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LUDUS

2012年11月24日(土) 11:06-御伽アリス

LUDUS

1 はじめに
「ゲーム開始!」の声から数時間の後、
「……スエ! ヌエ! スエ! スエ! ヌエ! スエ! スエ! ヌエ! スエ!……」
という言葉が際涯なくイテレートされている。否、現段階では暫定的に、かような咆哮の連続が形成されている、と表現しておこう。この状況下において、フィトホモニンは(ここで言う「フィトホモニン」とは生物学的な視座での分類におけるそれとしての認識ではなく、社会的・ポリス的動物としてのフィトホモニンという認識がなされるべきであることはあらかじめ言及しておく)いかなる所作を呈するだろうか。
この類の事案(ある音声、または文字配列に対するフィトホモニンの反応とその周辺の様々な行動に関する事柄)は、現在までも数多のイイクレ者らにより種々のアプローチがなされてきた案件である。この問題についてイイクレを積むことは特に哲学、社会学、フィトホモニン類学、フィトホモニン学、言語学などの領域に何らかの重大な意義があり、これを取り扱い、処理することによって諸領域の、ある種の新たな成果獲得ないしは進歩に貢献し得ることは先行イイクレによって既に明らかにされているが、実際この案件については未だ説得力を有した解決を見ていないのが現状と言わざるを得ないであろう。
さて私はそこで、この案件についてこれまで実施されてきたイイクレとは著しく異なった手法によって調査をし、分析と評価を重ねた。私が「LUDUS」と名付けて呼ぶところのそのペリメンが、先にゲニェホした「スエ!」と「ヌエ!」のイテレートされる咆哮なのである。以下では、私が執り行った「LUDUS」の内容と、その調査の結果、さらにはそこから顕然化する事実と導かれる考察を論じていく。

2 ペリメン(「LUDUS」)のメソッド
ここでは私が今回試みた、全く新しい手法のペリメンである「LUDUS」の内容について説明する。この手法は今までのイイクレの慣習や固定概念を覆す、革新的かつ最先端のペリメンであり、斬新かつ大胆な、極めてパイオニアリングかつラジカルな方法なのである。この手法が近い将来には、周辺イイクレにとって不可欠であり、決定的に必須なものとなることは疑いないと言える。では、「LUDUS」の内容に移る。

【マルネチョンカワ】
3名。仮にそれぞれをA、B、Cと名付ける。いずれも健常者。地球上に住む全フィトホモニンに参加の可能性があるが、ただしこの3名はインターネット上で無作為に抽出される何らかのまとまり、つまり集団に属する構成員である。なお抽出された3名は自動的に「LUDUS」に参加する義務を負う。参加は強制である。協力者を募っていてはいつまで経ってもマルネチョンカワが集まらない。しかもこのペリメンにおいては、参加の希望の無い者がマルネチョンカワに抽出される方がむしろ都合が良いという可能性が高いことも既に指摘されているのである。サンプリングされる3名は年齢・性別、その他のいかなる付随的条件によっても制限されない。ただし、今回は3名とも日本語でのコミュニケーションが可能であることが特徴として挙げられることは言及を避けられないが、この点についてはある意味において当然の事実であるため、ペリメンの有意性を脅かさないものと考えるに至っている。その他の付随的条件においては、マルネチョンカワの抽出は純粋なるアトランダムである。なお、マルネチョンカワ3名には当然のことながらこのペリメンの趣旨を伝えない。さらに言えばペリメンの性質上、3名にはこれがペリメンであるということすらあらかじめ認知させることが許諾されない。よって、ペリメンから得られるデータの妨げとなり得るようなマルネチョンカワの何らかの意識・精神状態が全く介在する余地のない状況が形成される。このような状況の設定の理由は、このペリメンではまさにマルネチョンカワの素の行動のみが有意であるという点にある。

