春休みがついに\(^o^)/
「怪 ~ayakashi~」。ハマった。
天守物語まで視聴。・・・この話のラストシーンで泣いた。
迅るように、音が世界に戻ってくる。
風の音。水の音。木々の音。夜の音。
それから――
「あ、起きた……!」
掠れた、涙声。
ぽたり、と己の頬に熱を持った滴が、ひとつ、ふたつ、落ちる。
ひとつは、金の瞳から落ちた滴である。
「お前、は…それに」
もうひとつは、よく見知っているはずなのに、なぜだかうまく思い出せない、黒の瞳からの滴。
「奈津……」
――久々に、その名を口にした気がする。
家には一緒に住んでいるから、毎日呼んでいるはずなのに。
奈津は、顔を泪に潤ませ、簡素な、薄い杏色のロングワンピースに、はたり、はたりと、泪を散らす。
――久々に見る、泪を流す妻の顔。
(私は、まだ、生きているのか……)
どこか、現実感が伴わない。
この、深い霧のせいだろうか。それとも、夜の闇か。
視界が、はっきりしない。
だから、身を起こそうとし、
「痛……!」
「あ、まだ動いちゃ駄目よぅ……」
その惨みのおかげで、ようやく、生きているのだ、と実感できた。
――鈍色の死に神に斬られた傷。
私に惨みを思い出させた、傷。
それは、この"猫の妖怪"の心(セカイ)にも無数に在る、傷。
火呂九柳斎が昏睡していたのは、おおよそ一刻(三十分)ほどであろうか。
霧の湿り気を含んだ夜闇がいっそうに濃くなり、梟もまた、鳴き始めている。
(あの、鈍色の死に神は……)
身体は起こせないようなので、首だけで辺りを見回す。
白い卯花が玉鈴のようにりり、と揺られ、湖は漣を立て、空からは、朧ろな雲の隙間から、星が三つ、瞬いて見える。
――死に神は、もう、いないらしい。きっと、私は見捨てられたのだろう。
いるのは、私が棄てた妻と、私が誅したかった妖怪。
「――血を、拭いてくれたのか」
問うたのは、すぐ横に、紅に塗れた手ぬぐいを見つけたからである。
「え…あ、うん、惨そう、だったから、奥さんと一緒に……」
「そうか……」
奈津は、ワンピースの裾をきゅ、と掴みうなだれ、妖怪――狭霧カヤもまた、スカートの裾をぎゅ、と掴み、何かに怯えるように――私に怯え、黒緋の髪をなびかせている。
儚(ぼう)とかかる烟たい雲の下、緑の白む夜の林。
「狭霧、カヤ」
久々に、その名を口にした気がする。
誅したいくらいに憎かった、相手の名。
――いや。惨みを知った今でも、憎い。
なのに。
「――初めて、名前で呼んでくれた」
狭霧カヤは、ほんとうに嬉しそうに顔をほころばせて、大粒の泪を流す。
どうして、この少女は、こんなにも――
「お前は…私が、憎く、ないのか?私は、お前を、誅したくて、溜まらなかったのに……」
そうだ。
さっき、祠の前で対峙した時も、それに今までも、あんなに震えて、あんなに怖がって、惨みに、耐えていたではないか。
今だって、そうやって、眼を、髪を、躯を、大きく震わせて、私を、怖がっているではないか――
「ううん。怖かったけど、憎んでなんて、なかったよぅ……」
「そんな、ことが」
「だって――私は、りんねのおかげで、分かったから」
滾々と湧き出ているのは、四つの山に香い(におい)、白く清らかにうるおう、暖かな薫りの水。
約一週間後には、ついに国家試験本番。
これで三回目になるが、やっぱり緊張する。今回は特に。
ちなみに、応用情報技術者とかいうやつです。思いっきり理系。
でも、将来の進路は作家志望。我ながらこんなところがいかにも自分らしい。
「私は、火呂さんのことをずっと怖がってて、それで考えないように、してたけど、でも、でもね…」
ホウ、ホウ……。
その鳴き声は、夜が深くなってきたことを知らす、梟の声である。
ちょうど、呼応したように、林の木々たちもさぁ、とさざめき・・・。
湖から立つ漣もまた、しずやかで、うつくしい。
「きっと、私は、ずっと――火呂さんのことが、好きだった……」
――それは、うっとりするような自然のセカイの中に、
すぅ、と溶けていく、言。
「私を、好き?」
この少女が何を言いたいのか、まるで解らず、
(私への恐怖で、壊れたか・・・?)
