2012年10月21日(日) 23:18-竹之内 大
「赤い糸が見えるようになった。」
突拍子のない発言に思わず読んでいた雑誌から顔を上げ、彼に視線を向ける。
「ついに俺の秘められた力が解放されたに違いない。」
自信満々に言ってのける目の前の男。前からちょっと変わったやつだとは思っていたが。そうか、ずっと彼女がいないことは知っていたがついにおかしくなってしまったのか。かわいそうに…。
「よし。さっそく街に繰り出すぞ。未来の嫁が俺を待ってる。」
「ちょっと、なんで私まで…。」
彼に強引に手を引かれ、こうして私は赤い糸でつながれた彼の運命の女性探しに付き合う羽目になったのであった。
さて、やってきたのはわが町の生き字引、今年米寿を迎えられてもいまだかくしゃくとした老婆が店主を務める古本屋。
「お前が年上好きなのは知ってたが、さすがに…。」
「そんなわけないだろ!」
「いや、確かにこれが運命なのかもしれない。あきらめろ。」
案の定というべきか、店内はお年寄りたちの憩いの場と化していた。一応店内の中を二回りほどしてみたが、彼の探す女性はもちろん見つからない。あからさまにがっかりする彼。
「あんまり落ち込むなよ。ほら、あの本。お前が探してたやつじゃないか?」
あまりにも不憫すぎて、たまたま見つけたその本を指し示す。本当はあとでこっそり自分で買って、うらやましがらせてやろうかと思ったんだけど。
「俺は本を買いに来たんじゃないんだぞ。」
「じゃあ買わないのか?」
「いや、買うけど…。」
なんだかんだ言いながら結局その本に手を伸ばす。と、その時。突然私たちの横手に積まれていた本が崩れる。
「まったくお前何やってんだよ。」
「なっ! 俺は何もしてない!」
じゃあ勝手に本のほうが崩れてきたというのか。もしかしたらその本たちがこいつの運命の相手でこいつの胸に飛び込んできたのではなかろうか。
「あっ…。」
意識を飛ばしていたところ、彼の声ではっと我に返る。目の前には崩れた本を抱えたまま呆けたように固まる彼。視線の先には、いかにも清楚なお嬢様、といった感じの可憐な少女。ぽかんとバカみたいに彼女を見つめる私たちに目もくれず、少女は彼が買おうとしていた本を手に取り、レジへ向かっていく。
結局私たちはほとんど何もすることなく店をあとにする。
「なんだ、彼女が運命の女性じゃなかったのか?」
「うーん…。そうだったというのが正確だろうな。どうやらあそこでの接触が条件だったみたいだな。糸が切れてしまった。」
「はぁっ?」
「あそこで雪崩れてこなければだな、俺と彼女が同時にあの本を取ろうとする。そして触れ合う手と手…。」
そんなことを言いながらどこかへ意識を飛ばしてしまった彼。ニヤニヤしてるんじゃないよ気持ち悪い。
「そうか、じゃあずっと独り身なのか。かわいそうに…。」
からかうような私の口調に、ちょっとムッとした表情を見せる。こんなわけのわからんことに付き合わされたんだ。このくらい言ってもばちは当たるまい。
「バカを言うな。糸はまだある。次に行くぞ。」
ところが彼はそう言って、再び私を引っ張っていく。……何だ、運命の女性っていうのはそんなにポンポン出てくる安っぽいもんなのか?