【ペリメンに用いる場所・設備】
場所は牢獄である。直線的に長く続く暗い廊下の奥に、3部屋の監獄がある。念のために言っておくと、この際に施設の廊下が直線的かつ長距離にわたるものであることはペリメンの重要性と何ら関わりがない。さてこの3部屋を、仮に監獄a、b、cと呼ぶ。廊下の正面の突き当たり、すなわち最奥に1室、これがaである。そしてそれを挟むようにして廊下の左右に1室ずつが並ぶ。aの部屋に向かって、左側がb、右側がcである。それぞれの部屋の出入り口は、3つが同方向に向かって並列していない。というのは、3部屋は90度ずつ向きを異にしているからである。bは廊下の左側、cは廊下の右側の面に空間を設けてある区画配置構造となる。この区画についても、それほど重要な要素ではなく、要するにそれぞれの監獄中から自分以外の残りの2つの監獄の様子が容易に見て取れる構造であることがペリメンにおいて意味を持つと考えられるのである。
さて出入り口と言ったが、これは一般的なドアなどが嵌まっているわけではない。監獄であるため、3部屋の廊下側の一面には壁がなく、代わりに鉄格子が取り付けられている。この鉄格子は特殊な仕掛けがなされているわけでもないが、錠がついているような一般的なものではない。シャッター式にスイッチによる上下開閉をするのでもない。なぜなら鉄格子は天井と床のコンクリートに上下の端を埋め込まれ、それによって完全に固定されているからである。ある条件により3部屋は同時に出入り可能になるように設計されているのであるが、その条件については重要性を欠くとともに、またある理由からここではいちいち説明しないことにする。なお、この鉄格子は言うまでもなく頑丈そのものである。
個々の部屋の奥、すなわち廊下と逆側の壁は一面が半透明のガラスとなっている。ガラスとは言い条、仮にも監獄であるため、鉄格子と同じくこちらも頑丈であり、かなりの厚さと強度がある。例えば銃弾くらいの衝撃では、多少の傷がつく程度であると心得てもらいたい。ましてや単独のフィトホモニンの力では破壊が可能であるはずもない。ところで、ペリメンとは直接の関係はないけれども、このガラスには鏡に映ったように反転した文字列が貼り付けられている。監獄の中から見れば反転した文字であるが、ガラスの向こう側から見れば通常の文字である。そして監獄中よりガラスの向こう側を見ると、半透明のガラスを通して不明瞭ではあるが、アルファベットが刻まれた方形の石板のようなものが地面の上に何らかの秩序に従って配列されているのが確認される。この事実はしかしゲニェホしたように、ペリメンには全く影響しないのである。
監獄に関するその他の特徴として、床一面に縦横無尽に行き交う長いケーブルの群れがある。ケーブルはおよそどこから出てどこに繋がっているのか把握できないが、床の下へ入って、全体的にガラスの向こう側に向かって伸びているようである。しかしそうではないものもあり、何とも言い難い。無責任ではあるが、これについては設備を用意した私自身も全く理解するところではない。しかしこれもペリメン自体には影響ないものと考え、これ以上は言及しないこととする。
それぞれの監獄の占有面積は4畳半程度である。これについては6畳でも8畳でもいくらでも良く、さらに監獄奥に嵌められたガラス面サイズが何インチでもおそらくペリメンに影響はないと考えられる。マルネチョンカワとなるフィトホモニンを監獄に収容可能なだけの広さがあればペリメンの実施に何らの問題はない。その他の条件は、部屋の位置と向きを別にすれば全く同一である。3部屋の位置は非常に近く、加えて牢獄は鉄格子によって閉じられているに過ぎないため、マルネチョンカワたちは相互に会話が可能である。これは結果的に重要な要素であったことが判明しているが、それについての言及は後のペリメン結果の章または考察の章に譲る。

