*プロフィール*
1983年広島市郊外の平凡な住宅地に生まれる。陣痛は18時間と難産だった。よく寝る赤ん坊で寝すぎて3歳までしゃべることができず両親を本気で心配させる。4歳のときに自転車をいきなり補助輪なしで乗車するという変態ぶりを発揮する。同時期に三輪車で坂道を爆走。ブレーキの無い三輪車と一緒に石垣に激突。しかし無傷。5歳ごろから急激に太りだし肥満児のまま小学校へ入学することとなる。
1990年近所の小学校へ入学。周囲の人間に合わせることに執心し、目立つのか目立たないのか、面白いのか面白くないのかよく分からない変な性格の人間に育つ。しかし肥満なのは相変わらず。6年生のころには体重は既に60キロを超えていた。4年生のころからお受験に挑戦。一日10時間という生涯で一番勉強した時期を過ごす。また6年生のころに小学校の文化祭のキャッチコピー「なかよく 集って 遊びんさい」で最優秀賞を受賞。コピーライターとしての才能を存分に発揮。早くも人生のピークを迎える。
1996年中学受験で微妙に失敗、第4志望の男子中学校に入学。気の合う汚い男共と思春期を謳歌。そのため異性を全く意識せず、肥満体を維持増長させていく。
1999年中高一貫校であるため同じ男子高校に入学。周りの環境に変化が無いのをいいことに体重は大台間際の97キロまで増量。
祖父から相撲部屋入門を打診される。流石に死を意識しこのごろから減量を開始、紆余曲折の末、半年で23キロの減量に成功。そして17歳のときバイト先の同僚と恋愛未満の状態に陥る。接し方を知らなかったため、1週間で破局。以後恋愛から怖気づくようになる。中途半端な状態で大学受験に臨むも当然失敗。浪人生となる。
2002年代々木ゼミナール広島校へ入校。授業のあとは広島市民球場へ足繁く通い、新井貴浩の涙が出るほどつたない守備と豪快なホームラン、そして頭の悪い言動に感銘を受け人生の師とする。生まれ持った変態ぶりをいかんなく発揮するためにテレビマンになろうと決意、首都圏に進出をもくろむが学力不足のため横浜国立大学に落ち着くこととなる。
2003年横浜国立大学入学、劇団三日月座新入生歓迎公演にてテニスサークルなどの軽いノリとは一線を画した不器用な大学生たちを発見、自分の居場所を見つけ入団を決意。まともな演技を放棄する役者をする傍ら、内装設計の仕事につく父親の見えない影響により舞台美術に傾倒することとなる。2003年の冬公演以後3作品担当するが2004年の常盤祭公演「ドライブインカリフォルニア」にて学校の竹林を深夜に伐採、そのまま装置にするという暴挙を敢行。学校の竹林は一部丸裸になった。その常盤祭公演「ドライブインカリフォルニア」の後になぜだか分からないが三日月座座長に就任。同時期にアルバイト先のテレビ神奈川スポーツ部でアルバイトチーフに任命され、サークル内でもアルバイトでも責任の重いポジションに追いやられることとなる。
2005年清陵祭公演で自ら住む34000円の下宿をモデルとした「ゆめが丘荘の人々」を書き上げ、演出。品の無い力押しの芝居であったが役者の力に助けられながらそれなりの評価を得、自分でもよく分からないまま今に至る。
2003年12月に自動二輪免許を取得、取得日に愛車HORNET250を買う。翌年8月に自動車と衝突してくるぶし周辺の肉が割れる怪我を負い、愛車も半壊。警察の現場検証直後何事も無かったように30キロ離れた平塚市までドライブ。変態ぶりをいかんなく発揮する。その2ヵ月後3トントラックを運転中、軽い接触事故を起こし警察車両で護送され、取調べ室でを取調べを受け、社会勉強にいそしんだ。現在はその事故から2ヶ月の免停後、愛車のタンデムシートに女性が乗る事を夢見ながらスロットルをまわす日々である。
とかなんとかいいながら突発的にやりたいことをやってしまう変な行動力を持っているがためにとある土曜日の夜に「そうだ、仙台に行こう」と思い立ちその1時間後には愛車にまたがり仙台まで400キロの道のりをはしっていたのである。日帰り往復800キロの道のりの後、愛車は力尽きた。気分転換をしたい持ち主の気まぐれのためあっさりと買い換えられてしまったのである。新しい相棒はCBR150R。れっきとした外車である。生産国はタイであるが。