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ところで、文中で記述した抹茶団子の作り方ってあれであってんの?




「なあ、重影」
「どうした、冬瑠」
 時は山崎藩での昼下がり。私と冬瑠は、道化屋の椅子に座って外をぼうっと眺めていた。
 國助と冬瑠に催促されて私が銭湯で飛び切りに熱い湯を被った帰りに、何とはなしにといった雰囲気で冬瑠に席を勧められたのだが、如何せん話が弾まない。
 たまに交わされる話も、本当に他愛もない話題のみ。
 道化屋の店の中はどうやら先程までは結構な人がいて、冬瑠も接客の手伝いに追われていたと言うのだが、今では店の三割程度が埋まるぐらいの客が呑気に茶を啜っているだけに留まっている。
「市、寝ないでちゃんと倉庫を警備しているだろうか」
「大丈夫だろう。昼時に私の前で仮眠を取っていたしな」
 因みに、今私と冬瑠は四人用の席に向かい合って座っている。
 本来なら私の隣に市三郎が居て冬瑠にからかわれている筈なのだが、市三郎は午前中に倉庫にいた冬瑠に代わって警備に向かっている為、道化屋にはいない。
 話題にすると盛り上がる人間がいないのだから、話が弾まないのも当然なのかもしれない。
「市は徹夜に弱いらしいが、午前中まるまる寝ていたのだし、問題無いだろう」
「そうだな」
「ところで、お前は人事みたいな顔をしているが、今日はお前が徹夜だからな」
「分かっている。そう何度も言うな」
 茶を一口飲んでふぅと息をつくと、また会話が途切れていたことに気が付いた。どうも、何となく緩み切った空気が二人の間に終始漂いっ放しているような気がしなくもない。
 私は元々会話に花を添えたがるような性格の持ち主ではないので、特にこの空気が気まずいとも思わないのだが、冬瑠が私を呼び止めたのはまた新しい発見を喜々として報告して来る為なのだろうとばかり思っていたので、どうしたものだろうかと少々戸惑ってはいた。
 そんなことを思いながら今日何度目か分からない欠伸を噛み殺していると、また冬瑠が口を開いた。
「勘……」
「勘?」
「いや、何を見ているのか、とさっきから気になっていてな」
 見ると、冬瑠は頬杖をつきながらすっと外を見ていた。
 冬瑠の目線を追って店の外に目をやると、確かに勘一郎は道化屋の店頭に置かれた椅子に座り、冬瑠と同じように頬杖をついてぼけっと道行く人を眺めている。
「さあ? 通行人でも観察しているんじゃないか?」
 男という生き物は、あれぐらいの年になると多かれ少なかれ異性に興味がいくものだ。大方、道を歩いている女性を彼なりの定規で値踏みしているのだろう。
「観察、か……」
 冬瑠が先程から外を眺めていたのは、勘一郎が何を見ているのかを探る為だったのかもしれない。私も冬瑠に倣って勘一郎の視線を追ってみた。
 女性の値踏みという予想が間違っていたことは、一瞬にして分かった。
まるで何かを凝視しているかのように、勘一郎の視線が固定されているのだ。
 だが、何があるのだろうかと思ってその目線を辿ってみても、そこには道の先が延々と続いているだけで、特別何があるということは無い。
 ふと、勘一郎の目的が何となく浮かんできた。
「もしや待ち人、か……?」
「ええっ?」
 しかし、私がそう呟くや否や漠然と外――――正確には勘一郎を見ていた冬瑠は私の方にばっと振り向いた。
「なんだ、そんな意外だったのか?」
「いいから、理由を言ってみろ」
 質問を質問で返すなと叱ろうとしたのだが、何故か冬瑠の目の奥には有無を言わせぬ得体の知れない迫力があった。
 ここは大事な私の命の為にも、大人しく従っておくべきだろう。
「いや、勘は道の更に先をずっと見ているから、そこから現れる誰かを待っているのかと予想しただけだが……」
 私の話を聞いているのかいないのか、冬瑠は一生懸命に勘一郎の目線を追っていたが、暫くしてその顔が愕然としたものになった。
「何故勘一郎が人を待っているだけでそんなに驚く?」
「そんなの決まっているではないか!」
 私は何の他意もなく訊いてみただけなのだが、愕然とした表情だった冬瑠は今度はがたんと音を立てて立ち上がり、饒舌な商人もかくやという勢いで何故か私に説教を始めた。
 冬瑠は普段から喜怒哀楽が非常にはっきりしている人間だとは前から思っていたが、なかなかどうして、冬瑠の表情には本当に飽きが来ない。
 先程までの緩んだ雰囲気は、どうやら尻尾を巻いて逃げて行ってしまったようだった。
「貴殿も男なら分かるだろう! 勘が待っているのは好きな人かもしれないのだぞ! あ、いや……でも、まだ勘ぐらいの年なら……」
「ああ、恋人か。成程、確かに初恋はあれぐらいの年か――――いっつ」
 何故か、冬瑠に思い切り足を踏まれた。
「夜の最後の願いを、済ました顔で潰すな」
 踏みつけた後もぐりぐりと私の足を踏みにじってさんざんに私を痛めつけた後、冬瑠はまるで拗ねたようにそっぽを向いてしまう。