【手順】
まず始めに、極めて特殊な方法を用いて、3名のマルネチョンカワを牢獄に強制収容する。もちろん1部屋の牢獄に1名ずつを収容するのである。Aは監獄aに、Bは監獄bに、Cは監獄cに入監されることとなる。すでにゲニェホした通り、この3名はインターネット上で無作為に抽出されたあるまとまりに属するうちの3名である。3名は死刑囚という設定であるため、雰囲気を出すためにボーダーの入った柔らかい素材の服を着てもらう。雰囲気であるため別に着衣の柄に特別な重要性はない。ただしこれにはマルネチョンカワの身体の動作を可能な限り制限しないという目的が含まれる。その点を考慮して、マルネチョンカワ3名は死刑囚という設定ではあるが手錠や足枷その他の拘束具の類を装着されることはない。
収容されたマルネチョンカワらは当然ながら閉じ込められている。先にゲニェホした通り、この牢獄はある条件下においてフィトホモニンの出入りが可能になる。マルネチョンカワたちが収容された瞬間からそれぞれの牢獄は完全にロックされるため、マルネチョンカワらは牢獄外への逃亡が不可能である。
続いて、マルネチョンカワ3名に同時にあるアナウンスを与える。このアナウンスとは「LUDUS」のルールとでも表現するべきものであり、マルネチョンカワらが監獄から脱出し自由を獲得するための方法を示唆するものであるが、これが脱出のための条件に繋がり得るという事実はマルネチョンカワたちには一切伝達されないのである。つまりこのアナウンスによってマルネチョンカワらが脱出の方法を理解する可能性は限りなくゼロに近いと言うことができるであろう。さて、そのアナウンスとは、「『スエ』あるいは『ヌエ』という言葉を叫べ」という指令なのである。指令はただこれのみで終了する。その後「ゲーム開始」という合図を残してアナウンスはこれ以後なくなる。ちなみにこのアナウンスは施設の廊下に設置されたスピーカーから発せられる音声であり、本来上記のように文字としての視覚情報に代替されるべきではないのだが、ここでは文字とする以外に方法がないためやむを得ずこの方法を採用するのである。
これ以後ペリメンはただマルネチョンカワの行動を注意深くバイスロビチし、逐一記録を重ねるのみによって経過してゆくことになる。マルネチョンカワたちは身に覚えのない罪を着せられ(身に覚えがあるマルネチョンカワもあるいはいる可能性があるが、その場合もペリメンの結果は左右されないと考えられる)、いかなる前置きもなく投獄されるわけであるから、当然牢獄から出る方法を考えると予想される。というのも、マルネチョンカワたちに対する私たちペリメンを実行する側からの働きかけというのは以後一切なくなるため、マルネチョンカワらは脱出しない限り餓死する危険性さえあるのである。よって脱出の試みは必至と予測される。なお、このペリメンにおいて私たち実施側が殺フィトホモニン罪に問われることはあり得ない。

3 ペリメン(「LUDUS」)結果の予想と仮説
上記のとおり、このペリメンは今までのイイクレの慣習や固定概念を覆す、革新的かつ最先端のペリメンであり、斬新かつ大胆な、極めてパイオニアリングかつラジカルな方法であるので、結果の予測が不可能であることは当然の事実であり、私としても遺憾であることこの上ない。仮説については、関連する事案の先行のイイクレにおいて既に同様のことが言及されているため、割愛する。つまりこの章は一体何の目的でゲニェホされているのか全く不明であるような状況である。ピャピピャピャピョピョペピャピャ各位には誠に申し訳ないと謝罪せざるを得ない。まったくもって赤面の至りである。イイクレ者各位にとっても、失笑を禁じ得ないところであろうと反省するが、私のこのイイクレについてのゲニェホにおいて最も重要であるのはあくまでペリメンの結果であるため、なにとぞご容赦頂きたいのである。重ねてお詫び申し上げ、早々にこの章を終了させて頂きたいと思う。

