香、満ちたでございます
蓮はきれいじゃ。
「一つの器に二つの魂。ご苦労なことだ」
ゆるり、と。
その紫色の、ヒ、代えて云うなれば闇色の髪が。
大きく大きく開け放した、その八景の間と空蝉とをつなぐ戸より顕われた。
びゅう、と一陣の疾風。舞う花の一片。
その彩り幽玄たる一片の列どもは、女のよう、だな。
更に喩えるなら、
『邪魔者め』
『不快じゃ』
『ふふ』
『ふふふ』
『ふふふふ』
などと喚く美女の霊そのもの。
「……サイ」
「お前もご苦労さん。いい見世物だったよ」
「見るだけで助けてはくれないのか」
――八景の間。
いくつもいくつもの畳と畳とが身を寄せるに倣い、美女たちは列を為す。
メは八つ。
永き髪は滝。人の世に亡い幽谷の滝。
纏う衣はたまゆらの花。花そのものを人骨の針で縫い、紡いでいるかのような。
『ねぇ、死に神さん』
――鈴(リン)。
白い唇より響く音は幻。
いや、幻ではないか。幻ではいきものの耳には届かぬからな。視えぬからな。
ならば、あれはなんだろぅ、な。
『ねぇ、死に神さん』
「くっく。あぁ、私は死に神だ。
死に神相手に口をきくなんて、昨今の霊ときたら莫迦者揃いか?」
りん、
リン、
リン、
「……はぁ」
七瀬彰は頭を抱える。
静寂。
鈴、
――鈴、
――――鈴、
続く静謐。
音もなしにサイの開けた戸が閉じる。
りん。
ヒ、ヒヒ。
ヒヒ。
あぁ、これは鈴のおと。
リン。
「――――」
美女の周りからぶわり、と花吹雪。
春夏秋冬を象る四つの画は形を変える。
桜は蛇。桃は蝙蝠、椛は竜。そして梅は孔雀となり死に神に襲い掛かる。
『ふふ』
『ふふふ』
『ふふふふ』
ヒ、美女は踊る。美女の声は止まぬ。
響け、ひびけ。果ての世まで届け。
狂々、くるくる、ぐるぅりと廻り回って
■■■
時止(や)み。
白い手を広げ、
――それは小さな黒い玉。
一寸の澱みもなく透った、闇。ぼこ。
サイは笑い、ぼこ、その墨色の塊を、ぼこ、
ぼこ、
ぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこ
■■■
大気を穿ち、何本もの黒の線がぐにゃり歪み、その結界は、
「ぐにゃ、ぐにゃ、ぐにゃぐにゃぐにゃ、ぐにゃりぐにゃり」
と、いきもののように空間を這い、ついには空間を喰い尽くす。
ヒ、ヒ。まるで蜘蛛の巣の如き、だな。
うね、うね、うねり。ヒ。
『あぁ』
『あらら』
悉(ことごと)く百花を喰い尽くしてしまった。
視ろ。美女は惑うている。怯えている。
泣いている。泣いている。泣いている。
ヒヒ、それもそうだ。己が喰われるのだ。頭からか。腕からか。足からか。
殺されるのだ。ぷつり、と。
それを、怖くない、などと云うはずがない。云うわけがない。
恐ろしくはない、などと、な。
なぁ、八景どもよ。
「八首の眼か。綺麗だな」
ローブの袖口より、取り出したるは一丁の銃。
死に神はゆらりと構え。
闇に飄(ただよ)い光を喰い、
くろいくろい、
そやつは奇として怪たる弾。
七瀬彰は最後まで視ていた。
「赤」 銃弾はメを、
「橙」 色を、
「黄」 その耀きを、
「緑」 宝石めいた美しきを、
「青」 ヒ。
「藍」 ヒヒ。
「紫」 ヒヒヒ。
ヒ、 ヒヒ、
――――ヒ。
ヒヒヒヒヒ。
「黒」
鈴(リン)。
「算(かぞ)えて八色。八景とは、実に的を射てるじゃないか」
美女屋敷・閉
まだ終わりじゃないですよ。
しかし長かったもんだ。本来ならこの話一ヶ月で完結させる予定だったのですよ。
算えて半年。予定は未定とは、実に的を射てるじゃないか。
花びらが散っている。
ほろり、ほろりと空から零れる初雪のような。
「どうして俺は死んだんだろうな」
処は屋敷の縁側。
「どうして? なんだそれは」
サイと七瀬彰は腰掛けている。
七瀬はいつもと変わらぬ黒スーツと赤いネクタイ。柔らかな眼は風に泳ぐ雲雀をみている。
サイはくすんだ風体の紫色のローブ。金色の眼はいつものように、何を視ているのかは分らない。
ひよひよ、ちちち……。
「お、雲雀が鳴いてるな」
雲雀は、あてもなく然し優雅に楽しげに飛んでいる。
行く先は山である。
霧が深く、幽かに美しい桜色が浮いている。
サイは、どこから取り出したのか魔法瓶を手に持ち、コップに中の飲み物を注ぎながら云う。
「湖は有るもの。池は佇むもの。川は流れるもの。滝は落ちるもの。
桜は咲き乱れ、梅は香り、桃は揺れ、そして椛は紅に染まる。いや、自然(よろず)とは美しいね」
「それはそれは深いお言葉だ」
「ふふん。私の弁も捨てたもんじゃないだろう」
七瀬彰は背後の屋敷を振り仰ぐ。
霞む雲間より、日が差し込んでいる。
庭が照らされている。すっかり落ちた庭。草木や水は枯れ果てている。
軋む廊下は、その今にも千切れそうな柱を視るに長くは持つまい。黒い鳥の文様は薄れてきている。
中の部屋はどうなっているのであろうか……。
七瀬は眼を向け、遠い遠い天つ空を眺めるかのようにして、
「あぁ……きれいだな」
深く息を吸った。鼻のなかに甘さと寂しさを抱いた香いが入る。
七瀬彰は心地よさげにしている。
「おまえも飲むか?」
先まで雲雀の音に耳を傾けていたサイが云って差し出したのは、深い茶色……コーヒーである。なみなみとコップに注がれている。
「コーヒーはあまり好きじゃないんだ。なんか、苦いから」
云いつつも、それを受け取り片手に包む。
香いは幽暗として、俄かに微睡む穏やかさである。春もそろそろ終わりである。
七瀬彰はコップに口をつけ、ゆっくりと口に含み、すぐさま口を離す。
それから、
「うっ……」
実に苦そうに顔をしかめたのであった。
〔閉〕
幕。
修正版は、修正作業が終わり次第どこぞに
リンクを載せます。
ちなみに今回のエンディング曲は物語の雰囲気にもよく合ってるので、ぜひ聴いてほしい一曲。
最終更新:2010年11月30日 15:41