Door(お題「運命」)

2012年10月03日(水) 23:42-御伽アリス

・・・―
・・・―

ドアの前で、そいつが来るのを待っていた。そしたら本当にそいつはやってきた。おそるおそる、尋ねる。
「はい、どちら様ですか」
沈黙。小さな覗き穴をのぞき込んでみるが、どうしたわけか何も見えない。
「どちら様ですか」と、もう少し大きな声を出す。すると。

・・・―
・・・―

それはノックの音だった。誰かがこのドアを叩く音だ。
「はい、どちら様ですかっ」と言うと、向こう側から何かの声が聞こえてきた。
「私は、『運命』ですってね」と、そいつは言った。
「はい? もう一度言ってください……」
「私は、『運命』ですってね」と、確かにそいつは言った。ということは、今、長い間待ち望んでいた運命というやつが、僕の元にやってきたということか。そうか、そうか。
ドアの前でじっと耳をすませて待っていたから、僕はふと気が付いた。足音がしなかったのだ。運命には、足音が無かった。

・・・―
・・・―

「私は、『運命』ですってね」と、運命はまた繰り返した。僕が黙っていたから、自分の声が届いていないと思ったのかもしれない。
「いや、あなたが『運命』であることは分かりました。で、あなたは僕をここから出してくれるのですか」
ドアの向こうにいる運命は、返事をしない。
「ねえ、聞こえていますか。僕をここから出してください。僕はあなたが来るのをずっと待っていたんです」と、そう言うと。

・・・―
・・・―

「私は、『運命』ですってね」と、運命はまた同じことを言う。
「分かっていますよ、それは。ここから僕を出してくださいと言っているんです」
「こことは、どこのことですってね?」いきなり、運命はそう尋ねてきた。何を言っているんだ。
「こことは、今僕が閉じ込められている、この部屋のことですよ。扉のこちら側。あなたの方からすれば、ドアの向こう側ということになります」
そう説明すると、運命は言った。
「あなたは、どこかから抜け出したいのですってね」
「どこかから、と言うか、今いるここからですよ」
なんだか、様子がおかしいような気がする。運命が来れば、すぐにここから出られると思っていた。それなのにどうして、ドアの向こう側の運命はいちいち妙なことを言うのだろう。

・・・―
・・・―

「あなたは、どこへ出たいのですってね?」と、運命は僕に尋ねた。
「どこへ、とは?」
「出る、というのは、どこかからどこかへ移動することですってね。中から外への移動ですってね。ですから、その移動の起点と到着点があるはずなのですってね」
何をわけの分からないことを。
「どこへでもいい。このドアの外に出られれば。とにかく閉じ込められている所から出たいんです、それだけです」

・・・―
・・・―

「つまり、私はこの扉を開けて差し上げればいいのですってね」
「そう、その通りです。このドアを、開けてくれればいいのです」
僕はホッとした。ようやく運命は僕の望みを理解してくれたようだ。そう、別に難しいことなど言っていないのだ。ドアを開けてくれるだけでいい。そうしたら僕はここを出て行くだけなのだ。運命は、ほんの少し僕の手助けをしてくれればいい。
「さあ、早くドアを開けてください」と僕は運命に頼んだ。
「分かりました、開けろとおっしゃるなら、私は喜んで開けますのですってね。それが私の役目なのですってね」
そう言って運命は黙り込んだ。僕はドアが開くのを待った。もうすぐ、今に、ここから出ることができるのだ。さあ、早く。はやく……。

・・・―
・・・―

またノックの音だ。いい加減うるさいぞ。なぜノックなどするのだ。何が楽しくて何度も何度も扉を叩くのか。嫌がらせのつもりか。ドアノブが回る。早く、はやく。
「おや、やはりそうですってね」と、運命は言った。ドアはまだ開いていない。僕は苛立った。
「どうしたのですか、変な声を出して」と尋ねると、運命はゆっくりと答えた。
「いえ、そうではないか、と思っていたのですってね。失礼ながら、あなたはヒトですってね」
「当り前でしょう。だから何なのですか」何が、失礼ながら、だ。失礼な。
「ハハハ、いえ、たった今、あなたのお姿を拝見しましたら、まさにヒトだと思ったのですってね」運命は、笑っている。何が可笑しいのか。なぜ僕のことを笑う?
「僕の姿を見た、とはどういうことだ。ドアを開けていないのに、そちら側からは僕のことが見えているのか」
「アハハハ……」運命が、僕のことを笑っている。

・・・―
・・・―

ドアの向こう、手を伸ばせば届くくらいの距離に、運命がいる気配がしている。僕は小さな覗き穴を睨みつけた。一瞬、覗き穴がきらっと光った気がした。そしてその穴の向こうに、何者かの視線を感じた。運命の、不気味な眼差しが、こちらを見つめているような気がした。
「と、とにかく、早くドアを開けてください」と僕は声を震わせながら言う。わずかな沈黙の後に、運命の声が言った。
「私は、『運命』ですってね。『運命』は一度きり、なのですってね」その声は、なぜか僕を不安にさせる響きだった。
「いいから、はやく、開けろっ!」僕は思わず叫ぶ。
「『運命』は一度きり、ですってね。それでもあなたは、構わないとおっしゃるのですってね」
何を言ってる。意味が分からない。わけが分からない。何かがおかしい。頭が痛い。違和感。閉塞感。
「あ、けろ……」

・・・―
・・・―

ノックノックノック、ノック。耳障りだ。何なのだこれは。
「それでは、私は扉を開けて差し上げるのですってね」運命はそう言った。
ノブが回る。そろそろとドアが開いていく。おかしい。鍵はどうしたのだ。ドアには鍵が掛かっているはずだ。なぜその鍵を開けるカチャリ、という音がしないのか。まさか、鍵は最初から……?
「さようなら、ですってね」と、運命の声が消えていく。気配が薄れていく。
ギギギィ、とドアのきしむ音がする。少しずつドアが開く。その様子は、徐々に僕を不安にさせた。そして、
「あっ、待て。待ってくれ!」と叫んだ時には、もう遅かった。ドアは、開かれていた。
扉の向こうには、誰もいなかった。運命の姿も無かった。そして、ドアの向こうには、狭苦しいあの部屋があった。僕は慌てて振り返った。ドアのこちら側。それは、広々とどこまでも続く、外の世界。
そうか、そういうことだったのか。僕はどこかに閉じ込められた気でいた。ドアの向こうは外だと思っていた。覗き穴の向こうには外の世界が見えるはずだと思っていた。しかし逆だったのだ。僕はもともと閉じ込められてなどいなかった。僕は自分でこの部屋にやってきたのだ。運命が僕の元へやってきたのではなく。僕が立っていたのが、ドアの外だった。
不思議なことに、あまり後悔はなかった。少し愉快に思うくらいだった。やられた、これは一本取られたな、とかそんな感じだった。きっと運命とは、自分のドアの前で待っていても、やってきてはくれないものなのだろう。あのノックは、僕のものだったのだ。ノックするのはこちらだ。運命のドアをノックするのは、僕の方だ。

・・・―
・・・―





繰り返される「・・・―」というノックの音は、あの有名な曲の「ダダダダーン」という音をイメージしています。
あと、運命のセリフの語尾は、くだらないです。

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御伽アリス
最終更新:2014年03月17日 19:02