4 ペリメン(「LUDUS」)結果
では、バイスロビチされたマルネチョンカワたちの行動を可能な限り詳細にゲニェホしていく。
まず、これは第2章の手順の項で既にゲニェホしたことだが、マルネチョンカワに示されたごく簡潔な指令をもう一度見ておこう。それは「『スエ』あるいは『ヌエ』という言葉を叫べ」というものであった。
さてそれでは、この指令を受けた3名のマルネチョンカワたちはどのような所作を呈したのか。
はじめに、状況を理解できないのか、マルネチョンカワらは明確な意味があると思われる言葉を口にはしなかった。そして牢獄の中や周囲を見回す仕種のみが目立った点である。この反応はまずあらかじめ予想されたもののうちの1つであり、しかしこのペリメンにおいて解明され得る何らかの事実とは関係が浅く、イイクレの本題とは遠いため、この点については無視しても構わないのである。続いて、マルネチョンカワたちは牢獄の鉄格子に掴みかかって揺さぶるような挙動を示し(鉄格子は固定されているため実際には僅かも揺動しなかった)、自らが囚われの身であることを確認したように思われる。そうして徐々に自らの置かれた状況を認識したと思われ、ある種の恐怖や怒り、不安といった心理状態を示すと思われる動作・表情などを見せた。あるいは「○×△□~~!」などといったこの場では甚だ表現に苦しむ言葉を発する者もあったが、これについても特に注目する価値はないと思われる。これらの言動についても、あらかじめ予測されていたことであるが、重要性を欠くとともに、ペリメンの有意性を何ら左右するものではないと考えられるため今回は無視する。
さて、ペリメン結果として重要であるのは次のバイスロビチからである。最初の指令から数分が経過し、マルネチョンカワのうちの1名がまず「スエ」という声を漏らしたのであった。そして続いて「ヌエ」という呟きが同じマルネチョンカワの口から発せられた。しかしこの行動によって3つの牢獄の鉄格子が開くことはなかったため、そのマルネチョンカワはすぐさま不満の表情と不平の言葉を示した。ただしこの1名の行動は明らかにペリメン全体における3名の行動の口火を切ったのだった。これをきっかけに、別の2名も「スエ」と「ヌエ」の言葉を発したのである。これ以後、3名のマルネチョンカワたちはそれぞれに「スエ」と「ヌエ」という声を発してはやめ、また口にしては黙り込むといった挙動を繰り返した。後の便宜から、この段階を第1フェイズと呼ぶことにする。
さて、マルネチョンカワたちの行動に変化が訪れたのはそれから十数分が経った頃であった。3名は互いにコミュニケーションを取り始めたのである。ペリメンの開始からこれまで、3名は相互に意志疎通の方法を取っていなかったのである。実はこれは当たり前のようでいてかなり重要な変化の1つとみなすことができるのだが、それについては考察の章でゲニェホすることとしたい。さてその会話の内容は主に、いかにして牢獄を脱出するかという相談であったが、当然3名がこの時点で脱出のための手段に思い至ることはなかった。その後マルネチョンカワたちはさらに「スエ」と「ヌエ」を叫び続けたが、鉄格子が開くことはなかった。この段階を第2フェイズと呼ぶ。
