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お題「わざと転ぶ」

2012年11月18日(日) 22:19-竹之内大

「おい、お前わざとだったろ。」
夕暮れの校庭の片隅で俺は京也に詰め寄った。だが彼は何も言わない。
闇に飲み込まれようとしている校庭にはもう二人のほかに人影は見えない。先ほどまで行われていた、大会出場者を決める校内選考レース。まだ一年生ではあるが、短距離での彼の才能は陸上部内でもずば抜けていた。誰もが彼の勝利をつゆほども疑っていなかった。だが、
「さっきの最後のレース、お前わざと転んだんだろ。」
そう、彼は転倒した。予想外の出来事に周囲は騒然とする。その時、俺は見てしまった。転んだ京也が一瞬だけ笑ったことに。ほかの奴らは気付かなかったようだが、スターターをやっていて皆とは離れたところに居た俺は気づいてしまったのだ。
「何であんなことしたんだよ。」
「何でって…」
再び口ごもってしまう彼。
「やっぱり長谷川先輩になんか言われたのか?」
気まずげに眼をそらす目の前の男。本当にわかりやすい。しかし。思わずため息をつかずにはいられない。やっぱりか。京也と同じ短距離の選手である三年の長谷川先輩。先ほどのレース、京也の転倒によって、一枠しかない大会への出場権を獲得した長谷川先輩。時折京也に忌々しげな視線を投げかけていた長谷川先輩。そう、おそらく彼は京也の存在を疎ましく思っていた。しばらく沈黙が続いたが、ぽつぽつと京也が語り出す。
「校内選考の少し前からかな…。長谷川さんと、あと三年の先輩何人かに体育館裏に呼び出されて、わざと負けろって脅されて、ウゼーんだよってなじられて、小突かれて…。練習とか片付けのときとかにも、いやがらせされてさ。それで…」
「それでわざと転んだってのかよ? そんなことしてよかったのかよ。大体一言相談してくれればよかったじゃないか。」
京也は疲れたように笑って答える。
「わざと転ぶのは嫌だったよ。すっごく悩んだし。でももう全部が嫌になっちゃってさ。誰かに話そうかとも思ったけど、迷惑をかけたくなかったし。それに、君だって思ってたろ。あんな奴走るしか能がないくせに、とかさ。」
思わず言葉に詰まる。確かに。中学までそれなりの成績を残してきていてちょっと天狗になっていた俺は、彼をちょっと、いやかなりねたんでいたといっていいだろう。その嫉妬心を、勉強や走ること以外はからきしスポーツができない京也を陰で嘲り、優越感を得ることでごまかそうとしていた、というのも否定しようがない。
「でも、だからって…」
「もう、陸上部やめようと思うんだ。」
目の前が真っ白になった気がした。こいつ今なんて言った? やめるだって? そんなこと…
「ふざけんなよ!」
思わず、彼の胸ぐらをつかんで詰め寄る。俺は別にそんな喧嘩っ早いわけじゃない。だがそもそも俺は気が立っていたのだ。走るために生まれてきたような彼が、陸上にそんな不誠実な態度を取ったことに。
「やめるだって? 走るってのは、お前にとってそんなものだったのかよ! 走るっていうのは、お前にとってのすべてだったんじゃないのかよ!」
「走ることがすべて?」
どこかぼんやりとした口調で京也がつぶやく。
「走ることしか能がない僕にとっては走ることが人生のすべてだろうって? 走ってさえいれば何の悔いもなく僕は幸せでいられると?…つまり競走馬のように走ることが僕の生きる意味で、目的ってことなのかな?」
まさか京也にそんなことを言うと思ってはいなかった。口をはさむこともできず、京也の言葉を聞くことしかできない。
「確かに実際僕もずっとそう思ってきたんだけど、でも……」
彼は悲しげに微笑んむ。俺は、あっけにとられて手を放してしまう。
「別に走ることが嫌いになったわけじゃないんだ。でも、少しいろいろ考えてみようと思うんだ……」
俺に背を向けると、小さな声でそう言って京也は足早に立ち去って行った。俺には彼の後姿を見つめることしかできなくて。ああ、俺はいったいどうするのがよかったのだろう。できれば、そう何としてでもお前を引き留めたかった。俺はお前のことが妬ましくて妬ましくてしようがなかったけれど、でも俺は京也が走るのを見るのが好きだったんだ。まるでカモシカのように軽やかで、美しいその姿を。俺は京也と練習で一緒に走るのが好きだったんだ。お前の横でともに走っていると、自分が風になったような気分になれたから。
「京也…。」
俺のつぶやきは誰かの耳に入ることもなく、闇に吸い込まれていった。

最終更新:2014年03月17日 19:14