引きずられるようにして、今度は駅へと向かっていく。まったくうんざりといった感じで彼に尋ねる。
「次のお相手は駅にいるのかい?」
「さあ、どうだろうな…。むっ、近いぞ!」
…もう少しでも私にも気を配れないものだろうか。いや、いいけどさ。
周囲は何の変哲もない住宅街。向こうで買い物帰りのおばさん方が談笑してるのが見えるくらい。あぁ、そうか。お前やっぱり…。私が遠く思いをはせている間に彼は「行くぞ!」と叫んで走り出してしまった。…あいつまたやりやがるぞ。
あわてて後を追うと、想像通り彼は榊原さんちの愛犬であるジョンにほえかけられて尻もちをついていた。まったくあいつは何度同じ目に会えば榊原さんちの前を静かに通過することを覚えるのだろう。私はため息をつきながらも、ジョンを刺激しないようにそっと彼に近寄っていく。しかし私は彼に声をかけようとして思わず固まってしまった。彼もまた尻もちをついたままという無様な格好で固まるのがわかる。榊原さんちの角から一人の女性が飛び出してきたのだ。社会人なのだろう、スーツに身を包んだ利発そうな顔立ちの女性。そんな彼女があわてたように私たちの側を駆け抜けていくのを、またしてもポカンと見つめているしかない私と彼であった。
「くそっ! あのバカ犬め!」
彼が忌々しげに吐き捨てる。いや、私に言わせれば自業自得なのだが。いいかげん学習しろ、っていうかジョンに慣れろよと言いたい。
「あいつさえ来なければ、まさに劇的な出会いを果たしていたというのに……!」
こいつは少女漫画の読みすぎじゃないだろうか。偶然同じ本を取ろうとするとか、曲がり角でぶつかるとか。
「まだ続けるの?」
「当たり前だろ。」
そう言って走って行ってしまった彼。やれやれ。私も見失わないようあとを追う。
さて、駅前のロータリーについた私たち。
「このあたりにいるぞ。どこだ、どこにいるんだ!」
彼は明らかに挙動不審である。辺りから訝しげな視線を投げかけられている。
「おい、少し落ち着けよ。」
他人のふりをしようかとも思ったが、一応声をかけてやる。
「ええい、これで落ち着いていられようか。二度もチャンスをみすみす無駄に……」
ここで突如固まる彼。まさかと思いながら私も彼の視線の先を追って固まった。
茶色がかった長い髪。ふんわりとした雰囲気はまるで天女のよう。どうやらこの女性が彼の運命の女性第三号らしい。
「あっ!」
思わず私は声を上げる。彼女がハンカチを落としたのだ。
「おいっ! 何ぼけっとしてるんだよ!」
この好機にも関わらずいまだ固まっていた彼の頭をスパーンとはたく。ようやく意識を取り戻したらしい彼は猛然と彼女のもとへ突っ走っていく。今度こそ彼はハンカチを拾ってあげるという、またしてもありがちな展開で彼女に近づくことができるのか?
どうなんだ、と期待少々、不安いっぱいで見守る目の前で、彼は、盛大にずっこけたのでありました。
さすがに彼は期待を裏切らない男であった。とはいえここまでやってのけるとさすがにいじけモードである。
「ああもう俺はだめだ。一生彼女なんてできないに違いないや。」
「そんな大げさな」
「だって見えててこれだぜ! わかっててこれだぜ! もうどうすりゃいいんだよ。」
そう言われるとそうなのだが。
「でも全部の糸が切れちゃったわけじゃないんでしょ?」
「あっても変わらないだろ。まあ何かだんだん太くなってきてるのとかあるけど…。」
苛立ったように首を振りながら答える彼。
「大体切れることのない糸なんてないんじゃないか。」
投げやりに彼はのたまう。
「そんなことはない。」
思いのほか強い口調で返してしまった。突然の発言だったから、思わず。しかしどうやらこれがささくれ立った彼の気に触れたらしい。
「なんだよ、お前なんかに何がわかるっていうんだ! わかったような口をきくんじゃねぇよ!」
怒りモードに豹変である。そんな台詞を残して走り去ってしまう彼。なんなんだかなぁ。
いつの間にか日が陰ってきた。もう夕方だ。私はベンチから立ち上がり、ゆっくりと歩きだす。なんだか交差点のあたりが騒がしい。電柱に激突し大破した乗用車。路上のそこかしこに残る赤いシミ。事故があったのだ。周りは騒然としている。もっとも私には何があったのか、誰が轢かれたのか分かっているのだけれど。
まったく。私は彼を抱きしめる。肉体を失った彼をそっと。彼は怒ったけれど、切れないものは切れないのだ。死神との糸は。遅いか早いかの違いはあれど、いつか必ずやってくる。さてと、一つ大きく息を吐いてから、私は彼を抱え直す。そして再びゆっくりと道を進んでいくのであった。
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無常念々に至り 恒に死王と居す (善導大師)