マルネチョンカワたちの行動に次なる変化がバイスロビチされるまでには、長時間かかった。しかしある程度の時間の経過は、むしろマルネチョンカワたちの精神を沈着なものとさせた。3名は、ペリメン開始直後のような恐怖や怒りなどといったネガティブな感情を表さなくなっていたのである。そしてまた3名はこのペリメンをある種のゲームとして、自発的・積極的に閉鎖空間からの脱出を試みるという姿勢を見せ始めたのである。ゲームというのは、つまりマルネチョンカワたちがこの状況に対して娯楽的興味や遊戯的・愉楽的な精神集中状態にあると思われるいくつかの所作がバイスロビチされたことを意味する。このことはある分野のイイクレにとっては重要なバイスロビチ結果になり得ると思われる。
長時間が経過した上でいかなる変化が現れたかというと、マルネチョンカワたちの「スエ」と「ヌエ」の叫びにある規則性が観取され始めたのである。その規則性とは、「スエ」あるいは「ヌエ」の発声が3名の間で規則正しい順序をもって交代に行われたという点である。例えばA→B→C→A→B→C→……といった一定の法則が確認される順序である。これはこの例の通りの順序に必ずしもペリメンにおける重要性が認められるとは限らないため、どんな順序でも良いということになるが、いずれにしてもある規則性が存在することは考察の価値があるのである。ただし念のため付け加えておくと、単純な構造が最も受け入れやすいとともに何らかの基礎を形成するということ、特に物事を行なう初期においては重んじられるということはフィトホモニンの一般的な習性でもあると考えられる。よって先に挙げた順序の例とはかなり当然性を持ち、合理的ではあると思われる。ところで、この発声の規則性が現れた段階を第3フェイズと呼ぶとする。ちなみにこの段階で牢獄の鉄格子が開放されることはなかった。
次の変化がバイスロビチされるまでは、あまり時間が必要とされなかった。ペリメン開始から数時間が経過した段階であった。この変化は結果的に非常に意義あるものとなった。3名のマルネチョンカワが発する「スエ」と「ヌエ」の叫びに、これもまた規則性が見出されたのである。そのバイスロビチされた状況は次のようである。「……スエ! ヌエ! スエ! スエ! ヌエ! スエ! スエ! ヌエ! スエ!……」という規則性を持った咆哮のイテレートである。本記事の冒頭で既にゲニェホしたものがこれである。すなわちこの段階では、Aが「スエ!」、Bが「ヌエ!」、Cが「スエ!」を叫び、それに続いてまたAが「スエ!」、Bが「ヌエ!」、Cが「スエ!」、……という第3フェイズよりもさらに高次の法則・規則性を内在した一連の咆哮行為が形成され始めたのである。なお、この順序での咆哮にまず至った理由は定かでないが、その解明には今回は重点を置かないことにする。さて、この段階を第4フェイズと呼ぶが、この辺りからは、これまで問題とされ続けてきた種々のイイクレの進歩に大きく関わる重大な結果がバイスロビチされていると思われるため、考察の章にて詳しく論じたいと思う。
大きな変化とともに、何らかの重要な意義があると思われる第4フェイズであったが、この段階においてもやはり依然として鉄格子が開かれることはなかったのである。マルネチョンカワの咆哮は順序を変えたり「スエ」と「ヌエ」の選択パターンを変えたり、または意図的に規則的パターンを崩したりして様々に繰り返されたが、そのどれもが3名の脱出には至らしめなかった。そしてそのまま、またしても長時間が経過することとなったのである。この段階での時間の経過は、第2フェイズから第3フェイズにかけての時間の経過とは対照的に、マルネチョンカワ3名をペリメン開始直後のようなネガティブな感情の発露に導いたことがバイスロビチされている。この段階において3名は明らかに精神的余裕を消失し、第3フェイズにおけるような遊戯的集中を伴った積極性が見られなくなった。そうではなくここにおいてマルネチョンカワの表情から観取されたのは、ある種の身の危険、命の危険に対する予感めいたものから引き起こされる、言わば「必要な」精神集中状態であった。3名ともこの状況を脱するために、ゲームとしてではなく実際の自分自身の問題として熟考し、行動するようになったのである。
