月面勇者 > 賽は投げられた

「――――さらばだ。安らかに消滅したまえ」

 天から響く声。
 自分はその声に否定する力もなく、ただ倒れ伏すのみ。
 偽りの学園を振り払い、人形と共に回廊を進み。
 しかし、最後の最後で試練を乗り越えることができなかった。

 ……このまま、死んでいくのだろうか。視界が霞む。
 気づけば、周囲には数多の死体。幾重にも重なった月海原学園の生徒たち。
 ――――あれは、自分の同類だ。
 同じく試練に敗れ、死んでいった者たち。今から自分が仲間入りする場所。

 ――――いっそ目を閉じてしまおうか。
 やれることは全てやったのだ。もう、終わりにしてもいいのかもしれない。

 だが――――諦めたくない。
 どうにか起き上がろうとすれば、体中に激痛が走る。どうも、起きれそうにもないらしい。
 いいじゃないか。おまえはよくやったさ。
 そんな自分の中の何かの声を聞きながら、しかし、それでも。

 それでも――――諦める訳にはいかない。
 膝を屈する時は今ではない。今ここで諦めてはいけないという、強迫観念のようなものが湧き上がる。
 身体に走る激痛はとうに限界を超えているが、それでも、それでも、自分は、立ち上がらなければならない。
 自分でもなにがなんだかわからない。
 死ぬのが怖いとか、そんな理由ではない。

 だが、だが、なにがなんだかわからないまま死ぬことだけは、絶対に許されないのだから――――!!


「――――ブラボーだ、少年!」


 ――――不意に、声が聞こえた。
 先ほどまでのいやらしい悪意に満ちた声ではない。
 もっとからっとして、馬鹿馬鹿しい、底抜けに明るい声。酷く場違いな声。

「人は人生において、多くの理不尽に出会うだろう!
 その理不尽を覆すことのできない民草は、なんら恥じるべき存在ではない。
 なぜなら理不尽に抗うのは英雄の役目であり、苦しむ民は英雄によって救われるものだからだ!」

 誰だ。
 これは、誰の声だ。
 自分は顔を上げることもできなければ、周囲を見渡すこともできない。

「――――だぁが!
 キミは! キミは今、理不尽に抗おうとした!
 たとえそのための力が無くとも、無力を恥じ、理不尽に立ち向かおうとした!!」

 その声は、不思議な熱を持った声だった。
 声を聞くだけで、体の奥から力が込みあがってくる。
 これは英雄の声だと、なんとなしにそう思った。

「その心意気、極めてブラボー!
 キミはたった今、勇者への階段を一つ昇ったのだ!
 心意気だけで試練を超えられないと言うのなら、私がキミの力となろう!
 否――――キミの剣になろうと私に決意させたその心こそ、この試練を乗り越える鍵に他ならない!」

 ――――ぱりん、と。
 ガラスの砕ける音がして、部屋に光がともる。
 もう、立てる。湧き上がる力に身を任せ、軋む体に鞭打って身体を起こす。
 頭痛の苦しみを感じながらも、どうにか声の主を探そうとした。
 異変の主は部屋の中央。
 光が収束し、徐々に人の形を組み上げていく。

 現れたのは――――やはり、英雄だった。
 外見は人だが、明らかに……明らかに、存在の密度の桁が違う。
 触れただけで蒸発してしまいそうな、圧倒的な力の奔流。
 英雄だ。
 彼はどう考えたって、英雄でしか在り得ない。

「――――ああ、なんてブラボーな日だ!
 私が力を貸すに値する魔術師(ウィザード)など、そうはいないと思っていたが!」

 それは鎧を着た勇者だった。
 古代地中海風の板金鎧に身を包み、腰には立派な剣を佩き。
 大柄な肉体と、酷く朗らかな表情を携えた、問答無用なほどの勇者だった。

「さぁ、選定の声に応じ、勇者は確かに参上した!
 我が名はセイバー! 理不尽に抗する剣である!」

 大仰に両手を広げ、真っ直ぐとこちらに瞳を合わせ、勇者は問う。


「――――問おう! キミが私の勇士(マスター)に相違ないな?」


「――――あ、ああ……?」

 勇者の問いは有無を言わせぬところがあり、咄嗟に肯定の意志を返す。
 その返答を聞いた勇者は満足そうに頷き、広げた手をガッシと組んで快活に笑った。

「ブラボー!
 ならば、ここに契約は完了した!
 私はキミの剣となり、あらゆる理不尽を討ち滅ぼすことを約束しよう!」

 なぜだろう。
 彼の笑顔を見ると、妙に力が湧いてくるのは。
 彼の言葉を聞くと、妙に自信が溢れてくるのは。
 セイバーに手を引かれ、立ち上がる。
 もう、倒れる気はしなかった。

 ……と、握られた手が発熱する。何かを刻まれたような、鈍い痛み。
 見れば、三つの模様が組み合わさった紋章が手の甲に刻まれていた。
 これはいったいなんなのか、それをセイバーに問おうとした時――――背後の物音で我に返る。
 振り向けば、先ほど戦った人形が身構えている。
 苦い敗北の記憶。
 咄嗟に一歩後ろに下がれば、肩にポンと置かれる手があった。
 顔を向ければ、あの不思議な笑みを浮かべるセイバーの姿。
 大丈夫だ、と彼は視線で告げて、自分を守るように前に出る。

