「都市伝説って知ってますか?」
彼の話は面白い。発想に飛躍があるからだ。私は彼の話を聞くのが好きになった。
意外にも聞き上手だとよくいわれる。自分で話すよりいい。
■■版画館の展示室だった。
通路の一角の絵画『バベルの塔の崩壊』に向かい、中央にある椅子に、二人並んで座っている。
いつかの少女の姿を追憶する。一人に慣れた孤独な姿だった。彼女はいつもこの椅子に座っていた。
「それは町の噂(うわさ)であり、ちまたにあふれる流言飛語です。
よくいえば現代のフォークロア、はっきりいってデマ、です。
一昔前のこの国の伝承であれば、、「口裂け女人面犬なんちゃっておじさん」の類いですね。
トイレから青い手赤い手が出るとか。あなたは身近な例を知らないか」
「■さんの土蔵門の前には白い婆さんが出没する。学校前のラーメン屋でチャーシューを食うと腹痛を起こす」
「そういうこと。ま、後者はただ衛生管理がいき届いてないだけの話だけどね」
キャスターは版画館に足を運んでいた。黒きマキリの聖杯がバベルの塔に囚われてから4日経っている。
覚えている限りでは四度目の来館だった。
彼女の安否が気にかかる。
絵に描いた優等生だ。しかしあれだけの経験をしたのだ。見えないダメージは受けているだろう。
いや……と、キャスターは思った。打撃を受けたのは自分だ。目の前にいる彼ほど心が柔軟ではなかったのだろう。
サクラが血を流している姿が頭から離れなかった。
警察を前に演説を続けた彼の顔も。
形のないものの喪失。憑(つ)き物を落とすように彼にすべてを話した。事細かに話した。
彼も同じようにした。少し楽になった。彼は随分細かいことまで聞き返してきた。
それも、今では昔に思える。
彼は版画の方に目を遣(や)りながら、
「都市伝説はどこからともなく発生し、広まっていく。
しかし広がるだけ広がった噂が、突然消滅することがある。
「生成」したものが「消滅」するんだ。ある時を境にして噂は完全に消えていく。キャスター、その切っ掛けがわかるかい?」
「実物が登場するからだ。噂が流れた末に本物が出現する。その結果、噂は急速に消え去る。」
「正解です。最近「都市伝説」の本で読んだ口裂け女なんかはいい例だ」
マスクをして通行人の前に立ち、「わたしってきれい?」と聞くとか、バイクより速く走るとか。
流行「はや」ったのは七〇年代末のことだった。
「その口裂け女の本物が出た? 実際にそんな化け物がいたんですか」
「真夜中にタクシーが走っていたんだ。運転手は、ふと、路上にたたずむ女に気づいた。
真っ白い着物を着ている。顔を見たとたん、仰天した。口が耳まで裂けている。
手にした肉切り包丁がライトでキラリと光った。口裂け女だ……。運転手は警察に通報した。
口裂け女は捕まえられた。九州の話だったと思う」
「警察に逮捕された? マヌケな妖怪「ようかい」だな」
「むろん妖怪じゃなかった。娘さんのいたずらさ。口紅でメイクして顔を作ったんだ。
あまりによくできたんで、近所の人を驚かしてみたくなったんだな。というわけで、ホンモノが出た。これを境に噂は消えた」
「そんなことだろうと思った」
彼はふーんと頷(うなず)いて、
「噂が実物を産んだんですね」
「暇な人だ。あなたほど無節操に無意味な情報を取り込んだ”サーヴァント”はいないだろうな」
「楽しみが少ないんです。身の回りに起きる筈のない、すごく変わった出来事ですからね。
記憶しておきたくなったんですよ。ヒューマン・ドキュメント大賞にも応募できるし。受賞したらドラマ化されるし」
「ミステリー大賞の間違いだろ?」
「結構ヒューマンな出来事だと思うんだけどな。本質的な意味で「人間らしい」事件じゃないですか。
もちろん僕がいってるのはこの地で起きている事件ですよ」
彼は腰を上げ、バベルの版画を背にして、私の前に立った。
「市民のみなさんには悪いのですが、この事件で特に面白いと思ったのは次の点です。
それは、都合のよい偶然が最悪の事態を招いた、ということなんです。
犯人にあまりに都合よく、犯行に必要なエレメントが集まってきた。タイミングも怖いくらいにバッチリです。
各々のサーヴァントが仕掛けた大規模な精神干渉。
私とあなた、そしてあの塔を建てた
アーチャー、街を覆う赤い霧は敬愛する母君、いえ、ここは
ライダーと呼んでおくことにします。
すべては恐るべき偶然です。私たちを殺して、と被害者たちがいってるみたいです。
あるいは、汝(なんじ)の手で殺せ、と神様がそそのかしているようです。
終焉を訪れさせざるを得ないように状況がしてしまった。
この事件で真に恐ろしいのはそこです。我々が状況を作ったのではなく、状況が我々を突き動かしているのです。
加害者は前回の聖杯の勝者の願いです。ですが、本人にとってそれに至る遍歴は不運だったのかもしれません」
私は犯人の顔を思い浮かべた。凄(すさ)まじく歪んだ顔をしていた。
「そうだな。我々がこうして接触できたのは不幸中の幸いだ。
君は止まらないだろうが、こうして私の申し出を簡単に受諾してくれるとは」
「なんの対抗もなく終末を迎えるところでしたからね」
二人とも黙り込む。自分は足元を見て思い詰めたような顔をしている。
彼はぼんやりと版画を眺めていた。
「バベルの塔、バビロンの大淫婦、黙示録の獣、救世主、アグネアの矢、とはね。
前回の覇者は、こんなつまらない茶番のために万能の杯に請い願うとは……」
「殺人、自殺、事故、この街の終焉はバベルの塔と2対の黙示録の獣。
都市伝説が実物を産むように、聖杯の幻想が本物の地獄を産んだ。
実物が現れたとたんに噂が消え去るように、我々が実在したとたんに主の言葉(バベル)は抑止(狸)に化かされてしまった。
これはそういう筋書きだったのです。全ては偽りなのだと」
彼はそう締めくくる。