「いや、だから何故そんなに不機嫌になるの――――」
 か、と言おうとして、ふっと心当たりがあるのを感じた。
 冬瑠は、道化屋に訪れてから何かと勘一郎の世話を焼いていた。初めて会ったときも、目を合わせた途端に勘一郎に抱きついて離れなかったのを覚えている。
 それからも、何かあればずっと勘一郎の傍にいて作業の手伝いをしていた。
 もしかしたら、もしかするのかもしれない。
「お前、まさか妬いているのか?」
 先程よりも格段に強く足を踏まれた。
「もう少し手加減してくれてもいいじゃないか」
「どうしてその結論に辿り着いたのか、詳しく聞きたいものだな」
 だったらお前のその不機嫌の理由を教えろ、とは恐れ多過ぎて口に出せない。
 だが兎に角、別に冬瑠は勘一郎に恋愛感情を抱いている訳ではないようだ。
「夜が恋愛をするなら、もっと年を重ねた良い男とする」
 親切にも一連の様子を見ていた國助が軟膏を持って来てくれたので、踏まれた足の甲にそれをさっと塗った。
「いったたた。じゃあ、なんでそんなに不機嫌なんだ」
「分からぬ」
 臍を曲げてしまったのだろうか、冬瑠はそうぶっきらぼうに言い捨てると、くるりと私に背を向けてそのまま道化屋を出て行ってしまった。
 あまりに突然のことだったので、呼び戻すことも出来なかった。
(私は、冬瑠に振り回されてばっかりではないか?)
 ふと、どんどん小さくなっていく紅い着物の背中を見ていて、そんなことが頭をよぎる。
(女性の心とは、よく分からないものだな……)
 それとも、理解しようとすることが既に間違っているのだろうか。女心と秋の空、とは良く言ったものだ。
 そんな風に私が本気でくだらないことを考えていたときだった。
「あ、あの……」
 道化屋の店外から、少し控えめな声。
 来客が訪れて来たようだ。
「はい、お客様ですか?」
 少なくとも道化屋でお世話になっている間は、私達は店側の人間だ。客を丁重にもてなす義務が今の私達にはある。
 私はすぐに頭の中を切り替えて、接客の為に椅子から立ち上がった。人当たりの良い笑顔を浮かべるのも忘れない。
 そこには、一人の女性が少し恐縮した様子で立っていた。
「はい……。えっと、一人です……」
「承りました。どうぞ、中へ」
 私は女性客に手で入るよう促し、空いている席を探す。
 空いている席の何処が一番好ましいかを考えている間に女性をちらっと見てみると、随分と端麗な容姿を持っている事に気が付いた。白く透き通った肌に、燃えるように紅い唇を持つ彼女は、冬瑠程ではないが美人と渾名するに相応しい人間である。
 控え目な印象を受ける短い黒髪に飾りは一切付けられておらず、着物も粗末な麻生地である所を見ると、決して身分が高い人間ではないようだ。
 結局店の奥の方に空いていた椅子に座らせ、それから國助を呼ぶ。
「國助さん、お客様です」
 はいよ、という声が厨房の奥から聞こえ、國助が姿を現した。そして、入口付近に積んである茶菓子表の一冊を取り、彼女の方へ向かう。
 入れ替わりに厨房に入り、する事も無かったので女性客の様子を見てみる事にした。
 弱弱しい印象を受けてしまうのは、彼女の表情があまり大きくは変わらないからだろうか。國助が勧める和菓子にも、蚊が鳴くような声で相槌を打つだけ、その顔はか細い困惑顔だ。
(まあ、町人が街の茶屋に来る事自体は珍しくないな)
 それに、苦しい生計で生きていく町人の中なら、彼女みたいな弱そうな人間が居ても特段奇妙では無い。
 暫くして、國助が厨房に戻ってきた。
「ご注文は?」
「ああ、麦茶だけです」
 國助は、そう言うと素早く棚の上段から麦の粒を取り出し、急須の中に入れた。私は椀に湯を入れて國助の所へ持っていく。
「彼女、実はうちの常連なんですよ」
 空の湯呑に私の持って来た湯をかけながら、國助はそう言った。
 余談だが、茶を湯呑に注ぐ前に湯呑に熱湯をかけるという手順は、絶対に欠かせない物なのだそうだ。何でも、その手順を怠ると、茶の味に深い風味が生まれて来ないのだとか。
「いつも店の奥に座りましてね、今回のように何か茶を一杯だけ、だいたいは麦茶ですがね、頼むんですよ」
「へぇ……」
 湯呑に熱湯をかけ終え、湯呑から立ち上がる煙が消えない内に、國助は次に急須の中に湯を入れる。
「いつからかはあっしも忘れちまいましたけどね。気が付いたらうちの常連さんになっていたんですよ。可愛いでしょう」
「ええ、まあ。否定はしません」
「お、重影さん。評価が辛いですねぇ」
「あまり他人を褒め過ぎると、我儘なうちの連れが機嫌を損ねるのですよ」
 あながち、というか確実に不機嫌になるだろう。
「はっはっは。冬瑠さんは自尊心が強そうなお方だ」
「取り扱いには、今後手を焼きそうです」
 そう言って私は肩をすくめて見せた。
 やがて、急須の中の麦も成分を湯の中に出し切ったようで、國助が、これまた惚れ惚れする程巧みに湯呑に茶を注いだ。
