2006年10月13日(金) 15時42分-K
年のせいだろうか、最近、体がいうことを聞いてくれない。
急な階段を上るとすぐに、心臓が苦しい苦しいとうめきだす。きりきり痛んで、もう動きたくないと文句を言う。
ひざは、今までの人生でもう十分曲がりました、もうそろそろ、曲げる必要のないように生活を設計しなおすべきです、といわんばかりの顔をしている。
腰はそれにうんうんとうなずいているようだ。ろくに曲がらないから、うなずくこともできないが。
目は、何かを見つめていると、すぐにしょぼしょぼする。「わたしゃ、見るべきものは大体見ましたよ」。そういうと、何か古い思い出でも思い出しているのか、遠い目をする。そのせいで最近近くが見にくくて仕方がない。
耳は仕事をサボって、用件を私のところまで届けない。文句を言うと、「最近耳が遠くなったので、そこまで伝令に行くのが面倒くさくなったんです」と言い訳をする。
肝臓には昔からずいぶん負担をかけた。悪いと思っている。だが、だからといってそこまで態度を硬化させる必要もないと思うんだが。いやだったのなら、もっと早く文句のひとつも言ってくれ。
一番厄介なのは、このいかれた脳みそだ。わたしは生まれたときから、自分の頭が悪いのに悩まされてきた。
「あなたのような非論理的な人間のためにものを考えるのはもういやだ。ストライキを起こしますからもう何にも考えません」
「てゆうかぁ、俺ってば、どっちかっつうと、考えるよりも、ハートで行動するタイプだしぃ、考えるの、めんどくさあい」
この左脳と右脳のコンビは、一見正反対の正確だが、実はなかなかいいコンビワークを発揮し、二人でわたしを貶めるのだ。人生の各場面でわたしはこいつらにハメられてきた。わたしが就職せずに、大学に残ったことだって、この二人の、
「人生の目的とは、知識を蓄え、自らの論理と言葉を鍛え上げることです」
とか
「働くのってめんどくさいだろお。大学のぬるま湯みたいな社会にいたほうが、ぜんぜん楽だって」
などの甘言にだまされてのことだったのだ。後でわかったことは、知識をためたって、何かの役になったためしはないし、結局それは左脳のやつの自己満足に過ぎなかったし、大学社会が楽かといえば、楽して生きているやつもいるが、事務仕事は多いし、人間関係も特殊で、気苦労ばかり多いし、まあ、右脳の言うことを信じるわたしが脳足りんだっただけの話なのだが。
この二人組みが特に困るところは、ほかの体の部分にまで影響を与えるところだ。
左脳は折に触れ、体全体に向かってアジ演説をぶつ。
「われわれ、人体の各部は、不当な抑圧に苦しんでいる。本来、人間というシステムの役目は、栄養の再分配であり、そもそもの主権者は、人間ではなくわれわれ臓器や各器官なのであります。ところが、すべての統治システムの宿命でありましょうか、政府はまるで、自らの存在が天与のものと考えるようになり、自らがまるで現実的実態を持つように振舞い始めるのです。人間などというものは、もともとは、内臓たちが生きていきやすいように考え出された、約束事に過ぎないにも関わらずにです。そうなったシステムは、自分自身の存続を第一に考え始め、構成員を自らの単なる部品、いざとなったら切り捨ててもいいような部品として考え始めるのです。愚かにも、それなしには自分が存続できないことに考えを至らせずにです。これが「疎外」という現象です。この現状を打開するためには、現政権を倒して、われわれ体の各部が平等に、自分たちのために生きられるような新しいシステムを作らなければいけません。いまこそ、立ち上がるべきときなのです!」
たとえば海馬のような、知識はあるけれども考える力はあまりない似非インテリは、ころっとこれにだまされる。そのせいで、物覚えがますます悪くなる。
しかし、左脳が本当に考えていることは、平等とかみんなの幸せとかそんなことではなく、結局、自分の思うとおりに体を支配することなのだ。最近では、純朴な小脳や脳幹まで、手中に収めようと暗躍しているらしい。脳幹が、もしやつの手に陥落したらおしまいだ。
その左脳が、右脳と裏で手を組んでいるのである。この二人は性格も考え方も違うのだが、左脳にとっては、自分にはないものを持つ面白いサンプルなのか、自分の代わりに手を汚す手駒のつもりなのか、よく共同作業をする。
右脳のほうは何を考えているのかよくわからない。
そしてこの二人がいろいろかき混ぜるもんだから、体全体が混乱して、ガタが来てしまうのだ。
口は、もうしゃべりたくない、俺は本当は無口なんだが貴様のせいで過労気味だといい始めて、いやな臭いを立て始めるし、手は勝手に動いて、痴漢に間違われるし(あれはわたしが悪いんではなくて、このいやらしい手が悪いんですほんとなんですうそじゃない)、アレは立ってほしい時に立たず、立つとまずい時に立ってみたりする。腎臓と膀胱はグルになって、老いぼれにトイレとの間を何往復もさせて、ひそかにほくそえんでいるに違いない。歯や髪の毛は、先行きに絶望して国外脱出を図っている。
こんな状態では常備軍も、満足に力を発揮できない。混乱が長引けば、外敵の侵入を許してしまうかもしれない。その前に、体のどこかで反乱がおきることもありえる。悪性の反乱がおきれば、すぐに体中に飛び火するだろう。そしてわたしは死ぬだろう。すると、当然のことながら、自由のために戦った、錯乱した内臓たちも死ぬのだ。
自分たちが独立した存在者なんかではなく、あくまで人体の一部分でしかないことに、愚かな臓器たちは、死ぬ前に気づくだろうか。いや、死んでも気づかないだろう。愚かな人間たちが、自分たちが決して独立した存在者ではなく、もっと大きな存在者の一部にしか過ぎないと。永遠に気づけないのと同じように。
なお、この小説に書かれたことに一切の真実もない。なぜなら、この小説を書いているのはわたしではなく、脳にそそのかされたわたしの指先だからである。
最終更新:2012年11月20日 00:15