ブルース・スウェディンのビリージーンについての思い出(2005年7月に書かれたもの)
ビリージーンは本当に素晴らしい曲だ。もちろん、マイケルがこれを書いたんだ。
クインシーはマイケルが書いた歌詞はとても私的なものだと言っていたが、本当に違いな
い。
マイケルは私達にこう話した。あの曲は一人の女の子のことで、彼女はマイケルの家の
塀を乗り越えてプールのそばをブラブラしていた。そしてあるときは水着を着てプールのそば
で寝転がっていたり、うろついていたり。ある朝突然現れたんだ。まるでストーカーみたい
に。その上、彼女はマイケルが双子の子の父親だと言い張ったそうなんだ。そんなことありえるだろうか?まさか。
ビリージーンをミックスする時期が来たときは特に普段と変わらなかった…。マイケル、クイ
ンシー、ロッド、ジェニファー、セルジオ達と仕事をするときは、私は曲の音響面については
すべて自由に創作してよいことになっていた。つまり、ミックスはいつも私に任されていたと
いうことだ。ミックスの作業は数時間、数日、ときには数週間も掛かった・・・。私はレコード
がタワーレコードで販売されるまではミックスは完了しないと信じている。
それで私はビリージーンを1日か2日ミックスして、ミックスNo.2ができあがった(当時私は
1/2インチのアナログテープにミックスしていた)。これは、傑作ができたぞ!!と思った。
MJ、クインシー、ロッドをコントロール室に呼んでミックスNo.2を聞かせたんだ。皆大いに
気に入っってくれた!!!皆でダンスして馬鹿騒ぎをしたんだ!!!誰も彼もニコニコして!その後、マ
イケルはコントロール室を抜け出し、振り向いて私についてくるように合図した・・・。それで
私にささやいたんだ「ブルース、完璧だけど、少しだけベースを強くしてもう一回ミックスお
願いしたいんだけど。お願い・・・。」彼には、「スメリー、お安いご用さ。」と答えた。
(オフザウォールを録音しているときにクインシーはマイケルにスメリーというあだ名をつけた
んだ。なぜといって、マイケルが演奏を気に入ったとき、「スメリー・ジェリー」ってよく言って
たし、マイケルは汚い言葉を使わないんだ。マイケルが悪態をつきたいときには、ただ「スメ
リー」って言ってた。それが名前になったというわけだ。)
それからマイケルの言うようにベースをもうちょっときかせようとコントロール室に戻った。クイ
ンシーは部屋の隅に私を引き寄せて「スベンスク、頼むよ」と言うんだ。(スベンスクはクイ
ンシーが私につけたあだ名で、スウェーデン語で「スウェーデン人の男」という意味だ。クイ
ンシージョーンズがじきじきにスベンスクみたいなあだ名を付けてくれたら、大変な名誉だ
よ)「スネアドラムとキックドラムにちょっとガーリックソルトをきかせてくれないか。ほんの少し
だけ。」それで、私はスネアドラムとキックドラムにちょっとガーリックソルトをきかせたんだ。ほ
んの少しだけね!そうこうしてるうちに私はビリージーンを20回ほどミックスした。
こういう状態がなんだかんだで一週間ぐらい続いた。すぐにミックスが91回目になった。
1/2テープが天井近くまで溜まった。ちょっとミックスして一緒に聞いて、それでまたミックス
してみる。やっと完璧になった!!!
今度こそ本当に『ホット』なビリージーンのミックスを手に入れたと思ったんだ。私がミックス
No.91を聞かせると皆ニッコリした。でも、このときクインシーは時折見せるおかしな表情を
していた。
私は、ふーーーーん、おやおやと、思った。
クインシーが「なあスベンスク、ほんのお遊びで最初の頃のミックスを聞かせてもらえない
かな。」と言ったとき、私の心臓はドキドキした。私がやった最初の方のミックスは抜群だ
ったと思ってたからね。そこでクインシーは「ミックスNo.2を聞いてみよう!!!」って言ったんだ。
ワーオ!!!ハレルヤ!!!ミックスNo.2は大好きなミックスだぜ!!!
ミックスNo.2を聞いてみた。すごい迫力だ!スタジオにいた全員が夢中になって踊って楽
しんだ!!!みんな子供みたいだった!!!
いいかい、スリラーがエピックレコードから1982年の11月30日に世界中にリリースされたと
き、タワーレコードにはビリージーンのミックスNo.2が入ったレコードが送られた。それからビ
リージーンがシングルとして発売されたときもミックスNo.2だったんだ!!!
ビリージーンの本当のお話。
http://www.gearslutz.com/board/bruce-swedien/84587-real-story-billie-
jean.html
最終更新:2009年11月16日 16:51