったのか。
王は、怒りと絶望に、燃え立ち、そして、冷え冷えとした眼差しを向けた。
(私は、お前など知らぬ)
常に腰に佩いている聖剣を確かめ、王は陰から進み出た。憎い敵を倒し、愛する己の娘を守るために。
~これを見た王様は、部屋に入ると剣を抜いて魔女の親子を退治しました。魔女の親子は、王様に切られて消えてしまいます。~
王に気づいた母親がとっさに魔術で反撃しようとするのを見て、娘は思わず叫んだ。
「母様!」
娘の声に含まれた懇願の響きに、母は呪文を止めた。そして。
「ぐぁ」
蛙の潰れたような声をあげた母親は、王の剣によって真っ二つにされた。その身体は、さらさらと砂となって飛ばされていく。血が吹き出ることは無い。
恋い焦がれた王が、微塵の迷いもなく母親を切りころすのを、ぼんやりと見つめながら、娘は思った。
(ごめんなさい、母様…)
不治の病となった自分を助けるために禍(まが)つ神(かみ)と契約して、魔女としての力を手に入れた母の消滅。最後の子供となった自分よりも以前に、何人もの子供を亡くした母親の望みは、子供よりも早く死ぬ事であった。
母親の死滅は自分の我が儘のせいで起こった事であるが、一応彼女の望みは果たされたと言えるだろうか。
(ごめんなさい。私が、こんな事を望んだから…)
力の強い魔女は、ほとんど精神体のようなものだ。病を得ることなく、ほとんど不死に近い寿命を持つ。しかし、破魔の剣のような聖具に貫かれて死んでしまえば、跡形なく消えてしまう定めだ。
(この人の手で死ぬことができるのならば、本望なのかもしれない)
娘はぼんやりと思った。
『姫』ではない『自分』が、王の記憶に残る事はないだろう。それでも、『私』をころしたのがこの王だという事実は消えないのだ。
家宝である破魔の剣を手に、自分を無表情に捉えている王を見て、娘はかすかに微笑んだ。
娘は寝台の上から、微動だにせず、その様子を見つめた。攻撃しようという気も、身を守ろうという気もない。魔術を使えば逃れられるだろうが、王を傷つける事は本意ではなかった。ただ、行き場のない心が哀しかった。
(この人の御子を抱くことが出来ただけでも、何も生す事のないこの身には、過ぎた幸いだったかもしれないわ)
諦めにも似た感慨に浸りながら、娘は思った。
魔女は魔力が高いほど精神体に近付き、子を生すことは出来なくなる。だからこそ、憎い姫の子であっても、赤子だけは魔術をかけることなく大切に育てていこうとしたのだ。愛おしい、恋しい男の子であったから。
(この方の腕に抱かれることはなかったけれども、この方の御子をこの腕にお抱き出来た)
王が、駆け寄りざまに剣を振り上げるのを、娘は瞬きする事さえせずに見つめていた。愛した男の姿を、その眼に焼き付けるかのように。
(私は、貴方に愛されたかった。嘘でもいいから。姫になり済ますことで、それが叶ったのだから。)
王が剣を振り下ろす瞬間を、普段より何十倍も遅く感じながら、娘は思った。
(私は、幸せだったのかもしれないわ)
王の剣が自らの体を貫いたのを意識したとたん、体がふわりと宙に浮いた。魂が、肉体から離れるのを感じる。体が塵となり、粒子となって、風に乗っていく。魂が形を保っていられるのも、あと数瞬だろう。最期に、と思って王の顔を見て、驚いた。先ほどまでの無表情から一転して、愕然とした表情をしている。むしろ、絶望と言ったほうが近いような……。
「沼の…御方…?」
娘は、ヒュッと息をのんだ。まさか、覚えているとは思ってもいなかった。もう、十数年も前の話だ。その間に、己が森の祝福を与えた少年は、美しく勇ましい青年王に成長し、そして自分は変わらなかった。何一つ、十六歳の姿のままで。
「まさか…」
王が呻く。剣を落とし、頭を抱えた。
「嘘だ…そんな…。あの方を、この手で…?」
破魔の剣に貫かれて魔法の解けた己の姿を見た、あの、ほんの一瞬。瞬きにも満たぬほどの短い時間で、この王は、自分の事を思い出してくれたのだろうか。数十年の時しか生きぬ人の身には、十年とは遥かな昔の事。それでも一瞬で思い起こせるほどに、これまで自分の事を想って来てくれたというのか。
王が絶叫する。
「何故、私は気付かなかったのだ!?あの瞳に!姫のものであるはずがなかったのに!あの瞳を、忘れたことなどなかったのにッ!」
(ああ…!)