「じゃあ、これを彼女の所へ運んでおいてくれませんか。あっしは他の客の団子をこしらえなきゃならなくてね」
「分かりました」
 てきぱきと國助が空いている盆に湯呑みを置き、私はそれを受け取って客席の方へ向かった。
 すると、私は非常に面白い光景を目にする事になった。
「えゐさん。今日もまた綺麗ですね」
「いえ……そんな事は……」
 なんと、先程まで店の前に座って呆けていた勘一郎が、知らない間に先程来た女性客の前の席に移動し、何やら熱心に話しかけているではないか。
 いつも見せる何処か知的な顔はそこには無く、勘一郎はまるで子供のように、大袈裟な身振りをつけながら話をしている。
 思わず盆を落としそうになってしまう程驚いたのは、仕方の無い事だっただろう。
「失礼、お茶が入りましたよ」
 気を取り直してから女性客のいる机の端に向かい、湯呑みを彼女の前にすっと差し出す。
「あ、有り難う御座います……」
 清楚な性格、という予想は的中した。しかし、私が差し出した湯呑みに恐る恐る手を出しているその姿は、僅かではあるが、引っ込み思案の度を行き過ぎているような気がしないでもない。
「しかし、えゐさんは本当に麦茶が好きですね」
 そんな彼女に対して、勘一郎は彼女の元に寄って以来、終始その頬を緩ませている。
 普段、その年に不相応な落ち着きと頭の切れを遺憾なく発揮している物だから、無邪気な反応をしている勘一郎に、私は少しだけ違和感を感じた。
 無論、こちらの方が微笑ましいのだが。
 だが、勘一郎が彼女と居る時間を楽しんでいるのは、その様子を見る限り紛れも無い事実である。私が居る事でその空気を壊しているのならば、それは申し訳ない。
「勘、失礼の無いようにな」
「ええ」
 それだけ忠告して、私は女性客が訪れるまで座っていた椅子に戻った。
 と言っても、その席は勘一郎らの居る机にかなり近かった上、上手い具合に勘一郎の死角に入っていられたので、偶然ここは勘一郎を観察するには持って来いの場となっていた。
 特にする事も無かったので、私は必然的に勘一郎の行動に目が行ってしまう。
 話題の勘一郎はと言えば、本当に楽しそうに、女性客――――えゐに、ここ最近の流行について、熱心に語っている。
「最近では、赤色の着物を着る事が、自分を美しく演出する流行だそうですよ」
「へぇ……面白そう……」
「一人、僕の知人で赤色の着物を着ている女性を知っています。彼女を見れば、流行した理由も分かるでしょう」
 彼女、とは冬瑠の事を指しているのだろうか。
 冬瑠の着ている着物はつい先日着物屋で仕立てられた物だから、確かにあれは流行している物なのかもしれない。
(ふぅ……)
 私は、その二人に気が付かれないよう静かに溜め息をついた。
 何故だろうか、二人の姿を見ていると落ち着かない。
 それは決して、あの二人が楽しく会話をしている所を盗み見ている事への罪悪感が、主たる理由ではない。勿論、それもあるが。
 強いて言うならば、私が落ち着かないのは勘一郎ではなくてえゐのせいである。
 蚊の鳴くような声で勘一郎の話に相槌を打っている彼女は、外見こそか弱そうであり全く悪人には見えない。
 しかし、その細い笑顔の裏に何かが潜んでいるような、そんな不穏な雰囲気を纏っているように私は感じていた。
 根拠はない。ただ、今までの経験が、彼女の正体について警鐘を鳴らしている。
(長閑じゃないな……はて……)
 そう感じるのには、何かしら理由がある筈だ。
 暫くその根拠を模索していたが、途中で私ははっとした。
 幾ら心の内であるとは言え、道化屋にくつろぐ為に来ている客にこんな野暮な疑いをかけるのは、決して誉められた事ではない。
 そう自分を戒めた時だった。
「気に入らん」
 憮然とした表情で私の前に座ったのは、先程外に出ていった冬瑠である。
 あまりにも唐突な事だったので、心臓が驚きで跳ねる。
「お前、何処行ってたんだ」
「ちょっとした散歩だ」
 冬瑠はあまり金を持っていないと言っていた。今までの旅で貯めた金銭類は全て私が所持している事を併せて考えれば、外に出ていっても散歩ぐらいしか出来ない事には頷けた。
 頭を冷やす為に外を歩いていた、といった所だろう。
 だが、そんな事よりも気に掛かる事がある。
「で、何が気に入らないのだ」
「まず、外の噂だ」
 そう言った冬瑠の話によれば、町の道を歩いていた時に、実に丁度良い噂を耳に挟んだのだという。
 何でも、ここ最近になってから、山崎藩に珍妙な盗人軍団が現れ始めたのだとか。
 何が珍妙かと言えば、団員は皆腕に蓬の入れ墨を入れ、一度入った団員は二度と抜けられないという制度を導入しているだそうだ。
 噂話をしていた町人は、彼らを「蓬組」――――入れ墨の形を取って名付けたのだろう――――と呼んでいた、と冬瑠は言った。
 今までは世間で大きく注目される事は無かったのだが、ここ最近になって急に蓬組による犯罪が多発しているらしい。
