(Sanjaya Belatthiputta) - 懐疑論者
六師外道の一人
善行・悪行の果報や来世などの問題について判断することを拒否する懐疑主義者であった。
彼は“来世が存在するか?”という質問を受けたときに、次のように答えた、
『もしもわたくしが“あの世は存在する”と考えたのであるならば、
“あの世は存在する”とあなたに答えるであろう。
しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。
それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。
そうではないのではないとも考えない』と。
その他、“善悪業の果報は存在するかどうか?”などというような形而上学的問題に関しても、
かれは同様にことさらに意味の把捉され得ない曖昧な答弁をして、
確定的な返答を与えなかったという。
彼のような所論は“鰻のようにぬらぬらして捕らえ難い論議”と呼ばれ、
また確定的な知識を与えないという点で不可知論とも称される。
形而上学的問題に関する判断中止の思想が初めて明らかにされた
彼は、当時インドで最大強国であったマガダの首都、王舎城に住んでいて、
釈尊の二大弟子サーリプッタとモッガラーナも初めはサンジャヤの弟子であったが、
のちに同門の二百五十人を引きつれて釈尊に帰依するに至った。
仏教が懐疑論を乗り超えてひろがったという事情は重要視すべきである
最終更新:2007年07月28日 11:44