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甘いだけの小説は書けるのか (るり)

2011年07月02日 (土) 22時46分 - るり

 

 運命や一目惚れなんて、あたしは信じてなかったけれど。
 ぴちょん。
 でもそういうものって、確かにあるみたい。
 大学の食堂で友人二人とクレープを食べていた。たっぷりのキャラメルソースがとろりと一筋零れそうになって、それを空いた右の人差し指ですくっていた時だった。
「きみさ、文学部の同じクラスの子だよね。えぇっと、村瀬さん?」
 えっ、と顔を上げると、背の高い男の人がいた。知らない人。あたしが慌てて手元のハンカチで指先をぬぐっているうちにも、その人は「俺は辰巳っていいます」、「クラスの顔合わせの時、美術史に興味あるって言ってたから、気になって」と話を進めていく。あたしはぼーっと鈍った頭を必死で働かせて「うん、うん」とうなずいた。最後に赤外線通信でアドレスを交換して、辰巳くんは席を外した。携帯電話を寄せ合った時に触れた小指は今でも熱を帯びている。
 向かいに座る友人は顔を見合わせて、それからぐいっと身を乗り出してきた。「あの人、歩美に惚れてたよね、絶対!」と目を輝かせる結子と、「そうだね。じゃなきゃ、うちを差し置いて歩美のメアドだけ聞くなんてありえないじゃん!?」と口を尖らせるマリ。
 四月十五日金曜日。きっと、忘れられない日になる。

 ところが一日が過ぎて二日が過ぎて、一週間経って二週間経った。気づけばあたしはいつも携帯電話を片手にぼーっとしていた。らしくないことは分かっている。この気持ちがあたしの独りよがりじゃないかっていうことも薄々感づいていたし、辰巳くんは他の女の子ともたくさんアドレスを交換したに違いないと決め込んだ。
 考えちゃだめ考えちゃだめと考えながらも、週四回の学部での講義の折、あたしは辰巳くんの後ろ姿ばかり眺めていた。辰巳くんの横顔が目に留まるたび、きゅうぅっと胸が苦しくなった。左右に座る結子とマリはあたしのことを危なっかしいと言った。でもたぶん、年中片想いだけれどいつも幸せそうな結子や、とびぬけた美人で恋人に不足したことのないマリには、あたしの気持ちは分からなかった。
 毎日気が休まることもなくて、連休明け、疲れの抜けきらなかったあたしはその晩は早く寝ようとしていた。しかし突然、携帯電話が光ったのであたしは飛び上がった。慌てて画面を開くと、意外にも絵文字の多いメールが一通。「こんばんは、覚えてる? 文1の辰巳です。今までゆっくり話すような機会もなかったけど、村瀬さんのこともっと知りたいと思うし、月曜日空いてないかな? 月曜日、空いてないかな……!?」と読み上げて、あたしは「返事はすぐにしちゃダメだって、誰かに聞いたことあるけど、駆け引きなんてできないの。好きだからー♪」と歌いながら、けっきょくすぐに返信した。どきどきして胸が苦しくなった。
 五月六日金曜日。ずっと眠れなかった。