「もしかすると、今回の一連の事件はその蓬組とやらの連中の仕業かもしれん」
「なるほど」
「まあ、そんな事はどうでもいい」
「おいおい……」
 今回の盗難事件の解決糸口になるやもしれない事を、熟考もしないで鼻であしらうのは感心しない。
 そう窘めようとした所で、冬瑠の視線が勘一郎に向けられているのに気が付いた。
 勘一郎はと言えば、依然全身を使ってえゐを楽しませようと頑張っている。
「何だ、あれ」
 冬瑠の言葉はそれだけだったが、冬瑠が言いたい事は私に伝わった。
 だが、その答えは私も知り得なかった事である。だから答えようが無かったのだが、かといって黙っていると、冬瑠がまた不機嫌になり兼ねない。
 なので、私は見たままの事を言ってみた。
「見て分かるだろう。勘は彼女――――えゐさん、と言ったかな、と話をしているのだよ」
「どう見ても、話をしているという動きではないぞ」
 思わず、まぁという曖昧な相槌を打ってしまった。私から見ても、普通に会話をするならあんなに大きな身振りはしないと断言できる。
「それに、勘、普段よりも数倍楽しそうではないか」
「それは否めないな」
「気に入らん」
 冬瑠は拗ねた子供のように、外に出ていく前と同じようにぷいっとそっぽを向いてしまった。
「まあ、お前の気持ちが分からんでもないが」
「なんだ? 分かってるなら言ってみろ」
 相当冬瑠は不機嫌な様子で、私と話す態度もどこかつっけんどんだ。
「お前、勘に気に入られているえゐさんが羨ましいのだろう?」
 だから、私がそう言った時の冬瑠の慌てふためく姿は、見ていて面白かった。
「ち、違う! 夜は羨ましがってなんか……」
「なら、その慌てぶりはなんだ? 図星じゃないのか?」
「ぐっ……」
 悔しそうに、椅子に座り直す冬瑠。
「そんなに夜は単純か?」
「単純ではない。むしろ考えている事が読めない方だ。だが、お前は勘の話になると目が変わるからな」
 観念したように、冬瑠は溜め息をついた。
「まあ、勘があの女に売り込んでいるのが気に食わない、というのもある」
 冬瑠は、再び勘一郎の方に視線を向けた。
「だが、夜が気に食わないのは、それだけではない」
「とは?」
「あの女、どこかおかしくはないか?」
「おかしい?」 
 冬瑠にもう一度見てみろと言われ、私はえゐに再度注目したが、特に挙動不審な所は見当たらない。勘一郎の話に控え目な笑顔で相槌を打っているだけだ。
「特に見当たらんな」
「そうか……まあ、これは夜の直感だからな」
 そこまで来て、ようやく先程えゐから感じた不穏な雰囲気を思い出した。
 確かに、それはおかしいの部類に入るかもしれない。
「彼女から、どこか悪の雰囲気を受け取れる気もするがな」
 すると、冬瑠は勘一郎の方から私に目を向けた。
「重影も感じたか」
 どうやら、冬瑠の言いたかった事は私の感じた事と合致していたようだ。
「ああ、お前と同じように直感的にそういう物を感じる」
「夜は前、悪事に手を染めていたからな。そういう物に対しては敏感である自負がある。あの時代に出会った者に似た何かを感じるのは、気のせいではないだろう」
 私は、手を顎に当て、もう一度ちゃんと考えてみる事にした。
 えゐを観察しようと注目して、改めて彼女から釈然とはしないが何か裏を持っているような印象を受ける。それには何かしらの理由がある筈なのだが、やはり分からない。
 それは、えゐが意図的に纏っている雰囲気を曖昧にしているのか、私達が見落としている何かがあるのか、またはその違和感自体が気のせいなのか。
「理由は分からないがな」
 冬瑠も、そう感じた根拠は持っていないようだった。
「それより、何故あんな女を勘は気に入っているんだ」
 それに、彼女の中では、えゐの正体よりそちらの方が優先順位が上であるらしい。
「お前な……」
 公事よりも私事を重視するのは、あまり誉められた事じゃない。
 軽く冬瑠を窘めておこうかと思った時、
「気になりますか? 冬瑠さん」
 そう言って机に寄って来たのは、國助だった。
「あれ? 國助さん、仕事の方は?」
「正午の波は一通り終わりました。後は客はまばらでしょうな」
 店内をぐるりと見回してみると、確かに私が気が付かない間に客の数はかなり減っていた。
「まあ、どうせ客が少ないんだ、あっし達が少し休んでも、質の悪い客に怒られる事はないでしょう」
 國助は、ほい差し入れです、と言って、机の上に三人分の緑茶と抹茶の団子を差し出した。
 冬瑠の目の色が変わったのは言うまでもない。
「ん……何度食べても旨いな」
「全く、少しは自重したらどうだ?」
「まあまあ、うちの団子をここまで気に入ってくれた人は、冬瑠さんが久し振りですから」
 口ではそう言って冬瑠を叱ったものの、私もこの団子の味には食べる度に舌を巻いていた。冬瑠が即座に好物に認定したのも仕方が無い、という気さえ起こさせる。
「で……」
