レイプ論争(膜論争)とは?
レイプ論争(膜論争)とは、4巻収録の「夏休み再び(前後編)」にてイリヤが吉野に押し倒された後、レイプされたのか未遂に終わったのかで読者の解釈が分かれた事に端を発する議論である。
正式に呼び方が決まっているわけではないが、便宜上ここでは「レイプ論争」あるいは「膜論争」で統一する。
議論の内容
上述の通りレイプの有無に関する言い争いである
意見を大別するとレイプがあったとする「認定派」と、なかったとする「否定派」の2つの陣営が存在する。
レイプ認定派の根拠は「間違い探し」「なにもされてないっ」などの記述である。
一方、レイプ否定派の根拠は「金属球に気づいた」「ナイフで刺した」「浅羽が鼻血をぬぐってやると新しい鼻血が流れてきた」などの記述である。
また、どちらとも取れないような記述も多くある。
リンク先の考察の結論は
というものだが、これは妥当な推測であると思われる。
描写の狙い
作者はどういった狙いでどちらとも取れる描写を行ったのか?
以下、上記リンク先より引用
この説明にも納得がいかず、どうしても結論を出したいというあなたに。
浅羽の視点ではどのような情報を得られ、どのように判断したかを考察してみましょう。
浅羽は、校門で逃げていく吉野を目撃し、体育館で伊里野を見つけ、状況から何があったかを察して金属バットを持ち出し、その後伊里野から、「なにもされてない」と伝えられます。金属バットを持ち出す場面でも、夕食の場面でも、浅羽はレイプがあったとする立場から、そのことに触れないようにしているようにも受け取れ、また、駅の場面でも浅羽はレイプがあったと考えての言動をとっているように思われます。
これに対し、読者は何度か読み返すことで上に挙げたような部分を考察することもできますが、一度目に読んだ結果として頭に入ってくることは、吉野が伊里野を羽交い絞めにした、金属球にひるんだ隙にナイフで応戦した、浅羽を見て逃げた、体育館で座り込む伊里野、伊里野の「なにもされてない」くらいでしょう。これは、浅羽が得た情報とほとんど同じ程度とも考えられます。
つまり、作者はここで読者を浅羽と同じ立場に立たせたかったとも考えれれます。
「あなただけしか頼る相手がいない女の子が、浮浪者にレイプされたかもしれない。あなたは彼女を信じられますか?」
さて、皆さんはこの状況で伊里野に優しく接することができたでしょうか?('A`)
「夏休み再び」から「最後の道」にいたる流れは、浅羽が自身の無力を徹底的に痛感する道行きである。
もとより先の計画のない逃避行であり、いつかは破綻する事は(物語の構成上も)決定づけられていたと言ってよい。
レイプ(あるいはレイプ未遂)を描いたのは、物語としての都合もあるだろうが、決定付けられている破綻をより衝撃的に描くことで、浅羽に感情移入しているであろう読者により強く絶望を感じさせたかったということだろう。
その絶望はその後の脱走劇での失敗と合わせ、、無力感からのイリヤに対する拒絶へと繋がっている。
これらのくだりは事件の流れにおいても感情の動きにおいてもワンセットでつながっており、半一人称の文章とあいまって、読者を浅羽に引き込もうとする場所となっている。
秋山の構成力・描写力が光る流れである。
(ただしその見事さゆえに、少なくない読者が「2度目以降、4巻は読むのがつらい」という声を上げていたりもするのだが…)
議論の話題に戻る。
上で書いたように、作者の狙いはおそらく浅羽(読者)に「イリヤ何をしてやれるのか? そもそもお前は何をしていた?」と問いかけることであり、拒絶の描写につながる流れを作ることであると思われる。
要は「レイプの有無を疑うこと」自体が重要で、結論が出せないことに意味を持たせている可能性もあるということだ。
ゆえにここではレイプの有無に関する具体的な検証はファンサイト他に譲り、否定派認定派どちらを擁護することもしない。
答えが出せない構成になっている、と述べるにとどめておく。
レイプ論争(膜論争)自体はループ話題だということもあり、あまり歓迎されない風潮である。
議論の際は既出意見を良く確かめた上で、「こういう解釈もアリでは?」というスタンスで発言をすれば、ループの煩わしさも多少はなくなるんではないだろうか。
真性は真性で面白いから自重しろとは言わないけどね。
以上。
最終更新:2011年01月30日 15:17