火呂は、思った。
夏浅しい風に、はらり、と白い花びらが舞う。卯花である。
「うん」
「何を莫迦な……」
「私は、最初は…ううん、今もその、怖くて、たまらないけど……」
「だったら、何故」
「だってね。
――私に、ちゃんと接してくれたのは、火呂さんだけだったから」
狭霧カヤのみならず、火呂の目もまた、暖かな滴を溜め始める。
――それだけで。
狭霧カヤが何を言いたいのか、全て解ってしまってから。
それは、ひどく悲しく、哀れな――優しい、<猫>の本心。
「村のひとたちは、ずぅっと前から私のことを、怖い目で見て、一緒にお話することも、もちろん無くて……」
「……私が来なかったら、幾分かはつらくなかったのではないか?」
「ううん。来てくれて、少し、平気になったよぅ。今までは、みんなは、いきなり痛いことしたりすることもあったけど、火呂さんが来てからは、誰も、そんなことしなくなったから。あ、えと、でも、火呂さんからは、その……」
「――すまない」
「や、おこってる訳じゃなくて、えと、その……うぅ、だから!」
猫のように、ぴょん、と勢いよく火呂にしゃがみ込み、凝、と眼を覗き込む。
「怖かったけど、こわかったけど、私は火呂さんのことが好きなの!りんねに会って、今まで考えないようにしてた火呂さんのことをちゃんと考えるようになって、そしたら、ね……」
冷涼な、夜の霞。
「気付いたんだ、よぅ……。誰も私に近づいてくれないけど、火呂さんだけは私と話してくれて、でも怖くて、来て欲しくない、って思ってたけど、ほんとうは来て欲しくて……そのうちに、妖怪なんかじゃなくて、普通の私を見て欲しいな、って……」
「――――」
「でも、そのためには、火呂さんを助けてあげなきゃ、って。私の、お母さんと、お父さんのせいだけど、うん、だから、私が助けてあげなきゃって……。誰かを、助けてあげたい、って思うのは、きっとその人を」
「――火呂さんを、私が好きだから、だよね?」
六の月の夜、春の名残と、夏の名残とが残るこの時頃は、夜でも、ほのかにあたたかい。
雨も、よく降る。
普通の雨と違うのは――それが空からではなく、空に比べれば本当に小さい、両の瞳から降っていることであろう。
「ははは……」
溢れ出る泪をぬぐおうともせず、火呂九柳斎はおもった。
「――なんて、無様だ。ほんとうに私は、つくづく、救えない」
溢れ出る泪をぬぐおうともせず、狭霧カヤはおもった。
「ううん。火呂さんは、きっと……私を、すくってくれたよ。だから……あれ、なんでだろう。私が、火呂さんを、助けてあげなきゃいけなかったのに……これじゃ、逆だよぅ」
ホウ、ホウ……。
透いた梟が、さえずり……。
「――ありがとう」
どちらからともなく、言った。
にしても梟さんいい味出しすぎ役者杉ワロタ。
まったく、おなじトリの鳩とは大違い・・・おっと。ゲフンゲフン。
男は、三人。――どこか、死人のよう。
どの男も、皆、いかめしい服を着ている。
それが僧服だということは、誰が見ても明らかだろう。
――あんまり呆れすぎて、笑う気すらも、起こらない。
この男どもに対しても、私に対しても。
こんな、戒めを破る僧が蔓延るこの時代、ほんとうに、呆れてしまう。
確か、倭教、なんて名乗っていたけれど、そんな名前を使うくらいならば――あぁ、代えの名前すらも、いらないかな。
ひどく、哀れだ。
――それは、私も。
きっと、世からこのさまを見ても、特に、何とも思われないだろう。
ただ、一人の女が、三人の男に、身を売っているだけ。別に、横目に見る程度の事。