 一通り全員の串の進み具合が落ち着いた所で、店の脇から一人掛け用の椅子を持って来て座っていた國助が、ちらりと勘一郎に目を向けた。
「勘の話でしたか?」
「ああ、そうだな」
 話題が戻ると、それに連動して冬瑠の表情も不機嫌そうなものに戻ってしまった。
 勘一郎はそんな事にはお構いなしといった様子で、笑顔を浮かべながらえゐとの会話に花を咲かせている。果たして、これ程までに冬瑠の機嫌が斜めであると知ったら、勘一郎はどのような対応を冬瑠相手に取るだろうか。少し楽しみだ。
「彼は、まあ……」
 國助は、そんな冬瑠の様子をちらちらと伺っている。
「遠慮せず言ってくれて構わない」
 冬瑠はそう言ったものの、不機嫌な雰囲気は依然払拭されていない。
 國助は、しばしの間話を始めようか打ち切ろうか迷っていたようだが、やがて意を決して口を開いた。
「彼、彼女の事を好いてるんですよ」
 ああやはり、と私は思った。
 えゐに好意を抱いていないのならば、勘一郎はあれ程までに熱心に話をしないだろう。
 私は、それを聞いた冬瑠が怒りで暴れ出さないかと不安になっていたが、冬瑠は嫌な予感が的中したかのような複雑な表情を浮かべただけで、案外冷静さを保っていた。
「いつだったかな……彼女が来た時に、勘が一目惚れしちまったんだそうで」
 むしろ、國助の話を聞いている内に、私は次第に冬瑠よりも勘一郎の方が不安になって来てしまった。
 気のせいではあるかも知れないが、えゐに対する違和感は私と冬瑠の間で一致している。その楽しそうな様子を見る限り、その不穏な雰囲気に勘一郎は気が付いていないだろう。
 もし、私達の違和感が当たっているなら、勘一郎がいつか痛い目を見る事になるのは必至だ。どうにかしてさりげなく注意を促さなければいけない。
 しかし、肝心の違和感の理由が確固たる物になっていないから、様子を見る以上の行動が出来ない。
 考えれば考える程、勘一郎への心配は、違和感を確信出来ないもどかしさに変わっていった。
「一目惚れ……あんな女にか」
 冬瑠が不機嫌な理由は依然として変わっていないようだが。
 そして、
「勘に好いている人間がいるのは良いんですけどね、どうも……」
 えゐを見る國助の目もまた、少しばかり堅い事に気が付いた。
 参考にしてみるのも、いいだろう。
「それは興味深いですね?」
「いえいえ、ただの勘なんですけどね」
 國助は、心配そうな目つきで勘一郎を見つめている。
「こんな事言うと重陰さんに怒られちゃうかな……」
 國助が唸りながら考えている所を見ると、そんな簡単に言えるような事ではないようだ。
「別に、私めが怒る事などありませんよ。むしろ、相談に乗りたい所存です」
 言おうか言わまいか逡巡している國助が言いやすい環境を作ろうと、なるべく人当たりの良い笑顔を浮かべる。
 それでも國助は唸って考え込んでいたが、やがて一つ溜め息をつくと、私達にしか聞こえない小さな声で呟いた。
「気のせいかもしれませんが、嫌な予感がするんですよね」
 その時ばかりは、驚きで目を丸くせざるを得なかった。
「おや? 國助殿も?」
「あれ? 重影さんもなんですか?」
 國助も、私の反応に心底驚いたような顔をする。不機嫌な雰囲気を出していた冬瑠も、まじまじと國助の顔を見つめていた。
「冬瑠さんは?」
「ああ、夜も似たような雰囲気は感じ取っていた」
 看過出来る範囲を超えた、と私は直感した。
 私と冬瑠は一般人よりそのような漠然とした物に鋭いから、今まではもしかすると気のせいかもしれないという可能性も残せていた。しかし、あくまで一般人である國助までもがそれを感じるなら、この違和感は間違っていないと断言しても問題ない。
「そうか……お二人もそう思っていらしたか……。こりゃ、まずいな……」
 國助も、表情を堅くして考え込む。
「あっしは、勘が恋をする事自体は温かく見守ってやりたいんでね。正面からがつんとは言い辛いんですわ」
「下手をすると、恋に対して恐怖を抱かせてしまうかもしれませんしね……」
 冬瑠がえゐを見る目は、嫉妬の目つきから真面目なそれに変わっていた。ようやく彼女もこの事態に危機感を感じたようだった。
「何か決定的な証拠は見つかったか、冬瑠?」
「む……」
 眉間に皺が寄せられた所から考えるに、どうやら決定的な証拠は掴めていない様子だ。
 私も國助も、冬瑠に倣ってえゐの言動に注目した。
 えゐ本人には悟られる事が無いように、且つえゐの言動一つ一つに細心の注意を払いながら観察していた時……
 勘一郎の話に相槌を打っていたえゐが、すっと湯呑みに右手を差し出した。
「!」
 その時、それに三人全員が気がついたのは、それがあまりにも目立ち過ぎたからかもしれないし、私達がかなり集中していたからかもしれない。
 湯呑みに差し出された彼女の右腕には、厳重に包帯が巻かれていたのである。
 とっさに連想した物があった。
(蓬組……と言ったか?)
