さぁ・・・飛ばすぜェ!
御日様の燈に揺れる群れをなす雲たち。
辺りは、もうそろそろ昼が終わり、夜が始まろうか、という頃合である。
夕暮れ、というのは倭教の考え方では、太陽と月の入れ替わり時、すなわち異界――妖怪たちの住まう妖の世界への道が開かれる、とされ、不吉なものとして扱われているそうな。
このような考え方は、倭教が啓かれる前にあった諸々の宗教の一部にもあったようで、人々は、何かしら夕暮れについて厭なものを感じるようである。
そのような不吉なものの象徴である鴉も、鈴音が今いる林の上空を、かぁかぁ、と漆黒の羽を震わせ飛んでいく。
鈴音は、狭霧カヤと別れてから今の間まで、食事も摂らずにただ凝、と精神の統一をしていた。
だからであろう、鈴音の深い鈍色の瞳も、しん、とひかっている。
しん、と赤く燃える林を歩き、鈴音の目指す先は――やはり、件の広場である。
ぽっかりと、そこだけ林という定から外されたかのように、ひとりでに佇む空間。
そんな空間に在るは、其れが当たり前であるが、同じように何かしらの定から外されたモノである。
一つの例としては、人という定から外されてしまった者。
黒緋の髪を持ち、<鬼の飼い猫>という妖怪として蔑まされる少女――狭霧カヤは、今も、いた。
片手には、竹の管で作られた横笛をさげて、空を見上げ立っている。
その姿を見受け、鈴音はそちらへとすたすたと歩いていく。
――昨日、感じていたような別の視線は、今日もまた感じている。
互いの距離が六間ほどの差になったところで、ようやく狭霧カヤは鈴音の方を気付き、
「待って」
やはり、朝と同じく逃げようとしたので、即座に鈴音は止めた。拒絶を許さぬ、凛、とした声である。
「あ・・・う・・・」
そんな声に圧されたか、流石の狭霧カヤも足を止めた。依然、背は鈴音の方へと向けている。
「あなたは、今のままでいいと思ってる?」
鈴音は、問うた。
「それは・・・」
問う間にも、鈴音はしん、と歩き、互いの距離は二間もない。
「う・・・今のままでも、いい。それが・・・一番、かや」
「そう」
どこかで、蛙が喉を震わす。
「じゃあ、殺してあげる」
「や?」
転瞬、一筋の光芒が閃く。
「あ・・・・・・」
まさに、一刹那の瞬間、であった。
――背後から、狭霧カヤの首筋に、鈴音の刀が添えられている。
カヤの持つ、寂びた竹の笛が、からん、と落ちた。
――――――静止。
今度こそ、狭霧カヤは、震えた。
先程の「待って」とは違い、
「殺してあげる」
という、韻の亡い音のみの言に紡がれ、知能ではなく、本能を直接刺激するような言霊。
恐れのような、畏れ、といった形容しがたい恐怖に、狭霧カヤは、震えた。
「今のままでいい、というなら、あなたは<鬼の飼い猫>。ただの妖怪。この世なんかよりも、あの世の方がよく似合ってる」
知能では、抗うことなどできない。
しかし、本能がそれに抵抗しようとする。
「あう・・・私は・・・」
「あなたは、今のままでいいと思ってる?」
先刻と同様に、鈴音は問うた。
広場の中央には、ほんの一本だけ、科の木が天へと伸びている。
他の木々とは並ばずに、ただ一本だけ夕空の橙を受けるその姿は、ただひたすらに、己の生の存在を主張するかのようである。
「私は・・・」
りん、りん、と虫たちのさざめく羽音が聞こえる。
夕陰に啾く霞が、しん、と冷えていく。
――対照的に、狭霧カヤの瞳は、じん、と熱を帯びていく。
「私は、猫、なんかじゃ、ない・・・。狭霧、カヤ・・・なのに・・・」
大きな金色の瞳から、大きな泪が、ぽろり、ぽろり、と零れる。
……羽橋鈴音は刀を鞘へと納めた。
――つかの間の、静謐。
「助けて・・・」
――それは、彼女が、村で迫害されるようになってから、初めて求める助けの声、であった。
「・・・それが本心。じゃあ、教えて」
「――火呂九柳斎、という男について」
萩鷲殿に描いて頂いた儚さんイメージ。さんくす!