 三限の第二外国語の授業を終えて図書館前へと急ぐと、既に辰巳くんはユリノキとケヤキの間のベンチに座っていた。後ろから声を掛けようとして、でも何と呼べばよいか分からず、あたしは黙ってその服の袖口を引っ張った。へたに「辰巳くん」なんて呼んでしまって、それが固定するのが嫌なのだ。
「あっ」ぱっと振り向くと、辰巳くんはとても綺麗に笑った。「来てくれてありがとう」
「ううん、メールくれて、ありがとう」あたしは慌てて首を横に振って、辰巳くんの隣に座る。
「本当はメールに頼らないで直接話そうと思ってたんだけど、なかなかうまくいかなくて。……今日だって、迷惑じゃなかった?」と、素直に尋ねてくるのがまぶしくて、あたしはとんでもなく夢見心地だった。「そんなことないよ」とは言えても、嬉しかったから、とは言えなかった。
 話が進んでいくのに苦労はなかった。あたしと辰巳くんは、驚くほど好きな歌手も好きな画家も同じだった。そうかと思ったら、全く意見が一致しないこともあった。比較文化論の授業で読んだ古典作品に関して、故郷に母や弟を残してきたのに義兄の後を追って自殺した主人公は倫理的に間違っていると、あたしは主張した。すると、辰巳くんは命を絶ったからこそその義兄弟の絆は美しいものになったのだと説明した。美術部員の辰巳くんは、芯のある自分の美学を持っていた。
 辰巳くんの切れ長の瞳にあたしは夢中だった。よく日に焼けた肌は魅力的だったし、真っ黒な髪も素敵だった。意志の強そうな眉も、筋の通った鼻も、やや控えめな唇もその奥から覗く真っ白で形のよい歯も、みんなみんな好き。
 最後に辰巳くんは「またこうやって会えない?」と言った。あたしは迷った。明日にでもまたこの人と話していたい。でも火曜日はサークルが、水曜日はバイトがある。迷った挙句、あたしは「木曜日なら時間あるよ」と答えた。「じゃあ木曜日に、ここで」と言って、辰巳くんはまた笑った。
 五月九日月曜日。こんなに人を好きになったのは、初めて。

 月曜日と木曜日と土曜日。いつも同じベンチに座って、あたしたちは時間も忘れて語り合った。話は尽きなかった。互いに別々に過ごした十八年間を埋め合わせするように。
 ただ、辰巳くんには決定的な一言が欠けていた。その事実が、辰巳くんと別れた後、そのたびあたしを不安にした。辰巳くんは、ここよりずっと西の出身だった。だからともすれば、故郷に大切な恋人を残してこちらへ来ているのかもしれなかった。
 あたしは辰巳くんが好きだった。ジーパンとTシャツをざっくりと着た、シンプルだけどセンスのいいスタイル。笑うと目を細める癖。話すとき自然に少し身を屈めてくれる優しさ。
 その日は「暑いなぁ」「暑いねぇ」の遣り取りをした後、初めてベンチを離れて図書館中のスタバへ行った。あたしはお気に入りのキャラメルマキアートを、辰巳くんはダークモカなんとかという長い名前の真っ黒いものを頼んだ。すごく苦そう。財布を探して鞄を漁っていると、辰巳くんが精算を一緒に済ませておいてくれた。
 外のテラスで、初めて辰巳くんと向かい合って座った。あたしは頬が熱くてうつむいて、慌てて財布を取り出そうとすると、しかし辰巳くんは「いいよ、今日は俺の奢り」と言った。「でも」と食い下がったら、「次は村瀬さんに奢ってもらうから」と事もなげに笑う。
 次って。
「あのっ」気づくと舌が動いていた。「いつもこうやって会うけど、あたしたちは付き合ってるって、言ってもいいの?」
 辰巳くんは少し驚いた顔をして、それから真剣な目つきをした。「そうだよね、じゃあ言います。村瀬さん。俺と付き合ってください。顔合わせ会の時、村瀬さんは覚えてなかったみたいだけど、俺はたぶん一目惚れだった。きみの……」
 そこから先は恥ずかしくてここには書けない。あたしは照れ隠しにストローを口にくわえた。プラスチックの容器に、結露した雫が幾筋もの縦縞模様をつくる。キャラメルマキアートはほろ苦くて、でもすごく甘かった。
 運命とか一目惚れとか、あたしは信じてなかったけど。
 ぴちょん。
 でもそういうものって、絶対あるんだよ。
 五月二十三日月曜日。結子、マリ、あたしにも大切な人ができました。


遅ればせながら参戦しました。
技巧に走ってみたり、恋愛論について語ってみたり、でもすべての試みに失敗して、けっきょく私にとっていちばんスタンダードな型に収まったという感じです。
(今回切り捨てられた作品たちも、いつか日の目を見られればいいなぁって思ってます)

今では、甘く!短く!とへんに考えすぎて、構成や文章が粗雑になってしまったことが悔やまれます。
そして糖分が足りないことは自覚していますので、どうか助言苦言をお願いします。
お付き合いありがとうございました!

 

最終更新:2012年12月01日 11:16