| 2005年02月21日(月) 02時21分 - K |
今、自由律俳句が熱い!id est 自由律俳句がブームだ!
「ハァッ?いったいどこで?」とおっしゃる方々も当然御座いましょう。まぁ、とりあえずは私の脳内ワールドで、とでも答えておきましょうか。しかし私は信じている、いつの日か、この世に自由律俳句の楽園が立ち現れることを!
とまあ、啖呵を切ってみたものの、このままじゃ、読者の皆様置いてけぼりですから、少し説明をしておきましょう。
皆様も俳句だったらもちろんご存知でしょう。
古池や蛙飛びこむ水の音
なんてところが有名ですが、575の定型に季語を一つ入れる、という基本ルールを知っていれば、割と簡単に作れる代物です。最も、いい作品を作ることができるかどうかは別問題ですが。しかし、創作する側への、敷居の低さは、小説、詩、音楽とくれべても断トツといっても過言ではないはずです。もしあなたが日本人なら、学校教育の一環として、一句くらいならひねり出したことがあるんじゃないでしょうか(もちろんあなたが、親に捨てられ、赤ん坊のころから狼に育てられた、等の特殊な生い立ちがあるなら別ですが)。つまり普通の日本人なら俳句を作るのなんか特別高等なスキルではないということです。その証拠に今この場で私も一句ひねってみましょう。えーと、うーむ、むむむむ……
俄かには思いつきませんでしたが、とにかく俳句はそんなに難しいものではない、といいたかったのです。
そこで登場するのが自由律俳句です。自由律、という名の通り、俳句から575の定型とさらに季語まで抜いて、完璧に自由にしてしまったのです。するとどうなるか。
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
せきをしてもひとり 尾崎放哉
なんてものが現れてしまうのです。
どうです、すごいでしょ。この恐るべき、なんでもなさ。別にドラマもないし、事件もないし、美しい景色もない。ぎりぎりまで切り詰められた言葉。特に放哉の句なんか、あまりにばかばかしくて笑ってしまいそうになるものもたくさんあるのである。
墓地からもどつて来ても一人
入れものが無い両手で受ける
爪切つたゆびが十本ある
よい処へ乞食が来た
墓のうらに廻る
淋しい寝る本がない
足のうら洗へば白くなる
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
あらしのあとの馬鹿がさかなうりにくる 全部尾崎放哉
どうです、なんか変でしょ。なんか笑えるでしょ。この句を読んだ奴が、どんな生活してるのか想像しちゃうでしょ。「よい処へ乞食が来た」ってどんなシチュエーションだったんでしょうか。墓の裏に回って何をしていたんでしょうか。「淋しい寝る本がない」てのもどうにもこうにも。
このように自由律俳句というものは、独特の雰囲気があって、実によいものなのです。私は、なんだか変でよいなぁ、と以前から自由律俳句に注目していました。しかし、そのときにはまだ自由律俳句の真の威力には気がついていなかったのでした。
そこへ現れたのがファックスまんがの第一人者和田ラジヲの「嫁に来ないか?」(週刊ヤングジャンプに連載中)でした。このまんがは一度読んでほしいのですが、なんと尾崎放哉の句をまんがにしてしまったのです。さらにそれに飽き足らずに、自分でも自由律俳句を作り、読者登校の自由律俳句までまんがをつけて紹介してしまうのです。その中の秀句をいくつか選んでみましょう。
セミがでかい ラジヲ
ハートのエースが出てこない ラジヲ
ロボットがかなり強い 田中洋七
さすがにもうダメかも ラジヲ
国ニ帰リタイデス 李露々
隣の表札がすごい ラジヲ
どうです、これなら私でも作れそうと思ったでしょう。それどころかこれなら日常生活で、言ってるかもしれないと思うかもしれませんね。
そうです、それこそが自由律俳句の恐ろしさなのです。自由律俳句を知ってしまったものにとっては、日常の会話がすべて俳句になってしまうのです。
たとえばあなたが家で「今日のご飯なに?」と聞いたとしましょう。するとその言葉があなたの口から出た途端、それは俳句になってしまうのです。そして自由律俳人であるあなたは、「今日のご飯なに?」よりも「今日のご飯はなに?」のほうが良かっただろうか、と俳句の推敲に思わず入ってしまうのです。そしてあなたの頭の中は「今日のご飯はなんだろうか」「今日の献立について考えている」等のさまざまな可能性についてあーでもないこーでもないと考えることでいっぱいいっぱいになってしまうのだ。嗚呼、なんとすばらしい日常生活!
現代文学は言葉を消費し尽くしてしまった。狂った青年が自作の散文詩のなかで「彼は十七歳と四ヶ月…こうもり傘とミシンが巣手術台の上で偶然出会ったかのように美しい」と書いたのが十九世紀だったが、二十世紀はじめにはその言葉も「ああつまりシュルレアリスムなわけね」と片付けられてしまった。その後どんな新しい言葉の使い方を発明しようと「ああつまり……なわけね」のなかに、シュルレアリスム、ダダ、現代詩、コピー、アヴァンギャルド、ビックリハウス、などの言葉を入れれば、簡単に了解できてしまう時代が来てしまったのだ。まさにドナルド・バーセルミが雪白姫に「ああ、いつも耳にする言葉じゃない言葉がこの世に少しはあってもいいのに」といわせたのはこういう時代なのだ。そんな時代に私は、G.フローべールがやろうとしたことと正反対のことがしたいのだ。すなわち、フローベールが手紙で「いったんこれを読んだら、人はその中の文句がおのずと口に出るのを恐れるあまり、話すこともできなくなる」様な辞典について書き、実際に『紋切り型辞典』の草稿を残したのであるが、私が書きたいのは「いったんこれを読んだら、人は今まで発した言葉、そしてこれから発するであろう言葉がすべて実は自由律俳句であることを知り、日常生活のすべてがその言葉を練磨する喜びとともにあるような人間になってしまうような」書物なのである。
さああなたも、世界を自由律俳句で埋めてしまいましょう。すべての言葉は俳句なのです。私もためしにいくつか作ってみましょう。
俳句を作ってみる K
ガス水道有りトイレ共同駅から五分 K
立ち入り禁止 K
くだらなくて死にそうだ K
いったい俺は何をやっているのだろうか K
夜中にパソコンの前で笑っている K
妖精さんだ妖精さんだ K
さけさめたらこい K
キーボードの隙間に誇りがたまっている K
これ以上続けても無力感しか感じなくなってしまうのでやめるが、それでも私は信じている!この世のどこかに必ずあるという(BGM ガンダーラ)自由律俳句の楽園を!そして私たちは今、その楽園を探すオデッセイを始めようとしているのだ!!!!!!
という夢を見た。
(15点配分)
( )「全体として、面白かったかどうかの報告」
( )「どこまで読んだか、その確認」
( )「気になった部分への指摘」
( )「興味深い(面白い)と感じた部分の報告」
( )「技術的な長所と短所の指摘」
( )「読後に連想したものの報告」
( )「酷評(とても厳しい指摘)」
( )「好きなタイプの作品なのかどうか」
・特に重点的にチェック(指摘)してもらいたい部分。
( )
・読んで楽しんでもらいたいと考えている部分。
( )
・この作品で、いちばん書きたかった「もの/こと」
( )
二時二十分かなり眠い K
書かなきゃ良かったと思っている K
しつこいなお前 K
さようなら K