 先程、冬瑠が藩内で情報を聞いて来たという蓬組。話によれば、組員は全員腕に蓬の入れ墨をしているという。
 あの包帯の下にその入れ墨があるとするならば、この不穏な雰囲気も頷ける。
 勘一郎らに気づかれないよう、國助が静かに机に体を乗り出した。冬瑠も私も、すぐにそれに従う。
「お二方、蓬組の話はご存じですか?」
 私達ですら聞き取れるか聞き取れないかの小声。だが、そこまでさせる程、彼女の腕に巻かれた包帯は重要な鍵を握っていた。
 そして、そこから導いた仮説は、國助も私と同じだったようだ。
「ええ。何でも、組員は腕に入れ墨を入れているのだとか……」
「もしかすると、もしかするかもしれませんな」
 冬瑠の顔を見ると、険しく唇を引き締めながら、彼女は小さく顎を引いた。
「彼女の帰り際、私が少し話を聞いてみましょう。冬瑠、お前はどこかで彼女がぼろをこぼさないか監視していろ」
「ああ。了解した」
 急速に展開していく事態に危機感を感じながら、私は小さく頷いた冬瑠の顔を見た。
 この疑惑の渦中にいる勘一郎だけは、楽しそうに話に花を咲かせていた。




 えゐは、暫く経ってから店を出た。
 それまでは、最初こそは三人でえゐを注意深く監視していたものの、國助はいつまでもほったらかしにする事は出来ないと厨房へ行き、冬瑠は今日の夜の為にと仮眠を取った。なので、途中からは私一人で様子を見守っていた。
 しかし、えゐが席から立ち上がった途端、冬瑠はまるでその気配を感じ取ったかのように起き上がり、國助は作業をしていた厨房から顔を出した。
 二人とも別の作業をしていながら、彼女を気に掛けていたようだった。
 冬瑠に関しては、もはや神業の領域であったが。
 そして、勘一郎に勘定を任せ、彼女が道化屋から出ていった瞬間に、私は行動に出た。
「失礼、ちょっと良いですか?」
 えゐは引っ込み思案な性格――――もしかするとそう装っているだけなのかもしれないが――――の持ち主である、という事は既に知っていたので、驚かせないように努めて優しい声音で声をかけてみた。
 案の定えゐはびくりと肩を震わせて、それからおずおずと私の顔を盗み見る。
「いえ、お時間は取らせません。ちょっと伺いたい事がありまして」
 穏和な笑顔を意識しながら、私はそう付け加えた。
 勘一郎との会話から、彼女は押しに弱いだろうと予め推測していた。大袈裟な身振りを交えた勘一郎の話に、半ば気圧されながら相槌を打っていたのが根拠である。
「貴方のお話を参考にしたい。如何ですか?」
 絶対に逃がすまい、とさらに畳みかける。
 えゐは、暫くの間考えるように俯いていたが、
「……ええ、一人暮らしですので、時間的には問題ありません。私に出来る事でしたら……」
 やがて、細い声でそう言った。
 こんなか弱い女性が一人暮らしをしているという事に驚いたが、すぐに気持ちを改める。
 彼女以上に苦しい環境下で一人生活を強いられている者など、探せばごまんと居るだろう。
「そうですか。いや、有り難う御座います。そうですね……なるべく他人の耳には入れたくない情報なんですが」
 そう言って私は辺りをぐるっと見渡す。
 丁度、滅多に人が通りそうもない路地裏が目に入った。
「あの路地にてお話を伺ってもよろしいですか?」
「ええ……」
 私とえゐは、道化屋の向かいから少し西に歩いた所に伸びる路地へ足を運んだ。
 後方で冬瑠が様子を見守っている事も同時に確認する。
「さて、時間を取らせないと言った以上、単刀直入にお聞きしますが……」
 路地裏に向かい、人目から避けられる所まで入ってから、私はすぐに本題に切り出す。
「道化屋で盗みが起きた事はご存じですか?」
 話をしながら、僅かな表情の動きも見逃しはしまいと、えゐの顔に面と向かう。
「ええ……」
 しかし、まだ事件が起きたという事だけでは、えゐは動揺を見せる事をしなかった。
「勘一郎さんから、お話を伺っていましたから……」
「そうでしたか……良かった。実は今の話が一番他人には知られたく無い事だったのです」
 えゐに少しでも自分の思惑を悟られないよう、若干大袈裟に胸を撫で下ろしてみせた。
 大きな行動を取れば、その分小さな動きが陰に隠れて、隠蔽に容易くなる。
「恐縮ですが……貴方達が……その……盗人を捕まえる為に来た、という事も……」
「何? そうでしたか。ならば話が早いですね」
 私はえゐの発言にあからさまに声を弾ませて喜んで見せたが、これは振りである。自分達が道化屋に居る目的をえゐが把握している事は、彼女がそれを言う前から既に知っていた。
