業によって束縛されたかかる悲惨な状態(輪廻)から解脱するためには、
業物質が霊魂に付着しないようにしなければならない。
その方法としては、新たな業物質が霊魂に流入してくるのを
「防止(サンヴァラ)(遮)」することと、
すでに霊魂に付着した業を「絶滅(エルジヤラー)することとがある。
防止のためには、道徳的行為によって欲情をしずめ、感覚器官を制御せねばならない。
絶滅のためには、苦行が必要となる。
苦行の熱力は、霊魂に付着している業物質を、人工的に熱させてしまうのである。
苦行を徹底的に実行することは、世俗的な在家の生活においては不可能であるから、
出家して修行者となり、一切の欲望を捨て、独身の遍歴(遊行)生活を行うことを勧めている。
出家するときには、頭を剃るというよりも、家を1本づつ根元から引き抜く。
かかる修行者はビク(比丘)とも称せられ、托鉢乞食の生活を行っていた。
あるいは、暑いインドの夏の日のもとで、裸形のままで長時間の瞑想を行うなど、
さまざまの苦行が出家者には課せられる。
開祖の
マハーヴィーラが餓死したのにならってしばしば断食を行ない、死に至ることもある。
断食による死が極度に称賛されている。
修行に当たっては自己の力にたよるべきことを強調し、
何ら救済の恩寵などを期待してはならぬという。
在俗信者は次の生をうけたときに出家僧となることができるように、
不殺生(ふせっしょう)・不妄語(ふもうご)・不ゆう盗(ふゆうとう)・
不邪淫(ふじゃいん)・不所持
の五戒や、その他の生活規定を守るように教えられる。
五戒のうちで不殺生(アヒンサー)がとくに重視された。
一切の生きものは生命を愛しているのであるから、
生命を傷つけることは最大の罪悪であるという。
微細な虫類も殺すことは許されないので、信徒は農耕に携わらず、商業に従事する者が多い。
ジャイナ修行者は無所有ということでも徹底し、
開祖のマハーヴィーラと同じように一糸も身にまとわないで
蚊や蠅などに身を曝して裸形で修行していた。
しかしやがて白衣をまとうことを許す一派が現れたが、
これが白衣派(シヴエーターンバラ)という。
それに対して依然として裸形を保つ厳格主義の一派が空衣派(デイガンバラ)
(天空を衣とする者)である。
この分派は、少なくとも紀元前一世紀には成立していたが、
その間に狭義的に大きな差異、たとえば仏教の小乗と大乗というようなものがあるのではない。
かかる修行によって業の束縛が滅ぼされ、微細な物質が霊魂から離れることを止滅と称する。
その結果、罪悪や汚れを滅ぼし去って完全な知慧を得た人は“生をも望まず、死をも欲せず”
“現世をも来世をも願うことなし”という境地に到達する。
この境地を解脱・寂静・ニルヴァーナと称する。
身体の壊滅とともに完全が解脱が完成する。
やや後れて成立した解脱観によると、
身体が死するや解脱した霊魂は本来有する上昇性を発揮して上方に進行し、
世界を脱して非世界に到達するが、
そこにおいては霊魂はその本性において現われ絶対の安楽が得られる。
これが真の解脱であるという
最終更新:2007年07月28日 11:46