アージーヴィカ教

邪命外道

マッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala)が開祖。

アージーヴィカ教は、古代インドの宗教の一つである。
マウリヤ朝のアショーカ王の碑文に仏教、バラモン教、ジャイナ教と並んで
「アージーヴィカ」の名前が出ている。
仏教やジャイナ教と同時期に生まれた宗教である。
一時期はバラモン教やジャイナ教、仏教などと並ぶ一大宗教であった。

マッカリ・ゴーサーラが主張した「運命がすべてを決定している」という
運命決定論、運命論、宿命論を奉じていた。
さらに意志に基づく行為や、修行による解脱をも否定した。
エローラにあるローマス・リシ窟(前3世紀の石窟寺院)は
アージーヴィカ教徒のためのものであったらしい。

アージーヴィカとは、家長にせよ修行者にせよ、
それぞれに定められている「生活様式(アージーヴァ)に従う者」を意味する一般名詞が
特定の教団の名称となったと思われる。
あるいは、@生きている限り(アージーヴァート)」身体に衣服をつけない
などという警戒に由来するともいわれている。
仏典では「よこしまな生活をする者」と会したり、あるいは生計(アージーヴァ)のために
苦行する職業的な苦行者と会して、漢訳では「邪名外道」という
貶称(へんしょう)を与えている。

ゴーサーラが活動したマガダ国には、はやくから吟遊詩人たちが戦記物語を民衆に伝え、
尚武(しょうぶ)の気風があった。
そしてマガダ国の強大化の過程には、たえず武力闘争が繰り返されていた。
武士階級にとって、凶兆を見ながらあえて戦陣に立ち向かう
カルナの悲劇(『マハーバーラタ』)は、そのままあすの自分の運命であった。
波頭、旱魃や洪水、蔓延する疫病は、農民たちにとって宿命的なものであった。
人間の意志も努力も空しいということは、乾ききった田に呆然とたった農夫の実感であった。

アージーヴィカの宿命論の背景には、
勝ち味のない戦争に出陣する武士階級や、
旱魃(かんばつ)に収穫の望みを失った農民の嘆きがあったと考えられる。

南部インドにおいて13世紀までアージヴィカ教の信徒がいたことが、碑文によって実証されているが、その後全く姿を消し現在信徒はいない。







最終更新:2007年07月28日 14:51
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