 しかし、敢えて知らない振りをしてえゐの機嫌を取り持ったのには当然理由がある訳で、彼女が万一機嫌を損ねて口を閉ざしてしまったら、一貫の終わりだ。
「実は、私達はこの一連の事件を、蓬組の人間が引き起こした物だと推測しています」
 そう私が言った時、ほんの僅かな変化がえゐの顔で起きたのを、私は見逃さなかった。
 若干ではあるが、えゐの口元が吊り上がったのである。
 まるで、そう言った私を嘲笑するかのような、獰猛な笑み。
 しかし、それはすぐに引っ込んでしまった。
 少し、尻尾を掴んだような気がした。
「蓬組の話は、ご存じですか?」
「ええ……組員が腕に入れ墨をしているのですよね……」
 ここで、更にえゐが動揺する事を期待出来る発言をする。
「失礼ながら、貴方は右腕に包帯を巻き付けているご様子。おこがましい事であるのは重々承知しておりますが、是非その腕に入れ墨があるか無いか、確認させて頂きたい」
 もし図星なら少しぐらいは動揺するだろう。そうすれば、彼女の眉が一回ぐらいはぴくりと跳ねるかもしれない、と期待していた。
「……」
 しかし、えゐは動揺する事をせず、むしろ逆にその犯人を考えているような仕草さえ見せた。
 えゐも簡単には揺れない。
「やはり、見せたくありませんかね?」
 しかし、幾ら強盗だとしても、女性ならば醜い傷跡を晒したくない筈。
 予想通り、えゐは包帯に巻かれた右腕を大事そうに胸の前で抱いた。
「これは……昔の火傷で……あまり人には……」
「いえ、この場で見たことは全て内密にする所存です。どうか、道化屋の為にも、あなたの為にも、その包帯の下を一度だけ私に見せて頂きたい」
 えゐは本当に押しに弱いようで、最初は嫌がるように私から距離を置いていたが、真摯な視線をずっとえゐに向けていたら、はぁとため息をついてえゐは包帯の留め具をはずした。
 しゅるしゅるしゅると、気持ちの良い音をたてながら彼女の腕から舞い落ちる包帯。
 その下からは、古い皮膚と新しい皮膚の境界が、痛々しい程に姿を現した。
「半年ほど前に…私は…大火傷を負いました。それが、これです」
 傷口に於いて新しく生まれた皮膚の部分は、火傷の際に皮膚が剥がれてしまった場所であることを語っていた。
 しかし、その範囲はちょっとやそっとでなる火傷の傷の比ではない。見ているだけで痛々しくなって来てしまった。
 だが、そのせいで困ったことがあった。
(これではえゐさんが蓬組であるかの有無が断定できない…)
 決定的な証拠となる右腕が火傷を負っているということは、火傷を負う以前に入れ墨を入れたか入れていなかったかが判断できないということに繋がる。
 本人に直接問いただしても、当然のように否定するだろう。
「失礼、どうやらあなたの腕には入れ墨の後が見受けられません。疑いを掛けて申し訳御座いませんでした」
 取りあえず、えゐには潔白であったことを報告して、また振り出しに戻って調査をするのが、不本意ではあったが上策だろう。
 えゐは右腕を隠すようにしながら、地面に落ちた包帯を広い、ゆっくりとはしていたが慣れた手つきでまた包帯を締めなおした。
「ごめんなさい…お見苦しい所を…」
「飛んでもない。こちらこそ図々しい申し出を致してしまいまして、本当に恐縮です」
 後は、特に調べることはない。
 私達は、入ってきた路地裏を逆戻りし、入り口が面していた大通りに戻った。
 その後、えゐにもう一度調査の質問に答えてくれたことへの礼を言って、彼女を見送った。
 彼女は私に一礼すると、穏やかな足取りで今日の昼に勘一朗が見ていた場所へ向かっていった。
 あのとき、やはり勘一朗はえゐのことを待ちわびていたのかもしれない。
「ふぅ…」
 結局、彼女の腕にあったかもしれない入れ墨の真意は、深い闇に葬られてしまった。
 すると、別の方法から詮索を入れなければならないわけだが…
 すると、えゐと入れ替わりに、道化屋から勘一郎が出てきた。
「あれ? 重影さん、こんなところで?」
「ああ、勘か。いや、ちょっとな…」
 はぐらかそうとして、ふと一つの案が浮かんだ。
 えゐと蓬組の話を出せば、ある程度なら勘一郎が反応してくれるのではないか。
 やってみるだけの価値はあるかもしれない。
「えゐさんという方に、盗難事件の情報を聞いてみたのさ」
「というと?」
 えゐの話題になると、他の話題と食いつき方がまるで違う。
 言い様のない蟠りを胸の奥に感じながら、私は言葉を続けた。
「私は、この一連の事件の犯人を蓬組だと読んでいるのだよ」