「では、初陣だ。
 共に往こう、我が勇士(マスター)よ。
 これがキミが最初に打ち砕く理不尽であり、キミと私の旅路の始まりだ」

 セイバーが白い歯を見せて笑った。
 それだけで、ああ――――なんて、安心できるのだろう。
 恐怖は消えた。敗北の記憶など気にもならない。

「ブラボーな指示を頼むぞ、勇士(マスター)!
 なに、気負う事はない! キミの見たまま、思うままに剣(わたし)を振ればいい!」
「……わかった」

 短く返す。
 迫ってくる人形。
 剣を抜きもしないセイバー。
 大きく息を吸って、指示を出す。

「――――――ぶっ飛ばせ、セイバァァァァァァッ!!」
「応、ブラボーに承ったァッ!!」

 人形が軽やかに床を蹴り、右の回し蹴りを放つ。
 セイバーはその一撃を、左腕の籠手で受け止めた。
 ガキン、と金属がぶつかり合う音。――――不動のセイバー。
 なんと頼もしいのだろう。勇者はビクとも動かず、右の拳を硬く握りしめ、人形の頭部へ打ち付けた。

「どうした、そんなものか!」

 再び金属音を響かせ、人形が派手に後方に飛んだ。
 しかし空中で受け身を取り、着地――――

「押せ、セイバー!」
「応!」

 ――――その隙を、セイバーは見逃さない。
 拳打による重心の移動を生かし、そのまま大地を蹴って急加速。
 弾丸の如く駆けたかと思えば、即座に吹き飛ばした人形の眼前まで迫っていた。
 それに人形が反応するよりも早く、両の腕をしっかりと掴む。
 そしてそのままぐるりと腰を捻り、回転――――腕を起点にした、ジャイアントスイング――――!

「おおおおおおおおおおッ!」
「――――――――――――――――!?」

 感情を持たないはずの人形が、どこか困惑しているようにさえ見える。
 ぐるぐると豪快に数度回した後、セイバーは人形を地面に叩きつけた。
 ……腕を掴まれているから、受け身が取れない。
 遠心力の影響をダイレクトに叩きつけられ、人形が衝撃で跳ねる。
 どれだけの威力があったのか、うつぶせの姿勢でセイバーの顔の高さまで浮き上がっていて。

「――――とどめだ!」
「ブラボォォォォォッ!!」

 ついに、セイバーが剣を抜く。
 抜刀とともに振り上げられた剣が、あらん限りの力を込められて、振り下ろされる。
 技も何もない、純粋な膂力による斬撃。
 ただそれだけで、人形は唐竹割に両断され、一拍遅れて砕け散った。


            ◆    ◆    ◆

「実にブラボーな指示だったぞ、勇士(マスター)」
「いや、俺は別に……」

 ただ、やれと命じただけだ。
 指示らしい指示はしていない。
 むしろ、あれこて口を出して邪魔になってはいなかっただろうか。
 納刀したセイバーにそう答えようと思えば、バシバシと背中を叩かれた。

「ちょっ、い、痛い! 痛いってセイバー!」
「ハハハハハ! 何を謙遜しているんだ!
 キミの声に従って戦うのは、中々に気持ちがよかったぞ!」
「セイバー……」

 豪快に笑うセイバーの姿に、ちっぽけな悩みはどうでもよくなる。
 すると安心したのか、急に体から力が抜けて――――

「――――おめでとう。
 理不尽に抗い、乗り越えた者よ。主の名のもとに休息を与えよう。
 とりあえずは、ここがゴールということになる」

 ――――また、天からの声。
 いやらしい、悪意に満ちた声。

「随分と未熟な行軍だったが、なかなかどうして。
 君の蛮勇を誇りたまえ。君ほど未熟で、見ごたえのあるマスターはそうはいない」

 褒めているのか、煽っているのか。
 どう考えても後者だろうなと考えつつも、徐々に意識がブラックアウトに向かっていくのがわかった。
 そろそろ、限界だ。

「―――おっと、そういえば、君に何者からか祝辞が届いているぞ。異例の事だが、受け取りたまえ」

 膝をつこうとすれば、無言でセイバーが支えてくれた。
 格好はつかないが、有難い。もう、膝はつくまいと決めたばかりだ。

「――――“光あれ”。
 私からも祝福しよう。君の聖杯戦争はここから始まるのだ」

 それでも、意識が、もう、保てなくて――――

「ブラボー。今は眠れ、勇士(マスター)。
 旅はまだ始まったばかりだ。剣は掲げられ、賽は投げられた。
 今は英気を養うと良い。さぁ、我々の――――」

 薄れゆく意識の中で、セイバーの声が耳を打つ。
 同時に、あの悪意に満ちた声が重なって。


「「――――聖杯戦争の開始を、ここに宣言する」」


 ――――そして、意識は途絶えた。

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最終更新:2015年09月15日 00:43