「莫迦な小娘だ……」
そう、思われるのも、仕方がない。
どこもかしこも、何もかも全て、荒れているのだから。
墨でかかれた画(え)のように、白く乾き、黒く枯れ、そこに色は亡い。
ひどい腐臭が、鼻を刺す。
風に化かされた、すっかり打ち棄てられたモノのにおい。
男は、私を隷した(おかした)。
この町は廃墟。
だから、集まるモノも皆、世から見放されたモノばかり。
水も、土も、風も。
人も、この男共も、私も。
いまさら、救いが欲しい、なんて思わない。
汚れているモノは、ただ、ずっと汚れ続ける。それが、定めだから。
抗う気は、ない。
――なら、いっそのこと、死んでしまえばいい。
キレイになれないなら、生きていても、意味なんて、何一つないから。
――なら、私はいま、どうして、こんなことをしているの?
体を売って、更に体を汚して、それでも、生きようとして。
酷い、香い(におい)が鼻を刺す。
風に化かされた、愚かなニンゲンの香い。
いま、私に覆いかぶさっている男からの香いと、私自身からの香い。
――鼻が、曲がりそうになる。
なのに何故、私は生きようとシテイルノ?
いやなら、死んでしまえばイイノニ。
ソンナニ、私ハ生キテイタイノ――?
えぇ、そう。
私はきっとー―
「生きていたい、って顔してるわね、あなた」
黒緑に染まる樹の葉々。
漂う鉄の香い。
揺れる黒髪。Tシャツとジーンズ。
「……だれ」
女は、にこりと微笑む。
その人は、私の心(セカイ)を、いとも容易く見抜いてしまった。
――気付けば、三人の男は既に、息絶えている。
見ると、この女の手には刀が握られていた。
紅いモノが、ぽたり、と零れる。
漆黒の月。
丸い円い新月。
それは、とてもキレイな、両つ(ふたつ)の瞳。
「どんなになってでも、あなたは生きていたい?」
月をもつその人は、言った。
ほんとうに、あんまりキレイで――もしかしたら、私はそれに酔ってしまっていたのかもしれない。
だってそうでないと、私が、
「うん……」
うなずいたりするはずなんて、ないから。
こんなに、私は穢いのに。
こんなに、私は死にたいのに。
――鈴。
それは、美しい、鍔鳴りの音……。
「そう、いい娘(こ)ね。でも、そのままじゃ生きていくことなんてできない。だから――」
これが、羽橋鈴音(わたし)と、
「心壊流を学んでみない?」
羽橋鈴音に、生きていたいと思わせた、
白然緋儚師との、出逢いでした。
羽橋鈴音は、草理尊を祀った祠に寄りかかり、座っていた。
祠からの枯れた芳香は、どこか懐かしく、心地よい。
さわ……。
うすい風に、三つの紙垂がなびく。
「りんね」
涙痕混じりの、掠れた声。
礼を交わした後、狭霧カヤは、
「りんねにもお礼を言わなきゃ」
言って、そ、と火呂に淡く笑いかけ、その場を去ったのである。
以来、火呂九柳斎の姿は、見ていない。
深い雲が俄かに身を潜め、狭間から、朧気に星が見える。
雲間に瞬く星は、三つ……。
「ありがとう」
狭霧カヤも、鈴音の隣に腰を下ろす。
「私は悪を斬っただけ」
「それでも――ありがとう」
「……そう。よかったね」
「えへへ…うん。ありがと、りんね」
「さっきも聞いた」
「二度あることは三度あるよぅ。あ、じゃあ後いっかいだ」
霧が、薄い。
白は晴れ、残滓を薫らせつつ、幽、と……。
「――ありがとう」
ひた、と鈴音の眼を視、頬をはにかませ、しずかに、微笑んだ。
――曰く、星は、今に死した魂の数を顕すのだとか。