せっかくなので、ここにも貼ってみた。感謝感激雨あられ。
自分も鈴音さんあたりでも描いてみようかのぅ。
てか、よくよく見たら、儚さんTシャツの文字は「BREAK MY HEART」なのね(
二人して、科の木の根元へと腰を下ろす。
根元には、夕の色と、数多の葉々が落とす黒の色とが混じりあった影ができている。
腰を下ろすと、土の匂いと、雨の匂いとが混じりあった香りがする。
時刻は、そろそろ申の下刻ほど(午後六時頃)である。
ぽつり、と少しずつ狭霧カヤが語ったところによると・・・。
火呂九柳斎は、狭霧カヤを両親の仇、として鹿宮よりはるばる追ってきたそうな。
狭霧カヤが直接手を下したわけではないが、カヤの父母が火呂の父母を殺めてしまったらしい。
元は、火呂もそのカヤの父母を追っていたわけであるが、途中、こうしてその娘である狭霧カヤと出会ってしまったわけである。
その娘、であると気付くからには、当然、その両親の姿を火呂は見たのだろうが・・・。
「普通、一目見ただけで誰かの娘だって分かる?」
「あ、多分・・・髪の色、とか目の色がこんなだから・・・」
「ふうん・・・」
聞いては見たが、それについては、鈴音は深く考えないことにした。
両親を殺された恨みがあるのだから、その殺めた相手の特徴を覚えるのも当然、して、およそ常では考えられないが、一目見てその相手の子である、と気付くこともあるであろう。
また、仮に勘違いだとしても、狭霧カヤの現状が変わるわけではない。
(やっぱり、あの<鬼の飼い猫>の話は単なるでっち上げ・・・)
酒屋<桂月>の女将に聞いたところよると、火呂九柳斎は最初、狭霧カヤを見たときにその話を語ったというから、大したあたまの持ち主である。とんだ歌舞伎役者だ。
と、いえども、元々狭霧カヤは迫害されていたというから、狭霧カヤを駄目にする火薬自体は既にきち、と殲(つ)められていたわけである。
現在、火呂九柳斎は、
「火呂さんからは・・・えっと、悪口言われたりするだけで・・・たまに、ぼこっ、ってされるけど・・・」
とのことである。
もちろん鈴音は、
(悪口ではなく罵詈雑言、ぼこっ、ではなく殴打、か・・・)
ように、解釈した。そこまで生易しいものではあるまい。
――そういえば。
「ね・・・」
「や?」
「本当に、あなたの両親があの男の両親を殺したの?」
「うん・・・だって・・・」
言って、カヤはパーカーの懐に手を入れる。
先ず、黒い塊がひょっこり顔を出し、カヤは一瞬戸惑い、しかし一気に引き抜いた。
「・・・え?」
予想外のそれに、流石に鈴音も瞠目する。
不銹鋼で造られ、筒と取っ手がついていて、所々に褪せた色が見受けられる。
刀に比べれば、どう見ても子供の玩具にしか見えないようなそれ。
――銃、であった。
よると、狭霧カヤの両親が四ツ山より去った後、当時、暮らしていた家の中に残っていたものだそうな。
この時代、銃などというものは、まだまだろくに普及もしておらず、少なくとも一般人が容易に入手できるものではない。
羽橋鈴音も、文献でしか見たことが無い。
倭教の者ですら、銃を持つことは禁じられており、高位の者にしか所有が許されていない。
そんな物騒なものを持っていた、となると・・・。
「多分、私のお母さんとお父さんは、殺し屋さん、だったかや・・・」
その線が、一番近いであろう。
現在、銃は倭教の厳重管理体制にあり――今は、その倭教自体が荒れ始めているが――狭霧カヤが両親と共にいた際の、今より十四年ほども前ならば、余計に倭教の管理は厳しい筈だ。
狭霧カヤの両親が倭教徒だった、という場合もあるが、ならば、銃を持ったりしてこんな所に来たりはしないであろう。