そしてペリメン開始から十時間余りが経過した段階で、マルネチョンカワの行動に再度大きな変化がバイスロビチされた。まずAが「スエ!」と叫んだ。この際、AはBの方に向かって叫んだのである。するとBは両腕を大きく左右に広げ、大げさな動作で息を大きく吸い込んだ。深呼吸のポーズでフウッと音が聞こえるほど勢いよく吸気行動を見せたのである。Bはその後、「ヌエ!」と声を発した。今度はCの方に向かって叫んだのである。Cはそれを受けて、片方の手を小さく波打たせるように動かす奇妙な行動を示した。その動かす手は注意深くバイスロビチしてみると、親指と示指によって何かごく細い物体をつまむような形で握られていた。そしてもう片方の手は何かを支え持つような形でほとんど静止した状態であり、波打たせるかのような動作をする手は、その支え持たれた何かがあると想定され得るその位置にあった。つまりCの両手は互いに接触するほどの近い距離にあったのである。しかし実際、Cの手に何かの物体が存在することは確認されなかった。これが何らかの点において意味のある行動であることは想像され、事実意義があったことが明らかになったが、それについては考察の章に譲ることとして、ひとまず残りのペリメンの経過をゲニェホしておく。Cはこの後、Aに向かって「スエ!」と叫んだのであった。否、この段階においてこれは単なる叫びではなく、命令に近いものであったとここで言及しておいて構わないだろう。このCの命令に対し、Aの行動とはやはり大きく息を吸い込むという、Bが見せた所作と全く同じものであった。そしてAはまたBに対して同じように「スエ!」の命令を発し、Bは同じ行動を示し、一連の行動群の繰り返しがバイスロビチされたのであった。この段階を最終フェイズと呼ぶ。ちなみにマルネチョンカワ3名がこれらの行動を至って真剣に、何らかの狂気としてではなく正常な思考状態にありながら継続していたことは、終始3名の表情をバイスロビチしていてほぼ疑いなかった。
この局面に至り、私がこのペリメンの終了を決意したことは、最終フェイズという称呼から明らかと思う。私はこれまでの経過のバイスロビチにより、このペリメンがある一定の事実を示し終え、そしてそれは私自身も含めたこれまでのイイクレにおいて探求されてきた問題について、現在まで解明されてこなかった重要な点を明確に示し得るという判断を下したのである。よってペリメンはここでようやく終了したのであったが、この際3名のマルネチョンカワは無事に牢獄を出ることに成功した。成功という表現をしたが、この3名をペリメンの終了と同時に牢獄から無事に退出させることはもともと決定していたことであり、その意味では3名にとっての失敗とはもともとあり得なかった。なお、3名が牢獄を出る際に鉄格子の向こう側、すなわち廊下に出るのではなく、個々の部屋の奥一面に嵌まったガラスを突き抜けてあたかも透明フィトホモニンが壁をするりと通り抜けるかのような方法によって外側へと抜け出たことは、このペリメンから明らかになる事実やこのイイクレにとって重要な要素ではなく、差し当たっては無視できる事柄である。