ほう、と白泡のように彷徨い、蜃気楼のような、来世に続く月の門をくぐり、ゆ、と和か(しずか)に清められる。
今宵、月はない。
「今日は、お月様が見えないね……」
狭霧カヤにつられ、羽橋鈴音は空を仰ぐ。
淡い風に、木々が囀っている。
「星なら、ある」
筆で刷いたような雲、小の間に、白い小さな点がひとつ、ふたつ、みっつ……。
――月がないならば、死した心(タマシイ)は、まだ死せずに、現世(うつしよ)に残るということである。
「ほんとうだ。綺麗……」
幽かに香る、曇り空の下……。
星は三つ、瞬いていた。
学校。
始まってしまったわけだが、やっぱりペースダウンしてしまうのぅ。
とりあえず、狭霧のお話はもうそろそろ完結。
後二つから三つくらい。
空を迅るうすい雲。
この時下、陽射しは夏らしくきつくなっているが、雲がうまくそれらを遮り、日の光はほどよく肌を包み、とても、過ごしやすい。
火呂夫妻は、四ツ山の村より消えていた。
きっと、日が出るか出まいかという頃合に発ったのであろう、村の民にもそれに気づいたものは居らず、
「あの男、恩を忘れおって……探せ、探せぃ!」
などと、村長、高野十兵衛(たかのとへえ)は憤慨している。
というのも、今より三年前の夏、
「ひ、鬼の――飼い猫!?」
そう言い、村の者を騙し、狭霧カヤの心(セカイ)を壊そうとした、火呂九柳斎であるが、
「さては…そちらには、善からぬ事情がある、な……?」
あっさりと看破されたのである。その日の夜、村長宅に招かれていたときのことであったそうな……。
行灯の灯る畳敷きにて、二人は飲み交わしており、また、若い女が一人、二人のあいてをしていた。
あけた障子より卯花がみえ、天(うえ)にはまあるいお月が浮かんでいる。
「あれは、どう見ても、私の父母を殺めた者どもの娘にちがいない。あんな面妖な者が、今生に、そう居るはずがない」
言ったのは、火呂九柳斎である。
酒を、く、と一気に飲み干した。
それから、しばらく何やらを言い合い、
「ふむ、分かった。なれば、そうだ、な…そちらの女、奈津、といったか」
酌をしていた女――奈津の方を向き、ぎょろ、と三白眼をうごかし、
「奈津殿を、儂にくれ。そうすれば、そちらの仇討ちにも助け舟を出そう。この村で暮らすための家などもやろう。あぁ、なに……子はつくらん、よ。もう、こんな老いぼれだから、な……」
しずくのある目、花のような顔、かな、とした佇まいの奈津に、高野十兵衛は、そそられた、のである。
玄い緑の風がわたり、りん、りん、と鈴虫がさざめく。
「――ひとつ、条件として、時折は、奈津には私の世話もしてもらう」
「よい、だろう」
「ふむ。では、承知しました」
火呂九柳斎は、二つ返事で了承した。
それから三年の後、昨日の夜、
「りんねにもお礼を言わなきゃ」
言って、狭霧カヤが去った後、ただひとり、黄昏の影のように佇む奈津と、火呂九柳斎は二人残り――お互い、何を言うでもなく、眼を凝、と視ていた。
しばらく、経った後。
「ぱしん……」
誰それの頬から、しずかな音が響いたそうな――
後の火呂九柳斎によると、
「どこからか、梟の鳴き声が小さく聴こえた」
ように、奈津に向かって言っている。
火呂奈津が、羽橋鈴音の泊まる〔桂月〕へと訪れたのは、鈴音が火呂宅へ訪れたその日の夜、蛙も眠る丑三つ時のことであった。
鈴音の眠っていた部屋は庭に面しており、とす、とす、と縁側の障子を叩く音が聞こえ、不審に思い刀を手に取りつつ、障子を開けたところ――いたのである。
そして――羽橋鈴音に、助けを請うた。