して、殺し屋をしているとも限らないが、確実にそういった世界の者たちだった、と推測できる。
赤の空には、地の者たちに夜の到来を示すかのように、かぁ、と鳴く鴉が飛んでいく。
それに釣られ、真上の科の木もす、と揺れ、また、蛙や虫たちも鳴いているようである。
「そう・・・」
そのように鈴音が呟く声には、同情の色はない。
幼少期、狭霧カヤのように親に捨てられ、ただ一人生きてきた身であるから、他人からの憐憫、哀れみ、慰め、なんてものは、本当に身の毛がよだつほどに鈴音は嫌いなのだ。
(裕福に生きてる人間に同情されても何も嬉しくない・・・)
のである。
――狭霧カヤも、その辺りの含みを察したのであろう。
顔だけで淡く、苦く微笑み、銃を――唯一の親の形見となったそれを、大事そうに懐へしまう。
「それで・・・あなたはどうしたいの?」
どうしたい、とは火呂九柳斎について、である。
気付けば、辺りは暗くなってきている。そろそろ、月が上ってくる時であろうか。
林を掻き分けた先に見える四ツ山の村には、ぽう、と明かりが灯りだしてきた。
木々の放つ、澄んだ空気に溶け込んだ夕明かりの残り陽が去り、冷たく涼しい闇が溶け込みに入る。
「私は・・・火呂さんを、助けたい」
科の木が落とす影の色が、夜の色へと変わる。
樹の下に映るカヤの金に光る瞳は、夜の色により、静かに、輝いて見える。
「その・・・手伝って、くれるかや?」
「手伝いは、しない。これは、あなたが何とかするべきことだから」
「う・・・そう、だけど・・・」
と、おもむろに鈴音は立ち上がり、森、と歩いていく。
揺れるスリップドレスは、どこか、乱世の波に揺れながらも、き、と佇む睡蓮のようである。
「笛」
ついさっき、鈴音に刀を突きつけられた際に、カヤが落とした笛を、す、と鈴音は拾う。
「や?」
「獣とだけじゃなくて、普通の演奏も何か出来るの?」
「や・・・うん、できるけど・・・何かや?」
「何か、吹いてくれたら・・・あなたの刀くらいにはなってあげる」
カヤに背を向けたまま――かるく目を瞑ったまま、鈴音は言った。
「ほんとう!?」
――常では、羽橋鈴音(わたし)は人助け、なんてことはしない。
悪を斬る、というだけで。
ただ、おそらくは。
私はきっと、その綺麗な、純粋な笑顔に惹かれていたのではないかと、思う。
汚いモノを知っているにもかかわらず――汚いモノを知っているからこそよりいっそう輝く、その笑顔に。
カヤは、鈴音から笛を受け取る。
「えへへ・・・」
その、くすぐったそうな笑みは、鈴音にとっては、心が潤っていくかの、
「本当に、きれいな・・・」
笑みだったそうな。
月姫7巻。
昨日、無事に買ってまいりました。これはいいにやにや。
「今だけはわたしにやさしくしてほしくて・・・」
「・・・アルクェイド、今、それは、逆効果」
アッ―――――!!畜生、この野郎共、本気で祝ってやるからな!!!
径を、歩いた。
何もかも、暗い、溟濛い(くらい)、径。
酷く、非道い、匂が鼻を刺す。それは、きっと朽ちたモノが放つ死臭。
ここは、死人が徘徊する場所。
月はなく、夜もない。在るのは、くらい、という事実だけ。
世という定から外され、生という定から外されたモノだけが、ここに集まる。
――私は、なんなのだろう。
生きているのだろうか。
死んでいるのだろうか。
――あるいは、そのどちらでも亡いのか。
私は、生きることに囚われている。――ただ、それだけ。
私は、生きることに凝としている。――ただ、それだけ。
私は、生きることに望んでいる。――何を?
