巡礼者であった両親が牛舎に入って雨期を過ごしていたときに生まれたといわれる。
彼の属していた宗教はアージーヴィカと称する。
元来は“生活法に関する規定を厳密に遵奉する者”の意味であるが、
他の宗教からは貶称として“生活を得る手段として修行する者”の意味に用いられ、
漢訳仏典では“邪命外道”と訳している。
彼は生けるものを構成している要素として
霊魂・地・水・火・風・虚空・得・失・苦・楽・生・死の十二種類を考えた。
あとの方に挙げた六種は、これらの名で呼ばれる現象作用を可能ならしめる原理を考えて
これを実体視したものである。霊魂は物体のごとくに考えられ、
諸々の元素のみならず動物・植物等の生物にもそれぞれ存すると主張している。
彼の主張によれば、一切の生きとし生けるものが輪廻の生活をつづけているのは無因無縁である。
また彼らが清らかになり解脱するのも無因無縁である。
彼らには支配力もなく、意志の力もなく、ただ運命と状況と本性とに支配されて、
いずれかの状態において苦楽を享受するのである。
意志にもとづく行為は成立し得ない。
八四〇万の大劫の間に、愚者も賢者も流転し輪廻して苦の終わりに至る。
その期間においては修行によって解脱に達することは不可能である。
あたかも糸毬を投げると、解きほごされて糸の終わるまで転がるように、
愚者も賢者も定められた期間の間は流転しつづけると主張した。
ある時期には
マハーヴィーラと修行をともにしていた。
ある日、
マハーヴィーラが彼に向かって、その日の行乞(ぎょうこつ)のうちに
贋金を喜捨されるだろうと予言したところが、はたしてその通りになった。
それ以来ゴーサーラは、運命によって決定していることは、
変更し得ないのだと信ずるようになった。
彼の説は徹底した決定論・宿命論である。
人間には意志力もなく、環境に対する支配力もなく、
ただ運命(ニヤテイ)と偶然性(サンガテイ)と生来の性質(バーヴア)とに
左右されるのみであるという。
彼は
マハーヴィーラとも袂(たもと)をわかち、対立的になったが、
裸行(らぎょう)で遊行(ゆぎょう)するのは、
ジャイナ教と同様であった。
その門弟たちは、上記の
プラーナの道徳否定論や、唯物論、原子論などもとり入れ、
アージーヴィカの教団はかなりの勢力を持った。
仏教徒であったアショーカ王は、この教団にも美しい石窟を貴信している。
その教団は、少なくも十四世紀ころまで続いていてから滅びたらしい。
後代の文献は、茨のとげが鋭いのも、孔雀の羽が美しいのも、
みな自然にそなわった本性である、といって倫理的・宗教的努力の無効を説く
自然必然論者の思想にしばしば言及する。
この思想も
アージーヴィカと無関係ではないであろう。
ゴーサーラが活動したマガダ国には、はやくから吟遊詩人たちが戦記物語を民衆に伝え、
尚武(しょうぶ)の気風があった。そしてマガダ国の強大化の過程には、
たえず武力闘争が繰り返されていた。
武士階級にとって、凶兆を見ながらあえて戦陣に立ち向かう
カルナの悲劇(『マハーバーラタ』)は、そのままあすの自分の運命であった。
波頭、旱魃や洪水、蔓延する疫病は、農民たちにとって宿命的なものであった。
人間の意志も努力も空しいということは、乾ききった田に呆然とたった農夫の実感であった。
最終更新:2007年07月28日 11:43