「成程…蓬組ですか…」
 えゐの話題が挙がって喜んでいた勘一郎は途端になりを潜め、蓬組という言葉にいつもの冷静な思案顔で何かを考え始めた。
 普段ならその客観視出来る態度に頼もしさを抱く筈なのだが、今私はその態度に不安を感じていた。
 すんなりといつもの落ち着いた態度を取ることが出来るということは、裏返して言ってみれば彼女になんの疑問を抱いていないと言うこと。
 つまり、勘一郎はえゐが蓬組の団員であるという可能性を最初から考慮に入れていないのだ。
「ところで、勘は?」
「僕ですか? 今から抹茶の仕舞ですよ」
 そう言って、勘は手に抱えた木箱を持ち上げてみせる。そこからは、微かに抹茶の鋭い香りが漂っていた。
 しかし、勘はそれ以外に腰から小さい麻袋を吊り下げていた。
「勘、それは?」
 ただ、なんだろうと純粋に思っただけなので、指を指して聞いてみたことに他意はなかった。
 すると、どうだろうか。
「えっ、これですか?」
 急に勘一郎が顔を真っ赤にしながら慌てだしたではないか。
 えゐの話題をして動揺しなかったので、まさかここで動揺されるとは思ってもみなかった。釣られて私も失言だったかと若干焦ってしまう。
「これは…まあ、その…」
「いや、言いにくい物だったのなら良い」
「はあ…」
 私が制止すると、ようやく勘一郎の動揺も収まりを見せた。
「呼び止めて済まなかった。言ってくれ」
「あ、いえ! こちらこそ」
 私が勘一郎の前から退くと、勘一郎は思い出したように慌てて木箱を持ち直して倉庫へと向かっていった。
「ふむ…」
 結局、勘一朗からも何も収穫を得ることが出来なかった。強いて言えば、勘一朗がえゐを信用しきっているということ。
 総合して、えゐの右腕には大きな火傷があるという事しか判明しなかった。
 この不甲斐ない結果に情けなさを感じながら、なるべく平静を装って道化屋に入ったつもりだったのだが、
「まあ、そう落胆するでない」
 店に入るなり、冬瑠にそう言われてしまった。
 店の中をぐるりと見渡すと、いつの間にか倉庫にいた市三郎が帰ってきていた。
「そういうお前も、新しい情報を手に入れることが出来ずに、少しばかり落胆しているんではないか?」
「む」
 ただ、私も間抜けではない。冬瑠のそれが単なるかま掛けであったことぐらいは見抜ける。
「お、今度こそ落胆したな」
「重影の守りは堅い。さて、どうしたものやら…」
 しばらく子供のように唇を尖らせていたが、ふっとその表情を緊張させた。
「冗談はともかく…ますます事態は混迷を極めてきたな」
「ああ。あの火傷が過失なのか、はたまた故意なのか、その二つで状況は一変するな」
 とにもかくにも、えゐはこの事件の行方を握る重要な人物であることは、揺るぎない事実になった。
 今後、彼女の言動にはますます目が離せなくなってきた。
「まあ、時間はありますよ。落ち着いて状況を確認しましょう」
「ああ、そうだな」
 私は、そう慰めてくれた市三郎の頭にぽんと手を置いた。
「重影さん。ちょっといいですか?」
 そこで、厨房から國助が私を手招きしてきた。
 わざわざ招いてくるということは、冬瑠と市三郎の耳には入れたく話なのだろう。私は二人に留まっているよう伝えてから國助の元へ向かった。
「なんでしょう」
「今、倉庫の中身を確認しに言った際に、蓬組の事について情報通の奴に聞いてきましてね…」
 思わず唾を飲み下してしまった。
 情報が足りない中で推理を余儀なくされている今、ささやかな情報も有り難い助けになる。
「どうやら最近、蓬組は二極化しているそうです」
「と、いうと?」
「蓬組の内部で権力を握っていた二人が喧嘩をしたそうで、片方の組が独立したという動きがあるそうです」
 盗人を初めとする犯罪者は、一介にして自己主張が強い。内部での意見の衝突はもはや日常茶飯事だ。
 しかし、それが内部分裂を生み出すまでに至る例は少ない。
 共犯者は、多ければ多いほど隠蔽が楽だからだ。
「これが今何に繋がるかは分かりませんが…一応参考にはしていただきたい」
「ええ。情報提供感謝します」
 私は國助に軽く一礼する。
 今日の夜は考えることが多そうだった。
「あと、今日も盗難の跡はありませんでした」
 渦を巻き始めた事件の真相の中、それだけは私の気休めになったかもしれない。
 隠そうともせず、私は胸をなで下ろした。







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最終更新:2012年07月01日 22:24