その霊魂は純粋の直観力、認識力、活動力、浄福性をそなえているが、
通常それらの特性は、霊魂に付着している微細な物質に妨げられて、完全にはあらわれない。
この微細な物質が「業」である。業を物質とみなす点にも
ジャイナ教の特色がある。
人間の身体が活動して身・口・意の三業を現ずると、
その業のために微細な物質が霊魂を取り巻いて附着する。これを流入と称する。
その微細な物質は霊魂を囲んで微細な身体(業身)を形成し、
霊魂を束縛し、霊魂の本性を覆っている。このことを繋縛(けばく)と称する。
この繋縛の故に、諸々の霊魂は地獄・畜生・人間・天上の四迷界にわたって輪廻し、
絶えず苦しみの生存を繰り返している。
業は人に欲情を起こさせ、欲情は善悪の行為を行わせる。
その行為の結果として、人は次の生において苦と楽とを経験する。
古い業物質は、熟しきって苦・楽の経験という果実をむすぶに至ったとき、
霊魂から離れるが、別な業が新に導入されて、人は一つの生から次の生へと
輪廻をつづける。
最終更新:2007年08月13日 23:45