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マイケル・ジャクソン: 記憶に残したい写真

デビッド・ワレシンスキーさんはマイケルがよく通っていたベジタリアンレストランで知り合った
編集者です。

マイケルジャクソンと知り合いになったのは全くの偶然だった。それは1983年、私の妻フローラが1人目の子供を妊娠中の時だった。
私たちはよくゴールデン・テンプルというベジタリアンレストランで食べていいた。大抵はランチとディナーの間の時間帯に行っていた。
その時間帯はあまり他の客もいなかったが、常連が他に1人いた:マイケルジャクソンだ。
彼は最近ベジタリアンになり、ベジタリアン女性の妊娠した場合どんな経過をたどるか興味深々だった。
私たちの息子イライジャが6月に生まれた時、マイケルは彼に会えて興奮していた。
父親になるとはどういう感じかなのか、一度彼が私に聞いた事があった。
そして、彼が人生のうちで一番してみたい事は、自分の子供を持って世話をする事だと言った。
普通の子供である事を許されなかった彼が父親になりたがっている姿に、その時ですら何となく心が痛んだ。

1984年2月18日、イライジャが8ヶ月の頃にゴールデン・テンプルに連れて行った。
マイケルと「ウェブスター」として知られていた13歳の友人エマニュエル・ルイスの他には客がいなかった。
マイケルはイライジャと一緒に写真を撮りたかったので、カメラを持ってくれば良かったと言った。
妻のバッグにはカメラが入っていたが、フィルムがなかった。
マイケルは妻に近くのドラッグストアにフィルムを買いに行くよう勧め、帰りを待つ間にマイケルとエマニュエルでイライジャの世話をしていいかと聞いた。
フローラが戻ってきて、マイケルは色々なポーズを提案し、彼女はイライジャとマイケルとエマニュエルの写真を沢山撮った。
マイケルに現像できたら焼き増ししてほしいと頼まれた。

どれも興味深い写真になったが、マイケルがイライジャを腕に抱いている1枚の写真が際立っていた。
25年後の今日、そのマイケルの明るい表情や澄んだ笑顔を見ると、つい悲しくなってしまう。彼は健康で幸せで安らかに見えた。
彼のアルバム「スリラー」は一大センセーションを巻き起こしていた。「ビートイット」はたった4日前にリリースされたばかりだった。
ゴールデン・テンプルで過ごしたその午後の10日後には、彼はグラミー賞を8つ獲得した。
大成功を収めたその夜のすぐ後、我々が次にそのレストランで会った時には、彼は晴れやかな顔をしていたが、自らの成功に少し照れを見せた。

マイケルとイライジャのその写真は随分と役に立った。私は旅行する時、いつも私は家族写真の何枚も持参した。
マイケルとイライジャの写真はその写真の一番最後にあって、それを見た人は皆たいそう驚いたものだった。
中国、ロシア、ビルマ、タヒチ、どこに行こうとも誰でもマイケルジャクソンを知っていた。
正直に言うと、ジャーナリストとしてインタビューしたい人をリラックスさせるためにその写真を使った事もあった。

時が過ぎ、マイケル・ジャクソンは次第にこの写真のマイケルのようには見えなくなっていった。
彼の皮膚の色は変わり、鼻の形と顔が変わり、幸せで満足そうな表情は消えた。

そして彼が去ってしまった今、私はマイケルジャクソンのこの写真を皆と分かち合いたいと思う。
彼が彼自身と世界に満足していたように思える頃のマイケルを。私が覚えておきたいのは、そんな風に見えるマイケルなのだ。

http://www.huffingtonpost.com/david-wallechinsky/michael-jackson-a-photo-
t_b_221823.html
最終更新:2009年11月29日 03:29