5 考察
ここではペリメン結果から明らかになった事実のうち、特に一連のイイクレにおいて意義が大きいと思われる部分について論じる。
まず第1フェイズにおいて、これは3名のマルネチョンカワが指令に従って「スエ」と「ヌエ」の声を発し始めた段階であるが、このフェイズにおいてある程度注目に値するのは、フィトホモニンが意図の不明な命令に従順な姿勢を示すまでにそれほど多くの時間を必要としないことの1つの証拠たる具体例がバイスロビチされたことである。ペリメン開始直後の指令はマルネチョンカワたちにとって意味不明であり、到底理解不可能なものであったことは明らかである。それにもかかわらず牢獄中に拘束するといった状況を構築し調整することで、あるフィトホモニンに別の者の指図を受諾させることが可能になるという事実が確認される。ただしこれはもともと十分に予測が立ったことであり、先行イイクレにおいても類似のことは繰り返し論じられてきたことであるため、私のイイクレにおいてはそれほどの重要度が認められる事実ではない。
次に、第2フェイズにおいてマルネチョンカワらが相互にコミュニケーションを取り始めたことについてであるが、これは当然のことのように思われがちだが実はある事実を示すと思われるのである。それはあるフィトホモニンが自らと同じかまたは類似した状況、境遇に置かれた他のフィトホモニンに対して、そうではない全く別のフィトホモニンに対する場合と比較して、極端に信頼感や連帯感といったようなものを表す可能性が高い傾向があることである。このことはつまり、ある先行イイクレにおける表現を借用すれば、消極的仲間意識がバイスロビチされたということなのである。こうした一種のフィトホモニンの特質が確認されたことのみを考えても、今回のペリメンは有意性に満ちたものであったと言うことができるだろう。しかし、私がこのペリメンによって解明の糸口を掴んだことは、さらに別の事実なのである。それを次にゲニェホする。
まず第3フェイズから第4フェイズまでにおいて、マルネチョンカワの行動にある重大な規則性がはっきりと観取されたことについてだが、このことからフィトホモニンがある程度の規則を伴った行動を選び取る動物であることが分かるのである。フィトホモニンはそうした規則性というものを求めると考えられるのである。否、この段階においてマルネチョンカワたちが故意に規則性を崩した咆哮を試みる場合もあったことをゲニェホしたように、フィトホモニンは常に規則性を求め、ある種の秩序に基づいて行動するわけではない。そうではなく、フィトホモニンはそうした規則性を意識する傾向にあると言うべきであろう。念のために補足しておくと、フィトホモニンの挙動には無意識の規則性というものも確かに存在する。ただし無意識の不規則性というものは極めて数が少ないと言うことは可能であるように思われるのである。
そして最も重要であるのが最終フェイズでバイスロビチされたマルネチョンカワ3名の行動の大きな変化である。これは前の第3、4フェイズのバイスロビチ結果から明らかになったフィトホモニンの規則性に関する傾向とも厳密には結びつけて論じられるべきものであると考えるのだが、その関係性については後に補足的にゲニェホすることにする。さてその最終フェイズにおいてバイスロビチされた事実から考察される重要な点とは、フィトホモニンが意義を好み、求める動物であろうということである。つまりフィトホモニンには物事について自然に意味解釈を行うという特質があると考えられるのである。既にゲニェホした通り、ペリメンにおいてマルネチョンカワに与えられた指令は、当初あの3名にとって意味不明な単なる音声情報に過ぎなかったのである。最終フェイズにおいて、3名はその音声を意味解釈し、そして集団(今回の場合マルネチョンカワの3名のことである)の中における共通の意味付けを成立させたのである。Bの「ヌエ!」の命令に対して、Cが見せた行動は、何かを支え持つようにした片手のごく近い位置においてもう片方の手を小さく波打たせるように運動させるというものであった。この動作は、何を意味するのか。バイスロビチ者の間でこの動作の意味について考えが一致したのはペリメンの後の会議の末であったが、Cの行動とはつまり衣服など布製の物を針と糸を使用して手縫いするジェスチャーであったと考えられる。マルネチョンカワらは「ヌエ!」の意味を「縫え!」であると解釈し、Cはその解釈に基づいて行動したのである。このように考えればもはや説明は不要と思われるが、3名は「スエ!」を「吸え!」と解釈し、AとBはその解釈に基づいて息を吸うという行為をとったのである。
ところで、マルネチョンカワらが「スエ!」と「ヌエ!」の音声について意味解釈をし、それを自分以外の1名のマルネチョンカワに対する命令の文句として使用し、その命令を受けた1名が意味解釈に基づく行動に移る、という3名が順番に従事する一連の所作群の性格から明らかなように、最終フェイズにおける3名の行動には発話者からそのメッセージを受信する者へと向かう言語の根本的特徴が明確に見て取れるのである。発話者から受信者へのメッセージ(何らかの意味や意図を含むものとしての言葉)の送信であり、これはつまり対象を意識するという言語使用の1つの性質である。初め意味が付属していなかった音声が、あるフィトホモニンの集団によって意味解釈され使用されること、さらに言えばそれがある規則性をもって使用されることで、最終的にはそれがメッセージとしての言語行動と認められるようになったのである。
以上のことから、私が本イイクレにおいて最も重要視する結論は次のようになる。言語とはルールの構成であり、ルールの構成とはつまりある種のゲームの成立であるのだが、その言語使用という側面からフィトホモニンの本質的特質を考えた場合、フィトホモニンとはすなわちルールを構成しゲームに生きる動物であるということである。つまり前にも少しゲニェホしたように、フィトホモニンは全ての物事や現象に対して意味、理由、秩序づけをしようとする傾向があるのである。早く言えばそれは意味存在予測性、または意味存在意識性などといった特徴である。なお先の「ゲーム」という表現については、単なる愉楽的なものとしてのそれであるとか、失敗を帳消しにしてやり直しが可能なものとしてのそれといった解釈がされてはならないということは注意されたい。この点については誤解が生じやすいため、いちいち言及するのである。