夜を一人で歩けば、何事かと疑われるかもしれないであろうに、提燈片手にやってきたのだから、かなり、思いつめていたことは言うまでも無い。
かつ、一介の旅人、見ず知らずの相手に請うほどなのであるから、流石の鈴音も聞かざるを得なかった。
奈津は、やはりよほど参っていたのか、もしくは羽橋鈴音の歳にしては、尋常とは違う立ち振る舞いに信を置いたのか、は分からぬが、全てを、打ち明けた。
火呂の過去について、自分が村長の"世話"をしていること……。
闇も深い真夜中、二人は二刻ほど(約一時間)話し合い、最後に鈴音が、
「九柳斎殿のことを、どう、思っていらっしゃるのですか?」
問うたところ、
「私は、いつも、夫のことを想っております」
しずかに、言い切った。
羽橋鈴音は、衣の薄いスリップドレスを纏い、腰に六影宗一の刀を差し、肩には麻の鞄をかけ、また、鈍色の長い髪を揺らし、風の流れる林道を歩いている。
四ツ山の村へ滞在して六日目、そろそろ、発つことにしたのである。
鈴音が泊めてもらっていた桂月の女将、吉屋雪は、少々残念そうな顔を見せたが、引止めはせず、
「ま、達者でね」
屈託のない、磊落(らいらく)な笑みを浮かべた。
(儚さんに似てる笑い方……)
羽橋鈴音は思ったそうな。
雲は絹のように靡き、和かな(やわらかな)風が肌を包む。
縦に、横に、斜に、全の方へ、樹木は林を往く。
色の褪せた、煤の竹。
「りんね!」
道沿いの、木立の中から出てきたのは、猫のような少女、狭霧カヤである。
黒緋の髪は、無造作にうなじ周りで切られており、大きな金の瞳は、いつものように、てけ、として、色のうすい黒のパーカーを着込み、タータンチェックの臙脂のミニスカートを履いている。
片手に握られているのは、寂びた竹笛。
「私も一緒に行く!」
大きな声が、林に響く。
狭霧カヤは鈴音の前に立ちはだかり、結果的に鈴音の行く手を遮っている形である。
「ふうん。じゃあ、一人で行けば」
きっと、狭霧カヤは四ツ山の村を出るであろう。
それは、既に羽橋鈴音には察しのついていたことである。
いくら助けることが出来たとはいえ、また顔を合わすのは、あまり良い事ではないであろう。
何があろうが、互いが負った傷の痕が消える訳ではない。身体の傷が癒えようとも、心の傷はいつまでも治ることはないからだ。
何食わぬ、ふ、としたときに、心の底の方で、きゅ、と疼くのである。
――同様に、火呂夫妻が四ツ山より出て行くことも、鈴音にはなにとなくわかっていた。
「あぅ、でも、一人じゃ何にも分からないし、それに、一人でご飯を食べるより二人で食べた方が美味しいから、や、食べたこと無いから分かんないけど……うん、きっと美味しいよぅ!」
「料理なんて出来るの?」
「ええ?え、えっと……火をおこして、棒っきれに虫さん刺して作るくらいなら……」
「それを一人で食べても一緒に食べてもおいしい、とは私は思わない」
「むぅ。そんなに言わなくても……」
狭霧カヤは、餌を失くしてしまった猫のように、分かりやすく悄気返る。
いちいち所作が素直な、狭霧カヤの相好を見て――
「あ!何笑ってるかや!!」
「え?」
言われて、羽橋鈴音は気づいた。
そ、と己の頬に、触れてみて――
それは、ほんとうにわずかであるが、笑っていた。
「……別に、笑ってなんて、ない」
「嘘ぉ。どう見ても笑ってたよぅ」
「――――これ」
この話はもうしたくない、とばかりに鈴音は切り出した。
「や?……わ、重い。何かや?」
手渡したのは、紙で包まれた、手のひらにも乗る程度の何某である。
