元来は「神聖な知識」、そしてその言語的表現としての讃歌・呪句を意味する語であったが
その意味はどんどん広がっていった。
背景には
ブラーフマナ時代の祭儀主義がある。
紀元前一千年ころからアーリア人はガンガー河とヤムナー河の中間地帯に進出し、
そこに成立した氏族制農村社会において、
司祭官たる婆羅門の最高階級としての地位は不動のものとなった。
降雨・豊作を祈願し、冠婚葬祭の儀礼をつかさどる彼ら婆羅門は、
祭式の規定を複雑化し、祭式に神秘主義的な意義解釈を施し、
専門的学識を誇って自らの権威を絶対化することに努めた。
神神はすでに威信を失っていた。人間の希求をかなえるのは祭式それ自体だからである。
また、讃歌や呪句には、神々を喜ばせ、また人間の願いをかなえさせる霊妙な力が宿っている。
「ことば」が一種の霊感をもつという考えはわが国の「ことだま」信仰にも見られるが、
インドでは早くから「ことば」が神格化されて、女神ヴァーチとなっている。
祭式においては、祭官の発する「ことば」が霊力そのものとなっていった。
やがて、祭式万能の時代を背景に、婆羅門の唱える祈祷句・呪句(ブラフマン)
の霊力は、神神を強要し、万物を支配する呪力をもつようになる。
そしてついには、それが宇宙の最高原理とみなされるに至ったのである。
創造神
ブラフマー(梵天)は、この最高原理が人格的に表象されたものに他ならない。
ヴェーダにはじまる
アーリア的な宗教・思想・習俗の総体は、
アーリア文化の主たる担い手であった婆羅門階級にちなんで「婆羅門教」Brahmanismとよばれる。
その婆羅門教の典籍、すなわち婆羅門が今日に伝えてきた文化の諸領域にわたる膨大な量の文献が
「
バラモン経典」である。(「婆羅門」の原語は「ブラーフマナ」)
婆羅門教が民間の信仰や伝承などをとり入れて変貌をとげたのがヒンドゥ教 Hinduism である。
最終更新:2007年07月10日 03:02