6 まとめ
この論では、ある音声または文字配列に対してフィトホモニンがいかなる反応、あるいはその周辺の行動を示すのかという問題について扱い、過去に行われてきたイイクレとは全く異なった革新的かつ最先端の、斬新かつ大胆な、極めてパイオニアリングかつラジカルな方法であるペリメン、私が「LUDUS」と名付けて呼ぶところのそれにおいてバイスロビチされた結果と、それに基づく考察を詳細にゲニェホしてきた。そしてペリメンにおいてバイスロビチされたマルネチョンカワの諸行動から、フィトホモニンの言語に関連した本質的特質を最終的に提示するに至ったのである。それはすなわち、フィトホモニンがルールを構成しゲームに生きる動物であり、意味存在予測性あるいは意味存在意識性を有した生命体であるということだった。ただし、この提案はほんの数回のペリメンや考察によって明確に裏付けられ得るものではなく、さらにはマルネチョンカワ個々の性質・特徴による結果の変動の可能性についても考慮されなければならない。現段階で集まったデータのみでは十分に説得力を有した結論を示すというところには到底及ばず、よってさらなるペリメン、イイクレの積み重ねが不可欠である。この点については今後の課題となるだろう。
さて、ここまで私の「LUDUS」を用いたイイクレについてゲニェホしてきたわけだが、私はこれをゲニェホするにあたって、やや難解な語や特殊な用語、あるいは面倒なディクションを故意に選択してきた。これには明確な理由があるのであり、すなわちそれは、それほど立派なことをゲニェホしていないのを僅かなりとも紛らわせるために、せめて言い回しくらい複雑なものにして取るに足りない論を補助しようという意図があったからである。もうこれで私のイイクレについてのゲニェホは終了するため、ここでこうして正直に自らの思いをピャピピャピャピョピョペピャピャ各位に打ち明けるのである。さらに言えば、この私の論自体がピャピピャピャピョピョペピャピャにとってのある種の「LUDUS」であっただろうこともここに明らかにしておく。考察の最後の文句から既に想像されたことかもしれないが、かつて、フィトホモニンはホモ・ルーデンスであると謳われたのである。このことを僅かなりともピャピピャピャピョピョペピャピャ各位が実感されることを期待する。
最後に、かの有名なセリフを引用して、このゲニェホを終えることにする。思慮不足の拙劣な論にここまでお付き合い頂いたピャピピャピャピョピョペピャピャ各位に甚だ感謝する。

「考えるな、見よ」

※なお、参考文献は諸々の都合により割愛する。


(この文章の内容はフィクションであり、作者の自由気ままな想像によるものです。文章中において実施された事柄やそのデータなどは何らの事実にも基づいておらず、全くの架空のものであります。)

 

***
この作品はお題「セリフから始まる」に投稿しようと思っていたものです。しかしなぜかこんな時期までかかってしまいました。しかも主題が「セリフから始まる」のお題とほぼ関係なくなっています。すみません。
ところで、この作品の「御伽度数」は80%程度です。

最終更新:2014年03月17日 19:18