狭霧カヤは、その白い包みをそ、とめくり……。
「わぁ……」
それらは、日の光を浴び、きら、と輝く、
狭霧カヤの金の瞳よりも濃い金色の、幾枚もの小判、である。
鈴音は、旅支度をした後、ふ、と思いつき、火呂宅へ足を向け、人気のなくなった伽藍とした母屋の中にて、
『狭霧カヤへ』
とだけ書かれた書置きと共に、この小判の包みを見つけたのである。
おそらく、実家、鹿宮を出る際に持ってきたものであろう。
――普通に考えれば人などそう来るはずもないから、火呂は羽橋鈴音が来ることを予想していたのかもしれない。
また、その書置きの裏をみたところ、表の太い筆跡とはうってかわって、
『有難うございました』
なめらかな筆が、したためられてあった。
「火呂さんが、私に……あれ?"じゃあ"?」
「ここに大分いたせいで、お金がなくなった」
とは、某酒屋にてとられた金のことであろう。
「だから、工面しないといけない」
時は、真ん中の昼、九つちょうど(現在の十二時)である。
土の香いが薫り、雲の朧な隙間から入ってくる白い光に、枝葉や草木が優しくよろこび、どこか、ぼう、とした夢まどろみのような……。
「……それ、使わせて」
羽橋鈴音は、どことなく諦観したような、悟り、あきらめたかのような、物言いをした。
涼しく、すがすがしい風が、鈴音の鈍色の髪をはためかせた。
「え、う、うん……いいよ!勿論だよぅ!えへへ……」
「なんで笑うの。気持ち悪い」
「そんなの、嬉しいからに決まってるかや!」
太陽の輝きにも負けぬ、燦々とした笑み。
折り重なる葉々が生み出す澄んだ空気を纏い、その笑顔はいっそうに――綺麗、である。
たまには、こういうのも――いいかもしれない。
剣ばかりでなくて。斬るばかりでなくて。
私にそんなものは、綺麗すぎて、とてもじゃないが似合わないけれど、それでも――
私のおかげで、誰かが笑ってくれるなんてのも、すこしだけ、ちょっとだけ、嬉しい。
「よろしくね!りんね!」
狭霧カヤは、言って――
自分の唇と、鈴音の唇とを重ね合わせた。
「――――――!!!」
消える、音。
変な生暖かさの、それ。
――――――静止。
天地がひっくり返ったような衝撃とは、これのことである。
はたまた、脳髄を稲妻が焼き切るかのような……。
言葉には言い表せない「 」のようなものを、羽橋鈴音は、このほんのごく僅かの一瞬に、感じた。
「な、にを……」
「や?これからよろしく、の意味も込めて、だよぅ?」
すぐに唇は離れたが、それでも、呼吸すらできない。できるはずもない。
そんな鈴音とはうってかわって、何か自分は悪いことをしたのか、と、小さな子供のような顔を、狭霧カヤはしている。
「それに――」
言って、狭霧カヤは、鈴音の手をとり、己のスカートの下、スパッツごしに、下腹へと、導く。
そして、羽橋鈴音の指が触れ……。
「――――――」
明らかに、女が持つべきでないそれが、指を捕らえた。
――天地がひっくり返ったような衝撃とは、これのことである。
はたまた、脳髄を……。
「ね?問題ないでしょ?」
木々をくぐり、鵯が鳴いている。
ひひゅ、と……。
総原稿枚数150枚ほど。
誤解を生まないように言っておくと、狭霧のカヤちゃんは野郎ではなく同一性です。あしからず。
一応、完結はしたが、まだところどころの修正作業が残ってるので、完璧な完結はもう少し先になる。
執筆期間4ヶ月も掛けてりゃ、そりゃあ問題発生しまくりだよぅ。
最終更新:2010年05月02日 20:58