死人は、三人。
「月の」「、暗い」「…夜」
死人は、三人。
「生に執着し」「、生に屏息(かんそく)し」「…生に想望している」
――死人は、三人。
気付けば。
鈴音が、狭霧カヤと話していた際に感じていた視線は、いつの間にか消えていた。
丁度――鈴音が、狭霧カヤに刀を向けたときの頃、だったであろうか・・・。
四ツ山の村の、ちょうど東に位置する――酒屋<桂月>の正面に、<三島屋>という店がある。
普段は、皆が寝静まる幾許か前のおおよそ七ツ半(午後五時ごろ)辺りに最も繁盛する酒場、である。
夏に入りかけの、少しきつい陽射しの最中、今日もまた、三島屋は繁盛しているようである。
と、いえども、現在はまだ四ツ半(午前十一時ごろ)を少しまわったところで、常ならば人が集る頃合ではない。
「山神様に感謝を!乾杯!!」
しかし、本日は例外であり、ちょうど、四ツ山の人々が信仰する山の神様の誕生祭なのである。
この神、名を倭教では草理尊(そうりのみこと)と言い、山の安全や豊穣豊作を司る神、とされている。
倭教信仰には基本的に四ツ山の人々はうすいのだが、この神だけは別のようである。
中では、「秋楡の間」や「栃の間」などと名づけられたいくつもの間にて、男も女もまじえて酒や食い物を飲み食いしている。
がや、と談笑の響く三島屋であるが、その談笑の内容がなにかというと・・・。
「あの旅人・・・」
「あぁ、あの人形みたいな女の子?」
「そうそう、なんなんだアレは?聞いた話じゃちょっと滞在するだけだったらしいが、もう四日になるぞ?」
――もちろん、羽橋鈴音についてである。
「しかしまぁアレ美人だよな」
「どこが。あの刀みたいにきっつい眼なんて、厄持ちの雛みたいでやだよ」
「そういや、刀なんてのも持っておったな。火呂とも話しておったわ」
「あー・・・あの人も元は外の人だったからねぇ」
「なんだ?火呂さんまで疑うのか?あの人ほどはたらく人は見たこととないがね」
「誰もんなこと言ってないよ。あの旅人さんのこともね。月屋の雪ちゃんの処に泊まってるんだろ?」
「吉屋さんもたぶらかされたか?」
「あの雪ちゃんが?まさか。まぁ、あの雪ちゃんが泊めてるくらいなら少しは信頼できるんだろうね」
「うるさいなぁ、お前ら。せっかく酒があるんだ、もっといい話をしとけ」
「だな。今回も吉屋の旦那はいい酒仕入れてきたみたいだしな」
「あぁ、これは……うまい」
…先程から出ている、「月屋の雪ちゃん」や「吉屋さん」とは、鈴音が今寝床にさせてもらっている、<桂月>の女将、吉屋雪(よしや せつ)のことである。
「月屋の雪ちゃん」とは、桂月の名と、吉屋雪、の名からきたものであろう。
ちなみに、この三島屋は、二階建てとなっており、一階が今のように飲み食いしたり騒いだりする場、二階が静かに酒を嗜む場、と誰が言ったわけでもないにかかわらず、暗黙の了解でそのようになっているらしい。
二階建ての建物は、この四ツ山の村では三島屋だけとなっており、周りは皆、屋根はひとつ下の方にある。
その、二階にある「下野の間」では、袴を身に着けた、二人の男が酒をたのしんでいた。
一人は、柔和な顔をした、しかし目はいやなひかり方をしている男と、もう一人は老年の、白髪の混じった頭を持った男である。
ちょうど、三島屋の上を、鵯が通り過ぎる。ひひゅ、と鳴いていた。
※径(みち)秋楡(あきにれ)下野(しもつけ)鵯(ひよどり)
最終更新:2010年05月02日 20:57