もはや娘の残骸も残らぬ寝台を前にして、こみあげる激情を抑えかねるように柱を殴りつける王を見ながら、娘は悔やんだ。
策を弄さなければ良かったのだろうか?年月を経ても変わらぬ姿を持つ身を恥じ、気味悪がられることを恐れ、隠そうとすることなく、真実をさらして向き合えば?
(もう、なにもかも、遅いけれども)
それでも。娘は、消滅を目前にして、本当に嬉しそうに微笑んだ。その微笑は、誰の目にも映る事はなかったけれども。
(幸せ…)
一人の男の、慟哭と呼ぶにふさわしい悲しみ。
後悔に歪む王の顔を見つめながら、娘は思った。これで、王が自分を忘れる事はない。いつまでも、この男の心に存在し続ける事が出来る。
娘は、心から満足して、そして。
この世から、永遠に消滅した。
とてつもなく透明で、歪んだ幸福に包まれながら。
男の胸に、終わりのない後悔を遺して。
~すると魔法が解けて、小鹿は王子様に、白鳥は王様に戻り、皆幸せに暮らしました。~
終章
女王レナ、またの名を『湖の娘』。
歴史に名を残す名君であり、絶世の美女と名高い。己の妻を殺し、隣国を占領した苛烈王に溺愛されながら、その悪政を見かね、父王を倒し王位についた。残酷な治世を敷いた父王とは異なり、史上最も平安な世を築いた。父王は、愛娘の反逆に驚くこともなく、むしろ満足げに娘が振りかざした家宝・破魔の剣に刺し貫かれたと、史書は告げる。最期の命は、自分の亡骸は湖に沈めること、であった。
レナは父王に連れられて頻繁に森の湖を訪れており、そこで湖の女神から啓示をうけたと伝えられる。伝説によると、魔の沼と恐れられていた沼(現在のレナ湖)に足を滑らしたレナは沼の遥か底に坐す精霊に出逢い、祝福を授けられ地上に返された。
女王曰く、「精霊は、己の記憶の底にある母上の眼差しと同じ優しさをもって私を見つめ、『貴女の御代に幸多からんことを』と云い、私の額に口づけた。父王の治世を嘆くかのような憂いを秘めた瞳の色は、私とよく似た青緑色で、沼と同じように気高く底しれないものであった」と。
レナと名付けたのは、当時の北隣国の第一王女であった苛烈王の妻、『森の娘』であったと言われる。遠駆けに出でいた父王は、森の泉で清めの禊を行っていた森の娘と出逢い、一目で恋に落ちそのまま連れ去ったと伝説は謳う。しかし永久と誓われた愛は、隣国の魔女妃の呪いによって突如として失われ、森の娘は豹変した王の手によって破魔の剣で殺された。
湖の娘と謳われる女王の名である『レナ』または『レーナ』とは、古に湖沼を指し、また彼女の母の祖国に伝わる、伝説の聖女を指す。
お久しぶりなのに、リレー小説更新せずにこんなの上げてすみません…。
1年の時からちまちま書いていたんですが、そろそろ書き足したり直したりするのも飽きて←
完成ということにしてアップしちゃいました。
ご意見とか、アドバイスとか、直した方がいいところとか、教えて頂けると嬉しいです。
小さい頃に読んで、ずっと「魔女にも言い分がある」と思ってきたゆえの作品でした。
長くてごめんなさい。
あ、あと、参考文献とかが、著作権的にまずいよ!とかあったら教えてください(>_<)
すぐに直します。というかひっこめます。
あと、禁止ワードがすごいめんどくさかったです。
ころす、しねるが使えませんでした。
おかげで所々ひらがな…
どうにかなりませんかね??難しいのはわかるのですが…