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2009年9月13日 MTV VMAでのマドンナのスピーチ

マイケル・ジャクソンは1958年8月に誕生しました。私もです。
マイケル・ジャクソンは中西部の郊外で育ちました。私もです。
マイケルには8人の兄弟姉妹がいます。私もです。
マイケルは、6歳にしてスーパースターになり、世界一愛された子どもでした。
私は6歳にして母を亡くしました。

彼は貧乏くじを引いたと思います。
私には母親が、彼には子ども時代が無く、人は手に入らないものに執着するものです。
幼少期の私は母親像を追い求め、時に上手くいくこともありました。
しかし、世界中の注目を浴びながら子ども時代を再現することはできますか?

間違いなくマイケル・ジャクソンは歴史上最も偉大な才能です。
早熟な8歳の彼の歌声に、胸が締め付けられるような思いをしたことがありました。
F・アステアの優雅さとM・アリのパンチ力を持ち、彼の音楽は幾重にも重なる魔法のようでした。
踊りたくなるだけでなく、大空を舞い、どんな夢でもかなえられる気になります。
それがヒーローの役目。マイケルはヒーローでした。

世界中のスタジアムでパフォーマンスをして、何億万枚も売上げ、首相や大統領と食事をしているのを見ました。
女の子も男の子もみんな彼に夢中になり、誰もがそのダンスに憧れました。
別次元の人のように思えましたが、彼も一人の人間。例に漏れず、シャイで不安定でした。

私は彼と親しくはなかったものの、1991年に彼を知ろうと思い、食事に誘ったのです。
「支払いも運転も私がするわ。二人きりで会いましょう」と。彼は警護もつけず、一人で家に来ました。
レストランには私の車で行きました。サングラス姿の彼に言いました。
「リムジンと話してるみたいだわ。サングラスを外して目が見えるようにしてくれない?」と。
彼は少し考えると、窓からサングラスを投げ、ウィンクして言いました。
「見えるようになった?これでいい?」
彼の繊細さと魅力が見えた瞬間でした。

私は彼にフライドポテトを食べさせ、ワインを飲ませ、悪い言葉を言わせました。
彼がしないようにしてきたことをさせたのです。
その後は自宅で映画鑑賞しました。
子どものようにソファに座り、映画の途中で彼は私の手を握りました。
恋人ではなく、友達を求める手のように思えました。私は喜んで応じました。
そのときの彼は、スーパースターではなく、一人の人間でした。

何度か一緒に出かけましたが、その後は連絡が途絶えてしまい、その後に魔女狩りが始まったのです。
マイケルへの批判が次々に出てきました。私には彼の痛みがわかります。
世界中が敵になったような、あの苦しみ。自分の弁護すらできない無力さ。
群集の怒号にかき消され、自分の声は届かないと思い知るのです。
でも、私には子ども時代があり、過ちを犯しても注目を浴びることなくやり直せました

マイケルの死を知ったのは、ツアー前のロンドンでした。
彼も一週間後に公演を控えていた会場で、あの瞬間に思ったことは、「彼を見捨ててしまった」ということでした。
私たちが、彼を見捨てたのです。
かつて世界中を熱狂させた偉大な人物を、平気で見過ごしていたのです。
彼が家族やキャリアの再建にいそしんでいる間、世間は彼の批判に徹しました。
みんなが彼を裏切ったのです。

私は必死で彼を思い出そうと、在りし日の彼の動画をネットで夢中で見ました。
そして思ったのです。なんと個性的で独創的で希少な存在かと。
あのような人は二度と現れません。彼はキングでした。
しかし、人間でもありました。私たちと同じ人間です。
その真価に気付かぬまま失ってしまったのです。

最後はポジティブに締めましょう。
9歳と4歳の息子は、マイケル・ジャクソンに夢中で、家では股間つかみやムーンウォークが大人気なんです。
彼の才能を知った新世代の子どもたちが、彼に再び命を吹き込んでいるようです。
マイケルは、今どこにいてもきっと微笑んでいることを願います。
そうです。マイケル・ジャクソンは人間であり、王でもありました。王よ永久の命を。

http://www.youtube.com/watch?v=a-GdzanP5ig&feature=related

マドンナはコンサートでもトリビュートを行っていました。

http://www.youtube.com/watch?v=YB7vafSDJlE

 

最終更新:2009年12月05日 22:08