1997年から1999年までタブロイド紙で働いていたジェフリー・スコット・シャピロさんの談話
http://www.foxnews.com/opinion/2009/06/25/michael-jackson-taboloids-didnt-say/
マイケル・ジャクソン - タブロイドの標的
今この瞬間にタブロイド紙の編集長がマイケルを悪人として扱うかヒーローとして扱うか決断しようとしているだろう。ナショナル・エンクワイヤラー(National Enquirer)は世界一の発行部数を持つ印刷物であり、タブロイドがマイケルのレガシーに及ぼす影響は確かなものである。
決断の根拠となるのは単にどちらの方が売れるかということなのは、かつてその現場で働いていた私にはわかっている。
「今まで誰かについて何か良い事を書いたことがありますか?」と、Globe誌の編集長
に尋ねたことがある。「もちろん。死んだときにね。」と彼は答えた。
では、ジャクソンは生涯にわたって苦しめられてきた、いわゆる『雑誌』に尊敬を持って書いてもらえる機会をとうとう得たのだろうか。しかし、保証は何もない。
かつての『報道』業界の同僚を悲観的に見ているように聞こえるのはいやだが、ジョン・デンバーの死亡を取材するためにアスペンに送られたときのことがデジャブのようによみがえってくる。
「それで、どんな風にしますか?好人物それとも悪者?」と私は編集長に聞いた。
「悪人だ。ジョンデンバーの幼い娘が今アスペンに飛行機で向かっているところだ。私達の記事がフロントページを飾る時には彼女に大泣きしてもらいたい。わかったか?」
タブロイドのレポーターとして勤務していた頃、私は人間のサディスティックな面をこれまでに経験したことがないほど目撃した。
かつて一緒に働いていたレポーター達は、疑いなく自らがセレブに与えた痛みや屈辱を大いに楽しんでいた。また成功した人々の暮らしに及ぼすパワーに大いなる喜びを感じていた。ジョンデンバーの取材のあと、グローブ誌は元検事クリストファー・ダーデンとファラ・フォーセットについての捏造記事を書くことを要求したが私は断った。
タブロイドのレポーターや編集者により書かれた中傷記事に傷つけられた者は多いが、マイケルジャクソンは精神的な問題を抱えた悪魔のような幼児虐待者としてかつてない位置に置かれた。
ジャクソンは2度起訴されたが、私に無罪を言い渡す権限はないけれども、一度も有罪の宣告を受けたことはない。世論と言う法廷の中で彼の名声を焼き尽くして灰にした悪意の炎を更に燃え上がらせるようなタブロイドの中傷を受ける言われは全くない。
タブロイドがほとんど強調しなかったのはジャクソンの数え切れない慈善活動である。発展途上国のために音楽を書いたり、アルコールや薬物中毒被害者のために大金を寄付したり、恵まれない子供達を助け、黒人の青年を大学に通わせ熱傷治療センターに数億円提供していた。
ジャクソンは、またエイズについての意識を高めたことについても先駆者である。クリントン大統領の就任式典でエイズ克服やアフリカでの認識を高めるため使われる予算を増やすように訴えた。事実、ジャクソンは彼の慈善や音楽での功績によりレーガン大統領やブッシュ大統領によって認識され賞を贈られている。
ジャクソンが幼児虐待容疑で再び起訴された際、タブロイドは彼が有罪であるかのように進んで示唆した。が、検察側の陳述が進むにつれて被害者及びその母親の信頼性は失われていった。1993年の最初の基礎の時でさえ被害者とされた少年の母親はポップスターは悪いことは何もしていないと語っていた。
ニューヨークタイムスはかつてこのように述べた。「ポップミュージックの世界にはマイケル・ジャクソンとその他すべてが存在している。」タブロイド産業の標的としての歴史についても同じことが言えるだろう。
タブロイドが非難してきたようなことをジャクソンがしたかどうか、今後我々は知ることはないだろうが、彼が生涯にわたって英雄的な事を行ってきたことが明白な事実であることは知っている。
我々ができるのは、今度こそタブロイドが良識のかけらを示し、推測と事実を区別するように願うことだけであるが、それは真のジャーナリストが元々行うべきことなのだ。マイケルジャクソンは多くの利他的な行為を一生を通じて行ってきた。そして彼はその点において人々の記憶されることに値する。
売り上げ以上のものでなされるべき決断がある。マイケルジャクソンは歴史の中で正確な位置に置かれることに値する。少なくともその死において名誉を傷つけられるべきではない。
最終更新:2009年11月30日 19:31